三角貿易で財を成した
デイヴィッド・サスーンと
8人の息子達一元化
バグダッドを追われた一族が、アヘンと綿花で世界を結んだ──
デイヴィッド・サスーンと8人の息子達による七十年の系譜を一元化。
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本書について
西暦1,826年、デイヴィッド・サスーンがユダヤの族長であるシャイフに就任した。サスーン家は代々、主席財務官とシャイフの地位を継承してきた家系である。だが其の地位は、土地に根を張ったものではなかった。西暦1,829年、第9代マルムーク朝統治者ダウド・パシャによる前年から本年にかけてのユダヤ人迫害を受け、デイヴィッド・サスーンはバスラ(現在のイラク)、ブーシェフル(現在のイラン)を経由して、ボンベイ(現在のインドのマハーラーシュトラ州ムンバイ市街県)へと落ち延びる。そして西暦1,832年、ボンベイに到着した彼は「サスーン商会」を設立した。追われた一族が、インド洋の港町で商人として再び立ち上がったのである。本書は、此のシャイフ就任と亡命を起点として、サスーン家が三角貿易によって財を成し、国際金融の網へ組み込まれてゆく七十年を、年月日単位で一元化した記録である。
転機は西暦1,833年8月28日に訪れる。イギリス東インド会社が商業活動を停止したのだ。同社の貿易利権は、ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドとモーゼズ・モンテフィオーレの二名が多額の補償金を支払って引き取った。そして更にデイヴィッド・サスーンは、同社からインド産アヘンの専売権と貿易ルートを獲得する。アヘンの輸入・生産を禁じていた清へ、彼は其れを密売した。対価として銀が清から流れ出し、莫大な利益がサスーン商会に積み上がってゆく。サスーンはまた紅茶の総元締めでもあり、茶葉の貿易にも関わっていた。アヘン・綿花・茶——三つの品が大陸を巡る構造の中心に、一つの商会が座った。西暦1,842年8月29日、イギリスと清の間で南京条約が結ばれ、アヘン戦争が終結する。香港の割譲、広州・厦門・福州・寧波・上海の五港の開港と各地への領事配置、戦費賠償金12,000,000ドル・没収アヘンの賠償6,000,000ドル等計21,000,000ドルの支払い、公行制度の廃止、相互の合意による関税率の協定——条約が開いた港は、そのままサスーン商会の進路となった。
デイヴィッドは息子達を各地へ配していった。西暦1,845年12月、弐男イライアス・サスーンがロスチャイルド家の代理人として上海へ派遣され、江西路と九江路の交差した所(現在の中国上海市黄浦区)にサスーン商会上海支店を設立する。イライアスは更に、アヘン戦争後に解放された香港島へ進出し、イギリス東インド会社の貿易ルートを引き継いだ。西暦1,853年、デイヴィッド・サスーンはイギリス国籍を取得する。西暦1,858年には、イギリスでの事業拡大を意図し、上海でサスーン商会中国支店の貿易業務を担っていた参男サスーン・デイヴィッド・サスーンをロンドンへ送った。参男はレドンホール・ストリート(イギリスのロンドンのシティ・オブ・ロンドン)に銀行を開設し、リヴァプールとマンチェスターにも支店を設立する。南北戦争中に事業は伸び、サスーン家はイギリス国内の紡績工場とイギリス市場への綿花の主要な供給者となった。軈て四男ルーベン・サスーンもイギリス事業の運営に加わってゆく。
西暦1,863年、デイヴィッド・サスーンと長男アルバート・サスーンは、労働者階級や技術者向けの教育・文化機関である非営利組織メカニックス・インスティテュートへ12,000ポンド以上を寄付した。機関は「サスーン・メカニックス・インスティテュート」へ改称される。アヘンで得た富が、同じ土地の慈善の名へと架け替えられてゆく。そして西暦1,864年11月7日、デイヴィッド・サスーンがプーナ(現在のインドのマハーラーシュトラ州プネー)にて熱病で死去した。商会は長男アルバート・サスーンが継ぐ。
