ウォーレン・デラノ・ジュニア
一元化
広東のラッセル商会、鳥島のジョン・ハウランド号、ニューバーグのアルゴナック──
清最大のアメリカ商社の幹部として広東でトルコ産アヘンを密輸し、林則徐に1,400箱を没収され、南北戦争の北軍に約10,000,000錠のインド産アヘン錠剤を供給し、ペンシルベニア州の鉄道・石炭・コークス事業を運営した男の89年間を年月日単位で追跡した一冊。
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本書について
西暦1,809年7月13日、ウォーレン・デラノ・シニアとデボラ・ペリー・チャーチの間に、ウォーレン・デラノ・ジュニアが、ニューベッドフォード(アメリカのマサチューセッツ州ブリストル郡)にて生誕した。西暦1,824年、ウォーレン・デラノ・ジュニアが、フェアヘイブン・アカデミーを卒業した。同年4月30日、サミュエル・ラッセルとフィリップ・アミドンが、ニューヨーク・イブニング・ポスト紙にて「ラッセル商会」の設立を発表した。ラッセル商会は主に絹・茶・アヘンを取り扱い成長し、西暦1,842年迄に清最大のアメリカ商社となった。西暦1,826年、ウォーレン・デラノ・ジュニアが、輸入ビジネスのトレーダーとなった。主にヨーロッパやアジアからの輸入品の仕入れ・販売・取引を担い、初期は、ニューヨークやボストンの港で、茶・絹・陶磁器・香辛料等の商品を扱い、市場価格の変動を読みながら利益を上げていた。本書は、此のニューベッドフォード生誕から、清最大のアメリカ商社ラッセル商会の幹部社員としての広東でのアヘン密輸、林則徐によるアヘン没収と広州軟禁、ジョン万次郎救助、ラッセル商会ヘッドパートナー就任、ペンシルベニア州の鉄道・石炭事業、南北戦争北軍へのアヘン供給、そして西暦1,898年1月17日のアルゴナックでの気管支肺炎による死去迄、トルコ産・インド産アヘン密輸で巨万の富を築いた男の89年間を、一本の時系列に貫き、一元化した一冊である。
西暦1,827年4月6日、デボラ・ペリー・チャーチが死去した。同年8月24日、ウォーレン・デラノ・シニアが、キャサリン・ロビンズ・ライマンと再婚した。西暦1,833年、ウォーレン・デラノ・ジュニアが、清へ渡り、ラッセル商会に入社した。直様広東十三行怡和行の主で清最大の行商人であった伍秉鑑と知己を得て、協働で水上倉庫を建設した。密輸したトルコ産アヘンの荷下ろし・格納を行い、合法的な積荷と入れ替え、珠江デルタを遡上し、広東に輸送する事を意図していた。ウォーレン・デラノ・ジュニアはラッセル商会の幹部社員として広東にアヘンを密輸し、巨万の富を築いた。
西暦1,839年5月18日、林則徐が、ラッセル商会の所有するトルコ産アヘン1,400箱を没収した。其の後、其のアヘンは破壊された。デラノ・ジュニアを含む商人達は、林の軍隊の国外商人の倉庫の包囲や、清の使用人を排除してアヘン在庫の放棄を強要した事により、食糧不足や移動制限に苦しみ、広州に軟禁された。使用人が排除された事で、デラノ・ジュニアは、自らキッチンで食事を作らなければならなくなった。アヘン戦争中デラノ・ジュニアは、アメリカの中立性を活かし、広州沖の珠江デルタや虎門要塞周辺の、イギリス船の、清がアクセス制限した領海内への通行を支援する事で通行料収入を得た。同年7月、ウォーレン・デラノ・ジュニアが、900tのイギリス軍艦ケンブリッジを林則徐に売却した。デラノ・ジュニアは、イギリス側が広州沖で此の軍艦の所有者が売却を迫られた為、安く購入し「チェサピーク」と改称し、所有していた。ケンブリッジの売却で利益を上げ、清との信頼を築く事で此の状況を打開しようとし、売却に至った。清はケンブリッジを防衛艦として利用したが、最終的にはイギリス軍に破壊された。
