オランダ風説書一元化
西暦1,827年、長崎に届いた海の向こうの報せ──
ペリー来航前夜迄の風説書二十五年分を一元化。
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本書について
西暦1,827年7月26日、長崎に一隻のオランダ船が入った。船長が語った海の向こうの出来事を、第159代オランダ商館長ヘルマン・フェリックス・メイランが聞き取り、通詞目付・大通詞・小通詞の手で和訳して、老中宛に発送する——風説書と呼ばれた此の報告書は、鎖国下の日本が世界の動きを知る、ほぼ唯一の窓口であった。本書は、其の西暦1,827年の一通を起点として、西暦1,852年にアメリカ艦隊の派遣が予告される迄の二十五年分の風説書・別段風説書を、年月日単位で一元化した記録である。
風説書の書き出しは、何時も同じ形をしている。当年来日した船の隻数、バタヴィア(現在のインドネシアのジャカルタ)を出港した日、海上の異常の有無、仲間船の有無、昨年長崎を発った船がバタヴィアに着いた日、そして航海の途中で見掛けた清船やヨーロッパ船の数——。此の定型の後に、王の死と即位、戦争と条約、一揆と革命が、番号を振られて淡々と並ぶ。長崎奉行所から江戸へ運ばれたのは、其の様な形をした世界であった。
西暦1,830年代の紙面を占めるのは、ヨーロッパの王位と国境である。西暦1,833年、第160代オランダ商館長ヤン・ヴィレム・フレデリック・ファン・シッタースは、エジプト・トルコ戦争でオスマン帝国が敗れた事と、ブラバント(現在のベルギーのフラームス・ブラバント州、ブラバン・ワロン州、ブリュッセル)がオランダの支配を離れた事を報じた。翌西暦1,834年には、初代ベルギー国王レオポルド1世の即位、フェルナンド7世の崩御に続くイサベル2世とカルロス・マリア・イシドロ・デ・ボルボーンの王位継承争い、マリア2世とミゲル1世が争うポルトガルの混乱、そして第11代ロマノフ朝ロシアツァーリのニコライ1世によるポーランド併合と、多くのポーランド人のシベリア流刑が伝えられている。
やがて報告の重心は、清へ移る。西暦1,839年8月3日、第162代オランダ商館長エドゥアルド・グランディソンは、広東でイギリス人の行うアヘン密売を禁ずる為に林則徐が派遣され、隠匿するアヘンを全て提出せよとの厳命が下った事を報じた。翌西暦1,840年には、イギリスが清へ軍を派遣し、ケープタウン(現在の南アフリカの西ケープ州)やイギリス領インドで兵を整えて報復を準備している事が伝わる。西暦1,842年の風説書は「清とイギリスの戦争は今も穏やかにならない」と記し、翌西暦1,843年、第163代オランダ商館長ピーター・アルバート・ビックが「西暦1,842年9月1日、清とイギリスの和睦が整った」と報じた。アヘン戦争は、開戦の予兆から決着迄が、長崎を経由して幕府の手元に届いていたのである。
西暦1,846年7月、第164代オランダ商館長ヨセフ・ヘンリー・レフィスゾーンが提出した別段風説書は、群を抜いて長い。バリ島への出兵、アヘン戦争前後のイギリスの交易銀高の比較、香港・マニラ・バタヴィアを結ぶ蒸気船の定期航路、パナマを越える蒸気車と鉄道か運河かという構想、テキサスのアメリカ編入とカリフォルニアへの野心——そして末尾には、清がフランスと結んだ黄埔条約と、特命全権公使ケイレブ・クッシングと第43代両広総督耆英が望厦村(現在の中国マカオ花地瑪堂区)で結んだ望厦条約の全条文が、和訳して添えられた。同じ書の中には、提督ジェームズ・ビドルの率いるアメリカのフリゲート艦コロンバス号が日本へ向かったという広東の新聞の記事も、書き留められている。
