電子書籍『マハトマ・ガンディーは人口避妊を「性的快楽の助長」と否定した一元化』の表紙

マハトマ・ガンディーは
人口避妊を「性的快楽の助長」と
否定した一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,922年4月11日〜1,938年12月1日頃
ページ数
8ページ
最新更新日
西暦2,026年7月24日

西暦1,935年12月4日、ワルダーで二人の言葉は交わらなかった──
ガンディーとサンガーの決裂に至るアジア生殖制御運動の17年を一元化。

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本書について

西暦1,935年12月4日、インドのワルダー(現在のインドのマハーラーシュトラ州)で、二人の人物が向かい合った。一方は、インド国民会議の精神的指導者マハトマ・ガンディー。もう一方は、アメリカから来た産児制限活動家マーガレット・サンガーである。ガンディーは言った——「性行為は生殖の為だけに行うものであり、人口避妊は、性的快楽を助長し、ブラフマチャリヤ(禁欲)精神に反する」。サンガーは応えた——「養える子だけを産む為の知識は、女性の基本的人権である」。溝は埋まらなかった。ガンディーの秘書マハデヴ・デサイが、其の詳細をメモとして書き留めている。本書は、此の対談を中心に据え、サンガーがアジアへ渡った西暦1,922年から西暦1,938年までの17年を、年月日単位で一元化した記録である。

始まりは中国であった。西暦1,922年4月11日、サンガーは北京大学教育学部教授の蔣夢麟と、コロンビア大学社会学博士課程の陳達の招待を受けて上海港に到着する。日本からイギリスへ向かう船旅の途上での訪問で、滞在は3週間に及んだ。4月19日には北京大学で2,500名の学生を前に講演し、通訳は哲学者胡適が担う。翌20日午前には北京協和医学院で多くの看護師を前に語り、後日、第14代北京大学学長蔡元培から夕食に招かれて中国の知識人達と交流した。此れを切っ掛けとして、中国語に翻訳されたサンガーの産児制限のパンフレットが北京市全体に配布される。上海での講演の翻訳は、コロンビア大学で教育学の博士号を取得したばかりの于慶棠が務めた。サンガーの訪問は、過剰人口の増大を不十分な資源と関連付けて中国のマルサス主義的イメージを強め、中国メディアに出生制限の優生学的な側面を巡る議論を呼び起こした。

次に照準はインドへ向く。西暦1,924年6月、ベルリンに居たアグネス・スメドレーがサンガーに書簡を送り、インドの医師達を雇用した出生制限の推進を勧めた。目的は二つ。一つは「子供の改善」——避妊を母子保健の観点から推進し、頻繁な妊娠による母体死亡率の低下と、子供の栄養・教育の改善を図る事。もう一つは「人種の改善」——質の高い子孫を産む為の科学的育種であり、スメドレーは人口過剰を植民地支配の産物と断じ、避妊によってインド人の質を向上させて独立を目指すと主張した。西暦1,929年11月23日、スメドレーはサンガーの資金提供を受けて北京に産児制限クリニックを設立する。運営はサンガーの手法をモデルとした。

西暦1,935年10月24日、サンガーはニューヨークからインドへ向けて出航した。植物学者マリー・ストープスの代理人で新マルサス主義連盟代表のエディス・ハウ・マーティンと協力して連絡網を固め、AIWC(全インド女性会議)のゲストスピーカーとして、10,000,000名のインド人女性を代表する立場での招待であった。11月1日頃にボンベイへ到着し、医療専門家向けに避妊の専門講義とデモ映画の上映を行う。ボンベイ・クロニクル紙等の報道により、避妊問題は大衆に認識されていった。此処でサンガーは、西暦1,925年にプネーでインド初の家族計画クリニックを設立したラグナート・ドンド・カルヴェ、ソーラープル優生学協会の名誉ディレクターを務めた婦人科医アヴァバイ・プルショタムダス・ピライ、哲学教授ナラヤン・シタラム・ファドケ等と接触した。11月15日頃からは、ボンベイ・ラホール・デリー・カルカッタ・マドラスを含むインドの18ヶ所を巡り、「家族規模の制限の重要性」を主題として計64回の講演を重ねる。其の道中、第48・49代インド国民会議党首ジャワハルラール・ネルーと、タゴール国際大学創設者ラビンドラナート・タゴールと会談した。

