電子書籍「和田合戦一元化」の表紙

和田合戦一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,210年12月8日〜1,213年5月31日
※旧暦は全て西暦に変換しています
ページ数
12ページ
文字数
8,023字
最新更新日
西暦2,026年10月2日

胤長は赦されず、三浦は寝返った──
和田義盛の挙兵と其の前後を一元化。

260円(税込)

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本書について

西暦1,210年12月8日6時、建穂神社(現在の静岡県静岡市葵区建穂)から、1,213年に戦が起きるとのお告げが出た。同じ日、源実朝も夢の中で同じお告げを聞く。大江広元が占いで確かめてはどうかと提案すると、実朝は、明け方に自分も合戦の夢を見た、建穂神社のお告げと符合するので占いを行う必要は無いと答えた。本書は、此のお告げから、1,213年5月31日に弁覚が中山行重を退けた褒賞を与えられる迄を一元化した記録である。

1,211年、泉親衡は源頼家の参男栄実を征夷大将軍に擁立して北条義時を討つ計画を立て、水面下で各地の武士に協力を呼び掛けて行った。1,212年6月7日には、義時の弐男北条朝時が、西八条禅尼に仕える官女の佐渡守藤原親康の娘を深夜に居室から連れ出し、実朝の怒りを買って義時に義絶され、駿河国富士郡(現在の静岡県富士市・富士宮市)に蟄居となる。1,213年3月8日、泉親衡の郎党青栗七郎の弟阿静坊安念が、千葉成胤に栄実を擁しての挙兵を持ち掛けて捕らえられた。翌9日の自白で、計画に与した武士が130名余、其の仲間が200名に上る事が明らかとなり、和田義盛の四男和田義直・五男和田義重や和田胤長らが捕縛される。義盛は上総国に出向いていて、鎌倉には居なかった。処刑を言い渡された渋河兼守は10首の和歌を荏柄天神社に奉納して赦され、25日、筋替橋付近に潜伏しているとの噂を受けて派遣された工藤十郎は、泉親衡に殺害された。31日、鎌倉に戻った義盛の嘆願で義直・義重は赦免されたが、謀反に積極的に加担したと判断された胤長は赦されなかった。

4月1日、義盛は一族98名を引き連れて大倉御所を訪れ、胤長の赦免を訴えたが、実朝との面会は叶わず、後ろ手に縛り上げられた胤長は一族の前に引き立てられて、二階堂行村に引き渡された。胤長は9日、陸奥国岩瀬郡鏡沼(現在の福島県岩瀬郡鏡石町)へ配流され、13日には、父に会えなくなった悲しみから病を患っていた娘の荒鵑が息を引き取る。17日に一族へ引き渡された胤長の屋敷を、24日、義時は、屋敷は一族に給付されるという慣習を破って、金窪行親・安東忠家に与えた。5月7日、和田朝盛は実朝から地頭職の下文を授かりながら、其の夜、源延の草庵で出家して京都へ向かうが、10日、和田義直に駿河国手越で連れ戻され、義盛の旗下として先陣に立つ事となる。19日夜、実朝が差し向けた刑部丞宮内忠季に、義盛は、将軍家に対する反逆の気持ちは無いが、北条義時の所為は我慢ならず、決起は止むを得ないと答えた。

5月23日、小田知重から和田義盛の屋敷に軍勢が集結していると知らされた大江広元は、宴の席を1人抜けて大倉御所へ走った。弟の三浦胤義と共に、義盛に味方する起請文を書いていた三浦義村は、胤義と相談の上、先祖代々の主君に矢を射れば天罰を免れる事は出来ないとして義盛を裏切り、北条義時に義盛の挙兵を告げる。16時、義盛は予定を1日繰り上げ、横山党の到着を待たずに150騎を三手に分けて、大倉御所南門・義時の屋敷・大江広元の屋敷を襲った。朝比奈義秀は南門を打ち破って南庭に侵入し、火を放つ。燃えていく御所を見た源実朝は、義時・大江らに付き添われて北門から脱出し、法華堂に逃げ込んだ。朝比奈は北条朝時を斬り、政所前の橋で足利義氏の鎧の袖を掴む。朝比奈は割って入った野田朝季を殺害したが、義氏は鎧の袖を引きちぎって逃れた。日が暮れると、義盛は由比ヶ浜に兵を引いた。

