レーガン大統領暗殺未遂事件一元化
西暦1,971年のリチャード・ニクソンの金本位制廃止宣言、西暦1,972年のデイヴィッド・ロックフェラーによるチェース・マンハッタン国際金融フォーラムでの平和と繁栄の国際委員会の提唱・第21回ビルダーバーグ会議での提唱・ズビグネフ・ブレジンスキーによる委員会設立準備グループの組織・キクイトでのエリート250名による日米欧三極委員会の組織化、西暦1,973年の日米欧三極委員会の正式発足とデイヴィッド・ロックフェラーの会長就任・ジミー・カーターらの加入、西暦1,977年のジミー・カーターの第39代アメリカ大統領就任と三極委員会委員による政権要職の占拠、西暦1,979年のポール・ボルカーの第12代FRB議長就任、西暦1,980年のニューハンプシャー州予備選挙でのロナルド・レーガンの勝利と三極委員会への口撃・第49回アメリカ大統領選でのレーガンのカーター撃破と政権移行チームのCFR会員等の内訳・ローマクラブと社会主義インターナショナルによるレーガン無力化を話し合う会議、西暦1,981年のロナルド・レーガンの第40代アメリカ大統領就任とリーチオ・ジェッリの招待、ワシントンD.C.のヒルトンホテルでジョン・ヒンクリーがリボルバーで狙撃したレーガン大統領暗殺未遂事件迄──
ロックフェラーとブレジンスキーによる日米欧三極委員会の組織化を起点に、カーター政権の三極委員会委員・レーガンの三極委員会批判と当選・ローマクラブと社会主義インターナショナルのレーガン無力化会議・ジョン・ヒンクリーによる狙撃に至った系譜を年月日単位で追跡した一冊。
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西暦1,971年8月15日、リチャード・ニクソンがアメリカの金本位制の廃止を宣言した。此れにより、金約28g=35ドルの金と米ドルの兌換を前提としたブレトン・ウッズ体制は崩壊し、各国は変動相場制へと移行した。背景には、①マーシャル・プランにより復興したヨーロッパがアメリカへの輸出を増加させ米ドルが大量にヨーロッパに流れた事②ベトナム戦争の長期化による戦費増大で大量の金が国外に流出し、金と交換出来る唯一の通貨という基軸通貨の前提が満たせなくなった事が存在した。ニクソンは更に、90日間の賃金価格凍結や略全ての輸入品への10%の輸入関税等を実施して米ドル安に誘導し、日本・韓国・香港・台湾は、繊維を始めとする物品のアメリカへの輸出を減らす様要請された。
西暦1,972年1月、デイヴィッド・ロックフェラーが、チェース・マンハッタン国際金融フォーラムにて講演を行い、前年8月15日のリチャード・ニクソンの国際金融政策に於ける声明を踏まえ「平和と繁栄の国際委員会」の設立を提唱した。同年4月21日からの3日間、第21回ビルダーバーグ会議がベルギーのクノック・ヘイストにて開催され、ロックフェラーの提唱は同会議では広く受け入れられたが、其れ以外では受け入れられなかった。同年5月、ズビグネフ・ブレジンスキーが、コロンビア大学共産主義問題研究所所長の職を辞し、平和と繁栄の国際委員会設立の為、ブルッキングス研究所のヘンリー・D・オーウェン、CFR事務局長ジョージ・S・フランクリン、ロバート・R・ボウイ等とグループを組織した。此のグループには、デイヴィッド・ロックフェラー・ケタリング財団・フォード財団が資金提供を行った。
西暦1,972年7月23日から翌日にかけて、ニューヨーク州タリータウンのポカンティコ・ヒルズにある、キクイトと呼ばれるジョン・ロックフェラーの私有地であった場所で、デイヴィッド・ロックフェラーの審査をパスした金融界・産業界のエリート250名が集い「日米欧三極委員会」を組織化した。提唱者であるデイヴィッド・ロックフェラーとズビグネフ・ブレジンスキーの他、フォード財団理事長マクジョージ・バンディ、初代CFR会長ベイレス・マニング、宮沢喜一、大来佐武郎、JCIE(日本国際交流センター)創設者の山本正等が名を連ねた。ロックフェラーは、ブレトン・ウッズ体制の終焉に伴いアメリカの役割を縮小し、世界貿易の70%を占める非共産主義工業地域である北米・西欧・日本の間で非公開協議が必要であると考えていた。経済成長を遂げた日本を加える案がビルダーバーグ会議で欧州勢の反対を受けた為、独自に設立されたものであった。
