電子書籍「源実朝一元化」の表紙

源実朝一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,203年3月18日〜1,219年2月14日
※旧暦は全て西暦に変換しています
ページ数
32ページ
文字数
22,107字
最新更新日
西暦2,026年9月30日

和歌を愛した将軍は、雪の石段で斃れた──
源実朝の十六年を一元化。

542円(税込)

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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本書について

西暦1,203年3月18日、北条義時の助けを得て、源実朝が鶴岡八幡宮寺に参詣した。兄の源頼家は神馬2頭を奉納しながらも、先日の八幡神の御託宣を良い事に義時のやり方が露骨になっていると考えていた。10月3日、北条時政は、体調の戻らぬ頼家の跡を一幡と実朝に分けて譲る事を定め、之に憤った比企能員は実朝と北条氏の殺害を決意する。10月13日、実朝は征夷大将軍に任ぜられ、21日、第3代鎌倉殿となった。本書は、此の鶴岡八幡宮寺への参詣から、1,219年2月14日に実朝が勝長寿院に葬られる迄を一元化した記録である。

11月13日に元服した実朝は、翌年から右近衛少将・右近衛中将と昇進を重ねる。1,204年8月30日、幕府は正室に後鳥羽上皇の外叔坊門信清の娘西八条禅尼を京都から迎える事を決めた。足利義兼の娘を拒んだ実朝が朝廷に打診し、藤原兼子が推したのである。1,205年5月2日、実朝は初めて和歌を詠み、「箱根路をわが越えくれば伊豆の海や沖の小島に波の寄る見ゆ」を含む12首を残す。7月9日、平賀朝雅の讒言を受けた牧の方の訴えで、北条時政は畠山重忠の征伐を決め、反対した義時・北条時房も、実朝も同意するに至った。9月4日、時政が実朝を暗殺して朝雅を征夷大将軍に据える計画に北条政子と義時が気付き、政子は長沼宗政・結城朝光・三浦義村らを遣わして、名越殿の実朝を義時の屋敷に移す。孤立した時政と牧の方は、其の日の内に出家した。

以後、実朝は和歌に傾倒してゆく。内藤朝親が献上した新古今和歌集を読み耽って本歌取りを重ね、義時の山荘や別荘で和歌会を開いた。1,207年には、蟄居を命じた東重胤が義時の助言で詠んだ和歌を3回吟じて之を赦し、放生会の警護を怠って出仕を止められた吾妻助光も、酒宴の場に舞い込んだ青鷺を眼を掠める矢で生け捕りにする妙技を見せて許された。1,209年、実朝は政所を設けて政治に関与し始める。8月6日には住吉大社に和歌20首を奉納し、藤原定家に自らの和歌30首の評を請うて、和歌の指南書「近代秀歌」を贈られた。12月2日、義時と大江広元は、和歌に傾倒する実朝に、武芸を嗜み朝廷を警護する事こそ幕府の安泰であると諷言し、其の10日後、実朝は、功の有る郎従を侍に準じて扱いたいという義時の願いを、幕府の身分秩序を乱すとして退けている。

1,210年12月、建穂神社の神主が書き出したお告げを聞いた実朝は、自らも合戦の夢を見たとして、1,213年に合戦が起きるのは明らかだと占いを退けた。1,211年、明菴栄西は「喫茶養生記」を著す。8月頃、実朝は洪水に苦しむ民を思って「時により過ぐれば民の嘆きなり八大龍王雨止め給へ」と詠み、「貞観政要」の精読を始めた。11月には、鴨長明が飛鳥井雅経の推挙で実朝に謁見している。1,212年には、頼朝が落馬した橋だとして修理に否定的な義時らを押し切り、民衆の往来の為に相模川の橋の修理を命じている。然し同じ年、上総介への任官の嘆願を和田義盛が取り下げると、朝廷との交渉を続けていた実朝は不快感を隠さなかった。

