三角貿易で財を成した
デイヴィッド・サスーンと
8人の息子達一元化
バグダッドの主席財務官の家系、バスラ・ブーシェフルを経由するボンベイへの逃避行、ウォール街と並ぶ国際金融の拠点・サスーン商会、清へのアヘン密売船、上海江西路と九江路の交差点、香港島、レドンホール・ストリートの銀行、リヴァプール・マンチェスターの紡績工場、香港上海銀行の発起人会、アルバート・ゲートとブライトンの邸宅、テヘランのペルシャ帝国銀行──
デイヴィッド・サスーンのシャイフ就任から、サスーン商会設立、イギリス東インド会社からのアヘン専売権獲得と清への密売、8人の息子達による上海・香港・ロンドンへの貿易網拡大、ロスチャイルド家・ギンヅブルク家との婚姻、香港上海銀行の筆頭株主就任、エドワード7世との交友、ヴィクトリアからの準男爵位叙爵迄、サスーン家による三角貿易での財閥形成と国際金融帝国構築の70年間の系譜を年月日単位で追跡した一冊。
JPY 200(税込)
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本書について
西暦1,826年、デイヴィッド・サスーンが、ユダヤの族長であるシャイフに就任した。サスーン家は代々、主席財務官とシャイフの地位を継承してきた。西暦1,829年、第9代マルムーク朝統治者ダウド・パシャによる前年から本年にかけてのユダヤ人迫害の為、デイヴィッド・サスーンは、バスラ(現在のイラク)、ブーシェフル(現在のイラン)を経由して、ボンベイ(現在のインドのマハーラーシュトラ州ムンバイ市街県)へと向かった。西暦1,832年、デイヴィッド・サスーンはボンベイに到着し「サスーン商会」を設立した。本書は、此のサスーン家のシャイフ就任とボンベイ移住から、サスーン商会の設立、イギリス東インド会社からのアヘン専売権獲得と清への密売、8人の息子達による国際貿易網の構築、ロスチャイルド家・ギンヅブルク家との婚姻による国際金融資本家ネットワークへの統合、香港上海銀行の筆頭株主就任、ヴィクトリアからの準男爵位叙爵迄、サスーン家の三角貿易による財閥形成の70年間に亘る系譜を、一本の時系列に貫き、一元化した一冊である。
西暦1,833年8月28日、イギリス東インド会社が商業活動を停止した。同社の貿易利権は、ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドとモーゼズ・モンテフィオーレが多額の補償金を支払って引き取った。更にデイヴィッド・サスーンは、同社からインド産アヘンの専売権と貿易ルートを獲得し、アヘンの輸入・生産を禁じていた清に密売して、銀を清から持ち出し莫大な利益を得た。又サスーンは紅茶の総元締めでもあり、茶葉の貿易にも関わっていた。西暦1,842年8月29日、イギリスと清の間で南京条約が結ばれ、アヘン戦争が終結した。条約は、香港の割譲、広州・厦門・福州・寧波・上海の五港の開港と各地への領事配置、戦費賠償金12,000,000ドル・没収アヘンの賠償6,000,000ドル等計21,000,000ドルの支払い、公行制度の廃止、相互の合意による関税率の協定を内容とした。
西暦1,845年12月、デイヴィッド・サスーンが、弐男イライアス・サスーンをロスチャイルド家の代理人として上海に派遣した。江西路と九江路の交差した所(現在の中国上海市黄浦区)にサスーン商会上海支店を設立した。更にイライアスは、アヘン戦争後に解放された香港島に進出し、イギリス東インド会社の貿易ルートを引き継いだ。西暦1,853年、デイヴィッド・サスーンはイギリス国籍を取得した。西暦1,858年、デイヴィッド・サスーンが、イギリスでの事業拡大を意図し、上海でサスーン商会中国支店の貿易業務を行なっていた自身の参男サスーン・デイヴィッド・サスーンをロンドンへ送った。サスーン・デイヴィッド・サスーンは、レドンホール・ストリート(イギリスのロンドンのシティ・オブ・ロンドン)に銀行を開設し、リヴァプール・マンチェスターにもサスーン商会の支店を設立し、サスーン家の貿易事業を拡大した。其の後、南北戦争中に事業が成長し、イギリス国内の紡績工場・イギリス市場への綿花の主要な供給者となった。軈て、デイヴィッド・サスーンの四男ルーベン・サスーンもイギリス事業の運営に携わる様になった。
