ロックフェラー医学研究所と
ピーボディ教育基金が推進した、
自然医学排除と
西洋医学ゴリ押し一元化
西暦1,847年、シカゴにAMAが生まれた──
自然医学が医学部から締め出される迄の89年間を一元化。
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本書について
西暦1,847年5月7日、イリノイ州シカゴに、AMA(アメリカ医師会)が設立された。設立したのはニューヨーク・メディカル・ソサイアティであり、アメリカ各州の医師会を束ねる連合体として生まれたAMAは、世界三大医学雑誌の一つJAMAの発行元となる。そしてAMAは、その出発点から自然医学に反対の立場を取り、西洋医学を推し進める組織であった。西暦1,897年にはイリノイ州で法人化され、組織としての体裁も整えられてゆく。本書は、此のシカゴでの設立を起点として、自然医学がアメリカの医学部から締め出され、現代西洋医学が唯一の医学として確立される迄の89年間を、年月日単位で一元化した記録である。
西暦1,901年6月13日、ジョン・ロックフェラーが「ロックフェラー医学研究所」を設立する。研究所の設計を担ったのはフレデリック・テイラー・ゲイツであり、設立と同時に理事長へ就いた。理事会には、病理学者・細菌学者のサイモン・フレクスナーとゲイツが名を連ねている。同年11月、ピーボディ教育基金代理人にしてジョン・フォックス・スレイター解放奴隷教育基金代理人でもあったジャベツ・ラマー・モンロー・キュリーが「南部教育委員会」の設立を提唱し、ジョン・ロックフェラーとゲイツの手によって二つの教育基金が合併され、南部教育委員会が設立された。医学研究所と教育基金という、後に噛み合う二つの歯車が、同じ年に据えられたのである。
西暦1,902年1月15日、第30代ニューヨーク商工会議所会長モリス・ケッチャム・ジェサップの自宅に、ジョン・ロックフェラー・ジュニア、南部教育委員会会長ロバート・カーティス・オグデン、ハンプトン大学理事ジョージ・フォスター・ピーボディ、キュリー、ロングアイランド鉄道社長兼タスキーギ大学理事ウィリアム・ヘンリー・ボールドウィン・ジュニア、バプテスト派牧師ウォレス・バトリックが集まり、「一般教育委員会」設立の為の会談が持たれる。続く2月27日、ジョン・ロックフェラー・ジュニアの自宅での会談の終わり際に、ジョン・ロックフェラーによる1,000,000ドルの資金提供が発表され、人種・性別・信条の区別無く全米で教育を促進する事を名目として、GEBが設立された。設立に重要な役割を果たしたゲイツは、理事に就任している。
だが名目の裏には、別の狙いが据えられていた。アメリカの医学部で自然医学の研究を止めさせ、栄養療法・植物療法・ハーブ療法・ホリスティック医学を排除し、病気や障害の症状は抑えるが根本的な治療にはならない医薬品を押し付け、現代医学を確立する事である。西暦1,903年1月12日、一般教育委員会はアメリカ議会に認可されて法人化された。翌西暦1,904年、AMAはCME(医学教育審議会)を設立し、医学部入学に必要な最低限の予備教育を定め、医学教育を「解剖学と生理学の2年間の訓練+教育病院での2年間の臨床実習」と定義して、医学教育の再構築に着手する。当時のアメリカには160の医学部が在り、28,000名以上の医学生が学んでいた。西暦1,905年6月30日には10,000,000ドル、西暦1,907年には32,000,000ドルが、ジョン・ロックフェラーから一般教育委員会へ注ぎ込まれた。
