岸信介と甘粕正彦のペーパーカンパニーを使った満洲アヘンの資金洗浄一元化
満洲国政府の長春「新京」命名と満洲国政府・関東軍によるアヘン窟公認(新京1,000軒超・奉天750軒・主要都市500軒)・密売業者の日の丸掲揚・満洲国財政部内専売公署設置と塩・煙草専売、満洲国財政部内専売公署「専売総署」改組と石油・アヘン専売開始及び蒙疆指定栽培地での芥子栽培義務付け、岸信介の満洲国国務院実業部総務司長就任と満洲渡航及び新京ヤマトホテル特等室での岸・甘粕正彦・鮎川義介・古海忠之・椎名悦三郎・青木実・飯澤重一参集と満洲重工業開発・報知新聞乗っ取り(後に大陸新報切替)・日本内地宣伝・モンゴル産アヘン販売依頼資金配分・アジア政策議論、専売総署の満洲国財政部から民政部移管と岸信介主導アヘン取引ブラックボックス化及び特殊会社大量設立による売上マネーロンダリング、石原莞爾・星野直樹・岸信介主導「満洲産業開発五ヶ年計画」実施決定と日本国家予算超え2,500,000,000円予算20分野5ヶ年数値目標、第2代満洲国通信社主事森田久による岸信介・古海忠之同行里見甫訪問と東條英機謝意伝達・熱河産アヘン取扱量増大販路中華民国全域拡大・里見機関上海移転依頼、星野直樹の満洲国国務院総務長官就任と機密費流用方針による甘粕正彦資金枯渇及び岸信介への10,000,000円懇願と鉱山採掘権担保了承、岸信介の満洲国産業部次長就任、里見甫の天津から上海移転と上海アヘン総元締化・関東軍軍事機密費投入・関東軍・満洲国政府・甘粕正彦の月800,000円/株収益・甘粕の長谷川・帝国ホテル一括支払、日産コンツェルン持株会社日本産業の満洲進出日満同時発表と三井・三菱・住友情報不察知、甘粕正彦のブロードウェイ・マンション・ホテル拠点移転とアヘン為替操作巨利、日本産業の新京本社移転「満洲重工業開発」改組、甘粕正彦の岸信介執務室訪問10,000,000円懇願と鮎川義介経由鉄鉱石・石炭採掘権担保融資及び日本軍華北・蒙彊進攻特務工作・マラヤ共産党資金提供使途、里見甫の三井物産主導「宏済善堂」副董事長就任とペルシャ・トルコ産アヘン密輸入・青幇経由アヘン窟流通・青幇蒋介石国民党・OSS関係・里見と満洲国政府間甘粕正彦介在体制・甘粕複数ダミー会社マネーロンダリング・甘粕の陸軍士官学校教官東條英機資金提供、近衛内閣の内閣直属機関「興亜院」設立とアヘン利益管理・南京政府財務省宏済善堂分配・北京興亜院連絡部華北統制、岸信介の満洲国国務院総務庁次長兼産業部次長就任、岸信介の日本帰国商工次官就任、岸信介による甘粕正彦第2代満洲映画協会理事長据置、里見甫モンゴル産アヘン販売開始、本年満洲国政府アヘン歳入120,000,000円達成・建国8年で10倍増大・横浜正金銀行経由日本国内陸軍秘密口座送金・日本陸軍機立川陸軍飛行場現金輸送、満洲国民生部外局「禁煙総局」設置と表向きアヘン禁止裏側専売制販売継続、塩沢清宣の興亜院華北連絡部次長兼華北連絡部長官心得就任と上海アヘン流通巨利・東條英機現金資金提供迄──
新京アヘン窟公認と専売公署設置を起点に、専売総署改組による石油・アヘン専売、岸信介の満洲国渡航と新京ヤマトホテル会合、満洲産業開発五ヶ年計画決定、専売総署の民政部移管と岸信介主導の特殊会社マネーロンダリング、東條英機経由の里見甫への熱河産アヘン取扱量増大依頼、甘粕正彦の鉱山採掘権担保による岸信介・鮎川義介からの巨額融資、日本産業の満洲重工業開発改組、里見甫の宏済善堂副董事長就任と青幇・OSSとの関係、興亜院設立による利益管理一元化、満洲国アヘン歳入120,000,000円達成と立川陸軍飛行場現金輸送、塩沢清宣の興亜院華北連絡部就任と東條英機への現金資金提供に至った、岸信介・甘粕正彦による満洲アヘン資金洗浄構築の8年間の系譜を年月日単位で追跡した一冊。
