ロックフェラー医学研究所とピーボディ教育基金が推進した自然医学排除と西洋医学ゴリ押し一元化
シカゴのAMA本部、ロックフェラー医学研究所、モリス・ケッチャム・ジェサップ邸、ジョン・ロックフェラー・ジュニア邸、ピーボディ教育基金、南部教育委員会、一般教育委員会、CME、カーネギー教育振興財団、フレクスナー・レポート、ジョンズ・ホプキンス大学、ハワード大学、メハリー医科大学、ハーバードクラブのASCC、ジョサイア・メイシー・ジュニア財団、W.K.ケロッグ財団、フォード財団──
ニューヨーク・メディカル・ソサイアティによるAMA設立、ジョン・ロックフェラーのロックフェラー医学研究所設立、ピーボディ教育基金とジョン・フォックス・スレイター解放奴隷教育基金合併による南部教育委員会設立、ジョン・ロックフェラーの1,000,000ドル資金提供による一般教育委員会設立、AMAのCME設立、ジョン・ロックフェラーの10,000,000ドル及び32,000,000ドルの追加資金提供、ヘンリー・スミス・プリチェットのCME引継ぎとエイブラハム・フレクスナーの調査員指名、フレクスナー・レポートによるアメリカ医学部の155校から31校への削減、自然療法・オステオパシー・漢蘭折衷・電磁波療法・光線療法・物理医学の排除、歴史的黒人医学部の閉鎖、ハーバードクラブのASCC設立、ジョサイア・メイシー・ジュニア財団・W.K.ケロッグ財団・フォード財団設立迄、AMAとロックフェラー医学研究所及びピーボディ教育基金を母体とする一般教育委員会が、フレクスナー・レポートを通じて自然医学を排除し、症状を抑えるが根本治療にはならない医薬品を押し付ける現代西洋医学を確立した89年間の系譜を年月日単位で追跡した一冊。
JPY 200(税込)
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西暦1,847年5月7日、世界三大医学雑誌であるJAMAの発行元であるAMA(アメリカ医師会)が、ニューヨーク・メディカル・ソサイアティによって、アメリカ各州の医師会の連合体としてイリノイ州シカゴにて設立された。AMAは設立当初から自然医学に反対の立場を取っており、西洋医学を推し進めた。西暦1,897年、AMAはイリノイ州で法人化された。本書は、此のAMAの設立から、ジョン・ロックフェラーによるロックフェラー医学研究所設立、ピーボディ教育基金とジョン・フォックス・スレイター解放奴隷教育基金の合併による南部教育委員会設立、ジョン・ロックフェラーの資金提供による一般教育委員会設立、AMAのCME設立、フレクスナー・レポートによるアメリカ医学部の大量閉鎖と自然医学の排除、ハーバードクラブによるASCC設立、ジョサイア・メイシー・ジュニア財団・W.K.ケロッグ財団・フォード財団の設立迄、89年間に亘る系譜を、一本の時系列に貫き、一元化した一冊である。
西暦1,901年6月13日、ジョン・ロックフェラーが「ロックフェラー医学研究所」を設立した。研究所の設計はフレデリック・テイラー・ゲイツが行い、設立と同時に理事長に就任した。理事会にはアメリカの病理学者・細菌学者であるサイモン・フレクスナー、ゲイツが名を連ねていた。同年11月、ピーボディ教育基金代理人兼ジョン・フォックス・スレイター解放奴隷教育基金代理人ジャベツ・ラマー・モンロー・キュリーが「南部教育委員会」設立を提唱し、ジョン・ロックフェラーとフレデリック・テイラー・ゲイツにより、ピーボディ教育基金とジョン・フォックス・スレイター解放奴隷教育基金が合併され、南部教育委員会が設立された。西暦1,902年1月15日、第30代ニューヨーク商工会議所会長モリス・ケッチャム・ジェサップの自宅にて、ジョン・ロックフェラー・ジュニア、南部教育委員会会長ロバート・カーティス・オグデン、ハンプトン大学(アメリカのバージニア州)理事ジョージ・フォスター・ピーボディ、ジャベツ・ラマー・モンロー・キュリー、ロングアイランド鉄道社長兼タスキーギ大学(アメリカのアラバマ州)理事ウィリアム・ヘンリー・ボールドウィン・ジュニア、バプテスト派牧師ウォレス・バトリックが集まり「一般教育委員会」設立の為の会談が持たれた。
