電子書籍「マーガレット・サンガー一元化」の表紙

マーガレット・サンガー
一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,879年9月14日〜1,966年9月6日
ページ数
30ページ
最新更新日
西暦2,026年7月24日

刑務所の独房から、国際家族計画連盟の設立まで──
ロックフェラー家3世代の資金が支えた産児制限運動の87年を一元化。

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本書について

西暦1,879年9月14日、コーニング(アメリカのニューヨーク州スチューベン郡)の石工マイケル・ヘネシー・ヒギンズとアン・パーセル・ヒギンズの間に、マーガレット・サンガーが生まれた。其の32年後の西暦1,911年3月22日、ジョン・ロックフェラー・ジュニア、ポール・ウォーバーグ、そしてジョン・ロックフェラーの顧問弁護士スター・J・マーフィーの3名が会合を持ち、前年のニューヨーク市に於ける白人人身売買・強制売春の特別大陪審調査の結果として、売春と其れに関連する悪弊の研究・改善・予防を目的とする「BSH(社会衛生局)」が設立される。一人の活動家の生涯と、一族の資金網。本書は、後に交わる此の二つの流れを起点として、産児制限運動の87年を年月日単位で一元化した記録である。

サンガーが最初に刑務所を知ったのは西暦1,913年4月1日、工場ストライキ中のピケットラインで徘徊したとして逮捕された時であった。ヘイズルトン(アメリカのペンシルベニア州ルザーン郡)の刑務所で過ごした約1週間、毎朝11時に鉄格子からパンが1本だけ支給される1日1食の日々で、櫛もブラシも石鹸もタオルも認められなかった。同じ年の5月14日、フレデリック・テイラー・ゲイツの働き掛けにより、ジョン・ロックフェラーがニューヨークにて「ロックフェラー財団」を設立する。財団はBSHの避妊・母体衛生・性教育に関する研究と教育プロジェクトに資金を提供し、ロックフェラーの妻ローラ・スペルマン・ロックフェラーも「全国の女子学生に対する社会衛生教育の推進」に25,000ドルを寄付した。そして西暦1,914年8月25日、サンガーは、猥褻物や避妊関連物品の郵送を禁ずるコムストック法(連邦刑法第211条)違反により起訴され、起訴を逃れる為「バーサ・ワトソン」の偽名でイギリスへ渡る。

西暦1,916年10月16日、サンガー、其の妹エセル・バーン、助手ファニア・ミンデルの3名が「ブラウンズビル避妊クリニック(アメリカのニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区ブラウンズビル)」を開いた。オランダ語・イタリア語・イディッシュ語・英語の4言語のチラシが撒かれ、初日だけで500名以上の女性が訪れる。相談料は10セントであった。だが10日後の10月26日、ニューヨーク市警察副隊長マーガレット・ホワイトハーストがクリニックを急襲し、3名は逮捕され、患者の記録と避妊具は押収された。翌西暦1,917年1月22日、エセル・バーンは30日間の投獄を言い渡され、収監直後から9日間のハンガー・ストライキに入り、鼻からチューブで流動食を注入する強制栄養を受けて衰弱する。サンガーは2月5日に同じく30日間の投獄を言い渡され、クイーンズ郡刑務所に収監された。此の時、サンガーの服役を管轄する仮釈放委員会委員長の座に居たのは、サンガーが誌上で「化石化した反動的な女」と呼んだキャサリン・ベメント・デイヴィスであった。

西暦1,921年11月10日、サンガーは「ABCL(アメリカ産児制限連盟)」を設立し、翌11日からプラザホテル(アメリカのニューヨーク州ニューヨーク市5番街)にて「第1回アメリカ産児制限会議」を開いた。議題には、無制御な繁殖の危険性、精神異常者や遺伝疾患者向けの不妊手術の奨励、劣性繁殖を奨励する法の廃止が並んでいる。13日夜、タウンホールで講演を始めようとしたサンガーは、ニューヨーク大司教パトリック・ジョセフ・ヘイズの圧力を受けた市警にステージから引き摺り下ろされ、200名以上の聴衆が閉じ込められた。西暦1,922年に刊行された著書「文明の軸」でサンガーは、組織的慈善事業は悪性の社会的疾患の症状であり不適格者の再生産を助長していると論じ、消極的優生学者として、人々を才能有る者・聡明な者・平均的な者・愚鈍な者・正常な者・欠陥ある者に分類すべきだと主張した。同年3月、サンガーは横浜港に到着して加藤シヅエの自宅に滞在し、4月には上海から北京へ渡って、北京大学で2,500名の学生を前に講演している。通訳は哲学者胡適が担った。

