検察庁の調査活動費の裏金問題を
実名告発しようとした
三井環一元化
実名告発の収録は、3時間後に迫っていた──
検察庁の調査活動費の裏金問題を告発しようとした三井環の三十二年を一元化。
JPY 200(税込)
購入する →
お支払いはカード情報の入力だけで完了します
購入後、そのままPDFダウンロードページへ移動します
お支払いは決済サービス「Square」を通じて安全に処理されます。カード情報が当サイトに保存されることはありません。
本書について
西暦1,970年、三井環が司法試験に合格し、司法修習(第24期)に入る。西暦1,972年に検事へ任官され、以降、京都・福岡・神戸・鹿児島・大阪の各地検検事を歴任した。西暦1,988年4月には高知地検次席検事に就任し、其の後、高松地検次席検事を務めている。検察という組織を、地方から順に内側で見てきた経歴である。本書は、此の一人の検事が、検察庁の調査活動費の裏金問題を実名で告発しようとし、其の収録の3時間前に逮捕されるまでの三十二年を、年月日単位で一元化した記録である。
西暦1,994年、大阪高検検事であった三井環が、加納駿亮の京都医学部事件の捜査指揮を批判する。以後加納は、人事権者として三井を冷遇した。此れを受けて三井は、大阪高検検事長荒川洋二に対し「関西に居れんので東に行かせて欲しい」という主旨の、大阪高検刑事部からの転出の願い出をし、名古屋高検総務部長に就任する。同年6月23日、本年度の一般会計予算が参議院で可決され成立した。此の年の検察庁の調査活動費は357,048,000円である。以後本書は、毎年の予算成立日と共に、此の金額の推移を追い続ける。
調査活動費は、西暦1,995年3月22日成立分で395,832,000円(前年比約1.11倍)、西暦1,996年5月10日成立分で427,513,000円(同約1.08倍)、西暦1,997年3月28日成立分で491,192,000円(同約1.15倍)と増加を続け、西暦1,998年4月8日成立分の552,600,000円(同約1.13倍)でピークを迎えた。同年6月23日、原田明夫が第19代法務事務次官に就任する。以降原田は、東京高裁検事長則定衛と共に銀座のクラブ等に頻繁に通った。則定は、法務省の裏金事件に深く関与していた人物である。
西暦1,999年3月17日成立分で、調査活動費は322,320,000円(前年比約0.58倍)となり、減少に転じる。同年4月9日、朝日新聞が朝刊一面で、翌日発売の噂の真相社の月刊誌「噂の眞相」1999年5月号の記事を素っ破抜いた。則定衛が愛人ホステスを公費出張に同伴して偽名で宿泊し、愛人と別れる際には慰謝料をパチンコ業者に肩代わりさせた、という内容である。同年7月、三井環が大阪高等検察庁公安部長に就任する。大阪高検公安部長は検事2号俸であるが、三井は検事3号俸の儘据え置かれ、同じ業務をしているのに本来貰える筈の給料が貰えない状況となった。西暦2,000年3月17日成立分の調査活動費は225,850,000円(前年比約0.7倍)。同年12月10日発売の噂の眞相2001年1月号には、噂の真相社記者西岡研介の取材を三井が匿名で受けた、調査活動費の裏金化を扱った記事が掲載された。告発は、此処ではまだ匿名であった。
西暦2,001年3月26日成立分の調査活動費は158,570,000円(前年比約0.7倍)であった。同月31日、三井環が、神戸地検検事正となっていた加納駿亮に対し、四国タイムズ社社長川上道大を表向きの告発人として、虚偽公文書作成・虚偽公文書行使・私文書偽造・私文書行使・詐欺の五罪名で、高知地検検事正時代の4,000,000円と神戸地検検事正時代の10,000,000円の裏金作りに関し、最高検察庁に刑事告発する。加納は此の時、高松高検検事長となる事が事実上内定していたが、法務省は第70代法務大臣高村正彦に此の告発の件を伏せていた。同年4月22日、川上が告発状を全て持参して高村の秘書官の下を訪れた事で告発が高村に知られ、翌日に控えていた加納の高松高検検事長の内示は見送りとなる。同年5月7日には、第71代法務大臣森山真弓への就任交渉も見送られた。三井は同年5月にも、同様の刑事告発を行っている。