1,213年3月、泉親衡の郎党の弟安念が千葉成胤に謀反を持ち掛けて捕らえられた。和田義直・和田義重は義盛の嘆願で赦されたが、和田胤長は許されず、一族98名の前で縛られて二階堂行村に引き渡される。5月19日、挙兵の噂を受けた実朝の使者に、義盛は、将軍家への反逆の気持ちは無く、義時の所為が我慢ならないのだと答えた。23日、義盛に味方する起請文を書いていた三浦義村は、弟の胤義と相談した上で、義時に挙兵を告げる。16時、義盛は予定を1日繰り上げて150騎で大倉御所・義時の屋敷・大江広元の屋敷を襲い、朝比奈義秀が南門を破って御所に火を放つ中、実朝は北門から法華堂へ逃れた。25日、実朝は負傷者を検分し、政所前の先陣を巡る三浦義村と波多野忠綱の争いに立ち会う。29日には、父の敵と戦っただけだとして勲功を辞退した北条泰時に、重ねて受け取る様命じている。

6月頃、後鳥羽上皇から御宸翰を賜った実朝は、「山は裂け海は褪せなむ世なりとも君にふた心我があらめやも」と詠む。10月、日光山の麓で謀反を企てた畠山重慶の首を持ち帰った長沼宗政に、実朝は生け捕れと命じたのに何故殺したのかと激怒したが、長沼は、和歌・蹴鞠を業として武芸は廃れた様なものだと吐き捨てて去った。1,214年、藤原定家から万葉集の一部を贈られた実朝は「此れは何よりも勝る宝である」と喜び、「金槐和歌集」を纏め上げる。二日酔いの日には明菴栄西から「喫茶養生記」を献じられた。9月3日、後鳥羽上皇への恩と源頼朝の徳を讃える為に建てさせた大慈寺の落慶法要が、栄西を導師として営まれる。1,216年7月1日、鎌倉を訪れた陳和卿は実朝を3度拝んで泣き出し、実朝は前世で医王山の長老、自分は其の弟子であったと語った。実朝も、6年前に同じ夢を見たと意気投合する。

同じ年、権中納言・左近衛中将に進んだ実朝は近衛大将を望み、之を諫めた大江広元に、源氏の正統は自分の代で途絶え、子孫が継ぐ事は無いだろうから、せめて官職を帯びて家名を上げたいと答えた。1,217年1月3日、渡宋を思い立った実朝の命で、陳和卿が大船の建造に着手する。1,218年、実朝は左近衛大将に任ぜられる。北条政子は、跡取りの無い実朝の後継に皇族を迎えるべく藤原兼子と面会し、頼仁親王の推挙を得た。7月21日、実朝は鶴岡八幡宮寺で盛大な行列を仕立てて拝賀を営む。更に内大臣を経て、12月21日には第91代右大臣に任ぜられた。

1,219年2月13日、右大臣拝賀の日。大江広元は涙が止まらないと言って束帯の下に腹巻を付ける様勧めたが、源仲章が前例が無いと反論して退けられる。実朝は髪を1本抜いて宮内公氏に形見として渡し、庭の梅に「出ていなは主なき宿と成ぬとも軒端の梅よ春を忘るな」と詠んだ。18時、60cm程の雪の中を大倉御所から発った行列が鶴岡八幡宮寺に着き、1人で石段を上って奉幣を終えた実朝が降りて来た其の時、法師の装いで隠れていた公暁が「親の敵はかく討つぞ」と叫んで斬り付け、首を落とした。仲章も義時と間違えられて斬られる。実朝の首級を抱えて「今こそ我は東国の大将軍である」と言付けた公暁は、乳母夫の三浦義村の屋敷へ向かう途中、義村が差し向けた長尾定景に討たれた。14日、実朝は勝長寿院に葬られる。首の代わりとなったのは、宮内が形見に受け取った髪であった——其の全過程を、本書は一冊に束ねている。