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本書について
西暦1,932年3月14日、満洲国政府が、首都の長春を、首都に相応しい名称として「新京」と命名した。其の後満洲国政府と関東軍は、アヘンを財源にしようと、アヘン窟を公認した。軈て、新京にはアヘン窟が1,000軒超、奉天には750軒、他の満洲国内の主要都市には、何れもアヘン窟が500軒、麻薬販売店が100軒を超えた。アヘン窟の多くは売春宿を兼ねていた。此の営業許可手数料とアヘンの売り上げが、満洲国政府の歳入の大きな割合を占める様になった。密売業者は、治外法権を示す日の丸を掲げた。又、同月満洲国財政部内に設置された専売公署が、①塩②煙草の専売を始めた。西暦1,935年4月、満洲国財政部内の専売公署が「専売総署」に改組され、①石油(満洲国の資源開発の一環として、軍需物資として戦略的に専売化)②アヘン(専売総署が栽培・収買・精製・販売を一元管理する様になった。蒙疆(現在の中国内モンゴル自治区ウランチャブ市・シリンゴル盟・フフホト市、河北省)等の指定栽培地で農家に芥子栽培を義務付け、収買人を通じて集荷)の専売が開始された。
西暦1,936年10月、岸信介が、満洲国国務院実業部総務司長に就任し、満洲国へ渡った。軈て、①岸(中心人物)②甘粕正彦(中心人物)③岸の親戚で日産コンツェルンを創立した鮎川義介④満洲国実業部主計処長古海忠之⑤満洲国国務院実業部椎名悦三郎⑥満洲国財政部税務司長青木実⑦満洲国総務庁参事官飯澤重一が、南満洲鉄道の経営する新京ヤマトホテル(現在の中国吉林省長春市人民大街)の特等室に毎日の様に参集し、話し合いが持たれる様になった。主に①満洲重工業開発や資源活用②満洲国・日本のプロパガンダを推進する為の、報知新聞乗っ取り(後に上海の邦字新聞「大陸新報」に対象を切り替え)③日本内地での満洲国の宣伝手法④モンゴル産アヘンの販売依頼・資金配分⑤アジア政策の内容が話し合われた。
西暦1,937年、専売総署が、満洲国財政部から民政部へ移管された。岸信介が主導した。アヘン取引をブラックボックス化させるのが狙いであった。岸は、特殊会社を大量に設立し、其の会社を通じて、アヘンで売り上げた金をマネーロンダリングした。同年1月、①石原莞爾②星野直樹③岸信介の主導する、農業中心の満洲国を重工業国へ転換する事を目的とした「満洲産業開発五ヶ年計画」の実施が決定された。予算は2,500,000,000円で、此の当時の日本の国家予算である2,400,000,000円を超えるものであった。銑鉄・鉄塊・鋼材・石炭・液化石炭・シェールオイル・アルミニウム・自動車・飛行機・電力・水稲・小麦・大豆・洋麻・綿羊・馬・鉄道・金・非鉄金属・化学工業の20分野に於いて、西暦1,936年末を基準とし、西暦1,941年度の数値目標を掲げた。此の計画は、同年4月から開始された。
西暦1,937年3月1日、第2代満洲国通信社主事森田久が、①岸信介②古海忠之の2名を連れて、関東軍の熱河産アヘンを天津で売り捌いていた里見甫を訪ねた。里見は和風旅館の常磐館に一席設けた。岸は、東條英機からの謝意を伝えた上で「膨大となってきた謀略資金を賄う為に、熱河産アヘンの取扱量を増やしたい。販売網も北支全域・中支全域、言わば中華民国全域に広げたい。里見機関の拠点も上海に移して管理して頂きたい」と、東條からの熱河産アヘンの取扱量の増大と販路拡大の依頼を伝えた。里見は、中華民国全域となると、中華民国の秘密結社である青幇と組まなければ実行出来ない等の問題から即答出来ず「分かりました。検討しましょう」と述べるに留まった。里見は女将に2〜3日でも芸者を呼んで好きなだけ遊ばせる様に言い、多額の金銭を封筒に入れて渡した。
