電子書籍「岸信介と甘粕正彦のペーパーカンパニーを使った満洲アヘンの資金洗浄一元化」の表紙

岸信介と甘粕正彦の
ペーパーカンパニーを使った
満洲アヘンの資金洗浄一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,932年3月14日〜1,940年4月
ページ数
9ページ
最新更新日
西暦2,026年7月24日

国家がアヘンを専売し、其の金は会社の名を借りて洗われた──
満洲アヘンの資金洗浄構造を年月日単位で一元化。

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本書について

西暦1,932年3月14日、満洲国政府は首都の長春を、首都に相応しい名称として「新京」と命名した。そして其の後、満洲国政府と関東軍は、アヘンを財源にしようと、アヘン窟を公認する。軈て新京にはアヘン窟が1,000軒を超え、奉天には750軒、他の主要都市にも何れも500軒のアヘン窟と100軒を超える麻薬販売店が並んだ。其の多くは売春宿を兼ねている。営業許可手数料とアヘンの売り上げは、満洲国政府の歳入の大きな割合を占める様になった。密売業者は、治外法権を示す日の丸を掲げて商売をした。同月、満洲国財政部内に専売公署が置かれ、塩と煙草の専売が始まる。本書は、此の日を起点として、満洲アヘンが国家の財源となり、其の金が会社の名を借りて洗われてゆく過程を、年月日単位で一元化した記録である。

西暦1,935年4月、専売公署は「専売総署」へ改組され、石油とアヘンの専売が加えられた。石油は満洲国の資源開発の一環として、軍需物資として戦略的に専売化されたものである。アヘンについては、専売総署が栽培・収買・精製・販売を一元管理する体制が敷かれた。蒙疆等の指定栽培地では農家に芥子栽培が義務付けられ、収買人を通じて集荷された。翌西暦1,936年10月、岸信介が満洲国国務院実業部総務司長に就任して満洲へ渡る。軈て、南満洲鉄道の経営する新京ヤマトホテルの特等室には、岸と甘粕正彦を中心に、岸の親戚で日産コンツェルンを創立した鮎川義介、満洲国実業部主計処長古海忠之、満洲国国務院実業部椎名悦三郎、満洲国財政部税務司長青木実、満洲国総務庁参事官飯澤重一が毎日の様に参集する様になった。話し合われたのは、満洲重工業開発や資源活用、満洲国と日本のプロパガンダを推進する為の新聞乗っ取り、日本内地での宣伝手法、モンゴル産アヘンの販売依頼と資金配分、そしてアジア政策であった。

西暦1,937年、専売総署が満洲国財政部から民政部へ移管される。主導したのは岸信介であり、狙いはアヘン取引をブラックボックス化させる事にあった。岸は特殊会社を大量に設立し、其の会社を通じて、アヘンで売り上げた金をマネーロンダリングした。同年1月には、石原莞爾・星野直樹・岸信介が主導する「満洲産業開発五ヶ年計画」の実施が決定される。予算は2,500,000,000円。当時の日本の国家予算2,400,000,000円を上回る規模であった。銑鉄・鉄塊・鋼材・石炭から水稲・小麦・大豆・綿羊・馬・鉄道に至る20分野で、西暦1,936年末を基準に西暦1,941年度の数値目標が掲げられ、同年4月から計画は動き出す。

同年3月1日、第2代満洲国通信社主事森田久が、岸信介と古海忠之を連れて、関東軍の熱河産アヘンを天津で売り捌いていた里見甫を訪ねた。和風旅館の常磐館に一席が設けられ、岸は東條英機からの謝意を伝えた上で、膨大となってきた謀略資金を賄う為に熱河産アヘンの取扱量を増やしたい、販売網を中華民国全域に広げたい、里見機関の拠点も上海に移して管理して欲しい、と依頼を伝える。里見は、中華民国全域となると秘密結社の青幇と組まなければ実行出来ない等の問題から即答を避け、検討すると述べるに留まった。里見は女将に、2〜3日でも芸者を呼んで好きなだけ遊ばせる様に言い、多額の金銭を封筒に入れて渡している。

