電子書籍「レーガン大統領暗殺未遂事件一元化」の表紙

レーガン大統領
暗殺未遂事件一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,971年8月15日〜1,981年3月30日
ページ数
10ページ
最新更新日
西暦2,026年7月24日

金本位制の廃止から、ヒルトンホテル前の六発まで──
暗殺未遂事件に至る十年を年月日単位で一元化。

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本書について

西暦1,971年8月15日、リチャード・ニクソンがアメリカの金本位制の廃止を宣言した。金約28g=35ドルという兌換を前提としたブレトン・ウッズ体制は崩壊し、各国は変動相場制へ移行する。マーシャル・プランで復興したヨーロッパへの米ドルの流出と、ベトナム戦争の長期化による金の国外流出が、其の背景に在った。本書は、此の宣言を起点として、レーガン大統領暗殺未遂事件に至る十年を、年月日単位で一元化した記録である。

体制の終焉は、新たな枠組みを求める声を呼んだ。西暦1,972年1月、デイヴィッド・ロックフェラーはチェース・マンハッタン国際金融フォーラムでの講演で「平和と繁栄の国際委員会」の設立を提唱する。同年4月21日から三日間、ベルギーのクノック・ヘイストで開かれた第21回ビルダーバーグ会議でも同じ構想を語り、広く受け入れられた。だが、ビルダーバーグ会議以外では受け入れられなかった。ロックフェラーの見立てはこうであった。ブレトン・ウッズ体制の終焉に伴いアメリカの役割を縮小し、世界貿易の70%を占める非共産主義工業地域である北米・西欧・日本の間で、非公開の協議が必要である。経済成長を遂げた日本も加えてはどうかというビルダーバーグ会議での提案は欧州勢の反対に遭い、故に彼は独自の組織を立ち上げる事となる。

同年5月、ズビグネフ・ブレジンスキーがコロンビア大学共産主義問題研究所所長の職を辞し、委員会設立の為のグループを組織した。ヘンリー・D・オーウェン、CFR事務局長ジョージ・S・フランクリン、ヘンリー・キッシンジャーと共にCFIAを設立したロバート・R・ボウイ、ジェラルド・スミス、ジョージ・マーシャル・ホーンブロワー、ウィリアム・スクラントン、エドウィン・ライシャワー、マックス・コーンスタムの八名である。資金を提供したのは、デイヴィッド・ロックフェラー、ケタリング財団、そしてフォード財団であった。そして7月23日からの二日間、ジョン・ロックフェラーの14,164,500㎡の私有地であったキクイト(ニューヨーク州ポカンティコ・ヒルズ)に、デイヴィッド・ロックフェラーの審査をパスした金融界・産業界のエリート250名が集う。宮沢喜一・大来佐武郎・山本正も名を連ねた此の会合で、「日米欧三極委員会」が組織化された。

西暦1,973年7月1日、日米欧三極委員会が正式に発足する。会長はデイヴィッド・ロックフェラー、北米創設理事はズビグネフ・ブレジンスキー。ニューヨーク・東京・パリに拠点を置き、35名の執行委員が略九ヶ月毎に三拠点持ち回りで会合を開いた。北米メンバーには、ブレジンスキーが勧誘した第76代ジョージア州知事ジミー・カーターの名が在る。そして西暦1,977年1月20日、カーターは第39代アメリカ大統領に就任した。副大統領ウォルター・モンデール、国務長官サイラス・ヴァンス、国防長官ハロルド・ブラウン、財務長官W・マイケル・ブルメンタール、国家安全保障問題担当大統領補佐官ブレジンスキー──政権の要職は、カーター自身を含む三極委員会委員が占めた。西暦1,979年8月6日には、三極委員会北米委員長のポール・ボルカーが第12代FRB議長に就任する。カーターへ指示を出していたのは、デイヴィッド・ロックフェラーであった。

西暦1,980年、其の構図に正面から異を唱える候補が現れる。2月26日のニューハンプシャー州予備選挙に勝利したロナルド・レーガンは、選挙期間中、カーターとロックフェラーら三極委員会の財政支援者との関係を口撃した。顧問のエドウィン・ミースは三極委員会が防衛の弱体化の原因であると主張し、マンチェスター・ユニオン・リーダー紙発行人ウィリアム・ローブ3世も非難を重ねた。3月17日、三極委員会委員の閣僚就任を認めるかと問われたレーガンは、陰謀を企む集団だとは思わないとしつつ、其の関心は国際銀行や多国籍企業に注がれており、19ものポジションを特定の団体が占めるべきだとは思わない、自分なら違う方向に行くだろう、と答えている。だが実のところ、彼の選挙運動を支えていたのは、選挙運動部長ウィリアム・J・ケイシー、デビッド・パッカード、ビル・ブロック、アン・アームストロング、キャスパー・ワインバーガーといった、三極委員会を支持するCFR会員達であった。

