電子書籍「毒殺して毒殺された何皇后一元化」の表紙

毒殺して毒殺された
何皇后一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦181年4月2日〜189年9月30日
※中国の旧暦は全て西暦に変換しています
ページ数
7ページ
最新更新日
西暦2,026年8月10日

西暦181年、後宮に一杯の毒酒が運ばれた──
毒殺して毒殺された何皇后の8年半を年月日単位で一元化。

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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本書について

西暦181年4月2日、第12代後漢皇帝・霊帝の側室である王栄が、後の献帝を産んだ。之に嫉妬した何皇后は、王栄の下へ刺客を送り、毒酒で毒殺させる。之を知った霊帝は何皇后を退位させようとしたが、宦官達が執り成して阻止した。霊帝は、若くして母を亡くした献帝を不憫に思い、韻文「追徳賦」「令儀頌」を詠んでいる。以後、献帝は嗇夫の朱直によって、宮中の女性が病気や罪を犯した際に監禁される部屋である「暴室」で養育された。本書は、此の毒酒を起点として、西暦189年9月30日に何皇后自身が毒殺されるまでを、年月日単位で一元化した記録である。毒殺して、毒殺された──題名は、其の8年半の顛末を其の儘指している。

西暦181年7月頃、何皇后の父・何真に対し、車騎将軍と舞陽(現在の河南省)侯が追贈される。西暦182年4月頃には、霊帝の母である董太后が朱直から献帝を引き取り、自ら養育を始めた。西暦183年には、何皇后の母・舞陽君にも称号が贈られている。皇后の一族が位を重ねてゆく一方で、毒殺された王栄の遺した子は、皇帝の祖母の手で育てられていた。後に洛陽を割る皇位継承争いの構図は、此の時点で既に置かれていたのである。

西暦189年5月13日、霊帝が後継者を定めない儘崩御する。長男の少帝弁は暗愚であった為に皇太子へ据えられておらず、周囲には弐男の献帝を推す声が有ったが、霊帝は何皇后を寵愛し、外戚である何進にも遠慮していた為、之を決められずにいた。軈て内廷の宦官と朝廷の重臣が権力と利益を巡って争い、少帝弁と献帝の間で皇位継承争いが起こる。霊帝の実母である董太后と親しかった蹇碩は、献帝を皇帝に立てる為に何進の殺害を図った。然し何進が外朝から後宮へ入る際、蹇碩の司馬であった潘隐が目で仄めかした事で警戒され、何進は脇道の軍営へ引き下がり、仮病を使って宮殿に入らず、蹇碩の作戦は失敗に終わった。

5月15日、少帝弁が第13代後漢皇帝に即位し、元号は「光熹」へ改元され、母の何皇后は摂政皇太后に就いた。擁立したのは、何皇后と母方の伯父に当たる何進である。宦官を敵視していた何進は張譲と対立し、其の軍勢は董重の屋敷を包囲して驃騎将軍から罷免させ、自決に追い込んだ。蹇碩に殺されかけた事から十常侍の排除に乗り出した何進は、袁紹等の幕僚を集めて積極的に諮ったが、張譲は何皇后と何苗に何度も賄賂を渡して味方に付け、宦官を擁護させた為、何氏同士で対立が生じる構図となる。外戚との連携で事態を乗り越えようと図っていた宦官にとっても、想定外の展開であった。袁紹は地方の諸将を洛陽へ呼び寄せて圧力を掛ける事を提案し、盧植・陳琳・曹操が反対したが、再三の催促の末に何進は之を受け入れ、王匡・橋瑁・鮑信・張楊・張遼・曹操に兵士や兵糧を集めさせると共に、丁原や董卓といった地方の将軍を呼び寄せた。7月7日には、董太后が何進によって河間(現在の中国河北省滄州市)で暗殺されている。

9月22日、何進は、宦官を皆殺しにする事の許可を取りに、何皇后の居住する長楽宮へ入った。之は初めてではなく、以前にも同意を得ようとして認められていない。何進が長楽宮に居るとの情報を掴んだ十常侍の段珪・畢嵐は之を包囲して先制攻撃を仕掛け、張譲が嘉徳殿の前で何進を罵倒し、段珪が何進を殺害した。段珪等は偽勅を作成して事態の収拾を図り、張譲は宦官達の親族であった許相と樊陵を利用して洛陽の兵を握ろうとし、命令を疑った尚書には何進の首を見せて示した。之を受けて袁術・董卓・盧植・呉匡等が蜂起し、宮中へ乱入して何皇后を捕縛する。董卓は舞陽君を殺害し、袁紹は袁隗や盧植と共に許相等を誘き出して斬り、何苗と協力して趙忠を捕らえて斬る等、多くの宦官を殺した。翌23日、宦官の残党は長楽宮で「大将軍の部下が反乱を企てた」と偽って報告し、何皇后・少帝弁・献帝・地方官の身柄を求め、宮中から役人を誘拐して天橋から北宮の德陽殿へ逃亡する。何皇后は盧植によって救出された。