西暦1,865年1月、ジャーディン・マセソン商会が、アヘン取引で稼いだ資金をイングランド銀行へ安全に送金する事を意図し、払込資本金2,500,000ドルで「香港上海銀行」を設立した。発起人の人選に当たったのは、トーマス・サザーランド、デント商会、オーガスティンハード商会、ラッセル家、そしてサスーン商会である。選ばれた15名の中には、デイヴィッド・サスーンの五男でネイサン・メイヤー・ロスチャイルドの義理の兄であるアーサー・サスーンが名を連ねた。アーサーは同行の筆頭株主となり、清に鉄道網を張り巡らせ、エドワード7世とも親しく交わっている。同年3月3日、香港上海銀行香港本店が営業を開始した。アヘン貿易商社への資金融通と送金の請負を担い、同行は実質的な香港の中央銀行として機能してゆく。アヘンを運ぶ船と、其の代金を動かす銀行が、同じ一族の手の内で結ばれた。西暦1,867年、イライアス・サスーンは「E.D.サスーン&カンパニー」を設立し、サスーン商会と共にドライフルーツ・南京で製造された黄色の綿・金属・茶・絹・スパイス・樟脳の取引を始め、西暦1,872年には商会から独立して上海に「新サスーン商会」を構えた。
アルバート・サスーンには栄典が続いた。西暦1,867年のインドの星勲章コンパニオン、西暦1,868年のボンベイ立法評議会入り、西暦1,871年に第4代ガージャール朝シャーのナーセロッディーン・シャーから贈られたライオン・アンド・サン勲章、西暦1,872年のヴィクトリアによるバス勲章ナイト、西暦1,873年11月のロンドンの自由民の称号。彼はイギリスに定住し、アルバート・ゲート(イギリスのロンドンのシティ・オブ・ウェストミンスター)とブライトン(イギリスのサウス・イースト・イングランド)に住居を構え、エドワード7世は頻繁に其の下を訪れた。西暦1,874年にはボンベイに子会社サスーン・スピニング・アンド・ウェービング・カンパニーを設立して綿工場を数ヶ所開き、西暦1,875年には埋立地に湿式ドックを築いて海運事業を始めた後、自らはイギリスへ移り、ボンベイの経営を七男ソロモン・デイヴィッド・サスーンへ渡している。西暦1,880年3月21日にイライアスが死去して息子ヤコブ・サスーンが新サスーン商会を継ぎ、同年5月20日にはエリス・カドゥーリとエリ・カドゥーリが兄エゼキエル・カドゥーリに請われて上海に着き、同商会へ入社した。西暦1,884年11月13日、サスーン・デイヴィッド・サスーンの長男ジョセフ・サスーン・サスーンがゴラツィー・ギンヅブルクの娘ルイーズ・ド・ギンヅブルクと結婚し、ギンヅブルク家も間接的にロスチャイルド家へ取り込まれる。西暦1,887年10月19日には、アルバートの長男エドワード・サスーンが、ジェームス・ド・ロスチャイルドの弐男ギュスターヴ・ド・ロスチャイルドの娘アリーヌ・キャロライン・ド・ロスチャイルドと結婚した。西暦1,889年7月1日にはナーセロッディーン・シャーのイギリス訪問をアルバートが持て成し、同年12月にはポール・ジュリアス・ロイターがテヘラン(現在のイラン)にイランの通貨発行権を持つ「ペルシャ帝国銀行」の最初の支店を開くが、其の設立にもアルバートは協力している。西暦1,890年3月22日、アルバート・サスーンはヴィクトリアによって準男爵位に叙された。そして西暦1,896年10月24日、ブライトンのイースタン・テラス1番地の自宅にて死去する。追放された一族が、アヘンと綿花と茶を運びながら、銀行と勲章と婚姻を通じて帝国の内側へ入ってゆく七十年——本書は其の全過程を一冊に束ねている。
登場人物