登場人物

  • 源実朝 本書の中心人物。源頼朝の弐男で、第3代征夷大将軍・鎌倉殿。北条時政の暗殺計画から北条政子・義時に守られ、藤原定家に和歌の評を請うて和歌に傾倒し、「金槐和歌集」を纏めた。和田合戦を法華堂に逃れて乗り切り、右大臣にまで昇ったが、拝賀の日に鶴岡八幡宮寺で公暁に討たれた。
  • 源頼家 実朝の兄。実朝の鶴岡八幡宮寺参詣に神馬を奉納しながら、北条義時のやり方が露骨になっていると考えた。修禅寺から、中野能成を寄越す事と安達景盛の処罰を求めたが聞き入れられず、書簡を送る事も禁じられた。
  • 北条時政 体調の戻らぬ頼家の跡を一幡と実朝に分けて譲る事を定め、実朝を名越殿に迎えた。牧の方の訴えで畠山重忠の征伐を決めたが、実朝を暗殺して平賀朝雅を立てる計画が露見して孤立し、牧の方と共に出家した。
  • 北条政子 時政の計画に気付き、実朝を義時の屋敷に移して守った。公暁を実朝の猶子とし、和田義盛の上総介任官には、侍を国司に推薦出来ない決まりが有ると答えた。跡取りの無い実朝の後継を巡って藤原兼子と面会し、頼仁親王の推挙を得た。
  • 北条義時 実朝の鶴岡八幡宮寺参詣を助けた。父時政の計画に気付き、自らの屋敷に実朝を迎えた。大江広元と共に、和歌に傾倒する実朝に武芸を説いた。和田合戦では義盛の挙兵を知っても動じずに御所へ向かい、右大臣拝賀の日は中門に留まって命拾いした。
  • 北条泰時 和田合戦の勲功を、父の敵と戦っただけだとして辞退した。第5代侍所別当となった。実朝暗殺の夜の首実検では、公暁をちゃんと見た事が無いので本物か分からないと語った。
  • 北条時房 畠山重忠の征伐に義時と共に反対した。実朝の和歌会や散策に度々加わった。
  • 比企能員 一幡の外祖父。一幡と実朝に分けて譲る相続に憤り、実朝と北条氏の殺害を決意した。
  • 牧の方 北条義時の継母。平賀朝雅の讒言を受けて、畠山重忠・重保の謀反を時政に訴えた。計画の露見後、時政と共に出家した。
  • 平賀朝雅 畠山重保から悪口を言われたと牧の方に讒言した。時政は、実朝を暗殺して朝雅を征夷大将軍に据えようと計画した。
  • 畠山重忠 頼朝の挙兵以来忠義を尽くしてきたと義時・時房が庇ったが、牧の方の訴えで征伐が決まった。後に実朝は、重忠は罪も無いのに殺されたと語っている。
  • 大江広元 実朝の側近として評議に加わり、和田合戦では義時と共に実朝を法華堂へ導いた。近衛大将を望む実朝を諫め、右大臣拝賀の日には涙が止まらないと言って腹巻の着用を勧めた。
  • 和田義盛 実朝の小笠懸を指導し、的始めの指揮も執った。上総介への任官を望んだが叶わず、和田胤長の赦免も拒まれて挙兵し、大倉御所を襲った。
  • 朝比奈義秀 和田義盛の参男。大倉御所の南門を破って火を放ち、北条朝時を斬り、足利義氏の鎧の袖を掴んだ。
  • 三浦義村 公暁の乳母夫。和田義盛に味方する起請文を書きながら、義時に挙兵を告げて北門を守った。実朝暗殺の後、大将軍となる準備を公暁から命じられると、迎えを送ると答える一方で義時に知らせ、長尾定景を討手に差し向けた。
  • 波多野忠綱 和田合戦の政所前の先陣を三浦義村と争い、義時に譲る様勧められても、先陣を目指すのが武士の本意だと退けた。共に戦った者の証言で、先陣と認められた。
  • 公暁 三浦義村を乳母夫とし、北条政子の計らいで実朝の猶子となった。三井寺で受戒した。右大臣拝賀の日、鶴岡八幡宮寺で「親の敵はかく討つぞ」と叫んで実朝を討ち、義村の屋敷へ向かう途中で長尾定景に斬られた。
  • 長尾定景 三浦義村から公暁の討手に指名され、固辞した末に受けた。雑賀次郎らを連れて出陣し、取り押さえられた公暁を斬った。
  • 源仲章 右大臣拝賀の日、腹巻を付けた前例は無いと反論した。松明を持っていた所を、義時と間違えられて斬られた。
  • 宮内公氏 和田義盛の屋敷へ遣わされた側近。義盛が烏帽子を落とすのを見て、首が落ちた様だと感じた。実朝から形見の髪を受け取り、其の髪が首の代わりに葬られた。
  • 西八条禅尼 実朝の正室。後鳥羽上皇の外叔坊門信清の娘で、藤原兼子の推薦で京都から迎えられた。
  • 後鳥羽上皇 実朝に御宸翰を与え、実朝は二心の無い忠誠を和歌に詠んだ。坊門信清を通じて、仙洞御所で催した和歌会の纏めも送った。
  • 藤原定家 実朝の和歌30首に評を加え、和歌の指南書「近代秀歌」を献上した。万葉集の一部も贈り、「金槐和歌集」の編纂を許した。
  • 鴨長明 飛鳥井雅経の推挙で鎌倉に下り、実朝に謁見した。
  • 明菴栄西 「喫茶養生記」を著し、二日酔いの実朝に献上した。実朝に仏舎利3粒を譲り、大慈寺の落慶法要では導師を務めた。
  • 陳和卿 鎌倉を訪れて実朝を3度拝み、前世で実朝の弟子だったと語った。渡宋を思い立った実朝の命で、大船の建造に着手した。
  • 内藤朝親 新古今和歌集の写本を献上し、実朝の和歌会に度々加わった。藤原定家に評を請う実朝の和歌30首を送られた。
  • 東重胤 和歌で催促されても鎌倉に戻らず蟄居を命じられたが、義時の助言で詠んだ和歌で赦された。
  • 吾妻助光 放生会の警護を怠って出仕を止められたが、青鷺を眼を掠める矢で生け捕りにする妙技を見せて許された。
  • 長沼宗政 時政の計画の際、実朝の保護に遣わされた。畠山重慶を殺して持ち帰り、激怒した実朝に、和歌・蹴鞠を業として武芸は廃れた様なものだと吐き捨てた。

