電子書籍「埠頭の荷役の日雇い労働者であった文鮮明の統一教会設立一元化」の表紙

埠頭の荷役の
日雇い労働者であった
文鮮明の統一教会設立
一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,946年7月〜1,954年5月1日
ページ数
9ページ
文字数
1,963字
最新更新日
西暦2,026年9月7日

西暦1,951年、其の男は釡山の埠頭で荷役に従事していた──
統一教会設立に至る八年を一元化。

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本書について

西暦1,946年7月、同年3月に平壌師範学校を卒業した金元弼が、文鮮明の弟子となった。翌西暦1,947年1月、文鮮明は平壌での伝道を再開し、信者金貞華の家で集会を持つ様になる。祈祷の度に昼夜を問わず泣いた事から、其の集まりは「泣く教会」と呼ばれた。本書は、此処から西暦1,954年5月1日、ソウルの一軒の民家に「世界基督教統一神霊協会」と書かれた看板が掲げられる迄の八年を、年月日単位で一元化した記録である。

同じ西暦1,947年11月、劉孝元・劉孝英・劉孝敏の3名の兄弟が、信仰上の迫害から舘舟面(現在の北朝鮮定州市)を発ち、南下した。祖父の劉相燦が舘舟面にプロテスタントの一派である長老教会を設立し、村に学校も設けており、西暦1,945年8月15日に韓国が日本の植民地支配から解放されて以降、迫害が強まった事が背景に在った。3名は延坪島で3年を過ごし、孝元は其処に延福中学校を開校する。朝鮮戦争の開戦後は釡山へ避難し、孝元は木浦へ移って本の表紙を作る事業を構想した。ソウル修復後、3名は離散する。

西暦1,948年2月22日、文鮮明はソ連軍政下の北朝鮮人民委員会内務署によって拘束された。約80名の既成キリスト教の牧師達が、文鮮明を「李承晩のスパイであり社会秩序を紊乱した」として警察に告発した事が背景に在った。同年4月7日に重労働5年の判決が下り、5月20日、文鮮明は興南特別労務者収容所(現在の北朝鮮咸鏡南道咸興市)へ移送される。文は、肥料工場で硫安を袋詰めして運ぶ重労働に従事した。此処で出会ったのが、北朝鮮の軍人時代に部下の犯罪責任を問われて収監されていた朴正華である。朴は軈て、文に弟子入りした。

西暦1,950年10月14日、国連軍の北進に伴い、文鮮明は興南特別労務者収容所を出る。同年12月4日には平壌を発った。中国人民志願軍の参戦により国連軍が北から押し戻されていた事が背景に在り、平壌で集めた朴正華・金元弼を含む弟子達も同行した。西暦1,951年1月27日、文鮮明は釡山に到着する。現地では埠頭での荷役に従事したが、其の日暮らしに近い状態であった。同年5月、文は統一原理の最初の成文である「原理原本」の執筆を開始し、7月頃には凡川谷(現在の韓国釡山広域市東区・釡山鎮区)の斜面に土壁と段ボールの小屋を建てて、伝道を開始する。

西暦1,952年5月10日、文鮮明は原理原本を書き上げた。同じ日、高麗神学校の学生でキリスト教の伝道師である姜賢実が文を訪ねている。姜は後に原理を受け入れ、文の信仰共同体へ加入した。同年12月には、済州島から釡山の文を訪ねて原理を聞き感動していた牧師李耀翰が加入する。西暦1,953年1月、文鮮明は韓国各地を巡回する布教活動を開始し、大邱では教会を開いた。同年8月には、離散していた劉孝元・劉孝英・劉孝敏の3名が釡山にて再集合する。

