電子書籍「北山王国一元化」の表紙

北山王国一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,260年〜1,415年10月頃
※旧暦は全て西暦に変換しています
ページ数
35ページ
最新更新日
西暦2,026年8月4日

英祖の浦添城築城・禅鑑の仏教伝来・元の襲来撃退・英祖王統の五代・怕尼芝の今帰仁城築城と北山王国建国・三山鼎立・明皇帝朱元璋への進貢と駝紐鍍金銀印下賜・攀安知の治世と永楽帝への進貢──
琉球北山の155年を一本の時系列に貫く。

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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本書について

西暦1,260年、伊祖城主で伊祖按司の恵祖の息子・英祖が初代英祖王統王に即位し、浦添城(現在の沖縄県浦添市仲間)を築いた。翌1,261年には巡行と諸法の改定を行い、1,264年には西北諸島から朝貢を受ける。按司達が割拠する琉球の中で、英祖王統は確かな中心を築きつつあった。本書は、此の英祖の即位を起点として、北山王国の建国と三山鼎立、そして明への進貢が続く西暦1,415年までの155年を一元化した記録である。

西暦1,265年頃、僧・禅鑑が現在の沖縄に漂着した。禅鑑は仏教を広め、英祖の帰依を受けて、浦添城の西に極楽寺(現在の沖縄県浦添市仲間)を開山する。信仰が海を渡って根を下ろしたのである。西暦1,291年には元が現在の沖縄に攻め込むが、英祖王統軍が之を撃退した。大陸の帝国が版図を広げる時代の只中で、島は自らの手で襲来を退けている。

西暦1,299年8月31日、英祖が死去し、長男大成が第2代英祖王統王に即位した。1,301年頃には大成の五男が勝連按司に封じられている。1,309年1月19日に大成が死去すると弐男英慈が第3代王に、1,313年10月10日に英慈が死去すると参男で玉城城主の玉城が第4代王に即位した。玉城は自らの弟を玉城城主・玉城按司として拡張修築工事を行わせたが、其の一方で酒に溺れ、狩猟を好み、政務を疎かにして道楽三昧の生活を送った為、人心は次第に離れていった。

王統の綻びは、北から形を取って現れる。西暦1,322年、第2代湧川按司の息子で羽地按司の怕尼芝が、叔父である今帰仁仲宗根若按司を破り、今帰仁城を本拠として「北山王国」を建国し、初代北山王国国王に即位した。西暦1,336年4月22日に玉城が死去し、翌1,337年、其の長男西威が第5代英祖王統王に即位する。だが西威は幼く、実権を握った母は失った国威を回復する事が出来なかった。同じ1,337年頃、大里按司承察度が周囲の按司を纏めて「南山王国」を建国する。そして西暦1,349年4月30日に西威が病死すると、5歳の遺児を擁立しようとする動きは実らず、1,350年、勝連按司の娘婿である察度が群臣に推されて「中山王国」を建国した。英祖王統は此処に滅亡し、琉球は北山・中山・南山の三山が鼎立する時代に入る。

三山は競う様に明へ向かった。西暦1,382年11月頃、察度の使者亜蘭砲・承察度の使者師惹・怕尼芝の使者模結習が進貢の為に出港する(亜蘭砲の船は一度宮古島に漂着した)。翌1,383年2月3日、三者は揃って進貢を行い、模結習にとって之が北山王国として初の進貢となった。師惹は文綺紗羅を賜っている。以後、三者は同じ船団で往復を重ね、1,385年2月10日の進貢では初代明皇帝朱元璋から、亜蘭砲と師惹に海船1隻、師惹と模結習に駝紐鍍金銀印が下賜された。国璽を賜るという事は、明の冊封体制の中に北山王国が正式に位置付けられた事を意味した。

西暦1,387年11月頃、帕尼芝は使者を立てるのではなく、亜蘭砲の船に自ら同乗して明へ渡った。1,388年2月21日と同年10月16日の進貢は、いずれも王自身が行っている。1,389年11月頃からは使者李仲が、1,394年11月頃からは珉の使者善佳古耶がその役を担った。そして1,395年11月頃、同じ善佳古耶が「攀安知の使者」として記録に現れる——北山の王位が珉から攀安知へと移っていた。以降、恰宣斯耶・善佳古耶が交互に渡海し、1,398年1月3日には友賛結致と恰宣斯耶が各々海船1隻を賜った。だが1,398年11月頃に出港した攀安知の使者は、翌1,399年4月頃、戦乱の為に応天府へ行く事が出来ず引き返している。

