日本臨済宗の開祖
栄西一元化
神官の子は宋で禅を学び、臨済の法を日本に伝えた──
日本臨済宗の開祖栄西の生涯を一元化。
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本書について
西暦1,141年5月27日、明菴栄西は備中国の吉備津宮(現在の岡山県岡山市北区吉備津)の神官の息子として生まれた。父から神官と仏教の手解きを受けるうちに仏の道へ惹かれ、1,152年頃に出家して、安養寺(現在の岡山県岡山市北区日近)の天台宗の僧静心に天台密教の基礎を学ぶ。1,154年頃には比叡山に登って落髪し、正式に僧となったが、仏法よりも地位を求める僧が多い延暦寺に落胆して山を下りた。1,158年頃に静心が入滅すると、其の法兄千命から天台密教と虚空蔵求聞持法を学ぶ。本書は、此の生誕から1,215年の入滅に至る迄を一元化した、日本臨済宗の開祖の記録である。
1,168年、栄西は天台山(現在の中国浙江省台州市天台県和合街)で仏教の根本を学び、腐敗した日本の天台宗を立て直す事を志して博多から宋へ渡った。3週間後に着いた明州(現在の中国浙江省寧波市)で禅宗の隆盛を目の当たりにし、途上で出会った重源と半年間行動を共にする。天台山では智者大師の肉身塔を拝し、阿育王寺(現在の中国浙江省寧波市鄞州区五郷鎮五郷東路)で禅を学んだ。帰国後は第5代天台座主明雲に天台章疏60巻を進呈し、備前国・備中国を中心に布教する。1,175年には誓願寺(現在の福岡県福岡市西区今津)に導師として招かれ、厳しい旱魃に見舞われた1,185年には、其の著書を読んでいた後鳥羽天皇の招きで雨乞いの祈祷を行い、雨が降った事から「葉上」の僧号を下賜された。
1,187年頃、栄西は釈迦の遺跡を巡る為に天竺を目指して再び宋に入ったが、どの道も蒙古の勢力下にあった為に断念し、天台山で虚庵懐敞に師事して禅の修行に没頭した。1,191年、臨済宗黄龍派の法を継いで帰国し、同年8月29日には戸部侍郎清貫に招かれて冨春庵(現在の長崎県平戸市木引町)で日本初の禅規を行い、多くの帰依者を集める。然し1,194年、延暦寺の僧徒や筥崎(現在の福岡県福岡市東区箱崎)の僧良弁の訴えを背景に、後鳥羽天皇は栄西と大日房能忍らの禅宗布教を禁じた。最澄も達磨の禅を紹介している、禅宗が非なら最澄も天台宗も否定される筈だと抗弁した栄西は、延暦寺の弾圧を逃れて博多へ向かう。1,195年、源頼朝を開基、栄西を開山として、日本初の禅宗寺院聖福寺(現在の福岡県福岡市博多区御供所町)が創建され、栄西は「興禅護国論」を著して、旧仏教を否定する積りは無いと弁明しつつ禅宗を広める必要性を説いた。
鎌倉に迎えられた栄西は、1,199年に幕府の不動明王像の供養、1,200年に法華堂(現在の神奈川県鎌倉市西御門)での源頼朝の一周忌の導師を務めた。北条政子は頼朝の菩提を弔う為、源義朝から伝わる亀ケ谷の地を寄進して寿福寺を建て、栄西を開山に迎える。1,202年、源頼家は源義朝の居館であった沼浜城(現在の神奈川県逗子市沼間の法勝寺付近)を解体して寿福寺に寄進し、同年7月頃には建仁寺(現在の京都府京都市東山区小松町)が延暦寺の別院として栄西を開山に創建された。栄西は真言宗・天台宗・禅宗の兼学道場として之を発展させ、天台宗からの弾圧を避けようとする。9月には、微妙が父の後世を弔う為に栄西の禅房で出家し、之を知った古郡保忠が亀ケ谷に押し掛けて従僧達を殴るという騒ぎも起きた。
1,206年、栄西は重源の後任として第2代東大寺大勧進職に就き、1,209年頃には法勝寺の八角九重塔再建の大勧進職にも任じられた。1,211年には「喫茶養生記」を著し、茶の栽培・喫茶の方法・喫茶による養生を記して日本に茶を広める。永福寺での宋本一切経五千余巻の供養、源実朝の持仏堂での文殊供養の導師を務め、寿福寺を訪れた実朝には仏舎利3粒を譲った。1,213年頃、八角九重塔の再建の功で権僧正の位と紫衣を授けられたが、其の為に朝廷へ多額の賄賂を渡したとして、慈円や藤原定家から非難を受ける。同年12月には、北条政子の指示で出家した栄実が弟子となった。
