電子書籍「キッシンジャー主催のサマースクール「ハーバード国際セミナー」一元化」の表紙

キッシンジャー主催のサマースクール
「ハーバード国際セミナー」
一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,938年9月〜1,965年
ページ数
11ページ
最新更新日
西暦2,026年7月26日

ナチスから逃れた少年が、対敵諜報部隊の捜査官となり、やがてCIAの資金で各国の逸材を集めるサマースクールの幹事役となる──
フリッツ・クレーマーとの邂逅、MI6ジョン・ウィーラー・ベネットの指導、CIA OPCの契約コンサルタント、アジア財団・ファーフィールド財団・AFMEを経由した資金、FBIへの自発的協力と参加者郵便物の無断開封、そして中曽根康弘・イーガル・アロン・クラウス・シュワブの参加迄。キッシンジャー27年間の系譜を年月日単位で追跡した一冊。

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本書について

西暦1,938年9月、ヘンリー・キッシンジャーが、ニューヨークに移住した。キッシンジャーの両親がユダヤ系であった為、ナチスの政策により移住を余儀無くされたのである。西暦1,941年7月11日、ウィリアム・ドノバンと劇作家ロバート・シャーウッドの2名等の説得により、フランクリン・ルーズベルトが「OCOI(情報調整局)」を設置した。ドノバンは、第26代アメリカ大統領を務めたセオドア・ルーズベルトの孫カーミット・ルーズベルト・ジュニアを、ディーン・アチソンの特別補佐官として配属させた。

西暦1,943年、ナチス武装親衛隊司令官フリッツ・クレーマーとヘンリー・キッシンジャーの2名が知己を得る。クレーマーは、此の当時一般歩兵であったキッシンジャーが、戦後のドイツで地位を確保出来る様手助けした。其の一環で、キッシンジャーは、同年ドイツ国籍を取得した。西暦1,945年、ヘンリー・キッシンジャーが、アメリカ軍と共にドイツに戻り、第970対敵諜報部隊(CIC)の特別捜査官として配属され、軍曹に昇進した。同年3月、クレーフェルト(現在のドイツのノルトライン・ヴェストファーレン州)の行政官の任務に就き、同年4月から翌月に掛けてはハノーファーにて対諜報活動に従事しゲシュタポのメンバーを追跡し、同年6月にはベンスハイム(現在のドイツのヘッセン州ベルクシュトラーセ郡)のCIC分遣隊の指揮官に任命され、同地の非ナチ化政策を担った。

西暦1,947年、ヘンリー・キッシンジャーがアメリカに帰国した。其の後キッシンジャーは、ハーバード大学に入学し、政治学を学んだ。西暦1,950年、キッシンジャーは、ハーバード大学の政治学学士の学位を最優等で取得し、卒業した。此の頃キッシンジャーは、MI6の実地活動の責任者であるジョン・ウィーラー・ベネットから個人的に指導を受けていた。キッシンジャーは其の儘同大学の大学院に進学し、ウィリアム・ヤンデル・エリオットの指導を受ける様になった。同年11月15日、エリオットが、H・ゲイツ・ロイドに、ハーバード大学でのサマースクール計画及び国際セミナー設立の早期実現を促す書簡を送った。此の書簡の中には、キッシンジャー宛の資料も同封され、其の資料には、キッシンジャーとCIA初期メンバーのクリーブランド・クラムが提案内容に就いて協議した事が記載された。又、エリオットの他の文書には、キッシンジャーが、CIAの秘密作戦部門であるOPC(政策調整局)の契約コンサルタントとして活動していた事も記載されていた。クラムは程無くしてエリオット及びキッシンジャーと連絡を取り、サマースクール計画に関わる様になった。又キッシンジャーはロイドに、サマースクールに於ける費用を項目別に記載した書簡を送った。

西暦1,951年、カーミット・ルーズベルト・ジュニア、ジャーナリストのドロシー・トンプソン、ハリー・エマーソン・フォスディックの3名及び24名のアメリカの教育者・神学者・作家によって、聖地に於ける正義と平和の為の委員会が「AFME(アメリカ中東友好協会)」に改組された。AFMEは、親アラブ組織として活動し、アメリカのイスラエル支援に否定的であった。同年7月、ウィリアム・ヤンデル・エリオットの発案により、ヘンリー・キッシンジャーが、自身が幹事役を務め、ヨーロッパやアジアから外交政策・政治・文化・文学界の有望な人材をハーバード大学に招き、アメリカの外交政策に就いて教育し、国際情勢に於ける講義や議論を行うという名目のサマースクールである「ハーバード国際セミナー」を立ち上げた。パイロットイベント終了後にキッシンジャーはエリオットに「私がセミナーの指導的天才等と形容されているのを聞いて、非常に気恥ずかしく思いました。私は其の様な幻想を一切持っておりません」という主旨の書簡を送った。エリオットは、発案者であるにも拘らず、登壇する事は無く、シカゴ大学社会科学教授デイヴィッド・リースマン、ハーバード大学准教授アーサー・シュレジンジャー、ハーバード大学政治学教授マクジョージ・バンディ等が講義を行った。

