毒殺して毒殺された
何皇后一元化
王栄を毒酒で殺し、自らも毒に斃れた──
何皇后と後漢王朝の八年半を一元化。
159円(税込)
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本書について
西暦181年4月2日、第12代後漢皇帝霊帝の側室王栄が献帝を産んだ。此れに嫉妬した何皇后は王栄に刺客を送り、毒酒で毒殺する。此れを知った霊帝は何皇后を退位させようとしたが、宦官達が執り成して阻止した。霊帝は若くして母を亡くした献帝を不憫に思って韻文「追徳賦」「令儀頌」を詠み、献帝は嗇夫の朱直によって、宮中の女性が病気や罪を犯した際に監禁される部屋である「暴室」で養育される。本書は、此の王栄の毒殺から、189年9月30日に何皇后自身が毒殺される迄を一元化した記録である。
181年7月頃、何皇后の父何真に車騎将軍と舞陽(現在の河南省)侯が追贈される。182年4月頃には、霊帝の母の董太后が朱直から献帝を引き取って養育を始め、183年には何皇后の母舞陽君に称号が贈られた。189年5月13日、霊帝は後継者を定めない儘崩御した。霊帝は長男の少帝弁が暗愚であった為に皇太子に据えておらず、献帝を推す声も有ったが、何皇后を寵愛し、外戚の何進にも遠慮していた為、献帝を皇太子に出来なかったのである。董太后と親しかった蹇碩は、献帝を皇帝に立てる為に何進の殺害を図ったが、蹇碩の司馬に目で仄めかされて警戒した何進は宮殿に入らず、作戦は失敗した。
5月15日、少帝弁が第13代後漢皇帝に即位して元号は「光熹」に改められ、母の何皇后は摂政皇太后に就く。少帝弁を擁立した何進は、宦官を敵視して張譲と対立し、董重を驃騎将軍から罷免させて自決に追い込んだ。十常侍の排除に乗り出した何進に対し、張譲は何皇后や何苗に何度も賄賂を渡して宦官を擁護させ、何氏同士が対立する構図となる。袁紹は地方の諸将を洛陽に呼び寄せて何皇后等に圧力を掛ける事を提案し、盧植・陳琳・曹操は反対したが、何進は再三の催促を受け入れ、丁原や董卓といった地方の将軍を呼び寄せた。7月7日、董太后は何進によって河間(現在の中国河北省滄州市)で暗殺される。
9月22日、宦官を皆殺しにする許可を得ようと、何皇后の居住する長楽宮に入った何進は、十常侍の段珪・畢嵐に包囲され、段珪に殺害された。何進が普段から親しく接していた部下達は蜂起して宮中に乱入し、袁紹も叔父の袁隗や盧植と共に、多くの宦官を殺害する。翌23日、宦官の残党は、大将軍の部下が反乱を企てたと偽って何皇后・少帝弁・献帝らの身柄を求め、役人を誘拐して北宮の徳陽殿へ逃亡したが、何皇后は盧植に救出された。24日、追手に北宮に閉じ込められた張譲・段珪らは、少帝弁・献帝ら数十名を擁して城外に脱し、夜に小平津(現在の中国河南省洛陽市孟津区)に到着する。黄河の畔で一行を迎えた閔貢に激しく叱責された張譲は、入水自殺した。25日、北芒阪(現在の中国河南省洛陽市の北邙山)で少帝弁を迎えた董卓は、支離滅裂な返答をした少帝弁に代わって答えた献帝の方が聡明であると感じ、献帝を皇帝に据える事を思い付く。
其の後、少帝弁・献帝が董卓と共に洛陽の皇宮に帰還すると、元号は「昭寧」に改められ、董卓は自ら司空となった。一方、何苗は呉匡と董卓の弟董旻に殺害され、何氏は大きく勢力を弱める。27日、董卓は宮中会議で廃立を提案し、盧植・袁紹以外の賛成を得て、献帝の即位が決まる。28日、尚書丁宮が崇徳殿の前殿で廃立の儀式を行い、献帝が第14代後漢皇帝に即位した。何皇后は涙を堪えて其れを見ていたが、直後、董卓は、何皇后の董太后に対する振る舞いは孝の道に叛くものだという主旨の策文を丁宮に読み上げさせ、何皇后を永安宮に幽閉する。30日、何皇后は董卓の命令を受けた李儒によって毒殺された。董卓は宮廷での葬儀を許さず、何皇后が霊帝の陵に合葬されると、其の陵の副葬品を奪った——其の全過程を、本書は一冊に束ねている。