1,214年、栄西は前年の合戦の戦没者供養を寿福寺で執り行い、3月16日には二日酔いの実朝に「喫茶養生記」を献上した。7月には祈雨の為に法華経を転読し、9月3日の大慈寺の落慶法要では、北条義時・北条泰時・大江広元らが後騎に連なる実朝の行列を迎え、お供の僧20名を引き連れて導師を務める。そして1,215年8月1日、明菴栄西は建仁寺で入滅した——其の全過程を、本書は一冊に束ねている。
登場人物
- 明菴栄西 本書の中心人物。備中国吉備津宮の神官の息子。天台宗の僧として出家し、2度の入宋で虚庵懐敞から臨済宗黄龍派の法を継いだ。禅宗布教を禁じられながらも「興禅護国論」で弁明し、聖福寺・寿福寺・建仁寺を開いた。鎌倉幕府の数々の供養の導師を務め、東大寺大勧進職に就き、「喫茶養生記」で茶を広めて、1,215年に建仁寺で入滅した。
- 静心 安養寺の天台宗の僧。栄西の父と三井寺で縁が有り、出家した栄西に天台密教の基礎を教え込んだ。1,158年頃に入滅した。
- 千命 静心の法兄。静心の入滅後、栄西に天台密教と虚空蔵求聞持法を教えた。
- 重源 1,168年の入宋の途上で栄西と出会い、帰国までの半年間行動を共にした僧。栄西は後に、其の後任として第2代東大寺大勧進職に就いた。
- 明雲 第5代天台座主。宋から帰国した栄西から、天台章疏60巻を進呈された。
- 後鳥羽天皇 栄西の著書を読んでおり、1,185年の旱魃で雨乞いの祈祷を行わせ、雨が降った事から「葉上」の僧号を下賜した。1,194年には栄西らの禅宗布教を禁じる宣旨を下した。
- 虚庵懐敞 天台山で栄西が師事した禅僧。栄西は其の下で禅の修行に没頭し、臨済宗黄龍派の法を継いだ。
- 清貫 戸部侍郎。帰国した栄西を招き、冨春庵で日本初の禅規を行わせた。
- 大日房能忍 1,194年、栄西と共に後鳥羽天皇から禅宗の布教を禁じられた僧。
- 良弁 筑前国筥崎の僧。延暦寺の僧徒と共に禅宗を訴え、布教禁止の宣旨の背景となった。
- 源頼朝 聖福寺の開基。1,200年、法華堂で営まれた其の一周忌の導師を栄西が務めた。
- 北条政子 頼朝の菩提を弔う為に亀ケ谷の地を寄進して寿福寺を建て、栄西を開山に迎えた。数々の供養の施主となり、栄実を出家させて栄西の弟子とした。
- 源頼家 鎌倉幕府の将軍。源義朝の居館であった沼浜城を解体して寿福寺に寄進し、永福寺の多宝塔供養で乳母の冥福を祈った。
- 微妙 父の後世を弔う為に栄西の禅房で出家した女性。北条政子に深沢の里に居所を与えられた。
- 古郡保忠 微妙と通じていた人物。甲斐国から戻って微妙の出家を知り、亀ケ谷に押し掛けて栄西の弟子祖達房の従僧達を殴った。
- 祖達房 栄西の弟子。微妙の出家に手を貸し、押し掛けた古郡保忠を恐れて大倉御所の門前へ逃れた。
- 北条時政 名越殿で薬師如来の開眼供養を行い、栄西が導師を務めた。
- 源実朝 鎌倉幕府の将軍。栄西から「喫茶養生記」を献上され、1,214年には二日酔いの折に再び之を受けた。仏舎利3粒を譲られ、大慈寺の落慶法要に行列を組んで臨んだ。
- 伊賀朝光 永福寺の傍らに一宇を建て、其の供養の導師を栄西が務めた。大慈寺の落慶法要では後騎に連なった。
- 栄実 1,213年、北条政子の指示で出家し、栄西の弟子となった。
- 慈円 栄西が権僧正の位を得る為に朝廷へ多額の賄賂を渡した事を非難した。
- 藤原定家 慈円と同じく、栄西の権僧正叙任を巡る振る舞いを非難した。
- 北条義時 大慈寺の落慶法要で、実朝の行列の後騎を務めた1人。
- 大江広元 沼浜城の寄進の際、六楽とは六根の楽の事ではないかと述べた。大慈寺の落慶法要では後騎に連なった。
- 三善康信 寿福寺造営の奉行を務め、北条政子の夢の内容を記して沼浜城の寄進を実現させた。
主要な地名・拠点
- 吉備津宮 現在の岡山県岡山市北区吉備津。栄西が神官の息子として生まれた備中国の社。
- 安養寺 現在の岡山県岡山市北区日近。出家した栄西が静心に師事し、比叡山と往復しながら修行した寺。
- 比叡山 栄西が落髪して正式に僧となった地。仏法よりも地位を求める僧が多い延暦寺に落胆し、一度は下山した。