11月4日、レーガンはカーターを破って当選する。59名で構成された政権移行チームの内訳は、ウィリアム・サイモン・アレクサンダー・ヘイグ・ジョージ・シュルツ・ドナルド・ラムズフェルド・アラン・グリーンスパン・ヘンリー・キッシンジャーを含むCFR会員が28名、ビルダーバーグ会議のメンバーが10名、三極委員会支持者が10名であった。11月6日、モラル・マジョリティ・ラウンド・テーブル・クリスチャン・ヴォイスの支持を受けたレーガンは、この国にはエリートが存在し、彼らこそがエリート主義的な政府を運営している、彼らは国民自身が自分達の生活を運営出来るとは信じていないのだ、と語った。同年12月、ローマクラブと社会主義インターナショナルの主催でワシントンD.C.にて会議が開かれる。議題は、ロナルド・レーガンを如何に無力化するかであった。

西暦1,981年1月20日、レーガンが第40代アメリカ大統領に就任する。就任宣誓にはリーチオ・ジェッリが招待された。三極委員会を批判した政権であったが、其の内部にはCFR会員と三極委員会委員が計287名存在し、国務長官アレクサンダー・ヘイグ、後任のジョージ・シュルツ、財務長官ドナルド・リーガン、国防長官キャスパー・ワインバーガー、FRB議長アラン・グリーンスパンら、要職には両組織の名が並んだ。そして3月30日14時30分、ワシントンD.C.のヒルトンホテルでAFL-CIOの講演を終え大統領専用車へ向かうレーガンを、ジョン・ヒンクリーがリボルバーの弾丸6発を全弾発射して狙撃する。ヒンクリーは其の場で取り押さえられた。6発中2発が命中し、1発は心臓を掠めて肺の奥深くで止まり、内出血を起こしたが、レーガンの意識ははっきりしており、弾丸摘出手術は成功した。金本位制の廃止から此の十四時三十分までの十年を、本書は一冊に束ねている。


