電子書籍「後鳥羽天皇一元化」の表紙

後鳥羽天皇一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,183年9月8日〜1,239年3月31日
※旧暦は全て西暦に変換しています
ページ数
43ページ
文字数
20,310字
最新更新日
西暦2,026年9月25日

三種の神器を欠いた儘、帝は践祚した──
後鳥羽天皇の生涯を一元化。

506円(税込)

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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本書について

西暦1,183年9月8日、後鳥羽天皇は第82代天皇として践祚した。安徳天皇が位に在る儘であった為に2名の天皇が並び立ち、三種の神器も揃わない践祚であった。翌年の即位式でも、1,190年2月9日に九条兼実が加冠役を務めた元服の儀でも、紛失した天叢雲剣は見付からず、近衛基通が豊後国の刀工紀新大夫行平に作らせた日御座の御剣で代用される。1,185年には旱魃の京都に明菴栄西を招いて雨乞いをさせ、雨が降った事から「葉上」の僧号を下賜した。1,190年12月、上洛した源頼朝は後白河上皇と長時間話し合った後に後鳥羽天皇と接触し、閑院内裏の鬼間で九条兼実と対面して、後白河上皇の崩御後は後鳥羽天皇が政務を執るべきだと語った。本書は、此の践祚から1,239年の隠岐での崩御に至る迄を一元化した記録である。

1,192年4月、後鳥羽天皇の笛に合わせて今様を歌った後白河上皇は、法住寺殿・蓮華王院・六勝寺・鳥羽殿を後鳥羽天皇に譲る遺詔を伝え、九条兼実にも誠に穏当な処分と評された。同年8月21日、後鳥羽天皇は頼朝を初代鎌倉幕府征夷大将軍に宣下する。頼朝が望んだ「大将軍」に対し、平宗盛や源義仲が任じられた不吉な惣官・征東大将軍、中国の官職である上将軍が退けられ、坂上田村麻呂の任官した征夷大将軍が選ばれたのであった。1,194年には明菴栄西と大日房能忍らの禅宗布教を禁じ、1,195年4月23日の東大寺大仏殿の落慶供養には行幸して、大檀越の頼朝と共に参列した。頼朝は大姫を後鳥羽天皇の后として入内させる工作を進めたが、1,197年に大姫は病死する。1,196年に源在子が第壱皇子土御門天皇を産むと、在子の養父源通親は外祖父として権勢を振るう事が確かとなった。

1,198年2月18日、後鳥羽天皇は土御門天皇に譲位し、上皇として院政を敷いた。鎌倉幕府の難色を押し切っての譲位であった。1,201年には、源頼家追討の宣旨を求めて仙洞御所の門を閉ざした城長茂の要求を拒み、城の追討を命じる。蹴鞠の名手紀行景を鎌倉へ送り出し、1,204年には源実朝の正室として外叔坊門信清の娘西八条禅尼が迎えられた。1,207年、女房の一部が出家し、男性を自分の不在中に仙洞御所に泊めていた事を知って激怒した上皇は専修念仏を停止し、法然の弟子4名を死罪に、法然を土佐国幡多へ、親鸞を越後国国府へ流す。親鸞は以後「愚禿親鸞」と署名する様になった。1,208年には水無瀬離宮(現在の大阪府三島郡島本町東大寺)の鞠会で2,000回余りという記録を作り、飛鳥井雅経から「鞠道の長者」の称号を贈られた。1,210年に順徳天皇を践祚させ、1,212年には藤原秀能を壇ノ浦へ遣わして天叢雲剣を探させている。

源実朝は後鳥羽上皇への恩を讃えて大慈寺を建て、山は裂け海は褪せなむ世なりとも君にふた心我があらめやもと、変わらぬ忠誠を詠んだ。子の無い実朝の跡を案じた北条政子は、1,218年に上皇の乳母藤原兼子と面会して頼仁親王の下向に同意を得たが、上皇との面会は田舎育ちの老尼を御目に掛けても仕方無いと辞退する。1,219年2月、実朝暗殺の報が水無瀬殿の上皇に届き、上皇は実朝の為に祈祷していた陰陽師を全員解任した。雅成親王か頼仁親王を鎌倉に迎えたいという幕府の奏上に、上皇は今直ぐにとは行かないと答え、弔問の使者藤原忠綱を通じて、寵愛する白拍子亀菊の所領である摂津国長江荘・倉橋荘の地頭職の改補と、仁科盛遠への処分の撤回を求めた。北条義時は、忠義の臣下に報いて分け与えた土地を過失も無く取り上げる訳にはいかないと拒む。1,000騎を率いて上洛した北条時房に対し、上皇は天皇と征夷大将軍が兄弟となれば国が二つに割れると親王の下向を拒み、摂関家の子弟なら構わないとして、九条道家の参男藤原頼経が鎌倉殿に決まった。