西暦1,923年1月2日の「CRB(臨床研究局)」設立を境に、運動は資金と医学的承認を求める段階に入る。同年3月にはガートルード・ミンタン・ピンチョットの主導で「CMH(母体健康委員会)」が設立され、西暦1,924年にはBSHがキャサリン・ベメント・デイヴィスの指導の下でCRBの避妊臨床研究を承認し、資金提供を始めた。同年6月19日、ジョン・ロックフェラー・ジュニアがABCLへの10,000ドルの寄付を承認する。条件は、CRBの臨床データをCMHへ医学研究の為に提出する事であった。西暦1,927年8月29日からの6日間、サンガー等の資金提供によりジュネーヴで「世界人口会議」が開かれ、約400名の科学者・人口学者・優生学者が集う。ドイツの優生学者オイゲン・フィッシャーは、黒人と白人の混血を基に遺伝的不調和のリスクを説く演説を行い、其の翌月に設立された「カイザー・ヴィルヘルム人類学・優生学・人類遺伝学研究所」の所長に就いた。此の研究所の建物の一部は、ロックフェラー財団の資金援助により建設されている。西暦1,929年4月15日には、BCCRBのクリニックに警察の捜査が入り、避妊具の使用履歴・妊娠防止効果・副作用・性交頻度等を含む約15,000件のカルテが没収された。

西暦1,935年10月24日、サンガーはインドへ向けて出航する。AIWC(全インド女性会議)のゲストスピーカーとして、10,000,000名のインド人女性を代表する立場での招待であった。11月15日から18ヶ所を巡り、計64回の講演を行う。12月4日、ワルダーにてマハトマ・ガンディーと対談した。ガンディーは「性行為は生殖の為だけに行うものであり、人口避妊は、性的快楽を助長し、ブラフマチャリヤ(禁欲)精神に反する」と主張し、サンガーは「養える子だけを産む為の知識は、女性の基本的人権である」と訴えたが、溝は埋まらなかった。翌西暦1,936年7月、ロンドンで開かれた「第5回国際新マルサス主義及び産児制限会議」でサンガーは、此の決裂を文化的障壁の一例として挙げ、インドの人口過剰を植民地支配の産物とし、避妊をインド独立の準備として位置付けている。

西暦1,939年、ABCLとBCCRBが合併して「BCFA(アメリカ産児制限連合)」が発足し、西暦1,942年には、産児制限という直接的な表現を避ける為「PPFA(全米家族計画連盟)」へ改称された。サンガーは反対したが、医療界と政府の支持を得る為に承認される。西暦1,947年、サンガーはジョン・ロックフェラー・ジュニアの長男ジョン・ロックフェラー3世と知己を得た。ジュニアからの資金提供はBSHとロックフェラー財団を経由し、直接の支援も匿名であった為、ロックフェラー家とサンガーの繋がりが公になったのは此れが初めてであった。西暦1,952年11月29日、ボンベイの第3回国際プランド・ペアレントフッド会議にて、サンガーの構想であった「IPPF(国際家族計画連盟)」の設立が採択される。西暦1,955年にはRBF(ロックフェラー兄弟基金)が、プエルトリコでの避妊クリニック設立と経口避妊薬の試験を支援する為、PPFAに150,000ドルを提供した。そして西暦1,966年9月6日、マーガレット・サンガーはツーソン(アメリカのアリゾナ州ピマ郡)にて、動脈硬化症により死去する。刑務所の独房から国際機関の設立まで、87年に及んだ其の全過程を、本書は一冊に束ねている。