24日、追手に北宮へ閉じ込められた張譲・段珪等は、止む無く少帝弁・献帝等数十名を擁して谷門を潜り城外へ脱し、夜に小平津(現在の中国河南省洛陽市孟津区)へ到着する。玉玺は無く、公卿も付いて来なかったが、盧植と掾の閔貢が黄河の畔で一行を迎えた。閔貢は、空腹で喉が渇いていた少帝弁の為に羊を殺して与え、無秩序な行政を行った張譲を激しく叱責する。張譲は入水自殺した。少帝弁と献帝は、宮殿へ戻る為に蛍の光の揺らぎを追って数km歩き、市民から渡された荷車で洛舍まで行って休息した。25日、少帝弁救出を命じられていた董卓は、显陽苑から宮殿の炎上に気付いて急行し、北邙山で少帝弁を迎える。問いに対する少帝弁の返答は支離滅裂であり、代わりに答えた献帝の方が聡明であると感じた董卓は、此処で献帝擁立を思い付いた。洛陽の皇宮へ帰還すると元号は「昭寧」へ改元され、董卓は自ら司空となる。段珪は盧植・呉匡の追撃を受けて入水自殺し、何苗は呉匡と董卓の弟・董旻に殺され、何氏は大きく勢力を弱めた。

27日、董卓は宮中会議で、前漢の昭帝・宣帝を補佐した霍光を引き合いに出し、自らを霍光に仕えた田延年に準えて廃立を提案する。盧植と袁紹以外が賛成し、献帝の即位が決まった。反対する者を処刑する積もりであった董卓は盧植を殺そうとしたが、蔡邕の制止によって思い止まり、盧植は持ち場を放棄して逃亡した。28日、尚書の丁宮が崇徳殿の前殿で廃立の儀式を行い、太傅の袁隗が皇帝の印である玉玺と絹製の組み紐である印綬を外して献帝に渡す。之により献帝は第14代後漢皇帝に即位した。之を見ていた何皇后は涙を堪え、群臣も悲嘆に暮れたが、敢えて怒りの声は上げなかった。直後、董卓は丁宮に「嘗ての何皇后の董太后に対する振る舞いは、孝の道に叛くものだ」という主旨の策文を読み上げさせ、何皇后を洛陽の永安宮へ幽閉する。30日、何皇后は董卓の命令を受けた李儒によって毒殺された。董卓は宮廷での葬儀を許可せず、献帝を洛陽城へ弔問に遣わせ、公卿は3日間白装束で公務を執り行った。そして何皇后が霊帝の陵に合葬されると、董卓は其の陵の副葬品を奪い取った。


