キッシンジャーが起こした
オイルショックと
ペトロダラー体制構築一元化
金と切り離された米ドルは、石油と結び付いた──
ニクソン・ショックからペトロダラー体制確立までの三年余を一元化。
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本書について
西暦1,971年8月15日、リチャード・ニクソンがアメリカの金本位制の廃止を宣言した。金約28g=35ドルという兌換を前提としたブレトン・ウッズ体制は此処に崩壊し、各国は変動相場制へと移行する。背景に在ったのは、マーシャル・プランで復興したヨーロッパがアメリカへの輸出を増やし米ドルが大量に流出した事と、ベトナム戦争の長期化による戦費増大で金が国外へ流れ、金と交換出来る唯一の通貨という基軸通貨の前提が満たせなくなった事であった。ニクソンは併せて、90日間の賃金価格凍結・減税と歳出削減・略全ての輸入品への10%の輸入関税を実施して米ドル安に誘導し、日本・韓国・香港・台湾は、繊維を始めとする物品の対米輸出を減らす様要請された。本書は、此の宣言を起点として、米ドルが金に代わる裏付けを手に入れる迄の三年余を、年月日単位で一元化した記録である。
通貨の秩序は、一度は繕われた。同年12月18日、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・日本・イタリア・カナダ・オランダ・ベルギー・スウェーデンの10ヶ国から成るG10がスミソニアン博物館で開かれ、米ドルは金約28g=38ドルの水準へ切り下げられて、各国は固定相場制に復帰する。だが西暦1,973年2月12日、米ドルがSDR(特別引出権)に対して更に10%切り下げられ、レートは金約28g=42ドル22セントとなった。各国は再び変動相場制へ移り、G10の取り決めは崩壊する。金という錨を失った米ドルには、別の裏付けが必要であった。
西暦1,973年5月11日から三日間、スウェーデンで第22回ビルダーバーグ会議が開かれる。此処で説明されたのは、OPEC(石油輸出国機構)の石油収入が400%増となるシナリオであり、話し合われたのは、石油価格と米ドル価格を上昇させる為に、如何にして石油不足の状態を作り出すか、であった。そして同年10月6日、エジプト・シリア両軍が、西暦1,967年の第三次中東戦争でイスラエルに占領されたシナイ半島の奪回を意図して奇襲を掛け、第4次中東戦争が勃発する。エジプト・シリアとイスラエルの双方に外交ルートを有していたヘンリー・キッシンジャーが、戦争に誘導したのであった。
石油は、此処から武器になった。同年10月17日、クウェートで開かれたOAPEC(アラブ石油輸出国機構)の石油大臣会議は、翌日から11月末迄5%を下回らない比率で生産量を削減し以降も毎月5%ずつ上積みする事、イスラエルが第三次中東戦争の全占領地から撤兵しパレスチナ人の合法的権利が回復される迄削減を継続する事、友好国には従来通りの供給を保証する事、敵対国であるアメリカとオランダへの原油供給を停止する事を決議した。翌18日にはサウジアラビアが生産量の10%削減と、アメリカの親イスラエル政策が変わらぬ場合の対米輸出全面停止を発表し、20日にはアメリカとオランダへの輸出停止を発表する。25日には、エクソンモービル・ロイヤル・ダッチ・シェル・BP・シェブロン・フランス石油の欧米石油メジャー5社が、原油供給量の10%削減を通告した。
石油の99%を輸入に頼る日本は、否応無く選択を迫られる。同年11月15日11時、田中角栄は首相官邸でヘンリー・キッシンジャーを迎えた。キッシンジャーが「アメリカと一緒にイスラエルの味方をしてくれとまでは言わない。ただ、アラブの友好国となりアラブの味方をするのは止めて欲しい」と述べると、田中は、日本は石油資源の99%を輸入し其の80%を中東から輸入しているとした上で、輸入が停止したらアメリカが肩代わりをしてくれるのかと問い返した。キッシンジャーが一瞬黙ると、田中は「そうでしょう」と畳み掛ける。11月22日には二階堂進が談話を発表し、武力による領土の獲得及び占領は許されない事、西暦1,967年の戦争の全占領地からのイスラエル兵力の撤退、パレスチナ人の国連憲章に基づく正当な権利の承認といった諸原則を掲げた上で、情勢の推移如何によってはイスラエルに対する政策を再検討せざるを得ないと踏み込んだ。
