ゴミ潜水艦を売り付けたロスチャイルドのお抱え武器商人バジル・ザハロフ一元化
コンスタンティノープルの売春宿の客引きと消防隊の放火犯、ブリストルでの結婚と叔父の店の資金横領、ステファノス・スクルディスの推薦によるトールステン・ノルデンフェルト社代理店主任就任、露土戦争終結後のギリシャ軍備増強、フィラデルフィアの相続人ジェニー・ビリングスとの王子を装った重婚、ジョージ・ギャレット設計の蒸気駆動潜水艦ノルデンフェルトIのオスマン帝国武官への披露とギリシャ・オスマン帝国・ロシア帝国への欠陥潜水艦売却、ハイラム・マキシムのマキシム機関銃特許登録、ザハロフによるラ・スペツィア・ウィーンでのマキシム機関銃デモ妨害工作、N・M・ロスチャイルド&サンズとトールステン・ノルデンフェルト社の圧力によるマキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社設立と1,900,000ポンド株式発行、イギリス陸軍最高司令官ガーネット・ワースリーのマキシム機関銃120挺発注、ヴィッカース社によるバロー造船会社及びマキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社買収とヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社設立、第53代イギリス首相デビッド・ロイド・ジョージへのマウンディ・グレゴリー仲介接近とザハロフの妻によるハニートラップ、N・M・ロスチャイルド&サンズによるイギリス公債購入の50%ヴィッカース武器購入充当──
コンスタンティノープルの裏稼業からの出発、トールステン・ノルデンフェルト社代理店主任就任、欠陥潜水艦ノルデンフェルトIのギリシャ・オスマン帝国・ロシア帝国への売却、ハイラム・マキシムのマキシム機関銃デモへの妨害工作、N・M・ロスチャイルド&サンズとの結託によるマキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社設立とザハロフのコミッションを利用した株式購入による同等株主化、ヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社設立とイギリス・ドイツ・ロシア帝国・オスマン帝国・ギリシャ・スペイン・日本・アメリカへの軍需品販売、第一次世界大戦下の第53代イギリス首相デビッド・ロイド・ジョージへのハニートラップとイギリス公債購入の50%ヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社武器購入充当迄、ロスチャイルド家お抱え武器商人バジル・ザハロフの61年間の系譜を年月日単位で追跡した一冊。
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本書について
西暦1,855年頃、後にロスチャイルド家のお抱え武器商人となるバジル・ザハロフが、コンスタンティノープルで売春宿の客引きを始め、ガラタ(現在のトルコのイスタンブール県)のツアーガイドにも従事し、其の後コンスタンティノープルの消防隊の放火犯となった。其の消防隊は、裕福な人間の宝物を回収して引き揚げる事で報酬を得ていた。他にも、重婚・強盗・殺人・詐欺・売春宿経営等に手を染めた。西暦1,872年、ザハロフはブリストル(イギリスのサウス・ウェスト・イングランド)にてイギリス人女性と結婚する。西暦1,873年頃、貿易商である叔父の仕事を手伝っていたザハロフが、コンスタンティノープルからロンドンへの商品の輸出の際、店の資金を横領した事が発覚し、法廷に召喚された。コンスタンティノープル出身のロンドンのギリシャ人達は、自分達のコミュニティの人間が関係する紛争はイギリスの法廷外で解決する事を望み、ザハロフは原告に100ポンドの賠償金を支払い、法廷の管轄内に留まる事を条件に釈放された。ザハロフは直ぐにアテネへ向かい、ステファノス・スクルディスと出会った。雄弁なザハロフは、ロンドンでの訴訟の正当性を訴え、スクルディスを説得する事に成功した。本書は、此のコンスタンティノープルでの裏稼業からの出発を起点とする、トールステン・ノルデンフェルト社代理店主任就任、欠陥潜水艦ノルデンフェルトIの売却、N・M・ロスチャイルド&サンズとの結託によるマキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社設立、ヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社設立を経て、第一次世界大戦下のロイド・ジョージ首相へのハニートラップに至る、61年間に亘る系譜を、一本の時系列に貫き、一元化した一冊である。
