大友親繁一元化
氏継系大友親繁の生誕・親隆の娘との婚姻による第15代当主就任・両統迭立の終止符・嫡男政親の誕生・第11次遣明船6号船仕立て・応仁期の豊前筑前肥前侵攻・筑後国守護兼任・隠居と家督譲渡・宇佐郡衆の馬ヶ岳城岩石城征伐・豊前国守護剥奪・日田親胤謀反鎮圧──
室町期大友家の82年を一本の時系列に貫く。
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西暦1,411年、大友親著の四男大友親繁が生誕した日から、西暦1,493年12月22日、親繁が死去した日まで。本書は、室町期大友家の両統迭立終焉と興隆——氏継系親繁の生誕、親世系第14代大友家当主大友親隆の娘を正室として迎える事を条件とする第9代室町幕府豊後国守護職補任と第15代大友家当主就任による西暦1,368年以降続いた両統迭立の終止符、嫡男大友政親の誕生、第11次遣明船6号船の仕立て、豊後国臼杵荘領知訴訟、応仁期における豊前国・筑前国・肥前国侵攻と足利義政の命による長門国・周防国侵入、第12代室町幕府筑後国守護兼任、興福寺別当経覚による長野宗雄の田川郡代官任命、隠居と政親への家督譲渡による両統迭立廃止の強固化、宇佐郡衆による馬ヶ岳城・岩石城籠城征伐、豊前国守護職の大内教幸への移管、日田親胤の肥後国謀反と五男大友親治による鎮圧、大聖院宗心の讒言による義右との再対立、親繁死去迄の約82年間を一本の時系列に貫き、一元化した一冊である。
西暦1,411年、大友親著の四男として大友親繁が生誕した。1,444年、氏継系であった親繁が、親世系であった第14代大友家当主大友親隆の娘を正室として迎える事を条件に、第9代室町幕府豊後国守護職に補任され、第15代大友家当主となった。此れにより、西暦1,368年以降続いた大友家の両統迭立に終止符が打たれた。又同年、親繁と親隆の娘の間に大友政親が産まれた。1,451年、日明貿易の一環で第11次遣明船10隻が出発、其の6号船は親繁が仕立てた。1,461年9月、親繁は河野教通の要求を退け、豊後国臼杵荘(現在の大分県)の領知を認める様、室町幕府に訴えた。
西暦1,468年11月、細川勝元が大内政弘の分国及び与力の知行の在所を打ち取り次第、注進によって充て行う旨のお触れを出し、親繁・政親父子は豊前国・筑前国・肥前国への侵攻を開始した。又足利義政は親繁に長門国・周防国への侵入も命じた。1,469年、親繁は第12代室町幕府筑後国守護に就任し、豊後国守護職との兼任となった。1,470年3月、足利義政は親繁と益田兼堯の2名に対し、備後国・安芸国・周防国の討伐を命じられた大内教幸の援助を命じた。同年4月11日、第186世興福寺別当経覚が親繁に、長野宗雄を田川郡糸田荘(現在の福岡県)及び田川郡田原荘(現在の福岡県田川郡川崎町)の代官職に任命させた。長野は此の頃、大内氏と不和になり、大友氏の被官となって、糸田荘・田原荘で進納500貫文・補任料50貫文・奉行分25貫文を納めさせられた。1,473年、親繁は隠居し嫡男政親に家督を譲った。此れにより、大友家の両統迭立の廃止はより強固なものとなり、政親は足利義政から偏諱を賜り、第16代大友家当主に就任した。