西暦1,937年7月1日、星野直樹が、満洲国国務院総務長官に就任した。満洲国総務庁の機密費を受け取っていた甘粕正彦は、星野の機密費の流用は罷り成らないとの方針により支出が途絶え、資金調達に行き詰まった。甘粕は古海忠之に、10,000,000円必要だと訴えた。古海は岸信介に取り次いだ。岸は古海に「何か担保は無いか」と尋ねると、古海は甘粕が鉱山の採掘権を持っていると答えた。岸は「そうか。採掘権が有れば大丈夫だ。其れ位大した事は無い」と了承した。甘粕は、満洲国建国の功労により、関東軍から鉱山の採掘権を複数貰っていた。同日、満洲国実業部が産業部に改組され、岸信介は、満洲国産業部次長に就任した。
西暦1,937年9月、里見甫が天津から上海に移った。以降里見は、上海のアヘンの総元締めとなり、其の莫大な利益は、関東軍の軍事機密費に使われた。又、①関東軍②満洲国政府③甘粕正彦が1株ずつ持っていた為、其々800,000円/月程度を受け取っていた。甘粕は、満洲国の役人が日本内地に出張する際は、高級料亭「長谷川(東京都港区赤坂)」を使わせたり、帝国ホテルに宿泊させる等して、後から一括で代金を支払っていた。同年10月29日、日産コンツェルンの持株会社である日本産業が満洲に進出する事が、日本・満洲で同時発表された。此れは、満洲産業開発五ヶ年計画の一環で、岸信介等が誘致した。秘密裏に交渉が進められ、日本産業の社外重役ですら、知らされたのが発表の前日であった。①三井②三菱③住友の財閥も此の情報を掴めなかった。
西暦1,937年11月、甘粕正彦が、新京からブロードウェイ・マンション・ホテル(現在の中国上海市北蘇州路)に拠点を移した。以降甘粕は、アヘン取引や為替操作で巨利を得た。同年12月27日、日本産業が、本社を新京に移転し社名を「満洲重工業開発」に変更して改組した。同月31日、甘粕正彦が、岸信介の執務室を訪ねた。甘粕は「急に10,000,000円が必要になりました。お願いします」と岸に頼み込んだ。岸は「良いでしょう」と言って、甘粕の持っていた鉄鉱石・石炭の鉱山の採掘権と引き換えに、鮎川義介経由で10,000,000円を渡した。鮎川は、甘粕の持っていた此の採掘権を獲得した。同席していた古海忠之は、あっさりと岸が巨額の資金提供を引き受けた事に驚いた。甘粕は此の資金を①日本軍が満洲国から華北・蒙彊(中華民国察哈爾省(現在の中国内モンゴル自治区・北京市・河北省)、綏遠省(現在の中国内モンゴル自治区))へ進攻する為の特務工作②イギリスがインド産アヘンを中華民国に持ち込むのを防ぐ為にゲリラ活動を行わせる為の、イギリスの植民地であるマレー半島の反英組織であるマラヤ共産党への資金提供の為に使った。
西暦1,938年3月、里見甫が、アヘン売買の為に三井物産主導で設置された「宏済善堂」の副董事長(事実上の社長)に就任した。宏済善堂はペルシャ・トルコ産アヘンを三井物産にアヘンを密輸入させ、青幇を経由して末端のアヘン窟に流した。青幇は表向き日本の敵であった蒋介石率いる国民党や、後にアメリカ統合参謀本部の部局として設立されるOSS(戦略情報局)とも通じていた。軈て、生産者から里見がアヘンを買い上げ、里見とアヘンを買い取る満洲国政府の間に甘粕正彦が入る体制が確立された。甘粕は、満洲国政府とアヘン消費者の間にも入り、複数のダミー会社を通じてアヘン取引を行い、マネーロンダリングを行なった。甘粕は、陸軍士官学校時代に自身の教官であった東條英機に資金提供を行なっていた。同年12月16日、近衛内閣が、対中国政策を一元的に統制指導する事を意図し、内閣直属機関である「興亜院」を設立した。以降アヘン取引による利益は興亜院が管理し、南京政府の財務省、宏済善堂に分配された。華北(現在の中国北京市・天津市・河北省・山西省・内モンゴル自治区)のアヘン取引は、北京の興亜院連絡部が統制した。
