比企能員vs北条時政、
源頼家の修禅寺幽閉一元化
平服の能員は、名越殿の竹藪に倒れた──
比企能員と北条時政の争いを一元化。
159円(税込)
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本書について
西暦1,203年6月29日0時、阿野全成と北条時政が結託して自身を追放しようとしているという情報を掴んでいた源頼家は、武田信光を差し向けて全成を捕らえさせた。全成は大倉御所に幽閉され、塩谷朝業に預けられる。翌30日、頼家は阿波局を尋問する為に比企能員を北条政子の下へ差し向けたが、政子は、阿波局が阿野全成の件に就いて知っている事は無いとして差し出しを拒んだ。本書は、此の全成の捕縛から、11月4日に頼家が修禅寺へ向けて出発する迄を一元化した記録である。
7月5日、阿野全成の常陸国への流罪が執行され、8月1日、頼家の命を受けた八田知家が、下野国で全成を殺害した。八田は恩賞として筑後守を与えられる。頼家は阿波局を捕縛しようとしたが、姉の北条政子が引き渡しを拒んだ。2日、頼家は、京都に居る全成の参男阿野頼全の殺害を源仲章・佐々木定綱に命じる為、大江能範を上洛させる。24日、頼全は延年寺(現在の京都府京都市東山区五条坂東とりべ山)で在京御家人に殺害された。28日、頼家は大江広元の屋敷で急病に倒れ、病気治癒を願う祈祷が行われる。卜筮によると、霊神の祟りであるとされた。
10月3日、頼家に回復の兆しが見られない事から、北条時政は、一幡に関東28ヶ国の地頭職と総守護職を、源実朝に関西38ヶ国の地頭職を譲る相続を取り決めた。一幡の外祖父比企能員は、全て一幡に与えられるべきものを実朝にも譲渡するのはおかしいと憤慨し、実朝と北条氏の殺害を決意する。8日、能員は娘の若狭局を介して頼家に時政征伐を訴え、病床に呼ばれて許可を得たが、其の話を障子の陰から立ち聞きしていた北条政子が、時政に伝えた。時政は天野遠景・仁田忠常に能員を攻める考えを伝え、大江広元にも相談した上で、薬師如来の開眼供養を名目に能員を名越殿(現在の神奈川県鎌倉市大町)へ招く。親類に引き止められながらも、武装しては却って疑いを招くとして平服で赴いた能員は、天野・仁田に左右の手を掴まれ、竹藪に引き倒されて殺害された。
能員の屋敷に逃げ帰った雑色から事の次第を聞いた比企一族は、能員の館の最奥部に在る小御所の一幡の屋敷に立て籠もった。15時、北条政子は之を謀反と見做して比企一族征伐を命じ、北条義時を総大将とする軍勢が出陣する。比企一族側の抵抗は激しかったが、畠山重忠に軍勢を破られた笠原親景は能員の館に火を放ち、糟屋有季は8名を討ち取った後に殺害され、河原田次郎・中山為重は一幡の前で自刃した。若狭局は一幡を抱いて小門から脱出し、戦闘は16時に終結する。夜には渋河兼忠が殺害され、比企一族側は敗北した。生き残った能員の末子比企能本は、和田義盛に預けられ、後に安房国へ配流される。
10日、中野能成・小笠原長経・細野四郎が捕らえられ、能員の縁者であった島津忠久は、薩摩国・大隅国・日向国の守護職を罷免された。11日、回復して一連の事件を知った頼家は激怒し、堀親家を使者として和田義盛・仁田忠常に時政を討つ様命じたが、和田は堀を捕縛させて名越殿に入り、堀は工藤行光に殺害される。12日、恩賞を受ける為に名越殿に入った仁田忠常が夜になっても帰らず、討たれたと考えた弟の仁田忠正・仁田忠時が、北条義時の居た北条政子の屋敷を襲撃した。忠正は波多野忠綱に殺害され、忠時は自害し、大倉御所へ向かった忠常も加藤景廉に殺害される。13日、源実朝が征夷大将軍に任ぜられ、頼家は政子により出家させられて、修禅寺(現在の静岡県伊豆市修善寺)に軟禁される事となった。同じ日、京都には、10月7日に頼家が亡くなったとして実朝の任命を求める時政の書簡が届いている。21日、実朝は第3代鎌倉殿に就任した。11月4日、頼家は先陣随兵100騎・女騎15騎・小舎人童1名・後陣随兵約200騎を伴い、修禅寺へ向けて出発した——其の全過程を、本書は一冊に束ねている。