西暦2,001年6月1日、三井環が、弁護士で大阪高検検事長を務めた逢坂貞夫から呼び出され、北新地の料亭での食事に誘われる。逢坂は、第20代法務事務次官松尾邦弘から三井を心配して何度も電話が掛かって来た旨を話し、1時間程経ってから、自身の弁護士事務所に弁護士として来る様三井を誘った。三井が断ると逢坂は、西暦2,000年3月7日に石橋産業から約17,900,000円の手形を詐取したとして逮捕された弁護士田中森一の様になると脅した。検察は川上道大の刑事告発以降、四国タイムズを読み、公安調査庁から情報を聞き出す等して、三井が高松地検次席検事だった際に川上から情報を貰って独自捜査をした事を突き止めていた。同年7月、朝日新聞記者落合博実が、三井に対し、調査活動費の裏金流用問題の実名告発を勧める。
西暦2,001年10月、法務省が、定年退職する第4代福岡高検検事長飯田英男の後継として加納駿亮を福岡高検検事長にすべく森山真弓に上申したが、森山は、加納が裏金絡みで最高検察庁に刑事告発されている事を理由に難色を示した。同月26日、第21代検事総長原田明夫・松尾邦弘・法務省刑事局長古田佑紀の三名が、第6代警察庁長官や第55代法務大臣等を務めた後藤田正晴の麹町の事務所を訪問し、加納を福岡高検検事長にしないと検察の裏金問題が表沙汰になると訴える。後藤田は首相秘書官飯島勲に電話をした。第19代検事総長を務めた土肥孝治と逢坂貞夫も、加納の就任実現に動いている。翌27日、原田明夫が小泉純一郎に直談判し、小泉は此れを承認した。小泉内閣は条件として、加納を不起訴処分とする事を検察側に突き付け、協力させる。此れによって検察は内閣に借りを作るという失態を犯し、内閣を構成している政治家を事件に出来ない状態を自ら作ってしまった。其の後、森山真弓は態度を軟化させ、記者会見を開いて検察の裏金疑惑を否定する。同年11月13日、大阪高検が加納を嫌疑無しとして不起訴処分とした。原田明夫は、略捜査をせずに幕引きを図っている。同日、小泉純一郎内閣が加納の福岡高検検事長就任を承認した。
西暦2,002年3月27日成立分の調査活動費は78,700,000円(前年比約0.5倍)まで落ちた。同月31日、三井環と野中広務が都ホテル(京都府京都市南区西九条院町)にて会談し、検察庁の裏金問題と、前年に加納の人事で検察が内閣に借りを作った件に就いて話す。4月3日、三井が大阪高検の不起訴処分を不服として高松高検捜査分を検察審査会へ審議申し立てし、自らが証人となって川上道大が証人申請書を提出した事で、三井が裏金問題を告発した事が公となった。4月17日、週刊朝日副編集長山口一臣が大阪高等検察庁公安部長室に電話を掛け、テレビ朝日の報道番組「ザ・スクープ」キャスター鳥越俊太郎による4月22日昼からの取材収録を申し込む。三井は此れを了承したが、直通で掛けた筈の電話が最初に違う所へ転送され、会話は検察側に筒抜けとなっていた。18日、三井は落合博実とホテル日航大阪(大阪府大阪市中央区西心斎橋)で会談し、翌月のゴールデンウィーク明けに朝日新聞東京本社が一面トップで報道し、社会面で三井が実名の儘一問一答形式で答える事が了承される。三井は、其の記事を持って菅直人が法務委員会で追及し、自身が参考人招致されて証言し、国会で記者会見をして検事を辞職するという流れを描いていた。
然し同じ4月18日の15時頃、山口組二次団体佐藤組六甲連合会会長亀谷直人から荒川洋二を経由して大阪高検次席検事大塚清明に渡っていた、三井が住む競売物件マンションの買い戻し交渉の内容を記したメモが、大阪地検の手に渡っていた。亀谷は検察から、三井の逮捕に協力したら第3代山健組組長桑田兼吉を保釈すると言われていた。検察は、三井が亀谷から接待を受けていた事実を明らかにしようとしていたのである。21日、三井は菅直人に検察の裏金疑惑を相談し、菅が法務委員会で追及する事の了承を得る。同日夕方、検事水沼裕治が、三井の逮捕を目的として編成された捜査チームに招集された。主任検事大仲土和が大阪地裁にて裁判官に令状請求し、深夜に許可が下りる。大阪地検検事正佐々木茂夫は三井の逮捕に反対したが、原田明夫が主導していた。