西暦1,939年3月、岸信介が、満洲国国務院総務庁次長に就任した。産業部次長と兼務する事となった。同年10月、岸信介が、日本に帰国し、商工次官に就任した。同年11月1日、岸信介が、満州国国務院を通じて、甘粕正彦を第2代満洲映画協会理事長に据えた。同年12月、里見甫がモンゴル産アヘンの販売を開始した。同月31日、此の年の満洲国政府のアヘンの歳入は120,000,000円で、建国から8年で10倍に増大した。但、アヘン収入自体は、満洲国政府以外に①関東軍②甘粕機関③満洲中央銀行から上海・大連の横浜正金銀行を経由しての日本国内の陸軍の秘密口座への送金④満洲から日本陸軍機を使った立川陸軍飛行場への現金輸送、にも送金されており、マーケット自体は更に大きかった。
西暦1,940年1月、満洲国民生部の外局として「禁煙総局」が設置された。表向きはアヘンを禁止し、厚生部がアヘン中毒者の治療・救済を行なった。然し裏では、専売制を通じたアヘンの販売を継続した。同年4月、東條英機の一番子分で里見甫の親友の塩沢清宣が、興亜院華北連絡部次長兼華北連絡部長官心得に就任した。興亜院華北連絡部は、上海にもアヘンを流していた為、塩沢は巨利を得た。塩沢は、日本陸軍機を使って、立川陸軍飛行場経由で東條に現金で資金提供していた。本書は、此の8年に亘る、満洲国新京命名と満洲国政府・関東軍によるアヘン窟公認及び満洲国財政部内専売公署設置を起点とする、専売公署の専売総署改組による石油・アヘン専売開始、岸信介の満洲国国務院実業部総務司長就任と新京ヤマトホテル特等室での岸・甘粕正彦・鮎川義介・古海忠之・椎名悦三郎・青木実・飯澤重一会合、専売総署の民政部移管と岸信介主導の特殊会社大量設立マネーロンダリング、石原莞爾・星野直樹・岸信介主導の満洲産業開発五ヶ年計画決定、森田久による岸信介・古海忠之同行里見甫訪問と東條英機経由の熱河産アヘン取扱量増大・販路拡大依頼、星野直樹の満洲国国務院総務長官就任後の甘粕正彦資金枯渇と鉱山採掘権担保10,000,000円融資、里見甫の上海移転と関東軍・満洲国政府・甘粕正彦への月800,000円/株収益、日本産業の満洲進出と満洲重工業開発改組、甘粕正彦の岸信介執務室での鮎川義介経由10,000,000円再融資と華北・蒙彊進攻特務工作・マラヤ共産党資金提供使途、里見甫の宏済善堂副董事長就任と青幇・OSSとの関係及び甘粕正彦の複数ダミー会社マネーロンダリング・東條英機資金提供、近衛内閣の興亜院設立と利益管理一元化、岸信介の総務庁次長兼務・帰国商工次官就任及び甘粕正彦の満洲映画協会理事長据置、里見甫モンゴル産アヘン販売開始、満洲国アヘン歳入120,000,000円達成と横浜正金銀行経由日本国内陸軍秘密口座送金・立川陸軍飛行場現金輸送、禁煙総局設置と表向き禁止裏側販売継続、塩沢清宣の興亜院華北連絡部就任と立川陸軍飛行場経由東條英機現金資金提供迄、岸信介・甘粕正彦による満洲アヘン資金洗浄構築の8年に亘る全過程を、年月日単位で記録した年表である。
登場人物