西暦1,847年の別段風説書は、天文学者ユルバン・ルヴェリエによる新しい惑星「ネプチューン」の発見、硫黄酸を染み込ませた綿が塩硝と同程度の威力を持つという発明、そしてアメリカで生まれた「麻酔」——どんなに厳しい治療を受けても痛みを感じないという技術——を、条約や戦争と同じ調子で書き留めている。西暦1,848年には、パリの騒動によって初代オルレアン朝フランス国王ルイ・フィリップ1世が一族を引き連れてイギリスへ亡命した事、ヨーロッパ諸国の大半が動乱に見舞われた事が届く。西暦1,849年には、第2代オランダ王国国王ウィレム2世の急逝とウィレム3世の即位、カリフォルニアで大量の金が産出され各地から人が集まっている事、そしてナポレオン・ボナパルトの甥ナポレオン3世の大統領就任が報じられた。
そして西暦1,852年7月21日、第166代オランダ商館長ヤン・ドンケル・クルティウスが長崎奉行に提出した別段風説書が、本書の最後の項目となる。アメリカが艦隊を派遣して交易を求めに来る事、徳川家慶へミラード・フィルモアの親書が渡される事、港の利用と石炭貯蔵所の許可が求められる事、そして諸軍艦の総督がジョン・オーリックからマシュー・ペリーへ交代した事——サスケハナ・サラトガ・プリマス・セント・メアリーズ・ヴァンダリア、更に加わるミシシッピ・プリンストン・ペリー・サプライ迄、艦名が列挙されている。黒船が姿を現す前年、幕府は既に、来るべき艦隊の編成表を手にしていた。本書は、其の二十五年間の報せを一冊に束ねている。
登場人物
- ヘルマン・フェリックス・メイラン 第159代オランダ商館長。西暦1,827年7月26日、長崎に来航したオランダ船の船長から聞き取った内容が、通詞目付・大通詞・小通詞の和訳を経て老中宛に発送された。東インド周辺の静穏、第3代チャクリー王朝暹羅(現在のタイ)国王ラーマ3世のバタヴィアへの使者、ガージャール朝とロシア帝国の戦い、コンスタンティノープルでの一揆と第30代オスマン帝国皇帝マフムト2世による鎮定——本書の起点に立つ商館長。
- ヤン・ヴィレム・フレデリック・ファン・シッタース 第160代オランダ商館長。西暦1,833年7月27日、エジプト・トルコ戦争でのオスマン帝国の敗北と、ブラバントがオランダの支配を離れた経緯、及びフランス王国・イギリスの軍艦による商船拿捕を報じた。西暦1,834年8月4日には次期オランダ商館長ヨハネス・エルデウィン・ニーマンと共に船長の話を聞き、レオポルド1世の即位やスペイン・ポルトガルの王位継承争いを伝えた。
- ヨハネス・エルデウィン・ニーマン 西暦1,834年8月4日の風説書をファン・シッタースと共に聞き取った人物。前年バタヴィアへ帰還しており、此の年、新たなオランダ商館長として着任した事が風説書の末尾に記されている。
- エドゥアルド・グランディソン 第162代オランダ商館長。西暦1,839年8月3日、岩瀬弥十郎・楢林栄三郎・岩瀬弥七郎の和訳により、広東への林則徐派遣とアヘン提出の厳命を報じた。翌西暦1,840年7月29日には、ヴィクトリアのイギリス国王推戴、マフムト2世の崩御とアブデュルメジト1世の即位、そしてイギリスによる清への報復準備を伝えた、アヘン戦争前夜を告げた商館長。
- ピーター・アルバート・ビック 第163代オランダ商館長。西暦1,842年7月26日、二番船で赴任した。翌西暦1,843年8月4日には清とイギリスの和睦が西暦1,842年9月1日に整った事を報じ、西暦1,844年には初代オランダ王国国王ウィレム1世の崩御を、西暦1,845年には第14代オランダ領東インド総督ピーター・メルクスの死去とヤン・ヤコブ・ロシュッセンの後任就任を伝えた。
