電子書籍「ロスチャイルド家によるイギリス王室乗っ取りを許したジョージ3世、素行不良・放漫な財政運営のジョージ4世一元化」の表紙

ロスチャイルド家による
イギリス王室乗っ取りを許したジョージ3世、
素行不良・放漫な財政運営の
ジョージ4世一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,761年9月8日〜西暦1,830年6月26日
最新更新日
西暦2,026年1月13日

セント・ジェームズ宮殿、カールトン・ハウス、ウィンザー城──
ハノーヴァー朝2代に亘るイギリス王室の盛衰を年月日単位で追跡した一冊。

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本書について

西暦1,761年9月8日、セント・ジェームズ宮殿にて、第3代ハノーヴァー家イギリス国王ジョージ3世と、ロスチャイルド家の影響下にあったメクレンブルク・シュトレーリッツ公国の君主アドルフ・フリードリヒ4世の妹のシャーロット・オブ・メクレンバーグ・ストレリッツとの結婚式が執り行われた。此の結婚は周囲が決めたもので、ジョージ3世とシャーロットは此の日が初対面であった。本書は、此のロスチャイルド家によるイギリス王室乗っ取りの起点となる結婚式から、西暦1,830年6月26日早朝のジョージ4世崩御迄、ハノーヴァー朝2代に亘るイギリス王室の盛衰の全過程を、一本の時系列に貫き、一元化した一冊である。

西暦1,767年2月9日、ジョージ3世の弟ヘンリー・フレデリックが、ロンドンのセント・ジェームズ・ストリートのサッチド・ハウス・タバーンに所在するフリーメイソンの臨時ロッジに入会し、同年4月にニューホーンロッジのマスターに就任した。西暦1,776年1月15日、ジョージ3世はヴィルヘルム9世とカッセルにて、12,000名のヘッセン兵部隊を派遣する傭兵条約を結んだ。30クラウン/兵を支払う此の条約により、メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドは徴収した傭兵使用代金の運用を任せられた。一方ジョージ4世は、西暦1,778年頃から、ヘンリー・フレデリックの影響を受けて女官に手を出し始め、自身の妹の家庭教師・女優にも手を出した。西暦1,780年に独立した邸宅を与えられたジョージ4世は、ロンドンのパブを飲み歩いてブランデーをがぶ飲みし、反国王派の貴族と親密になり、競馬に入れ込んで借金を重ね、女に溺れ隠し子を大量に作った。西暦1,782年にはヘンリー・フレデリックがフリーメイソンのグランドマスターに選出された。

西暦1,783年、ジョージ4世はブライトンの浜辺を気に入り農園の館を別荘として借り、同年カールトン・ハウスの所有権と改修費用60,000ポンドを与えられ、建築家ヘンリー・ホランドに大幅な改築を依頼した。西暦1,785年12月15日、ジョージ4世は2度未亡人となっていたマリア・アン・フィッツハーバートとメイフェアにて秘密裏に結婚したが、ジョージ3世の許可が得られていなかった為、イギリスの法律上無効とされた。然し許可が得られていた場合、カトリック教徒の即位や王妃は認められていなかった為、ジョージ4世は王位継承権を失っていた。西暦1,787年、ジョージ4世はブライトンの館を建築家ジョン・ナッシュの設計による「ロイヤル・パビリオン」として改装する様命じ、多額の資金を投入してジョージ4世の評判は大幅に低下した。同年2月6日、ヘンリー・フレデリックがジョージ4世をフリーメイソンに任命した。西暦1,790年9月18日にヘンリー・フレデリックがロンドンの自宅で死去すると、同年11月24日にジョージ4世がフリーメイソンのグランドマスターに選出された。