西暦1,908年、初代カーネギー教育振興財団理事長ヘンリー・スミス・プリチェットが、CMEのプロジェクト全体を引き継ぐ事をAMAに申し出る。基準を満たさない医学部を排除する為に調査員として指名されたのは、サイモン・フレクスナーの弟エイブラハム・フレクスナーであった。エイブラハムは運営されていた北米の医学部155校を全て訪問し、カリキュラムも評価方法も入学・卒業要件も大学ごとに異なる実態を見て回る。そして西暦1,910年1月4日、「フレクスナー・レポート」が発表された。科学研究に基づく医学以外は科学的妥当性が無いと断じ、医学部を155校から31校へ減らす事を求めた報告書である。自然療法(ホメオパシー・植物療法)、オステオパシー、漢蘭折衷、電磁波療法、光線療法、物理医学を教えていた医学部は、それらをカリキュラムから外すか、認定と資金援助の停止を言い渡された。一時は抵抗した学校も在ったが、最終的には殆どが報告書に倣って門戸を閉ざしている。
レポートが理想としたのはジョンズ・ホプキンス大学ただ一校であり、他の全ての医学部は同大学より劣るとされた。歴史的に黒人の多い医学部は、ハワード大学とメハリー医科大学を除いて全て閉鎖される。エイブラハム・フレクスナーは、黒人医師は黒人患者のみを治療し白人医師に従属すべきだと考えていた。入学者の減少により、大学は男性のみの入学者選抜プログラムへと戻され、西暦1,833年設立の男女共学のオバーリン大学や、西暦1,861年設立の女子大ヴァッサー大学が女性入学者を増やし始めた矢先の後退となった。電気療法の専門学校も閉鎖されている。西暦1,913年5月22日には、ロックフェラー財団主導の下、ハーバードクラブによってASCC(アメリカ癌制御学会)が設立された。ASCCは後に、承認された医師以外が癌を治療する事を違法とする法律を作り、本来の癌治療を違法とした上で、承認された癌治療から多額の利益を得る事となる。
そして資金は、次の世代の財団へと引き継がれてゆく。西暦1,930年、ジョサイア・メイシー・ジュニアの弐女ケイト・メイシー・ラッドが父に敬意を表して「ジョサイア・メイシー・ジュニア財団」を設立する。メイシー家は、後にロックフェラー家の元でスタンダード・オイル社に組み込まれる石油会社で財を成した一族であった。同年6月にはウィル・キース・ケロッグが「W.K.ケロッグ財団」を、西暦1,936年1月15日にはヘンリー・フォードと長男エドセル・フォードが「フォード財団」を設立し、いずれも後に西洋医学を教育する医学学校へ資金提供を行った。AMAの設立から89年、自然医学を医学部から取り除き、現代西洋医学を唯一の医学として据える迄の全過程を、本書は一冊に束ねている。
登場人物
- ジョン・ロックフェラー 本書の中心人物。西暦1,901年6月13日にロックフェラー医学研究所を設立し、同年11月にはピーボディ教育基金とジョン・フォックス・スレイター解放奴隷教育基金を合併させて南部教育委員会を設立した。西暦1,902年の一般教育委員会設立に際して1,000,000ドルを提供し、西暦1,905年に10,000,000ドル、西暦1,907年に32,000,000ドルを追加で注ぎ込んだ。
- フレデリック・テイラー・ゲイツ ロックフェラー医学研究所の設計者であり、設立と同時に理事長へ就任した人物。理事会にも名を連ね、ジョン・ロックフェラーと共に南部教育委員会を設立した。西暦1,902年の一般教育委員会設立に於いても重要な役割を担い、理事に就任している。
- サイモン・フレクスナー アメリカの病理学者・細菌学者。西暦1,901年、設立されたロックフェラー医学研究所の理事会に名を連ねた。フレクスナー・レポートを執筆したエイブラハム・フレクスナーの兄である。
- エイブラハム・フレクスナー サイモン・フレクスナーの弟。西暦1,908年、ヘンリー・スミス・プリチェットにより調査員へ指名され、運営されていた北米の医学部155校を全て訪問した。西暦1,910年1月4日に「フレクスナー・レポート」を発表し、医学部の155校から31校への削減、自然療法・オステオパシー・漢蘭折衷・電磁波療法・光線療法・物理医学の排除、入学要件の引き上げ等を訴えた。黒人医師は黒人患者のみを治療し白人医師に従属すべきだと考えていた。