- ヨセフ・ヘンリー・レフィスゾーン 第164代オランダ商館長。西暦1,846年から1,849年に掛けての風説書・別段風説書を担い、黄埔条約と望厦条約の全条文の和訳、ジェームズ・ビドルのコロンバス号日本派遣、パリの騒動とルイ・フィリップ1世の亡命、ウィレム2世の崩御、カリフォルニアの金——本書の最も厚い部分を占める報告を送り続けた。
- ヤン・ドンケル・クルティウス 第166代オランダ商館長。西暦1,852年7月21日、長崎奉行に別段風説書を提出し、アメリカ艦隊の日本派遣、徳川家慶へのミラード・フィルモアの親書、ジョン・オーリックからマシュー・ペリーへの総督交代、そして艦隊の編成を予告した。本書の最後の項目を記す人物。
- ウィレム2世 第2代オランダ王国国王。西暦1,840年の風説書でウィンデンブルグ国の女王ソフィアとの婚約が伝えられ、西暦1,842年にウィレム1世から譲位を受けた。西暦1,846年の別段風説書では武勇に優れた国王として讃えられ、江戸幕府からの返書も此の王へ送られている。西暦1,849年3月17日に急な病で崩御し、デルフト(現在のオランダの南ホラント州)の王族の墓に葬られた事が報じられた。
- ヴィクトリア 第6代ハノーヴァー朝イギリス国王。西暦1,840年の風説書で推戴とザクセン・コーブルク・ゴータ公国の王子アルバートとの婚姻が伝えられて以降、馬車への銃撃、エドワード7世の出産、ウィレム2世への元帥としての饗応、プロイセン王国への訪問と、本書に最も繰り返し登場する君主。
- 林則徐 西暦1,839年、広東でイギリス人の行うアヘン密売を禁ずる為に朝廷から派遣され、隠匿するアヘンを全て提出させる厳命を下した。風説書は、此れによってアヘンを貯蔵する者が非常に苦境に追い込まれ、順天府でもアヘンを使う者は刑に処すとの命令が出た事を伝えている。
- 道光帝 清の皇帝。西暦1,843年、台湾付近に漂着したイギリス船を破壊し乗組員を殺害した一件で、台湾の清総督を逮捕・処罰させた事が報じられた。西暦1,848年には、広東から北京へ呼ばれた耆英と、其の子キングシーを介して面会した事が伝えられている。
- 耆英 第43代両広総督。通商事務を兼任し、西暦1,844年7月3日、望厦村で特命全権公使ケイレブ・クッシングと望厦条約を締結した。西暦1,847年4月6日には第2代香港総督ジョン・デイビスの下を訪れ、イギリス人の広東への出入りや居住を巡る取り決めを交わし、西暦1,849年には退任と徐広縉の後任就任が報じられた。
- ルイ・フィリップ1世 初代オルレアン朝フランス国王。西暦1,834年に長女ルイーズ・マリー・ドルレアンとレオポルド1世の婚姻が報じられて以来、君主間の訪問の場に度々現れたが、西暦1,848年2月22日から三日間に及んだパリの騒動によって王位を追われ、一族を引き連れてイギリスへ亡命した事が伝えられた。
- マシュー・ペリー 西暦1,852年7月21日の別段風説書で、日本へ向かう諸軍艦の総督がジョン・オーリックから交代した人物として名の挙がった提督。旗艦ミシシッピに同乗する事迄が、来航の前年に長崎から江戸へ届いていた。
- ミラード・フィルモア アメリカ大統領。西暦1,852年の別段風説書で、徳川家慶宛の親書を使節に託し、日本国内の1〜2ヶ所の港の利用許可と、カリフォルニアと清との間を往来する蒸気船の為の石炭貯蔵所を求めると予告された。
本書が記録する風説書
- 西暦1,827年7月26日の風説書 メイランが聞き取った、本書の起点となる一通。オランダ船2隻の来航、東インド周辺の静穏、ラーマ3世のバタヴィアへの使者、ガージャール朝とロシア帝国の戦い、コンスタンティノープルでの一揆の鎮定が報じられた。