24日4時、横山時兼が横山党を率いて腰越浦(現在の神奈川県鎌倉市)に到着し、義盛の軍に加わる。義盛は3,000騎を率いて若宮大路を北上した。稲村ヶ崎に着いた相模国・伊豆国の御家人達は、何方に加勢すれば良いか分からず源実朝の御教書を求め、大江広元が作成した実朝名義の花押の有る御教書を示されて、鎌倉幕府軍に付く。朝比奈は土屋義清・古郡保忠と3騎轡を並べて敵陣に突入し、琵琶橋で宍戸家政を討ったが、土屋は鶴岡八幡宮寺の赤橋の周辺で北から矢を受けて死亡した。18時、和田義直が伊具盛重に討ち取られると、義盛は今は戦う甲斐も無しと号泣し、江戸能範の郎党に討ち取られる。朝比奈は船6隻に500騎を乗せて安房国へ逃れ、25日、古郡経忠・古郡保忠の兄弟と、和田常盛・横山時兼は、甲斐国で自害した。同じ日に始まった勲功の審議では、政所前の先陣を巡って波多野忠綱と三浦義村が争う。26日、北条義時は和田に代わって侍所別当に就任し、28日、陸奥国で和田胤長が処刑された。29日夜、北条泰時は実朝に勲功を辞退する旨を伝え、31日、大町大路で中山行重を退けた弁覚に、豊前国黒土荘が与えられた——其の全過程を、本書は一冊に束ねている。