此のセミナーには、CIAから資金を受け取ったアジア財団、ファーフィールド財団、そしてカーミット・ルーズベルト・ジュニア率いるAFMEの3団体を経由した資金提供が行われていた。中でもAFMEの資金提供額が最も多く、243,000ドルを流していた。後にピエール・トルドーとヴァレリー・ジスカール・デスタンの2名も、此のセミナーに参加した。そして同年、キッシンジャーはハーバード大学の季刊誌「コンフルエンス」を創刊した。コンフルエンスは、ロックフェラー財団の資金提供を受け、ハーバード国際セミナーの講師陣・受講生からの寄稿を掲載した。後にキッシンジャーの秘書を務めたアビゲイル・コリンズ・フィクターは、キッシンジャーが「大変だ、此れは酷い。みんな僕がCIAの手先だと思うじゃないか」と言っていたと振り返った。然しキッシンジャーは、ハーバード大学在学中からFBIに自ら接触し、協力関係を築いた。そしてキッシンジャーは、FBIに自発的に情報提供したり、セミナー参加者の郵便物を本人の知らない所で勝手に開封したりした。此れは無論郵便法違反である。

西暦1,953年、クリーブランド・クラムが、CIAのロンドン副支局長として派遣された。クラムは公式にCIA・MI5・MI6間の連絡係となった。同年7月3日、中曽根康弘が、ハーバード国際セミナー参加の為、同年11月迄の日程で渡米した。同セミナーのスポンサーはロックフェラー財団とフォード財団であり、又、カリフォルニア大学バークレー校のカリフォルニア大学放射線研究所を見学した。同年7月10日朝、ヘンリー・キッシンジャーが、FBIに電話を掛け、FBIが関心の有る情報を持っている旨を報告し、エージェントに折り返し電話する様依頼した。午後、FBI特別捜査官がキッシンジャーにインタビューした。此れに応じたキッシンジャーは、ハーバード国際セミナーには、自国で経済的・政治的に高い地位にある外国人が参加しており、斯うした人物を通じて、アメリカの政策を彼等の母国に於いて好意的に印象付けたいと考えている、と語った。

続けてキッシンジャーは、セミナー参加者40名に宛てた書簡40通が自身のオフィスに届いたと報告し、届いた数時間後、其の未受領の書簡の内、セミナーに不参加であった人間宛の1通を開封した。内封筒には「ほんの少しの真実」と題された8ページのフライヤーが入っていた。其のフライヤーは、アメリカの原爆開発を批判し、アメリカの戦争準備に対する国民の恥と苦悩を代表するものであるとして、人生を平和的な努力に捧げると固く決意するしか道は無い、と訴えるものであった。キッシンジャーは、此の様な国際的平和を求める訴えがセミナーの目的を損なう可能性が有ると考え、参加者の身元に関する情報を得られる可能性の有る情報源として、セミナーに関するニュースリリースを受け取った新聞社、参加者に演説したゲストスピーカー、第57代マサチューセッツ州知事を務めたロバート・ブラッドフォード、ハーバード大学の学生新聞ハーバード・クリムゾンの編集者4名、の4つを挙げた。セミナー中にフライヤーの話題が出ても、動揺していない振りをする積もりだと述べた。最後にキッシンジャーは、セミナーの参加者に此の種の文書を提供しようとする試みが再び有った場合、ボストン支局に追加情報を提供すると約束し、自身を、FBIに強い共感を持っている人間である、と結んだ。

