電子書籍「勝長寿院別当、鶴岡八幡宮寺別当、東寺長者を歴任した定豪一元化」の表紙

勝長寿院別当、
鶴岡八幡宮寺別当、
東寺長者を歴任した
定豪一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,180年〜1,238年11月2日
※旧暦は全て西暦に変換しています
ページ数
19ページ
文字数
4,294字
最新更新日
西暦2,026年9月25日

源頼朝に見出された真言僧は、鎌倉の祈りを担った──
定豪の生涯を一元化。

186円(税込)

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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本書について

西暦1,180年、定豪は仁和寺の第90世東大寺別当寛遍の弟子兼豪から、円成寺(現在の奈良県奈良市忍辱山町)で伝法灌頂を受け、尊寿院・忍辱山流等の諸流を兼帯した。1,193年3月29日、源頼朝に鶴岡八幡宮寺の供僧に補任され、御谷(現在の神奈川県鎌倉市雪ノ下)の二十五坊の1つ「永全坊」に住む。1,199年には供僧職を定舜に譲り、初世勝長寿院別当性我から譲られて第2世勝長寿院別当に就いた。本書は、此の伝法灌頂から1,238年の入滅に至る迄を一元化した、真言僧定豪の記録である。

1,219年2月13日、右大臣拝賀の日の朝、大江広元は涙が止まらないと言って源実朝に束帯の下へ腹巻を付ける様勧めたが、源仲章の反対で退けられた。実朝は髪を梳いていた宮内公氏に髪を1本抜いて形見として渡し、庭の梅を見て「出ていなは主なき宿と成ぬとも軒端の梅よ春を忘るな」と詠む。60cm程の雪が積もる中、長大な行列を従えて鶴岡八幡宮寺に参詣した実朝は、神前に右大臣就任を報告した帰り、石段を降りた所で法師の装いの公暁に斬られ、首を落とされた。公暁の仲間は北条義時と間違えて仲章を斬殺したが、中門に留まっていた義時は命拾いする。東国の大将軍を名乗る公暁の言付を受けた三浦義村は、頼朝・頼家・実朝の三代の恩を思って涙しつつ義時に報せ、討手を命じられた長尾定景が公暁を斬首した。実朝の首級は武常晴に拾われて波多野(現在の神奈川県秦野市)に葬られる。三井寺で受戒した公暁の凶行により、北条氏と三井寺系の間には距離が生じた。

同年4月、三井寺系の永福寺別当慶幸が第5世鶴岡八幡宮寺別当に補任されたが、翌年2月21日に入滅する。1,220年2月26日、定豪は第6世鶴岡八幡宮寺別当に補任された。東寺系が鶴岡八幡宮寺別当となるのは初めての事であった。1,221年6月、承久の乱の中で鎌倉幕府は定豪に世上無為の祈祷を依頼し、関東で初めて百座の仁王講が営まれて、鶴岡八幡宮寺・勝長寿院・永福寺・大慈寺の僧100名が参列した。9月16日、定豪は別当を弟子の定雅に譲り、祈祷の褒賞として幕府の推挙により第8代熊野三山検校に就き、第7代新熊野検校・第13世大伝法院座主も兼ねたが、鎌倉を離れる事は無かった。

定豪は、1,223年の南新御堂の供養、1,224年の北条義時の七十七日法要で導師を務めた。1,225年6月、鎌倉で疫病が発生して死者が数千名を超えると、定豪は良信・三浦義村・二階堂行村らと祈祷の評議に加わり、1,000名の僧による仁王経の読誦を提案する一方、嵯峨天皇が自ら般若心経を書写して空海を通じて供養した先例を良信と共に挙げ、般若心経の書写供養が行われる事となった。同年9月には、竹御所を施主とする北条政子の四十九日法要の導師を務める。1,226年頃に東寺三長者、1,228年1月に藤原頼経の護持僧(上旬)、同年9月に第106世東大寺別当となった。

1,232年6月18日、北条泰時が北条時氏の三回忌に新造させた阿弥陀三尊像の開眼供養で、定豪は導師を務めた。1,235年3月8日には、明王院の上棟を承けて藤原頼経・北条時房・泰時らの列席する一切経の供養を主催し、7月15日、鋳直した洪鐘が吊るされ不動明王・降三世明王・軍茶利明王・大威徳明王・金剛夜叉明王の五大明王像が安置された明王院(現在の神奈川県鎌倉市十二所)の開眼供養で、初世明王院別当として平穏の祈祷を行う。1,237年1月に上洛した定豪は、1月22日に第53世東寺長者に就任した。そして1,238年11月2日、定豪は入滅した——其の全過程を、本書は一冊に束ねている。