- デイヴィッド・サスーン 本書の中心人物。サスーン家の家長であり、代々主席財務官とシャイフの地位を継承してきた家系の出身。西暦1,826年にユダヤの族長であるシャイフに就任した。西暦1,829年、第9代マルムーク朝統治者ダウド・パシャによるユダヤ人迫害を逃れ、バスラ・ブーシェフルを経由してボンベイへ移り、西暦1,832年に「サスーン商会」を設立する。西暦1,833年8月28日のイギリス東インド会社の商業活動停止に伴い、同社からインド産アヘンの専売権と貿易ルートを獲得し、アヘンの輸入・生産を禁じていた清へ密売して莫大な利益を得た。紅茶の総元締めでもあった。西暦1,845年に弐男イライアスを上海へ、西暦1,858年に参男サスーン・デイヴィッドをロンドンへ派遣し、西暦1,853年にはイギリス国籍を取得している。西暦1,864年11月7日、プーナにて熱病で死去した。
- アルバート・サスーン デイヴィッド・サスーンの長男。西暦1,863年に父と共にメカニックス・インスティテュートへ12,000ポンド以上を寄付した。西暦1,864年11月7日の父の死後、サスーン商会を継ぐ。西暦1,867年にインドの星勲章コンパニオン、西暦1,868年にボンベイ立法評議会メンバー、西暦1,871年にナーセロッディーン・シャーからライオン・アンド・サン勲章、西暦1,872年にヴィクトリアからバス勲章ナイト、西暦1,873年11月にロンドンの自由民の称号を授与された。西暦1,874年にサスーン・スピニング・アンド・ウェービング・カンパニーを設立し、西暦1,875年にはボンベイの埋立地へ湿式ドックを建設して海運事業を始め、同年イギリスへ移住した。西暦1,889年12月のペルシャ帝国銀行設立にも協力している。西暦1,890年3月22日にヴィクトリアから準男爵位に叙され、西暦1,896年10月24日、ブライトンのイースタン・テラス1番地の自宅にて死去した。
- イライアス・サスーン デイヴィッド・サスーンの弐男。西暦1,845年12月、ロスチャイルド家の代理人として上海に派遣され、江西路と九江路の交差した所(現在の中国上海市黄浦区)にサスーン商会上海支店を設立した。アヘン戦争後に解放された香港島へ進出し、イギリス東インド会社の貿易ルートを引き継いでいる。西暦1,867年に「E.D.サスーン&カンパニー」を設立し、ドライフルーツ・南京で製造された黄色の綿・金属・茶・絹・スパイス・樟脳の取引を開始した。西暦1,872年にはサスーン商会から独立し、上海で「新サスーン商会」を設立する。西暦1,880年3月21日に死去し、息子のヤコブ・サスーンが新サスーン商会を継いだ。
- サスーン・デイヴィッド・サスーン デイヴィッド・サスーンの参男。上海でサスーン商会中国支店の貿易業務を担っていたが、西暦1,858年、イギリスでの事業拡大を意図する父によってロンドンへ送られた。レドンホール・ストリート(イギリスのロンドンのシティ・オブ・ロンドン)に銀行を開設し、リヴァプールとマンチェスターにもサスーン商会の支店を設立して、家の貿易事業を拡大した。南北戦争中に事業が成長し、イギリス国内の紡績工場・イギリス市場への綿花の主要な供給者となる。長男ジョセフ・サスーン・サスーンは、ゴラツィー・ギンヅブルクの娘ルイーズ・ド・ギンヅブルクと結婚した。
- ルーベン・サスーン デイヴィッド・サスーンの四男。参男サスーン・デイヴィッド・サスーンのロンドン赴任の後、イギリス事業の運営に携わる様になった。
- アーサー・サスーン デイヴィッド・サスーンの五男。ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドの義理の兄にあたる。西暦1,865年1月の香港上海銀行設立に際し、サスーン商会の代表として発起人15名の一人に選ばれた。同行の筆頭株主となり、清に鉄道網を張り巡らせている。エドワード7世とも親しく交わった。
