北山王国一元化
英祖の浦添城築城・禅鑑の仏教伝来・元の襲来撃退・英祖王統の五代・怕尼芝の今帰仁城築城と北山王国建国・三山鼎立・明皇帝朱元璋への進貢と駝紐鍍金銀印下賜・攀安知の治世と永楽帝への進貢──
琉球北山の155年を一本の時系列に貫く。
JPY 200(税込)
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本書について
西暦1,260年、伊祖城主で伊祖按司の恵祖の息子英祖が初代英祖王統王に即位し浦添城(現在の沖縄県浦添市仲間)を築城した日から、西暦1,415年5月27日、尚思紹王の使者南風原大親と北山王国国王攀安知の使者リュウインが永楽帝の居る北京へ出向き明に進貢を行った日まで。本書は、琉球北山の黎明と終章——英祖王統の建国と五代に亙る治世、怕尼芝による今帰仁城を本拠とした北山王国建国、三山鼎立から、歴代北山王国国王による初代明皇帝朱元璋及び永楽帝への進貢迄の約155年間を一本の時系列に貫き、一元化した一冊である。
西暦1,260年、英祖が初代英祖王統王に即位し浦添城を築城、1,261年には巡行と諸法の改定を行い、1,264年には西北諸島から朝貢を受けた。1,265年、禅鑑が現在の沖縄に漂着して仏教を広め、英祖の帰依を受けて浦添城の西に極楽寺を開山した。1,291年、元が現在の沖縄に攻め込むが英祖王統軍が撃退した。1,299年8月31日、英祖が死去し長男大成が第2代英祖王統王に即位、1,301年には大成の五男が勝連按司に封じられた。1,309年1月19日、大成が死去し弐男英慈が第3代英祖王統王に即位、1,313年10月10日、英慈が死去し参男で玉城城主の玉城が第4代英祖王統王に即位したが、玉城は自分の弟を玉城城主・玉城按司とし拡張修築工事を行わせた一方、酒に溺れ狩猟を好み政務を疎かにして道楽三昧の生活を送っていた為、人心が離れていった。1,322年、第2代湧川按司の息子で羽地按司の怕尼芝が叔父今帰仁仲宗根若按司を破り、今帰仁城を本拠として「北山王国」を建国し初代北山王国国王に即位した。1,336年4月22日に玉城が死去し、1,337年に長男西威が第5代英祖王統王に即位したが、西威は幼かった為母が実権を握ったものの失った国威を回復する事が出来ず、同年、大里按司承察度が周囲の按司を纏め「南山王国」を建国し初代南山王国国王に即位した。1,349年4月30日、西威が病死し一部に5歳の西威の子供を後継に擁立する動きがあったが実現しなかった。1,350年、勝連按司の娘婿察度が群臣から推され「中山王国」を建国し初代中山王国国王に即位、此れにより英祖王統は滅亡し三山鼎立の時代が始まった。
西暦1,382年11月、以下3名が進貢の為明へ向けて出港した。亜蘭砲(察度の使者)、師惹(承察度の使者)、模結習(怕尼芝の使者)であり、亜蘭砲の乗った船は一度宮古島に漂着した。1,383年2月3日、3名が明に対し進貢を行い(亜蘭砲は中山王国として8度目、師惹は南山王国として2度目、模結習は北山王国として初)、師惹は文綺紗羅を賜った。1,385年2月10日、3名が明に進貢を行った際、初代明皇帝朱元璋から亜蘭砲が海船1隻、師惹が駝紐鍍金銀印と海船1隻、模結習が駝紐鍍金銀印を賜った。1,388年には帕尼芝自ら明へ赴き4度目と5度目の進貢を行った。1,390年2月11日、北山王国としては怕尼芝の使者李仲が進貢を行い、1,395年1月22日には珉の使者善佳古耶が進貢した。同年11月、察度の使者程復が進貢の為明へ向けて出港する際、攀安知の使者善佳古耶も同乗し、1,396年2月19日、善佳古耶は北山王国として8度目の進貢を行った。