西暦2,002年4月22日8時30分頃、三井環が自宅の玄関先で大阪地検特捜部の検察事務官から任意同行を求められ、執務室のある37階ではなく、大阪地検特捜部等が入る20階前後へ連れて行かれた。9時頃、三井は逮捕される。神戸市の競売マンションを暴力団組長の親族名義で落札した際、居住の実態が無いのに住宅用家屋証明書を区役所から詐取し、登録免許税約480,000円相当の納付を免れたとする詐欺罪と、同マンションに居住している様に装って虚偽の転入届を提出し、住民基本台帳の電磁データに不実の記載をさせたとする電磁的公正証書原本不実記録罪であった。大阪地検特捜部から見れば、同じ庁舎内に居る上司に当たる組織の幹部を被疑者として逮捕するという、異例のものである。「ザ・スクープ」での実名告発の収録は3時間後に迫り、週刊朝日との対談も、4月24日の毎日テレビの取材・収録も控えていた。同年5月10日、三井環は収賄罪・公務員職権濫用罪で再逮捕され、懲戒免職となる。告発は、告発される前に潰えた——本書は、其の三十二年の全過程を一冊に束ねている。
登場人物
- 三井環 本書の中心人物。西暦1,970年に司法試験合格・司法修習(第24期)入り、西暦1,972年に検事任官し、京都・福岡・神戸・鹿児島・大阪各地検検事、高知・高松地検次席検事を歴任。西暦1,994年の加納駿亮の京都医学部事件捜査指揮批判以後、人事権者の加納から冷遇され、名古屋高検総務部長を経て西暦1,999年7月に大阪高検公安部長に就任するも、検事3号俸に据え置かれた。西暦2,000年に噂の眞相へ匿名で、西暦2,001年3月に川上道大を表向きの告発人として加納の裏金作りを最高検察庁に刑事告発。検察審査会への審議申し立てとテレビ朝日「ザ・スクープ」での実名告発を計画したが、収録3時間前の西暦2,002年4月22日に大阪地検特捜部に逮捕され、同年5月10日に再逮捕・懲戒免職となった。
- 加納駿亮 高知地検検事正・神戸地検検事正・福岡高検検事長を歴任した検察幹部。西暦1,994年に三井環から京都医学部事件の捜査指揮を批判され、以後人事権者として三井を冷遇した。西暦2,001年3月、高知地検検事正時代の4,000,000円と神戸地検検事正時代の10,000,000円の裏金作りに関し、三井により最高検察庁に刑事告発される。高松高検検事長の内示は見送られたが、同年11月13日、大阪高検により嫌疑無しとして不起訴処分とされ、小泉純一郎内閣の承認を得て福岡高検検事長に就任した。
- 原田明夫 西暦1,998年6月23日、第19代法務事務次官に就任。以降、東京高裁検事長則定衛と共に銀座のクラブ等に頻繁に通った。第21代検事総長として、西暦2,001年10月26日に松尾邦弘・古田佑紀と後藤田正晴の事務所を訪問し、翌27日には小泉純一郎へ加納駿亮の福岡高検検事長就任を直談判した。同年11月13日の大阪高検による加納の不起訴処分では略捜査をせずに幕引きを図り、西暦2,002年4月の三井環逮捕も主導した。
- 則定衛 東京高裁検事長。原田明夫と共に銀座のクラブ等に頻繁に通い、法務省の裏金事件に深く関与していた。西暦1,999年4月、愛人ホステスを公費出張に同伴して偽名で宿泊し、別れる際の慰謝料をパチンコ業者に肩代わりさせたという内容が、朝日新聞のスクープと月刊誌「噂の眞相」1999年5月号で報じられた。
- 荒川洋二 大阪高検検事長。西暦1,994年、加納駿亮から冷遇された三井環から「関西に居れんので東に行かせて欲しい」という主旨の、大阪高検刑事部からの転出の願い出を受けた。西暦2,002年4月18日には、亀谷直人から大阪高検次席検事大塚清明へ渡る、三井の住むマンションの買い戻し交渉を記したメモを経由している。
- 川上道大 四国タイムズ社社長。西暦2,001年3月31日、三井環の加納駿亮への裏金作りの刑事告発において、表向きの告発人を務めた。同年4月22日には告発状を全て持参して第70代法務大臣高村正彦の秘書官の下を訪れ、加納の高松高検検事長内示の見送りに繋げた。西暦2,002年4月の検察審査会への審議申し立てでは証人申請書を提出している。三井が高松地検次席検事だった際の、独自捜査の情報源であった。
- 高村正彦 第70代法務大臣。法務省は、加納駿亮が最高検察庁に刑事告発されている件を高村に伏せていたが、西暦2,001年4月22日に川上道大が告発状を持参して秘書官の下を訪れた事で告発を知り、翌日に控えていた加納の高松高検検事長の内示は見送りとなった。