登場人物

  • マーガレット・サンガー 本書の中心人物。アメリカの産児制限活動家。西暦1,879年9月14日、コーニングの石工の家に生誕した。西暦1,914年にコムストック法違反で起訴されて偽名でイギリスへ渡り、西暦1,916年にブラウンズビル避妊クリニックを設立して急襲・逮捕を受け、翌年クイーンズ郡刑務所に収監された。西暦1,921年にABCLを、西暦1,923年にCRBを設立し、著書「文明の軸」で消極的優生学の立場から産児制限を論じた。日本・中国・インドを歴訪し、西暦1,935年にはマハトマ・ガンディーと対談して決裂している。ロックフェラー家3世代からの資金支援を受けながら、BCFA・PPFA・IPPFへと運動を国際化させ、西暦1,966年9月6日、ツーソンにて動脈硬化症により死去した。
  • マイケル・ヘネシー・ヒギンズ マーガレット・サンガーの父。石工。西暦1,879年9月14日、アン・パーセル・ヒギンズとの間にマーガレット・サンガーを儲けた。
  • アン・パーセル・ヒギンズ マーガレット・サンガーの母。西暦1,879年9月14日、マイケル・ヘネシー・ヒギンズとの間にマーガレット・サンガーを儲けた。
  • エセル・バーン マーガレット・サンガーの妹。西暦1,916年10月16日、ブラウンズビル避妊クリニックの共同設立者。同年10月26日警察急襲で逮捕され、西暦1,917年1月8日有罪判決を受け、1月22日に30日間の投獄を言い渡された。クイーンズ郡刑務所収監直後から9日間ハンガー・ストライキを実行し、其の後鼻からチューブで流動食を注入する強制栄養を受け、釈放時には衰弱していた。
  • ファニア・ミンデル マーガレット・サンガーの助手。西暦1,916年10月16日、ブラウンズビル避妊クリニックの共同設立者。同年10月26日警察急襲で逮捕され、西暦1,917年2月2日有罪判決を受け、罰金50ドルを言い渡された。
  • マーガレット・ホワイトハースト ニューヨーク市警察副隊長。西暦1,916年10月26日、ブラウンズビル避妊クリニックを急襲し、マーガレット・サンガー・エセル・バーン・ファニア・ミンデルの3名を逮捕した。
  • キャサリン・ベメント・デイヴィス 西暦1,914年1月1日、第96代ニューヨーク市長ジョン・パーロイ・ミッチェルによりニューヨーク市矯正局長に任命。仮釈放委員会委員長として西暦1,917年のマーガレット・サンガーの服役を管轄する立場にあった。西暦1,922年NRC性の問題研究委員会を共同設立。西暦1,924年BSH総書記としてサンガーのCRBでの避妊臨床研究を承認し資金提供を始め、アメリカ優生学会の諮問委員会委員に就任。西暦1,928年2月2日胆嚢疾患によりBSHを退職。西暦1,929年「2,200人の女性の性生活の諸要因」をハーパー・アンド・ブラザーズ出版から刊行。
  • ジョン・ロックフェラー・ジュニア ジョン・ロックフェラーの長男。西暦1,911年3月22日、ポール・ウォーバーグ・スター・J・マーフィーとの会合でBSH設立。西暦1,924年6月19日、ABCLに10,000ドルの寄付を承認。西暦1,928年2月2日キャサリン・ベメント・デイヴィスのBSH退職送別会に出席。マーガレット・サンガーへの資金提供を、主にBSHとロックフェラー財団を経由して行なっており、直接的な支援も匿名であった為、西暦1,947年に長男ジョン・ロックフェラー3世とサンガーが知己を得る迄、ロックフェラー家とサンガーの繋がりは公にならなかった。
  • ポール・ウォーバーグ 西暦1,911年3月22日、ジョン・ロックフェラー・ジュニア・スター・J・マーフィーとの会合でBSHを設立した1人。