航路が戻るのは西暦1,403年である。同年3月31日、善佳古耶は北山王国として12度目の進貢を行い、冠服を請うて下賜された。1,404年4月25日には亜都結致が13度目、1,405年4月29日には赤佳結致が14度目、1,406年1月16日には再び亜都結致が15度目の進貢を果たす。1,405年には明王朝が、琉球からの使節に対応する為、泉州に市舶提挙司付属の「来遠駅」を設立した。そして西暦1,415年5月27日、尚思紹王の使者南風原大親と共に北上した攀安知の使者リュウインは、永楽帝の居る北京へ出向いて16度目の進貢を行い、海船を賜る。同年10月頃、両者は帰還した。英祖の浦添城から攀安知の今帰仁城へ、そして海を越えた明の朝廷へ——本書は、其の155年の全過程を一冊に束ねている。


登場人物

  • 恵祖 伊祖城主で伊祖按司。英祖の父。
  • 英祖 恵祖の息子。西暦1,260年に初代英祖王統王に即位し、浦添城を築城した。翌年に巡行と諸法の改定を行い、西暦1,264年には西北諸島から朝貢を受ける。漂着した禅鑑に帰依して極楽寺の開山を援け、西暦1,291年の元の襲来を撃退した。西暦1,299年8月31日に死去。
  • 大成 英祖の長男。西暦1,299年に第2代英祖王統王に即位した。西暦1,301年頃、五男を勝連按司に封じている。西暦1,309年1月19日に死去。
  • 英慈 大成の弐男。西暦1,309年に第3代英祖王統王に即位した。西暦1,313年10月10日に死去。
  • 玉城 英慈の参男で玉城城主。西暦1,313年に第4代英祖王統王に即位し、自らの弟を玉城城主・玉城按司として拡張修築工事を行わせた。酒に溺れ狩猟を好み、政務を疎かにして道楽三昧の生活を送った為、人心が離れていった。西暦1,336年4月22日に死去。
  • 西威 玉城の長男。西暦1,337年に第5代英祖王統王に即位したが幼く、母が実権を握ったものの失った国威を回復出来なかった。西暦1,349年4月30日に病死し、5歳の遺児を擁立する動きは実現しなかった。
  • 禅鑑 西暦1,265年頃、現在の沖縄に漂着した僧。仏教を広め、英祖の帰依を受けて、浦添城の西に極楽寺を開山した。
  • 怕尼芝(帕尼芝) 第2代湧川按司の息子で羽地按司。西暦1,322年、叔父の今帰仁仲宗根若按司を破り、今帰仁城を本拠として北山王国を建国し、初代北山王国国王に即位した。使者模結習を明へ送って進貢を開始し、西暦1,387年からは自ら明への船に同乗して進貢を行った。
  • 第2代北山王国国王。西暦1,394年11月頃、使者善佳古耶を明へ送り、翌1,395年1月22日に北山王国として7度目の進貢を行わせた。
  • 攀安知 第3代北山王国国王。西暦1,395年11月頃に使者善佳古耶を送って以降、恰宣斯耶・亜都結致・赤佳結致・リュウインを次々に明へ派遣し、8度目から16度目までの進貢を重ねた。西暦1,403年には善佳古耶が冠服を、西暦1,415年にはリュウインが海船を賜っている。
  • 察度 勝連按司の娘婿。西暦1,350年、群臣に推されて中山王国を建国し、初代中山王国国王に即位した。此れにより英祖王統は滅亡した。使者亜蘭砲・程復・友賛結致を明へ送り、北山・南山と同じ船団で進貢を重ねた。
  • 武寧 第2代中山王国国王。西暦1,396年10月頃、使者蔡奇阿勃耶を明へ送り、翌1,397年1月14日に中山王国として27度目の進貢を行わせた。
  • 尚思紹王 第一尚氏王統の王。西暦1,415年2月頃、使者南風原大親を明へ送り、同年5月27日、北京にて中山王国として58度目の進貢を行わせた。此の船に攀安知の使者リュウインも同乗した。
  • 承察度 大里按司。西暦1,337年頃、周囲の按司を纏めて南山王国を建国し、初代南山王国国王に即位した。使者師惹を明へ送り、北山・中山と共に進貢を行った。
  • 朱元璋 初代明皇帝。西暦1,385年2月10日の進貢に際し、亜蘭砲と師惹に海船1隻を、師惹と模結習に駝紐鍍金銀印を下賜した。
  • 永楽帝 明皇帝。西暦1,415年5月27日、北京にて南風原大親とリュウインの進貢を受け、リュウインに海船を賜った。
  • 北山王国の使者たち 模結習(初〜3度目)、帕尼芝自身(4〜5度目)、李仲(6度目)、善佳古耶(7〜9度目・12度目)、恰宣斯耶(10〜11度目)、亜都結致(13度目・15度目)、赤佳結致(14度目)、リュウイン(16度目)。いずれも中山王国の船に同乗して渡海し、北山王国の名で明へ進貢を行った。
  • 中山王国の使者たち 亜蘭砲(察度の使者。西暦1,382年には宮古島に漂着した)、程復、友賛結致、蔡奇阿勃耶(武寧の使者)、南風原大親(尚思紹王の使者)。北山王国の使者を自らの船に同乗させ、進貢の航路を共有した。
  • 師惹 南山王国国王承察度の使者。西暦1,383年2月3日の進貢で文綺紗羅を賜り、西暦1,385年2月10日には駝紐鍍金銀印と海船1隻を賜った。
  • 三五郎亹 西暦1,396年10月頃、蔡奇阿勃耶・善佳古耶と共に明へ渡り、翌1,397年1月14日に国子監へ復監した人物。