西暦1,902年2月27日、ジョン・ロックフェラー・ジュニアの自宅に、ロバート・カーティス・オグデン、ジョージ・フォスター・ピーボディ、ジャベツ・ラマー・モンロー・キュリー、ウィリアム・ヘンリー・ボールドウィン・ジュニア、ウォレス・バトリック、アメリカ国家公務員改革連盟会長兼アメリカ東洋協会会長ダニエル・コイト・ギルマン、イギリスの月刊誌レビュー・オブ・レビューズのアメリカ版編集長アルバート・ショー、ニューヨークの出版社ダブルデイ及びペイジ&カンパニーのパートナー兼副社長ウォルター・ハインズ・ページ、ニューヨークの民主党政治家エドワード・モース・シェパードが集まり会談が持たれた。会談終了間際にジョン・ロックフェラーの1,000,000ドルの資金提供が発表され、人種・性別・信条の区別無く全米で教育を促進する事を名目に、GEB(一般教育委員会)が設立された。此の設立に於いて重要な役割を担ったフレデリック・テイラー・ゲイツは、理事に就任した。しかし真の狙いはアメリカの医学部で自然医学の研究を止めさせ、栄養療法・植物療法・ハーブ療法・ホリスティック医学を排除し、病気や障害の症状を抑えるが根本的な治療にはならない医薬品を押し付け、現代医学を確立する事であった。西暦1,903年1月12日、一般教育委員会はアメリカ議会に認可され、法人化された。
西暦1,904年、AMAがCME(医学教育審議会)を設立し、①医学部入学に必要な最低限の予備教育を定める、②医学教育とは、解剖学と生理学の2年間のトレーニングと、教育病院での2年間の臨床実習から成るものと定義する、の2点を実行してアメリカの医学教育の再構築し、医学生の質の向上に努め、優秀な学生を医学部に引き入れる事を企図した。当時アメリカの医学部の数は160、28,000名以上の医学生が学んでいた。西暦1,905年6月30日、ジョン・ロックフェラーが一般教育委員会に10,000,000ドルの資金提供を行った。西暦1,907年、ジョン・ロックフェラーが一般教育委員会に32,000,000ドルの資金提供を行った。西暦1,908年、初代カーネギー教育振興財団理事長ヘンリー・スミス・プリチェットがAMAに対し、CMEのプロジェクト全体を引き継ぐ事を申し出て、基準を満たさないアメリカの医学部を排除する為に、サイモン・フレクスナーの弟エイブラハム・フレクスナーを調査員に指名し、アメリカの医学教育を調査させた。エイブラハムは運営されていた北米の医学部155校を全て訪問したが、カリキュラム、評価方法、入学・卒業要件は大学によって異なっていた。
西暦1,910年1月4日、エイブラハム・フレクスナーが「フレクスナー・レポート」を発表した。レポートは、①アメリカの医学部に対し、より高い入学・卒業基準を制定し、教育や研究において主流科学のプロトコルを厳格に遵守する、②医療機関の改革と中央集権が必要である、③科学研究に基づく医学以外は科学的妥当性が無く、病気の予防と治療の為のワクチン等の治療を行わない医学は藪医者同然である、④アメリカは医学部・医師が過剰であるので、155校から31校に医学部を減らし、訓練が不十分な医師を減らす、⑤医学研修に入る為の前提条件を増やす、⑥科学的な診療を行う医師を養成し、医学部教員を研究に従事させる、⑦病院での臨床指導を医学部が管理できるようにする、⑧医師免許に関する州の規制を強化する、を訴えた。自然療法(ホメオパシー・植物療法)・オステオパシー・漢蘭折衷・電磁波療法・光線療法・物理医学の分野を教えていた医学部は、此れ等のコースをカリキュラムから外すか、認定と資金援助の停止を言い渡された。一時は抵抗する学校も在ったが、最終的にはほとんどが報告書に倣い門戸を閉ざした。
