タイタニック号を沈没させたジョン・モルガン一元化
ホワイト・スター・ライン社社長トーマス・ヘンリー・イズメイ死去とジョセフ・ブルース・イズメイ継承、ジョン・モルガンによるJ・P・モルガン・アンド・カンパニーを通じた銀行融資と海運業独占を意図したインターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニーのニュージャージー州での設立及びアメリカン・ライン・レッドスター・ライン・アトランティック・トランスポート・ライン・ホワイト・スター・ライン・レイランド・ライン・ドミニオン・ラインの傘下入り、ジョセフ・ブルース・イズメイのIMM社長就任、イエズス会指示によるベルファストでのタイタニック号建造起工、ジョン・モルガンの進水式出席と船首シャンパン瓶割り儀式不執行、約2,219名を乗せたタイタニック号のサウサンプトン出港とプロムナードデッキ・シガーホルダー付きバスルーム完備最上級スイートルームB52・54・56号室のヘンリー・クレイ・フリック予約と地中海クルーズ妻捻挫キャンセル及びジョン・モルガン予約と詐病キャンセル並びにエジプト・イタリア・エクス・レ・バン旅行と愛人面会・硫黄泉滞在及び美術品運搬キャンセル並びにJ・H・ハーディング夫妻のモーリタニア号手配キャンセル、モルガン親交者55名キャンセルとジョージ・ワシントン・ヴァンダービルト2世・イーディス・ストイフェサント・ドレッサー夫妻直前キャンセル、シェルブール・クイーンズタウン寄港、カルパチア号船長アーサー・ロストロンの6通警告とエドワード・ジョン・スミス船長のジョセフ・ブルース・イズメイ判断委任及び警告不開示並びにカリフォルニアン号通信士への氷山警告無視と他数隻警告無視及びスペック42.596km/hに迫る40.744km/hでの航行、ジョージ・サイモンズ・アーチー・ジュエルからフレデリック・フリート・レジナルド・リーへのマスト見張り台勤務交代と双眼鏡ケース紛失による肉眼見張り並びにレジナルド・リーのブリッジ警告無視、タイタニック号右舷のニューファンドランド島沖氷山激突とエドワード・ジョン・スミスのジョン・ジェイコブ・アスター4世等一等船室訪問優先及び救命ボート20隻1,178名分準備と1,500名取り残し並びに64隻搭載予定からジョセフ・ブルース・イズメイ等による40→32→20隻減少、タイタニック号沈没と706名生還及びFRB設立・第一次世界大戦反対のジョン・ジェイコブ・アスター4世・イジドー・ストラウス・ベンジャミン・グッケンハイムを含む1,513名死亡並びにヴァンダービルト2世夫妻使用人死亡と荷物沈没、ジョセフ・ブルース・イズメイIMM・ホワイト・スター・ライン会長職辞任迄──
ジョン・モルガンがJ・P・モルガン・アンド・カンパニーを通じてインターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニーを設立してホワイト・スター・ライン等の海運6社を支配下に置き、イエズス会の指示でタイタニック号を建造させ、FRB設立と第一次世界大戦に反対していたジョン・ジェイコブ・アスター4世・イジドー・ストラウス・ベンジャミン・グッケンハイムを乗船させ氷山激突で沈没させた、タイタニック号沈没事件14年間の系譜を年月日単位で追跡した一冊。
JPY 200(税込)
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西暦1,899年11月23日、イギリスの海運会社であるホワイト・スター・ライン社の社長トーマス・ヘンリー・イズメイが死去し、ジョセフ・ブルース・イズメイが後を継いだ。西暦1,902年10月1日、ジョン・モルガンが海運業の独占を意図し、J・P・モルガン・アンド・カンパニーを使って銀行融資を行い、信託会社「インターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニー」のニュージャージー州での設立を発表した。