登場人物

  • 定豪 本書の中心人物。真言僧。兼豪から伝法灌頂を受け、源頼朝に鶴岡八幡宮寺の供僧に補任された。第2世勝長寿院別当、東寺系で初の鶴岡八幡宮寺別当となり、承久の乱の祈祷の褒賞として熊野三山検校・新熊野検校・大伝法院座主を兼ねた。東寺三長者・東大寺別当・初世明王院別当を経て第53世東寺長者となり、1,238年に入滅した。
  • 兼豪 仁和寺の第90世東大寺別当寛遍の弟子。1,180年、円成寺で定豪に伝法灌頂を授けた。
  • 寛遍 仁和寺の第90世東大寺別当。定豪に伝法灌頂を授けた兼豪の師。
  • 性我 初世勝長寿院別当。1,199年、別当職を定豪に譲った。
  • 定舜 1,199年、定豪から鶴岡八幡宮寺の供僧職を譲られた僧。
  • 定雅 定豪の弟子。1,221年、定豪から鶴岡八幡宮寺別当を譲られ、第7世鶴岡八幡宮寺別当に就任した。
  • 源頼朝 鎌倉幕府初代将軍。1,193年、定豪を鶴岡八幡宮寺の供僧に補任した。
  • 源実朝 鎌倉幕府第3代将軍。1,219年、右大臣拝賀の為に鶴岡八幡宮寺へ参詣した帰りに、公暁に斬られて首を落とされた。出発前に梅の和歌を詠み、髪を形見として渡していた。
  • 公暁 源頼家の子で、三井寺で受戒した僧。法師の装いで隠れて実朝を斬り、東国の大将軍を名乗ったが、長尾定景に斬首された。其の凶行が、北条氏と三井寺系の間に距離を生んだ。
  • 大江広元 拝賀の朝、涙が止まらないとして実朝に束帯の下へ腹巻を付ける様勧めたが、源仲章の反対で容れられなかった。
  • 源仲章 腹巻の着用を前例が無いとして退けた人物。拝賀の行列で松明を持っていた所を、北条義時と間違えられて公暁の仲間に斬殺された。
  • 北条義時 鎌倉幕府の執権。実朝の指示で中門に留まった為に命拾いし、三浦義村の報せに公暁の誅殺を即答した。1,224年の七十七日法要では定豪が導師を務めた。
  • 三浦義村 公暁の乳母夫。東国の大将軍を名乗る公暁の言付を受けて涙したが、義時に報せ、長尾定景を討手に指名した。1,225年の疫病対策の評議にも加わった。
  • 長尾定景 三浦義村に討手として指名され、固辞の末に受諾した武士。黒革縅の鎧を纏って出陣し、雑賀次郎が取り押さえた公暁を斬首した。
  • 武常晴 三浦義村の家臣。実朝の首級を拾い上げ、波多野に持ち込んで葬った。
  • 慶幸 三井寺系の永福寺別当。1,219年に第5世鶴岡八幡宮寺別当に補任されたが、翌年入滅し、定豪が後任となった。
  • 良信 1,225年の疫病対策の評議に定豪と共に加わり、嵯峨天皇の般若心経書写の先例を挙げた。明王院の一切経供養では願文を読んだ。
  • 二階堂行村 疫病対策の評議に加わり、般若心経と仏頂尊勝陀羅尼の書写供養を諮った。藤原頼経の護持僧と陰陽師の順番の決定にも携わった。
  • 北条政子 源頼朝の後家。疫病対策の評議で意見を求めた。1,225年の四十九日法要では定豪が導師を務めた。
  • 竹御所 源頼家の娘。北条政子の四十九日法要の施主を務めた。
  • 藤原頼経 鎌倉殿。1,228年に護持僧が定められ、定豪は上旬を担った。明王院の一切経供養にも列席した。
  • 北条泰時 鎌倉幕府の執権。北条時氏の三回忌に阿弥陀三尊像を新造させ、定豪を導師に開眼供養を営んだ。明王院の一切経供養にも列席した。