1,219年8月24日、源頼茂が征夷大将軍になろうとした事を名目に西面武士に襲撃され、仁寿殿に籠って火を放ち自害した。上皇が最勝四天院で鎌倉幕府調伏の加持祈祷を行った事を知られた為の口封じが真相であったという。大内裏・観音像・応神天皇の御輿等は灰燼に帰し、上皇は藤原秀康に大内裏の再建を命じたが、国司・領家・地頭は造内裏役を拒み、幕府も地頭の抵抗を顧みなかった。1,220年には官途への不満を詠んだ藤原定家に勅勘を下し、此の頃から北条義時征伐へと傾いてゆく。1,221年5月13日、彗星の出現を理由に順徳天皇を譲位させて仲恭天皇を践祚させると、城南宮の仏事守護を口実に諸国の兵を集め、流鏑馬揃えの名目で1,700騎を高陽院(現在の京都府京都市中京区小川通丸太町)に招集した。

6月5日、幕府と親しい西園寺公経・実氏を幽閉した上皇は、招聘に応じなかった伊賀光季の征伐を命じる。翌朝、藤原秀康・三浦胤義・大江親広らの800騎余に京極高辻(現在の京都府京都市下京区茶磨屋町付近)の宿所を囲まれた光季は、父の供をしたいという長男光綱を自ら斬首し、其の遺体に覆い被さって割腹した。同日、葉室光親の執筆で北条義時の執権職を停止する追討の院宣が作られ、使者押松丸が7通の院宣を携えて鎌倉へ向かう。然し一条頼氏の報せを受けた幕府は即座に大軍を送り、摩免戸で朝廷軍は敗れた。上皇は比叡山に御幸して延暦寺の僧兵に援軍を求めたが、東国の武士には太刀打ち出来ないと断られる。7月6日、宇治川と勢多で敗れた三浦胤義・山田重忠らが仙洞御所に籠って討死したいと願い出ると、上皇は此処に立て籠れば自分が攻撃されると門を開かず、胤義達は東寺で最後の戦いに臨んだ。

北条泰時と時房が六波羅に入り、戦勝の報に北条義時は、私の果報は王の果報に勝っていたのだと語った。上皇の隠岐国への配流、仲恭天皇の廃位と後堀河天皇の践祚、雅成親王・頼仁親王の流罪が決まり、7月28日、上皇は鳥羽殿で出家する。戒師は道助入道親王が務め、藤原信実が御影を描き、母藤原殖子は送られた髻を見て声を惜しまず泣いた。武装した儘御簾を上げて流罪を告げた北条時氏に、上皇は、子供達と離れ離れになるのが悲しい、藤原能茂にもう一度会わせてくれと訴える。8月23日、出雲国大浜湊(現在の島根県松江市美保関町)から船出した上皇は、隠岐諸島中ノ島(現在の島根県隠岐郡海士町)に着き、我こそは新島守よ沖の海の荒き浪風心して吹けと詠んだ。村人に宿を断られて三穂神社の参篭舎で一夜を明かした後、有力豪族村上氏に迎えられて源福寺(現在の島根県隠岐郡隠岐の島町池田風呂前)の行在所で、読書・写経・神事・将棋に勤しむ規則正しい日々を送る。帰京を願う書簡も幕府に断られ、1,239年3月28日、後鳥羽上皇は隠岐で崩御し、源福寺の裏山で火葬された——其の全過程を、本書は一冊に束ねている。