1,396年10月、武寧の使者蔡奇阿勃耶が進貢の為出港する際、三五郎亹と攀安知の使者善佳古耶も同乗、翌年の進貢時に三五郎亹は国子監に復監した。1,398年1月3日、友賛結致と攀安知の使者恰宣斯耶が進貢を行った際各々海船1隻を賜った。1,398年11月、攀安知の使者が進貢の為出港したが、1,399年4月、戦乱の為応天府に行く事が出来ず帰還した。1,403年3月31日、攀安知の使者善佳古耶が明に対し北山王国として12度目の進貢を行い、其の際善佳古耶は冠服を請い下賜された。1,404年4月25日、攀安知の使者亜都結致が北山王国として13度目の進貢を行い、1,405年、明王朝が琉球からの使節に対応する為泉州に市舶提挙司付属の「来遠駅」を設立、同年4月29日に攀安知の使者赤佳結致が14度目、1,406年1月16日に亜都結致が15度目の進貢を行った。1,415年5月27日、尚思紹王の使者南風原大親と攀安知の使者リュウインが永楽帝の居る北京へ出向き明に進貢を行い、リュウインは海船を賜った、本書の終結点。
登場人物
- 英祖 伊祖城主で伊祖按司の恵祖の息子。西暦1,260年、初代英祖王統王に即位し其の後浦添城(現在の沖縄県浦添市仲間)を築城した。1,261年に巡行と諸法の改定を行い、1,264年には西北諸島から朝貢を受け、1,265年に漂着した禅鑑に帰依して極楽寺の開山を支援、1,291年には元の襲来を撃退した。1,299年8月31日に死去、本書の英祖王統始祖。
- 大成 英祖の長男。西暦1,299年8月31日、英祖の死去により第2代英祖王統王に即位した。1,301年には五男を勝連按司に封じた。1,309年1月19日に死去、本書の英祖王統第2代。
- 英慈 大成の弐男。西暦1,309年1月19日、大成の死去により第3代英祖王統王に即位した。1,313年10月10日に死去、本書の英祖王統第3代。
- 玉城 英慈の参男で玉城城主。西暦1,313年10月10日、英慈の死去により第4代英祖王統王に即位した。自分の弟を玉城城主・玉城按司とし拡張修築工事を行わせた一方、酒に溺れ狩猟を好み政務を疎かにして道楽三昧の生活を送っていた為人心が離れていった。1,336年4月22日に死去、本書の英祖王統衰退の契機。
- 西威 玉城の長男。西暦1,337年、第5代英祖王統王に即位したが幼かった為母が実権を握った。失った国威を回復する事が出来ず、1,349年4月30日に病死し5歳の子供を後継に擁立する動きがあったが実現しなかった。1,350年、英祖王統は勝連按司の娘婿察度の中山王国建国により滅亡、本書の英祖王統最後の王。
- 禅鑑 仏教の僧。西暦1,265年、現在の沖縄に漂着した。其の後仏教を広め、英祖の帰依を受けて浦添城の西に極楽寺(現在の沖縄県浦添市仲間)を開山した、本書の琉球仏教の祖。
- 怕尼芝(帕尼芝) 第2代湧川按司の息子で羽地按司。西暦1,322年、叔父今帰仁仲宗根若按司を破り今帰仁城を本拠として「北山王国」を建国し、初代北山王国国王に即位した。1,383年2月3日、使者模結習を明に派遣して北山王国として初の進貢を行い、1,385年2月10日には朱元璋から駝紐鍍金銀印を賜った。1,387年・1,388年には自ら明へ赴き進貢を行った、本書の北山王国の始祖。
- 珉 北山王国第2代国王。西暦1,394年11月、使者善佳古耶を察度の使者亜蘭砲と共に明へ派遣、1,395年1月22日に善佳古耶が北山王国として7度目の進貢を行った、本書の北山王国第2代。
- 攀安知 北山王国第3代国王。西暦1,395年11月以降、使者善佳古耶・恰宣斯耶・亜都結致・赤佳結致・リュウイン等を明へ派遣して歴代最多の進貢を行った。1,398年1月3日の進貢では恰宣斯耶が海船1隻を賜り、1,403年3月31日には善佳古耶が冠服を請い下賜された。1,415年5月27日、使者リュウインが永楽帝の居る北京で進貢を行い海船を賜った、本書の北山王国最後の国王。