  • スター・J・マーフィー 弁護士でジョン・ロックフェラーの顧問。西暦1,911年3月22日、ジョン・ロックフェラー・ジュニア・ポール・ウォーバーグとの会合でBSHを設立した1人。
  • ローラ・スペルマン・ロックフェラー ジョン・ロックフェラーの妻。西暦1,913年5月14日設立のロックフェラー財団のBSHプロジェクトを熱心に推進し「全国の女子学生に対する社会衛生教育の推進」に対し25,000ドルを寄付した。
  • アビー・アルドリッチ・ロックフェラー ジョン・ロックフェラー・ジュニアの妻。西暦1,930年9月、マーガレット・サンガーから哀悼書簡を受け取った。西暦1,948年4月5日死去。サンガーは、ロックフェラーが死去する前に会った最後の友人の1人であった。
  • ジョン・ロックフェラー3世 ジョン・ロックフェラー・ジュニアの長男。西暦1,947年、マーガレット・サンガーと知己を得た。ロックフェラー家とサンガーの繋がりが公になったのは此れが初めてであった。アメリカ国内の産児制限運動を活性化し、ロックフェラー財団を使って国際的に拡大する事を目標とした。
  • レイモンド・B・フォスディック ジョン・ロックフェラー・ジュニアの弁護士でロックフェラー財団理事。西暦1,924年6月13日、ロックフェラー・ジュニアがABCLから10,000ドルを要請された事を受けて、「個人的に、私は人口の問題が未来の大きな危険の1つを構成すると信じています」との内容を含む助言を記した書簡を送った。
  • パトリック・ジョセフ・ヘイズ ニューヨーク大司教。西暦1,921年11月13日夜、タウンホールでのマーガレット・サンガーの講演をニューヨーク市警察に圧力を掛けて急襲させ、強制的に講演を中止させた。
  • ロバート・ラットウ・ディキンソン 産婦人科医でマーガレット・サンガーの協力者。西暦1,923年3月、ガートルード・ミンタン・ピンチョット主導のCMH設立を指導。西暦1,925年12月18日サンガーと共にMRCを設立。西暦1,928年6月11日、AMA年次総会で不妊手術の展示を行なった。西暦1,929年4月15日BCCRBクリニック警察捜査を医療界を動員して公に非難。西暦1,950年11月29日、アマーストの自身の娘の自宅にて死去した。
  • ハンナ・ストーン 初代CRB医療責任者で女医。西暦1,929年4月15日午前、BCCRBクリニックの警察捜査によりニューヨーク州刑法第1142条違反で逮捕された5名の1人。広範な記録管理を行なっており、信頼出来るクリニックデータが不足していたロバート・ラットウ・ディキンソンの態度を軟化させた。
  • ガートルード・ミンタン・ピンチョット 産児制限活動家。西暦1,923年3月、マーガレット・サンガーの協力者ロバート・ラットウ・ディキンソンの指導の下、ニューヨークにてCMH設立を主導した。
  • 加藤シヅエ 日本の産児制限活動家。西暦1,922年3月10日にマーガレット・サンガーが横浜港に到着した後、自宅(東京府東京市赤坂区)にサンガーを滞在させた。
  • 蔣夢麟 北京大学教育学部教授。西暦1,922年4月11日、コロンビア大学社会学博士課程陳達と共に、マーガレット・サンガーを上海に招待した。
  • 陳達 コロンビア大学社会学博士課程。西暦1,922年4月11日、北京大学教育学部教授蔣夢麟と共に、マーガレット・サンガーを上海に招待した。其の儘博士号を取得し、後に著名な人口科学者となった。
  • 胡適 哲学者。西暦1,922年4月19日、マーガレット・サンガーの北京大学講演にて、2,500名の学生の前で通訳を担った。