西暦1,973年7月1日、日米欧三極委員会が正式に発足し、デイヴィッド・ロックフェラーが会長、ズビグネフ・ブレジンスキーが北米創設理事に就任した。北米メンバーには、ブレジンスキーが勧誘した第76代ジョージア州知事ジミー・カーターや、アメリカ下院議員ジョン・B・アンダーソン、タイム社編集長ヘドリー・ドノバン等が名を連ね、北米以外でも第74代イギリス内務大臣レジナルド・モードリングやフィアット社社長ジャンニ・アニェッリ等が加わった。委員会はニューヨーク・東京・パリに拠点を置き、35名から成る執行委員が運営して、ほぼ9ヶ月毎に3拠点の持ち回りで会合を開いた。
西暦1,977年1月20日、ジミー・カーターが第39代アメリカ大統領に就任した。カーター政権は、カーターを含む日米欧三極委員会の委員が要職を占め、第42代副大統領ウォルター・モンデール、第57代国務長官サイラス・ヴァンス、第14代国防長官ハロルド・ブラウン、第64代財務長官W・マイケル・ブルメンタール、第10代国家安全保障問題担当大統領補佐官ズビグネフ・ブレジンスキー等、多数の三極委員会委員が政権に入った。西暦1,979年8月6日には、ジミー・カーターにより指名された、三極委員会北米委員長でCFR・ビルダーバーグ会議のメンバーであるポール・ボルカーが、第12代FRB議長に就任した。デイヴィッド・ロックフェラーがカーターに指示を出していた。
西暦1,980年2月26日、アメリカのニューハンプシャー州の大統領予備選挙が行われ、ロナルド・レーガンが勝利した。レーガンは予備選挙の期間中、ジミー・カーターのデイヴィッド・ロックフェラーや他の三極委員会の財政支援者との関係を口撃し、レーガンの顧問エドウィン・ミースは三極委員会が防衛の弱体化の原因であると主張した。同年3月17日、レーガンは、三極委員会委員の閣僚就任を認めるかを問われ、三極委員会が陰謀を企む集団だとは思わないとしつつ、其の関心は国際銀行や多国籍企業に注がれているとし、特定の団体が19ものポジションを占めるべきではないと回答した。然し、レーガンの選挙運動のサポートは、選挙運動部長ウィリアム・J・ケイシーを始めとする、三極委員会を支持するCFR会員が担っていた。同年11月4日、第49回アメリカ大統領選が行われ、ロナルド・レーガンがジミー・カーターを破って当選した。政権移行チームは59名で構成され、ヘンリー・キッシンジャーやアレクサンダー・ヘイグ等を含むCFR会員28名、ビルダーバーグ会議のメンバー10名、三極委員会支持者10名という内訳であった。同年12月、ワシントンD.C.にて、ローマクラブとSI(社会主義インターナショナル)の主催で、ロナルド・レーガンを如何に無力化するかを話し合う会議が開かれた。
西暦1,981年1月20日、ロナルド・レーガンが第40代アメリカ大統領に就任した。就任宣誓にはリーチオ・ジェッリが招待された。三極委員会を批判したレーガンであったが、レーガン政権内にはCFR会員と三極委員会委員が計287名存在し、第59代国務長官アレクサンダー・ヘイグや第15代国防長官キャスパー・ワインバーガー等が要職に送り込まれた。同年3月30日14時30分、ロナルド・レーガンが、ワシントンD.C.のヒルトンホテルでのAFL-CIO(アメリカ労働総同盟・産業別組合会議)の講演を終え、大統領専用車に向かっている最中、ジョン・ヒンクリーがリボルバーから弾丸6発を全弾発射して狙撃した。ヒンクリーは其の場で取り押さえられた。6発中2発が命中し、1発は心臓を掠めて肺の奥深くで止まり内出血を起こしたが、レーガンの意識ははっきりしており、其の後の弾丸摘出手術は成功した。
本書は、此の約10年に亘る、リチャード・ニクソンによる金本位制の廃止宣言を起点とする、デイヴィッド・ロックフェラーによる平和と繁栄の国際委員会の提唱、ズビグネフ・ブレジンスキーによる委員会設立準備グループの組織、キクイトでのエリート250名による日米欧三極委員会の組織化、同委員会の正式発足とジミー・カーターらの加入、ジミー・カーターの第39代アメリカ大統領就任と三極委員会委員による政権要職の占拠、ポール・ボルカーの第12代FRB議長就任、ロナルド・レーガンのニューハンプシャー州予備選挙での勝利と三極委員会への口撃、第49回アメリカ大統領選でのレーガンのカーター撃破、ローマクラブと社会主義インターナショナルによるレーガン無力化を話し合う会議、ロナルド・レーガンの第40代アメリカ大統領就任、ワシントンD.C.のヒルトンホテルでのジョン・ヒンクリーによる狙撃に至るまで、レーガン大統領暗殺未遂事件に至る系譜を、年月日単位で記録した年表である。