登場人物

  • 後鳥羽天皇 本書の中心人物。1,183年、三種の神器の無い儘に第82代天皇として践祚した。源頼朝を征夷大将軍に宣下し、1,198年に土御門天皇へ譲位して院政を敷いた。和歌・蹴鞠・流鏑馬に秀で「鞠道の長者」とも称される。源実朝の死後は親王の下向や亀菊の地頭職を巡って幕府と対立し、北条義時追討の院宣を下して承久の乱を起こしたが敗れ、隠岐へ流されて1,239年に崩御した。
  • 後白河上皇 後鳥羽天皇の祖父。院政を敷いて政務を担い、崩御の前に後鳥羽天皇の笛に合わせて今様を歌い、法住寺殿・蓮華王院・六勝寺・鳥羽殿を後鳥羽天皇に譲る遺詔を伝えた。
  • 土御門天皇 後鳥羽天皇の第壱皇子で、母は源在子。1,198年、幼齢ながら第83代天皇として践祚した。承久の乱では上皇として後鳥羽上皇と共に比叡山へ御幸した。
  • 順徳天皇 後鳥羽上皇の強い意向で1,210年に践祚した天皇。1,221年、彗星の出現を理由に譲位させられた。
  • 仲恭天皇 順徳天皇の第参皇子。1,221年に第85代天皇として践祚したが、承久の乱の後に廃位された。
  • 後堀河天皇 守貞親王の第参皇子。承久の乱の後、後鳥羽上皇の系統ではない天皇として第86代天皇に践祚した。
  • 源頼朝 1,190年に上洛して後白河上皇と会談し、後鳥羽天皇と接触した。1,192年に初代鎌倉幕府征夷大将軍に宣下され、娘の大姫、次いで三幡を後鳥羽天皇の后とする工作を進めた。
  • 大姫 源頼朝の娘。後鳥羽天皇の后として入内させる工作が進められたが、1,197年に病死した。
  • 九条兼実 後鳥羽天皇の元服で加冠役を務めた公卿。閑院内裏で源頼朝と初めて対面した。娘の九条任子は後鳥羽天皇の第1皇女昇子内親王を産んだ。
  • 源通親 源在子の養父。在子が土御門天皇を産んだ事で、其の外祖父として権勢を振るう事が確かとなった。
  • 明菴栄西 旱魃の京都で後鳥羽天皇の招きにより雨乞いの祈祷を行い、「葉上」の僧号を下賜された僧。1,194年には禅宗布教を禁じられた。
  • 法然 浄土宗の僧。1,207年、専修念仏の停止に伴い、土佐国幡多へ流罪となった。
  • 親鸞 法然の弟子。越後国国府へ流罪となり、僧でも俗人でもない立場として「禿」の字を姓に用い、以後「愚禿親鸞」と署名した。
  • 飛鳥井雅経 水無瀬離宮の鞠会で2,000回余りの記録を作った後鳥羽上皇に、「鞠道の長者」の称号を贈った。
  • 源実朝 鎌倉幕府の将軍。後鳥羽上皇への恩を讃えて大慈寺を建て、変わらぬ忠誠を和歌に詠んだ。1,219年に暗殺され、其の死が上皇と幕府の対立の起点となった。
  • 北条政子 源実朝の母。1,218年に上皇の乳母藤原兼子と面会し、頼仁親王の下向に同意を得た。上皇との面会は、田舎育ちの老尼として辞退した。
  • 藤原兼子 後鳥羽上皇の乳母で、絶大な権力を持った女性。西八条禅尼を実朝の正室に推薦し、北条政子との面会で頼仁親王の下向を推した。
  • 北条義時 鎌倉幕府の執権。亀菊の地頭職の改補を、忠義の臣下への恩賞を取り上げる事は出来ないとして拒んだ。追討の院宣を受けて承久の乱に勝ち、私の果報は王の果報に勝っていたと語り、上皇の隠岐配流を決めた。
  • 北条時房 1,219年に1,000騎を率いて上洛し、親王の下向を求めた。承久の乱の後は北条泰時と共に六波羅に入った。
  • 北条泰時 承久の乱で上洛し、北条時房と共に六波羅に入って朝廷の監視と京都の守護に当たった。
  • 亀菊 後鳥羽上皇の妾で白拍子。其の所領である摂津国長江荘・倉橋荘の地頭職の改補を上皇が求めた事が、幕府との対立の火種となった。
  • 仁科盛遠 熊野参詣で上皇の知遇を得て西面武士となったが、無断で仕えたとして北条義時に所領を没収された。上皇は返還の院宣を下したが、義時は地頭を置いた。
  • 源頼茂 1,219年、征夷大将軍になろうとした事を名目に西面武士に襲撃され、仁寿殿に籠って火を放ち自害した。上皇の幕府調伏の加持祈祷を知った為の口封じが真相とされる。
  • 藤原秀康 後鳥羽上皇に大内裏の再建を任された人物。承久の乱では1,700騎の招集を担い、伊賀光季の宿所を襲い、院宣の送付を手配した。摩免戸の敗北を上皇に報告した。
  • 藤原定家 官途への不満を詠んだ歌が上皇の逆鱗に触れ、1,220年に勅勘を受けて宮中への出仕と公の詠出を禁じられた。
  • 伊賀光季 京都守護。上皇の招聘に応じず、800騎余に宿所を囲まれて奮戦し、長男光綱を自ら斬首した後に割腹した。
  • 伊賀光綱 伊賀光季の長男。父から逃げる様言われたが、親を見殺しにする臆病者と指を差されるのは恥だとして共に死ぬ事を選んだ。
  • 三浦胤義 上皇に仕えて謀反を起こした武士。敗れて仙洞御所に籠る事を願ったが上皇に拒まれ、東寺で兄三浦義村と対峙した末に戦った。
  • 葉室光親 北条義時の執権職を停止し、従わなければ命を落とせと記した追討の院宣を執筆した。
  • 北条時氏 鳥羽殿に武装した儘上がり、流罪を上皇に告げた。上皇の藤原能茂に会いたいという願いに涙し、会わせる様北条泰時に訴えた。
  • 道助入道親王 後鳥羽上皇の皇子で仁和寺門跡。鳥羽殿での上皇の出家で戒師を務めた。
  • 村上氏 隠岐国の有力豪族。海上貿易で蓄財した実力者で、配流された後鳥羽上皇を迎え入れ、源福寺に行在所が置かれた。

