ゴミ潜水艦を売り付けた
ロスチャイルドのお抱え武器商人
バジル・ザハロフ一元化
売れない潜水艦を、敵国同士に売る──
コンスタンティノープルの客引きが武器商人になる61年を一元化。
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本書について
西暦1,855年頃、コンスタンティノープルで一人の男が売春宿の客引きを始めた。名をバジル・ザハロフという。ガラタ(現在のトルコのイスタンブール県)ではツアーガイドにも従事し、其の後、コンスタンティノープルの消防隊の放火犯となった。其の消防隊は、裕福な人間の宝物を回収して引き揚げる事で報酬を得ていたのである。火を点ける者と、火事場から宝を拾い上げる者が同じであった。ザハロフは他にも、重婚・強盗・殺人・詐欺・売春宿経営に手を染めている。本書は、此の客引きが、やがてヨーロッパ最大級の兵器企業の株主となる迄の61年間を、年月日単位で一元化した記録である。
西暦1,872年、ザハロフはブリストル(イギリスのサウス・ウェスト・イングランド)でイギリス人女性と結婚する。翌西暦1,873年頃、貿易商である叔父の仕事を手伝っていたザハロフは、コンスタンティノープルからロンドンへの商品の輸出に際して店の資金を横領した事が発覚し、法廷に召喚された。コンスタンティノープル出身のロンドンのギリシャ人達は、自分達のコミュニティの人間が関係する紛争をイギリスの法廷外で解決する事を望んだ。ザハロフは原告に100ポンドの賠償金を支払い、法廷の管轄内に留まる事を条件に釈放される。そして直ぐにアテネへ向かい、ステファノス・スクルディスと出会った。雄弁なザハロフは、ロンドンでの訴訟の正当性を訴え、スクルディスを説得する事に成功する。此の出会いが、彼を武器の世界へ運んだ。
西暦1,877年10月14日、ザハロフはスウェーデンの武器製造会社トールステン・ノルデンフェルト社の代理店の主任として招聘された。ザハロフの外交センスを評価していたスクルディスが、退職の意向であったスウェーデン人大尉の友人の後任として推薦していたのである。翌西暦1,878年3月3日に露土戦争が終結すると、ギリシャでは軍備増強の機運が高まった。しかしザハロフの商売は、クルップ社・シュナイダー社・ヴィッカース社と比べれば分が悪い。同年7月13日にベルリン会議が終了し、イギリスがオスマン帝国からキプロスを租借する事となると、ザハロフはイギリスへ戻った。バルカン諸国・トルコ・ロシア帝国の政治的軍事的な不安定は続き、彼は機を逃さず武器を売り続けた。
西暦1,885年9月21日、ジョージ・ギャレットの設計した蒸気駆動潜水艦「ノルデンフェルトI」のデモが、オスマン帝国武官を含む39名の前で行われた。トールステン・ノルデンフェルト社も開発に一枚噛んでいる。デモは成功とは言い難かった。しかし、当時まだ珍しかった潜水艦に目を付けていたザハロフは、寛大な支払い条件を約束してギリシャに販売する。次いで、ギリシャと対立していたオスマン帝国に対し「ギリシャの潜水艦が脅威である」と説いて2隻を売り付け、更にロシア帝国にも「黒海に新たな脅威が存在する」として2隻を販売した。此れ等の潜水艦は、何れも欠陥品であった。蒸気駆動の機構は水中航行には全く不十分で、各海軍による海上試験をパスせず、推進システムの欠陥という根本的な問題に加えて慢性的に不安定でもあった。オスマン帝国海軍の潜水艦1隻は、魚雷発射実験中に転覆し、垂直姿勢で上昇した後、船尾から沈没している。売り物は動かず、脅威だけが本物になった。
同じ西暦1,885年、ザハロフは王子を装ってフィラデルフィアの相続人ジェニー・ビリングスと結婚するが、西暦1,872年の結婚を知るイギリス人に重婚を暴露され、刑事にロッテルダムまで追われた。そして西暦1,886年、ザハロフはマキシム機関銃に目を付け、ハイラム・マキシムに接触する。此の年から西暦1,888年に掛けて、彼はマキシムが自ら開発した機関銃の性能を証明しようとした三度のデモに関与し、其の評価を矮小化する工作を行なった。ラ・スペツィア(イタリアのリグーリア州)では、前日の夜にザハロフの関係者がマキシムの関係者を待ち伏せして行く手を阻み、代表者を出席させなかった。ウィーンでの二度目は、数百発撃った後に機関銃が不安定になり停止する——マキシムが分解して確かめると、破壊されていた。三度目のウィーンでは機関銃は完璧に動作したが、今度はザハロフの関係者がやって来て「此の様な武器は手作業でしか作れず、大量生産の手段が無ければ現代の軍隊のニーズは満たせない」と説いて回った。ノルデンフェルトとザハロフの目論見通り、マキシム機関銃は思う様に売れなかった。