主要な地名・拠点

  • 鶴岡八幡宮寺 実朝が参詣を重ねた社寺。左近衛大将任官の拝賀が営まれ、右大臣拝賀の日、実朝は此処で公暁に討たれた。
  • 大倉御所 実朝の御所。和田合戦で朝比奈義秀に南門を破られ、火を放たれた。
  • 名越殿 北条時政の屋敷。将軍となった実朝が入り、時政の計画が露見すると、此処から義時の屋敷へ移された。
  • 修禅寺 源頼家が、寂しさは耐え難いと書き送った寺。
  • 江島神社 現在の神奈川県藤沢市江の島。鶴岡八幡宮寺の良信が辺津宮を建てた。1,216年には江ノ島が陸続きとなり、実朝らは神の御蔭ではないかと驚いた。
  • 大山阿夫利神社 現在の神奈川県伊勢原市大山。実朝が、洪水が鎮まる事を祈念して和歌を詠んだ社。
  • 建穂神社 筆頭の神主が書き出したお告げが、実朝の見た合戦の夢と符合した。実朝は刀を奉納した。
  • 三井寺 現在の滋賀県大津市園城寺町。実朝が僧公胤を鎌倉に招き、1,214年には再建を決めた。公暁が受戒した寺でもある。
  • 相模川の橋 稲毛重成が亡き妻の為に架け、源頼朝が落馬した橋。実朝は反対を押し切って修理を命じた。
  • 大慈寺 現在の神奈川県鎌倉市十二所。後鳥羽上皇への恩と源頼朝の徳を讃える為に実朝が建てさせ、1,214年に明菴栄西を導師として落慶法要が営まれた。
  • 御谷 現在の神奈川県鎌倉市雪ノ下。和田義盛の挙兵の報を受けて、実朝・北条政子・西八条禅尼が避難した。
  • 法華堂 和田合戦で、実朝が大倉御所から逃げ込んだ御堂。梶原景時の菩提を弔う法事も営まれた。
  • 永福寺 実朝が郭公の声を聞きに参詣し、西八条禅尼と桜の花見に出掛けた寺。
  • 寿福寺 明菴栄西が実朝に仏舎利を譲った寺。実朝に諫められた退耕行勇が門を閉じ、実朝は行勇を慰めに訪れた。
  • 医王山 現在の中国浙江省寧波市鄞州区五郷镇宝幢太白山の麓の阿育王寺。陳和卿は、実朝が前世で此処の長老だったと語った。
  • 勝長寿院 実朝が葬られた寺。公暁が首を持ち去った為、宮内公氏が形見に受け取った髪で代用された。
  • 波多野 現在の神奈川県秦野市。三浦義村の家臣武常晴が拾い上げた実朝の首級が、此処に葬られた。