設立メンバーはアメリカン・ライン及びレッドスター・ラインのクレメント・グリスコム(社長)・アトランティック・トランスポート・ライン創業者バーナード・N・ベーカー・ジョセフ・ブルース・イズメイ(ホワイト・スター・ライン)・レイランド・ライン経営者ジョン・エラマンであり、此れ等の会社にドミニオン・ラインを加えた6社がインターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニーの傘下に入った。西暦1,904年2月、ジョセフ・ブルース・イズメイが、ジョン・モルガンによってインターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニーの社長に据えられた。西暦1,909年3月31日、ジョン・モルガンが傘下のホワイト・スター・ライン社に指示を出していた客船「タイタニック号」の建造がベルファスト(現在の北アイルランド)にて起工された。モルガンはイエズス会から建造指示を受けていた。西暦1,911年5月31日、ジョン・モルガンがタイタニック号の進水式に出席したが、慣例である船首でシャンパンの瓶を割る儀式は執り行われなかった。
西暦1,912年4月10日、ホワイト・スター・ラインの所有する乗客約2,219名を乗せたタイタニック号が、ニューヨークへ向けてサウサンプトン(現在のイギリスのサウス・イースト・イングランド)を出港した。到着予定は同月16日であった。同船内の左舷側の、プロムナードデッキとシガーホルダー付きのバスルームを完備した最上級スイートルームのB52・54・56号室には、3件のキャンセルの末にジョセフ・ブルース・イズメイが入った。①カーネギー・スチール社元会長ヘンリー・クレイ・フリックが予約したが、地中海クルーズで妻が捻挫した事を理由にキャンセル、②フリックの次にジョン・モルガンが予約したが、病気を理由にキャンセル(此れは詐病であり、同船就航当時エジプトからイタリアを経由してフランスへ向かう経路で旅行に行っており、イタリアでは愛人に会い、エクス・レ・バン(現在のフランスのサヴォワ県)では朝のマッサージと硫黄泉に興じていた。又、モルガンの所持していた数々の美術品も運搬予定であったが此れもキャンセル。乗船予定であったモルガンの知人数名もキャンセル)、③モルガンの次にJ・H・ハーディング夫妻が予約したが、タイタニック号よりも早い便であるイギリスのキュナード・ラインの客船「モーリタニア号」が手配出来た事を理由にキャンセル。最終的にモルガンと親交のある55名がキャンセルし、ジョージ・ワシントン・ヴァンダービルト2世&イーディス・ストイフェサント・ドレッサー夫妻も直前にキャンセルした。同月11日、タイタニック号はシェルブール(現在のフランスのマンシュ県シェルブール・アン・コタンタン)・クイーンズタウン(現在のアイルランドのコーク県コーヴ)に寄港した。
西暦1,912年4月14日午前、イギリスの海運会社キュナード・ラインのカルパチア号の船長アーサー・ロストロンがタイタニック号へ向けて6通の警告を発した。タイタニック号船長エドワード・ジョン・スミスは自分で判断せず、ジョセフ・ブルース・イズメイに判断を求めたが、イズメイは其の警告を開示しなかった。又、最もタイタニック号の近くを航行していたイギリスのレイランド・ラインの蒸気船カリフォルニアン号は氷山で身動きが取れなくなった為、タイタニック号の通信士に知らせるが「煩い」と無視された。他にも数隻の船からタイタニック号へ向けて無線で氷山の警告が有ったが、タイタニック号は此れを無視し、スペックの42.596km/hに迫る40.744km/hで航行していた。同日22時、20時以降タイタニック号のマストの上の見張り台の勤務に就いていたジョージ・サイモンズ・アーチー・ジュエルが交代となり非番となり、フレデリック・フリート・レジナルド・リーが勤務に就いたが、双眼鏡のケースの伴が船内に無かった為使用出来ず、見張りは肉眼で見るしか無かった。リーは氷山に気付いた直後にブリッジに警告を送ったが無視された。同日23時40分、タイタニック号の右舷がニューファンドランド島(現在のカナダのニューファンドランド・ラブラドール州)沖の氷山に激突した。エドワード・ジョン・スミスは乗客の避難誘導よりもジョン・ジェイコブ・アスター4世等の一等船室を訪れる事を優先した。救命ボートが20隻、1,178名分しか用意されておらず、船内に取り残された乗客が1,500名程度発生した。本来64隻のボートを搭載する予定であったが、ジョセフ・ブルース・イズメイ等により、40→32→20隻へと搭載予定隻数が減らされていた。