西暦1,841年、ウォーレン・デラノ・ジュニアが、アメリカの名誉領事に就任した。清寄りの態度を取り、イギリス軍による攻撃情報を伍秉鑑の家族に警告する事で、避難を助けたり、貨物の損失を防いだりした。又、アヘン戦争中は、ラッセル商会の船をアヘン倉庫とし、其の船を清政府の管轄外である香港沖や珠江デルタに停泊させ、取り締まりの緩い清船にアヘンを引き渡し、清側のアヘン禁輸措置を回避して密輸を継続しつつ、清産の茶・絹等の合法貨物のアメリカやヨーロッパへの輸出を強化し、リスク分散を図った。同年6月27日、鳥島に居た筆之丞・重助・五右衛門・寅右衛門・ジョン万次郎の5名が、海亀を食糧として捕獲する為に鳥島に立ち寄った、船長ウィリアム・ホイットフィールド率いるアメリカの捕鯨船「ジョン・ハウランド号」の乗組員に発見され、鳥島から救助された。海亀のスープがアメリカ人にとって珍味であった。ジョン・ハウランド号は、ホイットフィールドと親友ウォーレン・デラノ・ジュニアが共同で船主を務め、西暦1,620年11月21日にプリマス(現在のイギリスのデヴォン州)からプロビンスタウン(アメリカのマサチューセッツ州)に上陸したメイフラワー号の乗組員の一人であったジョン・ハウランドの子孫に当たるハウランド家がオーナーを務めた船であった。飢えていた5名は、麦の粉と油、塩を入れて蒸した餅を食糧として与えられた。
西暦1,843年1月、ウォーレン・デラノ・ジュニアとキャサリン・ロビンズ・ライマンが結婚した。同年、ウォーレン・デラノ・ジュニアが、ラッセル商会のヘッドパートナーに就任した。デラノ・ジュニアはアヘン貿易を再開させ、アヘン戦争後の混乱の中で最大の利益を上げ、巨額の富を築いた。西暦1,846年、ウォーレン・デラノ・ジュニアがアメリカに帰国した。其の後家族を作り、株式投資により安泰な生活を送った。度々、フェアヘイブンで暮らしていたジョン万次郎の下を訪れていた。
西暦1,850年、ウォーレン・デラノ・ジュニアと弟フランクリン・デラノ、ペンシルベニア州下院議員を務めたエイサ・パッカーの3名が土地会社を率い、数千エーカーの土地を購入し、アメリカのペンシルベニア州に「ウォーレン・デラノ・ジュニア」の名を冠した町(現在のアメリカのペンシルベニア州スクーカル郡デラノ)を設立した。同年、デラノ・ジュニアが、リバーサイド墓地(アメリカのマサチューセッツ州フェアヘイブン)に「デラノ家墓所」を設立した。西暦1,851年、デラノ・ジュニアが、バルムビル(アメリカのニューヨーク州オレンジ郡ニューバーグ)に約0.24㎢の土地を購入し、邸宅を建設した。デラノ・ジュニアは其の邸宅を「アルゴナック」と命名した。
西暦1,855年、ウォーレン・デラノ・ジュニアと、ウォーレン・デラノ・シニアの参男フランクリン・ヒューズ・デラノ、リーハイ・バレー鉄道創業者アサ・パッカーの3名が、共同で不動産会社「デラノ・ランド・カンパニー」を経営し始めた。鉄道拡張と炭鉱開発を目的としていた。此のデラノ・ランド・カンパニーは元々、デラノ・ジュニア、デラノ・シニアの弐男フレデリック・エイドリアン・デラノ、ヒューズ・デラノ、デラノ・シニアの四男エドワード・デラノの4名が設立した会社であった。西暦1,857年8月11日、ニューヨーク最古の小麦粉・穀物会社であるN・H・ウォルフ・アンド・カンパニーが破綻した。投資家の信用が揺らぎ、市場の緩やかな下落が始まり、本月下旬迄続いた。此れに端を発して世界恐慌が起こり、ウォーレン・デラノ・ジュニアの所有株は暴落し、大損した。