西暦1,957年7月、イーガル・アロンが、ハーバード国際セミナーに参加した。西暦1,965年、クラウス・シュワブが、ハーバード大学の政府学部及びビジネススクールに入学した。シュワブは、CIAから西暦1,960〜1,966年の間に135,000ドルの資金提供を受けていたヘンリー・キッシンジャー主催のハーバード国際セミナーを通じ、円卓会議で紹介され、キッシンジャーと繋がりの有る人間との人脈を築いた。其の中の1人が、此のCIAの息の掛かったセミナーで、ポール・ウォーバーグの名を冠した講座を担当し、ジョン・F・ケネディ政権下で駐インドアメリカ大使を務めたジョン・ケネス・ガルブレイスであった。シュワブは、1年間キッシンジャーの指導を受け、公共行政学の修士号を取得してヨーロッパに戻り、アイビーリーグの経営学部で教えられていたアメリカの経営手法をヨーロッパの機関に取り入れようとした。本書は、此の27年に亘る、キッシンジャーのCIA・FBI・MI6結節点形成と、ハーバード国際セミナーによる各国指導者リクルーティングの全過程を、年月日単位で記録した年表である。


登場人物

  • ヘンリー・キッシンジャー 本書の中心人物。西暦1,938年9月、ナチスの政策によりユダヤ系の両親と共にニューヨークへ移住。西暦1,943年にナチス武装親衛隊司令官フリッツ・クレーマーと知己を得てドイツ国籍を取得し、西暦1,945年にアメリカ軍と共にドイツへ戻り第970対敵諜報部隊(CIC)特別捜査官として軍曹に昇進、クレーフェルト行政官・ハノーファーでの対諜報活動・ベンスハイムのCIC分遣隊指揮官として非ナチ化政策を担った。西暦1,947年に帰国してハーバード大学に入学し、西暦1,950年に政治学学士を最優等で取得。MI6のジョン・ウィーラー・ベネットとウィリアム・ヤンデル・エリオットの指導を受け、CIA秘密作戦部門OPC(政策調整局)の契約コンサルタントとして活動した。西暦1,951年7月に「ハーバード国際セミナー」を立ち上げて幹事役を務め、季刊誌「コンフルエンス」を創刊。在学中からFBIに自ら接触して協力関係を築き、参加者の郵便物を無断で開封した。
  • フリッツ・クレーマー ナチス武装親衛隊司令官。西暦1,943年、当時一般歩兵であったヘンリー・キッシンジャーと知己を得た。キッシンジャーが戦後のドイツで地位を確保出来る様手助けし、其の一環でキッシンジャーは同年ドイツ国籍を取得した。
  • フランクリン・ルーズベルト 第32代アメリカ大統領。西暦1,941年7月11日、ウィリアム・ドノバンと劇作家ロバート・シャーウッドの2名等の説得により「OCOI(情報調整局)」を設置した。
  • ウィリアム・ドノバン 西暦1,941年7月11日、フランクリン・ルーズベルトに「OCOI(情報調整局)」設置を説得した人物の1人。其の後、第26代アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの孫カーミット・ルーズベルト・ジュニアを、ディーン・アチソンの特別補佐官として配属させた。
  • ロバート・シャーウッド 劇作家。西暦1,941年7月11日、ウィリアム・ドノバンと共にフランクリン・ルーズベルトを説得し、「OCOI(情報調整局)」の設置に至らせた。
  • カーミット・ルーズベルト・ジュニア 第26代アメリカ大統領セオドア・ルーズベルトの孫。ウィリアム・ドノバンによりディーン・アチソンの特別補佐官として配属された。西暦1,951年、ドロシー・トンプソン、ハリー・エマーソン・フォスディック、24名のアメリカの教育者・神学者・作家と共に、聖地に於ける正義と平和の為の委員会を「AFME(アメリカ中東友好協会)」に改組し、自ら率いた。AFMEはCIAから資金を受け、ハーバード国際セミナーへの最大の資金提供団体として243,000ドルを流した。
  • ドロシー・トンプソン ジャーナリスト。西暦1,951年、カーミット・ルーズベルト・ジュニア、ハリー・エマーソン・フォスディック、24名のアメリカの教育者・神学者・作家と共に、聖地に於ける正義と平和の為の委員会を「AFME(アメリカ中東友好協会)」に改組した。
  • ハリー・エマーソン・フォスディック 西暦1,951年、カーミット・ルーズベルト・ジュニア、ドロシー・トンプソン、24名のアメリカの教育者・神学者・作家と共に、聖地に於ける正義と平和の為の委員会を「AFME(アメリカ中東友好協会)」に改組した人物。