主要な地名・拠点

  • 伊祖城 恵祖が城主・按司を務めた城。英祖はこの城主の息子として生まれ、英祖王統を興した。
  • 浦添城 現在の沖縄県浦添市仲間。西暦1,260年、初代英祖王統王に即位した英祖が築いた城。英祖王統の本拠となった。
  • 極楽寺 現在の沖縄県浦添市仲間。漂着した禅鑑が英祖の帰依を受け、浦添城の西に開山した寺。
  • 勝連 西暦1,301年頃、大成の五男が按司に封じられた地。後に中山王国を建てる察度は、勝連按司の娘婿であった。
  • 玉城城 第4代英祖王統王・玉城が城主を務めた城。即位後、玉城は自らの弟を城主・玉城按司として拡張修築工事を行わせた。
  • 今帰仁城 西暦1,322年、怕尼芝が叔父の今帰仁仲宗根若按司を破って本拠とした城。北山王国の王城となった。
  • 大里 承察度が按司を務めた地。承察度は西暦1,337年頃、周囲の按司を纏めて南山王国を建国した。
  • 西北諸島 西暦1,264年、英祖が朝貢を受けた島々。英祖王統の影響力が周辺海域へ及んでいた事を示す。
  • 宮古島 西暦1,382年11月頃、進貢の為に明へ向かった察度の使者亜蘭砲の船が、一度漂着した島。
  • 応天府 明の都。三山の使者が進貢の為に赴いた地。西暦1,399年4月頃、攀安知の使者は戦乱の為に此処へ行く事が出来ず帰還した。
  • 北京 永楽帝の居所。西暦1,415年5月27日、南風原大親とリュウインが此処へ出向いて進貢を行い、リュウインは海船を賜った。
  • 泉州(来遠駅) 西暦1,405年、明王朝が琉球からの使節に対応する為、市舶提挙司付属の「来遠駅」を設立した港町。