西暦1,859年、西暦1,857年の恐慌が契機となり、ウォーレン・デラノ・ジュニアが広東に単身赴任し、ラッセル商会に復帰した。其の後香港で失った財産を取り戻した。後に発生した南北戦争では、イギリス東インド会社がインドのガンジス川平原で栽培・生産したアヘンを出荷した。負傷兵の痛み止めの為のモルヒネの原料として両軍に供給されたが、依存に発展したり、快楽用途にシフトしたケースも有った。北軍では、デラノ・ジュニア等の商人を通じて、アメリカ陸軍省医務局にインド産等のアヘンが供給され、同局が管理した。約10,000,000錠のアヘン錠剤と約79.4tのアヘン粉末・チンキ剤が供給され、消費された。此れ等は、銃創や切断手術後の痛み止めとして不可欠であった。南軍では、南軍医療局を通じて管理・配布されたが、北軍の海上封鎖により輸入が制限され、アヘンやモルヒネは戦争禁制品扱いであった。密輸・北軍からの奪取・国内での芥子栽培で対応し、不足気味であったが、痛み止めとして使われた。南部全体の経済・社会的崩壊と、其れに伴う精神的・身体的苦痛により、南軍兵士の中毒率は北軍より高かった。
西暦1,862年、ウォーレン・デラノ・ジュニアが、妻キャサリン・ロビンズ・ライマンと、弐女ルイーザ・チャーチ・デラノ・参女デボラ・ペリー・デラノ・四女アン・ライマン・デラノ・弐男ウォーレン・デラノ4世・五女サラ・アン・デラノ・参男フィリップ・デラノ・六女キャサリン・ロビンズ・デラノを滞在先の広東に呼び寄せた。西暦1,865年、ウォーレン・デラノ・ジュニアが、銅鉱山を運営するユニオン鉱業会社(取締役、アメリカのメリーランド州マウント・サベージ及びテネシー州)、炭鉱会社であるデラノ石炭会社(社長、アメリカのペンシルベニア州インディアナ郡)、石炭採掘会社であるヴィントン炭鉱会社(取締役会長、アメリカのペンシルベニア州)の要職に就いた。グレイストン・コークス工場(アメリカのペンシルベニア州インディアナ郡)を買収・運営し、石炭採掘とコークス生産を主業とした。ヴィントン炭鉱会社はデラノ石炭会社と連携して運営された。
西暦1,896年2月10日、キャサリン・ロビンズ・ライマンが死去した。西暦1,898年1月17日、ウォーレン・デラノ・ジュニアが、気管支肺炎により、アルゴナックにて死去した。其の後デラノ・ジュニアは、デラノ家墓所に埋葬された。本書は、此の89年に亘る、トルコ産・インド産アヘン密輸で巨万の富を築き、ペンシルベニア州の鉄道・石炭・コークス事業を運営し、南北戦争北軍へのアヘン供給を担った男の全過程を、年月日単位で記録した年表である。
登場人物
- ウォーレン・デラノ・ジュニア ウォーレン・デラノ・シニアとデボラ・ペリー・チャーチの間の長男。西暦1,809年7月13日にニューベッドフォードで生誕。西暦1,824年フェアヘイブン・アカデミー卒業、西暦1,826年に輸入トレーダー、西暦1,833年に清へ渡りラッセル商会入社、伍秉鑑と協働で水上倉庫建設しトルコ産アヘンを広東に密輸。西暦1,839年5月18日に林則徐に1,400箱を没収され広州に軟禁、同年7月に900tの英軍艦ケンブリッジを林則徐に売却。西暦1,841年アメリカ名誉領事就任、同年6月27日にホイットフィールドと共同船主の捕鯨船ジョン・ハウランド号がジョン万次郎ら5名を鳥島から救助。西暦1,843年1月キャサリン・ロビンズ・ライマンと結婚、同年ラッセル商会ヘッドパートナー就任。西暦1,846年帰国、西暦1,850年ペンシルベニア州にデラノ町設立、西暦1,851年アルゴナック邸宅建設。西暦1,857年の恐慌で大損、西暦1,859年広東再赴任。南北戦争で北軍にインド産アヘンを供給。西暦1,865年ユニオン鉱業会社・デラノ石炭会社・ヴィントン炭鉱会社の要職就任。西暦1,898年1月17日に気管支肺炎によりアルゴナックで死去。