そして西暦1,888年、ザハロフは自身を巨額のコミッションでマキシムの首席セールスマンとして雇用させる。同じ年、N・M・ロスチャイルド&サンズとトールステン・ノルデンフェルト社が圧力を掛け、存続会社をマキシム社としてノルデンフェルト社を合併し、「マキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社」が設立された。オフィスはロンドンのヴィクトリア通りである。N・M・ロスチャイルド&サンズは合併資金として1,900,000ポンドの株式を発行し、ナサニエル・ロスチャイルドは同社の株式を大量に保有して経営に直接関与した。同年10月にはイギリス陸軍最高司令官ガーネット・ワースリーが、ライフルと同じ口径のマキシム機関銃120挺の発注を命じている。西暦1,890年、トールステン・ノルデンフェルト社は自己破産して会社を追放され、ノルデンフェルトはフランスへ渡った。ザハロフは自身のコミッションで株式を買い進め、軈てマキシムから「貴方は最早従業員では無く、同等の株主だ」と言われるに至る。
西暦1,897年、大株主をN・M・ロスチャイルド&サンズとするヴィッカース社が、バロー・イン・ファーネス(イギリスのカンブリア州)のバロー造船会社を買収し、同時に其の子会社となっていたマキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社をも買収して、「ヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社」が設立された。設立の際の新株発行も、N・M・ロスチャイルド&サンズが担っている。ザハロフはイギリス・ドイツ・ロシア帝国・オスマン帝国・ギリシャ・スペイン・日本・アメリカへと軍需品を売り捌いていった。西暦1,916年12月6日、デビッド・ロイド・ジョージが第53代イギリス首相に就任すると、ザハロフはマウンディ・グレゴリーを仲介として接近する。其の後、自身の妻を使ってジョージをハニートラップで嵌め、N・M・ロスチャイルド&サンズがイギリス公債を買う条件として、其の50%をヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社の武器購入に充てる事を約束させた。国家の借金が、そのまま武器の代金になる仕組みである。売春宿の客引きから其処へ至る道筋を、本書は一冊に束ねている。
登場人物
- バジル・ザハロフ 本書の中心人物。西暦1,855年頃、コンスタンティノープルにて売春宿の客引きを始め、ガラタのツアーガイド、消防隊の放火犯を経て、重婚・強盗・殺人・詐欺・売春宿経営に手を染めた。西暦1,877年にトールステン・ノルデンフェルト社の代理店主任へ招聘されて以降、欠陥潜水艦をギリシャ・オスマン帝国・ロシア帝国へ売り付け、マキシム機関銃の評価を工作で貶め、軈てヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社の武器を世界各国へ売り捌いた。
- ハイラム・マキシム マキシム機関銃の開発者。西暦1,883年6月26日にイギリス第3178号、同年7月16日に第3493号の特許を登録し、西暦1,884年10月に最初の試作型を招待客へ展示した。西暦1,886年から西暦1,888年に掛けてザハロフの工作により機関銃の評価を貶められたが、其のザハロフを巨額のコミッションで首席セールスマンとして雇用する事となる。後にザハロフへ「貴方は最早従業員では無く、同等の株主だ」と言った。
- トールステン・ノルデンフェルト スウェーデンの武器製造会社トールステン・ノルデンフェルト社の経営者。西暦1,877年にザハロフを代理店の主任として迎え、ザハロフと共にマキシム機関銃の評価を矮小化する工作を行なった。西暦1,888年に自社をマキシム社へ合併させたが、西暦1,890年に自己破産して会社を追放され、イギリスを離れフランスへ渡った。