- 岸信介 本書の中心人物の1人。西暦1,936年10月、満洲国国務院実業部総務司長に就任し満洲国へ渡る。新京ヤマトホテル特等室での甘粕正彦・鮎川義介・古海忠之・椎名悦三郎・青木実・飯澤重一との毎日の会合の中心人物。西暦1,937年、専売総署を民政部へ移管しアヘン取引のブラックボックス化を主導、特殊会社を大量設立してマネーロンダリングを行なった。同年1月、石原莞爾・星野直樹と共に満洲産業開発五ヶ年計画を主導。同年3月1日、森田久・古海忠之と共に里見甫を訪問し、東條英機からの熱河産アヘン取扱量増大・販路拡大依頼を伝達。同年7月1日に満洲国産業部次長就任。同年12月31日、甘粕正彦の鉄鉱石・石炭採掘権と引き換えに鮎川義介経由で10,000,000円を融資。西暦1,939年3月に総務庁次長兼任、同年10月に日本帰国し商工次官就任、同年11月1日に甘粕正彦を第2代満洲映画協会理事長に据えた。
- 甘粕正彦 本書の中心人物の1人。新京ヤマトホテルの会合に参加。満洲国総務庁の機密費を受け取っていたが、西暦1,937年7月1日の星野直樹の総務長官就任に伴う機密費流用方針で資金枯渇し、古海忠之経由で岸信介に10,000,000円を懇願、満洲国建国功労で関東軍から得た鉱山採掘権を担保に融資を受けた。同年9月の里見甫の上海移転後、関東軍・満洲国政府と並ぶ1株所有者として月800,000円/株程度を受領、満洲国役人の日本出張時に高級料亭「長谷川」や帝国ホテルを使わせ後から一括支払。同年11月に新京から上海ブロードウェイ・マンション・ホテルに拠点移転しアヘン取引・為替操作で巨利。同年12月31日、岸信介の執務室で鮎川義介経由で10,000,000円を再融資され、華北・蒙彊進攻特務工作とマラヤ共産党への資金提供に使用。西暦1,938年3月、里見甫と満洲国政府の間に介在し複数ダミー会社でマネーロンダリングを行ない、陸軍士官学校時代の教官であった東條英機に資金提供。西暦1,939年11月1日、岸信介により第2代満洲映画協会理事長に据えられた。
- 鮎川義介 岸信介の親戚で、日産コンツェルンを創立。新京ヤマトホテルの会合に参加。西暦1,937年10月29日、日産コンツェルン持株会社の日本産業が満洲産業開発五ヶ年計画の一環で岸信介等の誘致により満洲進出。同年12月27日、日本産業が新京本社移転と「満洲重工業開発」改組。同月31日、甘粕正彦の鉄鉱石・石炭採掘権を、岸信介から10,000,000円融資の引き換えとして獲得した。
- 古海忠之 満洲国実業部主計処長。新京ヤマトホテルの会合に参加。西暦1,937年3月1日、森田久・岸信介と共に里見甫を訪問。同年7月1日、甘粕正彦の10,000,000円の懇願を岸信介に取り次ぎ、甘粕の鉱山採掘権の存在を岸に伝えて融資を成立させた。同年12月31日、岸信介が甘粕に10,000,000円の融資を即決した場に同席し、其の即決ぶりに驚いた。
- 椎名悦三郎 満洲国国務院実業部所属。西暦1,936年10月以降、新京ヤマトホテル特等室での岸信介・甘粕正彦らとの毎日の会合に参加。
- 青木実 満洲国財政部税務司長。西暦1,936年10月以降、新京ヤマトホテル特等室での岸信介・甘粕正彦らとの毎日の会合に参加。
- 飯澤重一 満洲国総務庁参事官。西暦1,936年10月以降、新京ヤマトホテル特等室での岸信介・甘粕正彦らとの毎日の会合に参加。
- 石原莞爾 西暦1,937年1月、星野直樹・岸信介と共に「満洲産業開発五ヶ年計画」を主導した。予算2,500,000,000円(当時の日本の国家予算2,400,000,000円超)、20分野5ヶ年数値目標で農業中心の満洲国を重工業国へ転換する事を目的とした計画である。
- 星野直樹 西暦1,937年1月、石原莞爾・岸信介と共に「満洲産業開発五ヶ年計画」を主導。同年7月1日、満洲国国務院総務長官に就任し、満洲国総務庁の機密費の流用は罷り成らないとの方針を打ち出した。此れにより甘粕正彦への機密費支出が途絶え、甘粕が岸信介に10,000,000円を懇願する契機となった。