12月10日、第4代環境庁長官三木武夫が中東8ヶ国歴訪へ発つ。12日午前、通訳の片倉邦雄・塩尻宏を伴って第3代サウジアラビア国王ファイサルと会談し、日本がOAPECの石油戦略に基づく友好国扱いとなる様配慮を求めた。ファイサルは会談の途中で同席者に「日本が友好国扱いで無いというのは本当か?」と尋ね、三木には「日本が困ることにならないよう最善を尽くすので、ご心配無い様に」と告げる。会談終了直後、サウジアラビア王族1名がプライベートジェットでエジプトへ飛び、第3代エジプト大統領アンワル・アッ・サーダートにファイサルの伝言が伝えられた。12月25日、OAPECの石油大臣会議は、三木の歴訪と日本の政策の変化に注目したとして、日本を如何なる石油の全般的削減措置の下にも置かない特別待遇を決定し、生産削減率を25%から15%へ緩める一方、アメリカとオランダへの全面禁輸は継続すると声明した。
そして西暦1,974年10月、ヘンリー・キッシンジャーは、サウジアラビア皇太子ファハド・ビン・アブドゥルアズィーズに対し、アメリカがサウジアラビアの安全保障を確約する見返りとして、原油輸出を全て米ドル建てで行う事を要求する。イスラム教スンナ派のサウジアラビアは、6割がシーア派のイラク、9割がシーア派のイラン、7割がシーア派のバーレーンに囲まれ、国家安全保障を課題としていた。サウジアラビアは条件を飲み、石油を米ドル建てで低価格且つ安定的に供給する事となる。ペトロダラー体制(石油ドル本位制)の確立であり、其の後クウェートが之に続いた。金との兌換を断たれた米ドルが、石油という新たな裏付けを得る迄の全過程を、本書は一冊に束ねている。
登場人物
- ヘンリー・キッシンジャー 本書の中心人物。エジプト・シリアとイスラエル双方に外交ルートを有しており、西暦1,973年10月6日に勃発した第4次中東戦争に誘導した。同年11月15日には田中角栄と会談し、日本にアラブの味方をしないよう求めた。西暦1,974年10月、サウジアラビア皇太子ファハド・ビン・アブドゥルアズィーズに対し、安全保障の確約と引き換えに原油輸出を全て米ドル建てで行う事を要求し、ペトロダラー体制の確立を主導した。
- リチャード・ニクソン アメリカ大統領。西暦1,971年8月15日にアメリカの金本位制の廃止を宣言し、金と米ドルの兌換を前提としたブレトン・ウッズ体制を崩壊させた。同時に90日間の賃金価格凍結や略全ての輸入品への10%の輸入関税等を実施し、米ドル安へと誘導した。
- ファハド・ビン・アブドゥルアズィーズ サウジアラビア皇太子。西暦1,974年10月、ヘンリー・キッシンジャーから、アメリカによる安全保障の確約と引き換えにサウジアラビアの原油輸出を全て米ドル建てで行う事を要求され、此の条件を受け入れた。此れによりペトロダラー体制(石油ドル本位制)が確立された。
- ファイサル 第3代サウジアラビア国王。西暦1,973年12月12日に三木武夫と会談し、西暦1,971年5月の訪日の好印象を語った。会談の途中、日本が友好国扱いでないのは本当かと同席者に尋ね、三木に「日本が困ることにならないよう最善を尽くす」と伝えた。会談直後、其の伝言がエジプトのアンワル・アッ・サーダートに伝えられた。
- 田中角栄 日本の首相。西暦1,973年11月15日、首相官邸でヘンリー・キッシンジャーと会談した。アラブの味方をしないよう求めるキッシンジャーに対し、日本が石油資源の99%を輸入し其の80%を中東から輸入している実情を挙げて反論し、アラブ主要国への特使派遣の準備を進めていると伝えた。
- 二階堂進 内閣官房長官。西暦1,973年11月22日に談話を発表し、武力による領土の獲得及び占領の不許可、西暦1,967年の戦争の全占領地からのイスラエル兵力の撤退、パレスチナ人の正当な権利の承認等の諸原則を示した上で、情勢次第ではイスラエルに対する政策を再検討せざるを得ないとした。
- 三木武夫 第4代環境庁長官。西暦1,973年12月10日から28日にかけて、アラブ首長国連邦・サウジアラビア・エジプト・クウェート・カタール・イラン・イラク等の中東8ヶ国を歴訪した。同月12日には第3代サウジアラビア国王ファイサルと会談し、日本がOAPECの石油戦略に基づく友好国扱いとなる様要請した。
- アンワル・アッ・サーダート 第3代エジプト大統領。西暦1,973年12月12日のファイサルと三木武夫の会談の終了直後、サウジアラビア王族1名がプライベートジェットでエジプトに飛び、ファイサルからの伝言が伝えられた。
- 片倉邦雄 西暦1,973年12月12日の三木武夫と第3代サウジアラビア国王ファイサルとの会談に、塩尻宏と共に通訳として同行した。
- 塩尻宏 西暦1,973年12月12日の三木武夫と第3代サウジアラビア国王ファイサルとの会談に、片倉邦雄と共に通訳として同行した。
オイルショックとペトロダラー体制の系譜
