電子書籍「ウォーレン・デラノ・ジュニア一元化」の表紙

ウォーレン・デラノ・ジュニア
一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,809年7月13日〜1,898年1月17日
ページ数
19ページ
最新更新日
西暦2,026年8月3日

広東に密輸された一箱のアヘンが、一族の礎となった──
ラッセル商会のヘッドパートナーが歩んだ89年を一元化。

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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本書について

西暦1,809年7月13日、ウォーレン・デラノ・シニアとデボラ・ペリー・チャーチの間に、ウォーレン・デラノ・ジュニアがニューベッドフォード(アメリカのマサチューセッツ州ブリストル郡)で生誕した。西暦1,824年にフェアヘイブン・アカデミーを卒業し、西暦1,826年には輸入ビジネスのトレーダーとなる。主にヨーロッパやアジアからの輸入品の仕入れ・販売・取引を担い、初期はニューヨークやボストンの港で茶・絹・陶磁器・香辛料等を扱いながら、市場価格の変動を読んで利益を上げていた。西暦1,827年4月6日に母デボラが死去し、同年8月24日、父シニアはキャサリン・ロビンズ・ライマンと再婚している。本書は、此の商人の生涯を年月日単位で一元化した記録である。

彼が身を投じる事になる会社は、既に生まれていた。西暦1,824年4月30日頃、サミュエル・ラッセルとフィリップ・アミドンがニューヨーク・イブニング・ポスト紙で「ラッセル商会」の設立を発表する。同社は絹・茶・アヘンを主な品目として成長し、西暦1,842年までに清最大のアメリカ商社となった。西暦1,833年頃、デラノ・ジュニアは清へ渡り、此のラッセル商会に入社する。直様、広東十三行怡和行の主で清最大の行商人であった伍秉鑑と知己を得て、協働で水上倉庫を建設した。密輸したトルコ産アヘンの荷下ろしと格納を行い、合法的な積荷と入れ替え、珠江デルタを遡上して広東へ輸送する——其れが此の倉庫の意図であった。デラノ・ジュニアはラッセル商会の幹部社員として広東にアヘンを密輸し、巨万の富を築いてゆく。

西暦1,839年5月18日、林則徐がラッセル商会の所有するトルコ産アヘン1,400箱を没収し、其の後アヘンは破壊された。デラノ・ジュニアを含む商人達は、林の軍隊による国外商人の倉庫の包囲と、清の使用人を排除してアヘン在庫の放棄を強要された事により、食糧不足や移動制限に苦しみ、広州に軟禁される。使用人が排除された事で、デラノ・ジュニアは自らキッチンで食事を作らなければならなくなった。だがアヘン戦争が始まると、彼はアメリカの中立性を活かし、広州沖の珠江デルタや虎門要塞周辺で、清がアクセスを制限した領海内へのイギリス船の通行を支援して通行料収入を得る。同年7月には、900tのイギリス軍艦ケンブリッジを林則徐に売却した。イギリス側が広州沖で売却を迫られた此の軍艦を安く購入して「チェサピーク」と改称し所有していたもので、売却で利益を上げると同時に清との信頼を築き、状況を打開しようとしたのである。清は之を防衛艦として利用したが、最終的にはイギリス軍に破壊された。

西暦1,841年頃、デラノ・ジュニアはアメリカの名誉領事に就任する。清寄りの態度を取り、イギリス軍による攻撃情報を伍秉鑑の家族へ警告して避難を助け、貨物の損失を防いだ。其の一方で、アヘン戦争中はラッセル商会の船をアヘン倉庫とし、清政府の管轄外である香港沖や珠江デルタに停泊させて、取り締まりの緩い清船にアヘンを引き渡す事で禁輸措置を回避し、密輸を継続する。同時に清産の茶・絹等の合法貨物のアメリカやヨーロッパへの輸出を強化して、リスク分散を図った。同年6月27日には、彼が船主を務める船が日本史に触れる。鳥島に居た筆之丞・重助・五右衛門・寅右衛門・ジョン万次郎の5名が、海亀を食糧として捕獲する為に立ち寄った船長ウィリアム・ホイットフィールド率いるアメリカの捕鯨船「ジョン・ハウランド号」の乗組員に発見され、救助されたのである。海亀のスープはアメリカ人にとって珍味であった。ジョン・ハウランド号は、ホイットフィールドと親友デラノ・ジュニアが共同で船主を務め、西暦1,620年11月21日にプリマス(現在のイギリスのデヴォン州)からプロビンスタウン(アメリカのマサチューセッツ州)に上陸したメイフラワー号の乗組員の一人ジョン・ハウランドの子孫にあたるハウランド家がオーナーを務めた船であった。飢えていた5名には、麦の粉と油、塩を入れて蒸した餅が与えられた。