登場人物
- ロナルド・レーガン 本書の中心人物。西暦1,980年のニューハンプシャー州予備選挙で勝利し、ジミー・カーターの三極委員会支援者との関係を口撃した。第49回アメリカ大統領選でカーターを破り、西暦1,981年1月20日に第40代アメリカ大統領に就任。同年3月30日、ワシントンD.C.のヒルトンホテルでのAFL-CIOの講演を終えた直後、ジョン・ヒンクリーに狙撃され、6発中2発が命中したが、弾丸摘出手術は成功した。
- ジョン・ヒンクリー 西暦1,981年3月30日14時30分、ワシントンD.C.のヒルトンホテルで、大統領専用車に向かっていたロナルド・レーガンを、リボルバーから弾丸6発を全弾発射して狙撃した人物。其の場で取り押さえられた。
- デイヴィッド・ロックフェラー 西暦1,972年1月、チェース・マンハッタン国際金融フォーラムで「平和と繁栄の国際委員会」の設立を提唱した。同年7月、ニューヨーク州キクイトでのエリート250名による日米欧三極委員会の組織化を、ズビグネフ・ブレジンスキーと共に提唱し、西暦1,973年の正式発足で会長に就任した。ジミー・カーターに指示を出していたとされる。
- ズビグネフ・ブレジンスキー 西暦1,972年5月にコロンビア大学共産主義問題研究所所長を辞し、平和と繁栄の国際委員会設立の為のグループを組織した。日米欧三極委員会の提唱者の一人で、西暦1,973年の発足時に北米創設理事に就任。第76代ジョージア州知事ジミー・カーターを委員会に勧誘し、カーター政権では第10代国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めた。後に第44代アメリカ大統領バラク・オバマのアドバイザーも務めた。
- ジミー・カーター 第76代ジョージア州知事。ズビグネフ・ブレジンスキーに勧誘され、西暦1,973年発足の日米欧三極委員会の北米メンバーとなった。西暦1,977年1月20日に第39代アメリカ大統領に就任し、政権の要職を三極委員会委員で固めた。西暦1,979年にはポール・ボルカーを第12代FRB議長に指名した。西暦1,980年の大統領選でロナルド・レーガンに敗れた。
- リチャード・ニクソン アメリカ大統領。西暦1,971年8月15日にアメリカの金本位制の廃止を宣言し、ブレトン・ウッズ体制を崩壊させた。此の国際金融政策に於ける声明が、デイヴィッド・ロックフェラーの「平和と繁栄の国際委員会」の提唱の背景となった。
- ポール・ボルカー 三極委員会北米委員長で、CFR・ビルダーバーグ会議のメンバー。西暦1,979年8月6日、ジミー・カーターによる指名で第12代FRB議長に就任した。
- ヘンリー・キッシンジャー CFRの重鎮。ロバート・R・ボウイと共にCFIA(ハーバード大学国際問題研究所)を設立した。西暦1,980年11月のロナルド・レーガンの当選後、59名から成る政権移行チームのCFR会員28名の一人に名を連ねた。
- ウィリアム・J・ケイシー マンハッタン政策研究所共同設立者。ロナルド・レーガンの選挙運動部長を務めた。レーガンは三極委員会を批判したが、其の選挙運動のサポートは、ケイシーを始めとする三極委員会を支持するCFR会員が担っていた。
- エドウィン・ミース ロナルド・レーガンの顧問。西暦1,980年の予備選挙の期間中、三極委員会が防衛の弱体化の原因であると主張した。
- アレクサンダー・ヘイグ 第7代欧州連合軍最高司令官を務めたCFR会員兼三極委員会委員。西暦1,980年のロナルド・レーガンの政権移行チームに名を連ね、レーガン政権では第59代アメリカ国務長官を務めた。
- キャスパー・ワインバーガー リチャード・ニクソン政権下で行政管理予算局長・保健教育福祉長官、ベクテル社で副社長を務めた人物。ロナルド・レーガンの選挙運動を支えたCFR会員の一人で、レーガン政権では第15代アメリカ国防長官を務めた。
- 宮沢喜一 西暦1,972年7月、ニューヨーク州キクイトでのエリート250名による日米欧三極委員会の組織化に、大来佐武郎・山本正等と共に日本側のメンバーとして名を連ねた。