- ブレトン・ウッズ体制の崩壊 西暦1,971年8月15日、本書の起点。リチャード・ニクソンによる金本位制廃止宣言により、金約28g=35ドルでの兌換を前提とした戦後の国際通貨体制が崩壊し、各国は変動相場制へと移行した。マーシャル・プランによるヨーロッパ復興での米ドルの流出と、ベトナム戦争の戦費による金の国外流出が背景に在った。
- スミソニアン協定とG10 西暦1,971年12月18日、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・日本・イタリア・カナダ・オランダ・ベルギー・スウェーデンのG10(10ヶ国蔵相・中銀総裁会議)がスミソニアン博物館で開催され、米ドルを金約28g=38ドルの水準で切り下げて固定相場制へ復帰した。
- SDRに対する10%切り下げ 西暦1,973年2月12日、米ドルがSDR(特別引出権)に対し10%切り下げられ、レートは金約28g=42ドル22セントとなった。各国は再び変動相場制へ移行し、G10の通貨に関する取り決めは崩壊した。イギリスポンドは前年6月27日に既に変動相場制へ移行していた。
- 第22回ビルダーバーグ会議 西暦1,973年5月11日からの三日間、スウェーデンで開催。OPEC(石油輸出国機構)の石油収入が400%増となるシナリオが説明され、石油価格と米ドル価格上昇の為に、如何に石油不足の状態を作り出すかが話し合われた。
- 第4次中東戦争 西暦1,973年10月6日、エジプト・シリア両軍が、第三次中東戦争でイスラエルに占領されたシナイ半島の奪回を意図して奇襲攻撃を仕掛け勃発。エジプト・シリアとイスラエル双方に外交ルートを有していたヘンリー・キッシンジャーが戦争に誘導した。
- OAPECの石油戦略 西暦1,973年10月17日、クウェートで開かれたOAPEC(アラブ石油輸出国機構)の石油大臣会議での決議。毎月5%ずつ生産削減を上積みし、イスラエルの全占領地からの撤兵とパレスチナ人の権利回復迄継続する事、友好国には従来通り供給する一方、敵対国であるアメリカとオランダへの原油供給を停止する事が決められた。
- サウジアラビアの禁輸発表 西暦1,973年10月18日、サウジアラビア政府が石油生産量の10%削減と、アメリカの親イスラエル政策が変更されない場合の対米石油輸出の全面停止を発表。20日にはアメリカとオランダへの輸出停止を発表したが、他の供給源から賄えた為、実害は殆ど無かった。
- 欧米石油メジャー5社の供給削減 西暦1,973年10月25日、エクソンモービル・ロイヤル・ダッチ・シェル・BP・シェブロン・フランス石油の5社が、原油供給量の10%の削減を通告した。
- 田中角栄とキッシンジャーの会談 西暦1,973年11月15日11時、首相官邸で行われた会談。アラブの味方をしないよう求めるキッシンジャーに対し、田中角栄は、石油の99%を輸入し其の80%が中東産である事を挙げ、輸入が止まればアメリカが肩代わりするのかと問い返した。
- 二階堂進の談話 西暦1,973年11月22日に発表された日本政府の談話。安保理決議242の全面的実施を希求し、武力による領土獲得の不許可・イスラエル兵力の撤退・パレスチナ人の正当な権利の承認等の諸原則を示した上で、情勢の推移如何によってはイスラエルに対する政策を再検討せざるを得ないとした。
- 三木武夫の中東8ヶ国歴訪 西暦1,973年12月10日から28日の日程。アラブ首長国連邦・サウジアラビア・エジプト・クウェート・カタール・イラン・イラク等を訪問し、12日には第3代サウジアラビア国王ファイサルと会談して、日本を友好国扱いとする様要請した。
- 日本への特別待遇の決定 西暦1,973年12月25日のOAPEC石油大臣会議の声明。三木武夫のアラブ諸国訪問と日本の政策の変化に注目し、日本を如何なる石油の全般的削減措置の下にも置かない特別待遇が決定された。生産削減率は25%から15%へ緩められたが、アメリカとオランダへの全面禁輸は継続された。
- ペトロダラー体制 西暦1,974年10月、本書の終点。ヘンリー・キッシンジャーがサウジアラビア皇太子ファハド・ビン・アブドゥルアズィーズに、安全保障の確約と引き換えに原油輸出の全米ドル建てを要求し、サウジアラビアが受け入れた事で確立された石油ドル本位制。シーア派の国々に囲まれた同国の安全保障上の課題が背景に在り、其の後クウェートが続いた。
ニクソン・ショックから第4次中東戦争を経て、ペトロダラー体制の確立へ──
キッシンジャーが起こしたオイルショックの全過程を一元化。
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