- 西岡研介 噂の真相社記者。西暦2,000年12月10日発売の噂の眞相2001年1月号に、三井環が匿名で受けた取材を基に、検察庁の調査活動費の裏金化を扱った記事を掲載した。
- 落合博実 朝日新聞記者。西暦2,001年7月、三井環に対し検察庁の調査活動費の裏金流用問題の実名告発を勧めた。西暦2,002年4月18日、ホテル日航大阪で三井と会談し、ゴールデンウィーク明けに朝日新聞東京本社が裏金問題を一面トップで報じ、社会面で三井が実名の儘一問一答形式で答える事を了承した。
- 逢坂貞夫 弁護士で、大阪高検検事長を務めた人物。西暦2,001年6月1日、三井環を北新地の料亭に呼び出し、第20代法務事務次官松尾邦弘から心配して何度も電話が来た旨を伝え、自身の弁護士事務所への移籍を誘った。三井が断ると、石橋産業からの手形詐取で逮捕された弁護士田中森一の様になると脅した。加納駿亮の福岡高検検事長就任の実現にも動いている。
- 松尾邦弘 第20代法務事務次官。三井環を心配して逢坂貞夫に何度も電話を掛けた。西暦2,001年10月26日、原田明夫・古田佑紀と共に後藤田正晴の麹町の事務所を訪問し、加納駿亮を福岡高検検事長にしないと検察の裏金問題が表沙汰になると訴えた。
- 古田佑紀 法務省刑事局長。西暦2,001年10月26日、原田明夫・松尾邦弘と共に後藤田正晴の麹町の事務所を訪問し、加納駿亮の福岡高検検事長就任を働き掛けた。
- 後藤田正晴 第6代警察庁長官・第55代法務大臣等を務めた人物。西暦2,001年10月26日、原田明夫・松尾邦弘・古田佑紀の訪問を受け、加納駿亮を福岡高検検事長にしないと検察の裏金問題が表沙汰になると訴えられ、首相秘書官飯島勲に電話をした。
- 小泉純一郎 内閣総理大臣。西暦2,001年10月27日、原田明夫から加納駿亮の福岡高検検事長就任を直談判され、承認した。小泉内閣は条件として加納を不起訴処分とする事を検察側に突き付けて協力させ、検察は内閣に借りを作る結果となった。同年11月13日、小泉内閣は加納の福岡高検検事長就任を承認している。
- 森山真弓 第71代法務大臣。西暦2,001年、加納駿亮が裏金絡みで最高検察庁に刑事告発されている事を理由に、其の高松高検検事長・福岡高検検事長就任に難色を示した。其の後、加納の不起訴処分を巡る経緯の中で態度を軟化させ、記者会見を開いて検察の裏金疑惑を否定した。
- 野中広務 政治家。西暦2,002年3月31日、自身の京都の事務所の秘書である青木氏を通じて三井環にコンタクトを取り、都ホテル(京都府京都市南区西九条院町)にて会談した。検察庁の裏金問題と、前年に加納駿亮の人事で検察が内閣に借りを作った件に就いて話している。
- 菅直人 政治家。西暦2,002年4月21日、三井環から検察の裏金疑惑に関して相談を受け、法務委員会で裏金問題を追及する事を了承した。三井は大阪の財界人を通して菅と会っており、此れが3度目であった。
- 鳥越俊太郎 テレビ朝日の報道番組「ザ・スクープ」のキャスター。西暦2,002年4月22日昼からの三井環への取材収録を申し込み、当日は大阪に来る予定であった。三井は此の実名告発の収録を3時間後に控えた中で、大阪地検特捜部に逮捕された。
- 山口一臣 週刊朝日副編集長。西暦2,002年4月17日、大阪高等検察庁公安部長室に直通で電話を掛け、鳥越俊太郎による取材収録の申し込みを伝えた。然し電話は最初に違う所へ転送され、此れ等の会話は検察側に筒抜けとなった。
- 亀谷直人 山口組二次団体佐藤組六甲連合会会長。三井環が落札した競売物件マンションの買い戻し交渉の内容を記したメモが、荒川洋二を経由して大阪高検次席検事大塚清明に渡り、西暦2,002年4月18日に大阪地検の手に渡った。亀谷は検察から、三井の逮捕に協力したら第3代山健組組長桑田兼吉を保釈すると言われていた。
- 佐々木茂夫 大阪地検検事正。西暦2,002年4月の三井環の逮捕に反対したが、原田明夫が主導し、主任検事大仲土和が準備を進めた。
- 大仲土和 主任検事。西暦2,002年4月21日、大阪地裁にて裁判官に三井環の逮捕状を請求し、深夜に許可が下りた。同日、三井の逮捕を目的として編成された捜査チームには検事水沼裕治も招集されている。
主要な概念・組織