主要な事件・出来事

  • 鶴岡八幡宮寺への参詣(1,203年3月18日) 北条義時の助けで実朝が参詣し、源頼家は義時のやり方が露骨になっていると考える。
  • 相続の取り決め(1,203年10月3日) 北条時政が一幡と実朝に地頭職を分けて譲る事を定め、比企能員が憤る。
  • 征夷大将軍・鎌倉殿(1,203年10月13日〜21日) 実朝が征夷大将軍に任ぜられ、第3代鎌倉殿となる。
  • 西八条禅尼との縁組(1,204年8月30日) 坊門信清の娘西八条禅尼を、正室として京都から迎える事が決まる。
  • 初めての和歌(1,205年5月2日) 実朝が初めて和歌を詠み、「箱根路を」の歌を含む12首を残す。
  • 畠山重忠の征伐決定(1,205年7月9日) 牧の方の訴えを受けた北条時政が、反対する義時・時房を従わせて重忠の征伐を決める。
  • 北条時政の失脚(1,205年9月4日) 実朝を暗殺して平賀朝雅を立てる計画が露見し、時政と牧の方が出家する。
  • 公暁の猶子(1,206年11月21日) 北条政子の計らいで、公暁が実朝の猶子となる。
  • 吾妻助光の青鷺(1,207年12月23日) 出仕を止められていた吾妻助光が、青鷺を生け捕りにして許される。
  • 政所の設置(1,209年6月29日) 実朝が政所を設けて、政治に関与し始める。
  • 藤原定家の「近代秀歌」(1,209年8月6日〜9月) 実朝が和歌30首の評を請い、定家から「近代秀歌」を贈られる。
  • 北条義時・大江広元の諷言(1,209年12月2日) 和歌に傾倒する実朝に、武芸を嗜む事こそ幕府の安泰だと説く。
  • 建穂神社のお告げ(1,210年12月11日) 自らも合戦の夢を見た実朝が、1,213年に合戦が起きると断じて占いを退ける。
  • 和田胤長の引き渡し(1,213年4月1日) 一族98名を率いた和田義盛の嘆願も叶わず、胤長が縛られて引き渡される。
  • 和田合戦(1,213年5月23日) 三浦義村の裏切りで挙兵を知られた和田義盛が大倉御所を襲い、実朝は法華堂へ逃れる。
  • 先陣争い(1,213年5月25日) 三浦義村と波多野忠綱が政所前の先陣を争い、証言で忠綱の先陣と認められる。
  • 長沼宗政の激論(1,213年10月11日) 畠山重慶を殺して帰った長沼に実朝が激怒し、長沼は武芸は廃れた様なものだと吐き捨てる。
  • 「金槐和歌集」の完成(1,214年1月5日) 藤原定家から万葉集の一部が届き、「金槐和歌集」の編纂が終わる。
  • 大慈寺の落慶法要(1,214年9月3日) 明菴栄西を導師として、大慈寺の落慶法要が営まれる。
  • 陳和卿の謁見(1,216年7月1日) 陳和卿が実朝を前世の師と拝み、実朝も同じ夢を見たと意気投合する。
  • 近衛大将への望み(1,216年11月1日) 大江広元の諫言に、実朝は源氏の正統は自分の代で途絶えるだろうと答える。
  • 大船の建造(1,217年1月3日) 渡宋を思い立った実朝の命で、陳和卿が大船の建造に着手する。
  • 左近衛大将の拝賀(1,218年7月21日) 鶴岡八幡宮寺で、盛大な行列を仕立てた拝賀が営まれる。
  • 右大臣拝賀と実朝の暗殺(1,219年2月13日) 鶴岡八幡宮寺の石段を降りた実朝が公暁に討たれ、公暁も長尾定景に斬られる。
  • 勝長寿院への埋葬(1,219年2月14日) 公暁が首を持ち去った為、形見の髪で代用して葬られる。

北条時政の失脚、和田合戦、陳和卿の大船──
将軍就任から暗殺までの源実朝を一元化。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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