フレクスナーはジョンズ・ホプキンス大学(アメリカのメリーランド州ボルチモア)を「小さいながらも理想的な医学部であり、イギリス・フランス・ドイツの医学教育の最良の特徴をアメリカの事情に合わせ、斬新な方法で体現している」とし、他の全ての医学部は同大学より劣っているとした。アメリカの医学部の多くは、フレクスナーの求めた水準に達しておらず、私立の医学部は閉鎖するか、既存の大学に編入する事を提言した。独立した医学部は学生側の金銭的負担を大きくせざるを得ない為である。後に半数近くの大学が統廃合を行った。歴史的に黒人の多い医学部がハワード大学(アメリカのワシントンD.C.)、メハリー医科大学(アメリカのテネシー州ナッシュビル)以外全て閉鎖された。フレクスナーは黒人医師は、黒人患者のみを治療し白人医師に従属すべきであると考えていた。アメリカの大学は入学者の減少の為、男性のみの入学者選抜プログラムに戻される事となった。西暦1,833年設立の男女共学のオバーリン大学(アメリカのオハイオ州)、西暦1,861年設立の女子大であるヴァッサー大学(アメリカのニューヨーク州ダッチェス郡ポキプシー)等、女性入学者を増やし始めたばかりであった。更には、電気療法の専門学校も閉鎖された。フレクスナーは高校卒業資格と少なくとも2年間の基礎科学を中心とした大学での学習が必要だと考えていた。当時此れを満たしていたのは16/155校だけであったが、西暦1,920年にはアメリカの医学部の92%が志願者に此れを課す様になった。又、医学教育の期間を4年とし、其の内容も西暦1,905年にCMEが合意したものにすべきだと主張した。フレクスナーは既存の医学部教授達の反対にも拘らず、慈善事業以外の全ての診療を禁じられる臨床専門の教授を配置する事を長年に渡って追及した。此の当時、アメリカの医学部の多くは、少数の地元の医師が所有し非常勤で教える、大学に於ける組織内組織であり営利団体であった。医学部の学位は、通常2年間の勉強で授与され、実験や解剖は任意であった。州政府による医療従事者の規制は緩く、人体生理学の科学的理解に大きな差があった。
西暦1,913年5月22日、ロックフェラー財団主導で、ハーバード大学の卒業生・教職員・理事会によって構成されるニューヨークに所在するメンバーシップであるハーバードクラブによって、ASCC(アメリカ癌制御学会)が設立された。ASCCは後に、承認された医師以外が癌を治療する事を違法とする法律を作り、本来の癌治療を違法とし、承認された癌治療から多額の利益を得た。西暦1,930年、海運の運航委託会社経営者ジョサイア・メイシー・ジュニアの弐女ケイト・メイシー・ラッドが父に敬意を表し「ジョサイア・メイシー・ジュニア財団」を設立した。メイシー家は後にロックフェラー家の元でスタンダード・オイル社に組み込まれる事となる石油会社で財を成しており、ジョサイア・メイシー・ジュニア財団も後に西洋医学を教育する医学学校に資金提供を行った。同年6月、ウィル・キース・ケロッグが「W.K.ケロッグ財団」を設立した。W.K.ケロッグ財団も後に西洋医学を教育する医学学校に資金提供を行った。
西暦1,936年1月15日、フォード・モーターの創業者ヘンリー・フォードとヘンリー・フォードの長男エドセル・フォードにより「フォード財団」が設立された。フォード財団も後に西洋医学を教育する医学学校に資金提供を行った。本書は、此の89年に亘る、ニューヨーク・メディカル・ソサイアティによるAMA設立から、ジョン・ロックフェラーのロックフェラー医学研究所設立、ピーボディ教育基金とジョン・フォックス・スレイター解放奴隷教育基金の合併による南部教育委員会設立、ジョン・ロックフェラー・ジュニア邸でのGEB設立、AMAのCME設立、ジョン・ロックフェラーの累計43,000,000ドルの一般教育委員会への資金提供、ヘンリー・スミス・プリチェットのCME引継ぎとエイブラハム・フレクスナーの調査員指名、フレクスナー・レポートによるアメリカ医学部の155校から31校への削減と自然療法・オステオパシー・漢蘭折衷・電磁波療法・光線療法・物理医学の排除、ハーバードクラブのASCC設立、ジョサイア・メイシー・ジュニア財団・W.K.ケロッグ財団・フォード財団設立迄、AMAとロックフェラー医学研究所及びピーボディ教育基金を母体とする一般教育委員会が、フレクスナー・レポートを通じて自然医学を排除し、症状を抑えるが根本的な治療にはならない医薬品を押し付ける現代西洋医学を確立した系譜の全過程を、年月日単位で記録した年表である。
登場人物