- 森田久 第2代満洲国通信社主事。西暦1,937年3月1日、岸信介・古海忠之を連れて、関東軍の熱河産アヘンを天津で売り捌いていた里見甫を訪ね、和風旅館の常磐館に一席を設けた。
- 里見甫 関東軍の熱河産アヘンを天津で売り捌いていた人物。西暦1,937年3月1日、森田久・岸信介・古海忠之の訪問を受け、東條英機からの熱河産アヘン取扱量増大・販路中華民国全域拡大・里見機関上海移転依頼を受けたが、青幇との連携が必要等の理由で即答せず検討すると述べた。同年9月、天津から上海に移り上海のアヘンの総元締めとなる。関東軍・満洲国政府・甘粕正彦と1株ずつ所有し、其々800,000円/月程度を受領。西暦1,938年3月、三井物産主導の「宏済善堂」副董事長(事実上の社長)に就任し、ペルシャ・トルコ産アヘンを三井物産に密輸入させ、青幇経由で末端のアヘン窟に流した。西暦1,939年12月、モンゴル産アヘンの販売を開始した。
- 東條英機 西暦1,937年3月1日、森田久・岸信介・古海忠之を介して里見甫に、熱河産アヘンの取扱量増大と販路中華民国全域拡大、里見機関の上海移転を依頼した。西暦1,938年3月以降、陸軍士官学校時代の教官として甘粕正彦から資金提供を受けた。西暦1,940年4月以降、塩沢清宣から日本陸軍機を使った立川陸軍飛行場経由で現金資金提供を受けた。
- 塩沢清宣 東條英機の一番子分で里見甫の親友。西暦1,940年4月、興亜院華北連絡部次長兼華北連絡部長官心得に就任。興亜院華北連絡部は上海にもアヘンを流していた為、巨利を得た。塩沢は、日本陸軍機を使って、立川陸軍飛行場経由で東條英機に現金で資金提供していた。
- 蒋介石 中華民国国民党の指導者。西暦1,938年3月以降、表向き日本の敵であったが、里見甫が副董事長を務める宏済善堂のアヘン流通経路である青幇は、蒋介石率いる国民党や後のOSSとも通じていた。
主要な概念・組織
- 満洲国新京・アヘン窟公認 西暦1,932年3月14日、満洲国政府が長春を「新京」と命名。其の後満洲国政府と関東軍はアヘンを財源にしようとアヘン窟を公認し、新京1,000軒超・奉天750軒・他主要都市500軒・麻薬販売店100軒の規模に達した。アヘン窟の多くは売春宿を兼ね、営業許可手数料とアヘン売上が満洲国政府歳入の大きな割合を占めた。密売業者は治外法権を示す日の丸を掲げた。
- 専売公署・専売総署 西暦1,932年3月に満洲国財政部内に設置された専売公署は、塩・煙草の専売を司った。西暦1,935年4月に「専売総署」に改組され、石油(軍需物資としての戦略的専売)・アヘン(蒙疆等の指定栽培地で農家に芥子栽培を義務付け、収買人を通じた集荷)の専売を開始。西暦1,937年、岸信介の主導で満洲国財政部から民政部へ移管され、アヘン取引のブラックボックス化が図られた。
- 新京ヤマトホテル会合 西暦1,936年10月以降、南満洲鉄道の経営する新京ヤマトホテル(現在の中国吉林省長春市人民大街)の特等室で毎日のように開かれた会合。岸信介(中心)・甘粕正彦(中心)・鮎川義介・古海忠之・椎名悦三郎・青木実・飯澤重一が参集し、①満洲重工業開発・資源活用②満洲国・日本のプロパガンダ推進の為の報知新聞乗っ取り(後に上海大陸新報切替)③日本内地での満洲国宣伝手法④モンゴル産アヘン販売依頼・資金配分⑤アジア政策が話し合われた。
- 満洲産業開発五ヶ年計画 西暦1,937年1月、石原莞爾・星野直樹・岸信介の主導で実施が決定された、農業中心の満洲国を重工業国へ転換する事を目的とした計画。予算2,500,000,000円は当時の日本の国家予算2,400,000,000円を超える規模。銑鉄・鉄塊・鋼材・石炭・液化石炭・シェールオイル・アルミニウム・自動車・飛行機・電力・水稲・小麦・大豆・洋麻・綿羊・馬・鉄道・金・非鉄金属・化学工業の20分野で5ヶ年数値目標を掲げ、同年4月から開始された。