西暦1,863年、デイヴィッド・サスーンと長男アルバート・サスーンが、労働者階級や技術者向けの教育・文化機関である非営利組織メカニックス・インスティテュートに対し、12,000ポンド以上の寄付を行った。此れによりメカニックス・インスティテュートは、「サスーン・メカニックス・インスティテュート」に改称した。西暦1,864年11月7日、デイヴィッド・サスーンが、プーナ(現在のインドのマハーラーシュトラ州プネー)にて熱病で死去した。長男アルバート・サスーンが後を継いだ。
西暦1,865年1月、ジャーディン・マセソン商会が、アヘン取引で稼いだ資金をイングランド銀行に安全に送金する事を意図し、払込資本金2,500,000ドルで「香港上海銀行」を設立した。トーマス・サザーランド・デント商会・オーガスティンハード商会・ラッセル家・サスーン商会が発起人を人選した。選ばれた発起人15名の中には、デイヴィッド・サスーンの五男でネイサン・メイヤー・ロスチャイルドの義理の兄であるアーサー・サスーン(サスーン商会)も含まれた。アーサーは同行の筆頭株主となり、清に鉄道網を張り巡らせた。又アーサーは、エドワード7世と親しくした。同年3月3日、香港上海銀行香港本店が営業を開始した。同行は、アヘン貿易商社の資金融通や、送金の請負業務を行い、実質的な香港の中央銀行として機能した。西暦1,867年、イライアス・サスーンが「E.D.サスーン&カンパニー」を設立し、サスーン商会と共にドライフルーツ・南京で製造された黄色の綿・金属・茶・絹・スパイス・樟脳の取引を開始した。同年、アルバート・サスーンは、インドの星勲章コンパニオンに任命された。
西暦1,868年、アルバート・サスーンが、ボンベイ立法評議会のメンバーとなった。西暦1,870年、エゼキエル・カドゥーリがカルカッタ(現在のインドの西ベンガル州コルカタ)のサスーン商会に入社した。西暦1,871年、第4代ガージャール朝シャーのナーセロッディーン・シャーが、アルバート・サスーンをライオン・アンド・サン勲章の会員に任命した。西暦1,872年、イライアス・サスーンがサスーン商会から独立し、上海で「新サスーン商会」を設立した。同年、アルバート・サスーンがボンベイ立法評議会のメンバーを退任、ヴィクトリアからバス勲章ナイトに叙された。西暦1,873年11月、本年イギリスを訪れたアルバート・サスーンが、ロンドンの自由民の称号を与えられた。サスーンは其の後、イギリスに定住し、アルバート・ゲート(イギリスのロンドンのシティ・オブ・ウェストミンスター)とブライトン(イギリスのサウス・イースト・イングランド)に住居を構えた。エドワード7世は頻繁にサスーンの下を訪れた。其の後サスーンは、グレートブリテンのユダヤ人コミュニティに参加し、ユダヤ慈善団体への寄付を惜しまず、ロンドンのアングロ・ユダヤ協会の副会長を務めた。
西暦1,874年、アルバート・サスーンが、ボンベイにサスーン商会の子会社「サスーン・スピニング・アンド・ウェービング・カンパニー」を設立し、綿工場を数ヶ所開設した。西暦1,875年、アルバート・サスーンがボンベイの埋立地に、廃水を完全には行わない湿式ドックを建設し、海運事業を始めた。同年、アルバート・サスーンがイギリスに移住し、ロンドンからサスーン商会を指揮し始めた。ボンベイでのサスーン商会の経営はデイヴィッド・サスーンの七男ソロモン・デイヴィッド・サスーンが継いだ。西暦1,880年3月21日、イライアス・サスーンが死去し、息子のヤコブ・サスーンが新サスーン商会を継いだ。同年5月20日、エリス・カドゥーリとエリ・カドゥーリが兄のエゼキエル・カドゥーリに請われ上海に到着し、新サスーン商会に入社した。