- ジャベツ・ラマー・モンロー・キュリー ピーボディ教育基金代理人兼ジョン・フォックス・スレイター解放奴隷教育基金代理人。西暦1,901年11月、「南部教育委員会」の設立を提唱し、二つの教育基金の合併の起点となった。西暦1,902年の一般教育委員会設立を巡る二度の会談にも参加している。
- ジョン・ロックフェラー・ジュニア ジョン・ロックフェラーの息子。西暦1,902年1月15日のモリス・ケッチャム・ジェサップ邸での会談に参加し、同年2月27日には自宅を会談の場として提供した。其の席上でジョン・ロックフェラーによる1,000,000ドルの資金提供が発表され、GEBが設立された。
- モリス・ケッチャム・ジェサップ 第30代ニューヨーク商工会議所会長。西暦1,902年1月15日、自宅を「一般教育委員会」設立の為の会談の場として提供した。
- ロバート・カーティス・オグデン 南部教育委員会会長。西暦1,902年1月15日のジェサップ邸での会談、及び同年2月27日のジョン・ロックフェラー・ジュニア邸での会談の双方に参加し、一般教育委員会の設立に関わった。
- ジョージ・フォスター・ピーボディ ハンプトン大学(アメリカのバージニア州)理事。西暦1,902年の二度の会談に参加し、一般教育委員会の設立に関わった。
- ウィリアム・ヘンリー・ボールドウィン・ジュニア ロングアイランド鉄道社長兼タスキーギ大学(アメリカのアラバマ州)理事。西暦1,902年の二度の会談に参加し、一般教育委員会の設立に関わった。
- ウォレス・バトリック バプテスト派牧師。西暦1,902年1月15日のジェサップ邸での会談、及び同年2月27日の会談に参加し、一般教育委員会の設立に関わった。
- ダニエル・コイト・ギルマン アメリカ国家公務員改革連盟会長兼アメリカ東洋協会会長。西暦1,902年2月27日のジョン・ロックフェラー・ジュニア邸での会談に参加し、GEBの設立に立ち会った。
- ヘンリー・スミス・プリチェット 初代カーネギー教育振興財団理事長。西暦1,908年、AMAに対しCMEのプロジェクト全体を引き継ぐ事を申し出て、基準を満たさない医学部を排除する為にエイブラハム・フレクスナーを調査員に指名し、アメリカの医学教育を調査させた。
- ケイト・メイシー・ラッド 海運の運航委託会社経営者ジョサイア・メイシー・ジュニアの弐女。西暦1,930年、父に敬意を表して「ジョサイア・メイシー・ジュニア財団」を設立した。同財団は後に、西洋医学を教育する医学学校へ資金提供を行った。
- ウィル・キース・ケロッグ 西暦1,930年6月、「W.K.ケロッグ財団」を設立した。同財団は後に、西洋医学を教育する医学学校へ資金提供を行った。
- ヘンリー・フォード フォード・モーターの創業者。西暦1,936年1月15日、長男エドセル・フォードと共に「フォード財団」を設立した。同財団は後に、西洋医学を教育する医学学校へ資金提供を行った。本書が記録する最後の出来事である。
自然医学排除の系譜
- AMA(アメリカ医師会) 西暦1,847年5月7日、ニューヨーク・メディカル・ソサイアティによって、アメリカ各州の医師会の連合体としてイリノイ州シカゴに設立された。世界三大医学雑誌であるJAMAの発行元であり、自然医学に反対の立場を取って西洋医学を推し進めた。西暦1,897年にイリノイ州で法人化されている。
- ロックフェラー医学研究所 西暦1,901年6月13日、ジョン・ロックフェラーが設立。設計はフレデリック・テイラー・ゲイツが行い、設立と同時に理事長へ就任した。理事会にはサイモン・フレクスナーとゲイツが名を連ねた。
- 南部教育委員会 西暦1,901年11月、ジャベツ・ラマー・モンロー・キュリーの提唱により、ジョン・ロックフェラーとフレデリック・テイラー・ゲイツがピーボディ教育基金とジョン・フォックス・スレイター解放奴隷教育基金を合併させて設立した組織。翌年の一般教育委員会設立の母体となった。