- リーチオ・ジェッリ 秘密結社ロッジP2に関わった人物。西暦1,981年1月20日のロナルド・レーガンの第40代アメリカ大統領就任の宣誓に招待された。
主要な概念・組織
- ブレトン・ウッズ体制とニクソン・ショック 金約28g=35ドルでの金と米ドルの兌換を前提とした戦後の国際通貨体制。マーシャル・プランによるヨーロッパ復興での米ドルの流出やベトナム戦争の戦費による金の国外流出で前提が崩れ、西暦1,971年8月15日のリチャード・ニクソンによる金本位制廃止宣言で崩壊した。此の声明が、デイヴィッド・ロックフェラーの「平和と繁栄の国際委員会」提唱の背景となった。
- ビルダーバーグ会議 非公開の国際会議。西暦1,972年4月21日からの第21回会議がベルギーのクノック・ヘイストで開催され、デイヴィッド・ロックフェラーの「平和と繁栄の国際委員会」の提唱が同会議では広く受け入れられた。ロナルド・レーガンの政権移行チームにも、同会議のメンバー10名が名を連ねた。
- 日米欧三極委員会 西暦1,972年7月、ニューヨーク州キクイトでデイヴィッド・ロックフェラーの審査をパスしたエリート250名により組織化され、西暦1,973年7月1日に正式発足した組織。ロックフェラーが会長、ズビグネフ・ブレジンスキーが北米創設理事に就任した。ニューヨーク・東京・パリに拠点を置き、世界貿易の70%を占める北米・西欧・日本の間の非公開協議を目的とした。カーター政権・レーガン政権に多数の委員を送り込んだ。
- CFR アメリカの外交問題評議会。事務局長ジョージ・S・フランクリンや初代会長ベイレス・マニング、重鎮のヘンリー・キッシンジャー・ズビグネフ・ブレジンスキー等が本書に登場する。ロナルド・レーガンの政権移行チーム59名の内28名、レーガン政権の要職にも、三極委員会委員と併せて多数のCFR会員が名を連ねた。
- 第49回アメリカ大統領選 西暦1,980年11月4日に行われ、ロナルド・レーガンがジミー・カーターを破って当選した選挙。レーガンは三極委員会を批判したが、其の選挙運動はウィリアム・J・ケイシー等の三極委員会を支持するCFR会員が支え、政権移行チームもCFR会員・ビルダーバーグ会議メンバー・三極委員会支持者で構成された。
- レーガン大統領暗殺未遂事件 西暦1,981年3月30日14時30分、ロナルド・レーガンが、ワシントンD.C.のヒルトンホテルでのAFL-CIOの講演を終え大統領専用車に向かう最中、ジョン・ヒンクリーにリボルバーで狙撃された事件。6発中2発が命中し、1発は心臓を掠めて肺の奥深くで止まり内出血を起こしたが、レーガンの意識ははっきりしており、弾丸摘出手術は成功した。
西暦1,971年のリチャード・ニクソンの金本位制廃止宣言、西暦1,972年のデイヴィッド・ロックフェラーによるチェース・マンハッタン国際金融フォーラムでの平和と繁栄の国際委員会の提唱・第21回ビルダーバーグ会議での提唱・ズビグネフ・ブレジンスキーによる委員会設立準備グループの組織・キクイトでのエリート250名による日米欧三極委員会の組織化、西暦1,973年の日米欧三極委員会の正式発足とデイヴィッド・ロックフェラーの会長就任・ジミー・カーターらの加入、西暦1,977年のジミー・カーターの第39代アメリカ大統領就任と三極委員会委員による政権要職の占拠、西暦1,979年のポール・ボルカーの第12代FRB議長就任、西暦1,980年のニューハンプシャー州予備選挙でのロナルド・レーガンの勝利と三極委員会への口撃・第49回アメリカ大統領選でのレーガンのカーター撃破と政権移行チームのCFR会員等の内訳・ローマクラブと社会主義インターナショナルによるレーガン無力化を話し合う会議、西暦1,981年のロナルド・レーガンの第40代アメリカ大統領就任とリーチオ・ジェッリの招待、ワシントンD.C.のヒルトンホテルでジョン・ヒンクリーがリボルバーで狙撃したレーガン大統領暗殺未遂事件迄──
ロックフェラーとブレジンスキーによる日米欧三極委員会の組織化を起点に、カーター政権の三極委員会委員・レーガンの三極委員会批判と当選・ローマクラブと社会主義インターナショナルのレーガン無力化会議・ジョン・ヒンクリーによる狙撃に至った、レーガン大統領暗殺未遂事件に至る系譜を年月日単位で追跡した一冊。
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