西暦1,912年4月15日2時20分、タイタニック号が沈没した。結果、706名が生還し、FRB設立と第一次世界大戦に反対していたジョン・ジェイコブ・アスター4世・イジドー・ストラウス・ベンジャミン・グッケンハイムを含む1,513名が死亡した。死因は主に溺死・低体温症であった。又、ジョージ・ワシントン・ヴァンダービルト2世&イーディス・ストイフェサント・ドレッサー夫妻の使用人も死亡し、ヴァンダービルト2世達の荷物はタイタニック号に積まれていた為、沈没した。西暦1,913年6月30日、ジョセフ・ブルース・イズメイがインターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニーの会長職及びホワイト・スター・ラインの会長職を辞任した。本書は、此の14年に亘る、トーマス・ヘンリー・イズメイ死去によるホワイト・スター・ライン継承を起点とする、ジョン・モルガンによるインターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニー設立と海運6社の傘下入り、ジョセフ・ブルース・イズメイのIMM社長就任、イエズス会指示によるタイタニック号建造起工、進水式の船首シャンパン瓶割り儀式不執行、フリック・モルガン・ハーディング夫妻による最上級スイートルームB52・54・56号室の連続キャンセルとモルガン親交者55名キャンセル並びにヴァンダービルト2世夫妻直前キャンセル、カルパチア号6通警告とイズメイの不開示・カリフォルニアン号警告無視・双眼鏡ケース紛失・40.744km/h航行、ニューファンドランド島沖氷山激突とスミスの一等船室訪問優先・救命ボート64→20隻減少、706名生還と1,513名死亡及びアスター4世・ストラウス・グッケンハイム死亡迄、タイタニック号沈没事件の系譜の全過程を、年月日単位で記録した年表である。
登場人物
- ジョン・モルガン アメリカの金融家。J・P・モルガン・アンド・カンパニー創業者。西暦1,902年10月1日、海運業の独占を意図し、J・P・モルガン・アンド・カンパニーを使って銀行融資を行い信託会社インターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニーをニュージャージー州にて設立。西暦1,904年2月、ジョセフ・ブルース・イズメイをIMM社長に据えた。西暦1,909年3月31日、イエズス会から建造指示を受け、傘下のホワイト・スター・ライン社に指示を出してタイタニック号の建造をベルファストにて起工させた。西暦1,911年5月31日のタイタニック号進水式に出席したが、慣例である船首シャンパン瓶割り儀式は執り行われなかった。西暦1,912年4月10日のタイタニック号出港時には、B52・54・56号室を予約していたが、病気を理由に詐病キャンセルし、エジプトからイタリアを経由してフランスへ向かう旅行に行き、イタリアでは愛人に会い、エクス・レ・バンでは朝のマッサージと硫黄泉に興じていた。所持していた美術品の運搬もキャンセルし、知人数名もキャンセルさせた。
- ジョセフ・ブルース・イズメイ ホワイト・スター・ライン社2代目社長。西暦1,899年11月23日に父トーマス・ヘンリー・イズメイの死去により後を継ぎ、西暦1,902年10月1日のインターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニー設立メンバーとなった。西暦1,904年2月、ジョン・モルガンによってIMM社長に据えられた。西暦1,912年4月10日のタイタニック号出港時、B52・54・56号室に入船。同月14日のカルパチア号船長アーサー・ロストロンからの6通の警告を、エドワード・ジョン・スミス船長から判断を求められたが開示しなかった。本来64隻搭載予定の救命ボートを40→32→20隻へと減らしていた。西暦1,913年6月30日、IMM会長職及びホワイト・スター・ライン会長職を辞任した。
