電子書籍「NIHとロックフェラー財団のラットを使った人口動態研究一元化」の表紙

NIHとロックフェラー財団の
ラットを使った
人口動態研究一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,916年6月13日〜1,973年
ページ数
14ページ
最新更新日
西暦2,026年7月22日

餌も水も足り、捕食者も居ない楽園で、彼等は滅びた──
ユニバース25に至る人口動態研究の半世紀余を一元化。

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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本書について

西暦1,916年6月13日、ロックフェラー財団の資金提供により、ウィリアム・H・ウェルチがボルチモアに「ジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生大学院」を設立した。本書は、此の設立を起点として、其の大学院から始まり、NIHの一室で終わる半世紀余りの人口動態研究を、年月日単位で一元化した記録である。実験の対象はラットとマウスであったが、研究者達が見ていたのは、人間の数であった。

西暦1,946年、ジョン・B・カルフーンが同大学院に勤務を始める。小型哺乳類の捕獲に関する訓練を行い、其れは西暦1,956年迄に調整する予定であった小型哺乳類の個体数と種を記録する統計調査プロジェクトに活かされた。カルフーンがラットを使った実験を初めて実施したのも此処である。翌西暦1,947年、カルフーンはロックフェラー財団の資金提供を受け、齧歯類の個体数管理プロジェクトの一環として、ノルウェー・ラットのコロニーの研究を開始した。タウソンの隣人の家の裏にある使われなくなった森林にラットの小屋を建てる許可を取り付け、面積は約1011.75㎡、5,000匹以上を収容出来る想定であった。其処へ播かれたのは、妊娠中の雌5匹。カルフーンは繁殖を27ヶ月観察したが、個体数は150匹で横這いとなり、遂に200匹を超える事は無かった。カルフーンは、パーソンズ島のチェサピーク湾でも同様の研究を行っている。

何が個体数を頭打ちにしたのか。同僚のジョン・J・クリスチャンが着目したのは、西暦1,931年にロックフェラー財団からの奨学金を受けてジョンズ・ホプキンス大学へ移った生理学者ハンス・セリエの、ストレスの概念であった。戦闘や逃走に於けるアドレナリンは、極端若しくは長期的なストレスの状況下では適応出来ず、身体システムの崩壊へ繋がる。其れは、副腎肥大・リンパ構造の萎縮・胃と十二指腸の潰瘍化という三つの身体的変化として現れた。行動もまた変わった。通常のトンネルを掘らず、土を丸めてボールを作る様な奇妙な振る舞いが観察され、個体同士が争い始めたのである。クリスチャン達は、人口密集によるストレスの社会的・生理学的・進化的影響を特定し再現する為に、ラットやマウスだけでなく、ハタネズミ・レミング・カンジキウサギ・エゾシカ・サル・ネコにも目を向けた。

西暦1,951年、カルフーンはベセスダのウォルター・リード陸軍医療センターに移る。ノルウェー・ラットのコロニー研究は打ち切られたが、人口に関する研究は続けられた。西暦1,954年、NIH傘下のNIMHの心理学研究所知覚部門の常勤として雇用されたカルフーンは、ベセスダの上の野原に引っ越して農家から納屋を借り、天井の窓を通して屋根裏から観察出来る「ローデント・ユニバース」と呼ばれるフェンスで仕切った部屋を構築した。食糧・寝具・住居が与えられ、捕食者はおらず、病気の暴露も最小限に抑えられた環境を、カルフーンは「ラットの理想郷」「マウスの楽園」と表現している。個体は急速に繁殖していった。カルフーンが課した唯一の制限は、スペースだけであった。

ラットやマウスがフェンスに山積みになった時、カルフーンの助手は「ユートピアは地獄になった」と述べた。支配的な雄は攻撃的になり、一部は群れを成して雌や赤ちゃんを襲った。交尾が妨害され、同性愛に走る個体が現れ、出会った相手に見境なくマウンティングを取る個体も出た。母親は自分の子供を無視し、適切な巣を作らず、不用意に子供を捨て、更には攻撃した。特定の区域では赤ちゃんの死亡率が96%に達し、死体は大人に食べられた。従属動物は心理的に萎縮し、物理的には生き残ったものの大きな心理的代償を払って、殆どが成長後期の個体として区域中央の空白地帯に密集した。個体数は激減したが、其の時には既に、調和して共存する能力は失われており、変化は永続的に続いた。カルフーンは最終的に、NIMHの別館の112号館へ移っている。

数の話は、実験室の外へも広がってゆく。西暦1,960年、イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校電気工学教授ハインツ・フォン・フェルスターが同僚2名と共に、科学学術雑誌「サイエンス」の1960年号へ人口増加率予測に関する「終末方程式」を寄稿した。当年の世界人口を2,700,000,000人として、西暦2,026年11月13日迄に人口増加率が無限になるという予測である。カルフーンは後に此の方程式を採用した。カルフーンの研究と総合すると、人口増加ゼロ運動や、フェルスターの提唱した1組の夫婦当たりの子供を2人に制限する法律の導入は、合理的な結論として共有されていった。西暦1,962年、カルフーンはNIMHでの初期の実験結果を論文「人口密度と社会病理学」として「サイエンティフィック・アメリカン」に寄稿し、此の論文は其の後、年間150回以上引用される様になる。

