電子書籍「ロックフェラー医学研究所が流行らせたスペイン風邪一元化」の表紙

ロックフェラー医学研究所が
流行らせた
スペイン風邪一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,917年4月〜1,918年11月11日
ページ数
7ページ
最新更新日
西暦2,026年7月25日

兵士の腕に接種された物と、其の後に始まった流行──
スペイン風邪の起点を巡る出来事を年月日単位で一元化。

JPY 200(税込)

購入する
決済サービスSquare/ご利用いただけるカードブランド:Visa・Mastercard・アメリカン・エキスプレス・JCB・Diners Club・Discover・UnionPay(銀聯)

お支払いはカード情報の入力だけで完了します

購入後、そのままPDFダウンロードページへ移動します

お支払いは決済サービス「Square」を通じて安全に処理されます。カード情報が当サイトに保存されることはありません。


皇室献上品 高級トイレットペーパー
皇室献上品 高級トイレットペーパー

本書について

西暦1,917年4月、ロックフェラー医学研究所は、イギリス・フランスの要望により、馬用の廐舎を即座に建て、両国に向けた髄膜炎菌ワクチンの製造を開始した。此のワクチンは、第一次世界大戦中にイギリス・フランス・ベルギー・イタリアへ配布されている。同じ4月、アメリカもまた戦争へ踏み出した。ウッドロウ・ウィルソンがジョン・パーシングをアメリカ外征軍の総司令官に任命し、4月6日にドイツ帝国へ宣戦を布告する。5月18日には徴兵制が実施され、21〜30歳の男性が登録の対象となった。本書は、此の戦争と、兵士の腕に打たれた実験的なワクチンとが交わる地点を起点として、スペイン風邪の起源を巡る出来事を年月日単位で一元化した記録である。

西暦1,917年10月から翌月にかけて、カンザス州のフォートライリーで、第342野戦砲兵連隊に対し、ロックフェラー医学研究所の中尉ピーター・K・オリツキーが製造した髄膜炎菌ワクチンの人体実験が行われた。ワクチンは、髄膜炎に罹った人の体液から採取した細菌を加熱して不活化した物である。約50名から成るグループⅠ〜Ⅵと99名から成るグループⅦに分けられ、菌数500,000,000/ccから10,000,000,000/ccまで、回を追って濃度を上げながら三角筋に注射された。途中で接種を止めた者には、咳・下痢・発熱・頭痛といった症状が出ている。フレデリック・ラモント・ゲイツは、此の接種の経過を詳細な報告書に記録した。師団訓練担当官で大尉のアルバート・バウアーが連隊軍医と研究所の仲介役を務め、軍医会議でワクチンの投与方法・効果・観察点が議論されている。

西暦1,918年1月21日、ロックフェラー医学研究所主導で馬を用いて培養された抗髄膜炎血清を含む髄膜炎菌ワクチンの接種が、フォートライリーの第89師団の約25,000名のうち志願者に対して始まった。フレデリック・テイラー・ゲイツとフレデリック・ラモント・ゲイツが関与し、8〜10日の間隔で3回、1回目4,792名・2回目4,257名・3回目3,702名に接種されている。NIHは、此の抗髄膜炎血清を第一次世界大戦中にイギリス・フランス・ベルギー・イタリアへ配布した。2月4日にはニューヨーク州のキャンプアプトンでも、志願兵12,519名を対象とした人体実験が始まる。同じ日、高用量による重度の副反応が数件発生した事を背景に、第89師団の3回目の接種者の約半数が、菌数を4,000,000,000/ccに減らして接種を受けた。2回目の接種では、略全ての部隊で頭痛・関節痛・吐き気・下痢を示す者が少数現れ、其の多くは軽度の鼻風邪や気管支炎を患っていたという。

西暦1,918年3月、アメリカ外征軍がフランスのブレストへ上陸を始め、本格的なヨーロッパ遠征に入る。此の月だけで84,000名の兵が大西洋を渡った。そして3月4日、フォートライリーのファンストン基地の病院で、兵士アルバート・ギッチェルがインフルエンザの症状を訴える。髄膜炎菌ワクチンの人体実験の参加者であった。3月11日朝、フォートライリーでスペイン風邪の第1波が始まる。軍医エドワード・R・シュライナーは正午までに100名以上の患者の治療に当たり、其の目には全員が同じ病気に苦しんでいる様に見えた。感染者は続出し、1,000名以上が感染して48名が死亡する。3月18日には522名の感染者が発生した。此等の兵士がヨーロッパの戦場へ赴き、解熱と免疫抑制の作用を持つアスピリンを処方されて、多数の犠牲者を出していった。