  • 蔡元培 第14代北京大学学長。西暦1,922年4月20日、北京協和医学院でのマーガレット・サンガーの講演後、サンガーを夕食に招待し、中国の知識人達と交流させた。
  • 于慶棠 コロンビア大学で教育学の博士号を取得したばかりの人物。西暦1,922年4月20日、上海でのマーガレット・サンガーの講演の翻訳を担った。
  • アグネス・スメドレー 西暦1,924年6月、ベルリンに居る所からマーガレット・サンガーに書簡を送り、①子供の改善、②人種の改善、を目的とした、インドの医師達を雇用した出生制限の推進を勧めた。西暦1,929年11月23日、サンガーの資金提供を受けて、北京に産児制限クリニックを設立した。
  • レイモンド・パール ASA(アメリカ統計学会)会長。西暦1,927年8月29日からのジュネーヴ世界人口会議の議長を務めた。
  • ジュリアン・ハクスリー ライス大学(アメリカのテキサス州ヒューストン)生物学助教授。西暦1,927年8月29日からのジュネーヴ世界人口会議の組織委員で、マーガレット・サンガーと共に此の会議を企画した。
  • オイゲン・フィッシャー ドイツの優生学者。西暦1,927年8月29日からのジュネーヴ世界人口会議にて、黒人と白人の混血を基に遺伝的不調和のリスクを強調する人種混合の問題に焦点を当てた演説を行なった。同年9月、ロックフェラー財団の資金援助により建設された「カイザー・ヴィルヘルム人類学・優生学・人類遺伝学研究所」の所長に就任した。
  • マハトマ・ガンディー インド国民会議の精神的指導者。西暦1,935年12月4日、ワルダーにてマーガレット・サンガーと対談を行ない、「性行為は生殖の為だけに行うものであり、人口避妊は、性的快楽を助長し、ブラフマチャリヤ(禁欲)精神に反する」と主張したが、サンガーの「養える子だけを産む為の知識は、女性の基本的人権である」との訴えと溝は埋まらなかった。同年12月7日、突然の体調不良で休養となった。
  • ジャワハルラール・ネルー 第48・49代インド国民会議党首。西暦1,935年のマーガレット・サンガーのインド訪問中に会談し、サンガーの避妊運動を支持した。西暦1,938年12月1日のボンベイ第1回家族衛生会議に名誉ゲストとして出席。
  • ラビンドラナート・タゴール タゴール国際大学創設者。西暦1,935年のマーガレット・サンガーのインド訪問中に会談を行なった。
  • ラージェーンドラ・プラサード 第54代インド国民会議党首。西暦1,935年12月13日、パトナにてマーガレット・サンガーと約1時間会談を行ない、サンガーの避妊教育の必要性の主張を支持し、インド独立後の人口政策への可能性を探ったが、マハトマ・ガンディー達の反対を懸念し、慎重な議論に留まった。
  • ダンヴァンティ・ラーマ・ラウ AIWC国際代表。西暦1,938年12月1日、マーガレット・サンガーと共に「第1回家族衛生会議」をボンベイにて開催し、開会挨拶・女性中心のパネルセッションを主宰した。
  • フレデリック・オズボーン AES(アメリカ優生学協会)共同設立者。西暦1,947年以降、ジョン・ロックフェラー3世のアメリカ国内の産児制限運動活性化とロックフェラー財団による国際的拡大の目標達成の為に、フランク・W・ノーテスタインと共に支援を行なった。
  • フランク・W・ノーテスタイン 国連人口部共同設立者。西暦1,947年以降、ジョン・ロックフェラー3世のアメリカ国内の産児制限運動活性化とロックフェラー財団による国際的拡大の目標達成の為に、フレデリック・オズボーンと共に支援を行なった。