登場人物

  • 和田義盛 本書の中心人物。息子の和田義直・和田義重の赦免を嘆願して許されたが、和田胤長は赦されなかった。1,213年5月23日、予定を1日繰り上げて挙兵し、大倉御所南門・北条義時の屋敷・大江広元の屋敷を襲った。翌24日、義直が討たれると、今は戦う甲斐も無しと号泣し、江戸能範の郎党に討ち取られた。
  • 和田胤長 泉親衡の謀反に積極的に加担したと判断され、赦免されなかった。一族の前に引き立てられて二階堂行村に引き渡され、陸奥国岩瀬郡鏡沼に配流された後、1,213年5月28日に陸奥国で処刑された。
  • 和田義直 和田義盛の四男。泉親衡の謀反で捕らえられたが、父の嘆願で赦された。出家した和田朝盛を駿河国手越で連れ戻した。1,213年5月24日18時、伊具盛重に討ち取られ、所持していた名刀石動丸が行方不明となった。
  • 和田義重 和田義盛の五男。泉親衡の謀反で捕らえられたが、父の嘆願で赦された。1,213年5月24日、義盛が討ち取られた事を受けて自刃した。
  • 和田朝盛 胤長と顔が似ていた朝盛は、危篤の荒鵑に、父と偽って帰って来た事を伝えた。源実朝から地頭職の下文を授かった其の夜、源延の草庵で出家して京都へ向かったが、駿河国手越で連れ戻され、義盛の旗下として先陣に立つ事となった。
  • 和田常盛 妻は横山時兼の妹。合戦に敗れて波加利荘へ敗走し、1,213年5月25日、横山時兼と共に甲斐国板東山償原別所で自害した。
  • 朝比奈義秀 和田義盛の参男。1,213年5月23日、大倉御所南門を打ち破って南庭に侵入し、火を放った。北条朝時を斬り、足利義氏の鎧の袖を掴んだ。24日も土屋義清・古郡保忠と3騎轡を並べて敵陣に突入し、琵琶橋で宍戸家政を討った。其の後、船6隻に500騎を乗せて安房国へ逃れた。
  • 横山時兼 和田義盛の側室は其の叔母で、妹は和田常盛の妻。1,213年5月24日4時、横山党を率いて腰越浦に到着したが、既に合戦が始まっていた事に驚いた。25日、和田常盛と共に自害し、横山を始めとする234名の首級が固瀬川の川辺に梟首された。
  • 古郡保忠 朝比奈義秀と共に武器を揃えていた。1,213年5月24日、朝比奈・土屋義清と3騎轡を並べて敵陣に突入した。敗れて兄の古郡経忠と波加利荘へ敗走し、25日、所領の甲斐国板東山波加利之東競石郷二木で兄と共に自害した。
  • 土屋義清 寿福寺の本願主。1,213年5月24日、朝比奈義秀・古郡保忠と3騎轡を並べて敵陣に突入した。甘縄から大倉御所へ向かう途中、鶴岡八幡宮寺の赤橋の周辺で北から矢を受けて死亡し、寿福寺に葬られた。
  • 泉親衡 1,211年、源頼家の参男栄実を征夷大将軍に擁立して北条義時を討つ計画を立て、各地の武士に協力を呼び掛けた。1,213年3月25日、派遣された工藤十郎を殺害し、行方を晦ませた。
  • 阿静坊安念 泉親衡の郎党青栗七郎の弟。千葉成胤に栄実を擁しての挙兵を持ち掛けて捕らえられ、計画に与した武士が130名余、其の仲間が200名に上る事を自白した。
  • 源実朝 1,210年12月8日、建穂神社と同じお告げを夢の中で聞き、占いは要らないと述べた。渋河兼守の和歌に感じて赦免し、山内政宣・宍戸家政に、2人とも近い内に命を失うと予言した。1,213年5月23日、燃えていく大倉御所から法華堂へ逃れ、翌日、自筆の和歌2首を添えた願書を鶴岡八幡宮寺に奉じた。
  • 北条義時 和田胤長を尚も厳しく取り調べる様にと言い、屋敷は一族に給付されるという慣習を破って、胤長の屋敷を金窪行親・安東忠家に与えた。1,213年5月23日、三浦義村の報告に驚かず、冷静な儘大倉御所へ向かった。26日、和田義盛に代わって侍所別当に就任し、政所別当と兼任した。
  • 北条泰時 1,213年5月24日、若宮大路に布陣した。29日夜、源実朝に勲功を辞退する旨を伝え、和田義盛は実朝に逆心を持たず北条義時と敵対した、自分は父の敵と戦った迄であると述べて、周囲を感嘆させた。
  • 北条朝時 北条義時の弐男。官女を深夜に連れ出して義絶され、駿河国富士郡に蟄居となった。呼び戻されて1,213年5月21日に義時の下に着き、23日、朝比奈義秀に斬られて負傷し、撤退した。
  • 三浦義村 弟の三浦胤義と共に和田義盛に味方する起請文を書いていたが、義盛を裏切り、北条義時に挙兵を告げた。勲功の審議では、政所前の先陣を巡って波多野忠綱と争った。従兄弟の和田を裏切った事で、後に千葉胤綱から、三浦の犬は友をも食らうと返された。
  • 大江広元 1,213年5月23日、小田知重の報告を受けて宴の席を1人抜け、大倉御所へ走った。翌24日、稲村ヶ崎の御家人達が源実朝の御教書を求めると、実朝名義の花押の有る御教書を作成し、使者を遣わして示した。
  • 波多野忠綱 政所付近で応戦した。勲功の審議では米町と政所前の先陣を主張し、北条義時の譲歩の勧めを退けた。3名の証言で政所前の先陣は忠綱と分かったが、三浦義村を盲目扱いした事を理由に、褒賞は無しとなった。
  • 足利義氏 1,213年5月23日、政所前の橋で朝比奈義秀に鎧の袖を掴まれたが、袖を引きちぎって逃れた。24日は大町大路に布陣した。
  • 武田信光 1,213年5月24日、若宮大路の米町口で朝比奈義秀と睨み合ったが、息子の武田信忠が割って入り、交戦せずに終わった。勲功として甲斐国波加利本荘を与えられた。
  • 宍戸家政 1,213年4月29日、山内政宣と共に源実朝から酒を振る舞われ、2人とも近い内に命を失うと予言された。5月24日、琵琶橋で朝比奈義秀に討たれた。
  • 山内政宣 宍戸家政と共に源実朝に予言を受けた。1,213年5月29日、既に出家した身で、山内首藤経俊の屋敷に出頭した。
  • 弁覚 第24世日光山別当。1,213年5月24日、大町大路で中山行重を退け、31日、其の褒賞として豊前国黒土荘を与えられた。
  • 渋河兼守 泉親衡の謀反で捕らえられた。処刑を言い渡されると、思いの丈を10首の和歌に込めて荏柄天神社に奉納し、工藤祐隆が其れを源実朝に届けて、赦免された。
  • 荒鵑 和田胤長の娘。父に会えなくなった悲しみから病を患い、父と偽った和田朝盛の姿を微かに見て、息を引き取った。

