マーガレット・サンガー一元化
コーニングでの石工マイケル・ヘネシー・ヒギンズとアン・パーセル・ヒギンズの間でのマーガレット・サンガー生誕、ジョン・ロックフェラー・ジュニア・ポール・ウォーバーグ・スター・J・マーフィーの会合によるBSH(社会衛生局)設立、工場ストライキ徘徊によるヘイズルトン刑務所収監、フレデリック・テイラー・ゲイツ働き掛けによるロックフェラー財団設立とBSH避妊・母体衛生・性教育研究資金提供、コムストック法違反起訴とバーサ・ワトソン偽名イギリス渡航、エセル・バーン・ファニア・ミンデルとブラウンズビル避妊クリニック設立とマーガレット・ホワイトハースト副隊長急襲及び3名逮捕、クイーンズ郡刑務所収監、ABCL設立、プラザホテルでの第1回アメリカ産児制限会議開催とタウンホール急襲によるパトリック・ジョセフ・ヘイズ圧力下強制中止、ブレンターノ社からの「文明の軸」発売と消極的優生学・カトリック教会批判、キャサリン・ベメント・デイヴィスとロバート・ヤーキーズのNRC性の問題研究委員会共同設立、横浜港・上海港・北京大学・北京協和医学院での加藤シヅエ・蔣夢麟・陳達・胡適・蔡元培との接触、CRB(臨床研究局)設立、ガートルード・ミンタン・ピンチョット主導のCMH(母体健康委員会)設立、ロックフェラー・ジュニア10,000ドル寄付承認とレイモンド・B・フォスディック助言、MRC(母性研究評議会)設立、ジュネーヴ世界人口会議開催とレイモンド・パール議長就任及びオイゲン・フィッシャー人種混合演説、ロックフェラー財団資金援助によるカイザー・ヴィルヘルム人類学・優生学・人類遺伝学研究所設立、ABCL会長辞任とBCCRB改称、BCCRBクリニック警察捜査と5名逮捕及び15,000件カルテ没収、MRC活動停止とNCMH改称、インド18ヶ所訪問計64回講演とマハトマ・ガンディー対談決裂・ジャワハルラール・ネルー・ラビンドラナート・タゴール会談、ロンドン第5回国際新マルサス主義及び産児制限会議開催、ボンベイ第1回家族衛生会議開催、ABCLとBCCRB合併によるBCFA発足、PPFA改称、ジョン・ロックフェラー3世との知己とフレデリック・オズボーン・フランク・W・ノーテスタイン支援、ボンベイ第3回国際プランド・ペアレントフッド会議でのIPPF設立採択、RBFのPPFA150,000ドル資金提供によるプエルトリコ経口避妊薬臨床試験支援、ツーソンでの動脈硬化症による死去迄──
アメリカ産児制限運動の創始からロックフェラー家3世代の資金支援を受けて優生学的・国際的家族計画運動へと発展し、IPPF設立と人口評議会への流れを作ったマーガレット・サンガーの87年間の系譜を年月日単位で追跡した一冊。
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本書について
西暦1,879年9月14日、コーニング(アメリカのニューヨーク州スチューベン郡)にて、①石工マイケル・ヘネシー・ヒギンズ、②アン・パーセル・ヒギンズ、の間にマーガレット・サンガーが生誕した。西暦1,911年3月22日、①ジョン・ロックフェラー・ジュニア、②ポール・ウォーバーグ、③弁護士でジョン・ロックフェラーの顧問を務めるスター・J・マーフィー、の3名が会合を行い、前年のニューヨーク市に於ける白人人身売買・強制売春の特別大陪審調査の結果として、売春と其れに関連する悪弊の研究・改善・予防を目的とし「BSH(社会衛生局)」が設立された。但、BSHの名称が初めて使われたのは同年10月で、其れ以降は使用されなかった。西暦1,913年4月1日、産児制限活動家マーガレット・サンガーが、工場ストライキ中のピケットラインで徘徊したとして逮捕され、ヘイズルトン(アメリカのペンシルベニア州ルザーン郡)の刑務所に収監され、約1週間を過ごした。同年5月14日、フレデリック・テイラー・ゲイツの働き掛けにより、ジョン・ロックフェラーがニューヨークにて「ロックフェラー財団」を設立した。ロックフェラー財団は、BSHの避妊・母体衛生・性教育に関する研究と教育プロジェクトに資金提供を行ない、更に、ジョン・ロックフェラーの妻ローラ・スペルマン・ロックフェラーも、此のプロジェクトを熱心に推進し「全国の女子学生に対する社会衛生教育の推進」に対し25,000ドルを寄付した。西暦1,914年1月1日、キャサリン・ベメント・デイヴィスが、第96代ニューヨーク市長ジョン・パーロイ・ミッチェルにより、ニューヨーク市矯正局長に任命された。同年7〜8月、サンガーは、ザ・ウーマン・リベル誌にてデイヴィスを「化石化した反動的な女」「社会的『法と秩序』の犠牲者を食い物にして利益有る名誉高い職業を見付けた、急速に増えつつある体面の良い人々の輝かしい典型」と批判した。同年8月25日、サンガーが、西暦1,873年3月3日に制定された猥褻物や避妊関連物品の郵送を禁止する法律であるコムストック法(連邦刑法第211条)違反により起訴され、起訴を逃れる為「バーサ・ワトソン」という偽名を使い、イギリスに渡航した。