- ジョン・ロックフェラー 西暦1,901年6月13日に「ロックフェラー医学研究所」を設立。西暦1,901年11月にはフレデリック・テイラー・ゲイツと共にピーボディ教育基金とジョン・フォックス・スレイター解放奴隷教育基金を合併させ南部教育委員会を設立。西暦1,902年2月27日のGEB設立では1,000,000ドルの資金提供を発表し、西暦1,905年6月30日に10,000,000ドル、西暦1,907年に32,000,000ドルの追加資金提供を行った。アメリカの医学部で自然医学の研究を止めさせ、栄養療法・植物療法・ハーブ療法・ホリスティック医学を排除し、症状を抑えるが根本的な治療にはならない医薬品を押し付ける現代医学を確立する事を狙った。
- フレデリック・テイラー・ゲイツ 西暦1,901年6月13日に設立されたロックフェラー医学研究所の設計を行い、理事長に就任。西暦1,901年11月にはジョン・ロックフェラーと共にピーボディ教育基金とジョン・フォックス・スレイター解放奴隷教育基金を合併させ南部教育委員会を設立。西暦1,902年2月27日のGEB設立に於いて重要な役割を担い、理事に就任した。
- サイモン・フレクスナー アメリカの病理学者・細菌学者。西暦1,901年6月13日設立のロックフェラー医学研究所の理事会に名を連ねていた。エイブラハム・フレクスナーの兄。
- エイブラハム・フレクスナー サイモン・フレクスナーの弟。西暦1,908年、初代カーネギー教育振興財団理事長ヘンリー・スミス・プリチェットによりCMEプロジェクトの調査員に指名され、北米の医学部155校を全て訪問してアメリカの医学教育を調査した。西暦1,910年1月4日に「フレクスナー・レポート」を発表し、アメリカの医学部を155校から31校に減らす事、自然療法・オステオパシー・漢蘭折衷・電磁波療法・光線療法・物理医学の排除、ジョンズ・ホプキンス大学を理想的な医学部として他の全ての医学部を劣っているとする評価、私立医学部の閉鎖又は既存大学への編入、歴史的黒人医学部のハワード大学とメハリー医科大学以外の全閉鎖、女性入学者を増やし始めた大学の男性のみの選抜プログラムへの逆行等を訴え、医学教育の期間を4年とし、慈善事業以外の全ての診療を禁じられる臨床専門の教授を配置する事を長年に渡って追及した。黒人医師は黒人患者のみを治療し白人医師に従属すべきであると考えていた。
- ジャベツ・ラマー・モンロー・キュリー ピーボディ教育基金代理人兼ジョン・フォックス・スレイター解放奴隷教育基金代理人。西暦1,901年11月に「南部教育委員会」設立を提唱し、ジョン・ロックフェラーとフレデリック・テイラー・ゲイツによる両基金の合併と南部教育委員会設立を実現させた。西暦1,902年1月15日のモリス・ケッチャム・ジェサップ邸での会談と、同年2月27日のジョン・ロックフェラー・ジュニア邸でのGEB設立会談にも参加した。
- ジョン・ロックフェラー・ジュニア ジョン・ロックフェラーの息子。西暦1,902年1月15日のモリス・ケッチャム・ジェサップ邸での「一般教育委員会」設立の為の会談に参加。同年2月27日、自身の自宅にてGEB設立の会談を主催し、会談終了間際に父ジョン・ロックフェラーの1,000,000ドルの資金提供を発表した。
- モリス・ケッチャム・ジェサップ 第30代ニューヨーク商工会議所会長。西暦1,902年1月15日、自身の自宅にて「一般教育委員会」設立の為の会談の場を提供した。
- ロバート・カーティス・オグデン 南部教育委員会会長。西暦1,902年1月15日のモリス・ケッチャム・ジェサップ邸での会談と、同年2月27日のジョン・ロックフェラー・ジュニア邸でのGEB設立会談に参加した。
- ジョージ・フォスター・ピーボディ ハンプトン大学(アメリカのバージニア州)理事。西暦1,902年1月15日のモリス・ケッチャム・ジェサップ邸での会談と、同年2月27日のジョン・ロックフェラー・ジュニア邸でのGEB設立会談に参加した。
- ウィリアム・ヘンリー・ボールドウィン・ジュニア ロングアイランド鉄道社長兼タスキーギ大学(アメリカのアラバマ州)理事。西暦1,902年1月15日のモリス・ケッチャム・ジェサップ邸での会談と、同年2月27日のジョン・ロックフェラー・ジュニア邸でのGEB設立会談に参加した。