西暦1,877年10月14日、バジル・ザハロフが、スウェーデンの武器製造会社のトールステン・ノルデンフェルト社の代理店の主任として招聘された。ザハロフの外交センスを評価していたステファノス・スクルディスは、トールステン・ノルデンフェルト社の代理店の主任をしていたスウェーデン人大尉の友人が退職する意向であった為、後任としてザハロフを推薦していた。西暦1,878年3月3日、露土戦争が終結し、其の後ギリシャでは軍備増強の機運が高まっていた。ザハロフは武器を売ろうとするが、①クルップ社、②シュナイダー社、③ヴィッカース社、と比べると分が悪かった。同年7月13日、ベルリン会議が終了し、イギリスがオスマン帝国からキプロスを租借する事となった。此れを受け、バジル・ザハロフはイギリスに戻る事となった。此の後も、①バルカン諸国、②トルコ、③ロシア帝国、の政治・軍事での不安定な情勢は続き、機を逃さずザハロフは武器を売った。西暦1,883年、ザハロフはゴールウェイ(現在のアイルランド)の海運代理店で働いていた。アメリカの工場で働く女性を募集し、又、アメリカに滞在し、セントルイス(アメリカのミズーリ州)の鉄道車両会社のセールスマンとしても活動した。同年6月26日、ハイラム・マキシムの、マキシム機関銃に繋がる最初の特許が登録された(イギリス第3178号)。同年7月16日、マキシム機関銃に繋がる特許が登録された(イギリス第3493号)。西暦1,884年10月、ハイラム・マキシムの開発したマキシム機関銃の最初の試作型が、招待客に展示された。西暦1,885年、バジル・ザハロフが、王子を装いフィラデルフィアの相続人ジェニー・ビリングスと結婚するが、西暦1,872年に結婚した事を知るイギリス人に重婚を暴露され、刑事にロッテルダムまで追われた。
西暦1,885年9月21日、ジョージ・ギャレットの設計した蒸気駆動潜水艦「ノルデンフェルトI」のデモが、オスマン帝国武官を含む39名の前で行われた。トールステン・ノルデンフェルト社も開発に一枚噛んでいた。デモは成功とは言い難かったが、当時まだ珍しかった潜水艦に目を付けていたバジル・ザハロフは、寛大な支払い条件を約束してギリシャに販売した。其の後、ギリシャと対立していたオスマン帝国に対し「ギリシャの潜水艦が脅威である」と言い2隻を売り付け、更に、ロシア帝国にも「黒海に新たな脅威が存在する」として2隻を販売した。しかし、此れ等の潜水艦は何れも欠陥品であった。機構は蒸気駆動であったが、水中航行には全く不十分であり、各海軍による海上試験をパスしなかった。推進システムの欠陥という根本的な問題に加えて、慢性的に不安定でもあった。そんな中、オスマン帝国海軍の潜水艦1隻が魚雷発射実験中に転覆し、垂直姿勢で上昇した後、船尾から沈没した。西暦1,886年、マキシム機関銃に目を付けたバジル・ザハロフが、ハイラム・マキシムに接触した。本年から西暦1,888年に掛けてザハロフは、マキシムが自身の開発したマキシム機関銃の性能を証明しようとしたデモに関与し、マキシム機関銃への評価を矮小化する為の工作を行なった。最初のデモはラ・スペツィア(イタリアのリグーリア州)にて行われ、マキシムとトールステン・ノルデンフェルト社の機関銃が、第4代ジェノヴァ公フェルディナンド王子を含む著名な観客の前で披露される筈であったが、前日の夜に、ザハロフの関係者がラ・スペツィアに居たマキシムの関係者を待ち伏せして行く手を阻んだ所為で、マキシムの代表者は出席出来なかった。2回目のデモはウィーンで行われ、数百発撃った後、マキシム機関銃は完全に停止する前に不安定になり、マキシムが分解した所、破壊されているのに気付いたが、修復する時間は無かった。3回目のデモは前回と同様にウィーンで行われ、今回はマキシム機関銃は完璧に動作したが、ザハロフの関係者がやって来て「此の様な素晴らしい武器を製造するのに必要な職人技は、一度に1つずつ手作業でのみ達成可能であり、大量生産の手段が無ければ、現代の軍隊のニーズを満たすのに十分な量のマキシム機関銃は決して製造出来ない」と説得した。ノルデンフェルトとザハロフの目論見通り、マキシム機関銃は思う様に売れなかった。