西暦1,843年、デラノ・ジュニアはラッセル商会のヘッドパートナーに就任する。アヘン貿易を再開させ、アヘン戦争後の混乱の中で最大の利益を上げ、巨額の富を築いた。同年1月には、義母と同名のキャサリン・ロビンズ・ライマンと結婚している。西暦1,846年にアメリカへ帰国し、其の後は家族を作り、株式投資により安泰な生活を送った。度々、フェアヘイブンで暮らしていたジョン万次郎の下を訪れてもいる。西暦1,850年頃には、弟フランクリン・デラノ、ペンシルベニア州下院議員を務めたエイサ・パッカーと共に土地会社を率いて数千エーカーの土地を購入し、アメリカのペンシルベニア州に自らの名を冠した町(現在のアメリカのペンシルベニア州スクーカル郡デラノ)を設立した。同年、リバーサイド墓地(アメリカのマサチューセッツ州フェアヘイブン)に「デラノ家墓所」を設立する。西暦1,851年にはバルムビル(アメリカのニューヨーク州オレンジ郡ニューバーグ)に約0.24㎢の土地を購入して邸宅を建設し、之を「アルゴナック」と命名した。西暦1,855年頃からは、フランクリン・ヒューズ・デラノ、リーハイ・バレー鉄道創業者アサ・パッカーと共に不動産会社「デラノ・ランド・カンパニー」を経営し始める。鉄道拡張と炭鉱開発を目的とした会社であり、元々はデラノ・ジュニア、フレデリック・エイドリアン・デラノ、ヒューズ・デラノ、エドワード・デラノの4名が設立したものであった。

西暦1,857年8月11日、ニューヨーク最古の小麦粉・穀物会社であるN・H・ウォルフ・アンド・カンパニーが破綻する。投資家の信用が揺らぎ、市場の緩やかな下落が同月下旬まで続き、之に端を発して世界恐慌が起こった。デラノ・ジュニアの所有株は暴落し、大損する。此の恐慌が契機となり、西暦1,859年、彼は広東へ単身赴任してラッセル商会に復帰し、其の後香港で失った財産を取り戻した。後に発生した南北戦争では、イギリス東インド会社がインドのガンジス川平原で栽培・生産したアヘンを出荷している。負傷兵の痛み止めであるモルヒネの原料として両軍に供給されたが、依存に発展したり、快楽用途にシフトしたケースも有った。北軍にはデラノ・ジュニア等の商人を通じてアメリカ陸軍省医務局にインド産等のアヘンが供給され、約10,000,000錠のアヘン錠剤と約79.4tのアヘン粉末・チンキ剤が消費された。銃創や切断手術後の痛み止めとして不可欠だったのである。一方の南軍は、北軍の海上封鎖により輸入が制限され、アヘンやモルヒネは戦争禁制品扱いとなり、密輸・北軍からの奪取・国内での芥子栽培で対応したが不足気味であった。南部全体の経済・社会的崩壊と、其れに伴う精神的・身体的苦痛により、南軍兵士の中毒率は北軍より高かったという。