西暦1,953年9月頃、文鮮明はソウルで活動を始め、同月、延禧専門学校の学生金明熙と出会う。10月、劉孝元は釡山にて梁允信を通じて原理の話を聞いた。劉は其の年に釡山へ移って事業を始めており、其の後、金聖実・金元弼を通じて更に原理に触れ、文鮮明を訪ねたが会えなかった。11月24日、劉孝元は原理原本の写本に携わっていた李寿慶から原理原本を借り、之を読んだ事で自分が何者かを発見する。12月、文鮮明は影島にて修練会を開催し、金明熙も参加した。12月24日には劉の3兄弟が文と会い、孝元は従姉の劉信熙の家で文の説教を聞き始めた。西暦1,954年1月7日、金明熙が原理を受け入れて加入し、此の頃劉孝敏も合流、劉孝元は文の25日間の講義を聞いて信仰共同体に加入する。そして西暦1,954年5月1日、韓国ソウル特別市城東区北鶴洞(現在の韓国ソウル特別市中区舞鶴洞)の世代門教会と呼ばれる民家に、文鮮明・李昌煥・劉孝元・金相哲・朴正華・劉孝敏の6名が集まり、「世界基督教統一神霊協会」と書かれた看板を掲げて「統一教会」が設立された。埠頭で荷役に従事していた日雇い労働者が、一つの教団の設立へ至る全過程を、本書は一冊に束ねている。


登場人物

  • 文鮮明 本書の中心人物。西暦1,947年1月に平壌での伝道を再開し、信者金貞華の家で「泣く教会」と呼ばれる集会を持った。西暦1,948年2月22日に拘束され、重労働5年の判決を受けて興南特別労務者収容所で硫安の袋詰めに従事する。西暦1,951年1月27日に釡山へ辿り着いてからは埠頭での荷役に就き、其の日暮らしに近い暮らしの中で原理原本を書き上げ、西暦1,954年5月1日に統一教会を設立した。
  • 金元弼 西暦1,946年3月に平壌師範学校を卒業し、同年7月に文鮮明の弟子となった人物。西暦1,950年12月4日の平壌脱出にも同行した。西暦1,953年10月には、金聖実と共に劉孝元へ原理を伝えている。
  • 朴正華 北朝鮮の軍人時代に部下の犯罪責任を問われて収監され、興南特別労務者収容所で文鮮明と出会い、軈て弟子入りした人物。西暦1,950年12月4日の平壌脱出に同行し、西暦1,954年5月1日の統一教会設立に集まった6名の1人となった。
  • 劉孝元 劉相燦の孫で、劉三兄弟の長兄。西暦1,947年11月に信仰上の迫害から南下し、延坪島に延福中学校を開校した。西暦1,953年10月、釡山で梁允信を通じて原理の話を聞き、11月24日に李寿慶から原理原本を借りて読んだ事で、自分が何者かを発見する。文の25日間の講義を経て信仰共同体へ加入し、統一教会設立に集まった6名の1人となった。
  • 劉孝英 劉三兄弟の1人。西暦1,947年11月に舘舟面を発って南下し、延坪島で3年を過ごした。西暦1,953年8月に釡山で兄弟と再集合し、同年12月24日、劉孝元・劉孝敏と共に文鮮明と会っている。
  • 劉孝敏 劉三兄弟の1人。西暦1,947年11月の南下から西暦1,953年12月24日の文鮮明との面会を経て、西暦1,954年1月頃に合流し、同年5月1日の統一教会設立に集まった6名の1人となった。
  • 劉相燦 劉三兄弟の祖父。舘舟面にプロテスタントの一派である長老教会を設立し、村に学校も設けた。西暦1,945年8月15日に韓国が日本の植民地支配から解放されて以降、其の信仰を理由とする迫害が強まり、孫3名の南下を招いた。
  • 金貞華 文鮮明の信者。西暦1,947年1月、其の家で集会が持たれる様になり、祈祷の度に昼夜を問わず泣いた事から「泣く教会」と呼ばれた。
  • 姜賢実 高麗神学校(現在の韓国釡山広域市影島区東三洞の高神大学校)の学生で、キリスト教の伝道師。西暦1,952年5月10日、文鮮明が原理原本を書き上げた其の日に文を訪ね、後に原理を受け入れて信仰共同体へ加入した。
  • 李耀翰 牧師。西暦1,952年、済州島から釡山に居る文鮮明を訪ね、原理を聞いて感動していた。同年12月、原理を受け入れて文の信仰共同体に加入した。
  • 金明熙 延禧専門学校(現在の韓国ソウル特別市西大門区新村洞の延世大学)の学生。西暦1,953年9月にソウルで文鮮明と出会い、同年12月の影島での修練会に参加して、西暦1,954年1月7日に原理を受け入れ信仰共同体へ加入した。
  • 李寿慶 原理原本の写本に携わっていた人物。西暦1,953年11月24日、劉孝元に原理原本を貸した。
  • 梁允信 西暦1,953年10月、釡山にて劉孝元に原理の話を聞かせた人物。劉が原理に触れる最初の入口となった。
  • 金聖実 西暦1,953年10月以降、金元弼と共に劉孝元へ更に原理を伝えた人物。劉は其の後文鮮明を訪ねたが、会う事は出来なかった。
  • 劉信熙 劉孝元の従姉。西暦1,953年12月24日以降、其の家で劉孝元が文鮮明の説教を聞き始めた。
  • 李昌煥 西暦1,954年5月1日、韓国ソウル特別市城東区北鶴洞の世代門教会と呼ばれる民家に集まり、「世界基督教統一神霊協会」の看板を掲げた6名の1人。
  • 金相哲 西暦1,954年5月1日の統一教会設立に集まった6名の1人。文鮮明・李昌煥・劉孝元・朴正華・劉孝敏と名を並べている。