西暦1,888年、バジル・ザハロフが、自身をハイラム・マキシムに巨額のコミッションで首席セールスマンとして雇用させた。又、①N・M・ロスチャイルド&サンズ、②トールステン・ノルデンフェルト社、の2社が圧力を掛け、存続会社をマキシム社としてトールステン・ノルデンフェルト社を合併し「マキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社」が設立された。オフィスはロンドンのヴィクトリア通りに構えた。N・M・ロスチャイルド&サンズは、合併資金として1,900,000ポンドの株式を発行した。又、ナサニエル・ロスチャイルドはマキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社の株式を大量に保有し、経営に直接関与した。同年10月、イギリス陸軍最高司令官ガーネット・ワースリーが、ライフルと同じ口径のマキシム機関銃120挺の発注を命じた。実包には.577/450マルティニ・ヘンリー弾が用いられた。西暦1,890年、トールステン・ノルデンフェルト社が自己破産し、マキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社を追放された。ノルデンフェルトはイギリスを離れ、フランスへ渡り、此れにより、マキシム・ノルデンフェルト協会が解散となった。バジル・ザハロフは自身のコミッションを利用して、マキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社の株式を購入し、軈てハイラム・マキシムに「貴方は最早従業員では無く、同等の株主だ」と言われるに至った。
西暦1,897年、大株主がN・M・ロスチャイルド&サンズで軍用機器や造船の製造を行う「ヴィッカース社」が、バロー・イン・ファーネス(イギリスのカンブリア州)の造船会社である「バロー造船会社」を買収し、同時に、バロー造船会社の子会社となっていたマキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社を買収して「ヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社」が設立された。設立の際の新株発行はN・M・ロスチャイルド&サンズが担った。バジル・ザハロフは、①イギリス、②ドイツ、③ロシア帝国、④オスマン帝国、⑤ギリシャ、⑥スペイン、⑦日本、⑧アメリカ、に軍需品を販売していった。西暦1,916年12月6日、デビッド・ロイド・ジョージが、第53代イギリス首相に就任した。バジル・ザハロフは、マウンディ・グレゴリーを仲介としてジョージに接近した。其の後ザハロフは、自身の妻を使ってジョージをハニートラップで嵌め、N・M・ロスチャイルド&サンズがイギリス公債を買う条件として、其の50%をヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社の武器購入に充てる事を約束させた。本書は、此の61年に亘る、コンスタンティノープルでの売春宿の客引き・消防隊の放火犯としての出自から、トールステン・ノルデンフェルト社代理店主任就任、欠陥潜水艦ノルデンフェルトIのギリシャ・オスマン帝国・ロシア帝国への売却、マキシム機関銃デモへの妨害工作、N・M・ロスチャイルド&サンズの圧力によるマキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社設立、ヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社設立とイギリス・ドイツ・ロシア帝国・オスマン帝国・ギリシャ・スペイン・日本・アメリカへの軍需品販売、第53代イギリス首相デビッド・ロイド・ジョージへのハニートラップとN・M・ロスチャイルド&サンズによるイギリス公債購入の50%ヴィッカース武器購入充当迄、ロスチャイルド家がバジル・ザハロフを通じて世界の武器市場を掌握する系譜の全過程を、年月日単位で記録した年表である。
登場人物