登場人物

  • ロナルド・レーガン 本書の中心人物。第40代アメリカ大統領。西暦1,980年の大統領選で日米欧三極委員会とジミー・カーターの関係を口撃し、当選した。だが政権内にはCFR会員と三極委員会委員が計287名存在した。西暦1,981年3月30日14時30分、ワシントンD.C.のヒルトンホテル前で狙撃され、6発中2発が命中したものの、弾丸摘出手術は成功した。
  • ジョン・ヒンクリー 西暦1,981年3月30日14時30分、AFL-CIOの講演を終えて大統領専用車へ向かうロナルド・レーガンに対し、リボルバーから弾丸6発を全弾発射して狙撃した人物。其の場で取り押さえられた。
  • デイヴィッド・ロックフェラー 西暦1,972年1月、チェース・マンハッタン国際金融フォーラムで「平和と繁栄の国際委員会」の設立を提唱。第21回ビルダーバーグ会議での日本を加える提案が欧州勢の反対に遭った為、独自に日米欧三極委員会を設立し、西暦1,973年7月1日に会長へ就任した。ポール・ボルカーのFRB議長就任に際しては、ジミー・カーターへ指示を出していた。
  • ズビグネフ・ブレジンスキー 西暦1,972年5月、コロンビア大学共産主義問題研究所所長を辞し、委員会設立の為のグループを組織した。日米欧三極委員会の提唱者の一人で、北米創設理事。ジミー・カーターを北米メンバーに勧誘し、カーター政権では第10代国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めた。ヘンリー・キッシンジャーと並ぶCFRの重鎮で、後に第44代大統領バラク・オバマのアドバイザーも務めている。
  • ジミー・カーター 第39代アメリカ大統領。第76代ジョージア州知事であった西暦1,973年、ズビグネフ・ブレジンスキーの勧誘で日米欧三極委員会の北米メンバーとなった。西暦1,977年1月20日の就任後、政権の要職は自身を含む三極委員会委員が占めた。西暦1,980年の大統領選でロナルド・レーガンに敗れる。
  • リチャード・ニクソン アメリカ大統領。西暦1,971年8月15日、本書の起点となる金本位制廃止を宣言し、ブレトン・ウッズ体制を崩壊させた。併せて90日間の賃金価格凍結や略全ての輸入品への10%の輸入関税等を実施し、米ドル安へ誘導した。
  • ポール・ボルカー 三極委員会北米委員長で、CFR・ビルダーバーグ会議のメンバー。西暦1,979年8月6日、ジミー・カーターの指名により第12代FRB議長に就任した。
  • ヘンリー・キッシンジャー CFRの重鎮。ロバート・R・ボウイと共にCFIA(ハーバード大学国際問題研究所)を設立した。西暦1,980年11月4日のロナルド・レーガン当選後、59名の政権移行チームに名を連ねた28名のCFR会員の一人である。
  • ウィリアム・J・ケイシー マンハッタン政策研究所共同設立者。ロナルド・レーガンの選挙運動部長を務めた、三極委員会を支持するCFR会員の一人。政権移行チームでは、三極委員会支持者10名の一人にも数えられた。
  • エドウィン・ミース ロナルド・レーガンの顧問。西暦1,980年のニューハンプシャー州予備選挙の期間中、三極委員会が防衛の弱体化の原因であると主張した。
  • ウィリアム・ローブ3世 マンチェスター・ユニオン・リーダー紙発行人。西暦1,980年の予備選挙期間中、三極委員会が世界を支配しようとしているのは明白であるとし、多国籍企業が国家を気にする事無く繁栄出来る世界秩序を提唱していると非難した。
  • アレクサンダー・ヘイグ 第7代欧州連合軍最高司令官を経て、第59代アメリカ国務長官。ロナルド・レーガンの政権移行チームに名を連ねたCFR会員であり、レーガン政権の要職に就いたCFR会員兼三極委員会委員の一人である。
  • キャスパー・ワインバーガー リチャード・ニクソン政権下で第20代行政管理予算局長・第10代保健教育福祉長官を務め、ベクテル社副社長も歴任。ロナルド・レーガンの選挙運動を支えたCFR会員の一人であり、レーガン政権では第15代アメリカ国防長官に就任した。
  • 宮沢喜一 西暦1,972年7月23日からの二日間、キクイトに集った250名の一人として、日米欧三極委員会の組織化に加わった。同じ会合には、大来佐武郎とJCIE(日本国際交流センター)創設者で理事長の山本正も名を連ねている。
  • リーチオ・ジェッリ 西暦1,981年1月20日、ロナルド・レーガンの第40代アメリカ大統領就任宣誓に招待された人物。