登場人物
- 比企能員 源頼家の息子一幡の外祖父。1,203年10月3日の相続の取り決めに憤慨し、源実朝と北条氏の殺害を決意した。8日、娘の若狭局を介して頼家に北条時政征伐を訴え、病床に呼ばれて許可を得たが、同じ日、薬師如来の開眼供養を名目に名越殿へ招かれ、平服で赴いて、天野遠景・仁田忠常に殺害された。
- 北条時政 1,203年10月3日、一幡に関東28ヶ国の地頭職と総守護職を、源実朝に関西38ヶ国の地頭職を譲る相続を取り決めた。比企能員を名越殿へ招いて殺害させ、京都へは、頼家が亡くなったとして実朝の征夷大将軍任命を求める書簡を送った。16日、実朝が名越殿に入ると、御家人の所領を安堵する御触れを出した。
- 源頼家 阿野全成が北条時政と結託して自身を追放しようとしているとの情報を掴んでおり、1,203年6月29日、武田信光を差し向けて全成を捕らえさせた。8月28日に急病に倒れ、10月11日、回復して一連の事件を知ると、和田義盛・仁田忠常に時政を討つ様命じた。13日、北条政子により出家させられ、11月4日、修禅寺へ向けて出発した。
- 北条政子 阿波局の引き渡しを2度拒んだ。比企能員が頼家から北条時政征伐の許可を得る話を障子の陰から立ち聞きして時政に伝え、比企一族の立て籠もりを謀反と見做して征伐を命じた。1,203年10月13日、頼家を出家させた。
- 北条義時 比企一族征伐の総大将。1,203年10月12日には、北条政子の屋敷に居た所を、仁田忠常の弟達に襲撃された。
- 若狭局 比企能員の娘。父の北条時政征伐の訴えを源頼家に取り次いだ。比企一族征伐の際、一幡を抱いて一幡の屋敷の小門から脱出した。
- 一幡 源頼家の息子。北条時政の取り決めで、関東28ヶ国の地頭職と総守護職を譲られる事になった。比企一族は其の屋敷に立て籠もり、河原田次郎・中山為重は一幡の前で自刃した。
- 源実朝 源頼朝の子。関西38ヶ国の地頭職を譲られる事になった。1,203年10月13日に征夷大将軍に任ぜられ、16日に北条時政の名越殿に入り、21日、第3代鎌倉殿に就任した。
- 阿野全成 北条時政と結託して頼家を追放しようとしているとの情報を掴んだ頼家が差し向けた武田信光に捕らえられ、常陸国への流罪が執行された後、1,203年8月1日、八田知家に下野国で殺害された。
- 阿波局 北条政子の妹。源頼家は尋問と捕縛の為に2度其の身柄を求めたが、政子は何れも拒んだ。
- 阿野頼全 阿野全成の参男。源頼家が源仲章・佐々木定綱に其の殺害を命じ、1,203年8月24日、延年寺で在京御家人に殺害された。
- 武田信光 1,203年6月29日0時、源頼家に差し向けられ、阿野全成を捕らえた。
- 八田知家 源頼家の命を受け、1,203年8月1日、下野国で阿野全成を殺害した。恩賞として筑後守を与えられた。
- 大江広元 1,203年8月28日、頼家は其の屋敷で急病に倒れた。比企能員征伐を北条時政に相談されると、兵法については返答する事は出来ないと明言を避けたが、征伐には反対しなかった。
- 天野遠景 北条時政から能員を攻める考えを伝えられ、仁田忠常と共に、御前に呼び寄せ始末しましょうと提案した。名越殿で待ち構え、能員を殺害した。
- 仁田忠常 天野遠景と共に比企能員を殺害し、比企一族征伐にも出陣した。源頼家から北条時政を討つ様命じる書簡を送られた。1,203年10月12日、恩賞を受ける為に名越殿に入り、帰宅途中に騒動を知って大倉御所へ向かったが、加藤景廉に殺害された。