そして西暦1,968年7月9日、ベセスダのNIHで「ユニバース25」が始まった。過去の実験結果を基にマウスの死亡率抑制を意図して設計された、縦2.7m・横2.7m・高さ1.4mの小屋である。20℃に維持する温度調節器と、細断した紙と挽いたトウモロコシの穂軸で出来た床を備え、メッシュ状に垂直交差するトンネルが16本、其々の上部に4本の水平通路、其の各々が4つの巣箱へ繋がって、巣箱は計256個。1箱15匹として、小屋全体の収容力は3,840匹であった。投入されたのは、NIHの繁殖用ストックから選ばれた健康な白マウスの雄4匹と雌4匹。ネコも罠も長い冬も捕食者も無く、4〜8週間毎に清掃が行われた。10月21日に最初の赤ちゃんが誕生し、以後、個体数は55日毎に倍加してゆく。だが西暦1,969年5月19日に620匹へ達すると増加率は落ち、145日毎にしか倍加しなくなった。成体になっても配偶者を見つけられず、未婚の雌は高所の巣箱に避難して単独で暮らし、雄達は小屋の中心の食糧の近くに集まって、悶え、衰弱し、互いに攻撃し合った。

西暦1,970年1月19日、個体数は2,200匹でピークに達する。2月28日には、最後の死産では無い出産が行われた。此の頃になると雌は繁殖を止め、雄も求愛行動や争いを止めて孤独となり、飲食・睡眠・毛繕いという健康維持行動だけに努める様になる。艶々とした傷の無い毛並みで外見上は美しいものの、生存に適合する最も単純な行動しか出来ず自閉的で、種の存続に必要な複雑な行動を実行出来ない個体であった。此の変化は不可逆で、元の精神が戻る事は無かった。西暦1,971年、アメリカ上院議員ボブ・パックウッドは政府に人口増加の問題の検討を求め、其の際にカルフーンを頼っている。同年、英国王立医学会でのカルフーンの講演に対し、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの解剖学教授ジョン・ザカリー・ヤングは、マウスを人間に置き換えて議論する事へ警告を発した。西暦1,972年6月22日に個体数は122匹、8月16日にユニバース25は終了し、生き残りは27匹。西暦1,973年、最後のマウスが死んだ。カルフーンは以降も同様の実験を繰り返し、計25回実施したが、結果は同じであった。其の全過程を、本書は一冊に束ねている。


登場人物

  • ジョン・B・カルフーン 本書の中心人物。西暦1,946年にジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生大学院へ勤務を始め、翌年ロックフェラー財団の資金提供でノルウェー・ラットのコロニー研究を開始した。西暦1,954年からはNIH傘下のNIMHで「ローデント・ユニバース」を構築し、西暦1,968年7月9日に「ユニバース25」を開始。同様の実験を計25回繰り返したが、結果は同じであった。
  • ウィリアム・H・ウェルチ 西暦1,916年6月13日、ロックフェラー財団の資金提供により、ボルチモア(アメリカのメリーランド州)に「ジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生大学院」を設立した人物。本書の起点となる出来事である。
  • ジョン・J・クリスチャン ジョン・B・カルフーンの同僚。生理学者ハンス・セリエのストレスの概念に着目し、人口密集によるストレスの社会的・生理学的・進化的影響を特定し再現する為に、ラットやマウスに加えてハタネズミ・レミング・カンジキウサギ・エゾシカ・サル・ネコにも目を向けた。
  • ハンス・セリエ 生理学者。西暦1,931年にロックフェラー財団からの奨学金を受けてジョンズ・ホプキンス大学へ移り、ストレスの研究を行った。戦闘や逃走に於けるアドレナリンは極端若しくは長期的なストレス下では適応出来ず、身体システムの崩壊に繋がるという概念は、副腎肥大・リンパ構造の萎縮・胃と十二指腸の潰瘍化として現出した。
  • ハインツ・フォン・フェルスター イリノイ大学アーバナ・シャンペーン校電気工学教授。西暦1,960年、同僚2名と共に「サイエンス」1960年号へ人口増加率予測に関する「終末方程式」を寄稿し、西暦2,026年11月13日迄に人口増加率が無限になるとの予測を導いた。1組の夫婦当たりの子供を2人に制限する法律の導入も提唱している。
  • ボブ・パックウッド アメリカ上院議員。西暦1,971年、アメリカ政府に人口増加の問題を検討する様求め、其の際にジョン・B・カルフーンを頼った。
  • ジョン・ザカリー・ヤング イギリスの動物学者。ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの解剖学教授。西暦1,971年、英国王立医学会でのジョン・B・カルフーンのマウス実験に関する講演を受け、マウスを人間に置き換えて議論する事に対して警告を発した。