西暦1,794年にジョージ4世はマリア・アン・フィッツハーバートと別れた。西暦1,795年4月8日夕方、セント・ジェームズ宮殿にて、ジョージ4世はジョージ3世が探してきた従妹キャロライン・オブ・ブランズウィックと結婚した。浪費により220,000ポンドの借金を作っていたジョージ4世は、結婚すればイギリス議会による予算で借金を棒引きにするという条件を受け入れていた。然しジョージ4世は風呂嫌いのブランズウィックの強烈な体臭に思わず顔を背け、ブランズウィックも体重110kgのジョージ4世の体型を見て失望した。西暦1,796年1月7日に長女シャーロット・オーガスタ・オブ・ウェールズが生誕したが、同年4月30日には別居の条件に同意し、翌年には別居した。西暦1,798年、メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの参男ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドが20,000ポンドを携えロンドンへ渡り、その後マンチェスターで綿の買い付けと大陸への輸出業務に従事した。

西暦1,809年10月4日、スペンサー・パーシヴァルが第21代イギリス首相に就任し、以降ジョージ4世はパーシヴァルに補助金をせびる様になった。西暦1,810年11月2日にジョージ3世とシャーロットの6女アミーリアが丹毒の為死去すると、ジョージ3世は精神疾患を再発させ、白内障の進行による視力喪失とポルフィリン症の再発も重なり、伺無しでは歩けない状態となった。西暦1,811年2月6日、ジョージ4世が摂政となり、父ジョージ3世に代わり事実上の君主となった。摂政となったジョージ4世は、メリルボーン・パークの草原に宮殿を建てようと考え、ジョン・ナッシュを顧問として招き、ロンドン北部の再開発計画に着手した。西暦1,812年5月11日、商人ジョン・ベリンガムがウェストミンスター宮殿内庶民院ロビーにて、至近距離からスペンサー・パーシヴァルを撃ち暗殺した。同年6月18日には、ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドの望み通り米英戦争が勃発した。西暦1,814年4月6日、イギリスに亡命しジョージ4世に保護されていたルイ18世が、第7代ブルボン朝フランス国王に即位した際にはロスチャイルド家が200,000ポンドの資金提供を行なった。

西暦1,820年1月29日にジョージ3世が崩御し、ジョージ4世が第4代ハノーヴァー朝国王に即位した。即位の最初の宣言はカールトン・ハウスの階段で行われ、巨額の負債を抱えていたジョージ4世はネイサン・メイヤー・ロスチャイルドの融資を受け、此れを切っ掛けにロスチャイルドはイギリス王室との関係を構築した。同年7月5日、ジョージ4世は教会裁判所を介さずにキャロライン・オブ・ブランズウィックとの婚姻関係を解消する事を意図し「苦痛と罰則の法案」を提出したが、第三読会で賛成が僅か9票となり追及されない事となった。西暦1,821年7月19日、ウェストミンスター寺院にて12,000個のダイヤモンドが付いた王冠が使用されたジョージ4世の戴冠式が執り行われたが、ブランズウィックの出席を拒否し警察を使って追い払い、イギリス国民の反感を買った。同年8月7日、ブランズウィックは「毒を盛られた」と訴え続けながらハマースミスにて腸閉塞で死去した。西暦1,823年10月1日にジョージ4世はウィンザー城に居を構えたが寒く住むには不適格である事が判明し、ジェフリー・ワイアットビルによる増改築が西暦1,840年以降迄続いた。西暦1,826年にはカールトン・ハウスが取り壊され、ジョン・ナッシュの提言によりバッキンガム・ハウスが宮殿へと大規模改造されることとなった。西暦1,830年6月26日早朝、ジョージ4世が崩御した。タイムズ紙は「此れ程周囲から死を惜しまれなかった王は居ない」と報じた。本書は、此の70年に亘る王室の盛衰の全過程を、年月日単位で記録した年表である。