- ウォーレン・デラノ・シニア ウォーレン・デラノ・ジュニアの父。西暦1,809年7月13日にニューベッドフォードでデボラ・ペリー・チャーチとの間にデラノ・ジュニアを儲けた。西暦1,827年4月6日のデボラ死去後、同年8月24日にキャサリン・ロビンズ・ライマンと再婚した。弐男フレデリック・エイドリアン・デラノ、参男フランクリン・ヒューズ・デラノ、四男エドワード・デラノが居た。
- デボラ・ペリー・チャーチ ウォーレン・デラノ・ジュニアの母。ウォーレン・デラノ・シニアの最初の妻。西暦1,827年4月6日に死去した。
- キャサリン・ロビンズ・ライマン 西暦1,843年1月にウォーレン・デラノ・ジュニアと結婚した妻。西暦1,862年にデラノ・ジュニアの広東滞在先に、弐女ルイーザ・チャーチ・デラノ・参女デボラ・ペリー・デラノ・四女アン・ライマン・デラノ・弐男ウォーレン・デラノ4世・五女サラ・アン・デラノ・参男フィリップ・デラノ・六女キャサリン・ロビンズ・デラノと共に呼び寄せられた。西暦1,896年2月10日に死去した。
- 伍秉鑑 広東十三行怡和行の主で清最大の行商人。西暦1,833年にウォーレン・デラノ・ジュニアと知己を得て、協働で水上倉庫を建設した。密輸したトルコ産アヘンの荷下ろし・格納を行い、合法的な積荷と入れ替え、珠江デルタを遡上し、広東に輸送する事を意図していた。西暦1,841年、デラノ・ジュニアからイギリス軍による攻撃情報を家族が事前に伝えられ、避難を助けて貰った。
- 林則徐 清の官吏。西暦1,839年5月18日にラッセル商会の所有するトルコ産アヘン1,400箱を没収し、其の後破壊した。林の軍隊はデラノ・ジュニアを含む国外商人の倉庫を包囲し、清の使用人を排除してアヘン在庫の放棄を強要し、広州に軟禁した。同年7月、デラノ・ジュニアから900tのイギリス軍艦ケンブリッジを購入し防衛艦として利用したが、最終的にはイギリス軍に破壊された。
- サミュエル・ラッセル ラッセル商会創業者。西暦1,824年4月30日にフィリップ・アミドンと共にニューヨーク・イブニング・ポスト紙にて「ラッセル商会」の設立を発表した。
- フィリップ・アミドン ラッセル商会共同創業者。西暦1,824年4月30日にサミュエル・ラッセルと共にニューヨーク・イブニング・ポスト紙にて「ラッセル商会」の設立を発表した。
- ウィリアム・ホイットフィールド アメリカの捕鯨船「ジョン・ハウランド号」の船長。ウォーレン・デラノ・ジュニアの親友であり、ジョン・ハウランド号の共同船主を務めた。西暦1,841年6月27日、鳥島に立ち寄った際、筆之丞・重助・五右衛門・寅右衛門・ジョン万次郎の5名を救助した。
- ジョン万次郎 西暦1,841年6月27日に鳥島で、筆之丞・重助・五右衛門・寅右衛門と共にウィリアム・ホイットフィールド率いるジョン・ハウランド号の乗組員に発見され救助された5名の内の1名。西暦1,846年にアメリカに帰国したウォーレン・デラノ・ジュニアは、フェアヘイブンで暮らしていた万次郎の下を度々訪れていた。
- ジョン・ハウランド 西暦1,620年11月21日にプリマス(現在のイギリスのデヴォン州)からプロビンスタウン(アメリカのマサチューセッツ州)に上陸したメイフラワー号の乗組員の一人。子孫に当たるハウランド家が捕鯨船「ジョン・ハウランド号」のオーナーを務めた。