ワルダーでの決裂の3日後、西暦1,935年12月7日、ガンディーは突然の体調不良で休養に入る。サンガーは都市の訪問を続けた。12月13日にはパトナで第54代国民会議党首ラージェーンドラ・プラサードと約1時間の会談を持ち、人口過剰を貧困の原因として避妊教育の必要性を説く。プラサードは之を支持し、インド独立後の人口政策への可能性を探ったが、ガンディー達の反対を懸念して慎重な議論に留まった。12月31日頃、サンガーはティルヴァナンタプラムを訪れる。トラヴァンコール王国の後継マハラニであるセトゥ・パルヴァティ・バイの招待でAIWCの議論に加わる予定であったが、カトリック修道女達の反対により実現しなかった。西暦1,936年1月1日頃、インド訪問の全日程が終わる。

西暦1,936年7月25日からの3日間、キングスウェイ・ホール(イギリスのロンドンのシティ・オブ・ウェストミンスター)にて、新マルサス主義連盟と、サンガーが設立したBCIIC(国際避妊情報センター)の主催により「第5回国際新マルサス主義及び産児制限会議」が開かれた。サンガーは前年のインド歴訪を振り返り、ガンディーとの決裂を文化的障壁の一例として挙げる。そして、インドの人口過剰を植民地支配の産物とし、避妊をインド独立の準備として位置付けて、ガンディーの自然主義に反対する立場を鮮明にした。支持者として名を挙げたのは、ジャワハルラール・ネルーとAIWC国際代表ダンヴァンティ・ラーマ・ラウであった。西暦1,938年12月1日頃、そのラウとサンガーの協力により、ボンベイで「第1回家族衛生会議」が開催される。メインテーマは「家族衛生」。優生学的視点をベースに女性の権利が強調され、サンガーは「避妊の科学的利点とインドの未来」と題して講演し、人口爆発を植民地支配の産物と批判して、避妊具の使用法のデモを行った。名誉ゲストにはネルーが招かれている。ガンディーが退けた言葉が、インドの会議場で公然と語られる場所まで到達した——本書は、其の全過程を一冊に束ねている。