- トーマス・ヘンリー・イズメイ イギリスの海運会社ホワイト・スター・ライン社の社長。西暦1,899年11月23日に死去し、子のジョセフ・ブルース・イズメイが後を継いだ。
- クレメント・グリスコム アメリカン・ライン及びレッドスター・ラインの人物。西暦1,902年10月1日のインターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニー設立時、社長として設立メンバーに名を連ねた。
- バーナード・N・ベーカー アトランティック・トランスポート・ライン創業者。西暦1,902年10月1日のインターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニー設立メンバー。
- ジョン・エラマン レイランド・ライン経営者。西暦1,902年10月1日のインターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニー設立メンバー。
- エドワード・ジョン・スミス タイタニック号船長。西暦1,912年4月14日午前、カルパチア号船長アーサー・ロストロンからの6通の氷山警告を、自分で判断せずジョセフ・ブルース・イズメイに判断を求めた。同日23時40分の氷山激突後、乗客の避難誘導よりもジョン・ジェイコブ・アスター4世等の一等船室を訪れる事を優先した。
- アーサー・ロストロン イギリスの海運会社キュナード・ラインのカルパチア号船長。西暦1,912年4月14日午前、タイタニック号へ向けて6通の警告を発した。
- ヘンリー・クレイ・フリック カーネギー・スチール社元会長。西暦1,912年4月10日出港のタイタニック号B52・54・56号室を予約していたが、地中海クルーズで妻が捻挫した事を理由にキャンセルした。
- J・H・ハーディング夫妻 西暦1,912年4月10日出港のタイタニック号B52・54・56号室を、ジョン・モルガンのキャンセル後に予約した夫妻。タイタニック号よりも早い便であるイギリスのキュナード・ラインの客船「モーリタニア号」が手配出来た事を理由にキャンセルした。
- ジョージ・ワシントン・ヴァンダービルト2世 妻イーディス・ストイフェサント・ドレッサーと共に、西暦1,912年4月10日出港のタイタニック号に乗船予定であったが直前にキャンセルした。但し使用人はタイタニック号に乗船し、荷物もタイタニック号に積まれた為、沈没で全て失われた。
- ジョン・ジェイコブ・アスター4世 アメリカの実業家。タイタニック号一等船室の乗客。エドワード・ジョン・スミスは氷山激突後、彼等一等船室を訪れる事を乗客の避難誘導より優先した。FRB設立と第一次世界大戦に反対しており、西暦1,912年4月15日のタイタニック号沈没で死亡した。
- イジドー・ストラウス タイタニック号の乗客。FRB設立と第一次世界大戦に反対しており、西暦1,912年4月15日のタイタニック号沈没で死亡した。
- ベンジャミン・グッケンハイム タイタニック号の乗客。FRB設立と第一次世界大戦に反対しており、西暦1,912年4月15日のタイタニック号沈没で死亡した。
- ジョージ・サイモンズ タイタニック号のマストの上の見張り台勤務員。西暦1,912年4月14日20時から22時迄、アーチー・ジュエルと共に勤務に就いた後、非番となった。
- アーチー・ジュエル タイタニック号のマストの上の見張り台勤務員。西暦1,912年4月14日20時から22時迄、ジョージ・サイモンズと共に勤務に就いた後、非番となった。