西暦1,916年10月16日、①マーガレット・サンガー、②サンガーの妹エセル・バーン、③サンガーの助手ファニア・ミンデル、の3名が「ブラウンズビル避妊クリニック(アメリカのニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区ブラウンズビル)」を設立した。オランダ語・イタリア語・イディッシュ語・英語の4言語のチラシで宣伝し、初日だけで500名以上の女性が来院した。相談料は10セントで、避妊の重要性や方法を説明する小冊子やペッサリー等の避妊具を配布した。しかし此れはコムストック法及びニューヨーク州刑法第1142条「猥褻行為」に抵触していた。同年10月26日、ニューヨーク市警察副隊長マーガレット・ホワイトハーストが、ブラウンズビル避妊クリニックを急襲し、サンガー・バーン・ミンデルの3名が逮捕された。患者の記録は押収され、避妊具も没収された。西暦1,917年1月4日、エセル・バーンの裁判が、ニューヨーク市特別裁判所ブルックリン支部にて開始され、同年1月8日に有罪判決を受け、同年1月22日に30日間の投獄を言い渡された。バーンは、クイーンズ郡刑務所に収監された直後から9日間ハンガー・ストライキを実行し、体重が激減し、其の後、鼻からチューブで流動食を注入する強制栄養を受け、釈放時には衰弱していた。同年1月29日、サンガーとミンデルの裁判が開始され、同年2月2日、2名共有罪判決を受け、ミンデルは罰金50ドル、サンガーは同年2月5日に30日間の投獄を言い渡され、クイーンズ郡刑務所に収監された。此の時キャサリン・ベメント・デイヴィスは、仮釈放委員会委員長であり、矯正行政の責任者として、サンガーの服役を管轄する立場にあった。同年3月6日、サンガーが釈放され、控訴したが、翌年にニューヨーク州控訴裁判所にて判決が確定した。しかし、医師による避妊相談の合法化が一部認められ、避妊運動の進展に繋がった。
西暦1,921年11月10日、マーガレット・サンガーが「ABCL(アメリカ産児制限連盟)」を設立した。同年11月11日から7日間、プラザホテル(アメリカのニューヨーク州ニューヨーク市5番街)にて「第1回アメリカ産児制限会議」が開催された。サンガーを主催者とし、医師・学術者・科学者・社会改革者等が集まり、産児制限の知識共有と推進を目的とした。同年11月13日夜、ニューヨーク市警察が、タウンホールにてサンガーが講演を始めようとした所を急襲した。此れは、ニューヨーク大司教パトリック・ジョセフ・ヘイズが圧力を掛けた事によるもので、サンガーは憲法の下で集会の権利があると主張したものの、強制的に講演が中止され、200名以上の聴衆が閉じ込められた。西暦1,922年、サンガーの著書「文明の軸」が、ブレンターノ社より発売された。サンガーは、産児制限を、個人の女性の権利の問題としてでは無く、文明全体の将来を左右する公共的・社会的問題として論じ、①人口過剰と無制限な出産が貧困・疾病・社会問題の根本原因である、②組織的慈善事業は悪性の社会的疾患の症状であり不適格者の再生産を助長している、③消極的優生学者として産児制限によって不適格者の出生を防ぎ人類の質を向上させる必要がある、④マルクス主義社会主義への批判、⑤カトリック教会への批判、を主張した。同年、①キャサリン・ベメント・デイヴィス、②心理学者ロバート・ヤーキーズ、③アール・F・ジン、がNRC(全米研究評議会)の「性の問題研究委員会」を共同設立した。同年3月10日、サンガーが横浜港に到着し、産児制限活動家の加藤シヅエの自宅(東京府東京市赤坂区)に滞在した。同年4月11日、サンガーが、①北京大学教育学部教授蔣夢麟、②コロンビア大学社会学博士課程陳達、の招待で上海港に到着し、3週間滞在した。同年4月19日、サンガーが北京大学にて講演を行ない、2,500名の学生が聴講し、通訳は哲学者胡適が担った。翌4月20日午前、北京協和医学院にて講演を行ない、後日第14代北京大学学長蔡元培から夕食に招待され、中国の知識人達と交流した。
西暦1,923年1月2日、マーガレット・サンガーが、ニューヨーク市にて「CRB(臨床研究局)」を設立した。同年3月、産児制限活動家ガートルード・ミンタン・ピンチョットの主導で、サンガーの協力者で産婦人科医のロバート・ラットウ・ディキンソンの指導の下、ニューヨークにて「CMH(母体健康委員会)」が設立された。西暦1,924年、BSHが、BSH総書記キャサリン・ベメント・デイヴィスの指導の下で、サンガーのCRBでの避妊臨床研究の提案を承認し、資金提供を始めた。同年6月、ABCLが、避妊方法の研究資金として、ジョン・ロックフェラー・ジュニアに10,000ドルを要請した。同月、ベルリンに居たアグネス・スメドレーが、サンガーに書簡を送り、子供の改善と人種の改善を目的としたインドの医師達を雇用した出生制限の推進を勧めた。同年6月13日、レイモンド・B・フォスディックが、ロックフェラー・ジュニアが10,000ドルを要請された事を受けて、提案された研究の重要性を強調しつつ、避妊問題の公衆の認識という繊細な性質を認める書簡を送った。