主要な地名・拠点

  • 建穂神社 現在の静岡県静岡市葵区建穂。1,210年12月8日6時、1,213年に戦が起きるとのお告げが出た。
  • 駿河国富士郡 現在の静岡県富士市・富士宮市。義絶された北条朝時が蟄居した。
  • 荏柄天神社 処刑を言い渡された渋河兼守が、10首の和歌を奉納した。社の前に在った和田胤長の屋敷は、北条義時によって金窪行親・安東忠家に与えられた。
  • 陸奥国岩瀬郡鏡沼 現在の福島県岩瀬郡鏡石町。和田胤長が配流された。
  • 駿河国手越 出家して京都へ向かった和田朝盛が、和田義直に連れ戻された。
  • 大倉御所 1,213年4月1日、和田義盛が一族98名を引き連れて訪れた。5月23日、朝比奈義秀が南門を打ち破って南庭に侵入し、火を放った。
  • 御谷 現在の神奈川県鎌倉市雪ノ下。1,213年5月23日、北条政子・西八条禅尼らが大倉御所北門を出て避難した。
  • 法華堂 大倉御所の北側の丘の上に在る堂。燃えていく御所を北門から脱出した源実朝が逃げ込み、1,213年5月25日8時に東の御所へ移った。
  • 由比ヶ浜 1,213年5月23日、日が暮れると和田義盛が兵を引いた。
  • 腰越浦 現在の神奈川県鎌倉市。1,213年5月24日4時、横山時兼が横山党を率いて到着した。
  • 稲村ヶ崎 1,213年5月24日8時、相模国・伊豆国の御家人達が到着し、源実朝名義の御教書を示されて、鎌倉幕府軍に付いた。
  • 若宮大路 1,213年5月24日、和田義盛が3,000騎を率いて北上した。北条泰時・北条時房が布陣し、米町口では武田信光と朝比奈義秀が睨み合った。
  • 琵琶橋 現在の神奈川県鎌倉市由比ガ浜。朝比奈義秀が宍戸家政を討った。
  • 鶴岡八幡宮寺 源実朝が、自筆の和歌2首を添えた戦勝祈願の願書を奉じた。土屋義清は其の赤橋の周辺で、北から矢を受けて死亡した。
  • 寿福寺 現在の神奈川県鎌倉市扇ガ谷。土屋義清が大倉御所へ向かう途中に経由した寺で、本願主であった土屋が葬られた。
  • 大町大路 1,213年5月24日、足利義氏が布陣し、弁覚が中山行重を退けた。
  • 安房国 1,213年5月24日、朝比奈義秀が和田朝盛の長男佐久間家盛と共に、船6隻に500騎を乗せて海路で逃れた。
  • 甲斐国板東山波加利之東競石郷二木 現在の山梨県大月市初狩町中初狩・下初狩付近。1,213年5月25日、古郡経忠・古郡保忠の兄弟が自害した所領。
  • 甲斐国板東山償原別所 笹子峠(現在の山梨県大月市・甲州市)付近。1,213年5月25日、和田常盛と横山時兼が自害した。
  • 固瀬川 現在の境川。横山時兼を始めとする234名の首級が、其の川辺に梟首された。