同年7月1日、星野直樹が満洲国国務院総務長官に就任すると、満洲国総務庁の機密費を受け取っていた甘粕正彦への支出が、機密費の流用は罷り成らないという方針によって途絶えた。資金調達に行き詰まった甘粕は、古海忠之に10,000,000円が必要だと訴える。古海が岸信介に取り次ぐと、岸は担保の有無を尋ね、甘粕が満洲国建国の功労により関東軍から得ていた鉱山の採掘権が有ると聞いて了承した。同じ日、岸は満洲国産業部次長に就任している。9月、里見甫が天津から上海へ移り、上海のアヘンの総元締めとなった。其の莫大な利益は関東軍の軍事機密費に使われ、関東軍・満洲国政府・甘粕正彦が1株ずつ持っていた為、其々が800,000円ほどを毎月受け取った。11月には甘粕も新京からブロードウェイ・マンション・ホテルへ拠点を移し、アヘン取引や為替操作で巨利を得てゆく。そして12月31日、甘粕は岸の執務室を訪ね、急に10,000,000円が必要になったと頼み込んだ。岸は鉄鉱石・石炭の鉱山の採掘権と引き換えに、鮎川義介経由で10,000,000円を渡す。同席していた古海は、岸があっさりと巨額の資金提供を引き受けた事に驚いた。此の金は、日本軍が華北・蒙彊へ進攻する為の特務工作と、イギリスがインド産アヘンを中華民国に持ち込むのを防ぐ為のマラヤ共産党への資金提供に充てられている。

西暦1,938年3月、里見甫が、アヘン売買の為に三井物産主導で設置された「宏済善堂」の副董事長——事実上の社長——に就任した。宏済善堂はペルシャ・トルコ産アヘンを三井物産に密輸入させ、青幇を経由して末端のアヘン窟へ流す。其の青幇は、表向き日本の敵であった蒋介石率いる国民党とも、後にアメリカ統合参謀本部の部局として設立されるOSS(戦略情報局)とも通じていた。軈て、生産者から里見がアヘンを買い上げ、里見と買い手である満洲国政府の間に甘粕正彦が入る体制が確立される。甘粕は満洲国政府とアヘン消費者の間にも入り、複数のダミー会社を通じて取引を行い、資金を洗浄した。甘粕は、陸軍士官学校時代に自身の教官であった東條英機に資金提供を行なっている。同年12月16日、近衛内閣が対中国政策を一元的に統制指導する為に内閣直属機関「興亜院」を設立すると、アヘン取引による利益は興亜院が管理し、南京政府の財務省と宏済善堂へ分配される様になった。

西暦1,939年3月、岸信介は満洲国国務院総務庁次長に就任して産業部次長と兼務し、10月には日本へ帰国して商工次官に就く。11月1日、岸は満州国国務院を通じて、甘粕正彦を第2代満洲映画協会理事長に据えた。12月、里見甫はモンゴル産アヘンの販売を開始する。同年末、満洲国政府のアヘンの歳入は120,000,000円に達した。建国から8年で10倍である。だが、アヘン収入自体は満洲国政府以外にも流れており、関東軍、甘粕機関、満洲中央銀行から上海・大連の横浜正金銀行を経由しての日本国内の陸軍の秘密口座、そして満洲から日本陸軍機を使った立川陸軍飛行場への現金輸送——マーケット自体は歳入の数字より遥かに大きかった。西暦1,940年1月、満洲国民生部の外局として「禁煙総局」が設置される。表向きはアヘンを禁止し、厚生部が中毒者の治療・救済に当たったが、裏では専売制を通じた販売が続けられた。同年4月、東條英機の一番子分で里見甫の親友であった塩沢清宣が興亜院華北連絡部次長兼華北連絡部長官心得に就任する。上海にもアヘンを流していた華北連絡部で塩沢は巨利を得て、日本陸軍機を使い、立川陸軍飛行場経由で東條に現金を届けた。禁止を掲げながら売り続け、洗った金が軍の中枢へ還ってゆく——本書は、其の全過程を一冊に束ねている。