主要な地名・拠点

  • 円成寺 現在の奈良県奈良市忍辱山町。1,180年、定豪が兼豪から伝法灌頂を受けた寺。
  • 鶴岡八幡宮寺 定豪が供僧に補任され、後に東寺系で初めて別当となった社寺。1,219年、右大臣拝賀に参詣した源実朝が此処で暗殺された。
  • 永全坊 御谷(現在の神奈川県鎌倉市雪ノ下)の二十五坊の1つ。鶴岡八幡宮寺の供僧となった定豪が住んだ。
  • 勝長寿院 定豪が1,199年に第2世別当に就いた寺。承久の乱の百座の仁王講にも僧が参列した。
  • 大倉御所 1,219年2月13日、源実朝が右大臣拝賀の為に鶴岡八幡宮寺へ向けて出発した御所。
  • 波多野 現在の神奈川県秦野市。武常晴が拾い上げた実朝の首級が持ち込まれ、葬られた地。
  • 永福寺 三井寺系の慶幸が別当を務めた寺。承久の乱の百座の仁王講にも僧が参列した。
  • 熊野三山 承久の乱の祈祷の褒賞として、定豪が第8代検校に就いた。
  • 新熊野 定豪が第7代検校を兼務した。
  • 大伝法院 定豪が第13世座主を兼務した。
  • 南新御堂 1,223年9月16日、定豪を導師に供養が営まれた御堂。
  • 東大寺 定豪が1,228年に第106世別当に就任した寺。
  • 宇津宮辻子御所 現在の神奈川県鎌倉市小町。1,232年、鳥の不審な行為を承けて1,000回のお祓いが行われた御所。
  • 明王院 現在の神奈川県鎌倉市十二所。1,235年に一切経の供養と開眼供養が営まれ、定豪は初世明王院別当となった。
  • 東寺 定豪が1,226年頃に三長者に補任され、1,237年に第53世長者に就任した寺。

主要な事績

  • 伝法灌頂(1,180年) 円成寺で兼豪から伝法灌頂を受け、尊寿院・忍辱山流等の諸流を兼帯する。
  • 鶴岡八幡宮寺の供僧補任(1,193年3月29日) 源頼朝に補任され、永全坊に住む。
  • 第2世勝長寿院別当(1,199年6月26日) 供僧職を定舜に譲り、性我から別当職を譲られる。
  • 源実朝の暗殺(1,219年2月13日) 右大臣拝賀の帰りに実朝が公暁に斬られ、北条氏と三井寺系の間に距離が生じる。
  • 第6世鶴岡八幡宮寺別当(1,220年2月26日) 三井寺系の慶幸の入滅を承け、東寺系として初めて別当に補任される。
  • 承久の乱の祈祷と百座の仁王講(1,221年6月) 幕府から世上無為の祈祷を依頼され、関東で初めて百座の仁王講が営まれる。
  • 熊野三山検校等の兼帯(1,221年9月16日) 別当を定雅に譲り、熊野三山検校・新熊野検校・大伝法院座主を兼ねるが、鎌倉を離れなかった。
  • 南新御堂の供養(1,223年9月16日) 小雨の中で営まれた供養の導師を務める。
  • 北条義時の七十七日法要(1,224年8月16日) 義時の法要の導師を務める。
  • 疫病対策の評議(1,225年6月8日) 鎌倉の疫病に対し、仁王経の読誦を提案し、般若心経書写の先例を説く。
  • 北条政子の四十九日法要(1,225年9月30日) 竹御所を施主とする法要の導師を務める。
  • 東寺三長者(1,226年頃) 東寺三長者に補任される。
  • 藤原頼経の護持僧(1,228年1月21日) 護持僧の順番が定められ、上旬を担う。
  • 第106世東大寺別当(1,228年9月6日) 東大寺別当に就任する。
  • 北条時氏三回忌の開眼供養(1,232年6月18日) 北条泰時が新造させた阿弥陀三尊像の開眼供養で導師を務める。
  • 明王院の供養と開山(1,235年) 一切経の供養を主催し、五大明王像を安置した開眼供養で初世明王院別当として祈祷を行う。
  • 第53世東寺長者(1,237年1月22日) 上洛して東寺長者に就任する。
  • 入滅(1,238年11月2日) 定豪が入滅する。

鶴岡から熊野、東大寺、そして東寺へ──
別当と長者を歴任した定豪を一元化。

186円(税込)

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
YouTubeとニコニコでも情報を発信中。