- 承察度 大里按司。西暦1,337年、周囲の按司を纏め「南山王国」を建国し、初代南山王国国王に即位した。1,383年2月3日、使者師惹を明に派遣して南山王国として2度目の進貢を行い、文綺紗羅を賜った。1,385年2月10日には朱元璋から駝紐鍍金銀印と海船1隻を賜った、本書の南山王国の始祖。
- 察度 勝連按司の娘婿。西暦1,350年、群臣から推され「中山王国」を建国し初代中山王国国王に即位、此れにより英祖王統は滅亡した。1,382年以降、使者亜蘭砲・程復・友賛結致等を明に派遣して歴代最多の進貢を行い、1,385年2月10日には朱元璋から海船1隻を賜った、本書の中山王国の始祖。
- 武寧 察度の後継者。西暦1,396年10月、使者蔡奇阿勃耶を明へ派遣、1,397年1月14日に中山王国として27度目の進貢を行った、本書の中山王国第2代。
- 尚思紹王 中山王国の国王。西暦1,415年2月、使者南風原大親を明へ派遣、同年5月27日に永楽帝の居る北京で中山王国として58度目の進貢を行った、本書の終結点の中山王国国王。
- 朱元璋 初代明皇帝(洪武帝)。西暦1,385年2月10日、亜蘭砲に海船1隻、師惹に駝紐鍍金銀印と海船1隻、模結習に駝紐鍍金銀印を賜り、三山三王国の権威を公認した、本書の琉球冊封の端緒。
- 永楽帝 第3代明皇帝。西暦1,415年5月27日、北京にて尚思紹王の使者南風原大親と攀安知の使者リュウインの進貢を受け、リュウインに海船を賜った、本書の終結点の明皇帝。
- 模結習・李仲・善佳古耶・恰宣斯耶・亜都結致・赤佳結致・リュウイン 北山王国歴代の進貢使者。模結習は西暦1,383年2月3日に北山王国として初の進貢を行い、1,385年2月10日には朱元璋から駝紐鍍金銀印を賜った。李仲は1,390年に6度目、善佳古耶は珉と攀安知両代に亙り7度目から9度目と12度目の進貢を担い、1,403年には冠服を請い下賜された。恰宣斯耶は1,397年・1,398年の10度目・11度目の進貢で海船1隻を賜り、亜都結致は1,404年・1,406年の13度目・15度目、赤佳結致は1,405年の14度目、リュウインは1,415年の16度目の進貢で海船を賜った、本書の北山王国外交の実務者。
- 亜蘭砲・程復・友賛結致・蔡奇阿勃耶・南風原大親 中山王国歴代の進貢使者。亜蘭砲は察度の使者として西暦1,382年11月から1,395年迄に多数の進貢を担い、1,385年2月10日には朱元璋から海船1隻を賜った。程復・友賛結致は1,395年以降の進貢を担い、1,398年には海船1隻を賜った。蔡奇阿勃耶は武寧の使者として1,396年10月に出港し1,397年1月14日に進貢、南風原大親は尚思紹王の使者として1,415年5月27日に北京にて進貢を行った、本書の中山王国外交の実務者。
- 師惹 承察度の使者。西暦1,383年2月3日、南山王国として2度目の進貢を行い文綺紗羅を賜った。1,385年2月10日には朱元璋から駝紐鍍金銀印と海船1隻を賜った、本書の南山王国外交の実務者。
- 恵祖 伊祖城主で伊祖按司。英祖の父。其の息子英祖が西暦1,260年に英祖王統を開いた、本書の英祖王統の淵源。
主要な地名・拠点
- 伊祖城 英祖の父で伊祖按司の恵祖の居城。英祖は此の地に生まれ、西暦1,260年に英祖王統王に即位した、本書の英祖王統の発祥地。
- 浦添城 現在の沖縄県浦添市仲間。西暦1,260年、初代英祖王統王に即位した英祖が築城した城。1,265年には漂着した禅鑑が英祖の帰依を受けて城の西に極楽寺を開山した、本書の英祖王統の本拠地。