主要な事件・出来事

  • 建穂神社のお告げ(1,210年12月8日) 建穂神社から1,213年に戦が起きるとのお告げが出て、源実朝も夢の中で同じお告げを聞く。
  • 栄実擁立の計画(1,211年) 泉親衡が源頼家の参男栄実を擁立して、北条義時を討つ計画を立てる。
  • 北条朝時の義絶(1,212年6月7日) 官女を深夜に連れ出した朝時が、義時に義絶され、駿河国富士郡に蟄居となる。
  • 阿静坊安念の捕縛(1,213年3月8日) 千葉成胤に挙兵を持ち掛けた安念が捕らえられ、北条義時の下へ連行される。
  • 安念の自白(1,213年3月9日) 計画に与した武士130名余と其の仲間200名が明らかとなり、和田義直・和田義重・和田胤長らが捕らえられる。
  • 薗田成朝の逃亡(1,213年3月11日) 宇都宮時綱の下から逃れた薗田が、出家を勧められても応じず、行方知れずとなる。
  • 渋河兼守の赦免(1,213年3月19日) 前日に奉納された10首の和歌を工藤祐隆が届け、源実朝が渋河を赦す。
  • 工藤十郎の殺害(1,213年3月25日) 泉親衡の潜伏の噂を受けて派遣された工藤十郎が殺害され、泉は行方を晦ます。
  • 和田義盛の帰還(1,213年3月31日) 義盛の嘆願で義直・義重が赦されるが、胤長は赦されない。
  • 一族98名の嘆願(1,213年4月1日) 義盛が一族を引き連れて胤長の赦免を訴えるが認められず、胤長は二階堂行村に引き渡される。
  • 和田胤長の配流(1,213年4月9日) 胤長が陸奥国岩瀬郡鏡沼に配流される。
  • 荒鵑の死(1,213年4月13日) 父と偽った和田朝盛の姿を微かに見て、胤長の娘荒鵑が息を引き取る。
  • 胤長の屋敷の給付(1,213年4月24日) 北条義時が慣習を破り、胤長の屋敷を金窪行親・安東忠家に与える。
  • 源実朝の予言(1,213年4月29日) 山内政宣・宍戸家政に、2人とも近い内に命を失うと予言する。
  • 和田朝盛の出家(1,213年5月7日) 地頭職の下文を授かった夜、朝盛が出家して京都へ向かう。10日、駿河国手越で連れ戻される。
  • 尊道房の追放(1,213年5月16日) 義盛が年来の帰依僧を追放し、伊勢神宮に戦勝祈願させたとの噂で、人々が騒然とする。
  • 義盛の回答(1,213年5月19日) 宮内公氏の前で義盛が烏帽子を落とす。夜、実朝が差し向けた刑部丞宮内忠季に、北条義時の所為は我慢ならず、決起は止むを得ないと答える。
  • 三浦義村の裏切り(1,213年5月23日) 起請文を書いていた義村が、北条義時に義盛の挙兵を告げる。
  • 大倉御所の襲撃(1,213年5月23日) 16時、義盛が150騎を三手に分けて挙兵し、朝比奈義秀が南門を破って南庭に侵入し、火を放つ。源実朝は法華堂へ逃れる。
  • 源実朝の御教書(1,213年5月24日) 稲村ヶ崎の相模国・伊豆国の御家人達が、実朝名義の御教書を示されて、鎌倉幕府軍に付く。
  • 朝比奈義秀の奮戦と土屋義清の戦死(1,213年5月24日) 朝比奈義秀が土屋義清・古郡保忠と3騎轡を並べて敵陣に突入し、琵琶橋で宍戸家政を討つが、土屋は鶴岡八幡宮寺の赤橋の周辺で北から矢を受けて死亡する。
  • 和田義盛の最期(1,213年5月24日) 18時に義直が討たれ、号泣した義盛も江戸能範の郎党に討ち取られる。和田義重・和田義信・和田秀盛は自刃する。
  • 古郡兄弟・和田常盛・横山時兼の自害(1,213年5月25日) 敗走した4名が甲斐国で自害し、其の後、234名の首級が固瀬川の川辺に梟首される。
  • 先陣争い(1,213年5月25日) 政所前の先陣を巡って波多野忠綱と三浦義村が争い、3名の証言で、先陣は忠綱であった事が分かる。
  • 侍所別当の交代(1,213年5月26日) 謀反人の所領・所職が没収され、北条義時が和田義盛に代わって侍所別当に就任する。
  • 胤長の処刑と勲功の配分(1,213年5月28日) 胤長が陸奥国で処刑され、同じ日、勲功として所領が配分される。波多野忠綱に褒賞は無かった。
  • 北条泰時の勲功辞退(1,213年5月29日) 泰時が勲功を辞退し、周囲を感嘆させるが、源実朝は重ねて受け取る様指示する。
  • 弁覚への褒賞(1,213年5月31日) 中山行重を退けた弁覚に、豊前国黒土荘が与えられる。

御所の炎上、朝比奈の奮戦、義盛の最期──
和田合戦の二日間と勲功の審議を一元化。

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石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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