- ナサニエル・ロスチャイルド N・M・ロスチャイルド&サンズの当主。西暦1,888年のマキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社設立に際し、同行は合併資金として1,900,000ポンドの株式を発行した。ナサニエル自身も同社の株式を大量に保有し、経営に直接関与している。西暦1,897年のヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社設立の際の新株発行も、同行が担った。
- ステファノス・スクルディス 西暦1,873年頃、横領事件の後にアテネへ向かったザハロフと出会った人物。ザハロフの外交センスを評価し、トールステン・ノルデンフェルト社の代理店主任をしていたスウェーデン人大尉の友人が退職する意向であった為、其の後任としてザハロフを推薦した。
- ジョージ・ギャレット 蒸気駆動潜水艦「ノルデンフェルトI」の設計者。西暦1,885年9月21日、オスマン帝国武官を含む39名の前でデモが行われたが、成功とは言い難いものであった。設計された潜水艦は水中航行には全く不十分で、各海軍による海上試験をパスしなかった。
- ジェニー・ビリングス フィラデルフィアの相続人。西暦1,885年、王子を装ったバジル・ザハロフと結婚した。しかし西暦1,872年にザハロフが結婚していた事を知るイギリス人によって重婚が暴露され、ザハロフは刑事にロッテルダムまで追われる事となる。
- ガーネット・ワースリー イギリス陸軍最高司令官。西暦1,888年10月、ライフルと同じ口径のマキシム機関銃120挺の発注を命じた。実包には.577/450マルティニ・ヘンリー弾が用いられた。
- デビッド・ロイド・ジョージ 第53代イギリス首相。西暦1,916年12月6日の就任後、ザハロフの接近を受けた。ザハロフが自身の妻を使ったハニートラップに嵌められ、N・M・ロスチャイルド&サンズがイギリス公債を買う条件として、其の50%をヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社の武器購入へ充てる事を約束させられた。本書が記録する最後の出来事である。
- マウンディ・グレゴリー 西暦1,916年、バジル・ザハロフがデビッド・ロイド・ジョージへ接近する際の仲介役を務めた人物。
- フェルディナンド 第4代ジェノヴァ公。西暦1,886年、ラ・スペツィア(イタリアのリグーリア州)でのマキシム機関銃とトールステン・ノルデンフェルト社の機関銃のデモに、著名な観客の一人として臨席する筈であった。しかし前夜、ザハロフの関係者がマキシムの関係者を待ち伏せして行く手を阻んだ為、マキシムの代表者は出席出来なかった。
本書が記録する出来事
- コンスタンティノープルの消防隊(西暦1,855年頃) バジル・ザハロフが売春宿の客引きを始め、ガラタ(現在のトルコのイスタンブール県)のツアーガイドにも従事した後、コンスタンティノープルの消防隊の放火犯となる。其の消防隊は、裕福な人間の宝物を回収して引き揚げる事で報酬を得ていた。本書が記録する最初の出来事。
- 横領事件とスクルディスとの出会い(西暦1,873年頃) 叔父の仕事を手伝っていたザハロフが、コンスタンティノープルからロンドンへの商品輸出の際に店の資金を横領した事が発覚し、法廷に召喚される。原告に100ポンドを支払い、法廷の管轄内に留まる事を条件に釈放された後、アテネへ向かいステファノス・スクルディスと出会った。
- ノルデンフェルト社代理店主任への招聘(西暦1,877年) 10月14日、ザハロフがスウェーデンの武器製造会社トールステン・ノルデンフェルト社の代理店の主任として招聘される。ザハロフの外交センスを評価していたスクルディスが、退職の意向であったスウェーデン人大尉の友人の後任として推薦していた。
- 露土戦争終結とベルリン会議(西暦1,878年) 3月3日に露土戦争が終結し、ギリシャで軍備増強の機運が高まる。しかしザハロフの商売は、クルップ社・シュナイダー社・ヴィッカース社に比べて分が悪かった。7月13日にはベルリン会議が終了し、イギリスがオスマン帝国からキプロスを租借する事となり、ザハロフはイギリスへ戻った。バルカン諸国・トルコ・ロシア帝国の不安定な情勢は続き、彼は機を逃さず武器を売った。
- マキシム機関銃の特許と試作型(西暦1,883〜1,884年) 西暦1,883年6月26日にイギリス第3178号、同年7月16日に第3493号として、ハイラム・マキシムのマキシム機関銃へ繋がる特許が登録される。西暦1,884年10月には最初の試作型が招待客に展示された。同じ頃ザハロフは、ゴールウェイ(現在のアイルランド)の海運代理店やセントルイスの鉄道車両会社のセールスマンとして働いていた。