- ウォレス・バトリック バプテスト派牧師。西暦1,902年1月15日のモリス・ケッチャム・ジェサップ邸での会談と、同年2月27日のジョン・ロックフェラー・ジュニア邸でのGEB設立会談に参加した。
- ダニエル・コイト・ギルマン アメリカ国家公務員改革連盟会長兼アメリカ東洋協会会長。西暦1,902年2月27日のジョン・ロックフェラー・ジュニア邸でのGEB設立会談に参加した。
- アルバート・ショー イギリスの月刊誌レビュー・オブ・レビューズのアメリカ版編集長。西暦1,902年2月27日のジョン・ロックフェラー・ジュニア邸でのGEB設立会談に参加した。
- ウォルター・ハインズ・ページ ニューヨークの出版社ダブルデイ及びペイジ&カンパニーのパートナー兼副社長。西暦1,902年2月27日のジョン・ロックフェラー・ジュニア邸でのGEB設立会談に参加した。
- エドワード・モース・シェパード ニューヨークの民主党政治家。西暦1,902年2月27日のジョン・ロックフェラー・ジュニア邸でのGEB設立会談に参加した。
- ヘンリー・スミス・プリチェット 初代カーネギー教育振興財団理事長。西暦1,908年、AMAに対しCMEのプロジェクト全体を引き継ぐ事を申し出て、基準を満たさないアメリカの医学部を排除する為に、サイモン・フレクスナーの弟エイブラハム・フレクスナーを調査員に指名し、アメリカの医学教育を調査させた。
- ジョサイア・メイシー・ジュニア 海運の運航委託会社経営者。弐女ケイト・メイシー・ラッドが、西暦1,930年に父に敬意を表し「ジョサイア・メイシー・ジュニア財団」を設立した。メイシー家は後にロックフェラー家の元でスタンダード・オイル社に組み込まれる事となる石油会社で財を成した。
- ケイト・メイシー・ラッド ジョサイア・メイシー・ジュニアの弐女。西暦1,930年、父に敬意を表し「ジョサイア・メイシー・ジュニア財団」を設立した。同財団は後に西洋医学を教育する医学学校に資金提供を行った。
- ウィル・キース・ケロッグ 西暦1,930年6月、「W.K.ケロッグ財団」を設立した。同財団は後に西洋医学を教育する医学学校に資金提供を行った。
- ヘンリー・フォード フォード・モーターの創業者。西暦1,936年1月15日、長男エドセル・フォードと共に「フォード財団」を設立した。同財団は後に西洋医学を教育する医学学校に資金提供を行った。
- エドセル・フォード ヘンリー・フォードの長男。西暦1,936年1月15日、父ヘンリー・フォードと共に「フォード財団」を設立した。
主要な概念・組織
- AMA(アメリカ医師会) 世界三大医学雑誌であるJAMAの発行元。西暦1,847年5月7日、ニューヨーク・メディカル・ソサイアティによって、アメリカ各州の医師会の連合体としてイリノイ州シカゴにて設立された。設立当初から自然医学に反対の立場を取っており、西洋医学を推し進めた。西暦1,897年にイリノイ州で法人化。西暦1,904年にCME(医学教育審議会)を設立し、アメリカの医学教育の再構築を企図した。西暦1,908年、初代カーネギー教育振興財団理事長ヘンリー・スミス・プリチェットからCMEのプロジェクト全体の引き継ぎを申し出られた。
- ロックフェラー医学研究所 西暦1,901年6月13日、ジョン・ロックフェラーが設立した医学研究所。研究所の設計はフレデリック・テイラー・ゲイツが行い、設立と同時に理事長に就任した。理事会にはアメリカの病理学者・細菌学者であるサイモン・フレクスナー、ゲイツが名を連ねていた。
- ピーボディ教育基金 ジャベツ・ラマー・モンロー・キュリーが代理人を務めていた教育基金。西暦1,901年11月、ジョン・ロックフェラーとフレデリック・テイラー・ゲイツにより、ジョン・フォックス・スレイター解放奴隷教育基金と合併され、南部教育委員会の母体となった。
- ジョン・フォックス・スレイター解放奴隷教育基金 ジャベツ・ラマー・モンロー・キュリーが代理人を務めていた教育基金。西暦1,901年11月、ジョン・ロックフェラーとフレデリック・テイラー・ゲイツにより、ピーボディ教育基金と合併され、南部教育委員会の母体となった。