登場人物

  • 岸信介 本書の中心人物の1人。西暦1,936年10月、満洲国国務院実業部総務司長に就任し満洲国へ渡る。新京ヤマトホテル特等室での甘粕正彦・鮎川義介・古海忠之・椎名悦三郎・青木実・飯澤重一との毎日の会合の中心人物。西暦1,937年、専売総署を民政部へ移管しアヘン取引のブラックボックス化を主導、特殊会社を大量設立してマネーロンダリングを行なった。同年1月、石原莞爾・星野直樹と共に満洲産業開発五ヶ年計画を主導。同年3月1日、森田久・古海忠之と共に里見甫を訪問し、東條英機からの熱河産アヘン取扱量増大・販路拡大依頼を伝達。同年7月1日に満洲国産業部次長就任。同年12月31日、甘粕正彦の鉄鉱石・石炭採掘権と引き換えに鮎川義介経由で10,000,000円を融資。西暦1,939年3月に総務庁次長兼任、同年10月に日本帰国し商工次官就任、同年11月1日に甘粕正彦を第2代満洲映画協会理事長に据えた。
  • 甘粕正彦 本書の中心人物の1人。新京ヤマトホテルの会合に参加。満洲国総務庁の機密費を受け取っていたが、西暦1,937年7月1日の星野直樹の総務長官就任に伴う機密費流用方針で資金枯渇し、古海忠之経由で岸信介に10,000,000円を懇願、満洲国建国功労で関東軍から得た鉱山採掘権を担保に融資を受けた。同年9月の里見甫の上海移転後、関東軍・満洲国政府と並ぶ1株所有者として月800,000円/株程度を受領、満洲国役人の日本出張時に高級料亭「長谷川」や帝国ホテルを使わせ後から一括支払。同年11月に新京から上海ブロードウェイ・マンション・ホテルに拠点移転しアヘン取引・為替操作で巨利。同年12月31日、岸信介の執務室で鮎川義介経由で10,000,000円を再融資され、華北・蒙彊進攻特務工作とマラヤ共産党への資金提供に使用。西暦1,938年3月、里見甫と満洲国政府の間に介在し複数ダミー会社でマネーロンダリングを行ない、陸軍士官学校時代の教官であった東條英機に資金提供。西暦1,939年11月1日、岸信介により第2代満洲映画協会理事長に据えられた。
  • 鮎川義介 岸信介の親戚で、日産コンツェルンを創立。新京ヤマトホテルの会合に参加。西暦1,937年10月29日、日産コンツェルン持株会社の日本産業が満洲産業開発五ヶ年計画の一環で岸信介等の誘致により満洲進出。同年12月27日、日本産業が新京本社移転と「満洲重工業開発」改組。同月31日、甘粕正彦の鉄鉱石・石炭採掘権を、岸信介から10,000,000円融資の引き換えとして獲得した。
  • 古海忠之 満洲国実業部主計処長。新京ヤマトホテルの会合に参加。西暦1,937年3月1日、森田久・岸信介と共に里見甫を訪問。同年7月1日、甘粕正彦の10,000,000円の懇願を岸信介に取り次ぎ、甘粕の鉱山採掘権の存在を岸に伝えて融資を成立させた。同年12月31日、岸信介が甘粕に10,000,000円の融資を即決した場に同席し、其の即決ぶりに驚いた。
  • 椎名悦三郎 満洲国国務院実業部所属。西暦1,936年10月以降、新京ヤマトホテル特等室での岸信介・甘粕正彦らとの毎日の会合に参加。
  • 青木実 満洲国財政部税務司長。西暦1,936年10月以降、新京ヤマトホテル特等室での岸信介・甘粕正彦らとの毎日の会合に参加。
  • 飯澤重一 満洲国総務庁参事官。西暦1,936年10月以降、新京ヤマトホテル特等室での岸信介・甘粕正彦らとの毎日の会合に参加。
  • 石原莞爾 西暦1,937年1月、星野直樹・岸信介と共に「満洲産業開発五ヶ年計画」を主導した。予算2,500,000,000円(当時の日本の国家予算2,400,000,000円超)、20分野5ヶ年数値目標で農業中心の満洲国を重工業国へ転換する事を目的とした計画である。
  • 星野直樹 西暦1,937年1月、石原莞爾・岸信介と共に「満洲産業開発五ヶ年計画」を主導。同年7月1日、満洲国国務院総務長官に就任し、満洲国総務庁の機密費の流用は罷り成らないとの方針を打ち出した。此れにより甘粕正彦への機密費支出が途絶え、甘粕が岸信介に10,000,000円を懇願する契機となった。
  • 森田久 第2代満洲国通信社主事。西暦1,937年3月1日、岸信介・古海忠之を連れて、関東軍の熱河産アヘンを天津で売り捌いていた里見甫を訪ね、和風旅館の常磐館に一席を設けた。
  • 里見甫 関東軍の熱河産アヘンを天津で売り捌いていた人物。西暦1,937年3月1日、森田久・岸信介・古海忠之の訪問を受け、東條英機からの熱河産アヘン取扱量増大・販路中華民国全域拡大・里見機関上海移転依頼を受けたが、青幇との連携が必要等の理由で即答せず検討すると述べた。同年9月、天津から上海に移り上海のアヘンの総元締めとなる。関東軍・満洲国政府・甘粕正彦と1株ずつ所有し、其々800,000円/月程度を受領。西暦1,938年3月、三井物産主導の「宏済善堂」副董事長(事実上の社長)に就任し、ペルシャ・トルコ産アヘンを三井物産に密輸入させ、青幇経由で末端のアヘン窟に流した。西暦1,939年12月、モンゴル産アヘンの販売を開始した。
  • 東條英機 西暦1,937年3月1日、森田久・岸信介・古海忠之を介して里見甫に、熱河産アヘンの取扱量増大と販路中華民国全域拡大、里見機関の上海移転を依頼した。西暦1,938年3月以降、陸軍士官学校時代の教官として甘粕正彦から資金提供を受けた。西暦1,940年4月以降、塩沢清宣から日本陸軍機を使った立川陸軍飛行場経由で現金資金提供を受けた。
  • 塩沢清宣 東條英機の一番子分で里見甫の親友。西暦1,940年4月、興亜院華北連絡部次長兼華北連絡部長官心得に就任。興亜院華北連絡部は上海にもアヘンを流していた為、巨利を得た。塩沢は、日本陸軍機を使って、立川陸軍飛行場経由で東條英機に現金で資金提供していた。
  • 蒋介石 中華民国国民党の指導者。西暦1,938年3月以降、表向き日本の敵であったが、里見甫が副董事長を務める宏済善堂のアヘン流通経路である青幇は、蒋介石率いる国民党や後のOSSとも通じていた。