主要な地名・拠点

  • 閑院内裏 1,190年、源頼朝が九条兼実と初めて対面した内裏。頼朝は其の鬼間で、後鳥羽天皇が政務を執るべき時について語った。
  • 東大寺 1,195年4月23日に大仏殿の落慶供養が営まれ、後鳥羽天皇が行幸した寺。1,204年には総供養にも行幸を仰いだ。
  • 仙洞御所 後鳥羽上皇の御所。城長茂が門を閉ざして源頼家追討の宣旨を求め、承久の乱で敗れた三浦胤義らが籠る事を願ったが、上皇は開門しなかった。
  • 水無瀬離宮 現在の大阪府三島郡島本町東大寺。1,208年、上皇が鞠会で2,000回余りの記録を作った離宮。実朝暗殺の報も此処の上皇に届いた。
  • 大内裏 現在の京都府京都市上京区西院町。1,219年の源頼茂討伐で焼失し、上皇は再建を命じたが造内裏役の拒否が相次いだ。
  • 城南寺 現在の京都府京都市伏見区中島鳥羽離宮町。上皇が滞在して笠懸を行わせ、城南宮の仏事守護を口実に諸国の兵を集めた。
  • 高陽院 現在の京都府京都市中京区小川通丸太町。1,221年、流鏑馬揃えの名目で1,700騎が招集され、乱の後には後堀河天皇が践祚した。
  • 京極高辻 現在の京都府京都市下京区茶磨屋町付近。伊賀光季の宿所が800騎余に囲まれ、光季と光綱が最期を迎えた地。
  • 摩免戸 1,221年6月27日、朝廷軍が鎌倉幕府軍に敗れた地。
  • 比叡山 承久の乱で敗報を受けた後鳥羽上皇が、土御門上皇・順徳上皇らと共に御幸し、延暦寺の僧兵に援軍を求めたが断られた地。
  • 東寺 上皇に開門を拒まれた三浦胤義・山田重忠・渡辺翔が籠り、三浦義村率いる軍を迎え撃った寺。
  • 鳥羽殿 現在の京都府京都市伏見区中島前山町。後白河上皇から後鳥羽天皇に譲られた御所で、承久の乱の後に上皇が移送され、出家した地。
  • 出雲国大浜湊 現在の島根県松江市美保関町。隠岐国へ流される上皇一行が到着し、船出した湊。
  • 隠岐諸島中ノ島 現在の島根県隠岐郡海士町。上皇が「我こそは新島守よ」と詠んだ配流の地。
  • 三穂神社 現在の島根県隠岐郡海士町崎。村人に宿を断られた上皇一行が、参篭舎で一夜を明かした社。
  • 源福寺 現在の島根県隠岐郡隠岐の島町池田風呂前。村上家の近くに置かれた行在所で、上皇は此処で晩年を過ごし、裏山で火葬された。