主要な概念・組織

  • コムストック法 西暦1,873年3月3日に制定された猥褻物や避妊関連物品の郵送を禁止する法律(連邦刑法第211条)。西暦1,914年8月25日、マーガレット・サンガーが此の法律違反により起訴され、起訴を逃れる為「バーサ・ワトソン」という偽名を使い、イギリスに渡航した。西暦1,916年10月26日、ブラウンズビル避妊クリニック急襲時にもサンガー・エセル・バーン・ファニア・ミンデルが此の法律違反で逮捕された。
  • ニューヨーク州刑法第1142条 避妊情報の提供の禁止に関する条文(「猥褻行為」)。西暦1,916年10月26日のブラウンズビル避妊クリニック急襲・西暦1,929年4月15日のBCCRBクリニック警察捜査の際に、サンガー等が此の条文違反で逮捕された。
  • BSH(社会衛生局) 西暦1,911年3月22日、①ジョン・ロックフェラー・ジュニア、②ポール・ウォーバーグ、③弁護士でジョン・ロックフェラーの顧問を務めるスター・J・マーフィー、の3名の会合により、前年のニューヨーク市に於ける白人人身売買・強制売春の特別大陪審調査の結果として、売春と其れに関連する悪弊の研究・改善・予防を目的として設立された組織。BSHの名称が初めて使われたのは同年10月で、其れ以降は使用されなかった。西暦1,913年5月14日設立のロックフェラー財団から避妊・母体衛生・性教育に関する研究と教育プロジェクトへの資金提供を受けた。西暦1,924年、BSH総書記キャサリン・ベメント・デイヴィスの指導の下で、マーガレット・サンガーのCRBでの避妊臨床研究の提案を承認し、資金提供を始めた。
  • ロックフェラー財団 西暦1,913年5月14日、フレデリック・テイラー・ゲイツの働き掛けにより、ジョン・ロックフェラーがニューヨークにて設立した財団。BSHの避妊・母体衛生・性教育に関する研究と教育プロジェクトに資金提供を行ない、西暦1,927年9月設立のカイザー・ヴィルヘルム人類学・優生学・人類遺伝学研究所の建物の一部の建設に資金援助を行なった。マーガレット・サンガーへの資金提供を、BSHを通じて行ない、ロックフェラー家とサンガーの繋がりが公にならなかった理由の1つとなった。
  • ブラウンズビル避妊クリニック 西暦1,916年10月16日、①マーガレット・サンガー、②サンガーの妹エセル・バーン、③サンガーの助手ファニア・ミンデル、の3名がアメリカのニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区ブラウンズビルに設立した避妊クリニック。オランダ語・イタリア語・イディッシュ語・英語のチラシで宣伝し、初日だけで500名以上の女性が来院した。相談料は10セントで、避妊の重要性や方法を説明する小冊子やペッサリー等の避妊具を配布したが、コムストック法及びニューヨーク州刑法第1142条に抵触していた。同年10月26日、ニューヨーク市警察副隊長マーガレット・ホワイトハーストが急襲し、3名は逮捕された。
  • ABCL(アメリカ産児制限連盟) 西暦1,921年11月10日、マーガレット・サンガーが設立した連盟。西暦1,924年6月、避妊方法の研究資金として、ジョン・ロックフェラー・ジュニアに10,000ドルを要請し、6月19日に承認を受けた。西暦1,928年6月12日、サンガーが会長を辞任し、CRBをABCLから切り離してBCCRBに改称。西暦1,939年、BCCRBと合併し「BCFA」を発足させ、ABCLとBCCRBの組織間競争を解消した。
  • 第1回アメリカ産児制限会議 西暦1,921年11月11日から7日間、プラザホテル(アメリカのニューヨーク州ニューヨーク市5番街)にて開催された会議。マーガレット・サンガーを主催者とし、医師・学術者・科学者・社会改革者等が集まり、産児制限の知識共有と推進を目的とした。①無制御な繁殖の危険性と世界的な産児制限プログラムの必要性、②科学者等の発見の共有、③母親への衛生・生理的指導、④精神異常者や遺伝疾患者向け不妊手術の奨励、⑤教育プログラム、⑥劣性繁殖を奨励する法の廃止、⑦組織化、⑧国際協力、が主な議題であった。
  • 文明の軸 西暦1,922年、ブレンターノ社より発売されたマーガレット・サンガーの著書。産児制限を、個人の女性の権利の問題としてでは無く、文明全体の将来を左右する公共的・社会的問題として論じ、①人口過剰と無制限な出産が貧困・疾病・社会問題の根本原因、②慈善事業への攻撃、③消極的優生学者として産児制限により不適格者の出生を防ぎ人類の質を向上、④マルクス主義への批判、⑤カトリック教会への批判、を主張した。
  • NRC性の問題研究委員会 西暦1,922年、①キャサリン・ベメント・デイヴィス、②心理学者ロバート・ヤーキーズ、③アール・F・ジン、がNRC(全米研究評議会)に共同設立した委員会。「個人的・社会的に表れる性について体系的・包括的な研究を行い、現在保持されている結論を評価し、科学的に導出されたデータを増やす事」を目的とし、性本能の心理学的及び生理学的側面・禁欲・自慰行為・避妊・性病・性的関係を研究分野とした。