- 西暦1,833年7月27日の風説書 エジプト・トルコ戦争でのオスマン帝国の敗北と、ブラバントのオランダからの離脱を巡る対立。フランス王国・イギリスの軍艦が商船を拿捕した為、同年3月頃からバタヴィアとオランダ本国を結ぶ航海が停止されていた事も伝えられた。
- 西暦1,834年8月4日の風説書 台湾付近で風向きに阻まれ、日本の陸地を見ながら漂った船が齎した報。レオポルド1世のブラバント王即位、スペインとポルトガルの王位継承争い、ニコライ1世のポーランド併合とシベリア流刑、ジャワ近辺の地震と津波が並ぶ。
- 西暦1,839年8月3日の風説書 林則徐の広東派遣とアヘン没収の厳命を報じた一通。オーストリア帝国によるロンバルディア(現在のイタリア)とヴェネツィア(現在のイタリアのヴェネト州)の領有、カナダの一揆の継続も併せて伝えられた。
- 西暦1,840年7月29日の風説書 ヴィクトリアの推戴、マフムト2世の崩御とアブデュルメジト1世の即位、フレデリク6世の崩御とクリスチャン8世の即位、そしてイギリスが清への報復を準備している事が報じられた。
- 西暦1,842年7月26日の風説書 オランダ船2隻が来航。前年、台風で帆と艀を失い澳門へ逃れた船の顛末が詳細に語られる。ウィレム1世の譲位、フリードリヒ・ヴィルヘルム4世の即位、ヴィクトリアの馬車への銃撃、アフガニスタン首長国の一揆が報じられ、二番船でビックが第163代オランダ商館長として赴任した。
- 西暦1,843年〜1,845年の風説書 ビックが担った三年分。西暦1,842年9月1日の清とイギリスの和睦、道光帝による台湾の清総督の処罰、西暦1,843年12月12日のウィレム1世の崩御、スペインの内乱収束とイサベル2世の即位、ピーター・メルクスの死去とロシュッセンの東インド総督就任が、順に届いた。
- 西暦1,846年7月の別段風説書 本書で最も長大な一通。バリ島への出兵、アヘン戦争前後の交易銀高、蒸気船の定期航路、パナマを越える鉄道と運河の構想、テキサスのアメリカ編入、コロンバス号とサピーネ号の日本派遣が報じられ、末尾には黄埔条約と望厦条約の全条文が和訳して添えられた。
- 西暦1,846年8月12日の風説書 本木昌左衛門・西与一郎ら十二名の通詞目付の名が列挙された一通。オスマン帝国の港での大火、清からヨーロッパへ運ばれた茶の量、セントヘレナ島の地震、バリ島でのヒリリング王の城の焼き討ちが記された。
- 西暦1,847年の別段風説書 西暦1,846年4月4日の舟山返還条約、ジョン・デイビスによる広東への進攻と耆英との取り決め、阮朝ファウロンネ港での海戦——そして海王星の発見・綿火薬・麻酔という、三つの新しい知らせ。
- 西暦1,848年7月29日の風説書と別段風説書 フランスの2月革命とドイツの3月革命によるヨーロッパの動乱、ルイ・フィリップ1世のイギリス亡命、紹治帝の崩御と嗣徳帝の即位、ホロ島の海賊征伐、米墨戦争とカリフォルニアの割譲が、同じ日に届いた二通で報じられた。
- 西暦1,849年8月の別段風説書 ウィレム2世の崩御とウィレム3世の即位、バリ島への再度の出兵、清の海域に展開する各国海軍の艦名・艦長・大砲の数、シク王国の併合、カリフォルニアの金、パナマ地峡の工事、ザカリー・テイラーとナポレオン3世の就任が並ぶ。
- 西暦1,852年7月21日の別段風説書 クルティウスが長崎奉行に提出した、本書最後の一通。アメリカ艦隊の日本派遣、徳川家慶宛のフィルモアの親書、ペリーへの総督交代、そして九隻の艦名。「西暦1,852年4月下旬以前には出帆しないであろう」との見立てで結ばれている。
メイランからクルティウスへ──
鎖国下の日本に世界を伝え続けた風説書の全過程を一元化。
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