西暦1,884年11月13日、サスーン・デイヴィッド・サスーンの長男ジョセフ・サスーン・サスーンと、ゴラツィー・ギンヅブルクの娘ルイーズ・ド・ギンヅブルクが結婚した。此れによりギンヅブルク家も、間接的にロスチャイルド家に取り込まれた。西暦1,887年10月19日、アルバート・サスーンの長男エドワード・サスーンと、ジェームス・ド・ロスチャイルドの弐男ギュスターヴ・ド・ロスチャイルドの娘アリーヌ・キャロライン・ド・ロスチャイルドが結婚した。西暦1,889年7月1日、ナーセロッディーン・シャーがイギリスを訪問した。其の際アルバート・サスーンは、ナーセロッディーンを持て成した。同年12月、ポール・ジュリアス・ロイターが、テヘラン(現在のイラン)にイランの通貨発行権を持つ「ペルシャ帝国銀行」の最初の支店を開設し、業務を開始した。同行の設立に際し、アルバート・サスーンも協力した。西暦1,890年3月22日、アルバート・サスーンが、ヴィクトリアによって準男爵位に叙された。西暦1,896年10月24日、アルバート・サスーンが、ブライトンのイースタン・テラス1番地の自宅にて死去した。本書は、此の70年に亘る、バグダッドの主席財務官の家系から、ボンベイへの逃避行、サスーン商会の設立、清へのアヘン密売、上海・香港・ロンドンへの貿易網拡大、ロスチャイルド家・ギンヅブルク家との婚姻による国際金融資本家ネットワークへの統合、香港上海銀行の筆頭株主就任、エドワード7世との交友、ヴィクトリアからの準男爵位叙爵迄、サスーン家の三角貿易による財閥形成と国際金融帝国構築の全過程を、年月日単位で記録した年表である。
登場人物
- デイヴィッド・サスーン サスーン家の家長。代々主席財務官とシャイフの地位を継承してきた家系の出身で、西暦1,826年にユダヤの族長であるシャイフに就任した。西暦1,829年、第9代マルムーク朝統治者ダウド・パシャによるユダヤ人迫害を逃れ、バスラ・ブーシェフルを経由してボンベイに移住、西暦1,832年に「サスーン商会」を設立した。西暦1,833年8月28日のイギリス東インド会社の商業活動停止に伴い、同社からインド産アヘンの専売権と貿易ルートを獲得し、アヘンの輸入・生産を禁じていた清に密売して莫大な利益を得た。紅茶の総元締めでもあった。西暦1,845年に弐男イライアスを上海に、西暦1,858年に参男サスーン・デイヴィッドをロンドンに派遣。西暦1,853年にイギリス国籍を取得。西暦1,864年11月7日、プーナにて熱病で死去した。
- アルバート・サスーン デイヴィッド・サスーンの長男。西暦1,863年に父と共にメカニックス・インスティテュートに12,000ポンド以上を寄付。西暦1,864年11月7日の父の死後、サスーン商会を継いだ。西暦1,867年にインドの星勲章コンパニオン、西暦1,868年にボンベイ立法評議会メンバー、西暦1,871年にナーセロッディーン・シャーからライオン・アンド・サン勲章、西暦1,872年にヴィクトリアからバス勲章ナイト、西暦1,873年11月にロンドンの自由民の称号を授与された。西暦1,874年にサスーン・スピニング・アンド・ウェービング・カンパニー設立、西暦1,875年にボンベイ埋立地に湿式ドックを建設し海運事業を開始、同年イギリスに移住。西暦1,889年12月のペルシャ帝国銀行設立にも協力。西暦1,890年3月22日にヴィクトリアから準男爵位に叙された。西暦1,896年10月24日、ブライトンのイースタン・テラス1番地の自宅にて死去した。
- イライアス・サスーン デイヴィッド・サスーンの弐男。西暦1,845年12月、ロスチャイルド家の代理人として上海に派遣され、江西路と九江路の交差した所(現在の中国上海市黄浦区)にサスーン商会上海支店を設立した。アヘン戦争後に解放された香港島に進出し、イギリス東インド会社の貿易ルートを引き継いだ。西暦1,867年に「E.D.サスーン&カンパニー」を設立、ドライフルーツ・南京製造の黄色の綿・金属・茶・絹・スパイス・樟脳の取引を開始した。西暦1,872年、サスーン商会から独立し、上海で「新サスーン商会」を設立した。西暦1,880年3月21日に死去し、息子のヤコブ・サスーンが新サスーン商会を継いだ。
- サスーン・デイヴィッド・サスーン デイヴィッド・サスーンの参男。上海でサスーン商会中国支店の貿易業務を行なっていたが、西暦1,858年、イギリスでの事業拡大を意図する父によりロンドンへ送られた。レドンホール・ストリート(イギリスのロンドンのシティ・オブ・ロンドン)に銀行を開設し、リヴァプール・マンチェスターにもサスーン商会の支店を設立、サスーン家の貿易事業を拡大した。南北戦争中に事業が成長し、イギリス国内の紡績工場・イギリス市場への綿花の主要な供給者となった。長男ジョセフ・サスーン・サスーンが、ゴラツィー・ギンヅブルクの娘ルイーズ・ド・ギンヅブルクと結婚した。