- フレデリック・フリート タイタニック号のマストの上の見張り台勤務員。西暦1,912年4月14日22時から、レジナルド・リーと共に勤務に就いたが、双眼鏡のケースの伴が船内に無かった為使用出来ず、見張りは肉眼で見るしか無かった。
- レジナルド・リー タイタニック号のマストの上の見張り台勤務員。西暦1,912年4月14日22時からフレデリック・フリートと共に勤務に就き、氷山に気付いた直後にブリッジに警告を送ったが無視された。
主要な概念・組織
- タイタニック号 ホワイト・スター・ライン社所有の客船。西暦1,909年3月31日、ジョン・モルガンがイエズス会から建造指示を受けて傘下のホワイト・スター・ライン社に指示を出し、ベルファスト(現在の北アイルランド)にて建造起工。西暦1,911年5月31日に進水式が行われたが、慣例である船首シャンパン瓶割り儀式は執り行われなかった。西暦1,912年4月10日に約2,219名を乗せてサウサンプトンを出港、シェルブール・クイーンズタウンに寄港し、ニューヨークへ向かったが、同月14日23時40分、ニューファンドランド島沖の氷山に右舷を激突させ、同月15日2時20分に沈没した。スペックは42.596km/h、衝突時の航行速度は40.744km/h。
- ホワイト・スター・ライン イギリスの海運会社。トーマス・ヘンリー・イズメイ社長の死去後、西暦1,899年11月23日にジョセフ・ブルース・イズメイが後を継いだ。西暦1,902年10月1日、ジョン・モルガンが設立したインターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニーの傘下入りした。ジョン・モルガンの指示によりタイタニック号を建造した。
- インターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニー 西暦1,902年10月1日、ジョン・モルガンが海運業の独占を意図し、J・P・モルガン・アンド・カンパニーを使って銀行融資を行い、ニュージャージー州で設立した信託会社。設立メンバーは①クレメント・グリスコム(社長)、②バーナード・N・ベーカー、③ジョセフ・ブルース・イズメイ、④ジョン・エラマン。①アメリカン・ライン、②レッドスター・ライン、③アトランティック・トランスポート・ライン、④ホワイト・スター・ライン、⑤レイランド・ライン、⑥ドミニオン・ラインの6社が傘下に入った。西暦1,904年2月、ジョセフ・ブルース・イズメイが社長に据えられた。
- J・P・モルガン・アンド・カンパニー ジョン・モルガンの銀行。西暦1,902年10月1日、ジョン・モルガンが海運業の独占を意図して、此の銀行を使って融資を行いインターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニーを設立した。
- B52・54・56号室 タイタニック号船内の左舷側の、プロムナードデッキとシガーホルダー付きのバスルームを完備した最上級スイートルーム。西暦1,912年4月10日出港時には、①ヘンリー・クレイ・フリック(妻の捻挫を理由にキャンセル)→②ジョン・モルガン(詐病でキャンセルし、エジプトからイタリア・フランスへ旅行、イタリアで愛人と面会、エクス・レ・バンで朝のマッサージと硫黄泉に興じる)→③J・H・ハーディング夫妻(モーリタニア号手配を理由にキャンセル)、と3件のキャンセルの末、ジョセフ・ブルース・イズメイが入った。
- カルパチア号 イギリスの海運会社キュナード・ラインの客船。西暦1,912年4月14日午前、船長アーサー・ロストロンがタイタニック号へ向けて6通の氷山警告を発した。
- カリフォルニアン号 イギリスのレイランド・ラインの蒸気船。タイタニック号の最も近くを航行していた船。西暦1,912年4月14日、氷山で身動きが取れなくなった為、タイタニック号の通信士に知らせたが「煩い」と無視された。
- モーリタニア号 イギリスのキュナード・ラインの客船。タイタニック号よりも早い便であり、J・H・ハーディング夫妻はB52・54・56号室の予約を、此の船が手配出来た事を理由にキャンセルした。