同年6月19日、ジョン・ロックフェラー・ジュニアが、サンガーのABCLでの活動への10,000ドルの寄付を承認した。西暦1,925年12月18日、①マーガレット・サンガー、②ロバート・ラットウ・ディキンソン、の2名が「MRC(母性研究評議会)」を設立した。西暦1,927年8月29日から6日間、ジュネーヴにて「世界人口会議」が開催された。サンガー等の資金提供により実現し、ASA(アメリカ統計学会)会長レイモンド・パールが議長を務め、優生学者エドワード・マレー・イースト・第6代ミシガン大学学長クラレンス・クック・リトル・ライス大学生物学助教授ジュリアン・ハクスリー・パドヴァ大学統計学教授コッラド・ジニ・ベルリン人種衛生学会会長エルヴィン・バウアー等約400名が参加した。又、ドイツの優生学者オイゲン・フィッシャーが、黒人と白人の混血を基に遺伝的不調和のリスクを強調する人種混合の問題に焦点を当てた演説を行なった。同年9月、「カイザー・ヴィルヘルム人類学・優生学・人類遺伝学研究所」が設立され、所長にはフィッシャーが就いた。此の研究所の建物の一部は、ロックフェラー財団の資金援助により建設された。西暦1,928年2月2日、キャサリン・ベメント・デイヴィスが、胆嚢疾患により、BSHを退職した。同日、ウォルドルフ・アストリアホテルにて、送別晩餐会が開催され、エレノア・ルーズベルト・慈善施設ハルハウス共同設立者ジェーン・アダムズ・ジョン・ロックフェラー・ジュニア等が出席した。同年6月12日、サンガーが、ABCLの会長を辞任し、CRBをABCLから切り離して独立し「BCCRB(避妊臨床研究局)」に改称した。
西暦1,929年4月15日午前、ニューヨーク市マンハッタン・ウエストのBCCRBのクリニックに警察の捜査が入り、待合室に患者と子供が居た所での急襲であった。ハンナ・ストーン等5名が、ニューヨーク州刑法第1142条違反により逮捕され、避妊具の使用履歴・妊娠防止効果・副作用・性交頻度等の機密情報の含まれた約15,000件のカルテが没収された。ロバート・ラットウ・ディキンソンは、医療界を動員して捜査を公に非難した。西暦1,930年1月、MRCが活動を停止した。又同時期、CMHは「NCMH(全国母体健康委員会)」に改称し、避妊・母体健康の情報を収集・普及する役割に特化する方向に活動をシフトした。西暦1,935年10月24日、マーガレット・サンガーが、ニューヨークからインドへ向けて出航した。サンガーは、AIWC(全インド女性会議)のゲストスピーカーとして、10,000,000名のインド人女性を代表する立場で招待された。同年11月1日にボンベイに到着し、11月15日からボンベイ・アフマドナガル・ラホール・デリー・ラクナウ・パトナ・アラーハーバード・カルカッタ・ワルダー・マドラス・マラバール・ティルヴァナンタプラム等インドの18ヶ所の訪問を開始し、計64回の講演を行った。其の間、第48・49代インド国民会議党首ジャワハルラール・ネルー・タゴール国際大学創設者ラビンドラナート・タゴールと会談した。同年12月4日、ワルダーにて、インド国民会議の精神的指導者であったマハトマ・ガンディーとマーガレット・サンガーが対談を行ない、ガンディーが「性行為は生殖の為だけに行うものであり、人口避妊は、性的快楽を助長し、ブラフマチャリヤ(禁欲)精神に反する」と主張、サンガーが「養える子だけを産む為の知識は、女性の基本的人権である」と訴えるが、溝は埋まらなかった。同年12月13日、第54代国民会議党首ラージェーンドラ・プラサードとパトナにて会談した。西暦1,936年1月1日、サンガーがインド訪問の全日程を終えた。同年7月25日から3日間、キングスウェイ・ホール(イギリスのロンドン)にて、新マルサス主義連盟とサンガーが設立したBCIIC(国際避妊情報センター)の主催により「第5回国際新マルサス主義及び産児制限会議」が開催された。西暦1,938年12月1日、①ダンヴァンティ・ラーマ・ラウ、②マーガレット・サンガー、の協力により「第1回家族衛生会議」がボンベイにて開催された。
西暦1,939年、マーガレット・サンガーの主導により、ABCLとBCCRBが合併し「BCFA(アメリカ産児制限連合)」が発足した。西暦1,942年、BCFAが、産児制限という直接的な表現を避ける為に「PPFA(全米家族計画連盟)」に改称した。サンガーは反対したが、医療界・政府の支持獲得の為承認された。西暦1,947年、①ジョン・ロックフェラー・ジュニアの長男ジョン・ロックフェラー3世、②マーガレット・サンガー、が知己を得た。ロックフェラー家とサンガーの繋がりが公になったのは此れが初めてであり、ロックフェラー3世は、アメリカ国内の産児制限運動を活性化し、ロックフェラー財団を使って国際的に拡大する事を目標としており、其の目標達成の為にAES(アメリカ優生学協会)共同設立者フレデリック・オズボーンと国連人口部共同設立者フランク・W・ノーテスタインが支援を行なった。