電子書籍「タイタニック号を沈没させたジョン・モルガン一元化」の表紙

タイタニック号を沈没させた
ジョン・モルガン一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,899年11月23日〜1,913年6月30日
ページ数
9ページ
文字数
2,661字
最新更新日
西暦2,026年9月7日

西暦1,912年4月15日2時20分、タイタニック号は沈んだ──
其の十四年前から始まる、ジョン・モルガンの海運支配の系譜を一元化。

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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本書について

西暦1,899年11月23日、イギリスの海運会社ホワイト・スター・ライン社の社長トーマス・ヘンリー・イズメイが死去し、其の座は息子のジョセフ・ブルース・イズメイへと受け継がれた。船を造り、航路を握る事業が、一人の手から次の手へ渡っただけの出来事に見える。だが此の継承の先には、大西洋の海運そのものを一つの資本の下へ束ねようとする男が待っていた。アメリカの金融家ジョン・モルガンである。本書は、此の一九世紀最後の年の訃報を起点として、タイタニック号が氷山に触れて沈む迄の十四年を、年月日単位で一元化した記録である。

西暦1,902年10月1日、ジョン・モルガンは海運業の独占を意図し、自らのJ・P・モルガン・アンド・カンパニーを使って銀行融資を行い、信託会社「インターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニー」のニュージャージー州での設立を発表する。設立メンバーに名を連ねたのは、アメリカン・ライン及びレッドスター・ラインのクレメント・グリスコム(社長)、アトランティック・トランスポート・ライン創業者バーナード・N・ベーカー、ホワイト・スター・ラインのジョセフ・ブルース・イズメイ、レイランド・ライン経営者ジョン・エラマンの四名であった。此れ等の会社にドミニオン・ラインを加えた6社が、一つの信託会社の傘下に収まる。そして西暦1,904年2月、ジョセフ・ブルース・イズメイは、モルガンの手によってインターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニーの社長に据えられた。父から継いだ会社の主が、資本の側から任命された社長へと変わった瞬間である。

西暦1,909年3月31日、ジョン・モルガンが傘下のホワイト・スター・ライン社に指示を出していた客船「タイタニック号」の建造が、ベルファスト(現在の北アイルランド)にて起工される。此の建造指示は、モルガン自身の発意ではなかった。モルガンはイエズス会から建造指示を受けていたのである。西暦1,911年5月31日、モルガンは進水式に出席する。しかし、船の前途を祝う慣例——船首でシャンパンの瓶を割る儀式は、執り行われなかった。此の一隻に限って、海へ送り出すべき祝福が省かれている。

西暦1,912年4月10日、乗客約2,219名を乗せたタイタニック号が、ニューヨークへ向けてサウサンプトン(現在のイギリスのサウス・イースト・イングランド)を出港した。到着予定は同月16日である。船内左舷側の、プロムナードデッキとシガーホルダー付きのバスルームを完備した最上級スイートルーム、B52・54・56号室には、三件のキャンセルの末にジョセフ・ブルース・イズメイが入った。最初に予約したカーネギー・スチール社元会長ヘンリー・クレイ・フリックは、地中海クルーズで妻が捻挫した事を理由に降りた。次に予約したジョン・モルガンは、病気を理由にキャンセルする。だが此れは詐病であった。同船就航当時、モルガンはエジプトからイタリアを経由してフランスへ向かう経路で旅行に出ており、イタリアでは愛人に会い、エクス・レ・バン(現在のフランスのサヴォワ県)では朝のマッサージと硫黄泉に興じていた。所持していた数々の美術品も運搬予定であったが、此れも取り止めている。三番目のJ・H・ハーディング夫妻は、より早い便であるキュナード・ラインの客船「モーリタニア号」が手配出来た事を理由に降りた。最終的に、モルガンと親交のある55名がキャンセルしている。ジョージ・ワシントン・ヴァンダービルト2世とイーディス・ストイフェサント・ドレッサー夫妻も、直前に予定を取り消した。船はシェルブール(現在のフランスのマンシュ県シェルブール・アン・コタンタン)とクイーンズタウン(現在のアイルランドのコーク県コーヴ)に寄港し、大西洋へ出てゆく。