- 天台山 現在の中国浙江省台州市天台県和合街。栄西が智者大師の肉身塔を拝し、2度目の入宋では虚庵懐敞に師事した地。
- 明州 現在の中国浙江省寧波市。1,168年に栄西が到着し、禅宗の隆盛を目の当たりにした地。
- 阿育王寺 現在の中国浙江省寧波市鄞州区五郷鎮五郷東路。1度目の入宋で栄西が禅を学んだ寺。
- 誓願寺 現在の福岡県福岡市西区今津。1,175年に建立され、栄西が導師として招かれた寺。
- 冨春庵 現在の長崎県平戸市木引町。1,191年、栄西が日本初の禅規を行い、多くの帰依者を集めた地。
- 聖福寺 現在の福岡県福岡市博多区御供所町。1,195年に源頼朝を開基、栄西を開山として創建された、日本初の禅宗寺院。
- 法華堂 現在の神奈川県鎌倉市西御門。1,200年、源頼朝の一周忌の導師を栄西が務めた地。
- 寿福寺 北条政子が亀ケ谷の地に建て、栄西を開山に迎えた寺。源頼家が沼浜城を寄進し、合戦の戦没者供養も営まれた。
- 沼浜城 現在の神奈川県逗子市沼間の法勝寺付近。源義朝の居館で、頼家が解体して寿福寺に寄進した。
- 建仁寺 現在の京都府京都市東山区小松町。1,202年頃に延暦寺の別院として栄西を開山に創建され、兼学道場として発展した。栄西は此処で入滅した。
- 法勝寺 栄西が八角九重塔再建の大勧進職に任じられ、其の功績で権僧正の位を得た寺。
- 永福寺 栄西が多宝塔供養や宋本一切経五千余巻の供養の導師を務めた鎌倉の寺。
- 大慈寺 1,214年9月3日に落慶法要が営まれた寺。栄西はお供の僧20名を引き連れて導師を務め、後に仏舎利の供養も行った。
主要な著作
- 興禅護国論 1,195年、聖福寺の創建と共に栄西が著した書。天台宗等の旧仏教や朝廷からの論難に答え、旧仏教を否定する積りが無い事を弁明しつつ、禅宗を広める必要性を説いた。
- 喫茶養生記 1,211年に栄西が発表した書。茶の栽培・喫茶の方法・喫茶による養生を記して日本に茶を広めた。源実朝に献上され、1,214年には二日酔いの実朝に再び献じられた。
本書が記録する出来事
- 栄西の生誕(1,141年5月27日) 備中国吉備津宮の神官の息子として生まれ、父から神官と仏教の手解きを受ける。
- 出家と比叡山(1,152年〜1,158年頃) 安養寺の静心に師事して出家し、比叡山で落髪する。延暦寺に落胆して下山し、静心の入滅後は千命に学んだ。
- 1度目の入宋(1,168年) 天台山と阿育王寺で学び、重源と共に帰国して明雲に天台章疏60巻を進呈する。
- 雨乞いと葉上の僧号(1,185年) 旱魃の京都で後鳥羽天皇の招きにより雨乞いの祈祷を行い、「葉上」の僧号を下賜される。
- 2度目の入宋(1,187年頃) 天竺を目指すも断念し、天台山で虚庵懐敞に師事する。
- 臨済宗黄龍派の法を継いで帰国(1,191年) 帰国後、冨春庵で日本初の禅規を行う。
- 禅宗布教の禁止(1,194年7月24日) 後鳥羽天皇が栄西と大日房能忍らの禅宗布教を禁じ、栄西は抗弁の上で博多へ向かう。
- 聖福寺の創建と興禅護国論(1,195年) 日本初の禅宗寺院が創建され、栄西は禅宗を広める必要性を説く書を著す。
- 寿福寺の開山(1,200年) 北条政子の寄進した亀ケ谷の地に寿福寺が建てられ、栄西が開山に迎えられる。
- 建仁寺の創建(1,202年頃) 延暦寺の別院として創建され、真言宗・天台宗・禅宗の兼学道場となる。
- 東大寺大勧進職(1,206年10月21日) 重源の後任として第2代東大寺大勧進職に就任する。
- 喫茶養生記の発表(1,211年) 茶の栽培・喫茶の方法・喫茶による養生を記し、日本に茶を広める。
- 権僧正と紫衣(1,213年頃) 法勝寺八角九重塔の再建の功で叙任されるが、賄賂を慈円や藤原定家に非難される。
- 大慈寺の落慶法要(1,214年9月3日) 源実朝の行列を迎え、お供の僧20名を引き連れて導師を務める。
- 栄西の入滅(1,215年8月1日) 明菴栄西が建仁寺で入滅する。
二日酔いの将軍に、茶の一書を献じた──
禅と茶を広めた明菴栄西を一元化。
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