西暦1,948年4月5日、アビー・アルドリッチ・ロックフェラーが死去した。サンガーは、ロックフェラーが死去する前に会った最後の友人の1人であった。西暦1,950年11月29日、ロバート・ラットウ・ディキンソンが、アマースト(アメリカのマサチューセッツ州ハンプシャー郡)の自身の娘の自宅にて死去した。西暦1,952年11月29日、ボンベイにて開催された第3回国際プランド・ペアレントフッド会議にて、マーガレット・サンガーの構想であった「IPPF(国際家族計画連盟)」の設立が採択された。西暦1,955年、RBF(ロックフェラー兄弟基金)が、プエルトリコでの避妊クリニック設立と、経口避妊薬の試験を始めとする臨床試験を支援する為、PPFAに150,000ドルの資金提供を行った。同年6月、NCMHが、活動を停止して、5番街の事務所を閉鎖し、活動は人口評議会に引き継がれた。西暦1,966年9月6日、マーガレット・サンガーが、ツーソン(アメリカのアリゾナ州ピマ郡)にて、動脈硬化症にて死去した。本書は、此の87年に亘る、コーニングからの出発を起点とする、コムストック法違反起訴とイギリス渡航、ブラウンズビル避妊クリニック設立と警察急襲及び逮捕・収監、ABCL設立と第1回アメリカ産児制限会議開催、タウンホール急襲、「文明の軸」発売、横浜・上海・北京訪問、CRB・CMH設立とロックフェラー・ジュニアからの資金支援、MRC設立とジュネーヴ世界人口会議開催及びロックフェラー財団資金援助によるカイザー・ヴィルヘルム研究所設立、BCCRB改称とクリニック警察捜査、インド18ヶ所訪問とマハトマ・ガンディー対談決裂、BCFA発足とPPFA改称、ジョン・ロックフェラー3世との知己、IPPF設立採択、RBF150,000ドル資金提供、ツーソンでの動脈硬化症による死去迄、ロックフェラー家3世代の資金支援を受けて優生学的・国際的家族計画運動へと発展したマーガレット・サンガーの系譜の全過程を、年月日単位で記録した年表である。
登場人物
- マーガレット・サンガー アメリカの産児制限活動家。西暦1,879年9月14日コーニング生誕。西暦1,913年4月1日工場ストライキ徘徊で逮捕。西暦1,914年8月25日コムストック法違反で起訴され、バーサ・ワトソン偽名でイギリス渡航。西暦1,916年10月16日ブラウンズビル避妊クリニック設立、10月26日警察急襲で逮捕。西暦1,917年クイーンズ郡刑務所収監。西暦1,921年11月10日ABCL設立、11月11日第1回アメリカ産児制限会議開催。西暦1,922年「文明の軸」発売、横浜・上海・北京訪問。西暦1,923年1月2日CRB設立。西暦1,924年6月19日ロックフェラー・ジュニアから10,000ドル寄付承認。西暦1,925年12月18日MRC設立。西暦1,927年8月29日ジュネーヴ世界人口会議開催。西暦1,928年6月12日ABCL会長辞任、CRBをBCCRBに改称。西暦1,935年インド18ヶ所訪問計64回講演、12月4日マハトマ・ガンディーと対談決裂。西暦1,939年BCFA発足、西暦1,942年PPFA改称。西暦1,947年ジョン・ロックフェラー3世と知己。西暦1,952年11月29日IPPF設立採択。西暦1,966年9月6日ツーソンにて動脈硬化症で死去。
- マイケル・ヘネシー・ヒギンズ マーガレット・サンガーの父。石工。西暦1,879年9月14日、アン・パーセル・ヒギンズとの間にマーガレット・サンガーを儲けた。
- アン・パーセル・ヒギンズ マーガレット・サンガーの母。西暦1,879年9月14日、マイケル・ヘネシー・ヒギンズとの間にマーガレット・サンガーを儲けた。
- エセル・バーン マーガレット・サンガーの妹。西暦1,916年10月16日、ブラウンズビル避妊クリニックの共同設立者。同年10月26日警察急襲で逮捕され、西暦1,917年1月8日有罪判決を受け、1月22日に30日間の投獄を言い渡された。クイーンズ郡刑務所収監直後から9日間ハンガー・ストライキを実行し、其の後鼻からチューブで流動食を注入する強制栄養を受け、釈放時には衰弱していた。
- ファニア・ミンデル マーガレット・サンガーの助手。西暦1,916年10月16日、ブラウンズビル避妊クリニックの共同設立者。同年10月26日警察急襲で逮捕され、西暦1,917年2月2日有罪判決を受け、罰金50ドルを言い渡された。
- マーガレット・ホワイトハースト ニューヨーク市警察副隊長。西暦1,916年10月26日、ブラウンズビル避妊クリニックを急襲し、マーガレット・サンガー・エセル・バーン・ファニア・ミンデルの3名を逮捕した。