登場人物

  • ジョージ3世 第3代ハノーヴァー家イギリス国王。西暦1,761年9月8日にロスチャイルド家影響下のシャーロットと結婚。西暦1,776年1月15日にヴィルヘルム9世と傭兵条約を結んだ。西暦1,810年11月2日の6女アミーリア死去後に精神疾患を再発。西暦1,820年1月29日に崩御した。
  • ジョージ4世 第4代ハノーヴァー朝国王。ジョージ3世とシャーロットの長男。素行不良・放漫な財政運営で知られた。西暦1,785年にマリア・アンと秘密結婚、西暦1,795年にブランズウィックと結婚、西暦1,811年に摂政、西暦1,820年に即位、西暦1,821年に戴冠式、西暦1,830年6月26日に崩御した。
  • シャーロット・オブ・メクレンバーグ・ストレリッツ ロスチャイルド家の影響下にあったメクレンブルク・シュトレーリッツ公国の君主アドルフ・フリードリヒ4世の妹。西暦1,761年9月8日にセント・ジェームズ宮殿にてジョージ3世と結婚。此の結婚はロスチャイルド家によるイギリス王室乗っ取りの起点となった。
  • アドルフ・フリードリヒ4世 ロスチャイルド家の影響下にあったメクレンブルク・シュトレーリッツ公国の君主。妹のシャーロット・オブ・メクレンバーグ・ストレリッツが西暦1,761年9月8日にジョージ3世と結婚した。
  • ヘンリー・フレデリック ジョージ3世の弟。西暦1,767年2月9日にロンドンのフリーメイソン臨時ロッジに入会、同年4月にニューホーンロッジのマスターに就任。西暦1,782年にフリーメイソンのグランドマスターに選出。西暦1,787年2月6日にジョージ4世をフリーメイソンに任命。西暦1,790年9月18日にロンドンの自宅で死去した。
  • ヴィルヘルム9世 ヘッセン・カッセル方伯。西暦1,776年1月15日にカッセルにてジョージ3世と傭兵条約を結び、12,000名のヘッセン兵部隊を派遣する事と引き換えに30クラウン/兵を受け取った。徴収した傭兵使用代金の運用はメイヤー・アムシェル・ロスチャイルドに任せた。
  • メイヤー・アムシェル・ロスチャイルド ロスチャイルド家の祖。西暦1,776年1月15日のジョージ3世とヴィルヘルム9世の傭兵条約により、徴収した傭兵使用代金の運用を任せられた。マンチェスターからの綿製品の製造業者をドイツに長く引き止め、参男ネイサンの事業に有利な状況を作った。
  • ネイサン・メイヤー・ロスチャイルド メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの参男。西暦1,798年に20,000ポンドを携えロンドンへ渡り、マンチェスターで綿の買い付けと大陸への輸出業務に従事。スペンサー・パーシヴァルにアメリカへの派兵を迫り、西暦1,820年のジョージ4世即位後に巨額の負債を抱えるジョージ4世に融資を行いイギリス王室との関係を構築した。
  • マリア・アン・フィッツハーバート 2度未亡人となっていたカトリック教徒の女性。西暦1,785年12月15日にジョージ4世とメイフェアにて秘密裏に結婚。ジョージ3世の許可が得られていなかった為、イギリスの法律上無効とされた。西暦1,794年にジョージ4世と別れた。後に最初の結婚で産んだトーマス・ウェルドが枢機卿に任命された際、ピウス7世がジョージ4世との結婚を秘跡上有効と認めた。