人口動態研究の系譜

  • ジョンズ・ホプキンス大学公衆衛生大学院 西暦1,916年6月13日、本書の起点。ロックフェラー財団の資金提供により、ウィリアム・H・ウェルチがボルチモアに設立した。西暦1,946年にジョン・B・カルフーンが勤務を始め、其処でラットを使った実験を初めて実施している。
  • ロックフェラー財団 公衆衛生大学院の設立資金を提供し、西暦1,931年にはハンス・セリエへ奨学金を、西暦1,947年にはジョン・B・カルフーンのノルウェー・ラットのコロニー研究へ資金を提供した。本書に登場する研究の系譜を、資金の面から一貫して支えた財団である。
  • ノルウェー・ラットのコロニー研究 西暦1,947年、ジョンズ・ホプキンス大学の齧歯類の個体数管理プロジェクトの一環として開始。タウソンの使われなくなった森林に約1011.75㎡・5,000匹以上を想定した小屋を建て、妊娠中の雌5匹を播種した。27ヶ月の観察で個体数は150匹で横這いとなり、200匹を超える事は無かった。
  • ハンス・セリエのストレス概念 ジョン・J・クリスチャンが着目した理論。極端若しくは長期的なストレス下ではアドレナリンが適応出来ず身体システムが崩壊するというもので、副腎肥大・リンパ構造の萎縮・胃と十二指腸の潰瘍化という三つの身体的変化として現れた。同時に、土を丸めてボールを作る様な奇妙な行動と個体同士の争いが観察された。
  • ウォルター・リード陸軍医療センター 西暦1,951年、ジョン・B・カルフーンが勤務を開始したベセスダの施設。ノルウェー・ラットのコロニー研究は打ち切られたが、人口に関する研究は継続された。
  • NIHとNIMH心理学研究所知覚部門 西暦1,954年、ジョン・B・カルフーンが常勤として雇用された研究機関。以後の実験は此処を拠点として行われ、カルフーンは最終的にNIMHの別館の112号館へ移った。西暦1,968年の「ユニバース25」も、ベセスダのNIHで実施されている。
  • ローデント・ユニバース 農家から借りた納屋に構築された、天井の窓を通して屋根裏から観察出来るフェンス仕切りの部屋。食糧・寝具・住居が与えられ、捕食者がおらず病気の暴露も最小限に抑えられた環境を、カルフーンは「ラットの理想郷」「マウスの楽園」と表現した。課された唯一の制限は、スペースであった。
  • 「ユートピアは地獄になった」 個体がフェンスに山積みになった時のカルフーンの助手の言葉。支配的な雄の攻撃、交尾の妨害、母親による育児の放棄と子供への攻撃、特定区域での赤ちゃんの死亡率96%と死体の共食い、心理的に萎縮した従属動物の中央空白地帯への密集。個体数が激減した後も、調和して共存する能力は戻らなかった。
  • 終末方程式 西暦1,960年、ハインツ・フォン・フェルスターらが「サイエンス」に寄稿した人口増加率予測。当年の世界人口を2,700,000,000人として、西暦2,026年11月13日迄に人口増加率が無限になるとした。カルフーンは後に此の方程式を採用し、人口増加ゼロ運動や子供2人制限法の導入が合理的な結論として共有された。
  • 論文「人口密度と社会病理学」 西暦1,962年、ジョン・B・カルフーンがNIMHでのラットを使った初期の実験結果を「サイエンティフィック・アメリカン」に寄稿した論文。其の後、年間150回以上引用される様になった。
  • ユニバース25 西暦1,968年7月9日開始。縦2.7m・横2.7m・高さ1.4m、20℃に保たれ、16本の交差トンネルと256個の巣箱を備えて収容力3,840匹。健康な白マウスの雄4匹・雌4匹が投入された。10月21日に最初の赤ちゃんが生まれ、個体数は55日毎に倍加したが、西暦1,969年5月19日の620匹以降は145日毎にしか倍加しなくなった。
  • 個体数のピークと繁殖の停止 西暦1,970年1月19日、個体数が2,200匹でピークに達し、2月28日には最後の死産では無い出産が行われた。雌は繁殖を止め、雄は飲食・睡眠・毛繕いだけに努める様になる。美しい毛並みでありながら最も単純な行動しか出来ず自閉的で、此の変化は不可逆であった。
  • 最後のマウスと25回の反復 西暦1,972年6月22日に個体数は122匹、8月16日にユニバース25は終了し生存は27匹。西暦1,973年、最後のマウスが死亡した。本書の終点。ジョン・B・カルフーンは以降も同様の実験を計25回実施したが、結果は同じであった。

タウソンの森のラット小屋から、ユニバース25の最後の一匹まで──
NIHとロックフェラー財団が支えた人口動態研究の全過程を一元化。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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