- ルーベン・サスーン デイヴィッド・サスーンの四男。参男サスーン・デイヴィッド・サスーンのロンドン移住後、イギリス事業の運営に携わる様になった。
- アーサー・サスーン デイヴィッド・サスーンの五男。ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドの義理の兄。西暦1,865年1月の香港上海銀行設立時、サスーン商会代表として発起人15名の1人に選ばれた。同行の筆頭株主となり、清に鉄道網を張り巡らせた。エドワード7世と親しくした。
- ソロモン・デイヴィッド・サスーン デイヴィッド・サスーンの七男。西暦1,875年、長男アルバート・サスーンのイギリス移住後、ボンベイでのサスーン商会の経営を継いだ。
- ヤコブ・サスーン イライアス・サスーンの息子。西暦1,880年3月21日の父の死後、新サスーン商会を継いだ。
- エドワード・サスーン アルバート・サスーンの長男。西暦1,887年10月19日、ジェームス・ド・ロスチャイルドの弐男ギュスターヴ・ド・ロスチャイルドの娘アリーヌ・キャロライン・ド・ロスチャイルドと結婚した。此の婚姻により、サスーン家とロスチャイルド家が直接結ばれた。
- ジョセフ・サスーン・サスーン サスーン・デイヴィッド・サスーンの長男。西暦1,884年11月13日、ゴラツィー・ギンヅブルクの娘ルイーズ・ド・ギンヅブルクと結婚した。此の婚姻により、ギンヅブルク家も間接的にロスチャイルド家に取り込まれた。
- ネイサン・メイヤー・ロスチャイルド 初代英ロスチャイルド家当主。西暦1,833年8月28日のイギリス東インド会社の商業活動停止に伴い、モーゼズ・モンテフィオーレと共に多額の補償金を支払って同社の貿易利権を引き取った。アーサー・サスーンの義理の弟であり、サスーン家と縁戚関係を有した。
- モーゼズ・モンテフィオーレ イギリスのユダヤ人銀行家。西暦1,833年8月28日のイギリス東インド会社の商業活動停止に伴い、ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドと共に多額の補償金を支払って同社の貿易利権を引き取った。
- ジェームス・ド・ロスチャイルド パリ拠点のロスチャイルド家銀行家。ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドの弟。弐男ギュスターヴ・ド・ロスチャイルドの娘アリーヌ・キャロライン・ド・ロスチャイルドが、西暦1,887年10月19日にアルバート・サスーンの長男エドワード・サスーンと結婚した。
- ギュスターヴ・ド・ロスチャイルド ジェームス・ド・ロスチャイルドの弐男。娘アリーヌ・キャロライン・ド・ロスチャイルドが、西暦1,887年10月19日にアルバート・サスーンの長男エドワード・サスーンと結婚した。
- アリーヌ・キャロライン・ド・ロスチャイルド ギュスターヴ・ド・ロスチャイルドの娘。西暦1,887年10月19日、アルバート・サスーンの長男エドワード・サスーンと結婚した。此の婚姻により、サスーン家とロスチャイルド家が直接結ばれた。
- ゴラツィー・ギンヅブルク ギンヅブルク家の人物。娘ルイーズ・ド・ギンヅブルクが、西暦1,884年11月13日にサスーン・デイヴィッド・サスーンの長男ジョセフ・サスーン・サスーンと結婚した。
- ルイーズ・ド・ギンヅブルク ゴラツィー・ギンヅブルクの娘。西暦1,884年11月13日、サスーン・デイヴィッド・サスーンの長男ジョセフ・サスーン・サスーンと結婚した。此の婚姻により、ギンヅブルク家も間接的にロスチャイルド家に取り込まれた。
- エゼキエル・カドゥーリ カドゥーリ家の人物。西暦1,870年、カルカッタ(現在のインドの西ベンガル州コルカタ)のサスーン商会に入社した。西暦1,880年5月20日、弟のエリス・カドゥーリ・エリ・カドゥーリを上海に呼び寄せ、新サスーン商会に入社させた。