  • トーマス・ウェルド マリア・アン・フィッツハーバートが最初の結婚の時に産んだ子供。後にローマで枢機卿に任命された際、ウェルドはピウス7世を説得し、ジョージ4世とフィッツハーバートの結婚を秘跡上有効であると認めさせた。
  • ピウス7世 ローマ教皇。トーマス・ウェルドの説得により、ジョージ4世とマリア・アン・フィッツハーバートの結婚を秘跡上有効であると認めた。
  • ヘンリー・ホランド 建築家。西暦1,783年にジョージ4世からカールトン・ハウスの大幅な改築を依頼され、工事は西暦1,796年迄続いた。西暦1,787年にジョージ4世からブライトンの農園の館を「ロイヤル・パビリオン」として改装する様命じられた。
  • ジョン・ナッシュ 建築家。ロイヤル・パビリオンの設計を担当。西暦1,811年に摂政となったジョージ4世から顧問として招かれ、ロンドン北部の再開発計画に着手。西暦1,826年にバッキンガム・ハウスを宮殿へと大規模改造する事を提言した。
  • フレデリック ジョージ4世の弟。西暦1,783年11月7日にバッキンガム・ハウスから、ジョージ4世にカールトン・ハウスの改修進捗状況を伝える書簡を受け取った。
  • キャロライン・オブ・ブランズウィック ジョージ4世の従妹。西暦1,795年4月8日にセント・ジェームズ宮殿にてジョージ4世と結婚。風呂嫌いで強烈な体臭を持っていた。西暦1,796年に別居。西暦1,814年にバルトロメオ・ペルガミを召使として雇い恋愛関係と噂された。西暦1,821年8月7日に「毒を盛られた」と訴え続けながらハマースミスにて腸閉塞で死去した。
  • ウィリアム・ハミルトン 版画家。西暦1,795年4月8日のジョージ4世とブランズウィックの結婚式の入場券と式典の版画を描く許可を与えられた。トムキンスから3.6576mの幅の絵画を依頼され、油彩スケッチを基に作業を行なった。
  • エリーザベト・フォン・グロスブリタンニエン ジョージ3世の参女。ジョージ4世とブランズウィックの結婚式典の版画作成を発案した。
  • フランシス・ヴィリアーズ ジョージ4世の愛人。ブランズウィックとの別居後、ジョージ4世と同居した。
  • シャーロット・オーガスタ・オブ・ウェールズ ジョージ4世とキャロライン・オブ・ブランズウィックの長女。西暦1,796年1月7日に生誕。西暦1,816年5月2日にカールトン・ハウスにてロスチャイルド家と関係の深いザクセン・コーブルク・ゴータ家のレオポルド1世と結婚。西暦1,817年11月6日に男児を死産し間も無く死去した。
  • レオポルド1世 ロスチャイルド家と関係の深いザクセン・コーブルク・ゴータ家の人物。西暦1,816年5月2日にカールトン・ハウスにてシャーロット・オーガスタ・オブ・ウェールズと結婚した。
  • レヴィ・ベアレント・コーエン モーゼズ・モンテフィオーレの義妹で、ロンドンの大富豪。西暦1,798年にメイヤー・アムシェル・ロスチャイルドからネイサンへ送った20,000ポンドの内16,000ポンドを経由した。