- 極楽寺 現在の沖縄県浦添市仲間。西暦1,265年、漂着した禅鑑が仏教を広め英祖の帰依を受けて浦添城の西に開山した寺、本書の琉球仏教の発祥地。
- 勝連 現在の沖縄県うるま市勝連。西暦1,301年、大成の五男が勝連按司に封じられた地。後の西暦1,350年、此の勝連按司の娘婿察度が中山王国を建国して英祖王統を滅ぼした、本書の中山王国の淵源。
- 玉城 現在の沖縄県南城市玉城。英慈の参男玉城が玉城城主を務めた地。西暦1,313年に玉城は第4代英祖王統王に即位したが、弟を玉城城主・玉城按司とし拡張修築工事を行わせた、本書の英祖王統第4代の所縁の地。
- 今帰仁城 現在の沖縄県国頭郡今帰仁村。西暦1,322年、第2代湧川按司の息子で羽地按司の怕尼芝が叔父今帰仁仲宗根若按司を破り、此の城を本拠として「北山王国」を建国した、本書の北山王国の本拠地。
- 大里 現在の沖縄県南城市大里。西暦1,337年、此の地の按司である承察度が周囲の按司を纏め「南山王国」を建国し初代南山王国国王に即位した、本書の南山王国の発祥地。
- 西北諸島 西暦1,264年、英祖が朝貢を受けた地域、本書の英祖王統の勢力圏。
- 宮古島 現在の沖縄県宮古島市。西暦1,382年11月、察度の使者亜蘭砲が進貢の為明へ向けて出港した際、船が一度漂着した地、本書の進貢航路の寄港地。
- 明(応天府・北京) 応天府は現在の中華人民共和国江蘇省南京市、北京は現在の中華人民共和国北京市。西暦1,383年2月3日の模結習による北山王国初の進貢から1,415年5月27日のリュウインによる16度目の進貢迄、歴代北山王国国王が進貢使節を派遣した地。1,399年4月には攀安知の使者が戦乱の為応天府に行く事が出来ず帰還した。1,415年は永楽帝の居る北京で進貢が行われた、本書の外交の舞台。
- 泉州・来遠駅 現在の中華人民共和国福建省泉州市。西暦1,405年、明王朝が琉球からの使節に対応する為、泉州に市舶提挙司付属の「来遠駅」を設立した、本書の琉明外交の拠点。
主要な事件・出来事
- 英祖の英祖王統王即位と浦添城築城 西暦1,260年、伊祖城主で伊祖按司の恵祖の息子英祖が初代英祖王統王に即位し、其の後浦添城(現在の沖縄県浦添市仲間)を築城した、本書の発端。
- 英祖の巡行と諸法の改定 西暦1,261年、英祖が巡行と諸法の改定を行った、本書の初期の内政整備。
- 西北諸島からの朝貢 西暦1,264年、英祖が西北諸島から朝貢を受けた、本書の最初の対外的権威の発露。
- 禅鑑の漂着と極楽寺開山 西暦1,265年、禅鑑が現在の沖縄に漂着し仏教を広めて英祖の帰依を受け、浦添城の西に極楽寺(現在の沖縄県浦添市仲間)を開山した、本書の琉球仏教の始まり。
- 元の襲来と英祖王統軍による撃退 西暦1,291年、元が現在の沖縄に攻め込むが英祖王統軍が撃退した、本書の対外防衛の最大の武功。
- 大成の第2代英祖王統王即位と勝連按司封建 西暦1,299年8月31日に英祖が死去し長男大成が第2代英祖王統王に即位、1,301年には大成の五男が勝連按司に封じられた、本書の英祖王統継承と勝連の起源。
- 英慈の第3代英祖王統王即位 西暦1,309年1月19日、大成が死去し弐男英慈が第3代英祖王統王に即位した、本書の英祖王統継承。
- 玉城の第4代英祖王統王即位と衰退の兆し 西暦1,313年10月10日、英慈が死去し参男で玉城城主の玉城が第4代英祖王統王に即位、自身の弟を玉城城主・玉城按司とし拡張修築工事を行わせた一方、酒に溺れ狩猟を好み政務を疎かにして道楽三昧の生活を送っていた為、人心が離れていった、本書の英祖王統衰退の起点。