  • CRB(臨床研究局) 西暦1,923年1月2日、マーガレット・サンガーがニューヨーク市にて設立した組織。西暦1,924年、BSHが避妊臨床研究の提案を承認し資金提供を始めた。コムストック法を広義に解釈し、経済的・社会的理由でも避妊具の配布や情報提供を行なっていた。西暦1,928年6月12日、ABCLから切り離されBCCRBに改称された。
  • CMH(母体健康委員会) 西暦1,923年3月、産児制限活動家ガートルード・ミンタン・ピンチョット主導で、マーガレット・サンガーの協力者で産婦人科医のロバート・ラットウ・ディキンソンの指導の下、ニューヨークにて設立された委員会。ニューヨーク産科協会の後援を受け、NYAM・AGSの支持を得て、避妊と生殖に関する研究と人間生殖の医学的側面に関する情報センターとして機能させる事を意図した。西暦1,930年1月、「NCMH(全国母体健康委員会)」に改称した。
  • MRC(母性研究評議会) 西暦1,925年12月18日、①マーガレット・サンガー、②ロバート・ラットウ・ディキンソン、の2名が設立した評議会。CMHのメンバー・CRBの医療諮問委員会のメンバーから構成され、医師の監督下の臨床施設を提供し、避妊方法を調査・評価する事を目指した。ニューヨーク州慈善委員会からのライセンス取得を任務とされたが付与されず、西暦1,930年1月活動停止。
  • 世界人口会議 西暦1,927年8月29日から6日間、ジュネーヴにて開催された会議。マーガレット・サンガー等の資金提供により実現。①ASA会長レイモンド・パール(議長)、②エドワード・マレー・イースト、③クラレンス・クック・リトル、④ジュリアン・ハクスリー、⑤コッラド・ジニ、⑥エルヴィン・バウアー、を含む約400名の科学者・人口学者・優生学者が参加。①人口生物学、②食糧供給、③人口密度、④カイザー・ヴィルヘルム人類学・優生学・人類遺伝学研究所の活動、の4つのセクションで議論され、オイゲン・フィッシャーが人種混合の問題に焦点を当てた演説を行なった。
  • カイザー・ヴィルヘルム人類学・優生学・人類遺伝学研究所 西暦1,927年9月設立。所長にオイゲン・フィッシャーが就任。建物の一部はロックフェラー財団の資金援助により建設された。
  • BCCRB(避妊臨床研究局) 西暦1,928年6月12日、マーガレット・サンガーがCRBをABCLから切り離して改称した組織。西暦1,929年4月15日午前、ニューヨーク市マンハッタン・ウエストのクリニックに警察の捜査が入り、ハンナ・ストーン等5名がニューヨーク州刑法第1142条違反で逮捕され、約15,000件のカルテが没収された。西暦1,939年、ABCLと合併しBCFAを発足させた。
  • NCMH(全国母体健康委員会) 西暦1,930年1月、CMHが改称した組織。避妊・母体健康の情報を収集・普及する役割に特化する方向に活動をシフトした。西暦1,955年6月、活動を停止し、5番街(アメリカのニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区)の事務所を閉鎖し、活動は人口評議会に引き継がれた。
  • BCFA(アメリカ産児制限連合) 西暦1,939年、マーガレット・サンガーの主導により、ABCLとBCCRBが合併して発足した連合。ABCLとBCCRBの組織間競争を解消する事が背景としてあった。西暦1,942年、PPFAに改称した。
  • PPFA(全米家族計画連盟) 西暦1,942年、BCFAが産児制限という直接的な表現を避ける為に改称した連盟。マーガレット・サンガーは反対したが、医療界・政府の支持獲得の為承認された。西暦1,955年、RBF(ロックフェラー兄弟基金)から、プエルトリコでの避妊クリニック設立と、経口避妊薬の試験を始めとする臨床試験を支援する為、150,000ドルの資金提供を受けた。
  • IPPF(国際家族計画連盟) 西暦1,952年11月29日、ボンベイにて開催された第3回国際プランド・ペアレントフッド会議にて、マーガレット・サンガーの構想として設立が採択された連盟。
  • RBF(ロックフェラー兄弟基金) ロックフェラー兄弟が運営する基金。西暦1,955年、プエルトリコでの避妊クリニック設立と、経口避妊薬の試験を始めとする臨床試験を支援する為、PPFAに150,000ドルの資金提供を行なった。

コーニングの生誕からツーソンの死去まで──
優生学と資金網に絡め取られた産児制限運動の全過程を一元化。

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
YouTubeニコニコでも情報を発信中。