- キャサリン・ベメント・デイヴィス 西暦1,914年1月1日、第96代ニューヨーク市長ジョン・パーロイ・ミッチェルによりニューヨーク市矯正局長に任命。仮釈放委員会委員長として西暦1,917年のマーガレット・サンガーの服役を管轄する立場にあった。西暦1,922年NRC性の問題研究委員会を共同設立。西暦1,924年BSH総書記としてサンガーのCRBでの避妊臨床研究を承認し資金提供を始め、アメリカ優生学会の諮問委員会委員に就任。西暦1,928年2月2日胆嚢疾患によりBSHを退職。西暦1,929年「2,200人の女性の性生活の諸要因」をハーパー・アンド・ブラザーズ出版から刊行。
- ジョン・ロックフェラー・ジュニア ジョン・ロックフェラーの長男。西暦1,911年3月22日、ポール・ウォーバーグ・スター・J・マーフィーとの会合でBSH設立。西暦1,924年6月19日、ABCLに10,000ドルの寄付を承認。西暦1,928年2月2日キャサリン・ベメント・デイヴィスのBSH退職送別会に出席。マーガレット・サンガーへの資金提供を、主にBSHとロックフェラー財団を経由して行なっており、直接的な支援も匿名であった為、西暦1,947年に長男ジョン・ロックフェラー3世とサンガーが知己を得る迄、ロックフェラー家とサンガーの繋がりは公にならなかった。
- ポール・ウォーバーグ 西暦1,911年3月22日、ジョン・ロックフェラー・ジュニア・スター・J・マーフィーとの会合でBSHを設立した1人。
- スター・J・マーフィー 弁護士でジョン・ロックフェラーの顧問。西暦1,911年3月22日、ジョン・ロックフェラー・ジュニア・ポール・ウォーバーグとの会合でBSHを設立した1人。
- ローラ・スペルマン・ロックフェラー ジョン・ロックフェラーの妻。西暦1,913年5月14日設立のロックフェラー財団のBSHプロジェクトを熱心に推進し「全国の女子学生に対する社会衛生教育の推進」に対し25,000ドルを寄付した。
- アビー・アルドリッチ・ロックフェラー ジョン・ロックフェラー・ジュニアの妻。西暦1,930年9月、マーガレット・サンガーから哀悼書簡を受け取った。西暦1,948年4月5日死去。サンガーは、ロックフェラーが死去する前に会った最後の友人の1人であった。
- ジョン・ロックフェラー3世 ジョン・ロックフェラー・ジュニアの長男。西暦1,947年、マーガレット・サンガーと知己を得た。ロックフェラー家とサンガーの繋がりが公になったのは此れが初めてであった。アメリカ国内の産児制限運動を活性化し、ロックフェラー財団を使って国際的に拡大する事を目標とした。
- レイモンド・B・フォスディック ジョン・ロックフェラー・ジュニアの弁護士でロックフェラー財団理事。西暦1,924年6月13日、ロックフェラー・ジュニアがABCLから10,000ドルを要請された事を受けて、「個人的に、私は人口の問題が未来の大きな危険の1つを構成すると信じています」との内容を含む助言を記した書簡を送った。
- パトリック・ジョセフ・ヘイズ ニューヨーク大司教。西暦1,921年11月13日夜、タウンホールでのマーガレット・サンガーの講演をニューヨーク市警察に圧力を掛けて急襲させ、強制的に講演を中止させた。
- ロバート・ラットウ・ディキンソン 産婦人科医でマーガレット・サンガーの協力者。西暦1,923年3月、ガートルード・ミンタン・ピンチョット主導のCMH設立を指導。西暦1,925年12月18日サンガーと共にMRCを設立。西暦1,928年6月11日、AMA年次総会で不妊手術の展示を行なった。西暦1,929年4月15日BCCRBクリニック警察捜査を医療界を動員して公に非難。西暦1,950年11月29日、アマーストの自身の娘の自宅にて死去した。
- ハンナ・ストーン 初代CRB医療責任者で女医。西暦1,929年4月15日午前、BCCRBクリニックの警察捜査によりニューヨーク州刑法第1142条違反で逮捕された5名の1人。広範な記録管理を行なっており、信頼出来るクリニックデータが不足していたロバート・ラットウ・ディキンソンの態度を軟化させた。
- ガートルード・ミンタン・ピンチョット 産児制限活動家。西暦1,923年3月、マーガレット・サンガーの協力者ロバート・ラットウ・ディキンソンの指導の下、ニューヨークにてCMH設立を主導した。
- 加藤シヅエ 日本の産児制限活動家。西暦1,922年3月10日にマーガレット・サンガーが横浜港に到着した後、自宅(東京府東京市赤坂区)にサンガーを滞在させた。
- 蔣夢麟 北京大学教育学部教授。西暦1,922年4月11日、コロンビア大学社会学博士課程陳達と共に、マーガレット・サンガーを上海に招待した。
- 陳達 コロンビア大学社会学博士課程。西暦1,922年4月11日、北京大学教育学部教授蔣夢麟と共に、マーガレット・サンガーを上海に招待した。其の儘博士号を取得し、後に著名な人口科学者となった。
- 胡適 哲学者。西暦1,922年4月19日、マーガレット・サンガーの北京大学講演にて、2,500名の学生の前で通訳を担った。
- 蔡元培 第14代北京大学学長。西暦1,922年4月20日、北京協和医学院でのマーガレット・サンガーの講演後、サンガーを夕食に招待し、中国の知識人達と交流させた。