- 重婚の露見(西暦1,885年) ザハロフが王子を装い、フィラデルフィアの相続人ジェニー・ビリングスと結婚する。しかし西暦1,872年にブリストルでイギリス人女性と結婚した事を知るイギリス人に重婚を暴露され、刑事にロッテルダムまで追われた。
- 潜水艦「ノルデンフェルトI」の三国への販売(西暦1,885年) 9月21日、ジョージ・ギャレット設計の蒸気駆動潜水艦のデモが、オスマン帝国武官を含む39名の前で行われる。デモは成功とは言い難かったが、ザハロフは寛大な支払い条件でギリシャへ販売し、対立するオスマン帝国には「ギリシャの潜水艦が脅威である」と2隻を、ロシア帝国には「黒海に新たな脅威が存在する」と2隻を売り付けた。何れも欠陥品であり、オスマン帝国海軍の1隻は魚雷発射実験中に転覆し、船尾から沈没している。
- マキシム機関銃の評価を貶める三つの工作(西暦1,886〜1,888年) ラ・スペツィアでは前夜の待ち伏せによりマキシムの代表者が出席出来ず、ウィーンでの二度目のデモでは数百発の後に機関銃が破壊されており、三度目のデモでは完璧に動作したにも拘らず、ザハロフの関係者が「大量生産の手段が無ければ現代の軍隊のニーズは満たせない」と説いて回った。ノルデンフェルトとザハロフの目論見通り、マキシム機関銃は思う様に売れなかった。
- マキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社の設立(西暦1,888年) ザハロフが巨額のコミッションでマキシムの首席セールスマンとなる。同年、N・M・ロスチャイルド&サンズとトールステン・ノルデンフェルト社が圧力を掛け、存続会社をマキシム社として合併が行われ、ロンドンのヴィクトリア通りにオフィスを構えた。N・M・ロスチャイルド&サンズは合併資金として1,900,000ポンドの株式を発行し、ナサニエル・ロスチャイルドは株式を大量に保有して経営に直接関与した。
- イギリス陸軍による120挺の発注(西暦1,888年) 10月、イギリス陸軍最高司令官ガーネット・ワースリーが、ライフルと同じ口径のマキシム機関銃120挺の発注を命じる。実包には.577/450マルティニ・ヘンリー弾が用いられた。
- ノルデンフェルトの追放とザハロフの株主化(西暦1,890年) トールステン・ノルデンフェルト社が自己破産し、マキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社を追放される。ノルデンフェルトはイギリスを離れフランスへ渡り、マキシム・ノルデンフェルト協会は解散となった。ザハロフは自身のコミッションで同社の株式を購入し、軈てハイラム・マキシムに「貴方は最早従業員では無く、同等の株主だ」と言われるに至る。
- ヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社の設立(西暦1,897年) 大株主をN・M・ロスチャイルド&サンズとするヴィッカース社が、バロー・イン・ファーネス(イギリスのカンブリア州)のバロー造船会社を買収し、同時に其の子会社であったマキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社をも買収して設立された。新株発行はN・M・ロスチャイルド&サンズが担った。ザハロフはイギリス・ドイツ・ロシア帝国・オスマン帝国・ギリシャ・スペイン・日本・アメリカへ軍需品を販売していった。
- ロイド・ジョージへの接近とイギリス公債(西暦1,916年) 12月6日、デビッド・ロイド・ジョージが第53代イギリス首相に就任する。ザハロフはマウンディ・グレゴリーを仲介として接近し、自身の妻を使ったハニートラップで嵌め、N・M・ロスチャイルド&サンズがイギリス公債を買う条件として、其の50%をヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社の武器購入に充てる事を約束させた。
ノルデンフェルトIからヴィッカース、そしてイギリス公債へ──
ロスチャイルドが資金を出した武器商人の全過程を一元化。
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