- ソロモン・デイヴィッド・サスーン デイヴィッド・サスーンの七男。西暦1,875年、長男アルバート・サスーンのイギリス移住に伴い、ボンベイでのサスーン商会の経営を継いだ。
- ヤコブ・サスーン イライアス・サスーンの息子。西暦1,880年3月21日の父の死後、新サスーン商会を継いだ。
- エドワード・サスーン アルバート・サスーンの長男。西暦1,887年10月19日、ジェームス・ド・ロスチャイルドの弐男ギュスターヴ・ド・ロスチャイルドの娘アリーヌ・キャロライン・ド・ロスチャイルドと結婚した。此の婚姻により、サスーン家とロスチャイルド家が直接結ばれた。
- ジョセフ・サスーン・サスーン サスーン・デイヴィッド・サスーンの長男。西暦1,884年11月13日、ゴラツィー・ギンヅブルクの娘ルイーズ・ド・ギンヅブルクと結婚した。此の婚姻により、ギンヅブルク家も間接的にロスチャイルド家に取り込まれた。
- ネイサン・メイヤー・ロスチャイルド 初代英ロスチャイルド家当主。西暦1,833年8月28日のイギリス東インド会社の商業活動停止に伴い、モーゼズ・モンテフィオーレと共に多額の補償金を支払って同社の貿易利権を引き取った。アーサー・サスーンの義理の弟であり、サスーン家と縁戚関係を有した。
- モーゼズ・モンテフィオーレ イギリスのユダヤ人銀行家。西暦1,833年8月28日のイギリス東インド会社の商業活動停止に伴い、ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドと共に多額の補償金を支払って同社の貿易利権を引き取った。
- ジェームス・ド・ロスチャイルド パリを拠点としたロスチャイルド家の銀行家。ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドの弟。弐男ギュスターヴ・ド・ロスチャイルドの娘アリーヌ・キャロライン・ド・ロスチャイルドが、西暦1,887年10月19日にアルバート・サスーンの長男エドワード・サスーンと結婚した。
- ギュスターヴ・ド・ロスチャイルド ジェームス・ド・ロスチャイルドの弐男。娘アリーヌ・キャロライン・ド・ロスチャイルドが、西暦1,887年10月19日にアルバート・サスーンの長男エドワード・サスーンと結婚した。
- アリーヌ・キャロライン・ド・ロスチャイルド ギュスターヴ・ド・ロスチャイルドの娘。西暦1,887年10月19日、アルバート・サスーンの長男エドワード・サスーンと結婚した。此の婚姻により、サスーン家とロスチャイルド家が直接結ばれた。
- ゴラツィー・ギンヅブルク ギンヅブルク家の人物。娘ルイーズ・ド・ギンヅブルクが、西暦1,884年11月13日にサスーン・デイヴィッド・サスーンの長男ジョセフ・サスーン・サスーンと結婚した。
- ルイーズ・ド・ギンヅブルク ゴラツィー・ギンヅブルクの娘。西暦1,884年11月13日、サスーン・デイヴィッド・サスーンの長男ジョセフ・サスーン・サスーンと結婚した。此の婚姻により、ギンヅブルク家も間接的にロスチャイルド家に取り込まれた。
- エゼキエル・カドゥーリ カドゥーリ家の人物。西暦1,870年、カルカッタ(現在のインドの西ベンガル州コルカタ)のサスーン商会に入社した。西暦1,880年5月20日には、弟のエリス・カドゥーリとエリ・カドゥーリを上海へ呼び寄せ、新サスーン商会に入社させている。
- エリス・カドゥーリ エゼキエル・カドゥーリの弟。西暦1,880年5月20日、兄に請われて上海に到着し、新サスーン商会に入社した。
- エリ・カドゥーリ エゼキエル・カドゥーリの弟。西暦1,880年5月20日、兄に請われて上海に到着し、新サスーン商会に入社した。
- ダウド・パシャ 第9代マルムーク朝統治者。西暦1,828年から1,829年にかけてユダヤ人迫害を行った。此の迫害が、デイヴィッド・サスーンがバスラ・ブーシェフルを経由してボンベイへ逃れる切っ掛けとなった。