登場人物

  • マーガレット・サンガー アメリカの産児制限活動家。本書の中心人物。西暦1,922年4月11日に北京大学教育学部教授蔣夢麟・コロンビア大学社会学博士課程陳達の招待で上海港に到着、4月19日に北京大学・4月20日に北京協和医学院で講演を行ない、第14代北京大学学長蔡元培から夕食招待を受けた。西暦1,929年11月23日にはアグネス・スメドレーへの資金提供により北京産児制限クリニックを設立。西暦1,935年10月24日にニューヨークからインドへ出航し、植物学者マリー・ストープスの代理人で新マルサス主義連盟代表エディス・ハウ・マーティンと協力、AIWCのゲストスピーカーとして10,000,000名のインド人女性を代表する立場で招待された。11月1日にボンベイ到着、11月15日からインド18ヶ所訪問計64回講演を実施。12月4日にワルダーでマハトマ・ガンディーと対談し「養える子だけを産む為の知識は、女性の基本的人権である」と訴えたが溝は埋まらなかった。西暦1,936年7月25日からキングスウェイ・ホールで「第5回国際新マルサス主義及び産児制限会議」を主催、西暦1,938年12月1日にダンヴァンティ・ラーマ・ラウとの協力で「第1回家族衛生会議」をボンベイで開催した。
  • マハトマ・ガンディー インド国民会議の精神的指導者。西暦1,935年12月4日、ワルダーでマーガレット・サンガーと対談を行ない「性行為は生殖の為だけに行うものであり、人口避妊は、性的快楽を助長し、ブラフマチャリヤ(禁欲)精神に反する」と主張した。サンガーの「養える子だけを産む為の知識は、女性の基本的人権である」という主張との間の溝は埋まらなかった。秘書のマハデヴ・デサイが対談の内容の詳細をメモとして残した。同月7日、突然の体調不良で休養となった。西暦1,936年7月のキングスウェイ・ホールでの「第5回国際新マルサス主義及び産児制限会議」では、サンガーから対談での決裂を文化的障壁の例の1つとして挙げられた。
  • 蔣夢麟 北京大学教育学部教授。西暦1,922年4月11日、コロンビア大学社会学博士課程陳達と共にマーガレット・サンガーを上海に招待した。
  • 陳達 コロンビア大学社会学博士課程の学生。西暦1,922年4月11日、北京大学教育学部教授蔣夢麟と共にマーガレット・サンガーを上海に招待した。其の儘博士号を取得し、後に著名な人口科学者となった。
  • 胡適 中国の哲学者。西暦1,922年4月19日、マーガレット・サンガーの北京大学での2,500名の学生対象の講演で通訳を担った。
  • 蔡元培 第14代北京大学学長。西暦1,922年4月20日、マーガレット・サンガーを夕食に招待した。此れが切っ掛けで、サンガーの産児制限の中国語に翻訳されたパンフレットが北京市全体に配布された。
  • 于慶棠 コロンビア大学で教育学の博士号を取得したばかりの人物。西暦1,922年4月20日以後、マーガレット・サンガーの上海での講演を翻訳した。
  • アグネス・スメドレー 西暦1,924年6月、ベルリンに居た時にマーガレット・サンガーに書簡を送り、①子供の改善②人種の改善の2点を目的とした、インドの医師達を雇用した出生制限の推進を勧めた。西暦1,929年11月23日には、マーガレット・サンガーの資金提供を受けて、北京に産児制限クリニックを設立した。此のクリニックはサンガーの手法をモデルとして運営された。