- 于慶棠 コロンビア大学で教育学の博士号を取得したばかりの人物。西暦1,922年4月20日、上海でのマーガレット・サンガーの講演の翻訳を担った。
- アグネス・スメドレー 西暦1,924年6月、ベルリンに居る所からマーガレット・サンガーに書簡を送り、①子供の改善、②人種の改善、を目的とした、インドの医師達を雇用した出生制限の推進を勧めた。西暦1,929年11月23日、サンガーの資金提供を受けて、北京に産児制限クリニックを設立した。
- レイモンド・パール ASA(アメリカ統計学会)会長。西暦1,927年8月29日からのジュネーヴ世界人口会議の議長を務めた。
- ジュリアン・ハクスリー ライス大学(アメリカのテキサス州ヒューストン)生物学助教授。西暦1,927年8月29日からのジュネーヴ世界人口会議の組織委員で、マーガレット・サンガーと共に此の会議を企画した。
- オイゲン・フィッシャー ドイツの優生学者。西暦1,927年8月29日からのジュネーヴ世界人口会議にて、黒人と白人の混血を基に遺伝的不調和のリスクを強調する人種混合の問題に焦点を当てた演説を行なった。同年9月、ロックフェラー財団の資金援助により建設された「カイザー・ヴィルヘルム人類学・優生学・人類遺伝学研究所」の所長に就任した。
- マハトマ・ガンディー インド国民会議の精神的指導者。西暦1,935年12月4日、ワルダーにてマーガレット・サンガーと対談を行ない、「性行為は生殖の為だけに行うものであり、人口避妊は、性的快楽を助長し、ブラフマチャリヤ(禁欲)精神に反する」と主張したが、サンガーの「養える子だけを産む為の知識は、女性の基本的人権である」との訴えと溝は埋まらなかった。同年12月7日、突然の体調不良で休養となった。
- ジャワハルラール・ネルー 第48・49代インド国民会議党首。西暦1,935年のマーガレット・サンガーのインド訪問中に会談し、サンガーの避妊運動を支持した。西暦1,938年12月1日のボンベイ第1回家族衛生会議に名誉ゲストとして出席。
- ラビンドラナート・タゴール タゴール国際大学創設者。西暦1,935年のマーガレット・サンガーのインド訪問中に会談を行なった。
- ラージェーンドラ・プラサード 第54代インド国民会議党首。西暦1,935年12月13日、パトナにてマーガレット・サンガーと約1時間会談を行ない、サンガーの避妊教育の必要性の主張を支持し、インド独立後の人口政策への可能性を探ったが、マハトマ・ガンディー達の反対を懸念し、慎重な議論に留まった。
- ダンヴァンティ・ラーマ・ラウ AIWC国際代表。西暦1,938年12月1日、マーガレット・サンガーと共に「第1回家族衛生会議」をボンベイにて開催し、開会挨拶・女性中心のパネルセッションを主宰した。
- フレデリック・オズボーン AES(アメリカ優生学協会)共同設立者。西暦1,947年以降、ジョン・ロックフェラー3世のアメリカ国内の産児制限運動活性化とロックフェラー財団による国際的拡大の目標達成の為に、フランク・W・ノーテスタインと共に支援を行なった。
- フランク・W・ノーテスタイン 国連人口部共同設立者。西暦1,947年以降、ジョン・ロックフェラー3世のアメリカ国内の産児制限運動活性化とロックフェラー財団による国際的拡大の目標達成の為に、フレデリック・オズボーンと共に支援を行なった。
主要な概念・組織
- コムストック法 西暦1,873年3月3日に制定された猥褻物や避妊関連物品の郵送を禁止する法律(連邦刑法第211条)。西暦1,914年8月25日、マーガレット・サンガーが此の法律違反により起訴され、起訴を逃れる為「バーサ・ワトソン」という偽名を使い、イギリスに渡航した。西暦1,916年10月26日、ブラウンズビル避妊クリニック急襲時にもサンガー・エセル・バーン・ファニア・ミンデルが此の法律違反で逮捕された。
- ニューヨーク州刑法第1142条 避妊情報の提供の禁止に関する条文(「猥褻行為」)。西暦1,916年10月26日のブラウンズビル避妊クリニック急襲・西暦1,929年4月15日のBCCRBクリニック警察捜査の際に、サンガー等が此の条文違反で逮捕された。
- BSH(社会衛生局) 西暦1,911年3月22日、①ジョン・ロックフェラー・ジュニア、②ポール・ウォーバーグ、③弁護士でジョン・ロックフェラーの顧問を務めるスター・J・マーフィー、の3名の会合により、前年のニューヨーク市に於ける白人人身売買・強制売春の特別大陪審調査の結果として、売春と其れに関連する悪弊の研究・改善・予防を目的として設立された組織。BSHの名称が初めて使われたのは同年10月で、其れ以降は使用されなかった。西暦1,913年5月14日設立のロックフェラー財団から避妊・母体衛生・性教育に関する研究と教育プロジェクトへの資金提供を受けた。西暦1,924年、BSH総書記キャサリン・ベメント・デイヴィスの指導の下で、マーガレット・サンガーのCRBでの避妊臨床研究の提案を承認し、資金提供を始めた。