- フランクリン・デラノ ウォーレン・デラノ・ジュニアの弟。西暦1,850年に、デラノ・ジュニア及びペンシルベニア州下院議員エイサ・パッカーと共に土地会社を率い、数千エーカーの土地を購入してペンシルベニア州にデラノ町を設立した。
- エイサ・パッカー / アサ・パッカー ペンシルベニア州下院議員を務めた人物。リーハイ・バレー鉄道創業者。西暦1,850年にウォーレン・デラノ・ジュニア兄弟と共にペンシルベニア州にデラノ町を設立。西暦1,855年にはデラノ・ジュニア及びフランクリン・ヒューズ・デラノと共に不動産会社「デラノ・ランド・カンパニー」を経営し、鉄道拡張と炭鉱開発を目的とした。
- フランクリン・ヒューズ・デラノ ウォーレン・デラノ・シニアの参男。西暦1,855年にウォーレン・デラノ・ジュニア及びアサ・パッカーと共にデラノ・ランド・カンパニーを経営した。
- フレデリック・エイドリアン・デラノ ウォーレン・デラノ・シニアの弐男。デラノ・ジュニア・ヒューズ・デラノ・エドワード・デラノと共にデラノ・ランド・カンパニーを設立した4名の内の1名。
- エドワード・デラノ ウォーレン・デラノ・シニアの四男。デラノ・ジュニア・フレデリック・エイドリアン・デラノ・ヒューズ・デラノと共にデラノ・ランド・カンパニーを設立した4名の内の1名。
主要な概念・組織
- ラッセル商会 西暦1,824年4月30日にサミュエル・ラッセルとフィリップ・アミドンがニューヨーク・イブニング・ポスト紙にて設立を発表した商会。主に絹・茶・アヘンを取り扱い成長し、西暦1,842年迄に清最大のアメリカ商社となった。ウォーレン・デラノ・ジュニアは西暦1,833年に入社、幹部社員として広東でトルコ産アヘンを密輸して巨万の富を築き、西暦1,843年にヘッドパートナーに就任した。西暦1,859年には西暦1,857年の恐慌で大損したデラノ・ジュニアが広東に単身赴任して復帰した。
- 広東十三行 / 怡和行 清の広東に置かれた特権商組織が広東十三行。其の内の1つである怡和行は、清最大の行商人伍秉鑑が主であった。西暦1,833年にウォーレン・デラノ・ジュニアが伍秉鑑と協働で水上倉庫を建設し、密輸したトルコ産アヘンの荷下ろし・格納を行い、合法的な積荷と入れ替え、珠江デルタを遡上し、広東に輸送する密輸スキームを構築した。
- アヘン戦争 西暦1,839年5月18日の林則徐によるラッセル商会のトルコ産アヘン1,400箱没収を切っ掛けとした清・イギリス間の戦争。ウォーレン・デラノ・ジュニアはアメリカの中立性を活かし、広州沖の珠江デルタや虎門要塞周辺の、イギリス船の、清がアクセス制限した領海内への通行を支援する事で通行料収入を得た。同年7月にはイギリス軍艦ケンブリッジを林則徐に売却した。
- ケンブリッジ / チェサピーク 900tのイギリス軍艦。ウォーレン・デラノ・ジュニアが、イギリス側が広州沖で此の軍艦の所有者が売却を迫られた為、安く購入し「チェサピーク」と改称し所有していた。西暦1,839年7月、ケンブリッジの売却で利益を上げ、清との信頼を築く事で軟禁状況を打開しようとし、林則徐に売却した。清はケンブリッジを防衛艦として利用したが、最終的にはイギリス軍に破壊された。
- ジョン・ハウランド号 アメリカの捕鯨船。船長ウィリアム・ホイットフィールドと親友ウォーレン・デラノ・ジュニアが共同で船主を務めた。西暦1,620年11月21日にプリマスからプロビンスタウンに上陸したメイフラワー号の乗組員ジョン・ハウランドの子孫に当たるハウランド家がオーナーを務めた船であった。西暦1,841年6月27日、鳥島に立ち寄った際、筆之丞・重助・五右衛門・寅右衛門・ジョン万次郎の5名を救助した。