- 怕尼芝の北山王国建国 西暦1,322年、第2代湧川按司の息子で羽地按司の怕尼芝が叔父今帰仁仲宗根若按司を破り、今帰仁城を本拠として「北山王国」を建国し初代北山王国国王に即位した、本書の北山王国誕生の瞬間。
- 玉城の死去と西威の第5代英祖王統王即位 西暦1,336年4月22日に玉城が死去し、1,337年に玉城の長男西威が第5代英祖王統王に即位したが、西威は幼かった為母が実権を握ったものの失った国威を回復する事が出来なかった、本書の英祖王統終末の王。
- 承察度の南山王国建国 西暦1,337年、大里按司承察度が周囲の按司を纏め「南山王国」を建国し、初代南山王国国王に即位した、本書の南山王国誕生の瞬間。
- 西威の病死 西暦1,349年4月30日、西威が病死、一部に5歳の西威の子供を後継に擁立する動きがあったが実現しなかった、本書の英祖王統後継断絶の危機。
- 察度の中山王国建国と英祖王統滅亡 西暦1,350年、勝連按司の娘婿察度が群臣から推され「中山王国」を建国し初代中山王国国王に即位、此れにより英祖王統は滅亡し三山鼎立の時代が始まった、本書の歴史的転換点。
- 三山同時進貢の開始と模結習の北山初進貢 西暦1,382年11月、亜蘭砲(察度の使者)・師惹(承察度の使者)・模結習(怕尼芝の使者)の3名が明へ出港、亜蘭砲の船は宮古島に漂着した。1,383年2月3日、3名が明に進貢を行い、模結習は北山王国として初の進貢となった。此の際師惹は文綺紗羅を賜った、本書の三山明朝外交の開幕。
- 朱元璋からの駝紐鍍金銀印下賜 西暦1,385年2月10日、亜蘭砲・師惹・模結習が明に進貢を行った際、初代明皇帝朱元璋から亜蘭砲に海船1隻、師惹に駝紐鍍金銀印と海船1隻、模結習に駝紐鍍金銀印を賜り、三山三王国の権威が正式に公認された、本書の琉球冊封の起点。
- 帕尼芝自らの明への渡航 西暦1,387年11月及び1,388年8月、察度の使者亜蘭砲が進貢の為明へ向けて出港する際、帕尼芝自身も同乗した。1,388年2月21日・10月16日の進貢は北山王国として4度目・5度目となり、国王自らの親征的外交として際立つ、本書の国王自ら明に赴いた事例。
- 珉から攀安知への北山王国王位継承 西暦1,394年11月に珉の使者善佳古耶が明へ出港し、1,395年1月22日に進貢、其の後同年11月の出港時には善佳古耶は「攀安知の使者」として記録されており、此の間に珉から攀安知への王位継承があった事が窺える、本書の北山王国王統継承の瞬間。
- 攀安知の使者の戦乱による帰還 西暦1,398年11月、攀安知の使者が進貢の為明へ向けて出港したが、1,399年4月、戦乱の為応天府に行く事が出来ず帰還した、本書の明朝内乱(靖難の変)の影響。
- 善佳古耶の冠服下賜と泉州来遠駅設立 西暦1,403年3月31日、攀安知の使者善佳古耶が北山王国として12度目の進貢を行い、冠服を請い下賜された。1,405年には明王朝が琉球からの使節に対応する為、泉州に市舶提挙司付属の「来遠駅」を設立した、本書の琉明外交の制度化。
- リュウインの北京進貢と海船下賜 西暦1,415年2月、尚思紹王の使者南風原大親と攀安知の使者リュウインが明へ出港、同年5月27日、永楽帝の居る北京へ出向き進貢を行い、リュウインは海船を賜った、本書の終結点。
英祖の浦添城築城・禅鑑の仏教伝来・元の襲来撃退・英祖王統の五代・怕尼芝の今帰仁城築城と北山王国建国・三山鼎立・明皇帝朱元璋への進貢と駝紐鍍金銀印下賜・攀安知の治世と永楽帝への進貢──
琉球北山の155年を一冊に。
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