主要な事績・事件

  • 三種の神器無き践祚(1,183年9月8日) 安徳天皇が在位の儘、神器を欠いて第82代天皇として践祚する。即位式でも天叢雲剣の代わりに日御座の御剣が用いられた。
  • 葉上の僧号の下賜(1,185年) 旱魃の京都で明菴栄西に雨乞いをさせ、雨が降った事から「葉上」の僧号を与える。
  • 元服の儀(1,190年2月9日) 九条兼実が加冠役を務めるが、三種の神器が揃わず、八尺瓊勾玉と天叢雲剣の順が従来と逆になる。
  • 源頼朝との接触(1,190年12月) 上洛した頼朝が後白河上皇との会談の後に後鳥羽天皇と接触し、九条兼実と対面する。
  • 後白河上皇の遺詔(1,192年4月18日) 法住寺殿・蓮華王院・六勝寺・鳥羽殿が後鳥羽天皇に譲られる。
  • 征夷大将軍宣下(1,192年8月21日) 候補4つから坂上田村麻呂の任官した征夷大将軍が選ばれ、頼朝に宣下される。
  • 禅宗布教の禁止(1,194年7月24日) 明菴栄西・大日房能忍らの禅宗布教を禁じる宣旨を下す。
  • 東大寺大仏殿落慶供養(1,195年4月23日) 行幸して大檀越の頼朝らと共に参列する。
  • 土御門天皇への譲位と院政(1,198年2月18日) 幕府の難色を押し切って譲位し、上皇として院政を敷く。
  • 源頼家追討宣旨の拒否(1,201年) 仙洞御所の門を閉ざした城長茂の要求を拒み、逆に城長茂追討の宣旨を下す。
  • 専修念仏の停止(1,207年) 法然の弟子4名を死罪、法然・親鸞らを流罪に処する。
  • 鞠道の長者(1,208年3月11日) 水無瀬離宮の鞠会で2,000回余りの記録を作り、飛鳥井雅経から称号を贈られる。
  • 順徳天皇の践祚(1,210年12月12日) 上皇の強い意向で践祚し、神器の順が従来の形に戻る。
  • 天叢雲剣の捜索(1,212年頃) 藤原秀能を壇ノ浦に遣わし、天叢雲剣を探させる。
  • 源実朝の暗殺と親王下向の交渉(1,219年) 実朝の死後、幕府の親王下向の求めに対し、上皇は亀菊の地頭職の改補を求め、最終的に藤原頼経が鎌倉殿に決まる。
  • 源頼茂討伐と大内裏焼失(1,219年8月24日) 幕府調伏の加持祈祷の口封じとされる襲撃で、頼茂が自害し、大内裏が灰燼に帰す。
  • 藤原定家の勅勘(1,220年3月19日) 官途への不満を詠んだ定家が、宮中への出仕と公の詠出を禁じられる。
  • 仲恭天皇の践祚と兵の招集(1,221年5月) 順徳天皇を譲位させて仲恭天皇を践祚させ、1,700騎を高陽院に集める。
  • 伊賀光季の討伐(1,221年6月6日) 京極高辻の宿所を800騎余が囲み、光季は長男光綱を斬首して割腹する。
  • 北条義時追討の院宣(1,221年6月6日) 葉室光親の執筆による院宣が作られ、押松丸が7通を携えて鎌倉へ向かう。
  • 承久の乱の敗北(1,221年6月〜7月) 摩免戸・宇治川・勢多で朝廷軍が敗れ、比叡山の僧兵にも援軍を断られる。
  • 隠岐配流の決定と出家(1,221年7月) 上皇の隠岐国への配流が決まり、鳥羽殿で出家する。
  • 隠岐への配流(1,221年8月23日) 出雲国大浜湊から隠岐諸島中ノ島へ渡り、「我こそは新島守よ」と詠む。
  • 崩御(1,239年3月28日) 後鳥羽上皇が隠岐で崩御し、源福寺の裏山で火葬される。

我こそは新島守よ──
承久の乱と隠岐配流の後鳥羽上皇を一元化。

506円(税込)

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
YouTubeとニコニコでも情報を発信中。