西暦1,474年12月10日、親繁の京都郡奉行2名が佐田河内守に京都郡吉田荘(現在の福岡県行橋市上稗田付近)内の70町を譲った。1,476年4月21日、佐田忠景を始めとする宇佐郡(現在の大分県豊後高田市・宇佐市)衆が周防国から豊前国へ渡り、瀧池山に布陣して、馬ヶ岳城(現在の福岡県行橋市大谷・西谷)及び岩石城(現在の福岡県田川郡赤村添田町添田)に籠城する親繁・少弐政資等の征伐を開始した。此の時、豊前国守護代の杉弘勝が京都に居た為、大内政弘は宇佐郡衆の中から大将を出す様佐田忠景に求め、佐田は此れに応じた。1,478年12月26日、親繁に与えられていた豊前国守護職が大内教幸に与えられたが、少弐氏が競望した為大内家と少弐家の対立は継続し、此の頃少弐政資を支援した大友氏は少弐氏と不仲になった。1,489年、政親の異母弟日田親胤が肥後国にて謀反を起こした際、政親は上洛中であった為、親繁の五男大友親治によって鎮圧され、親治は政親・大友義右を助けた。間も無くして、大聖院宗心が義右の下にやって来て「日田殿の謀反は政親殿の差し金である」と讒言し、此れを信じた義右は激怒して政親と再び対立した。1,493年12月22日、親繁が死去、本書の終結点。
登場人物
- 大友親繁 大友親著の四男で氏継系。西暦1,411年に生誕、1,444年に親世系であった第14代大友家当主大友親隆の娘を正室として迎える事を条件に第9代室町幕府豊後国守護職に補任され第15代大友家当主となり、西暦1,368年以降続いた大友家の両統迭立に終止符を打った。同年嫡男政親が誕生、1,451年には第11次遣明船6号船を仕立てた。1,461年9月には豊後国臼杵荘の領知訴訟を幕府に起こし、1,468年11月以降は豊前・筑前・肥前三国への侵攻を開始、1,469年には第12代室町幕府筑後国守護に就任し豊後国守護と兼任した。1,473年に隠居し政親に家督を譲り、1,478年12月26日には豊前国守護職を大内教幸に奪われた。1,493年12月22日に死去、本書の主人公。
- 大友親著 親繁の父。西暦1,411年、四男として親繁を儲けた、本書の発端の人物。
- 大友親隆 第14代大友家当主で親世系。西暦1,444年、氏継系の親繁が自身の娘を正室として迎える事を条件に、第9代室町幕府豊後国守護職を親繁に譲り、親繁は第15代大友家当主となった、本書の両統迭立終止符の鍵となる人物。
- 大友政親 親繁の嫡男で親隆の娘を母に持つ第16代大友家当主。西暦1,444年に親繁と親隆の娘の間に誕生、1,468年11月以降は親繁と共に豊前・筑前・肥前三国への侵攻を行った。1,473年、親繁の隠居に伴い家督を相続、足利義政から偏諱を賜り第16代大友家当主に就任し、此れにより両統迭立の廃止はより強固になった。1,489年、異母弟日田親胤の肥後国謀反の際には上洛中で、鎮圧は親治が担った。其の後大聖院宗心の讒言を信じた大友義右と再び対立した、本書の大友家次代。
- 大友親治 親繁の五男。西暦1,489年、政親の異母弟日田親胤が肥後国にて謀反を起こした際、上洛中の政親に代わって此れを鎮圧し、政親・大友義右の両名を助けた、本書の大友家内乱鎮圧の立役者。
- 大友義右 西暦1,489年、日田親胤謀反鎮圧の際に親治の援助を受けた人物。其の後大聖院宗心より「日田殿の謀反は政親殿の差し金である」と讒言を受けて激怒し、政親と再び対立した、本書の大友家内紛の当事者。
- 日田親胤 政親の異母弟。西暦1,489年、政親が上洛中の隙を突いて肥後国にて謀反を起こしたが、親繁の五男親治によって鎮圧された、本書の大友家内乱の首謀者。
- 足利義政 室町幕府第8代将軍。西暦1,468年11月、細川勝元のお触れと併せて親繁に長門国・周防国への侵入を命じた。1,470年3月には親繁と益田兼堯に対し、備後国・安芸国・周防国の討伐を命じられた大内教幸の援助を命じた。1,473年には親繁の隠居に伴い家督を相続した政親に偏諱を賜り、政親は第16代大友家当主に就任した、本書の大友家を動かした将軍。
- 細川勝元 西暦1,468年11月、大内政弘の分国及び与力の知行の在所を打ち取り次第、注進によって充て行う旨のお触れを出した人物。此れを機に親繁・政親父子は豊前・筑前・肥前三国への侵攻を開始した、本書の大友家軍事動員の起点。