主要な概念・組織

  • 満洲国新京・アヘン窟公認 西暦1,932年3月14日、満洲国政府が長春を「新京」と命名。其の後満洲国政府と関東軍はアヘンを財源にしようとアヘン窟を公認し、新京1,000軒超・奉天750軒・他主要都市500軒・麻薬販売店100軒の規模に達した。アヘン窟の多くは売春宿を兼ね、営業許可手数料とアヘン売上が満洲国政府歳入の大きな割合を占めた。密売業者は治外法権を示す日の丸を掲げた。
  • 専売公署・専売総署 西暦1,932年3月に満洲国財政部内に設置された専売公署は、塩・煙草の専売を司った。西暦1,935年4月に「専売総署」に改組され、石油(軍需物資としての戦略的専売)・アヘン(蒙疆等の指定栽培地で農家に芥子栽培を義務付け、収買人を通じた集荷)の専売を開始。西暦1,937年、岸信介の主導で満洲国財政部から民政部へ移管され、アヘン取引のブラックボックス化が図られた。
  • 新京ヤマトホテル会合 西暦1,936年10月以降、南満洲鉄道の経営する新京ヤマトホテル(現在の中国吉林省長春市人民大街)の特等室で毎日のように開かれた会合。岸信介(中心)・甘粕正彦(中心)・鮎川義介・古海忠之・椎名悦三郎・青木実・飯澤重一が参集し、①満洲重工業開発・資源活用②満洲国・日本のプロパガンダ推進の為の報知新聞乗っ取り(後に上海大陸新報切替)③日本内地での満洲国宣伝手法④モンゴル産アヘン販売依頼・資金配分⑤アジア政策が話し合われた。
  • 満洲産業開発五ヶ年計画 西暦1,937年1月、石原莞爾・星野直樹・岸信介の主導で実施が決定された、農業中心の満洲国を重工業国へ転換する事を目的とした計画。予算2,500,000,000円は当時の日本の国家予算2,400,000,000円を超える規模。銑鉄・鉄塊・鋼材・石炭・液化石炭・シェールオイル・アルミニウム・自動車・飛行機・電力・水稲・小麦・大豆・洋麻・綿羊・馬・鉄道・金・非鉄金属・化学工業の20分野で5ヶ年数値目標を掲げ、同年4月から開始された。
  • 里見甫への熱河産アヘン取扱量増大依頼 西暦1,937年3月1日、第2代満洲国通信社主事森田久が岸信介・古海忠之を連れて、関東軍の熱河産アヘンを天津で売り捌いていた里見甫を訪問。岸が東條英機からの謝意を伝えた上で、膨大化した謀略資金を賄う為の熱河産アヘン取扱量増大、販売網の北支・中支全域(中華民国全域)拡大、里見機関の上海移転を依頼した。里見は中華民国全域となると秘密結社青幇との連携が必要等の問題から即答せず、検討すると述べるに留まった。
  • 鉱山採掘権担保10,000,000円融資 西暦1,937年7月1日、星野直樹の総務長官就任に伴う機密費流用禁止方針で甘粕正彦の資金が枯渇し、古海忠之経由で岸信介に10,000,000円を懇願。岸は満洲国建国功労として関東軍から複数貰っていた甘粕の鉱山採掘権を担保に了承した。同年12月31日、甘粕は岸信介の執務室を訪ね、再び急に10,000,000円が必要になったと頼み込み、岸は鉄鉱石・石炭の鉱山採掘権と引き換えに、鮎川義介経由で10,000,000円を渡した。鮎川は此の採掘権を獲得した。甘粕は此の資金を、日本軍の華北・蒙彊進攻特務工作と、英領マレー半島の反英組織マラヤ共産党への資金提供に使った。