- バジル・ザハロフ ロスチャイルド家のお抱え武器商人。西暦1,855年頃、コンスタンティノープルで売春宿の客引き・ガラタのツアーガイド・消防隊の放火犯を経て、重婚・強盗・殺人・詐欺・売春宿経営等に手を染めた。西暦1,872年にブリストルでイギリス人女性と結婚、西暦1,873年頃には叔父の店の資金を横領して法廷に召喚され、100ポンドの賠償金を支払い釈放された後、アテネでステファノス・スクルディスと出会った。西暦1,877年10月14日、スクルディスの推薦によりトールステン・ノルデンフェルト社の代理店の主任に就任。西暦1,885年9月21日、欠陥潜水艦ノルデンフェルトIをギリシャ・オスマン帝国(2隻)・ロシア帝国(2隻)に売り付けた。西暦1,886年から西暦1,888年に掛けて、ラ・スペツィア・ウィーンでハイラム・マキシムのマキシム機関銃デモを妨害。西暦1,888年、マキシムに自身を首席セールスマンとして雇用させ、N・M・ロスチャイルド&サンズの圧力で設立されたマキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社の株式を西暦1,890年に取得して同等株主化。西暦1,897年のヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社設立後はイギリス・ドイツ・ロシア帝国・オスマン帝国・ギリシャ・スペイン・日本・アメリカに軍需品を販売。西暦1,916年12月6日のデビッド・ロイド・ジョージの第53代イギリス首相就任後は、マウンディ・グレゴリーを仲介として接近し、自身の妻によるハニートラップでN・M・ロスチャイルド&サンズによるイギリス公債購入の50%をヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社の武器購入に充てる事を約束させた。
- ステファノス・スクルディス アテネに居たバジル・ザハロフの後援者。西暦1,873年頃、ロンドンでの叔父の店の資金横領訴訟から逃れて来たザハロフと出会い、其の雄弁さに説得され信用するに至った。ザハロフの外交センスを評価していたスクルディスは、西暦1,877年10月14日、トールステン・ノルデンフェルト社の代理店の主任をしていたスウェーデン人大尉の友人が退職する意向であった為、後任としてザハロフを推薦した。
- ジョージ・ギャレット 蒸気駆動潜水艦「ノルデンフェルトI」の設計者。西暦1,885年9月21日、オスマン帝国武官を含む39名の前でノルデンフェルトIのデモが行われた。トールステン・ノルデンフェルト社も開発に一枚噛んでいた。デモは成功とは言い難く、推進システムの欠陥という根本的な問題に加えて、慢性的に不安定でもあった。
- ジェニー・ビリングス フィラデルフィアの相続人。西暦1,885年、王子を装ったバジル・ザハロフに騙されて結婚した。西暦1,872年にザハロフがブリストルでイギリス人女性と結婚した事を知るイギリス人に重婚を暴露され、ザハロフは刑事にロッテルダムまで追われた。
- ハイラム・マキシム マキシム機関銃の発明者。西暦1,883年6月26日にマキシム機関銃に繋がる最初の特許(イギリス第3178号)、同年7月16日に特許(イギリス第3493号)を登録。西暦1,884年10月、最初の試作型が招待客に展示された。西暦1,886年から西暦1,888年に掛けて、ラ・スペツィア・ウィーンでのデモがバジル・ザハロフによって妨害された。西暦1,888年、ザハロフを首席セールスマンとして雇用し、N・M・ロスチャイルド&サンズの圧力で設立されたマキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社の代表となった。西暦1,890年のトールステン・ノルデンフェルト社自己破産後、コミッションで株式を購入したザハロフに「貴方は最早従業員では無く、同等の株主だ」と告げた。
- トールステン・ノルデンフェルト スウェーデンの武器製造会社「トールステン・ノルデンフェルト社」の創設者。西暦1,885年9月21日のジョージ・ギャレット設計の蒸気駆動潜水艦ノルデンフェルトIの開発に一枚噛んでいた。西暦1,886年から西暦1,888年に掛けて、バジル・ザハロフと共謀してマキシム機関銃のデモを妨害。西暦1,888年、N・M・ロスチャイルド&サンズと共にマキシム社に圧力を掛け、トールステン・ノルデンフェルト社を合併させてマキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社を設立させた。西暦1,890年、トールステン・ノルデンフェルト社が自己破産し、マキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社を追放され、イギリスを離れフランスへ渡った。