西暦1,912年4月14日午前、キュナード・ラインのカルパチア号船長アーサー・ロストロンが、タイタニック号へ向けて6通の警告を発した。船長エドワード・ジョン・スミスは自分で判断せず、ジョセフ・ブルース・イズメイに判断を求める。しかしイズメイは、其の警告を開示しなかった。最も近くを航行していたレイランド・ラインの蒸気船カリフォルニアン号も、氷山で身動きが取れなくなった為にタイタニック号の通信士へ知らせたが、「煩い」と無視されている。他にも数隻の船から無線で氷山の警告が届いたが、船は此れを容れず、スペックの42.596km/hに迫る40.744km/hで走り続けた。同日22時、マストの上の見張り台では、20時から勤務していたジョージ・サイモンズとアーチー・ジュエルが非番となり、フレデリック・フリートとレジナルド・リーが交代で就く。双眼鏡のケースの伴が船内に無かった為、二人は肉眼で見るしか無かった。リーは氷山に気付いた直後にブリッジへ警告を送ったが、此れも無視された。23時40分、タイタニック号の右舷がニューファンドランド島(現在のカナダのニューファンドランド・ラブラドール州)沖の氷山に激突する。エドワード・ジョン・スミスは、乗客の避難誘導よりもジョン・ジェイコブ・アスター4世等の一等船室を訪れる事を優先した。救命ボートは20隻・1,178名分しか用意されておらず、船内に取り残された乗客が1,500名程度発生する。本来は64隻を搭載する予定であったが、ジョセフ・ブルース・イズメイ等により、40→32→20隻へと搭載予定隻数が減らされていた。

西暦1,912年4月15日2時20分、タイタニック号が沈没する。706名が生還し、1,513名が死亡した。死因は主に溺死と低体温症である。死者の中には、FRB設立と第一次世界大戦に反対していたジョン・ジェイコブ・アスター4世、イジドー・ストラウス、ベンジャミン・グッケンハイムの三名が含まれていた。直前に下船を決めたヴァンダービルト2世夫妻の使用人も死亡し、夫妻の荷物は船に積まれた儘、海の底へ沈んだ。そして西暦1,913年6月30日、ジョセフ・ブルース・イズメイがインターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニーの会長職及びホワイト・スター・ラインの会長職を辞任する。父の死から始まり、資本による海運の掌握、イエズス会の指示による建造、祝福なき進水、詐病のキャンセル、黙殺された警告、削られた救命ボートを経て、辞任へと閉じてゆく十四年——本書は其の全過程を一冊に束ねている。