- ナーセロッディーン・シャー 第4代ガージャール朝シャー。西暦1,871年、アルバート・サスーンをライオン・アンド・サン勲章の会員に任命した。西暦1,889年7月1日にはイギリスを訪問し、アルバート・サスーンに持て成された。
- エドワード7世 イギリス王。アーサー・サスーンと親しくし、西暦1,873年11月にイギリスへ定住したアルバート・サスーンの下も頻繁に訪れた。
- ヴィクトリア イギリス女王。西暦1,872年にアルバート・サスーンへバス勲章ナイトを、西暦1,890年3月22日に準男爵位を叙した。
- トーマス・サザーランド P&O蒸気航海会社の人物。西暦1,865年1月、ジャーディン・マセソン商会が「香港上海銀行」を設立する際、デント商会・オーガスティンハード商会・ラッセル家・サスーン商会と共に発起人を人選し、自身も発起人15名の一人に選ばれた。
- ポール・ジュリアス・ロイター 通信社ロイターの創設者。西暦1,889年12月、テヘラン(現在のイラン)にイランの通貨発行権を持つ「ペルシャ帝国銀行」の最初の支店を開設し、業務を開始した。同行の設立に際しては、アルバート・サスーンも協力している。
主要な概念・組織
- シャイフ ユダヤの族長。サスーン家は代々、主席財務官と此の地位を継承してきた。西暦1,826年、デイヴィッド・サスーンが就任した。
- マルムーク朝 バグダッドを統治した王朝。第9代統治者ダウド・パシャが西暦1,828年から1,829年にかけてユダヤ人迫害を行い、デイヴィッド・サスーンのボンベイへの逃避の契機となった。
- サスーン商会 西暦1,832年、ボンベイに到着したデイヴィッド・サスーンが設立した商会。西暦1,833年8月28日のイギリス東インド会社の商業活動停止に伴い、同社からインド産アヘンの専売権と貿易ルートを獲得し、アヘンの輸入・生産を禁じていた清へ密売して莫大な利益を得た。紅茶の総元締めでもあった。西暦1,845年12月に上海支店、西暦1,858年にロンドン・リヴァプール・マンチェスターの支店を設立し、西暦1,874年にはボンベイにサスーン・スピニング・アンド・ウェービング・カンパニーを子会社として設立した。
- イギリス東インド会社 西暦1,833年8月28日に商業活動を停止したイギリスの貿易会社。同社の貿易利権は、ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドとモーゼズ・モンテフィオーレが多額の補償金を支払って引き取った。デイヴィッド・サスーンは同社からインド産アヘンの専売権と貿易ルートを獲得し、アヘン戦争後に解放された香港島では、イライアス・サスーンが同社の貿易ルートを引き継いだ。
- 清へのアヘン密売 デイヴィッド・サスーンが、イギリス東インド会社から獲得したインド産アヘンの専売権と貿易ルートを用いて行った、アヘンの輸入・生産を禁じていた清への密売事業。対価として銀を清から持ち出し、莫大な利益を得た。
- 南京条約 西暦1,842年8月29日に締結された、イギリスと清の間のアヘン戦争の講和条約。香港の割譲、広州・厦門・福州・寧波・上海の五港の開港と各地への領事配置、戦費賠償金12,000,000ドル・没収アヘンの賠償6,000,000ドル等計21,000,000ドルの支払い、公行制度の廃止、相互の合意による関税率の協定を内容とした。此れによりサスーン商会は上海・香港への進出が可能となった。
- サスーン商会上海支店 西暦1,845年12月、ロスチャイルド家の代理人として上海に派遣されたデイヴィッド・サスーンの弐男イライアス・サスーンが、江西路と九江路の交差した所(現在の中国上海市黄浦区)に設立した支店。
- サスーン・メカニックス・インスティテュート 西暦1,863年、デイヴィッド・サスーンと長男アルバート・サスーンが、労働者階級や技術者向けの教育・文化機関である非営利組織メカニックス・インスティテュートへ12,000ポンド以上の寄付を行った事を受けて改称された機関。