ワクチンの接種は続いた。西暦1,918年4月15日、キャンプアプトンでの人体実験が終了し、少なくとも6,131名が入院している。6月4日には、フォートライリーの兵士に対する接種も終わった。7月20日、フレデリック・ラモント・ゲイツは、3,702名のボランティアへの3回接種に関する報告書を作成し、副反応として下痢・吐き気・嘔吐・眩暈・全身の関節や筋肉の痛みを、多い順に列挙した。副反応は時折、流行性髄膜炎の発症を模倣し、ワクチン接種を受けた数名の兵士が診断の為に基地病院へ搬送されたという。ワクチンを巡る記録と、広がってゆく流行とが、同じ夏に並行して進んでいた。

西暦1,918年9月13日、第4代アメリカ公衆衛生局長官ルパート・ブルーがアスピリンの使用を推奨する。同じ日、キャンプアプトンでスペイン風邪が発生し38名が入院した。感染者は9月14日に86名、15日に193名、10月4日には483名とピークに達する。9月26日にアメリカ海軍へ、10月5日にはアメリカ陸軍へアスピリンの処方が始まり、同日JAMAも其の使用を推奨した。そして11月11日、ドイツと連合国の間で休戦協定が締結される。アメリカ兵は母国や植民地の前哨基地へ戻り、スペイン風邪を世界中へ広めていった。最終的な死者は50,000,000〜100,000,000名に上る。研究者達による遺体の剖検では、肺培養検査で陰性の遺体は一つも無く、少なくとも遺体の92.7%の死因が細菌性肺炎とされた——本書は、其の全過程を一冊に束ねている。


登場人物

  • ウッドロウ・ウィルソン アメリカ大統領。西暦1,917年4月、ジョン・パーシングをアメリカ外征軍の総司令官に任命。同月2日、同盟国(ドイツ帝国・オーストリア・ハンガリー帝国・オスマン帝国)の侵略から自由と民主主義を守る為に、第一次世界大戦への参戦を認める様連邦議会で訴え、同月6日、ドイツ帝国に対し宣戦布告した。
  • ジョン・パーシング アメリカ外征軍の総司令官。西暦1,917年4月にウッドロウ・ウィルソンによって任命された。同年6月7日、アメリカ外征軍を率いてイギリスに到着し、直ちにイギリス・フランスに兵を派遣するのでは無く、充分な訓練を行ってからにすべきだと主張し、翌年まで殆ど兵を動かさなかった。西暦1,918年3月、アメリカ外征軍はブレストへの上陸を開始し本格的なヨーロッパ遠征を始めた。
  • ピーター・K・オリツキー ロックフェラー医学研究所の中尉。西暦1,917年10月から翌月に掛けて、フォートライリーのアメリカ軍施設にて、第342野戦砲兵連隊に対して人体実験が行われた髄膜炎菌ワクチンを製造した。
  • フレデリック・ラモント・ゲイツ ロックフェラー医学研究所関係者。西暦1,917年10月からのフォートライリー第342野戦砲兵連隊への髄膜炎菌ワクチン人体実験について、ショーラー・シェパード・ニュージェント・ジョンソン等の関与を記した報告書を作成。西暦1,918年1月21日のフォートライリー第89師団約25,000名将校・兵士志願者対象の髄膜炎菌ワクチン接種にも、フレデリック・テイラー・ゲイツと共に関与。西暦1,918年7月20日には、3,702名のボランティアに対する1週間間隔3回の皮下注射(菌数2,000,000,000~8,000,000,000/cc)の接種結果を纏めた髄膜炎菌ワクチン接種報告書を作成した。
  • フレデリック・テイラー・ゲイツ ロックフェラー医学研究所関係者。西暦1,918年1月21日、ロックフェラー医学研究所主導の馬で培養された抗髄膜炎血清を含む髄膜炎菌ワクチンのフォートライリー第89師団約25,000名将校・兵士志願者対象接種に、フレデリック・ラモント・ゲイツと共に関与した。
  • E・H・ショーラー フォートライリーの基地病院の検査部門長で少佐。西暦1,917年10月からの第342野戦砲兵連隊への髄膜炎菌ワクチン接種で設備を提供して協力し、50cc瓶にて連隊軍医にワクチンを配布した。
  • J・L・シェパード 師団軍医で中佐。西暦1,917年10月からの第342野戦砲兵連隊への髄膜炎菌ワクチン接種を指導した。
  • ニュージェント 大佐。西暦1,917年10月からの第342野戦砲兵連隊への髄膜炎菌ワクチン接種に協力した人物の1人。
  • ツァーリ・C・ジョンソン 連隊軍医で少佐。西暦1,917年10月からの第342野戦砲兵連隊への髄膜炎菌ワクチン接種に協力。ワクチン接種翌朝の検査時に局所及び全身の反応に関する報告を兵士から収集する事をセルジュ・アンドロップに指示した。
  • セルジュ・アンドロップ 医療部隊の中尉。西暦1,917年10月からの第342野戦砲兵連隊への髄膜炎菌ワクチン接種で、ジョンソンの指示により、ワクチン接種翌朝の検査時に、局所及び全身の反応に関する報告を兵士から収集した。
  • アルバート・バウアー 師団訓練担当官で大尉。連隊軍医とロックフェラー医学研究所との仲介役。西暦1,917年10月からの第342野戦砲兵連隊への髄膜炎菌ワクチン接種で、軍医会議を招集し、其処でワクチンの投与方法・効果・観察すべき点が説明され、議論された。
  • アルバート・ギッチェル 兵士。髄膜炎菌ワクチンの人体実験の参加者。西暦1,918年3月4日、フォートライリーのファンストン基地の病院にてインフルエンザの症状を訴えた。スペイン風邪の最初期の症例として記録される人物。
  • エドワード・R・シュライナー フォートライリーの軍医。西暦1,918年3月11日朝、フォートライリーにてスペイン風邪の第1波が始まり、正午迄に100名以上の病気に罹った兵士の治療に当たった。シュライナーの目には、全員が同じ病気に苦しんでいる様に見えた。後に同様の症状を訴える兵士が続出し、1,000名以上が感染、48名が死亡した。
  • ルパート・ブルー 第4代アメリカ公衆衛生局長官。西暦1,918年9月13日、アスピリンの使用を推奨した。此れを契機にアメリカ海軍(9月26日)・JAMA(10月5日)・アメリカ陸軍(10月5日)もアスピリンの使用推奨や処方を始め、解熱や免疫を抑制するアスピリンの広範な処方によりスペイン風邪の被害が拡大した。