- アルゴナック 西暦1,851年にウォーレン・デラノ・ジュニアがバルムビル(アメリカのニューヨーク州オレンジ郡ニューバーグ)に約0.24㎢の土地を購入し建設した邸宅。西暦1,898年1月17日に気管支肺炎により死去した場所でもある。
- デラノ町 西暦1,850年にウォーレン・デラノ・ジュニア、弟フランクリン・デラノ、ペンシルベニア州下院議員エイサ・パッカーの3名が土地会社を率い、数千エーカーの土地を購入してアメリカのペンシルベニア州に設立した、「ウォーレン・デラノ・ジュニア」の名を冠した町(現在のアメリカのペンシルベニア州スクーカル郡デラノ)。
- デラノ・ランド・カンパニー 不動産会社。元々はデラノ・ジュニア、デラノ・シニアの弐男フレデリック・エイドリアン・デラノ、ヒューズ・デラノ、デラノ・シニアの四男エドワード・デラノの4名が設立した会社。西暦1,855年からはデラノ・ジュニア、フランクリン・ヒューズ・デラノ、リーハイ・バレー鉄道創業者アサ・パッカーの3名が共同経営を始めた。鉄道拡張と炭鉱開発を目的としていた。
- 西暦1,857年の恐慌 西暦1,857年8月11日にニューヨーク最古の小麦粉・穀物会社であるN・H・ウォルフ・アンド・カンパニーが破綻した事に端を発した世界恐慌。投資家の信用が揺らぎ、市場の緩やかな下落が始まり、本月下旬迄続いた。ウォーレン・デラノ・ジュニアの所有株は暴落し、大損し、其れが切っ掛けで西暦1,859年に広東への単身赴任を決断した。
- 南北戦争 アメリカの内戦。イギリス東インド会社がインドのガンジス川平原で栽培・生産したアヘンを出荷し、負傷兵の痛み止めの為のモルヒネの原料として両軍に供給された。北軍にはデラノ・ジュニア等の商人を通じてアメリカ陸軍省医務局にインド産等のアヘンが供給され、約10,000,000錠のアヘン錠剤と約79.4tのアヘン粉末・チンキ剤が供給・消費された。南軍では北軍の海上封鎖により輸入制限され、密輸・北軍からの奪取・国内での芥子栽培で対応した。南軍兵士の中毒率は北軍より高かった。
- ユニオン鉱業会社 アメリカのメリーランド州マウント・サベージ及びテネシー州で銅鉱山を運営する会社。西暦1,865年にウォーレン・デラノ・ジュニアが取締役に就任した。
- デラノ石炭会社 アメリカのペンシルベニア州インディアナ郡の炭鉱会社。西暦1,865年にウォーレン・デラノ・ジュニアが社長に就任した。グレイストン・コークス工場を買収・運営し、石炭採掘とコークス生産を主業とした。
- ヴィントン炭鉱会社 アメリカのペンシルベニア州の石炭採掘会社。西暦1,865年にウォーレン・デラノ・ジュニアが取締役会長に就任した。デラノ石炭会社と連携して運営された。
- デラノ家墓所 西暦1,850年にウォーレン・デラノ・ジュニアがリバーサイド墓地(アメリカのマサチューセッツ州フェアヘイブン)に設立した墓所。西暦1,898年1月17日のデラノ・ジュニア死去後、此処に埋葬された。
広東でのトルコ産アヘン密輸から、林則徐による1,400箱没収と広州軟禁、ケンブリッジ売却、ジョン万次郎救助、ラッセル商会ヘッドパートナー就任、ペンシルベニア州デラノ町設立、南北戦争北軍へのインド産アヘン供給、ユニオン鉱業会社・デラノ石炭会社・ヴィントン炭鉱会社の要職就任迄──
アヘン密輸で巨万の富を築いた男の89年間を年月日単位で追跡した一冊。
JPY 200(税込)
購入する →購入後、そのままPDFダウンロードページへ移動します
お支払いは決済サービス「Square」を通じて安全に処理されます。カード情報が当サイトに保存されることはありません。