- 大内政弘 西暦1,468年11月、細川勝元のお触れにより其の分国及び与力の知行が親繁・政親父子を始めとする諸勢力の攻撃対象となった人物。1,476年4月21日、豊前国守護代の杉弘勝が京都に居た為、宇佐郡衆の中から大将を出す様佐田忠景に求め、佐田は此れに応じて馬ヶ岳城・岩石城に籠城する親繁・少弐政資の征伐を開始した、本書の大友家の西方の敵。
- 大内教幸 西暦1,470年3月、備後国・安芸国・周防国の討伐を足利義政から命じられ、親繁と益田兼堯の援助を受けた人物。1,478年12月26日には親繁に与えられていた豊前国守護職を授けられた。しかし少弐氏が競望した為、大内家と少弐家の対立は継続した、本書の豊前国守護職を継承した人物。
- 少弐政資 西暦1,476年4月21日、佐田忠景を始めとする宇佐郡衆による馬ヶ岳城・岩石城征伐の対象となり、親繁と共に籠城した人物。1,478年12月26日以降、豊前国守護職を競望して大内教幸と対立した。此れ以降、少弐政資を支援した大友氏は少弐氏と不仲になった、本書の豊前筑前戦線の盟友。
- 河野教通 西暦1,461年9月、豊後国臼杵荘の領知を巡って親繁と対立した人物。親繁は其の要求を退け、臼杵荘の領知を認める様室町幕府に訴えた、本書の臼杵荘領知訴訟の相手方。
- 益田兼堯 西暦1,470年3月、足利義政より親繁と共に、備後国・安芸国・周防国の討伐を命じられた大内教幸の援助を命じられた人物、本書の大内教幸援助の共同指揮者。
- 佐田忠景 宇佐郡衆の指導者。西暦1,476年4月21日、宇佐郡衆を率いて周防国から豊前国へ渡り瀧池山に布陣、馬ヶ岳城・岩石城に籠城する親繁・少弐政資等の征伐を開始した。此の時大内政弘から宇佐郡衆の中から大将を出す様求められて此れに応じた、本書の豊前戦線の敵軍総大将。
- 佐田河内守 西暦1,474年12月10日、親繁の京都郡奉行2名から京都郡吉田荘(現在の福岡県行橋市上稗田付近)内の70町を譲られた人物、本書の所領譲渡の受領者。
- 長野宗雄 西暦1,470年4月11日、第186世興福寺別当経覚の差配により親繁を通じて田川郡糸田荘及び田川郡田原荘の代官職に任命された人物。此の頃大内氏と不和になり大友氏の被官となって、糸田荘・田原荘で進納500貫文・補任料50貫文・奉行分25貫文を納めさせられた、本書の田川郡代官。
- 経覚 第186世興福寺別当。西暦1,470年4月11日、親繁に対し長野宗雄を田川郡糸田荘と田川郡田原荘の代官職に任命させた、本書の田川郡代官任命の権威。
- 大聖院宗心 西暦1,489年、日田親胤謀反鎮圧後、大友義右の下にやって来て「日田殿の謀反は政親殿の差し金である」と讒言した人物。此れを信じた義右は激怒し政親と再び対立した、本書の大友家内紛を煽った讒言者。
- 杉弘勝 豊前国守護代。西暦1,476年4月21日の佐田忠景らによる征伐開始時には京都に居た為、大内政弘は宇佐郡衆の中から大将を出す様佐田忠景に求めた、本書の豊前戦線の不在の守護代。
主要な地名・拠点
- 豊後国 現在の大分県。西暦1,444年、親繁が第9代室町幕府豊後国守護職に補任された国。1,469年、親繁は筑後国守護と兼任する事となった、本書の大友家本拠地。
- 臼杵荘 現在の大分県。西暦1,461年9月、親繁が河野教通の要求を退け、其の領知を認める様室町幕府に訴えた豊後国内の荘園、本書の領知訴訟の舞台。
- 筑後国 西暦1,469年、親繁が第12代室町幕府筑後国守護に就任した国。豊後国守護職と兼任となった、本書の大友家勢力圏の拡張の地。