- 香港上海銀行 西暦1,865年1月、ジャーディン・マセソン商会が、アヘン取引で稼いだ資金をイングランド銀行へ安全に送金する事を意図し、払込資本金2,500,000ドルで設立した銀行。トーマス・サザーランド・デント商会・オーガスティンハード商会・ラッセル家・サスーン商会が発起人を人選し、15名が選ばれた。デイヴィッド・サスーンの五男でネイサン・メイヤー・ロスチャイルドの義理の兄であるアーサー・サスーンが筆頭株主となり、清に鉄道網を張り巡らせた。同年3月3日に香港本店が営業を開始し、アヘン貿易商社の資金融通や送金の請負業務を行い、実質的な香港の中央銀行として機能した。
- E.D.サスーン&カンパニー 西暦1,867年、イライアス・サスーンが設立した会社。サスーン商会と共に、ドライフルーツ・南京で製造された黄色の綿・金属・茶・絹・スパイス・樟脳の取引を開始した。
- 新サスーン商会 西暦1,872年、イライアス・サスーンがサスーン商会から独立し、上海で設立した商会。西暦1,880年3月21日のイライアスの死去後は、息子のヤコブ・サスーンが継いだ。同年5月20日には、エリス・カドゥーリとエリ・カドゥーリが兄のエゼキエル・カドゥーリに請われて上海に到着し、入社している。
- カドゥーリ家 サスーン家と密接な関係を有した一族。西暦1,870年にエゼキエル・カドゥーリがカルカッタのサスーン商会に入社し、西暦1,880年5月20日にはエリス・カドゥーリとエリ・カドゥーリが兄に請われて上海に到着し、新サスーン商会に入社した。
- サスーン・スピニング・アンド・ウェービング・カンパニー 西暦1,874年、アルバート・サスーンがボンベイに設立したサスーン商会の子会社。綿工場を数ヶ所開設した。
- サスーン家とロスチャイルド家の婚姻 西暦1,887年10月19日、アルバート・サスーンの長男エドワード・サスーンと、ジェームス・ド・ロスチャイルドの弐男ギュスターヴ・ド・ロスチャイルドの娘アリーヌ・キャロライン・ド・ロスチャイルドの結婚によって実現した、両家の直接的な縁戚関係。五男アーサー・サスーンがネイサン・メイヤー・ロスチャイルドの義理の兄であった事に続く、サスーン家のロスチャイルド・ネットワークへの統合の到達点。
- サスーン家とギンヅブルク家の婚姻 西暦1,884年11月13日、サスーン・デイヴィッド・サスーンの長男ジョセフ・サスーン・サスーンと、ゴラツィー・ギンヅブルクの娘ルイーズ・ド・ギンヅブルクの結婚によって実現した両家の縁戚関係。此れによりギンヅブルク家も、サスーン家を介して間接的にロスチャイルド家に取り込まれた。
- ペルシャ帝国銀行 イランの通貨発行権を持つ銀行。西暦1,889年12月、ポール・ジュリアス・ロイターがテヘラン(現在のイラン)に最初の支店を開設し、業務を開始した。同行の設立に際しては、アルバート・サスーンも協力している。
- 準男爵位 西暦1,890年3月22日、アルバート・サスーンがヴィクトリアによって叙された爵位。インドの星勲章コンパニオン(西暦1,867年)、ライオン・アンド・サン勲章(西暦1,871年)、バス勲章ナイト(西暦1,872年)、ロンドンの自由民(西暦1,873年11月)に続く、アルバート・サスーンの栄典の到達点。
アヘンの専売権から香港上海銀行の筆頭株主へ、そしてロスチャイルド家との婚姻へ──
サスーン家による財閥形成の全過程を一元化。
JPY 200(税込)
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購入後、そのままPDFダウンロードページへ移動します
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