- エリス・カドゥーリ エゼキエル・カドゥーリの弟。西暦1,880年5月20日、兄に請われ上海に到着し、新サスーン商会に入社した。
- エリ・カドゥーリ エゼキエル・カドゥーリの弟。西暦1,880年5月20日、兄に請われ上海に到着し、新サスーン商会に入社した。
- ダウド・パシャ 第9代マルムーク朝統治者。西暦1,828年から1,829年にかけてユダヤ人迫害を行った。此の迫害により、デイヴィッド・サスーンがバスラ・ブーシェフルを経由してボンベイに逃避する切っ掛けとなった。
- ナーセロッディーン・シャー 第4代ガージャール朝シャー。西暦1,871年、アルバート・サスーンをライオン・アンド・サン勲章の会員に任命した。西暦1,889年7月1日、イギリスを訪問し、アルバート・サスーンに持て成された。
- エドワード7世 イギリス王。アーサー・サスーンと親しくし、西暦1,873年11月にイギリスに定住したアルバート・サスーンの下も頻繁に訪れた。
- ヴィクトリア イギリス女王。西暦1,872年にアルバート・サスーンにバス勲章ナイト、西暦1,890年3月22日に準男爵位を叙した。
- トーマス・サザーランド P&O蒸気航海会社の人物。西暦1,865年1月、ジャーディン・マセソン商会が「香港上海銀行」を設立する際、デント商会・オーガスティンハード商会・ラッセル家・サスーン商会と共に発起人を人選し、自身も発起人15名の1人に選ばれた。
- ポール・ジュリアス・ロイター 通信社ロイターの創設者。西暦1,889年12月、テヘラン(現在のイラン)にイランの通貨発行権を持つ「ペルシャ帝国銀行」の最初の支店を開設し、業務を開始した。同行の設立に際し、アルバート・サスーンも協力した。
主要な概念・組織
- シャイフ ユダヤの族長。サスーン家は代々、主席財務官とシャイフの地位を継承してきた。西暦1,826年、デイヴィッド・サスーンが此の地位に就任した。
- マルムーク朝 バグダッドを統治した王朝。第9代統治者ダウド・パシャが、西暦1,828年から1,829年にかけてユダヤ人迫害を行い、デイヴィッド・サスーンのボンベイへの逃避の契機となった。
- サスーン商会 西暦1,832年、デイヴィッド・サスーンがボンベイに到着して設立した商会。西暦1,833年8月28日のイギリス東インド会社の商業活動停止に伴い、同社からインド産アヘンの専売権と貿易ルートを獲得し、アヘンの輸入・生産を禁じていた清に密売して莫大な利益を得た。紅茶の総元締めでもあった。西暦1,845年12月に上海支店、西暦1,858年にロンドン・リヴァプール・マンチェスター支店を設立。西暦1,874年にはボンベイにサスーン・スピニング・アンド・ウェービング・カンパニーを子会社として設立した。
- イギリス東インド会社 西暦1,833年8月28日に商業活動を停止したイギリスの貿易会社。同社の貿易利権は、ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドとモーゼズ・モンテフィオーレが多額の補償金を支払って引き取った。デイヴィッド・サスーンは、同社からインド産アヘンの専売権と貿易ルートを獲得した。アヘン戦争後に解放された香港島では、イライアス・サスーンが同社の貿易ルートを引き継いだ。
- 清へのアヘン密売 デイヴィッド・サスーンが、イギリス東インド会社から獲得したインド産アヘンの専売権と貿易ルートを用いて行った、アヘンの輸入・生産を禁じていた清への密売事業。銀を清から持ち出し莫大な利益を得た。
- 南京条約 西暦1,842年8月29日に締結された、イギリスと清の間のアヘン戦争の講和条約。香港の割譲、広州・厦門・福州・寧波・上海の五港の開港と各地への領事配置、戦費賠償金12,000,000ドル・没収アヘンの賠償6,000,000ドル等計21,000,000ドルの支払い、公行制度の廃止、相互の合意による関税率の協定を内容とした。此れにより、サスーン商会は上海・香港への進出が可能となった。
- サスーン商会上海支店 西暦1,845年12月、ロスチャイルド家の代理人として上海に派遣されたデイヴィッド・サスーンの弐男イライアス・サスーンが、江西路と九江路の交差した所(現在の中国上海市黄浦区)に設立した支店。