- 豊前国 西暦1,468年11月以降、親繁・政親父子が侵攻を開始した三国の一つ。1,476年4月21日には宇佐郡衆が周防国から此の国へ渡り瀧池山に布陣し馬ヶ岳城・岩石城に籠城する親繁・少弐政資等の征伐を開始した。1,478年12月26日、親繁に与えられていた豊前国守護職は大内教幸に与えられた、本書の大友・大内・少弐三家抗争の主戦場。
- 筑前国・肥前国 西暦1,468年11月以降、親繁・政親父子が侵攻を開始した三国の内の二国、本書の応仁期大友家侵攻の対象地。
- 長門国・周防国 西暦1,468年11月、足利義政が親繁に侵入を命じた二国。周防国は1,470年3月にも大内教幸の討伐対象として備後国・安芸国と共に挙げられ、親繁と益田兼堯による援助対象となった。1,476年4月21日には宇佐郡衆が此の周防国から豊前国へ渡り征伐を開始した、本書の大内氏の本拠地。
- 備後国・安芸国 西暦1,470年3月、足利義政が大内教幸に討伐を命じ、親繁と益田兼堯が援助を命じられた国、本書の義政期援軍作戦の対象地。
- 田川郡糸田荘 現在の福岡県。西暦1,470年4月11日、第186世興福寺別当経覚の差配により親繁を通じて長野宗雄が代官職に任命された荘園。長野は此処で進納・補任料・奉行分を納めた、本書の興福寺領代官任命の地。
- 田川郡田原荘 現在の福岡県田川郡川崎町。西暦1,470年4月11日、糸田荘と併せて長野宗雄が代官職に任命された荘園、本書の興福寺領代官任命の地。
- 京都郡吉田荘 現在の福岡県行橋市上稗田付近。西暦1,474年12月10日、親繁の京都郡奉行2名が佐田河内守に其の内70町を譲った荘園、本書の所領譲渡の舞台。
- 馬ヶ岳城 現在の福岡県行橋市大谷・西谷。西暦1,476年4月21日、親繁・少弐政資等が籠城し、宇佐郡衆の征伐対象となった城、本書の豊前戦線の籠城地。
- 岩石城 現在の福岡県田川郡赤村添田町添田。西暦1,476年4月21日、馬ヶ岳城と共に親繁・少弐政資等が籠城し、宇佐郡衆の征伐対象となった城、本書の豊前戦線の籠城地。
- 瀧池山 西暦1,476年4月21日、周防国から豊前国へ渡った佐田忠景を始めとする宇佐郡衆が布陣した地、本書の宇佐郡衆の布陣地。
- 宇佐郡 現在の大分県豊後高田市・宇佐市。西暦1,476年4月21日、佐田忠景を始めとする此の郡の衆が周防国から豊前国へ渡り瀧池山に布陣、馬ヶ岳城・岩石城征伐を開始した、本書の征伐軍発祥の地。
- 肥後国 西暦1,489年、政親の異母弟日田親胤が謀反を起こし、親繁の五男親治によって鎮圧された地、本書の大友家内乱の舞台。
- 興福寺 西暦1,470年4月11日、第186世別当経覚が親繁に長野宗雄を田川郡糸田荘及び田川郡田原荘の代官職に任命させた寺院、本書の田川郡代官任命を差配した権門。
主要な事件・出来事
- 大友親繁の生誕 西暦1,411年、大友親著の四男大友親繁が生誕した、本書の発端。
- 親繁の豊後国守護補任と両統迭立の終止符 西暦1,444年、氏継系であった親繁が、親世系であった第14代大友家当主大友親隆の娘を正室として迎える事を条件に、第9代室町幕府豊後国守護職に補任され第15代大友家当主となった。此れにより、西暦1,368年以降続いた大友家の両統迭立に終止符が打たれた。又同年、親繁と親隆の娘の間に大友政親が産まれた、本書の最重要の歴史的転換点。
- 第11次遣明船6号船の仕立て 西暦1,451年、日明貿易の一環で第11次遣明船10隻が出発し、其の6号船は親繁が仕立てた、本書の大友家海外交易参画の実績。
- 豊後国臼杵荘領知訴訟 西暦1,461年9月、親繁が河野教通の要求を退け、豊後国臼杵荘(現在の大分県)の領知を認める様、室町幕府に訴えた、本書の大友家領知防衛の訴訟。