登場人物

  • 何皇后 本書の中心人物。第12代後漢皇帝霊帝の皇后。西暦181年4月2日、献帝を産んだ側室王栄に嫉妬し、刺客を送って毒酒で毒殺させた。西暦189年5月15日には少帝弁の即位に伴い摂政皇太后となるが、張譲の賄賂を受けて宦官を擁護し、何進との間に対立を生む。同年9月28日に永安宮へ幽閉され、30日、李儒によって毒殺された。
  • 霊帝 第12代後漢皇帝。何皇后による王栄毒殺を知って退位させようとしたが、宦官達の執り成しにより阻止された。母を亡くした献帝を不憫に思い、韻文「追徳賦」「令儀頌」を詠んでいる。少帝弁が暗愚であった為に皇太子へ据えず、何皇后への寵愛と何進への遠慮から献帝も立てられぬ儘、西暦189年5月13日に崩御した。
  • 王栄 霊帝の側室。西暦181年4月2日に献帝を産んだが、之に嫉妬した何皇后の送った刺客により、毒酒で毒殺された。本書の起点となる出来事である。
  • 献帝 霊帝の弐男で、王栄の子。母を毒殺された後、嗇夫の朱直によって「暴室」で養育され、西暦182年4月頃からは董太后に引き取られた。西暦189年9月25日、北邙山で董卓の問いに支離滅裂な返答をした少帝弁に代わって答え、董卓に擁立を思い立たせる。28日、第14代後漢皇帝に即位した。
  • 少帝弁 霊帝の長男で、何皇后の子。暗愚であった為に皇太子へ据えられなかったが、西暦189年5月15日、何皇后と何進により擁立されて第13代後漢皇帝に即位した。9月24日には張譲・段珪等に擁されて城外へ脱し、閔貢の与えた羊で飢えを凌ぎ、蛍の光を追って歩いた末に荷車で洛舍へ辿り着く。28日、廃立により位を降りた。
  • 何進 何皇后の母方の伯父で、外戚。少帝弁を擁立し、宦官を敵視して張譲と対立した。董重を罷免して自決に追い込み、十常侍の排除に乗り出すが、袁紹の献策により丁原・董卓等の地方将軍を呼び寄せる。西暦189年7月7日には董太后を河間で暗殺した。9月22日、長楽宮で段珪に殺害され、其の首は尚書への威嚇に使われた。
  • 何苗 何氏の一人。張譲の賄賂を受けて宦官を擁護し、何進との対立の一因となった。西暦189年9月22日には袁紹と協力して趙忠を捕らえて斬っているが、25日、呉匡と董卓の弟董旻によって殺害された。之により何氏は大きく勢力を弱めた。
  • 何真 何皇后の父。西暦181年7月頃、車騎将軍と舞陽(現在の河南省)侯を追贈された。
  • 舞陽君 何皇后の母。西暦183年に称号を贈られた。西暦189年9月22日、何進殺害を受けて宮中へ乱入した董卓によって殺害された。
  • 董太后 霊帝の実母。西暦182年4月頃、朱直から献帝を引き取って養育を始めた。蹇碩と親しく、献帝擁立の一方の柱であったが、西暦189年7月7日、何進によって河間で暗殺された。後に董卓は、何皇后の董太后に対する振る舞いを孝の道に叛くものだとする策文を読み上げさせ、幽閉の名目としている。
  • 董重 驃騎将軍。西暦189年5月15日以後、何進の軍勢に屋敷を包囲されて罷免され、自決に追い込まれた。
  • 蹇碩 董太后と親しかった宦官。献帝を皇帝に立てる為、西暦189年5月に何進の殺害を図った。然し自身の司馬であった潘隐が何進に目で仄めかした為に警戒され、何進は仮病を使って宮殿に入らず、作戦は失敗した。
  • 潘隐 蹇碩の司馬。何進が外朝から後宮へ入る際、目で危険を仄めかし、暗殺計画を頓挫させた。