- 一般教育委員会(GEB) 西暦1,902年2月27日、ジョン・ロックフェラーの1,000,000ドルの資金提供を伴って設立。名目は人種・性別・信条の区別無く全米で教育を促進する事であったが、真の狙いはアメリカの医学部で自然医学の研究を止めさせ、栄養療法・植物療法・ハーブ療法・ホリスティック医学を排除し、症状を抑えるが根本治療にはならない医薬品を押し付けて現代医学を確立する事であった。西暦1,903年1月12日にアメリカ議会に認可され法人化された。
- CME(医学教育審議会) 西暦1,904年、AMAが設立。医学部入学に必要な最低限の予備教育を定め、医学教育を解剖学と生理学の2年間の訓練と教育病院での2年間の臨床実習から成るものと定義して、アメリカの医学教育を再構築した。当時のアメリカには160の医学部が在り、28,000名以上の医学生が学んでいた。
- カーネギー教育振興財団によるCMEの引き継ぎ 西暦1,908年、初代理事長ヘンリー・スミス・プリチェットがAMAにCMEのプロジェクト全体の引き継ぎを申し出て、エイブラハム・フレクスナーを調査員に指名した。エイブラハムは北米の医学部155校を全て訪問し、大学ごとに異なるカリキュラム・評価方法・入学卒業要件の実態を調査した。
- フレクスナー・レポート 西暦1,910年1月4日発表。より高い入学・卒業基準の制定と主流科学のプロトコルの厳格な遵守、医療機関の改革と中央集権、科学研究に基づく医学以外は科学的妥当性が無いとの断定、医学部の155校から31校への削減、医学研修の前提条件の増加、研究に従事する教員の養成、病院での臨床指導の医学部管理、医師免許に関する州規制の強化を訴えた報告書。自然医学排除の分水嶺となった。
- カリキュラムから外された医学 フレクスナー・レポートにより、自然療法(ホメオパシー・植物療法)、オステオパシー、漢蘭折衷、電磁波療法、光線療法、物理医学を教えていた医学部は、これらをカリキュラムから外すか、認定と資金援助の停止を言い渡された。一時は抵抗する学校も在ったが、最終的には殆どが報告書に倣って門戸を閉ざした。電気療法の専門学校も閉鎖されている。
- ジョンズ・ホプキンス大学と閉鎖された医学部 エイブラハム・フレクスナーは、ジョンズ・ホプキンス大学(アメリカのメリーランド州ボルチモア)のみを理想的な医学部とし、他の全ての医学部は同大学より劣るとした。私立の医学部は閉鎖か既存大学への編入を提言され、後に半数近くの大学が統廃合を行った。歴史的に黒人の多い医学部は、ハワード大学とメハリー医科大学以外全て閉鎖された。
- 女性入学者の後退 入学者の減少により、アメリカの大学は男性のみの入学者選抜プログラムへ戻される事となった。西暦1,833年設立の男女共学のオバーリン大学(アメリカのオハイオ州)、西暦1,861年設立の女子大であるヴァッサー大学(アメリカのニューヨーク州ダッチェス郡ポキプシー)等、女性入学者を増やし始めたばかりの矢先の出来事であった。
- ASCC(アメリカ癌制御学会) 西暦1,913年5月22日、ロックフェラー財団主導で、ハーバード大学の卒業生・教職員・理事会によって構成されるハーバードクラブによって設立された。ASCCは後に、承認された医師以外が癌を治療する事を違法とする法律を作り、本来の癌治療を違法とした上で、承認された癌治療から多額の利益を得た。
- 医学学校へ資金提供を行った三つの財団 西暦1,930年設立のジョサイア・メイシー・ジュニア財団、同年6月設立のW.K.ケロッグ財団、西暦1,936年1月15日設立のフォード財団。いずれも後に、西洋医学を教育する医学学校へ資金提供を行った。メイシー家は、後にロックフェラー家の元でスタンダード・オイル社に組み込まれる石油会社で財を成した一族である。
AMAからフレクスナー・レポート、そしてフォード財団へ──
現代西洋医学が確立される迄の全過程を一元化。
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