主要な概念・組織

  • ロックフェラー医学研究所 本書の中心となる研究機関。西暦1,917年4月、イギリス・フランスの要望により、馬用の伯舎を即座に建て、髄膜炎菌ワクチンの製造を開始。第一次世界大戦中にイギリス・フランス・ベルギー・イタリア等に此のワクチンを配布した。西暦1,917年10月から中尉ピーター・K・オリツキー製造の髄膜炎菌ワクチンを用いてフォートライリーの第342野戦砲兵連隊で人体実験を実施。西暦1,918年1月21日からは主導で馬で培養された抗髄膜炎血清を含む髄膜炎菌ワクチンの接種をフォートライリーの第89師団約25,000名の将校・兵士の志願者に対して開始し、同年2月4日からはキャンプアプトンの軍志願兵12,519名を対象に人体実験を開始した。同年3月11日のフォートライリーでのスペイン風邪第1波発生に際しては、髄膜炎菌ワクチンが原因であったにもかかわらず、強毒なH1N1亜型インフルエンザが流行したとマスメディアを使って喧伝し、スペイン風邪に話をすり替えた。
  • 髄膜炎菌ワクチン ロックフェラー医学研究所が製造したワクチン。髄膜炎に罹った人の体液から採取した細菌を加熱して不活化した物。注射針はNo.25で、三角筋の起始部に皮下注射された。フォートライリーの第342野戦砲兵連隊に対する人体実験では、菌数500,000,000/cc~10,000,000,000/ccの範囲で3回の接種が行われ、菌数2,000,000,000/ccで重度の副反応が発生した症例も有った。第89師団約25,000名の志願者に対しては馬で培養された抗髄膜炎血清を含むワクチンが、8~10日の間隔を空けて3回(1回目4,792名・2回目4,257名・3回目3,702名)接種された。後にフォートライリーでのスペイン風邪第1波の原因となった。
  • フォートライリーの第342野戦砲兵連隊での人体実験 西暦1,917年10月から翌月に掛けて、フォートライリー(アメリカのカンザス州ライリー郡)のアメリカ軍施設にて、第342野戦砲兵連隊に対して行われた髄膜炎菌ワクチンの人体実験。ロックフェラー医学研究所の中尉ピーター・K・オリツキー製造のワクチンが、等張食塩水で標準濃度に希釈され、0.3%のクレゾールで保存されて使用された。約50名から成るグループⅠ~Ⅵと、99名から成るグループⅦに分けられ、菌数500,000,000/cc~10,000,000,000/ccの範囲で3回の接種が行われた。少佐E・H・ショーラー設備提供、中佐J・L・シェパード指導、大佐ニュージェント・少佐ツァーリ・C・ジョンソン協力、中尉セルジュ・アンドロップによる局所及び全身反応報告収集、大尉アルバート・バウアーの軍医会議招集で実施され、フレデリック・ラモント・ゲイツが報告書を記した。
  • 第89師団の髄膜炎菌ワクチン接種 西暦1,918年1月21日、ロックフェラー医学研究所主導で馬で培養された抗髄膜炎血清を含む髄膜炎菌ワクチンの接種が、フォートライリーの第89師団の約25,000名の将校・兵士の内、志願者に対して開始された。フレデリック・テイラー・ゲイツ及びフレデリック・ラモント・ゲイツの2名が関与し、8~10日の間隔を空けて3回の接種が行われ、各回の接種者数は1回目4,792名・2回目4,257名・3回目3,702名であった。同年2月4日以降の3回目接種では、医務官の間で高用量による重度の副反応が数件発生した事を背景に、約半数が菌数4,000,000,000/ccに減量して接種を受けた。同年6月4日に接種は終了した。
  • キャンプアプトンでの髄膜炎菌ワクチン人体実験 西暦1,918年2月4日、アメリカのニューヨーク州ロングアイランドのサフォーク郡ヤファンクにあるキャンプアプトン(アメリカ陸軍の乗船港)にて開始された、軍の志願兵12,519名を対象にしたロックフェラー医学研究所の髄膜炎菌ワクチンの人体実験。同年4月15日に終了し、結果少なくとも6,131名が入院した。其の後同年9月13日からスペイン風邪も発生し、9月13日38名・9月14日86名・9月15日193名・10月4日483名(ピーク)のアメリカ兵が入院した。