統一教会設立の系譜

  • 「泣く教会」(西暦1,947年1月) 文鮮明が平壌での伝道を再開し、信者金貞華の家で集会を持つ様になった時期。祈祷の度に昼夜を問わず泣いた事から、其の呼び名が付いた。
  • 劉三兄弟の南下(西暦1,947年11月) 劉孝元・劉孝英・劉孝敏が、信仰上の迫害から舘舟面(現在の北朝鮮定州市)を発って南下した出来事。祖父劉相燦が長老教会を設立していた事が背景に在り、3名は延坪島で3年を過ごした後、朝鮮戦争の開戦により釡山へ避難した。
  • 拘束と告発(西暦1,948年2月22日) 文鮮明がソ連軍政下の北朝鮮人民委員会内務署によって拘束された出来事。約80名の既成キリスト教の牧師達が、文を「李承晩のスパイであり社会秩序を紊乱した」として警察に告発した事が背景に在った。同年4月7日、重労働5年の判決が下る。
  • 興南特別労務者収容所(西暦1,948年5月20日) 文鮮明が移送された、現在の北朝鮮咸鏡南道咸興市に在る収容所。肥料工場で硫安を袋詰めして運ぶ重労働に従事した。此処で朴正華と出会い、朴は軈て文に弟子入りする。西暦1,950年10月14日、国連軍の北進に伴い文は収容所を出た。
  • 平壌からの脱出(西暦1,950年12月4日) 中国人民志願軍の参戦により国連軍が北から押し戻される中、文鮮明が平壌を発った出来事。平壌で集めた朴正華・金元弼を含む弟子達も同行した。
  • 釡山の埠頭(西暦1,951年1月27日) 文鮮明が釡山に到着し、現地で埠頭での荷役に従事する様になった時期。其の日暮らしに近い状態であった。
  • 原理原本(西暦1,951年5月〜西暦1,952年5月10日) 文鮮明が執筆した、統一原理の最初の成文。西暦1,951年5月に執筆を開始し、西暦1,952年5月10日に書き上げられた。後に李寿慶らの手で写本が作られ、西暦1,953年11月24日には劉孝元が之を借りて読んでいる。
  • 凡川谷の小屋(西暦1,951年7月頃) 文鮮明が現在の韓国釡山広域市東区・釡山鎮区に当たる凡川谷の斜面に、土壁と段ボールで建てた小屋。此処から伝道が開始された。
  • 巡回布教と大邱の教会(西暦1,953年1月) 文鮮明が韓国各地を巡回する布教活動を開始した時期。大邱では教会を開いている。
  • ソウルでの活動開始(西暦1,953年9月頃) 文鮮明が活動の場をソウルへ移した時期。同月、延禧専門学校の学生金明熙と出会っている。
  • 影島の修練会(西暦1,953年12月) 文鮮明が現在の韓国釡山広域市影島にて開催した修練会。金明熙も参加した。同月24日には劉三兄弟が文と会っている。
  • 世界基督教統一神霊協会の設立(西暦1,954年5月1日) 韓国ソウル特別市城東区北鶴洞(現在の韓国ソウル特別市中区舞鶴洞)の世代門教会と呼ばれる民家に、文鮮明・李昌煥・劉孝元・金相哲・朴正華・劉孝敏の6名が集まり、「世界基督教統一神霊協会」と書かれた看板を掲げて「統一教会」を設立した出来事。

収容所の重労働から土壁と段ボールの小屋へ──
文鮮明と原理原本、そして統一教会設立の全軌跡を一元化。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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