  • エディス・ハウ・マーティン 植物学者マリー・ストープスの代理人で新マルサス主義連盟代表。西暦1,935年10月24日のマーガレット・サンガーのニューヨークからインドへの出航以前から、サンガーと協力してインドの連絡網を強化していた。西暦1,936年7月のキングスウェイ・ホールでの「第5回国際新マルサス主義及び産児制限会議」では、インドへの国際的な避妊クリニック設立と女性教育推進への資金提供を約束した。西暦1,938年12月1日のボンベイでの「第1回家族衛生会議」にも参加した。
  • マリー・ストープス 植物学者。エディス・ハウ・マーティンが代理人を務めた。
  • ラグナート・ドンド・カルヴェ 西暦1,925年にプネー(インドのマハーラーシュトラ州)にてインド初の家族計画クリニックを設立した人物。西暦1,935年11月1日のマーガレット・サンガーのボンベイ到着以後、サンガーと接触してインドの生殖制御運動の理解を進めた。西暦1,938年12月1日のボンベイでの「第1回家族衛生会議」にも参加した。
  • アヴァバイ・プルショタムダス・ピライ 婦人科医。西暦1,934年迄ソーラープル(インドのマハーラーシュトラ州)優生学協会名誉ディレクターを務めた。西暦1,935年11月1日のマーガレット・サンガーのボンベイ到着以後、サンガーと接触してインドの生殖制御運動の理解を進めた。西暦1,938年12月1日のボンベイでの「第1回家族衛生会議」にも参加した。
  • ナラヤン・シタラム・ファドケ 哲学教授。西暦1,935年11月1日のマーガレット・サンガーのボンベイ到着以後、サンガーと接触してインドの生殖制御運動の理解を進めた。西暦1,938年12月1日のボンベイでの「第1回家族衛生会議」にも参加した。
  • ジャワハルラール・ネルー 第48・49代インド国民会議党首。西暦1,935年11月15日からのマーガレット・サンガーのインド18ヶ所訪問中にサンガーと会談した。西暦1,936年7月のキングスウェイ・ホールでの「第5回国際新マルサス主義及び産児制限会議」では、サンガーがガンディーの自然主義に反対するに当たって支持を強調した1人。西暦1,938年12月1日のボンベイでの「第1回家族衛生会議」では名誉ゲストとして参加した。
  • ラビンドラナート・タゴール タゴール国際大学創設者。西暦1,935年11月15日からのマーガレット・サンガーのインド18ヶ所訪問中にサンガーと会談した。
  • マハデヴ・デサイ マハトマ・ガンディーの秘書。西暦1,935年12月4日のワルダーでのマハトマ・ガンディーとマーガレット・サンガーの対談の内容の詳細をメモとして残した。
  • ラージェーンドラ・プラサード 第54代国民会議党首。西暦1,935年12月13日、パトナにてマーガレット・サンガーと会談を行なった。サンガーは人口過剰を貧困の原因とし、避妊教育の必要性を説き、プラサードは此れを支持し、インド独立後の人口政策への可能性を探ったが、マハトマ・ガンディー達の反対を懸念し、慎重な議論に留まった。会談は約1時間で終了した。
  • セトゥ・パルヴァティ・バイ トラヴァンコール王国の後継マハラニ。西暦1,935年12月31日、マーガレット・サンガーをティルヴァナンタプラムでのAIWCの議論に参加する様招待したが、カトリック修道女達の反対により実現しなかった。
  • ダンヴァンティ・ラーマ・ラウ AIWC国際代表。西暦1,936年7月のキングスウェイ・ホールでの「第5回国際新マルサス主義及び産児制限会議」では、サンガーがガンディーの自然主義に反対するに当たって支持を強調した1人。西暦1,938年12月1日のボンベイでの「第1回家族衛生会議」では、マーガレット・サンガーと協力して会議を開催し、開会挨拶を行ない女性中心のパネルセッションを主宰した。