- 仁田忠正・仁田忠時 仁田忠常の弟達。兄が討たれたと考え、北条義時の居た北条政子の屋敷を襲撃した。忠正は波多野忠綱に殺害され、忠時は自害した。
- 堀親家 源頼家が和田義盛・仁田忠常に北条時政を討つ様命じる書簡を送った際の使者。書簡を受け取った和田の命で捕縛され、工藤行光に殺害された。
- 和田義盛 比企一族征伐に出陣した。源頼家から北条時政を討つ様命じる書簡を受け取ったが、使者の堀親家を捕縛させ、時政の名越殿に入った。生き残った比企能本を預かった。
- 加藤景廉 比企一族征伐で負傷したが、女装して脱出を試みた比企余一兵衛尉を討った。1,203年10月12日、大倉御所へ向かう仁田忠常を殺害した。
- 畠山重忠 比企一族征伐に出陣し、笠原親景の軍勢を破った。
- 糟屋有季 比企一族側。北条義時側が惜しんで逃がそうとしたが、一幡の屋敷から出て来ず、8名を討ち取った後、殺害された。
- 笠原親景 比企一族側。畠山重忠に軍勢を破られると能員の館に駆け込んで火を放ち、一幡の屋敷に籠って戦った末に殺害された。
- 比企能本 比企能員の末子。生き残り、和田義盛に預けられた後、安房国へ配流された。
- 島津忠久 比企能員の縁者。薩摩国・大隅国・日向国の守護職を罷免され、薩摩国の守護職にだけ復職した。
本書が記録する出来事
- 阿野全成の捕縛(1,203年6月29日) 源頼家に差し向けられた武田信光が、阿野全成を捕らえる。
- 阿波局の差し出しの拒否(1,203年6月30日) 頼家が阿波局を尋問しようとするが、北条政子が拒む。
- 阿野全成の流罪(1,203年7月5日) 全成の常陸国への流罪が執行される。
- 阿野全成の殺害(1,203年8月1日) 頼家の命を受けた八田知家が、下野国で全成を殺害する。
- 阿野頼全の殺害(1,203年8月24日) 全成の参男頼全が、延年寺で在京御家人に殺害される。
- 頼家の急病(1,203年8月28日) 頼家が大江広元の屋敷で倒れ、祈祷が行われる。卜筮では霊神の祟りとされた。
- 相続の取り決め(1,203年10月3日) 北条時政が、一幡と源実朝に地頭職を分けて譲る事を決め、比企能員が憤慨する。
- 時政征伐の許可(1,203年10月8日) 能員が若狭局を介して時政征伐を訴え、頼家が許可するが、北条政子が立ち聞きして時政に伝える。
- 比企能員の殺害(1,203年10月8日) 薬師如来の開眼供養を名目に名越殿へ招かれた能員が、天野遠景・仁田忠常に殺害される。
- 比企一族征伐(1,203年10月8日) 15時、北条政子の命で北条義時らが出陣し、16時に戦闘が終結する。夜、比企一族側は敗北する。
- 捕縛と罷免(1,203年10月10日) 中野能成・小笠原長経・細野四郎が捕らえられ、島津忠久が3ヶ国の守護職を罷免される。
- 頼家の命令(1,203年10月11日) 回復した頼家が和田義盛・仁田忠常に時政を討つ様命じるが、使者の堀親家は殺害される。
- 仁田忠常の死(1,203年10月12日) 帰らない忠常の弟達が北条政子の屋敷を襲い、大倉御所へ向かった忠常も加藤景廉に殺害される。
- 源実朝の征夷大将軍任命(1,203年10月13日) 実朝が征夷大将軍に任ぜられ、土御門天皇が就任を宣下する。
- 頼家の出家(1,203年10月13日) 頼家が北条政子により出家させられ、修禅寺に軟禁される事となる。
- 第3代鎌倉殿(1,203年10月21日) 実朝が第3代鎌倉殿に就任し、第3代征夷大将軍とする宣旨が鎌倉に届く。
- 修禅寺への出発(1,203年11月4日) 頼家が随兵らを伴い、修禅寺へ向けて出発する。
能員の館は燃え、頼家は修禅寺へ──
比企一族の敗北と頼家の軟禁を一元化。
159円(税込)
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