- ロックフェラー財団 西暦1,913年5月14日、フレデリック・テイラー・ゲイツの働き掛けにより、ジョン・ロックフェラーがニューヨークにて設立した財団。BSHの避妊・母体衛生・性教育に関する研究と教育プロジェクトに資金提供を行ない、西暦1,927年9月設立のカイザー・ヴィルヘルム人類学・優生学・人類遺伝学研究所の建物の一部の建設に資金援助を行なった。マーガレット・サンガーへの資金提供を、BSHを通じて行ない、ロックフェラー家とサンガーの繋がりが公にならなかった理由の1つとなった。
- ブラウンズビル避妊クリニック 西暦1,916年10月16日、①マーガレット・サンガー、②サンガーの妹エセル・バーン、③サンガーの助手ファニア・ミンデル、の3名がアメリカのニューヨーク州ニューヨーク市ブルックリン区ブラウンズビルに設立した避妊クリニック。オランダ語・イタリア語・イディッシュ語・英語のチラシで宣伝し、初日だけで500名以上の女性が来院した。相談料は10セントで、避妊の重要性や方法を説明する小冊子やペッサリー等の避妊具を配布したが、コムストック法及びニューヨーク州刑法第1142条に抵触していた。同年10月26日、ニューヨーク市警察副隊長マーガレット・ホワイトハーストが急襲し、3名は逮捕された。
- ABCL(アメリカ産児制限連盟) 西暦1,921年11月10日、マーガレット・サンガーが設立した連盟。西暦1,924年6月、避妊方法の研究資金として、ジョン・ロックフェラー・ジュニアに10,000ドルを要請し、6月19日に承認を受けた。西暦1,928年6月12日、サンガーが会長を辞任し、CRBをABCLから切り離してBCCRBに改称。西暦1,939年、BCCRBと合併し「BCFA」を発足させ、ABCLとBCCRBの組織間競争を解消した。
- 第1回アメリカ産児制限会議 西暦1,921年11月11日から7日間、プラザホテル(アメリカのニューヨーク州ニューヨーク市5番街)にて開催された会議。マーガレット・サンガーを主催者とし、医師・学術者・科学者・社会改革者等が集まり、産児制限の知識共有と推進を目的とした。①無制御な繁殖の危険性と世界的な産児制限プログラムの必要性、②科学者等の発見の共有、③母親への衛生・生理的指導、④精神異常者や遺伝疾患者向け不妊手術の奨励、⑤教育プログラム、⑥劣性繁殖を奨励する法の廃止、⑦組織化、⑧国際協力、が主な議題であった。
- 文明の軸 西暦1,922年、ブレンターノ社より発売されたマーガレット・サンガーの著書。産児制限を、個人の女性の権利の問題としてでは無く、文明全体の将来を左右する公共的・社会的問題として論じ、①人口過剰と無制限な出産が貧困・疾病・社会問題の根本原因、②慈善事業への攻撃、③消極的優生学者として産児制限により不適格者の出生を防ぎ人類の質を向上、④マルクス主義への批判、⑤カトリック教会への批判、を主張した。
- NRC性の問題研究委員会 西暦1,922年、①キャサリン・ベメント・デイヴィス、②心理学者ロバート・ヤーキーズ、③アール・F・ジン、がNRC(全米研究評議会)に共同設立した委員会。「個人的・社会的に表れる性について体系的・包括的な研究を行い、現在保持されている結論を評価し、科学的に導出されたデータを増やす事」を目的とし、性本能の心理学的及び生理学的側面・禁欲・自慰行為・避妊・性病・性的関係を研究分野とした。
- CRB(臨床研究局) 西暦1,923年1月2日、マーガレット・サンガーがニューヨーク市にて設立した組織。西暦1,924年、BSHが避妊臨床研究の提案を承認し資金提供を始めた。コムストック法を広義に解釈し、経済的・社会的理由でも避妊具の配布や情報提供を行なっていた。西暦1,928年6月12日、ABCLから切り離されBCCRBに改称された。
- CMH(母体健康委員会) 西暦1,923年3月、産児制限活動家ガートルード・ミンタン・ピンチョット主導で、マーガレット・サンガーの協力者で産婦人科医のロバート・ラットウ・ディキンソンの指導の下、ニューヨークにて設立された委員会。ニューヨーク産科協会の後援を受け、NYAM・AGSの支持を得て、避妊と生殖に関する研究と人間生殖の医学的側面に関する情報センターとして機能させる事を意図した。西暦1,930年1月、「NCMH(全国母体健康委員会)」に改称した。
- MRC(母性研究評議会) 西暦1,925年12月18日、①マーガレット・サンガー、②ロバート・ラットウ・ディキンソン、の2名が設立した評議会。CMHのメンバー・CRBの医療諮問委員会のメンバーから構成され、医師の監督下の臨床施設を提供し、避妊方法を調査・評価する事を目指した。ニューヨーク州慈善委員会からのライセンス取得を任務とされたが付与されず、西暦1,930年1月活動停止。
- 世界人口会議 西暦1,927年8月29日から6日間、ジュネーヴにて開催された会議。マーガレット・サンガー等の資金提供により実現。①ASA会長レイモンド・パール(議長)、②エドワード・マレー・イースト、③クラレンス・クック・リトル、④ジュリアン・ハクスリー、⑤コッラド・ジニ、⑥エルヴィン・バウアー、を含む約400名の科学者・人口学者・優生学者が参加。①人口生物学、②食糧供給、③人口密度、④カイザー・ヴィルヘルム人類学・優生学・人類遺伝学研究所の活動、の4つのセクションで議論され、オイゲン・フィッシャーが人種混合の問題に焦点を当てた演説を行なった。