登場人物
- 何皇后 本書の中心人物。霊帝の皇后で、少帝弁の母。181年4月2日に献帝を産んだ王栄に嫉妬し、刺客を送って毒酒で毒殺した。少帝弁の即位で摂政皇太后となったが、張譲から賄賂を受けて宦官を擁護した。189年9月28日に永安宮に幽閉され、30日、李儒に毒殺された。
- 霊帝 第12代後漢皇帝。王栄を毒殺した何皇后を退位させようとしたが、宦官達の執り成しで阻止された。少帝弁が暗愚であった為に皇太子に据えず、何皇后への寵愛と何進への遠慮から献帝も皇太子に出来ない儘、189年5月13日に崩御した。
- 王栄 霊帝の側室。181年4月2日に献帝を産み、嫉妬した何皇后の送った刺客に、毒酒で毒殺された。
- 献帝 霊帝の弐男で、王栄の子。暴室で朱直に養育された後、182年4月頃に董太后に引き取られた。189年9月25日、董卓の質問に少帝弁に代わって答え、28日、第14代後漢皇帝に即位した。
- 少帝弁 霊帝の長男で、何皇后の子。暗愚であった為に皇太子に据えられなかったが、189年5月15日、何皇后と何進に擁立されて第13代後漢皇帝に即位した。張譲・段珪らに擁されて城外に脱し、董卓の質問には支離滅裂な返答をした。189年9月28日、廃立の儀式により、帝位は献帝に移った。
- 何進 少帝弁の母方の伯父で、外戚。少帝弁を擁立し、宦官を敵視して張譲と対立した。袁紹の提案を受け入れて丁原・董卓らを呼び寄せ、189年7月7日、董太后を河間で暗殺した。9月22日、長楽宮を訪れた所を段珪・畢嵐に包囲され、段珪に殺害された。
- 何苗 張譲から何度も賄賂を受けて宦官を擁護し、何氏同士が対立する一因となった。袁紹と協力して趙忠を捕らえて斬ったが、189年9月25日、呉匡と董旻に殺害された。
- 何真 何皇后の父。181年7月頃、車騎将軍と舞陽侯を追贈された。
- 舞陽君 何皇后の母。183年に称号を贈られた。189年9月22日の騒乱の中で殺害された。
- 董太后 霊帝の母。182年4月頃、朱直から献帝を引き取って養育を始めた。189年7月7日、何進によって河間で暗殺された。
- 董重 驃騎将軍。何進の軍勢に屋敷を包囲されて罷免され、自決に追い込まれた。
- 蹇碩 董太后と親しかった。献帝を皇帝に立てる為に何進の殺害を図ったが、蹇碩の司馬に目で仄めかされて警戒した何進は宮殿に入らず、作戦は失敗した。
- 張譲 何進と対立し、何皇后や何苗に何度も賄賂を渡して宦官を擁護させた。189年9月22日、嘉徳殿の前で何進を罵倒した。24日、少帝弁・献帝らを擁して城外に脱したが、閔貢に叱責され、入水自殺した。
- 段珪 十常侍の一人。189年9月22日、畢嵐と共に長楽宮の何進を包囲し、何進を殺害した。25日、盧植・呉匡の追撃を受け、入水自殺した。
- 袁紹 何進の幕僚。地方の諸将を洛陽に呼び寄せる事を再三提案し、大将軍の命であると偽って各地に指令も出した。何進の死後は多くの宦官を殺害し、189年9月27日の宮中会議では廃立に賛成しなかった。
- 袁隗 袁紹の叔父で太傅。189年9月28日の廃立の儀式で、皇帝の印である玉璽と印綬を外し、献帝に渡した。