  • 張譲 十常侍の一人。何進と対立し、何皇后と何苗に何度も賄賂を渡して味方に付け、宦官を擁護させた。西暦189年9月22日には嘉徳殿の前で何進を罵倒し、許相と樊陵を利用して洛陽の兵を握ろうとする。24日、小平津の黄河の畔で閔貢に激しく叱責され、入水自殺した。
  • 段珪 十常侍の一人。西暦189年9月22日、畢嵐と共に長楽宮の何進を包囲して先制攻撃を仕掛け、何進を殺害した。24日には少帝弁・献帝等を擁して城外へ脱したが、25日、盧植・呉匡の追撃を受けて身体窮まり、入水自殺した。
  • 趙忠 宦官。西暦189年9月22日、袁紹と何苗の協力によって捕らえられ、斬られた。
  • 袁紹 何進の幕僚。地方の諸将を洛陽へ呼び寄せて何皇后等に圧力を掛ける事を再三提案し、大将軍の命であると偽って各地へ指令も出した。何進の死後は袁隗・盧植と共に許相等を斬り、多くの宦官を殺した。9月27日の宮中会議では、盧植と共に董卓の廃立提案に反対している。
  • 袁術 何進が普段から親しく接していた部下の一人。西暦189年9月22日の何進殺害を受けて蜂起し、宮中へ乱入した。
  • 袁隗 袁紹の叔父で太傅。西暦189年9月28日、崇徳殿の前殿で行われた廃立の儀式において、皇帝の印である玉玺と印綬を外し、献帝に渡した。
  • 董卓 何進に呼び寄せられた地方の将軍。西暦189年9月22日に宮中へ乱入して舞陽君を殺害し、25日には北邙山で少帝弁と献帝を迎えて献帝擁立を思い付く。自ら司空となり、27日の宮中会議で廃立を提案して献帝を即位させた。何皇后を永安宮へ幽閉して毒殺させ、葬儀を許さず、霊帝の陵の副葬品まで奪取した。
  • 李儒 董卓の命令を受け、西暦189年9月30日、永安宮に幽閉されていた何皇后を毒殺した人物。本書の題名が指す二つ目の毒殺の実行者である。
  • 盧植 尚書。袁紹の献策に反対し、何進の死後は宮中へ乱入して何皇后を救出した。小平津では閔貢と共に少帝弁一行を迎え、段珪を追撃している。9月27日の宮中会議で董卓の廃立提案に反対し、殺されかけたが蔡邕の制止に救われ、持ち場を放棄して逃亡した。
  • 閔貢 掾。西暦189年9月24日、黄河の畔で張譲・段珪一行を迎え、空腹で喉が渇いていた少帝弁の為に羊を殺して与えた。無秩序な行政を行った張譲を激しく叱責し、入水自殺へ追い込み、少帝弁・献帝と共に蛍の光を追って歩いた。
  • 呉匡 何進が普段から親しく接していた部下の一人。何進殺害を受けて蜂起し、盧植と共に段珪を追撃した。西暦189年9月25日には董旻と共に何苗を殺害している。
  • 曹操 何進の幕僚。盧植・陳琳と共に、地方の諸将を洛陽へ呼び寄せるという袁紹の提案に反対した。然し何進が之を受け入れた後は、王匡・橋瑁・鮑信・張楊・張遼と並んで兵士や兵糧の徴集に当たっている。
  • 蔡邕 西暦189年9月27日の宮中会議において、廃立に反対した盧植を殺そうとした董卓を制止し、思い止まらせた。
  • 丁宮 尚書。西暦189年9月28日、崇徳殿の前殿で廃立の儀式を執り行った。直後には董卓の指示により、何皇后の董太后に対する振る舞いを孝の道に叛くものとする策文を読み上げ、幽閉の名目とした。
  • 朱直 嗇夫。母を毒殺された献帝を、宮中の女性が病気や罪を犯した際に監禁される部屋である「暴室」で養育した。西暦182年4月頃、董太后に献帝を引き渡した。