- 里見甫への熱河産アヘン取扱量増大依頼 西暦1,937年3月1日、第2代満洲国通信社主事森田久が岸信介・古海忠之を連れて、関東軍の熱河産アヘンを天津で売り捌いていた里見甫を訪問。岸が東條英機からの謝意を伝えた上で、膨大化した謀略資金を賄う為の熱河産アヘン取扱量増大、販売網の北支・中支全域(中華民国全域)拡大、里見機関の上海移転を依頼した。里見は中華民国全域となると秘密結社青幇との連携が必要等の問題から即答せず、検討すると述べるに留まった。
- 鉱山採掘権担保10,000,000円融資 西暦1,937年7月1日、星野直樹の総務長官就任に伴う機密費流用禁止方針で甘粕正彦の資金が枯渇し、古海忠之経由で岸信介に10,000,000円を懇願。岸は満洲国建国功労として関東軍から複数貰っていた甘粕の鉱山採掘権を担保に了承した。同年12月31日、甘粕は岸信介の執務室を訪ね、再び急に10,000,000円が必要になったと頼み込み、岸は鉄鉱石・石炭の鉱山採掘権と引き換えに、鮎川義介経由で10,000,000円を渡した。鮎川は此の採掘権を獲得した。甘粕は此の資金を、日本軍の華北・蒙彊進攻特務工作と、英領マレー半島の反英組織マラヤ共産党への資金提供に使った。
- 日本産業満洲進出・満洲重工業開発改組 西暦1,937年10月29日、日産コンツェルンの持株会社である日本産業が満洲産業開発五ヶ年計画の一環で岸信介等の誘致により満洲進出する事が日満同時発表された。秘密裏に進められ、日本産業の社外重役も発表前日まで知らされず、三井・三菱・住友の財閥も情報を掴めなかった。同年12月27日、日本産業が本社を新京に移転し社名を「満洲重工業開発」に変更して改組した。
- 里見甫上海移転・宏済善堂・青幇・OSS 西暦1,937年9月、里見甫が天津から上海に移り上海のアヘン総元締めとなった。関東軍・満洲国政府・甘粕正彦が1株ずつ所有し、其々800,000円/月程度を受領。西暦1,938年3月、里見甫が三井物産主導の「宏済善堂」副董事長(事実上の社長)に就任し、ペルシャ・トルコ産アヘンを三井物産に密輸入させ、青幇を経由して末端のアヘン窟に流した。青幇は表向き日本の敵であった蒋介石率いる国民党や、後にアメリカ統合参謀本部の部局として設立されるOSS(戦略情報局)とも通じていた。生産者から里見がアヘンを買い上げ、里見と満洲国政府の間に甘粕正彦が入る体制が確立され、甘粕は満洲国政府と消費者の間にも入って複数のダミー会社を通じてマネーロンダリングを行ない、陸軍士官学校時代の教官であった東條英機に資金提供を行なった。
- 興亜院 西暦1,938年12月16日、近衛内閣が、対中国政策を一元的に統制指導する事を意図し設立した内閣直属機関。以降アヘン取引による利益は興亜院が管理し、南京政府の財務省、宏済善堂に分配された。華北(現在の中国北京市・天津市・河北省・山西省・内モンゴル自治区)のアヘン取引は、北京の興亜院連絡部が統制した。
- 満洲国アヘン歳入120,000,000円・送金経路 西暦1,939年12月31日時点、満洲国政府のアヘンの歳入は120,000,000円で、建国から8年で10倍に増大した。但、アヘン収入自体は、満洲国政府以外に①関東軍②甘粕機関③満洲中央銀行から上海・大連の横浜正金銀行を経由しての日本国内の陸軍の秘密口座への送金④満洲から日本陸軍機を使った立川陸軍飛行場への現金輸送、にも送金されており、マーケット自体は更に大きかった。