主要な概念・組織

  • ブラフマチャリヤ(禁欲) 本書の中心となる概念。マハトマ・ガンディーが信奉した精神。西暦1,935年12月4日のワルダーでのマーガレット・サンガーとの対談で、ガンディーは「性行為は生殖の為だけに行うものであり、人口避妊は、性的快楽を助長し、ブラフマチャリヤ(禁欲)精神に反する」と主張した。此れが、サンガーの「養える子だけを産む為の知識は、女性の基本的人権である」という主張と対立し、対談は決裂した。西暦1,936年7月のキングスウェイ・ホールでの「第5回国際新マルサス主義及び産児制限会議」では、サンガーから対談での決裂が文化的障壁の例の1つとして挙げられた。
  • サンガーの中国訪問 西暦1,922年4月11日、マーガレット・サンガーが北京大学教育学部教授蔣夢麟・コロンビア大学社会学博士課程陳達の招待で上海港に到着、日本からイギリスへの船旅の途上で中国に3週間滞在した。4月19日に北京大学(2,500名学生対象、哲学者胡適通訳)・4月20日午前に北京協和医学院で講演を行ない、第14代北京大学学長蔡元培から夕食招待を受け、サンガーの産児制限の中国語に翻訳されたパンフレットが北京市全体に配布された。ハーバード大学・イェール大学・コーネル大学のOBと北京市内の満洲レストランで昼食を摂り、上海では于慶棠の翻訳で講演を行なった。サンガーの訪問は、中国のマルサス主義的イメージを強化し、出生制限の優生学的な側面に関する議論を中国メディアで喚起した。
  • 北京産児制限クリニック 西暦1,929年11月23日、アグネス・スメドレーがマーガレット・サンガーの資金提供を受けて北京に設立したクリニック。サンガーの手法をモデルとして運営された。
  • AIWC(全インド女性会議) 全インド女性会議。西暦1,935年10月24日、マーガレット・サンガーが10,000,000名のインド人女性を代表する立場でゲストスピーカーとして招待され、ニューヨークからインドへ出航する切っ掛けとなった。西暦1,935年12月31日にはトラヴァンコール王国後継マハラニのセトゥ・パルヴァティ・バイの招待でティルヴァナンタプラムでの議論にサンガーが参加する予定であったが、カトリック修道女達の反対により実現しなかった。ダンヴァンティ・ラーマ・ラウが国際代表を務めた。
  • サンガーのインド18ヶ所訪問 西暦1,935年11月15日から開始されたマーガレット・サンガーのインド訪問。ボンベイ・アフマドナガル・ラホール(現在のパキスタンのパンジャーブ州)・デリー・ラクナウ・パトナ・アラーハーバード・カルカッタ・ワルダー・マドラス・マラバール・ティルヴァナンタプラム等の18ヶ所を訪問。テーマは「家族規模の制限の重要性」で、計64回の講演を行なった。其の間、第48・49代インド国民会議党首ジャワハルラール・ネルー、タゴール国際大学創設者ラビンドラナート・タゴールと会談、ワルダーではマハトマ・ガンディーとの対談、パトナでは第54代国民会議党首ラージェーンドラ・プラサードとの会談も行なわれた。西暦1,936年1月1日に全日程を終えた。
  • ガンディー・サンガー対談 西暦1,935年12月4日、ワルダー(現在のインドのマハーラーシュトラ州)にて行なわれた、マハトマ・ガンディーとマーガレット・サンガーの対談。ガンディーは「性行為は生殖の為だけに行うものであり、人口避妊は、性的快楽を助長し、ブラフマチャリヤ(禁欲)精神に反する」と主張、サンガーは「養える子だけを産む為の知識は、女性の基本的人権である」と訴えたが、溝は埋まらなかった。ガンディーの秘書マハデヴ・デサイが、対談の内容の詳細をメモとして残した。サンガーは西暦1,936年7月のキングスウェイ・ホールでの「第5回国際新マルサス主義及び産児制限会議」で、此の対談での決裂を文化的障壁の例の1つとして挙げた。
  • 新マルサス主義連盟 エディス・ハウ・マーティンが代表を務めた連盟。植物学者マリー・ストープスの系譜を引く組織。西暦1,936年7月25日からのキングスウェイ・ホールでの「第5回国際新マルサス主義及び産児制限会議」をBCIICと共に主催した。
  • BCIIC(国際避妊情報センター) マーガレット・サンガーが設立した国際避妊情報センター。西暦1,936年7月25日からのキングスウェイ・ホールでの「第5回国際新マルサス主義及び産児制限会議」を新マルサス主義連盟と共に主催した。
  • 第5回国際新マルサス主義及び産児制限会議 西暦1,936年7月25日から3日間、キングスウェイ・ホール(イギリスのロンドンのシティ・オブ・ウェストミンスター)にて、新マルサス主義連盟とマーガレット・サンガーが設立したBCIIC(国際避妊情報センター)の主催により開催された会議。サンガーは、前年のインドでの各都市の訪問を振り返り、マハトマ・ガンディーとの対談での決裂を文化的障壁の例の1つとして挙げた。インドの人口過剰を植民地支配の産物とし、避妊をインド独立の準備として位置付け、ガンディーの自然主義に反対し、ジャワハルラール・ネルー・AIWC国際代表ダンヴァンティ・ラーマ・ラウ等の支持を強調、64講演で聴衆が数万人に達した事をボンベイ・クロニクル紙等のメディア報道に基づき主張、インドに国際的な避妊クリニックを設立し女性教育を推進する事をエディス・ハウ・マーティン等の参加者から資金提供の約束を得て発表した。
  • 第1回家族衛生会議 西暦1,938年12月1日、ダンヴァンティ・ラーマ・ラウとマーガレット・サンガーの協力により、ボンベイにて開催された会議。メインテーマは「家族衛生」で、避妊教育・公衆衛生・母子保健を議論した。優生学的視点をベースに、女性の権利を強調した。主な参加者は、ラウ(開会挨拶・女性中心のパネルセッションを主宰)、サンガー(「避妊の科学的利点とインドの未来」テーマで講演し、人口爆発を植民地支配の産物と批判、避妊具の使用法のデモを行なった)、ラグナート・ドンド・カルヴェ、アヴァバイ・プルショタムダス・ピライ、ナラヤン・シタラム・ファドケ、ジャワハルラール・ネルー(名誉ゲスト)、エディス・ハウ・マーティンであった。

上海から北京、ボンベイからワルダーへ──
ガンディーの人口避妊否定とサンガーのアジア生殖制御運動の全過程を一元化。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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