事件に至る系譜

  • ブレトン・ウッズ体制の崩壊 西暦1,971年8月15日、本書の起点。リチャード・ニクソンの金本位制廃止宣言により、金約28g=35ドルでの兌換を前提とした体制が崩壊し、各国は変動相場制へ移行した。日本・韓国・香港・台湾は、繊維を始めとする物品の対米輸出を減らす様要請された。
  • 平和と繁栄の国際委員会 西暦1,972年1月、デイヴィッド・ロックフェラーがチェース・マンハッタン国際金融フォーラムでの講演で提唱した構想。前年8月15日のニクソンの国際金融政策に関する声明を踏まえたものであり、後の日米欧三極委員会の原型となった。
  • 第21回ビルダーバーグ会議 西暦1,972年4月21日からの三日間、ベルギーのウェスト・フランデレン州クノック・ヘイストで開催。デイヴィッド・ロックフェラーの構想は会議では広く受け入れられたが、ビルダーバーグ会議以外では受け入れられなかった。日本を加える提案は欧州勢の反対に遭っている。
  • ブレジンスキーのグループ組織化 西暦1,972年5月、ズビグネフ・ブレジンスキーがコロンビア大学共産主義問題研究所所長を辞して結成した設立準備グループ。ヘンリー・D・オーウェン、ジョージ・S・フランクリン、ロバート・R・ボウイ、ジェラルド・スミス、ジョージ・マーシャル・ホーンブロワー、ウィリアム・スクラントン、エドウィン・ライシャワー、マックス・コーンスタムが加わり、デイヴィッド・ロックフェラー・ケタリング財団・フォード財団が資金を提供した。
  • キクイトでの組織化 西暦1,972年7月23日からの二日間、ジョン・ロックフェラーの14,164,500㎡の私有地であったキクイト(ニューヨーク州ウェストチェスター郡タリータウンのポカンティコ・ヒルズ)に、デイヴィッド・ロックフェラーの審査をパスした金融界・産業界のエリート250名が集い、日米欧三極委員会が組織化された。
  • 日米欧三極委員会の発足 西暦1,973年7月1日、正式に発足。デイヴィッド・ロックフェラーが会長、ズビグネフ・ブレジンスキーが北米創設理事に就任した。ニューヨーク・東京・パリに拠点を置き、35名のメンバーから成る執行委員が略九ヶ月毎に三拠点の持ち回りで会合を開いた。北米メンバーには、ブレジンスキーが勧誘したジミー・カーターが名を連ねている。
  • カーター政権と三極委員会 西暦1,977年1月20日のジミー・カーター就任後、政権の要職はカーター自身を含む三極委員会委員が占めた。副大統領ウォルター・モンデール、国務長官サイラス・ヴァンス、国防長官ハロルド・ブラウン、財務長官W・マイケル・ブルメンタール、国家安全保障問題担当大統領補佐官ズビグネフ・ブレジンスキー等、十七の役職が挙げられている。
  • ポール・ボルカーのFRB議長就任 西暦1,979年8月6日、三極委員会北米委員長でCFR・ビルダーバーグ会議のメンバーであるポール・ボルカーが、ジミー・カーターの指名により第12代FRB議長に就任した。デイヴィッド・ロックフェラーがカーターに指示を出していた。
  • ニューハンプシャー州予備選挙 西暦1,980年2月26日、ロナルド・レーガンが勝利。レーガンは期間中、ジミー・カーターとデイヴィッド・ロックフェラーら三極委員会の財政支援者との関係を口撃し、顧問のエドウィン・ミースは三極委員会が防衛の弱体化の原因であると主張した。
  • レーガンの三極委員会への回答 西暦1,980年3月17日、三極委員会委員の閣僚就任を認めるかと問われ、陰謀を企む集団だとは思わないとしつつ、其の関心は国際銀行や多国籍企業に注がれており、19ものポジションを特定の団体が占めるべきではない、自分なら違う方向に行くと回答した。だが選挙運動を支えていたのは、三極委員会を支持するCFR会員達であった。
  • 第49回アメリカ大統領選と政権移行チーム 西暦1,980年11月4日、ロナルド・レーガンがジミー・カーターを破って当選。59名の政権移行チームの内訳は、ウィリアム・サイモン・アレクサンダー・ヘイグ・ジョージ・シュルツ・ドナルド・ラムズフェルド・アラン・グリーンスパン・ヘンリー・キッシンジャーを含むCFR会員28名、ビルダーバーグ会議のメンバー10名、三極委員会支持者10名であった。
  • キリスト教政治活動団体の支持 西暦1,980年11月6日、モラル・マジョリティ・ラウンド・テーブル・クリスチャン・ヴォイスの支持を受けたロナルド・レーガンは、この国にはエリートが存在し彼らこそがエリート主義的な政府を運営している、彼らは国民自身が自分達の生活を運営出来るとは信じていない、と語った。
  • ローマクラブと社会主義インターナショナルの会議 西暦1,980年12月、両者の主催でワシントンD.C.にて開かれた会議。議題は、ロナルド・レーガンを如何に無力化するかであった。
  • レーガン政権内の287名 西暦1,981年1月20日の就任時点で、三極委員会を批判したレーガン政権内にCFR会員と三極委員会委員が計287名存在した。国務長官アレクサンダー・ヘイグ、後任のジョージ・シュルツ、財務長官ドナルド・リーガン、国防長官キャスパー・ワインバーガー、FRB議長アラン・グリーンスパン等が要職に就いている。就任宣誓には、リーチオ・ジェッリが招待された。
  • ヒルトンホテル前の狙撃 西暦1,981年3月30日14時30分、本書の終点。ワシントンD.C.のヒルトンホテルでAFL-CIOの講演を終え大統領専用車へ向かうロナルド・レーガンを、ジョン・ヒンクリーがリボルバーの弾丸6発を全弾発射して狙撃した。ヒンクリーは其の場で取り押さえられ、6発中2発が命中。1発は心臓を掠めて肺の奥深くで止まり内出血を起こしたが、レーガンの意識ははっきりしており、弾丸摘出手術は成功した。

ニクソン・ショックから三極委員会、そして西暦1,981年3月30日へ──
レーガン大統領暗殺未遂事件に至る全過程を一元化。

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石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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