- 禁煙総局・塩沢清宣興亜院華北連絡部 西暦1,940年1月、満洲国民生部の外局として「禁煙総局」が設置された。表向きはアヘンを禁止し厚生部がアヘン中毒者の治療・救済を行なったが、裏では専売制を通じたアヘンの販売を継続した。同年4月、東條英機の一番子分で里見甫の親友の塩沢清宣が、興亜院華北連絡部次長兼華北連絡部長官心得に就任。興亜院華北連絡部は上海にもアヘンを流していた為、塩沢は巨利を得た。塩沢は、日本陸軍機を使って、立川陸軍飛行場経由で東條英機に現金で資金提供していた。本書が記録する岸信介・甘粕正彦による満洲アヘン資金洗浄構築8年間の到達点である。
満洲国政府の長春「新京」命名と満洲国政府・関東軍によるアヘン窟公認・満洲国財政部内専売公署設置と塩・煙草専売、満洲国財政部内専売公署「専売総署」改組と石油・アヘン専売開始及び蒙疆指定栽培地での芥子栽培義務付け、岸信介の満洲国国務院実業部総務司長就任と新京ヤマトホテル特等室での岸・甘粕正彦・鮎川義介・古海忠之・椎名悦三郎・青木実・飯澤重一会合、専売総署の民政部移管と岸信介主導のアヘン取引ブラックボックス化・特殊会社大量設立マネーロンダリング、石原莞爾・星野直樹・岸信介主導「満洲産業開発五ヶ年計画」決定、森田久による岸信介・古海忠之同行里見甫訪問と東條英機謝意・熱河産アヘン取扱量増大・販路中華民国全域拡大・里見機関上海移転依頼、星野直樹の総務長官就任に伴う甘粕正彦資金枯渇と岸信介への10,000,000円懇願・鉱山採掘権担保了承、岸信介の満洲国産業部次長就任、里見甫の天津から上海移転と上海アヘン総元締化・関東軍・満洲国政府・甘粕正彦の月800,000円/株収益、日本産業満洲進出日満同時発表と三井・三菱・住友情報不察知、甘粕正彦の新京からブロードウェイ・マンション・ホテル拠点移転とアヘン為替操作巨利、日本産業の「満洲重工業開発」改組、甘粕正彦の岸信介執務室訪問10,000,000円懇願と鮎川義介経由鉄鉱石・石炭採掘権担保融資及び日本軍華北・蒙彊進攻特務工作・マラヤ共産党資金提供使途、里見甫の三井物産主導「宏済善堂」副董事長就任とペルシャ・トルコ産アヘン密輸入・青幇経由アヘン窟流通・青幇蒋介石国民党・OSS関係・里見と満洲国政府間甘粕正彦介在体制・甘粕複数ダミー会社マネーロンダリング・甘粕の陸軍士官学校教官東條英機資金提供、近衛内閣の「興亜院」設立とアヘン利益管理・南京政府財務省宏済善堂分配、岸信介の総務庁次長兼任・日本帰国商工次官就任・甘粕正彦第2代満洲映画協会理事長据置、里見甫モンゴル産アヘン販売開始、満洲国政府アヘン歳入120,000,000円達成・建国8年で10倍増大・横浜正金銀行経由日本国内陸軍秘密口座送金・立川陸軍飛行場現金輸送、「禁煙総局」設置と表向きアヘン禁止裏側専売制販売継続、塩沢清宣の興亜院華北連絡部次長兼華北連絡部長官心得就任と上海アヘン流通巨利・立川陸軍飛行場経由東條英機現金資金提供迄──
新京アヘン窟公認と専売公署設置を起点に、専売総署改組による石油・アヘン専売、岸信介の満洲渡航と新京ヤマトホテル会合、満洲産業開発五ヶ年計画決定、専売総署の民政部移管と岸信介主導の特殊会社マネーロンダリング、東條英機経由の里見甫への熱河産アヘン取扱量増大依頼、甘粕正彦の鉱山採掘権担保による岸信介・鮎川義介からの巨額融資、日本産業の満洲重工業開発改組、里見甫の宏済善堂副董事長就任と青幇・OSSとの関係、興亜院設立による利益管理一元化、満洲国アヘン歳入120,000,000円達成と立川陸軍飛行場現金輸送、塩沢清宣の興亜院華北連絡部就任と東條英機への現金資金提供に至った、岸信介・甘粕正彦による満洲アヘン資金洗浄構築の8年間の系譜を年月日単位で追跡した一冊。
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