- 南部教育委員会 西暦1,901年11月、ピーボディ教育基金代理人兼ジョン・フォックス・スレイター解放奴隷教育基金代理人ジャベツ・ラマー・モンロー・キュリーの提唱により、ジョン・ロックフェラーとフレデリック・テイラー・ゲイツが両基金を合併させて設立した教育委員会。会長はロバート・カーティス・オグデンが務めた。
- 一般教育委員会(GEB) 西暦1,902年2月27日、ジョン・ロックフェラー・ジュニア邸での会談終了間際に、ジョン・ロックフェラーの1,000,000ドルの資金提供が発表され設立された教育委員会。人種・性別・信条の区別無く全米で教育を促進する事を名目としていたが、真の狙いはアメリカの医学部で自然医学の研究を止めさせ、栄養療法・植物療法・ハーブ療法・ホリスティック医学を排除し、病気や障害の症状を抑えるが根本的な治療にはならない医薬品を押し付け、現代医学を確立する事であった。設立に於いて重要な役割を担ったフレデリック・テイラー・ゲイツは理事に就任。西暦1,903年1月12日にアメリカ議会に認可され、法人化された。西暦1,905年6月30日にジョン・ロックフェラーから10,000,000ドル、西暦1,907年に32,000,000ドルの追加資金提供を受けた。
- CME(医学教育審議会) 西暦1,904年、AMAが設立した医学教育の審議機関。①医学部入学に必要な最低限の予備教育を定める、②医学教育とは、解剖学と生理学の2年間のトレーニングと、教育病院での2年間の臨床実習から成るものと定義する、の2点を実行してアメリカの医学教育の再構築し、医学生の質の向上に努め、優秀な学生を医学部に引き入れる事を企図した。西暦1,908年、初代カーネギー教育振興財団理事長ヘンリー・スミス・プリチェットによりプロジェクト全体が引き継がれた。
- カーネギー教育振興財団 アンドリュー・カーネギーが設立した教育財団。西暦1,908年、初代理事長ヘンリー・スミス・プリチェットがAMAに対し、CMEのプロジェクト全体を引き継ぐ事を申し出て、基準を満たさないアメリカの医学部を排除する為に、サイモン・フレクスナーの弟エイブラハム・フレクスナーを調査員に指名し、アメリカの医学教育を調査させた。
- フレクスナー・レポート 西暦1,910年1月4日、エイブラハム・フレクスナーが発表した報告書。アメリカの医学部に対しより高い入学・卒業基準を制定する事、医療機関の改革と中央集権、科学研究に基づく医学以外の科学的妥当性の否定、アメリカは医学部・医師が過剰であるので155校から31校に医学部を減らす事、医学研修に入る為の前提条件を増やす事、科学的な診療を行う医師の養成と医学部教員の研究従事、病院での臨床指導を医学部が管理できるようにする事、医師免許に関する州の規制強化を訴えた。自然療法(ホメオパシー・植物療法)・オステオパシー・漢蘭折衷・電磁波療法・光線療法・物理医学を教えていた医学部は、此れ等のコースをカリキュラムから外すか、認定と資金援助の停止を言い渡された。後に半数近くの大学が統廃合を行い、歴史的に黒人の多い医学部がハワード大学とメハリー医科大学以外全て閉鎖された。電気療法の専門学校も閉鎖された。
- ジョンズ・ホプキンス大学 アメリカのメリーランド州ボルチモアに所在する大学。エイブラハム・フレクスナーがフレクスナー・レポートで「小さいながらも理想的な医学部であり、イギリス・フランス・ドイツの医学教育の最良の特徴をアメリカの事情に合わせ、斬新な方法で体現している」とし、他の全ての医学部は同大学より劣っているとした。
- ハワード大学 アメリカのワシントンD.C.に所在する大学。歴史的に黒人の多い医学部であり、フレクスナー・レポートによる医学部閉鎖の中で、メハリー医科大学と共に閉鎖を免れた数少ない医学部の一つ。
- メハリー医科大学 アメリカのテネシー州ナッシュビルに所在する大学。歴史的に黒人の多い医学部であり、フレクスナー・レポートによる医学部閉鎖の中で、ハワード大学と共に閉鎖を免れた数少ない医学部の一つ。
- オバーリン大学 西暦1,833年設立の男女共学のアメリカのオハイオ州の大学。女性入学者を増やし始めたばかりであったが、フレクスナー・レポートによる入学者の減少の為、男性のみの入学者選抜プログラムに戻される事となった。