  • ベネディクト・ヴォルムス ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドの義兄。マンチェスターの綿製品の輸入元。ネイサンは完成品をヴォルムスに売り、マンチェスターの繊維産業の粗利率を低く抑える事に貢献した。
  • スペンサー・パーシヴァル 第21代イギリス首相。西暦1,809年10月4日に就任。ジョージ4世から補助金をせびられた。ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドからアメリカへの派兵を迫られたが拒絶。西暦1,812年5月11日17時頃にウェストミンスター宮殿内庶民院ロビーにてジョン・ベリンガムによって暗殺された。
  • アミーリア ジョージ3世とシャーロットの6女。西暦1,810年11月2日に丹毒の為死去。其の後ジョージ3世は精神疾患を再発させた。
  • ジョン・ベリンガム 商人。西暦1,812年5月11日17時頃、ウェストミンスター宮殿内庶民院ロビーにて、至近距離からスペンサー・パーシヴァルを撃ち暗殺した。
  • エドワード・オーガスタス ジョージ3世の四男。西暦1,813年にフリーメイソンのイングランド・古代派グランドロッジのグランドマスターに就任。西暦1,817年のシャーロット・オーガスタ・オブ・ウェールズ死去後、王位継承者を作る為にロスチャイルド家から資金提供を受け、西暦1,818年5月29日にアモールバッハにてヴィクトリア・オブ・サクス・コバーグ・ザールフィールドと結婚した。
  • ヴィクトリア・オブ・サクス・コバーグ・ザールフィールド エドワード・オーガスタスの妻。西暦1,818年5月29日にアモールバッハにて結婚した。此の結婚に於いてオーガスタスはロスチャイルド家から資金提供を受けていた。
  • バルトロメオ・ペルガミ キャロライン・オブ・ブランズウィックが西暦1,814年のヨーロッパの旅で召使として雇った人物。程無くして秘書となり、ブランズウィックの家政を担った。公の場で2人で登場した事で、恋愛関係にあるのではないかと噂された。母親・兄弟姉妹・娘もブランズウィックの家政に雇われた。
  • ルイ18世 第7代ブルボン朝フランス国王。イギリスに亡命しジョージ4世に保護されていた。西暦1,814年4月6日に即位。此の際ロスチャイルド家が200,000ポンドの資金提供を行なった。
  • ロバート・ジェンキンソン 第22代イギリス首相。西暦1,820年11月6日の苦痛と罰則の法案の第三読会で賛成が僅か9票となり庶民院で否決される可能性が略確実となった際、此の措置に対する国民の感情を無視出来ないとして、苦痛と罰則の法案は今後追及しない事を決定した。
  • ジェフリー・ワイアットビル 建築家。西暦1,823年10月1日にジョージ4世がウィンザー城に居を構えた後、寒く住むには不適格である事が判明し、ジョージ4世とイギリス財務省の要請で介入した趣味委員会から増改築を依頼された。費用は増大し工期は遅延し、改修は西暦1,840年以降も続いた。
  • ヘンリー・カニンガム 初代カニンガム侯爵。ジョージ4世は晩年、ヘンリー・カニンガムの妻と共に過ごしていた。