  • ジョン・ウィーラー・ベネット MI6の実地活動の責任者。西暦1,950年頃、ハーバード大学で政治学学士を最優等取得した前後のヘンリー・キッシンジャーに対し、個人的に指導を行った。
  • ウィリアム・ヤンデル・エリオット ハーバード大学大学院でのキッシンジャーの指導教官。西暦1,950年11月15日、H・ゲイツ・ロイドに、ハーバード大学でのサマースクール計画及び国際セミナー設立の早期実現を促す書簡を送った。書簡にはキッシンジャー宛の資料も同封され、CIA初期メンバーのクリーブランド・クラムとの提案内容協議や、キッシンジャーのCIA秘密作戦部門OPC(政策調整局)契約コンサルタント活動が記載されていた。西暦1,951年7月のハーバード国際セミナーの発案者であるが、自らは登壇しなかった。
  • H・ゲイツ・ロイド 西暦1,950年11月15日、ウィリアム・ヤンデル・エリオットから、ハーバード大学でのサマースクール計画及び国際セミナー設立の早期実現を促す書簡を受け取った人物。キッシンジャーからも、サマースクールに於ける費用を項目別に記載した書簡を受け取った。
  • クリーブランド・クラム CIA初期メンバー。西暦1,950年11月15日のエリオット書簡に、キッシンジャーと提案内容を協議した事実が記載された。其の後エリオット及びキッシンジャーと連絡を取り、サマースクール計画に関わる様になった。西暦1,953年、CIAのロンドン副支局長として派遣され、公式にCIA・MI5・MI6間の連絡係となった。
  • デイヴィッド・リースマン シカゴ大学社会科学教授。西暦1,951年7月に立ち上げられたハーバード国際セミナーで講義を行った。
  • アーサー・シュレジンジャー ハーバード大学准教授。西暦1,951年7月に立ち上げられたハーバード国際セミナーで講義を行った。
  • マクジョージ・バンディ ハーバード大学政治学教授。西暦1,951年7月に立ち上げられたハーバード国際セミナーで講義を行った。
  • ピエール・トルドー 後にハーバード国際セミナーに参加した人物。後年、カナダ首相となった。
  • ヴァレリー・ジスカール・デスタン 後にハーバード国際セミナーに参加した人物。後年、フランス大統領となった。
  • 中曽根康弘 西暦1,953年7月3日、ハーバード国際セミナー参加の為、同年11月迄の日程で渡米した。同セミナーのスポンサーはロックフェラー財団とフォード財団であった。又、カリフォルニア大学バークレー校のカリフォルニア大学放射線研究所を見学した。後に第71・72・73代日本国内閣総理大臣となった。
  • ロバート・ブラッドフォード 第57代マサチューセッツ州知事。西暦1,953年7月10日、キッシンジャーがFBI特別捜査官に対し、セミナー参加者の身元に関する情報を得られる可能性の有る情報源4つの1つとして名を挙げた人物。
  • イーガル・アロン 西暦1,957年7月、ハーバード国際セミナーに参加した。後にイスラエルの首相代理・副首相等を歴任した。
  • クラウス・シュワブ 西暦1,965年、ハーバード大学の政府学部及びビジネススクールに入学した。CIAから西暦1,960〜1,966年の間に135,000ドルの資金提供を受けていたヘンリー・キッシンジャー主催のハーバード国際セミナーを通じ、円卓会議で紹介され、キッシンジャーと繋がりの有る人間との人脈を築いた。1年間キッシンジャーの指導を受け、公共行政学の修士号を取得してヨーロッパに戻り、アイビーリーグの経営学部で教えられていたアメリカの経営手法をヨーロッパの機関に取り入れようとした。後に世界経済フォーラムの創設者となった。
  • ジョン・ケネス・ガルブレイス CIAの息の掛かったハーバード国際セミナーで、ポール・ウォーバーグの名を冠した講座を担当した人物。ジョン・F・ケネディ政権下で駐インドアメリカ大使を務めた。西暦1,965年、クラウス・シュワブがハーバード国際セミナーを通じて人脈を築いた人間の1人。
  • アビゲイル・コリンズ・フィクター 後にキッシンジャーの秘書を務めた人物。キッシンジャーが「大変だ、此れは酷い。みんな僕がCIAの手先だと思うじゃないか」と言っていた事を振り返って証言した。