- 董卓 何進に呼び寄せられた地方の将軍。189年9月25日に少帝弁を迎え、献帝の方が聡明であると感じて、献帝を皇帝に据える事を思い付いた。自ら司空となり、宮中会議で廃立を提案した。何皇后を永安宮に幽閉し、李儒に毒殺させた。
- 李儒 董卓の命令を受け、189年9月30日、永安宮に幽閉されていた何皇后を毒殺した。
- 盧植 袁紹の提案に反対した。189年9月23日、何皇后を救出した。黄河の畔で閔貢と共に張譲・段珪の一行を迎え、段珪を追撃した。宮中会議では廃立に賛成せず、董卓に殺されかけたが、蔡邕の制止で救われ、持ち場を放棄して逃亡した。
- 閔貢 掾。189年9月24日、黄河の畔で張譲・段珪の一行を迎え、空腹で喉が渇いていた少帝弁の為に羊を殺して与えた。無秩序な行政を行った張譲を激しく叱責し、入水自殺に至らせた。
- 呉匡 何進が普段から親しく接していた部下の一人。何進の死後に蜂起し、盧植と共に段珪を追撃した。189年9月25日、董旻と共に何苗を殺害した。
- 曹操 盧植・陳琳と共に袁紹の提案に反対したが、何進が提案を受け入れると、兵士や兵糧を集めた。
- 蔡邕 189年9月27日、廃立に賛成しなかった盧植を殺そうとした董卓を、制止して思い止まらせた。
- 丁宮 尚書。189年9月28日、崇徳殿の前殿で廃立の儀式を行い、董卓に命じられて、何皇后を非難する策文を読み上げた。
- 朱直 嗇夫。母を毒殺された献帝を「暴室」で養育した。182年4月頃、献帝は董太后に引き取られた。
本書が記録する出来事
- 献帝の誕生と王栄の毒殺(181年4月2日) 霊帝の側室王栄が献帝を産み、嫉妬した何皇后が王栄を毒酒で毒殺する。
- 何真への追贈(181年7月頃) 何皇后の父何真に、車騎将軍と舞陽侯が追贈される。
- 董太后による養育(182年4月頃) 董太后が朱直から献帝を引き取り、養育を始める。
- 舞陽君への称号(183年) 何皇后の母舞陽君に称号が贈られる。
- 霊帝の崩御(189年5月13日) 霊帝が後継者を定めない儘崩御し、少帝弁と献帝の間で皇位継承争いが起こる。
- 少帝弁の即位(189年5月15日) 少帝弁が第13代後漢皇帝に即位し、何皇后が摂政皇太后となる。
- 董太后の暗殺(189年7月7日) 董太后が、何進によって河間で暗殺される。
- 何進の殺害(189年9月22日) 長楽宮に入った何進が包囲され、段珪に殺害される。蜂起した部下達が宮中に乱入し、多くの宦官が殺害される。
- 何皇后の救出(189年9月23日) 宦官の残党が北宮の徳陽殿へ逃亡し、何皇后は盧植に救出される。
- 城外への脱出(189年9月24日) 張譲・段珪らが少帝弁・献帝らを擁して小平津に至り、閔貢に叱責された張譲が入水自殺する。
- 董卓との対面(189年9月25日) 少帝弁を迎えた董卓が、献帝を皇帝に据える事を思い付く。元号が「昭寧」に改められ、董卓は司空となる。
- 廃立の提案(189年9月27日) 董卓が宮中会議で廃立を提案し、献帝の即位が決まる。
- 献帝の即位(189年9月28日) 崇徳殿の前殿で廃立の儀式が行われ、献帝が第14代後漢皇帝に即位する。何皇后は永安宮に幽閉される。
- 何皇后の毒殺(189年9月30日) 何皇后が董卓の命令を受けた李儒に毒殺され、董卓は霊帝の陵の副葬品を奪う。
少帝弁は廃され、献帝が立った──
王栄の毒殺から何皇后の死迄を一元化。
159円(税込)
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