主要な概念・組織

  • セント・ジェームズ宮殿 イギリスのロンドンのシティ・オブ・ウェストミンスターに所在する宮殿。西暦1,761年9月8日にジョージ3世とシャーロット・オブ・メクレンバーグ・ストレリッツの結婚式が行われた。西暦1,795年4月8日にはジョージ4世とキャロライン・オブ・ブランズウィックの結婚式も行われた。
  • フリーメイソン 秘密結社。ジョージ3世の弟ヘンリー・フレデリックは西暦1,767年2月9日に臨時ロッジに入会、西暦1,782年にグランドマスターに選出。西暦1,787年2月6日にジョージ4世をフリーメイソンに任命。ジョージ4世は西暦1,790年11月24日にグランドマスターに選出された。
  • ニューホーンロッジ フリーメイソンのロッジ。西暦1,767年4月にヘンリー・フレデリックがマスターに就任した。
  • 傭兵条約 西暦1,776年1月15日にジョージ3世とヴィルヘルム9世がカッセルにて結んだ条約。12,000名のヘッセン兵部隊が派遣され、ジョージ3世はヴィルヘルム9世に30クラウン/兵を支払った。徴収した傭兵使用代金の運用はメイヤー・アムシェル・ロスチャイルドに任せられた。
  • カールトン・ハウス ロンドンのシティ・オブ・ウェストミンスターのセント・ジェームズ地区ペル・メルに所在する邸宅。西暦1,783年にジョージ4世が所有権と改修費用60,000ポンドを与えられ、ヘンリー・ホランドに改築を依頼した。西暦1,820年1月29日にジョージ4世即位の最初の宣言が階段で行われた。西暦1,826年に取り壊された。
  • ロイヤル・パビリオン ブライトンに所在するジョージ4世の離宮。西暦1,787年にジョージ4世がヘンリー・ホランドに対し、ジョン・ナッシュの設計による新古典主義の外装にバロック様式の内装を備えた離宮として改装する様命じた。多額の資金を投入する事となり、ジョージ4世の評判は大幅に低下した。
  • フィッツハーバートとの秘密結婚 西暦1,785年12月15日にジョージ4世がマリア・アン・フィッツハーバートとメイフェアにてイギリス国教会の牧師を招いて行った結婚。ジョージ3世の許可が得られていなかった為イギリスの法律上無効とされた。許可が得られていた場合、ジョージ4世は王位継承権を失っていた。
  • ハノーヴァー朝 イギリス王朝。第3代国王ジョージ3世が西暦1,820年1月29日に崩御し、ジョージ4世が第4代ハノーヴァー朝国王に即位した。
  • 米英戦争 西暦1,812年6月18日に勃発したアメリカとイギリスの戦争。ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドは、ナポレオン戦争中にアメリカが領土拡大を狙っているとして、第21代イギリス首相スペンサー・パーシヴァルにアメリカへの派兵を迫っていた。パーシヴァル暗殺後の此の勃発はネイサンの望み通りであった。
  • イングランド・古代派グランドロッジ フリーメイソンの組織。西暦1,813年にジョージ3世の四男エドワード・オーガスタスがグランドマスターに就任した。
  • 苦痛と罰則の法案 西暦1,820年7月5日にジョージ4世が、教会裁判所を介さずにキャロライン・オブ・ブランズウィックとの婚姻関係を解消する事を意図して提出した法案。同年8月17日に裁判が開始され、同年11月6日の第三読会で賛成が僅か9票となり、第22代イギリス首相ロバート・ジェンキンソンが追及しない事を決定した。
  • リージェンツ・パーク ロンドンの公園。元はメリルボーン・パークで、西暦1,811年に第4代ポートランド公爵のリース契約が切れイギリス王室の所有となった。摂政となっていたジョージ4世が宮殿建設を構想したが取り止めとなり、改名された。西暦1,845年に完成し、当初は週に2日間だけ一般に公開されていた。
  • リージェント・ストリート ロンドン北部の再開発計画で建設されたショッピング通り。メリルボーン・パークからカールトン・ハウス迄続く大通り。西側は貴族や上流階級が住むメイフェア、東側は労働者階級が暮らすソーホーに棲み分けが為された。イギリス王室は一切資金提供をせず、民間に投資させた。
  • ジョージ4世戴冠式 西暦1,821年7月19日にウェストミンスター寺院にて執り行われた戴冠式。12,000個のダイヤモンドが付いた王冠が使用され、2,000名以上が晩餐会に出席した。然しジョージ4世は、キャロライン・オブ・ブランズウィックの出席を拒否し、警察を使って会場から追い払った為、イギリス国民の反感を買った。
  • アスコット競馬場ロイヤル・エンクロージャー 西暦1,822年にジョージ4世がアスコット競馬場に設置させた区画。イギリス王室の招待状を持つゲストのみが入場を許された。ロシア皇帝やザクセン王国国王が招かれ、招待される事がステータスとなった。
  • ウィンザー城 イギリスのバークシャー州に所在する城。西暦1,823年10月1日にジョージ4世が居を構えたが、寒く住むには不適格である事が判明した。趣味委員会の介入によりジェフリー・ワイアットビルが増改築を担当し、改修は西暦1,840年以降も続いた。
  • バッキンガム宮殿 元はバッキンガム・ハウス。西暦1,826年にジョン・ナッシュの提言により、宮殿へと大規模改造される事となった。完成したのは西暦1,837年であった。カールトン・ハウスの賃貸収益は此の建設費用に充てられた。
  • カールトン・ハウス・テラス 西暦1,826年のカールトン・ハウス取り壊し後、ジョン・ナッシュがセント・ジェームズ・パークの北側に3つのテラスハウスを建設する案を出したうちの実現分。高価な白い漆喰の建物が2棟建設されたものの、1棟は実現しなかった。

ロスチャイルド家影響下の結婚から、放漫な財政運営、そしてロスチャイルドの融資による王室乗っ取りへ──
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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「一元化」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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