主要な概念・組織

  • OCOI(情報調整局) 西暦1,941年7月11日、ウィリアム・ドノバンと劇作家ロバート・シャーウッドの2名等の説得により、フランクリン・ルーズベルトが設置したアメリカの情報機関。其の後ドノバンは、セオドア・ルーズベルトの孫カーミット・ルーズベルト・ジュニアをディーン・アチソンの特別補佐官として配属させた。
  • 第970対敵諜報部隊(CIC) 西暦1,945年、ヘンリー・キッシンジャーが特別捜査官として配属され、軍曹に昇進したアメリカ軍の対敵諜報部隊。同年3月にキッシンジャーはクレーフェルト(現在のドイツのノルトライン・ヴェストファーレン州)の行政官に就任、4月から翌月に掛けてハノーファーで対諜報活動及びゲシュタポメンバーの追跡を行い、6月にベンスハイム(現在のドイツのヘッセン州ベルクシュトラーセ郡)のCIC分遣隊指揮官に任命され、非ナチ化政策を担った。
  • OPC(政策調整局) CIAの秘密作戦部門。西暦1,950年11月15日のウィリアム・ヤンデル・エリオットの文書には、キッシンジャーが此のOPCの契約コンサルタントとして活動していた事が記載されていた。
  • AFME(アメリカ中東友好協会) 西暦1,951年、カーミット・ルーズベルト・ジュニア、ジャーナリストのドロシー・トンプソン、ハリー・エマーソン・フォスディックの3名及び24名のアメリカの教育者・神学者・作家により、聖地に於ける正義と平和の為の委員会を改組して設立された。親アラブ組織として活動し、アメリカのイスラエル支援に否定的であった。CIAから資金を受け取り、ハーバード国際セミナーへの最大の資金提供団体として243,000ドルを流した。
  • ハーバード国際セミナー 西暦1,951年7月、ウィリアム・ヤンデル・エリオットの発案により、ヘンリー・キッシンジャーが幹事役を務めて立ち上げたサマースクール。ヨーロッパやアジアから外交政策・政治・文化・文学界の有望な人材をハーバード大学に招き、アメリカの外交政策に就いて教育し、国際情勢に於ける講義や議論を行うという名目であった。デイヴィッド・リースマン、アーサー・シュレジンジャー、マクジョージ・バンディ等が講義を行い、CIAから資金を受け取ったアジア財団・ファーフィールド財団・AFMEの3団体を経由した資金提供が行われた。ピエール・トルドー、ヴァレリー・ジスカール・デスタン、中曽根康弘、イーガル・アロン、クラウス・シュワブが参加し、CIAから西暦1,960〜1,966年の間に135,000ドルの資金提供を受けていた。
  • コンフルエンス 西暦1,951年、ヘンリー・キッシンジャーが創刊したハーバード大学の季刊誌。ロックフェラー財団の資金提供を受け、ハーバード国際セミナーの講師陣・受講生からの寄稿を掲載した。
  • FBIへの協力と郵便物の無断開封 キッシンジャーは、ハーバード大学在学中からFBIに自ら接触し、協力関係を築いた。FBIに自発的に情報提供したり、セミナー参加者の郵便物を本人の知らない所で勝手に開封したりした(郵便法違反)。西暦1,953年7月10日には、FBIに電話を掛けて報告し、午後にFBI特別捜査官のインタビューに応じた。参加者40名宛の書簡40通の到着と、不参加者宛1通の「ほんの少しの真実」フライヤーの無断開封を報告し、自身を「FBIに強い共感を持っている人間」と結んだ。
  • ほんの少しの真実 西暦1,953年7月、キッシンジャーがセミナー不参加者宛の書簡を無断開封した際、内封筒に入っていた8ページのフライヤーの表題。アメリカの原爆開発を批判し、アメリカの戦争準備に対する国民の恥と苦悩を代表するものであるとして、人生を平和的な努力に捧げると固く決意するしか道は無い、と訴えるものであった。
  • CIA・MI5・MI6連絡係 西暦1,953年、クリーブランド・クラムがCIAのロンドン副支局長として派遣され、公式にCIA・MI5・MI6間の連絡係となった。キッシンジャーは既にハーバード国際セミナーを通じてCIAと、ジョン・ウィーラー・ベネットを通じてMI6と、そしてFBIへの自発的協力を通じて、英米情報機関群の結節点を形成していた。
  • ロックフェラー財団・フォード財団 ハーバード国際セミナー及び季刊誌「コンフルエンス」への資金提供元。西暦1,953年7月3日に中曽根康弘が参加した際の同セミナーのスポンサーは、此の2財団であった。

ニューヨーク移住、フリッツ・クレーマーの薫陶、ドイツ非ナチ化政策、ハーバード大学進学、ウィリアム・ヤンデル・エリオットの発案、CIA資金による「ハーバード国際セミナー」立ち上げ、季刊誌コンフルエンス創刊、FBI協力と郵便物無断開封、そしてクラウス・シュワブへの指導へ──
キッシンジャー27年間のCIA・FBI・MI6結節点形成と、各国指導者リクルーティングの全過程を一元化。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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