西暦1,862年、デラノ・ジュニアは妻キャサリン・ロビンズ・ライマンと、ルイーザ・チャーチ・デラノ、デボラ・ペリー・デラノ、アン・ライマン・デラノ、ウォーレン・デラノ4世、サラ・アン・デラノ、フィリップ・デラノ、キャサリン・ロビンズ・デラノの7名の子供を、滞在先の広東へ呼び寄せた。西暦1,865年頃には、銅鉱山を運営するユニオン鉱業会社の取締役、炭鉱会社であるデラノ石炭会社の社長、石炭採掘会社であるヴィントン炭鉱会社の取締役会長という要職に就く。デラノ石炭会社はグレイストン・コークス工場を買収・運営して石炭採掘とコークス生産を主業とし、ヴィントン炭鉱会社は之と連携して運営された。西暦1,896年2月10日に妻キャサリンが死去し、西暦1,898年1月17日、ウォーレン・デラノ・ジュニアは気管支肺炎により、自ら建てたアルゴナックにて死去する。遺体は、自ら設立したデラノ家墓所に埋葬された。アヘンの密輸から始まり、鉄道・土地・炭鉱へと形を変えて受け継がれた富の全過程を、本書は一冊に束ねている。


登場人物

  • ウォーレン・デラノ・ジュニア 本書の中心人物。西暦1,809年7月13日にニューベッドフォード(アメリカのマサチューセッツ州ブリストル郡)で生誕。西暦1,833年頃に清へ渡ってラッセル商会に入社し、幹部社員として広東にアヘンを密輸して巨万の富を築いた。西暦1,843年にヘッドパートナーへ就任してアヘン貿易を再開し、アヘン戦争後の混乱の中で最大の利益を上げる。西暦1,898年1月17日、気管支肺炎によりアルゴナックにて死去し、デラノ家墓所に埋葬された。
  • ウォーレン・デラノ・シニア ウォーレン・デラノ・ジュニアの父。西暦1,827年4月6日に妻デボラ・ペリー・チャーチを亡くし、同年8月24日にキャサリン・ロビンズ・ライマンと再婚した。デラノ・ランド・カンパニーを設立した弐男フレデリック・エイドリアン・デラノ、参男フランクリン・ヒューズ・デラノ、四男エドワード・デラノの父でもある。
  • デボラ・ペリー・チャーチ ウォーレン・デラノ・ジュニアの母。西暦1,827年4月6日に死去した。
  • キャサリン・ロビンズ・ライマン 西暦1,843年1月にウォーレン・デラノ・ジュニアと結婚した妻。西暦1,862年には7名の子供と共に、滞在先の広東へ呼び寄せられた。西暦1,896年2月10日に死去している。なお、同名の女性が西暦1,827年8月24日にウォーレン・デラノ・シニアと再婚している。
  • 伍秉鑑 広東十三行怡和行の主で、清最大の行商人。西暦1,833年頃、清へ渡ったウォーレン・デラノ・ジュニアと知己を得て、協働で水上倉庫を建設した。西暦1,841年頃、アメリカの名誉領事となったデラノ・ジュニアは、イギリス軍による攻撃情報を伍秉鑑の家族へ警告し、避難を助けている。
  • 林則徐 西暦1,839年5月18日、ラッセル商会の所有するトルコ産アヘン1,400箱を没収し、破壊した。軍隊による国外商人の倉庫の包囲と清の使用人の排除により、デラノ・ジュニアを含む商人達を広州に軟禁している。同年7月には、デラノ・ジュニアから900tのイギリス軍艦ケンブリッジを購入した。
  • サミュエル・ラッセル 西暦1,824年4月30日頃、フィリップ・アミドンと共にニューヨーク・イブニング・ポスト紙で「ラッセル商会」の設立を発表した人物。同社は絹・茶・アヘンを主な品目として成長し、西暦1,842年までに清最大のアメリカ商社となった。
  • フィリップ・アミドン サミュエル・ラッセルと共にラッセル商会の設立を発表した人物。
  • ウィリアム・ホイットフィールド アメリカの捕鯨船「ジョン・ハウランド号」の船長で、ウォーレン・デラノ・ジュニアの親友。両名が共同で此の船の船主を務めた。西暦1,841年6月27日、海亀を捕獲する為に立ち寄った鳥島で、乗組員が漂流していた5名を発見し、救助した。
  • ジョン万次郎 西暦1,841年6月27日、筆之丞・重助・五右衛門・寅右衛門と共に鳥島でジョン・ハウランド号の乗組員に発見され、救助された5名の一人。飢えていた5名には、麦の粉と油、塩を入れて蒸した餅が与えられた。西暦1,846年にアメリカへ帰国したデラノ・ジュニアは、フェアヘイブンで暮らしていたジョン万次郎の下を度々訪れている。
  • ジョン・ハウランド 西暦1,620年11月21日にプリマス(現在のイギリスのデヴォン州)からプロビンスタウン(アメリカのマサチューセッツ州)に上陸したメイフラワー号の乗組員の一人。其の子孫にあたるハウランド家が、捕鯨船ジョン・ハウランド号のオーナーを務めた。
  • フランクリン・デラノ ウォーレン・デラノ・ジュニアの弟。西暦1,850年頃、デラノ・ジュニア、エイサ・パッカーと共に土地会社を率いて数千エーカーの土地を購入し、ペンシルベニア州に「ウォーレン・デラノ・ジュニア」の名を冠した町を設立した。
  • エイサ・パッカー/アサ・パッカー ペンシルベニア州下院議員を務めた人物として、西暦1,850年頃のデラノ町設立に土地会社の一員として関わった。また、リーハイ・バレー鉄道創業者として、西暦1,855年頃からデラノ・ジュニア、フランクリン・ヒューズ・デラノと共に不動産会社「デラノ・ランド・カンパニー」を経営し始めている。
  • フランクリン・ヒューズ・デラノ ウォーレン・デラノ・シニアの参男。西暦1,855年頃から、ウォーレン・デラノ・ジュニア、アサ・パッカーと共に不動産会社「デラノ・ランド・カンパニー」を経営し始めた。同社は鉄道拡張と炭鉱開発を目的としていた。
  • フレデリック・エイドリアン・デラノ ウォーレン・デラノ・シニアの弐男。デラノ・ジュニア、ヒューズ・デラノ、エドワード・デラノと共に、デラノ・ランド・カンパニーを設立した4名の一人である。
  • エドワード・デラノ ウォーレン・デラノ・シニアの四男。デラノ・ランド・カンパニーを設立した4名の一人。