- 救命ボート タイタニック号は本来64隻のボートを搭載する予定であったが、ジョセフ・ブルース・イズメイ等により、64→40→32→20隻へと搭載予定隻数が減らされていた。実際に用意されたのは20隻・1,178名分のみであり、船内に取り残された乗客が1,500名程度発生した。
- イエズス会 ジョン・モルガンに対しタイタニック号の建造指示を出した組織。西暦1,909年3月31日のベルファストでのタイタニック号建造起工の真の発意元。
- FRB(連邦準備制度)・第一次世界大戦への反対 西暦1,912年4月15日のタイタニック号沈没で死亡した1,513名のうち、ジョン・ジェイコブ・アスター4世・イジドー・ストラウス・ベンジャミン・グッケンハイムの3名が、FRB設立と第一次世界大戦に反対していた事実。
ホワイト・スター・ライン社社長トーマス・ヘンリー・イズメイ死去とジョセフ・ブルース・イズメイ継承、ジョン・モルガンによるJ・P・モルガン・アンド・カンパニーを通じた銀行融資と海運業独占を意図したインターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニーのニュージャージー州での設立及びアメリカン・ライン・レッドスター・ライン・アトランティック・トランスポート・ライン・ホワイト・スター・ライン・レイランド・ライン・ドミニオン・ラインの傘下入り、ジョセフ・ブルース・イズメイのIMM社長就任、イエズス会指示によるベルファストでのタイタニック号建造起工、ジョン・モルガンの進水式出席と船首シャンパン瓶割り儀式不執行、約2,219名を乗せたタイタニック号のサウサンプトン出港と最上級スイートルームB52・54・56号室のヘンリー・クレイ・フリック予約と地中海クルーズ妻捻挫キャンセル・ジョン・モルガン予約と詐病キャンセル並びにエジプト・イタリア・エクス・レ・バン旅行と愛人面会・硫黄泉滞在及び美術品運搬キャンセル・J・H・ハーディング夫妻のモーリタニア号手配キャンセル、モルガン親交者55名キャンセルとジョージ・ワシントン・ヴァンダービルト2世・イーディス・ストイフェサント・ドレッサー夫妻直前キャンセル、シェルブール・クイーンズタウン寄港、カルパチア号船長アーサー・ロストロンの6通警告とエドワード・ジョン・スミス船長のジョセフ・ブルース・イズメイ判断委任及び警告不開示並びにカリフォルニアン号通信士への氷山警告無視と他数隻警告無視及び40.744km/h航行、ジョージ・サイモンズ・アーチー・ジュエルからフレデリック・フリート・レジナルド・リーへのマスト見張り台勤務交代と双眼鏡ケース紛失による肉眼見張り並びにレジナルド・リーのブリッジ警告無視、タイタニック号右舷のニューファンドランド島沖氷山激突とエドワード・ジョン・スミスのジョン・ジェイコブ・アスター4世等一等船室訪問優先及び救命ボート20隻1,178名分準備と1,500名取り残し並びに64隻搭載予定からジョセフ・ブルース・イズメイ等による40→32→20隻減少、タイタニック号沈没と706名生還及びFRB設立・第一次世界大戦反対のジョン・ジェイコブ・アスター4世・イジドー・ストラウス・ベンジャミン・グッケンハイムを含む1,513名死亡並びにヴァンダービルト2世夫妻使用人死亡と荷物沈没、ジョセフ・ブルース・イズメイIMM・ホワイト・スター・ライン会長職辞任迄──
ジョン・モルガンがJ・P・モルガン・アンド・カンパニーを通じてインターナショナル・マーカンタイル・マリン・カンパニーを設立してホワイト・スター・ライン等の海運6社を支配下に置き、イエズス会の指示でタイタニック号を建造させ、FRB設立と第一次世界大戦に反対していたジョン・ジェイコブ・アスター4世・イジドー・ストラウス・ベンジャミン・グッケンハイムを乗船させ氷山激突で沈没させた、タイタニック号沈没事件14年間の系譜を年月日単位で追跡した一冊。
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