- カイザー・ヴィルヘルム人類学・優生学・人類遺伝学研究所 西暦1,927年9月設立。所長にオイゲン・フィッシャーが就任。建物の一部はロックフェラー財団の資金援助により建設された。
- BCCRB(避妊臨床研究局) 西暦1,928年6月12日、マーガレット・サンガーがCRBをABCLから切り離して改称した組織。西暦1,929年4月15日午前、ニューヨーク市マンハッタン・ウエストのクリニックに警察の捜査が入り、ハンナ・ストーン等5名がニューヨーク州刑法第1142条違反で逮捕され、約15,000件のカルテが没収された。西暦1,939年、ABCLと合併しBCFAを発足させた。
- NCMH(全国母体健康委員会) 西暦1,930年1月、CMHが改称した組織。避妊・母体健康の情報を収集・普及する役割に特化する方向に活動をシフトした。西暦1,955年6月、活動を停止し、5番街(アメリカのニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン区)の事務所を閉鎖し、活動は人口評議会に引き継がれた。
- BCFA(アメリカ産児制限連合) 西暦1,939年、マーガレット・サンガーの主導により、ABCLとBCCRBが合併して発足した連合。ABCLとBCCRBの組織間競争を解消する事が背景としてあった。西暦1,942年、PPFAに改称した。
- PPFA(全米家族計画連盟) 西暦1,942年、BCFAが産児制限という直接的な表現を避ける為に改称した連盟。マーガレット・サンガーは反対したが、医療界・政府の支持獲得の為承認された。西暦1,955年、RBF(ロックフェラー兄弟基金)から、プエルトリコでの避妊クリニック設立と、経口避妊薬の試験を始めとする臨床試験を支援する為、150,000ドルの資金提供を受けた。
- IPPF(国際家族計画連盟) 西暦1,952年11月29日、ボンベイにて開催された第3回国際プランド・ペアレントフッド会議にて、マーガレット・サンガーの構想として設立が採択された連盟。
- RBF(ロックフェラー兄弟基金) ロックフェラー兄弟が運営する基金。西暦1,955年、プエルトリコでの避妊クリニック設立と、経口避妊薬の試験を始めとする臨床試験を支援する為、PPFAに150,000ドルの資金提供を行なった。
コーニングでの石工マイケル・ヘネシー・ヒギンズとアン・パーセル・ヒギンズの間でのマーガレット・サンガー生誕、ジョン・ロックフェラー・ジュニア・ポール・ウォーバーグ・スター・J・マーフィーの会合によるBSH設立、ヘイズルトン刑務所収監、フレデリック・テイラー・ゲイツ働き掛けによるロックフェラー財団設立とBSH避妊・母体衛生・性教育研究資金提供、コムストック法違反起訴とイギリス渡航、エセル・バーン・ファニア・ミンデルとブラウンズビル避妊クリニック設立とマーガレット・ホワイトハースト副隊長急襲及び3名逮捕、クイーンズ郡刑務所収監、ABCL設立とプラザホテルでの第1回アメリカ産児制限会議開催及びタウンホール急襲によるパトリック・ジョセフ・ヘイズ圧力下強制中止、ブレンターノ社からの「文明の軸」発売、キャサリン・ベメント・デイヴィスとロバート・ヤーキーズのNRC性の問題研究委員会共同設立、横浜港・上海港・北京大学・北京協和医学院での加藤シヅエ・蔣夢麟・陳達・胡適・蔡元培との接触、CRB設立、ガートルード・ミンタン・ピンチョット主導のCMH設立、ロックフェラー・ジュニア10,000ドル寄付承認とフォスディック助言、MRC設立、ジュネーヴ世界人口会議開催とパール議長就任及びオイゲン・フィッシャー人種混合演説、ロックフェラー財団資金援助によるカイザー・ヴィルヘルム研究所設立、ABCL会長辞任とBCCRB改称、BCCRBクリニック警察捜査と15,000件カルテ没収、MRC活動停止とNCMH改称、インド18ヶ所訪問とマハトマ・ガンディー対談決裂・ネルー・タゴール会談、ロンドン第5回国際新マルサス主義及び産児制限会議開催、ボンベイ第1回家族衛生会議開催、BCFA発足、PPFA改称、ジョン・ロックフェラー3世との知己とオズボーン・ノーテスタイン支援、ボンベイ第3回国際プランド・ペアレントフッド会議でのIPPF設立採択、RBFのPPFA150,000ドル資金提供、ツーソンでの動脈硬化症による死去迄──
アメリカ産児制限運動の創始からロックフェラー家3世代の資金支援を受けて優生学的・国際的家族計画運動へと発展し、IPPF設立と人口評議会への流れを作ったマーガレット・サンガーの87年間の系譜を年月日単位で追跡した一冊。
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