主要な概念・組織

  • ラッセル商会 西暦1,824年4月30日頃、サミュエル・ラッセルとフィリップ・アミドンがニューヨーク・イブニング・ポスト紙で設立を発表した商社。絹・茶・アヘンを主な品目として成長し、西暦1,842年までに清最大のアメリカ商社となった。ウォーレン・デラノ・ジュニアは西暦1,833年頃に入社し、西暦1,843年にはヘッドパートナーへ就任している。
  • 広東十三行怡和行と水上倉庫 清最大の行商人であった伍秉鑑が主を務めた商行と、西暦1,833年頃にデラノ・ジュニアが協働で建設した倉庫。密輸したトルコ産アヘンの荷下ろしと格納を行い、合法的な積荷と入れ替え、珠江デルタを遡上して広東へ輸送する事を意図していた。
  • アヘン1,400箱の没収と広州軟禁 西暦1,839年5月18日、林則徐がラッセル商会所有のトルコ産アヘン1,400箱を没収し、破壊した出来事。林の軍隊による国外商人の倉庫の包囲と、清の使用人を排除してアヘン在庫の放棄を強要した事により、デラノ・ジュニアを含む商人達は食糧不足や移動制限に苦しみ、広州に軟禁された。使用人が排除された事で、デラノ・ジュニアは自らキッチンで食事を作らなければならなくなった。
  • アヘン戦争下の通行料収入 アヘン戦争中、デラノ・ジュニアがアメリカの中立性を活かして得た収入。広州沖の珠江デルタや虎門要塞周辺で、清がアクセスを制限した領海内へのイギリス船の通行を支援する事で通行料を得た。
  • 軍艦ケンブリッジ(チェサピーク) 900tのイギリス軍艦。広州沖で所有者が売却を迫られた際にデラノ・ジュニアが安く購入し、「チェサピーク」と改称して所有していた。西暦1,839年7月、売却で利益を上げると同時に清との信頼を築いて状況を打開しようと、林則徐へ売却する。清は防衛艦として利用したが、最終的にはイギリス軍に破壊された。
  • 名誉領事としての二重の立場 西暦1,841年頃にアメリカの名誉領事へ就任したデラノ・ジュニアの立ち位置。清寄りの態度を取って伍秉鑑の家族へ攻撃情報を警告する一方、ラッセル商会の船をアヘン倉庫として清政府の管轄外である香港沖や珠江デルタに停泊させ、取り締まりの緩い清船へアヘンを引き渡す事で禁輸措置を回避し、密輸を継続した。同時に茶・絹等の合法貨物の輸出を強化してリスク分散を図っている。
  • ジョン・ハウランド号 ウィリアム・ホイットフィールドとウォーレン・デラノ・ジュニアが共同で船主を務めたアメリカの捕鯨船。メイフラワー号の乗組員ジョン・ハウランドの子孫にあたるハウランド家がオーナーを務めた。西暦1,841年6月27日、海亀を食糧として捕獲する為に鳥島へ立ち寄った際、筆之丞・重助・五右衛門・寅右衛門・ジョン万次郎の5名を発見し、救助した。
  • デラノ町 西暦1,850年頃、ウォーレン・デラノ・ジュニア、弟フランクリン・デラノ、エイサ・パッカーの3名が土地会社を率いて数千エーカーの土地を購入し、ペンシルベニア州に設立した町。デラノ・ジュニアの名を冠しており、現在のアメリカのペンシルベニア州スクーカル郡デラノにあたる。