- 豊前・筑前・肥前三国侵攻と長門・周防侵入命令 西暦1,468年11月、細川勝元が大内政弘の分国及び与力の知行の在所を打ち取り次第、注進によって充て行う旨のお触れを出した事を機に、親繁・政親父子は豊前国・筑前国・肥前国への侵攻を開始した。又足利義政は親繁に長門国・周防国への侵入も命じた、本書の応仁期大友家軍事行動の開幕。
- 筑後国守護兼任 西暦1,469年、親繁が第12代室町幕府筑後国守護に就任し、豊後国守護職との兼任となった、本書の大友家勢力圏拡張の頂点。
- 大内教幸援助命令 西暦1,470年3月、足利義政が親繁と益田兼堯の2名に対し、備後国・安芸国・周防国の討伐を命じられた大内教幸の援助を命じた、本書の義政期援軍作戦。
- 長野宗雄の田川郡代官任命 西暦1,470年4月11日、第186世興福寺別当経覚が親繁に、長野宗雄を田川郡糸田荘(現在の福岡県)及び田川郡田原荘(現在の福岡県田川郡川崎町)の代官職に任命させた。長野は此の頃大内氏と不和になり大友氏の被官となり、両荘で進納500貫文・補任料50貫文・奉行分25貫文を納めさせられた、本書の興福寺領代官任命。
- 親繁の隠居と政親の第16代大友家当主就任 西暦1,473年、親繁が隠居し、自身の嫡男大友政親に家督を譲った。此れにより大友家の両統迭立の廃止はより強固なものとなり、政親は足利義政から偏諱を賜り第16代大友家当主に就任した、本書の両統迭立廃止の確定。
- 佐田河内守への京都郡吉田荘70町譲渡 西暦1,474年12月10日、親繁の京都郡奉行2名が佐田河内守に京都郡吉田荘(現在の福岡県行橋市上稗田付近)内の70町を譲った、本書の所領譲渡。
- 宇佐郡衆による馬ヶ岳城・岩石城征伐 西暦1,476年4月21日、佐田忠景を始めとする宇佐郡(現在の大分県豊後高田市・宇佐市)衆が周防国から豊前国へ渡り、瀧池山に布陣して、馬ヶ岳城(現在の福岡県行橋市大谷・西谷)及び岩石城(現在の福岡県田川郡赤村添田町添田)に籠城する親繁・少弐政資等の征伐を開始した。此の時、豊前国守護代の杉弘勝が京都に居た為、大内政弘は宇佐郡衆の中から大将を出す様佐田忠景に求め、佐田は此れに応じた、本書の豊前戦線最大の籠城戦。
- 豊前国守護職の大内教幸移管と少弐氏との不和 西暦1,478年12月26日、親繁に与えられていた豊前国守護職が大内教幸に与えられた。しかし少弐氏が競望した為、大内家と少弐家の対立は継続した。又此の頃、少弐政資を支援した大友氏は少弐氏と不仲になった、本書の大友家権益後退と九州情勢再編の契機。
- 日田親胤謀反と親治による鎮圧・大聖院宗心讒言 西暦1,489年、政親の異母弟である日田親胤が、肥後国にて謀反を起こした。此の時政親は上洛中であった為、親繁の五男大友親治によって鎮圧され、親治は政親・大友義右を助けた。間も無くして、大聖院宗心が義右の下にやって来て「日田殿の謀反は政親殿の差し金である」と讒言し、此れを信じた義右は激怒し政親と再び対立した、本書の大友家内紛の頂点。
- 大友親繁の死去 西暦1,493年12月22日、大友親繁が死去した、本書の終結点。
氏継系親繁の生誕・親世系親隆の娘との婚姻・豊後国守護補任と第15代当主就任・両統迭立の終止符・嫡男政親の誕生・第11次遣明船6号船仕立て・臼杵荘領知訴訟・応仁期豊前筑前肥前侵攻・筑後国守護兼任・興福寺経覚の代官任命・隠居と家督譲渡・馬ヶ岳城岩石城籠城戦・豊前国守護剥奪・日田親胤謀反鎮圧──
室町期大友家の82年を一冊に。
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