本書が記録する出来事

  • 王栄の毒殺と献帝の誕生 西暦181年4月2日、霊帝の側室王栄が献帝を産む。之に嫉妬した何皇后は刺客を送り、毒酒で王栄を毒殺した。之を知った霊帝は何皇后を退位させようとしたが、宦官達の執り成しによって阻止された。本書の起点となる出来事である。
  • 暴室での養育 王栄の死後、霊帝は若くして母を亡くした献帝を不憫に思い、韻文「追徳賦」「令儀頌」を詠んだ。献帝は嗇夫の朱直によって、宮中の女性が病気や罪を犯した際に監禁される部屋である「暴室」で養育された。
  • 何氏への追贈と称号 西暦181年7月頃、何皇后の父何真に車騎将軍と舞陽侯が追贈される。西暦183年には、母の舞陽君にも称号が贈られた。皇后の一族が位を重ねてゆく時期である。
  • 董太后による献帝の養育 西暦182年4月頃、霊帝の母である董太后が朱直から献帝を引き取り、養育を始める。後の皇位継承争いにおいて、董太后が献帝擁立の側に立つ下地となった。
  • 霊帝の崩御と皇位継承争い 西暦189年5月13日、霊帝が後継者を定めない儘崩御する。少帝弁は暗愚であった為に皇太子へ据えられておらず、献帝を推す声も有ったが、何皇后への寵愛と何進への遠慮から決められずにいた。内廷の宦官と朝廷の重臣が権力と利益を巡って争う事となる。
  • 蹇碩による何進暗殺未遂 西暦189年5月、董太后と親しかった蹇碩が、献帝を皇帝に立てる為に何進の殺害を図る。然し何進が外朝から後宮へ入る際、蹇碩の司馬であった潘隐が目で仄めかした為、警戒した何進は脇道の軍営へ引き下がり、仮病を使って宮殿に入らず、作戦は失敗した。
  • 少帝弁の即位と摂政皇太后就任 西暦189年5月15日、少帝弁が第13代後漢皇帝に即位し、元号が「光熹」へ改元される。母の何皇后は摂政皇太后に就任した。擁立したのは何皇后と何進である。
  • 董重の罷免と自決 何進の軍勢が董重の屋敷を包囲し、驃騎将軍から罷免させて自決に追い込む。董太后側の勢力を削ぐ一手であった。
  • 十常侍排除の謀議と何氏の分裂 蹇碩に殺されかけた何進が十常侍の排除に乗り出し、袁紹等の幕僚と諮る。然し張譲は何皇后と何苗に何度も賄賂を渡して味方に付け、宦官を擁護させた為、何氏同士で対立が生じる構図となった。外戚との連携を図っていた宦官にとっても想定外の事態であった。
  • 地方諸将の召集 袁紹が地方の諸将を洛陽へ呼び寄せて何皇后等に圧力を掛ける事を提案し、盧植・陳琳・曹操が反対する。再三の催促の末に何進は之を受け入れ、王匡・橋瑁・鮑信・張楊・張遼・曹操に兵士や兵糧を集めさせ、丁原や董卓を呼び寄せた。
  • 董太后の暗殺 西暦189年7月7日、董太后が何進によって河間(現在の中国河北省滄州市)にて暗殺される。後に董卓は、何皇后の董太后に対する振る舞いを、何皇后幽閉の名目として持ち出した。
  • 何進の殺害と宮中の乱入 西暦189年9月22日、宦官皆殺しの許可を取りに長楽宮へ入った何進を、段珪・畢嵐が包囲して先制攻撃を仕掛ける。張譲が嘉徳殿の前で罵倒し、段珪が何進を殺害した。之を受けて袁術・董卓・盧植・呉匡等が蜂起し、宮中へ乱入して何皇后を捕縛、董卓は舞陽君を殺害し、袁紹等は多くの宦官を斬った。
  • 何皇后の救出 西暦189年9月23日の早朝、宦官の残党が長楽宮に入り「大将軍の部下が反乱を企てた」と偽って報告し、何皇后・少帝弁・献帝・地方官の身柄を求める。役人を誘拐して北宮の德陽殿へ逃亡したが、何皇后は盧植によって救出された。
  • 少帝弁・献帝の城外脱出 西暦189年9月24日、北宮に閉じ込められた張譲・段珪等が少帝弁・献帝等数十名を擁して谷門を潜り、夜に小平津へ到着する。玉玺も公卿も無い一行を盧植と閔貢が黄河の畔で迎え、閔貢は少帝弁の為に羊を殺して与え、叱責を受けた張譲は入水自殺した。少帝弁と献帝は蛍の光を追って歩き、市民から渡された荷車で洛舍へ辿り着いた。
  • 北邙山での邂逅 西暦189年9月25日、董卓が显陽苑から宮殿の炎上に気付いて急行し、北邙山で少帝弁を迎える。少帝弁の返答が支離滅裂であったのに対し献帝が代わりに答えた為、董卓は献帝擁立を思い付いた。皇宮への帰還後、元号は「昭寧」へ改元され、董卓は自ら司空となる。同日、段珪は入水自殺し、何苗は呉匡と董旻に殺害された。
  • 廃立の提案 西暦189年9月27日、董卓が宮中会議で霍光を引き合いに出し、自らを田延年に準えて廃立を提案する。盧植・袁紹以外が賛成し、献帝の即位が決定した。反対した盧植は殺されかけたが、蔡邕の制止によって董卓は思い止まり、盧植は逃亡した。
  • 献帝の即位と永安宮への幽閉 西暦189年9月28日、尚書丁宮が崇徳殿の前殿で廃立の儀式を行い、太傅袁隗が玉玺と印綬を外して献帝に渡す。献帝は第14代後漢皇帝に即位した。之を見ていた何皇后は涙を堪え、群臣も悲嘆に暮れたが怒りの声は上げなかった。直後、董卓は策文を読み上げさせ、何皇后を永安宮へ幽閉した。
  • 何皇后の毒殺 西暦189年9月30日、永安宮に幽閉されていた何皇后が、董卓の命令を受けた李儒によって毒殺される。董卓は宮廷での葬儀を許可せず、献帝を洛陽城へ弔問に遣わせ、公卿は3日間白装束で公務を執り行った。何皇后が霊帝の陵に合葬されると、董卓は其の副葬品を奪取した。本書が記録する最後の日である。

王栄の毒酒から、永安宮に届いた李儒の毒へ──
何皇后と後漢王朝の終焉を、其の全過程ごと一元化。

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石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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