- ナサニエル・ロスチャイルド N・M・ロスチャイルド&サンズの当主。西暦1,888年、マキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社設立に際し、N・M・ロスチャイルド&サンズが合併資金として1,900,000ポンドの株式を発行。ナサニエル・ロスチャイルド自身もマキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社の株式を大量に保有し、経営に直接関与した。
- ガーネット・ワースリー イギリス陸軍最高司令官。西暦1,888年10月、ライフルと同じ口径のマキシム機関銃120挺の発注を命じた。実包には.577/450マルティニ・ヘンリー弾が用いられた。
- デビッド・ロイド・ジョージ 第53代イギリス首相。西暦1,916年12月6日に就任。バジル・ザハロフがマウンディ・グレゴリーを仲介として接近し、其の後ザハロフは、自身の妻を使ってジョージをハニートラップで嵌めた。N・M・ロスチャイルド&サンズがイギリス公債を買う条件として、其の50%をヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社の武器購入に充てる事を約束させられた。
- マウンディ・グレゴリー バジル・ザハロフのデビッド・ロイド・ジョージへの接近の仲介者。西暦1,916年12月6日のデビッド・ロイド・ジョージの第53代イギリス首相就任後、ザハロフはグレゴリーを仲介としてジョージに接近した。
主要な概念・組織
- N・M・ロスチャイルド&サンズ ロスチャイルド家の銀行。当主はナサニエル・ロスチャイルド。西暦1,888年、トールステン・ノルデンフェルト社と共にマキシム社に圧力を掛け、マキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社を設立させ、合併資金として1,900,000ポンドの株式を発行した。西暦1,897年には、大株主であるヴィッカース社によるバロー造船会社及びマキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社の買収によるヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社設立に際し、新株発行を担当した。西暦1,916年12月以降、バジル・ザハロフのハニートラップによって第53代イギリス首相デビッド・ロイド・ジョージから、N・M・ロスチャイルド&サンズがイギリス公債を買う条件として、其の50%をヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社の武器購入に充てる事を約束させた。
- トールステン・ノルデンフェルト社 スウェーデンの武器製造会社。創設者はトールステン・ノルデンフェルト。西暦1,877年10月14日、バジル・ザハロフを代理店の主任として招聘した。西暦1,885年9月21日のジョージ・ギャレット設計の蒸気駆動潜水艦ノルデンフェルトIの開発に一枚噛んでいた。西暦1,886年から西暦1,888年に掛けて、マキシム機関銃のデモを妨害。西暦1,888年、N・M・ロスチャイルド&サンズと共にマキシム社に圧力を掛け、自社をマキシム社に合併させてマキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社を設立させた。西暦1,890年、自己破産。
- ノルデンフェルトI ジョージ・ギャレットの設計した蒸気駆動潜水艦。トールステン・ノルデンフェルト社も開発に一枚噛んでいた。西暦1,885年9月21日、オスマン帝国武官を含む39名の前でデモが行われたが、成功とは言い難かった。バジル・ザハロフは寛大な支払い条件を約束してギリシャに販売し、其の後、ギリシャと対立していたオスマン帝国に「ギリシャの潜水艦が脅威である」と言い2隻を売り付け、更にロシア帝国にも「黒海に新たな脅威が存在する」として2隻を販売した。しかし、機構は蒸気駆動であったが水中航行には全く不十分であり、各海軍による海上試験をパスしなかった。推進システムの欠陥という根本的な問題に加えて、慢性的に不安定でもあった。オスマン帝国海軍の潜水艦1隻が魚雷発射実験中に転覆し、垂直姿勢で上昇した後、船尾から沈没した。