- サスーン・メカニックス・インスティテュート 西暦1,863年、デイヴィッド・サスーンと長男アルバート・サスーンが、労働者階級や技術者向けの教育・文化機関である非営利組織メカニックス・インスティテュートに対し12,000ポンド以上の寄付を行った事を受け、改称された機関。
- 香港上海銀行 西暦1,865年1月、ジャーディン・マセソン商会が、アヘン取引で稼いだ資金をイングランド銀行に安全に送金する事を意図し、払込資本金2,500,000ドルで設立した銀行。トーマス・サザーランド・デント商会・オーガスティンハード商会・ラッセル家・サスーン商会が発起人を人選し、15名が選ばれた。デイヴィッド・サスーンの五男でネイサン・メイヤー・ロスチャイルドの義理の兄であるアーサー・サスーンが同行の筆頭株主となり、清に鉄道網を張り巡らせた。同年3月3日、香港本店が営業を開始、アヘン貿易商社の資金融通や送金の請負業務を行い、実質的な香港の中央銀行として機能した。
- E.D.サスーン&カンパニー 西暦1,867年、イライアス・サスーンが設立した会社。サスーン商会と共にドライフルーツ・南京で製造された黄色の綿・金属・茶・絹・スパイス・樟脳の取引を開始した。
- 新サスーン商会 西暦1,872年、イライアス・サスーンがサスーン商会から独立し、上海で設立した商会。西暦1,880年3月21日のイライアスの死去後、息子のヤコブ・サスーンが継いだ。同年5月20日、エリス・カドゥーリとエリ・カドゥーリが兄のエゼキエル・カドゥーリに請われ上海に到着し、入社した。
- カドゥーリ家 サスーン家と密接な関係を有した一族。西暦1,870年、エゼキエル・カドゥーリがカルカッタのサスーン商会に入社、西暦1,880年5月20日にはエリス・カドゥーリとエリ・カドゥーリが兄に請われ上海に到着し、新サスーン商会に入社した。
- サスーン・スピニング・アンド・ウェービング・カンパニー 西暦1,874年、アルバート・サスーンがボンベイに設立したサスーン商会の子会社。綿工場を数ヶ所開設した。
- サスーン家とロスチャイルド家の婚姻 西暦1,887年10月19日、アルバート・サスーンの長男エドワード・サスーンと、ジェームス・ド・ロスチャイルドの弐男ギュスターヴ・ド・ロスチャイルドの娘アリーヌ・キャロライン・ド・ロスチャイルドの結婚により実現した、両家の直接的な縁戚関係。五男アーサー・サスーンがネイサン・メイヤー・ロスチャイルドの義理の兄であった事に続く、サスーン家のロスチャイルド・ネットワークへの統合の到達点。
- サスーン家とギンヅブルク家の婚姻 西暦1,884年11月13日、サスーン・デイヴィッド・サスーンの長男ジョセフ・サスーン・サスーンと、ゴラツィー・ギンヅブルクの娘ルイーズ・ド・ギンヅブルクの結婚により実現した両家の縁戚関係。此れによりギンヅブルク家も、サスーン家を介して間接的にロスチャイルド家に取り込まれた。
- ペルシャ帝国銀行 イランの通貨発行権を持つ銀行。西暦1,889年12月、ポール・ジュリアス・ロイターが、テヘラン(現在のイラン)に最初の支店を開設し、業務を開始した。同行の設立に際し、アルバート・サスーンも協力した。
- 準男爵位 西暦1,890年3月22日、アルバート・サスーンがヴィクトリアによって叙された爵位。インドの星勲章コンパニオン(1,867年)、ライオン・アンド・サン勲章(1,871年)、バス勲章ナイト(1,872年)、ロンドンの自由民(1,873年11月)に続く、アルバート・サスーンの栄典の到達点。
バグダッドの主席財務官の家系からボンベイへの逃避行、サスーン商会の設立、清へのアヘン密売、8人の息子達による上海・香港・ロンドンへの貿易網拡大、ロスチャイルド家・ギンヅブルク家との婚姻、香港上海銀行の筆頭株主就任、エドワード7世との交友、ペルシャ帝国銀行設立、ヴィクトリアからの準男爵位叙爵迄──
サスーン家による三角貿易での財閥形成と国際金融帝国構築の70年間の系譜を年月日単位で追跡した一冊。
JPY 200(税込)
購入する →購入後、そのままPDFダウンロードページへ移動します
お支払いは決済サービス「Square」を通じて安全に処理されます。カード情報が当サイトに保存されることはありません。