  • アメリカ外征軍 第一次世界大戦に参戦したアメリカの遠征軍。西暦1,917年4月にジョン・パーシングがウッドロウ・ウィルソンによって総司令官に任命された。同年6月7日にイギリスに到着、同月26日にはアメリカ兵14,000名がサン・ナゼールに到着した。西暦1,918年3月にブレストへの上陸を開始し本格的なヨーロッパ遠征が始まり、本月だけで84,000名のアメリカ兵が輸送船で大西洋を横断、翌4月は118,000名が渡った。アメリカ外征軍にはスペイン風邪感染から回復した兵士も含まれ、ウイルスをヨーロッパに持ち込んだ。
  • スペイン風邪(強毒H1N1亜型インフルエンザ) 西暦1,918年3月11日朝、フォートライリーにて第1波が始まった疾病。軍医エドワード・R・シュライナーは正午迄に100名以上の兵士の治療に当たり、1,000名以上が感染、48名が死亡した。髄膜炎菌ワクチンが原因であったが、ロックフェラー医学研究所は強毒なH1N1亜型インフルエンザが流行したとマスメディアを使って喧伝し話をすり替えた。感染した宿主は短期間で①肺炎球菌②溶血性連鎖球菌③インフルエンザ菌④黄色ブドウ球菌等の定着菌株のエアロゾル化を促進させた。西暦1,918年4月にはフランス北部の塹壕でドイツ兵に感染しドイツ軍は感染兵士を前線退避させ健康な兵士と交代させた事で若く健康な兵士に継続的に接触し適応・増殖により強毒化した。同年11月11日のドイツと連合国の休戦協定締結後にアメリカ兵が母国・植民地前哨基地に戻り世界中に拡散、最終的に50,000,000~100,000,000名の死者を出した。研究者達の遺体剖検で肺培養検査で陰性の遺体は1つも無く、少なくとも遺体の92.7%の死因が細菌性肺炎とされた。
  • アスピリン 解熱や免疫を抑制する作用を持つ薬。西暦1,918年3月11日のフォートライリーでのスペイン風邪第1波で兵士に処方され、多数の犠牲者を出した。西暦1,918年9月13日に第4代アメリカ公衆衛生局長官ルパート・ブルーが使用を推奨し、同月26日にはアメリカ海軍に処方され始め、翌10月5日にはアメリカ医師会が発行する臨床雑誌であるJAMAも使用を推奨し、同日アメリカ陸軍にも処方され始めた。スペイン風邪による被害の拡大に大きく寄与した。
  • NIH アメリカ国立衛生研究所。第一次世界大戦中、ロックフェラー医学研究所主導で馬で培養された抗髄膜炎血清を、イギリス・フランス・ベルギー・イタリア等に配布した。
  • JAMA アメリカ医師会が発行する臨床雑誌。西暦1,918年10月5日にアスピリンの使用を推奨し、同日アメリカ陸軍にもアスピリンが処方され始めた。スペイン風邪の被害拡大に寄与した。

ワクチン人体実験から休戦協定まで──
スペイン風邪の起源を巡る出来事の全過程を一元化。

JPY 200(税込)

購入する
決済サービスSquare/ご利用いただけるカードブランド:Visa・Mastercard・アメリカン・エキスプレス・JCB・Diners Club・Discover・UnionPay(銀聯)

お支払いはカード情報の入力だけで完了します

購入後、そのままPDFダウンロードページへ移動します

お支払いは決済サービス「Square」を通じて安全に処理されます。カード情報が当サイトに保存されることはありません。


皇室献上品 高級トイレットペーパー
皇室献上品 高級トイレットペーパー

AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
YouTubeニコニコでも情報を発信中。