  • 日本産業満洲進出・満洲重工業開発改組 西暦1,937年10月29日、日産コンツェルンの持株会社である日本産業が満洲産業開発五ヶ年計画の一環で岸信介等の誘致により満洲進出する事が日満同時発表された。秘密裏に進められ、日本産業の社外重役も発表前日まで知らされず、三井・三菱・住友の財閥も情報を掴めなかった。同年12月27日、日本産業が本社を新京に移転し社名を「満洲重工業開発」に変更して改組した。
  • 里見甫上海移転・宏済善堂・青幇・OSS 西暦1,937年9月、里見甫が天津から上海に移り上海のアヘン総元締めとなった。関東軍・満洲国政府・甘粕正彦が1株ずつ所有し、其々800,000円/月程度を受領。西暦1,938年3月、里見甫が三井物産主導の「宏済善堂」副董事長(事実上の社長)に就任し、ペルシャ・トルコ産アヘンを三井物産に密輸入させ、青幇を経由して末端のアヘン窟に流した。青幇は表向き日本の敵であった蒋介石率いる国民党や、後にアメリカ統合参謀本部の部局として設立されるOSS(戦略情報局)とも通じていた。生産者から里見がアヘンを買い上げ、里見と満洲国政府の間に甘粕正彦が入る体制が確立され、甘粕は満洲国政府と消費者の間にも入って複数のダミー会社を通じてマネーロンダリングを行ない、陸軍士官学校時代の教官であった東條英機に資金提供を行なった。
  • 興亜院 西暦1,938年12月16日、近衛内閣が、対中国政策を一元的に統制指導する事を意図し設立した内閣直属機関。以降アヘン取引による利益は興亜院が管理し、南京政府の財務省、宏済善堂に分配された。華北(現在の中国北京市・天津市・河北省・山西省・内モンゴル自治区)のアヘン取引は、北京の興亜院連絡部が統制した。
  • 満洲国アヘン歳入120,000,000円・送金経路 西暦1,939年12月31日時点、満洲国政府のアヘンの歳入は120,000,000円で、建国から8年で10倍に増大した。但、アヘン収入自体は、満洲国政府以外に①関東軍②甘粕機関③満洲中央銀行から上海・大連の横浜正金銀行を経由しての日本国内の陸軍の秘密口座への送金④満洲から日本陸軍機を使った立川陸軍飛行場への現金輸送、にも送金されており、マーケット自体は更に大きかった。
  • 禁煙総局・塩沢清宣興亜院華北連絡部 西暦1,940年1月、満洲国民生部の外局として「禁煙総局」が設置された。表向きはアヘンを禁止し厚生部がアヘン中毒者の治療・救済を行なったが、裏では専売制を通じたアヘンの販売を継続した。同年4月、東條英機の一番子分で里見甫の親友の塩沢清宣が、興亜院華北連絡部次長兼華北連絡部長官心得に就任。興亜院華北連絡部は上海にもアヘンを流していた為、塩沢は巨利を得た。塩沢は、日本陸軍機を使って、立川陸軍飛行場経由で東條英機に現金で資金提供していた。本書が記録する岸信介・甘粕正彦による満洲アヘン資金洗浄構築8年間の到達点である。

アヘン窟の公認から歳入120,000,000円へ──
岸信介と甘粕正彦が築いた満洲アヘンの資金洗浄の全過程を一元化。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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