  • デラノ家墓所 西暦1,850年、ウォーレン・デラノ・ジュニアがリバーサイド墓地(アメリカのマサチューセッツ州フェアヘイブン)に設立した墓所。西暦1,898年1月17日に死去したデラノ・ジュニア自身も、此処に埋葬された。
  • アルゴナック 西暦1,851年、ウォーレン・デラノ・ジュニアがバルムビル(アメリカのニューヨーク州オレンジ郡ニューバーグ)に約0.24㎢の土地を購入して建設した邸宅。彼自らが命名した。西暦1,898年1月17日、デラノ・ジュニアは此の邸宅で気管支肺炎により死去している。
  • デラノ・ランド・カンパニー 鉄道拡張と炭鉱開発を目的とした不動産会社。元々はデラノ・ジュニア、フレデリック・エイドリアン・デラノ、ヒューズ・デラノ、エドワード・デラノの4名が設立した。西暦1,855年頃からは、デラノ・ジュニア、フランクリン・ヒューズ・デラノ、リーハイ・バレー鉄道創業者アサ・パッカーの3名が共同で経営し始めている。
  • 西暦1,857年の恐慌 西暦1,857年8月11日、ニューヨーク最古の小麦粉・穀物会社であるN・H・ウォルフ・アンド・カンパニーの破綻に端を発した世界恐慌。投資家の信用が揺らぎ、市場の緩やかな下落が同月下旬まで続いた。デラノ・ジュニアの所有株は暴落して大損し、之が契機となって西暦1,859年の広東単身赴任とラッセル商会復帰に繋がった。
  • 南北戦争へのアヘン供給 イギリス東インド会社がインドのガンジス川平原で栽培・生産したアヘンが、負傷兵の痛み止めであるモルヒネの原料として両軍へ供給された事。北軍にはデラノ・ジュニア等の商人を通じてアメリカ陸軍省医務局に供給され、約10,000,000錠のアヘン錠剤と約79.4tのアヘン粉末・チンキ剤が消費された。南軍は海上封鎖により輸入が制限され、密輸・北軍からの奪取・国内での芥子栽培で対応したが不足気味で、兵士の中毒率は北軍より高かった。
  • ユニオン鉱業会社 銅鉱山を運営する会社。西暦1,865年頃、ウォーレン・デラノ・ジュニアが取締役に就任した。アメリカのメリーランド州マウント・サベージ及びテネシー州で事業を展開している。
  • デラノ石炭会社 アメリカのペンシルベニア州インディアナ郡の炭鉱会社。西暦1,865年頃、ウォーレン・デラノ・ジュニアが社長に就任した。グレイストン・コークス工場を買収・運営し、石炭採掘とコークス生産を主業とした。
  • ヴィントン炭鉱会社 アメリカのペンシルベニア州の石炭採掘会社。西暦1,865年頃、ウォーレン・デラノ・ジュニアが取締役会長に就任し、デラノ石炭会社と連携して運営された。

アヘンの密輸から、鉄道・土地・炭鉱へ──
ウォーレン・デラノ・ジュニアが築いた富の全過程を一元化。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
YouTubeニコニコでも情報を発信中。