登場人物

  • ジョン・モルガン 本書の中心人物。アメリカの金融家であり、J・P・モルガン・アンド・カンパニーの創業者。西暦1,902年10月1日、海運業の独占を意図し、自らの銀行を使って融資を行い、信託会社インターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニーをニュージャージー州に設立した。西暦1,904年2月にはジョセフ・ブルース・イズメイを同社の社長に据えている。西暦1,909年3月31日、イエズス会から建造指示を受け、傘下のホワイト・スター・ライン社に指示を出してタイタニック号の建造をベルファストにて起工させた。西暦1,911年5月31日の進水式に出席したが、慣例である船首でシャンパンの瓶を割る儀式は執り行われなかった。西暦1,912年4月10日の出港時にはB52・54・56号室を予約していたが、病気を理由にキャンセルする。此れは詐病であり、実際にはエジプトからイタリアを経由してフランスへ向かう旅行に出て、イタリアでは愛人に会い、エクス・レ・バンでは朝のマッサージと硫黄泉に興じていた。所持していた美術品の運搬も取り止め、乗船予定であった知人数名もキャンセルしている。
  • ジョセフ・ブルース・イズメイ ホワイト・スター・ライン社の2代目社長。西暦1,899年11月23日、父トーマス・ヘンリー・イズメイの死去により後を継いだ。西暦1,902年10月1日のインターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニー設立メンバーの一人であり、西暦1,904年2月、ジョン・モルガンによって同社の社長に据えられた。西暦1,912年4月10日の出港時、三件のキャンセルの末にB52・54・56号室へ入る。同月14日、カルパチア号船長アーサー・ロストロンが発した6通の警告について、エドワード・ジョン・スミス船長から判断を求められたが、其の警告を開示しなかった。本来64隻搭載予定であった救命ボートを、40→32→20隻へと減らした一人でもある。西暦1,913年6月30日、インターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニーの会長職及びホワイト・スター・ラインの会長職を辞任した。
  • トーマス・ヘンリー・イズメイ イギリスの海運会社ホワイト・スター・ライン社の社長。西暦1,899年11月23日に死去し、子のジョセフ・ブルース・イズメイが後を継いだ。本書の年表は此の死去から始まる。
  • クレメント・グリスコム アメリカン・ライン及びレッドスター・ラインの人物。西暦1,902年10月1日のインターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニー設立に際し、社長として設立メンバーに名を連ねた。
  • バーナード・N・ベーカー アトランティック・トランスポート・ラインの創業者。西暦1,902年10月1日のインターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニー設立メンバーの一人。
  • ジョン・エラマン レイランド・ラインの経営者。西暦1,902年10月1日のインターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニー設立メンバーの一人。
  • エドワード・ジョン・スミス タイタニック号の船長。西暦1,912年4月14日午前、カルパチア号船長アーサー・ロストロンからの6通の氷山警告について、自分で判断せずジョセフ・ブルース・イズメイに判断を求めた。同日23時40分の氷山激突後は、乗客の避難誘導よりもジョン・ジェイコブ・アスター4世等の一等船室を訪れる事を優先した。
  • アーサー・ロストロン イギリスの海運会社キュナード・ラインのカルパチア号船長。西暦1,912年4月14日午前、タイタニック号へ向けて6通の警告を発した。
  • ヘンリー・クレイ・フリック カーネギー・スチール社の元会長。西暦1,912年4月10日出港のタイタニック号B52・54・56号室を最初に予約していたが、地中海クルーズで妻が捻挫した事を理由にキャンセルした。
  • J・H・ハーディング夫妻 ジョン・モルガンのキャンセル後にB52・54・56号室を予約した夫妻。タイタニック号よりも早い便であるイギリスのキュナード・ラインの客船「モーリタニア号」が手配出来た事を理由にキャンセルした。
  • ジョージ・ワシントン・ヴァンダービルト2世 妻イーディス・ストイフェサント・ドレッサーと共に西暦1,912年4月10日出港のタイタニック号へ乗船する予定であったが、直前にキャンセルした。但し使用人は乗船して死亡し、荷物も船に積まれていた為、沈没と共に失われた。
  • ジョン・ジェイコブ・アスター4世 アメリカの実業家。タイタニック号一等船室の乗客。氷山激突後、エドワード・ジョン・スミスは乗客の避難誘導より彼等一等船室を訪れる事を優先した。FRB設立と第一次世界大戦に反対しており、西暦1,912年4月15日の沈没で死亡した。
  • イジドー・ストラウス タイタニック号の乗客。FRB設立と第一次世界大戦に反対しており、西暦1,912年4月15日の沈没で死亡した。
  • ベンジャミン・グッケンハイム タイタニック号の乗客。FRB設立と第一次世界大戦に反対しており、西暦1,912年4月15日の沈没で死亡した。
  • ジョージ・サイモンズ タイタニック号のマストの上の見張り台の勤務員。西暦1,912年4月14日20時から22時迄、アーチー・ジュエルと共に勤務に就いた後、非番となった。
  • アーチー・ジュエル タイタニック号のマストの上の見張り台の勤務員。西暦1,912年4月14日20時から22時迄、ジョージ・サイモンズと共に勤務に就いた後、非番となった。
  • フレデリック・フリート タイタニック号のマストの上の見張り台の勤務員。西暦1,912年4月14日22時から、レジナルド・リーと共に勤務に就いた。双眼鏡のケースの伴が船内に無かった為に双眼鏡を使用出来ず、肉眼で見張るしか無かった。
  • レジナルド・リー タイタニック号のマストの上の見張り台の勤務員。西暦1,912年4月14日22時からフレデリック・フリートと共に勤務に就き、氷山に気付いた直後にブリッジへ警告を送ったが無視された。