- マキシム機関銃 ハイラム・マキシムが開発した機関銃。西暦1,883年6月26日に最初の特許(イギリス第3178号)、同年7月16日に特許(イギリス第3493号)が登録された。西暦1,884年10月、最初の試作型が招待客に展示された。西暦1,886年から西暦1,888年に掛けて、バジル・ザハロフによってラ・スペツィア・ウィーンでのデモが妨害され、評価を矮小化する為の工作が行われた。西暦1,888年10月、イギリス陸軍最高司令官ガーネット・ワースリーが、ライフルと同じ口径のマキシム機関銃120挺の発注を命じ、実包には.577/450マルティニ・ヘンリー弾が用いられた。
- マキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社 西暦1,888年、①N・M・ロスチャイルド&サンズ、②トールステン・ノルデンフェルト社、の2社が圧力を掛け、存続会社をマキシム社としてトールステン・ノルデンフェルト社を合併して設立された会社。オフィスはロンドンのヴィクトリア通りに構えた。N・M・ロスチャイルド&サンズは、合併資金として1,900,000ポンドの株式を発行した。又、ナサニエル・ロスチャイルドは株式を大量に保有し、経営に直接関与した。西暦1,890年のトールステン・ノルデンフェルト社自己破産後、バジル・ザハロフが自身のコミッションを利用して株式を購入し、ハイラム・マキシムに「貴方は最早従業員では無く、同等の株主だ」と言われるに至った。西暦1,897年、ヴィッカース社に買収され、ヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社が設立された。
- ヴィッカース社 軍用機器や造船の製造を行うイギリスの企業。大株主はN・M・ロスチャイルド&サンズ。西暦1,897年、バロー・イン・ファーネス(イギリスのカンブリア州)の造船会社である「バロー造船会社」を買収し、同時に、バロー造船会社の子会社となっていたマキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社を買収して「ヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社」を設立した。
- バロー造船会社 バロー・イン・ファーネス(イギリスのカンブリア州)の造船会社。マキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社を子会社としていた。西暦1,897年、ヴィッカース社に買収され、同時にマキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社も買収されてヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社が設立された。
- ヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社 西暦1,897年、大株主がN・M・ロスチャイルド&サンズのヴィッカース社が、バロー造船会社及び其の子会社のマキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社を買収して設立した会社。設立の際の新株発行はN・M・ロスチャイルド&サンズが担った。バジル・ザハロフは、①イギリス、②ドイツ、③ロシア帝国、④オスマン帝国、⑤ギリシャ、⑥スペイン、⑦日本、⑧アメリカ、に軍需品を販売した。西暦1,916年12月以降、バジル・ザハロフのデビッド・ロイド・ジョージ首相へのハニートラップにより、N・M・ロスチャイルド&サンズがイギリス公債を買う条件として、其の50%が同社の武器購入に充てられる事となった。
- ハニートラップ 西暦1,916年12月6日のデビッド・ロイド・ジョージの第53代イギリス首相就任後、バジル・ザハロフはマウンディ・グレゴリーを仲介としてジョージに接近し、其の後自身の妻を使ってジョージを嵌めた工作。其の結果、N・M・ロスチャイルド&サンズがイギリス公債を買う条件として、其の50%をヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社の武器購入に充てる事を約束させた。