- 検察庁の調査活動費の裏金問題 本書の主題。検察庁の調査活動費は、西暦1,994年度の357,048,000円から、395,832,000円・427,513,000円・491,192,000円と増加を続け、西暦1,998年度に552,600,000円でピークを迎えた後、322,320,000円・225,850,000円・158,570,000円・78,700,000円と減少に転じた。三井環は、此の調査活動費が裏金化されているとして、匿名・刑事告発・実名告発を通じて問題化を試みた。
- 京都医学部事件と三井環への冷遇 西暦1,994年、大阪高検検事であった三井環が、加納駿亮の京都医学部事件の捜査指揮を批判した事に端を発する。以後、人事権者となった加納は三井を冷遇し、三井は大阪高検検事長荒川洋二に転出を願い出て名古屋高検総務部長に就任した。西暦1,999年7月の大阪高検公安部長就任後も、本来検事2号俸の職にありながら検事3号俸に据え置かれている。
- 噂の眞相・西岡研介への匿名告発 月刊誌「噂の眞相」(噂の真相社)。西暦1,999年5月号では則定衛のスキャンダルが報じられ、朝日新聞が発売前日に朝刊一面で素っ破抜いた。西暦2,000年12月10日発売の2001年1月号には、記者西岡研介の取材を三井環が匿名で受けた、検察庁の調査活動費の裏金化を扱った記事が掲載された。
- 加納駿亮への刑事告発 西暦2,001年3月31日、三井環が、四国タイムズ社社長川上道大を表向きの告発人として、加納駿亮を虚偽公文書作成・虚偽公文書行使・私文書偽造・私文書行使・詐欺の五罪名で最高検察庁に刑事告発したもの。高知地検検事正時代の4,000,000円と神戸地検検事正時代の10,000,000円の裏金作りが対象で、三井は同年5月にも同様の刑事告発を行った。此れにより加納の高松高検検事長内示が見送られた。
- 加納駿亮の不起訴処分と内閣への借り 西暦2,001年10月27日、原田明夫が小泉純一郎に加納駿亮の福岡高検検事長就任を直談判し、承認を得た経緯。小泉内閣は条件として加納を不起訴処分とする事を検察側に突き付け、検察は内閣に借りを作り、内閣を構成する政治家を事件に出来ない状態を作ってしまった。同年11月13日、大阪高検が加納を嫌疑無しとして不起訴処分とし、同日、小泉内閣が加納の福岡高検検事長就任を承認した。
- 検察審査会への審議申し立て 西暦2,002年4月3日、三井環が、前年11月13日の大阪高検による加納駿亮の不起訴処分を不服とし、高松高検捜査分に就いて行った申し立て。三井自身が証人となり、川上道大が証人申請書を提出した。此れにより、三井が検察庁の調査活動費の裏金問題を告発した事が公となった。
- 亀谷直人のメモと逮捕の準備 西暦2,002年4月18日15時頃、山口組二次団体佐藤組六甲連合会会長亀谷直人から荒川洋二を経由して大阪高検次席検事大塚清明に渡っていた、三井環が住む競売物件マンションの買い戻し交渉の内容を記したメモが、大阪地検の手に渡った。亀谷は検察から、三井の逮捕に協力したら第3代山健組組長桑田兼吉を保釈すると言われており、検察は三井が亀谷から接待を受けていた事実を明らかにしようとしていた。
- ザ・スクープ実名告発直前の三井環逮捕 西暦2,002年4月22日9時頃、三井環が、詐欺罪(競売マンションを暴力団組長の親族名義で落札し住宅用家屋証明書を詐取して登録免許税約480,000円相当の納付を免れた容疑)と電磁的公正証書原本不実記録罪(虚偽の転入届で住民基本台帳に不実の記載をさせた容疑)により、大阪地検特捜部に逮捕された事件。テレビ朝日「ザ・スクープ」での検察裏金問題の実名告発収録を3時間後に控えた中での、同じ庁舎内の上司を逮捕する異例の事態であった。同年5月10日、三井は収賄罪・公務員職権濫用罪で再逮捕され、懲戒免職となった。
357,048,000円から78,700,000円へ、そして逮捕へ──
加納駿亮への刑事告発から懲戒免職までの全過程を年月日単位で追跡した一冊。
JPY 200(税込)
購入する →
お支払いはカード情報の入力だけで完了します
購入後、そのままPDFダウンロードページへ移動します
お支払いは決済サービス「Square」を通じて安全に処理されます。カード情報が当サイトに保存されることはありません。