- ヴァッサー大学 西暦1,861年設立の女子大であるアメリカのニューヨーク州ダッチェス郡ポキプシーの大学。女性入学者を増やし始めたばかりであったが、フレクスナー・レポートによる入学者の減少の為、男性のみの入学者選抜プログラムに戻される事となった。
- ASCC(アメリカ癌制御学会) 西暦1,913年5月22日、ロックフェラー財団主導で、ハーバード大学の卒業生・教職員・理事会によって構成されるニューヨークに所在するメンバーシップであるハーバードクラブによって設立された学会。後に、承認された医師以外が癌を治療する事を違法とする法律を作り、本来の癌治療を違法とし、承認された癌治療から多額の利益を得た。
- ハーバードクラブ ハーバード大学の卒業生・教職員・理事会によって構成されるニューヨークに所在するメンバーシップ。西暦1,913年5月22日、ロックフェラー財団主導でASCC(アメリカ癌制御学会)を設立した。
- ジョサイア・メイシー・ジュニア財団 西暦1,930年、海運の運航委託会社経営者ジョサイア・メイシー・ジュニアの弐女ケイト・メイシー・ラッドが父に敬意を表し設立した財団。メイシー家は後にロックフェラー家の元でスタンダード・オイル社に組み込まれる事となる石油会社で財を成した。同財団は後に西洋医学を教育する医学学校に資金提供を行った。
- W.K.ケロッグ財団 西暦1,930年6月、ウィル・キース・ケロッグが設立した財団。後に西洋医学を教育する医学学校に資金提供を行った。
- フォード財団 西暦1,936年1月15日、フォード・モーターの創業者ヘンリー・フォードと長男エドセル・フォードにより設立された財団。後に西洋医学を教育する医学学校に資金提供を行った。
- 自然療法・植物療法・ハーブ療法・ホリスティック医学 西暦1,902年2月27日設立のGEBが、真の狙いとして排除を企図した医学分野。GEBはアメリカの医学部で自然医学の研究を止めさせ、此れ等を排除し、病気や障害の症状を抑えるが根本的な治療にはならない医薬品を押し付け、現代医学を確立する事を狙った。
- オステオパシー・漢蘭折衷・電磁波療法・光線療法・物理医学 西暦1,910年1月4日発表のフレクスナー・レポートにより、自然療法(ホメオパシー・植物療法)と共に、医学部がカリキュラムから外すか、認定と資金援助の停止を言い渡された医学分野。一時は抵抗する学校も在ったが、最終的にはほとんどが報告書に倣い門戸を閉ざした。
ニューヨーク・メディカル・ソサイアティによるAMA設立とAMAのイリノイ州法人化から、ジョン・ロックフェラーのロックフェラー医学研究所設立とフレデリック・テイラー・ゲイツの理事長就任、ジャベツ・ラマー・モンロー・キュリーの提唱によるピーボディ教育基金とジョン・フォックス・スレイター解放奴隷教育基金合併と南部教育委員会設立、モリス・ケッチャム・ジェサップ邸とジョン・ロックフェラー・ジュニア邸での会談を経たGEB設立、AMAのCME設立、ジョン・ロックフェラーの累計43,000,000ドルの一般教育委員会への資金提供、ヘンリー・スミス・プリチェットのCME引継ぎとエイブラハム・フレクスナーの調査員指名、フレクスナー・レポートによるアメリカ医学部の155校から31校への削減と自然療法・オステオパシー・漢蘭折衷・電磁波療法・光線療法・物理医学の排除、ジョンズ・ホプキンス大学の理想化と歴史的黒人医学部のハワード大学とメハリー医科大学を除く全閉鎖、女性入学者を増やし始めたオバーリン大学・ヴァッサー大学の男性のみ選抜への逆行、ハーバードクラブのASCC設立、ジョサイア・メイシー・ジュニア財団・W.K.ケロッグ財団・フォード財団設立迄──
AMAとロックフェラー医学研究所及びピーボディ教育基金を母体とする一般教育委員会が、フレクスナー・レポートを通じて自然医学を排除し、症状を抑えるが根本治療にはならない医薬品を押し付ける現代西洋医学を確立した89年間の系譜を年月日単位で追跡した一冊。
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