主要な事件・出来事

  • 英祖の即位と浦添城築城 西暦1,260年、伊祖城主で伊祖按司の恵祖の息子・英祖が初代英祖王統王に即位し、其の後に浦添城を築城した。本書の起点となる出来事。
  • 英祖の巡行と諸法の改定 西暦1,261年、即位の翌年に英祖が行った統治の整備。
  • 西北諸島からの朝貢 西暦1,264年、英祖が西北諸島から朝貢を受けた。
  • 禅鑑の漂着と極楽寺開山 西暦1,265年頃、僧・禅鑑が現在の沖縄に漂着し、仏教を広めた。英祖の帰依を受け、浦添城の西に極楽寺を開山した。
  • 元の襲来と撃退 西暦1,291年、元が現在の沖縄に攻め込むが、英祖王統軍が之を撃退した。
  • 大成の即位と勝連按司の封建 西暦1,299年8月31日、英祖の死去により長男大成が第2代英祖王統王に即位した。西暦1,301年頃には五男が勝連按司に封じられた。
  • 英慈の即位 西暦1,309年1月19日、大成の死去により弐男英慈が第3代英祖王統王に即位した。
  • 玉城の即位と衰退の兆し 西暦1,313年10月10日、英慈の死去により参男で玉城城主の玉城が第4代英祖王統王に即位した。弟に玉城城の拡張修築を行わせる一方、酒と狩猟に溺れて政務を疎かにし、人心が離れていった。
  • 怕尼芝の北山王国建国 西暦1,322年、第2代湧川按司の息子で羽地按司の怕尼芝が、叔父の今帰仁仲宗根若按司を破り、今帰仁城を本拠として北山王国を建国し、初代北山王国国王に即位した。
  • 玉城の死去と西威の即位 西暦1,336年4月22日に玉城が死去し、翌1,337年、長男西威が第5代英祖王統王に即位した。西威は幼く、実権を握った母も失った国威を回復出来なかった。
  • 承察度の南山王国建国 西暦1,337年頃、大里按司承察度が周囲の按司を纏めて南山王国を建国し、初代南山王国国王に即位した。
  • 西威の病死 西暦1,349年4月30日、西威が病死した。一部に5歳の遺児を後継に擁立する動きがあったが実現しなかった。
  • 察度の中山王国建国と英祖王統滅亡 西暦1,350年、勝連按司の娘婿である察度が群臣に推されて中山王国を建国し、初代中山王国国王に即位した。此れにより英祖王統は滅亡し、三山鼎立の時代に入った。
  • 三山同時進貢の開始と北山初進貢 西暦1,382年11月頃、亜蘭砲・師惹・模結習が進貢の為に明へ向けて出港した(亜蘭砲の船は一度宮古島に漂着)。翌1,383年2月3日、三者が揃って進貢を行い、模結習は北山王国として初の進貢を果たした。
  • 朱元璋からの駝紐鍍金銀印下賜 西暦1,385年2月10日、初代明皇帝朱元璋が、亜蘭砲と師惹に海船1隻、師惹と模結習に駝紐鍍金銀印を下賜した。北山王国が明の冊封体制に正式に位置付けられた。
  • 帕尼芝自らの明への渡航 西暦1,387年11月頃と西暦1,388年8月頃、帕尼芝は使者を立てるのではなく亜蘭砲の船に自ら同乗し、4度目・5度目の進貢を行った。
  • 珉から攀安知への王位継承 西暦1,394年11月頃に「珉の使者」として渡海した善佳古耶が、西暦1,395年11月頃には「攀安知の使者」として記録に現れる。進貢記録から北山王国の王位継承が読み取れる。
  • 攀安知の使者の戦乱による帰還 西暦1,398年11月頃に出港した攀安知の使者が、翌1,399年4月頃、戦乱の為に応天府へ行く事が出来ず帰還した。
  • 善佳古耶の冠服下賜と来遠駅設立 西暦1,403年3月31日、善佳古耶が北山王国として12度目の進貢を行い、冠服を請うて下賜された。西暦1,405年には明王朝が、琉球からの使節に対応する為、泉州に市舶提挙司付属の「来遠駅」を設立した。
  • リュウインの北京進貢と海船下賜 西暦1,415年5月27日、尚思紹王の使者南風原大親と共に、攀安知の使者リュウインが永楽帝の居る北京へ出向き、北山王国として16度目の進貢を行い海船を賜った。同年10月頃、両者は帰還した。本書が記録する最後の出来事。

英祖の浦添城築城・禅鑑の仏教伝来・元の襲来撃退・英祖王統の五代・怕尼芝の今帰仁城築城と北山王国建国・三山鼎立・明皇帝朱元璋への進貢と駝紐鍍金銀印下賜・攀安知の治世と永楽帝への進貢──
琉球北山の155年を一冊に。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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