主要な概念・組織

  • タイタニック号 ホワイト・スター・ライン社が所有した客船。西暦1,909年3月31日、イエズス会から建造指示を受けたジョン・モルガンが傘下のホワイト・スター・ライン社に指示を出し、ベルファスト(現在の北アイルランド)にて起工された。西暦1,911年5月31日の進水式では、慣例である船首でシャンパンの瓶を割る儀式が執り行われなかった。西暦1,912年4月10日に約2,219名を乗せてサウサンプトンを出港し、シェルブール・クイーンズタウンに寄港してニューヨークへ向かったが、同月14日23時40分にニューファンドランド島沖の氷山へ右舷を激突させ、同月15日2時20分に沈没した。スペックは42.596km/h、航行速度は40.744km/hであった。
  • ホワイト・スター・ライン イギリスの海運会社。西暦1,899年11月23日の社長トーマス・ヘンリー・イズメイ死去により、ジョセフ・ブルース・イズメイが後を継いだ。西暦1,902年10月1日、ジョン・モルガンが設立したインターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニーの傘下に入り、モルガンの指示によってタイタニック号を建造した。
  • インターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニー 西暦1,902年10月1日、ジョン・モルガンが海運業の独占を意図し、J・P・モルガン・アンド・カンパニーを使って銀行融資を行い、ニュージャージー州に設立した信託会社。設立メンバーはクレメント・グリスコム(社長)、バーナード・N・ベーカー、ジョセフ・ブルース・イズメイ、ジョン・エラマンの四名。アメリカン・ライン、レッドスター・ライン、アトランティック・トランスポート・ライン、ホワイト・スター・ライン、レイランド・ライン、ドミニオン・ラインの6社が傘下に入った。西暦1,904年2月、ジョセフ・ブルース・イズメイが社長に据えられた。
  • J・P・モルガン・アンド・カンパニー ジョン・モルガンの銀行。西暦1,902年10月1日、モルガンは海運業の独占を意図し、此の銀行を使って融資を行いインターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニーを設立した。
  • B52・54・56号室 タイタニック号船内の左舷側にあった、プロムナードデッキとシガーホルダー付きのバスルームを完備した最上級スイートルーム。西暦1,912年4月10日の出港に際し、ヘンリー・クレイ・フリック(妻の捻挫を理由にキャンセル)、ジョン・モルガン(詐病でキャンセルし、エジプトからイタリア・フランスへ旅行して愛人と面会し、エクス・レ・バンで朝のマッサージと硫黄泉に興じた)、J・H・ハーディング夫妻(モーリタニア号の手配を理由にキャンセル)と三件のキャンセルが続き、最終的にジョセフ・ブルース・イズメイが入った。
  • カルパチア号 イギリスの海運会社キュナード・ラインの客船。西暦1,912年4月14日午前、船長アーサー・ロストロンがタイタニック号へ向けて6通の氷山警告を発した。
  • カリフォルニアン号 イギリスのレイランド・ラインの蒸気船。タイタニック号の最も近くを航行していた。西暦1,912年4月14日、氷山で身動きが取れなくなった為にタイタニック号の通信士へ知らせたが、「煩い」と無視された。
  • モーリタニア号 イギリスのキュナード・ラインの客船。タイタニック号よりも早い便であり、J・H・ハーディング夫妻はB52・54・56号室の予約を、此の船が手配出来た事を理由にキャンセルした。
  • 救命ボート タイタニック号は本来64隻のボートを搭載する予定であったが、ジョセフ・ブルース・イズメイ等により40→32→20隻へと搭載予定隻数が減らされていた。実際に用意されたのは20隻・1,178名分のみであり、氷山激突後、船内に取り残された乗客が1,500名程度発生した。
  • イエズス会 ジョン・モルガンに対してタイタニック号の建造指示を出した組織。西暦1,909年3月31日、ベルファストで起工された建造の発意元にあたる。
  • FRB設立と第一次世界大戦への反対 西暦1,912年4月15日のタイタニック号沈没で死亡した1,513名のうち、ジョン・ジェイコブ・アスター4世、イジドー・ストラウス、ベンジャミン・グッケンハイムの三名が、FRB設立と第一次世界大戦に反対していたという事実。

海運6社の掌握から、イエズス会の建造指示、祝福なき進水、そして氷山へ──
ジョン・モルガンとタイタニック号沈没の全過程を一元化。

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石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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