- マキシム機関銃デモ妨害工作 西暦1,886年から西暦1,888年に掛けてバジル・ザハロフが行った、ハイラム・マキシムのマキシム機関銃の評価を矮小化する為の工作。①最初のデモはラ・スペツィア(イタリアのリグーリア州)にて、マキシムとトールステン・ノルデンフェルト社の機関銃が第4代ジェノヴァ公フェルディナンド王子を含む著名な観客の前で披露される筈であったが、前日の夜にザハロフの関係者がマキシムの関係者を待ち伏せして行く手を阻んだ所為で、マキシムの代表者は出席出来なかった。②2回目のデモはウィーンで行われ、数百発撃った後にマキシム機関銃が不安定になり、分解した所、破壊されているのに気付いたが修復する時間は無かった。③3回目のデモはウィーンで行われ、マキシム機関銃は完璧に動作したが、ザハロフの関係者が「此の様な素晴らしい武器を製造するのに必要な職人技は、一度に1つずつ手作業でのみ達成可能であり、大量生産の手段が無ければ、現代の軍隊のニーズを満たすのに十分な量のマキシム機関銃は決して製造出来ない」と説得した。
- 露土戦争 西暦1,878年3月3日に終結した戦争。其の後ギリシャでは軍備増強の機運が高まり、バジル・ザハロフは武器を売ろうとしたが、①クルップ社、②シュナイダー社、③ヴィッカース社、と比べると分が悪かった。
- ベルリン会議 西暦1,878年7月13日に終了した国際会議。イギリスがオスマン帝国からキプロスを租借する事となり、此れを受けてバジル・ザハロフはイギリスに戻る事となった。此の後も、①バルカン諸国、②トルコ、③ロシア帝国、の政治・軍事での不安定な情勢は続き、機を逃さずザハロフは武器を売った。
- イギリス公債の50%ヴィッカース武器購入充当 西暦1,916年12月6日のデビッド・ロイド・ジョージの第53代イギリス首相就任後、バジル・ザハロフのハニートラップによってジョージから約束させた取り決め。N・M・ロスチャイルド&サンズがイギリス公債を買う条件として、其の50%をヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社の武器購入に充てる事を内容とした。
コンスタンティノープルでの売春宿の客引きと消防隊の放火犯としての出自、ステファノス・スクルディスの推薦によるトールステン・ノルデンフェルト社代理店主任就任、フィラデルフィアの相続人ジェニー・ビリングスとの王子を装った重婚、ジョージ・ギャレット設計の蒸気駆動潜水艦ノルデンフェルトIのギリシャ・オスマン帝国・ロシア帝国への欠陥潜水艦売却と魚雷発射実験中のオスマン帝国海軍潜水艦転覆沈没、ハイラム・マキシムのマキシム機関銃特許登録、ザハロフによるラ・スペツィア・ウィーンでのマキシム機関銃デモ妨害工作と大量生産不能論の流布、N・M・ロスチャイルド&サンズとトールステン・ノルデンフェルト社の圧力によるマキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社設立と1,900,000ポンド株式発行及びナサニエル・ロスチャイルドの経営直接関与、イギリス陸軍最高司令官ガーネット・ワースリーのマキシム機関銃120挺発注、トールステン・ノルデンフェルト社自己破産とザハロフのコミッションを利用した株式購入による同等株主化、N・M・ロスチャイルド&サンズが大株主のヴィッカース社によるバロー造船会社及びマキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社買収とヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社設立及びイギリス・ドイツ・ロシア帝国・オスマン帝国・ギリシャ・スペイン・日本・アメリカへの軍需品販売、第53代イギリス首相デビッド・ロイド・ジョージへのマウンディ・グレゴリー仲介接近とザハロフの妻によるハニートラップ及びN・M・ロスチャイルド&サンズのイギリス公債購入条件としての50%ヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社武器購入充当迄──
バジル・ザハロフの裏稼業からの出発とトールステン・ノルデンフェルト社代理店主任就任を経て、ロスチャイルド家との結託によるマキシム・ノルデンフェルト銃器弾薬会社設立・ヴィッカース・サンズ・アンド・マキシム社設立、第一次世界大戦下でのロイド・ジョージ首相ハニートラップに至る61年間の系譜を年月日単位で追跡した一冊。
JPY 200(税込)
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