キッシンジャーが起こしたオイルショックとペトロダラー体制構築一元化
西暦1,971年のリチャード・ニクソンによる金本位制廃止宣言とブレトン・ウッズ体制の崩壊・変動相場制への移行・10%の輸入関税、G10のスミソニアン博物館での開催と米ドル切り下げ・固定相場制への復帰、西暦1,973年の米ドルのSDRに対する10%切り下げ、第22回ビルダーバーグ会議でのOPEC石油収入400%増シナリオと石油不足の作り出し方の議論、エジプト・シリアによるイスラエルへの奇襲とヘンリー・キッシンジャーが誘導した第4次中東戦争の勃発、OAPECの石油大臣会議での石油生産量削減決議とアメリカ・オランダへの原油供給停止、サウジアラビアの石油生産削減発表、欧米石油メジャー5社の供給削減通告、田中角栄とヘンリー・キッシンジャーの会談、二階堂進の中東和平に関する談話、三木武夫の中東8ヶ国歴訪と国王ファイサルとの会談・日本の友好国扱いの要請、OAPECによる日本の特別待遇の決定、西暦1,974年のヘンリー・キッシンジャーがサウジアラビア皇太子ファハド・ビン・アブドゥルアズィーズに原油輸出の米ドル建てを要求したペトロダラー体制の確立迄──
ニクソンの金本位制廃止宣言を起点に、ビルダーバーグ会議での石油不足シナリオ・キッシンジャーが誘導した第4次中東戦争・OAPECの石油戦略によるオイルショック・三木武夫の中東歴訪・ペトロダラー体制の確立に至った系譜を年月日単位で追跡した一冊。
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本書について
西暦1,971年8月15日、リチャード・ニクソンがアメリカの金本位制の廃止を宣言した。此れにより、金約28g=35ドルの金と米ドルの兌換を前提としたブレトン・ウッズ体制は崩壊し、各国は変動相場制へと移行した。背景には、①マーシャル・プランにより復興したヨーロッパがアメリカへの輸出を増加させ、米ドルが大量にヨーロッパに流れた事②ベトナム戦争の長期化による戦費増大で大量の金が国外に流出し、金と交換出来る唯一の通貨という基軸通貨の前提が満たせなくなった事が存在した。ニクソンは更に、①90日間の賃金価格凍結②減税・歳出削減の実施③一時的に略全ての輸入品に10%の輸入関税を掛ける事を実施して米ドル安に誘導し、日本・韓国・香港・台湾は、繊維を始めとする物品のアメリカへの輸出を減らす様要請された。同年12月18日、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・日本・イタリア・カナダ・オランダ・ベルギー・スウェーデンの10ヶ国から成るG10(10ヶ国蔵相・中銀総裁会議)がスミソニアン博物館で開催され、米ドルは金約28g=38ドルの水準で切り下げられ、各国は固定相場制へと復帰した。
西暦1,973年2月12日、米ドルがSDR(特別引出権)に対し10%切り下げられ、レートは金約28g=42ドル22セントとなった。此れにより各国は再び変動相場制へと移行し、西暦1,971年12月18日にG10が行った通貨に関する取り決めは崩壊した。同年5月11日からの3日間、第22回ビルダーバーグ会議がスウェーデンにて開催された。同会議では、OPEC(石油輸出国機構)の石油収入が400%増となるシナリオが説明され、石油価格と米ドル価格上昇の為に、如何に石油不足の状態を作り出すかが話し合われた。
西暦1,973年10月6日、エジプト・シリア両軍が、西暦1,967年の第三次中東戦争でイスラエルに占領されたシナイ半島の奪回を意図してイスラエルに奇襲攻撃を仕掛け、「第4次中東戦争」が勃発した。エジプト・シリアとイスラエル双方に外交ルートを有していたヘンリー・キッシンジャーが戦争に誘導した。同月17日、クウェートで開かれたOAPEC(アラブ石油輸出国機構)の石油大臣会議にて、①翌日から同年11月末迄5%を下回らない比率で石油生産量を削減し其れ以降も毎月5%ずつ上積みする事②此の削減はイスラエルが第三次中東戦争で占領した全領土から撤兵しパレスチナ人の合法的権利が回復される迄継続する事③友好国には従来通りの原油供給を保証する事④敵対国であるアメリカとオランダへの原油供給を停止する事が決議された。翌18日、サウジアラビア政府が、石油生産量の10%の削減と、アメリカの親イスラエル政策が変更されない場合のアメリカ向け石油輸出の全面停止を発表し、同月20日にはアメリカとオランダへの石油輸出停止を発表した。同月25日、エクソンモービル・ロイヤル・ダッチ・シェル・BP・シェブロン・フランス石油の欧米石油メジャー5社が、原油供給量の10%の削減を通告した。
西暦1,973年11月15日11時、田中角栄が首相官邸でヘンリー・キッシンジャーを迎え会談を行った。キッシンジャーが「アメリカと一緒にイスラエルの味方をしてくれとまでは言わない。ただ、アラブの友好国となりアラブの味方をするのは止めて欲しい」と発言すると、田中は「日本は石油資源の99%を輸入、其の80%を中東から輸入している。もし輸入が停止したらそれをアメリカが肩代わりをしてくれますか」と返し、キッシンジャーが一瞬黙ると「そうでしょう」と畳み掛けた。田中は、アラブに歩み寄った対応をせざるを得ない日本の立場を説明する為、アラブ主要国に特使を派遣する準備を進めていると伝えた。同月22日、二階堂進が談話を発表し、武力による領土の獲得及び占領が許されない事、西暦1,967年の戦争の全占領地からのイスラエル兵力の撤退、パレスチナ人の国連憲章に基づく正当な権利の承認等の諸原則を示した上で、今後の諸情勢の推移如何によってはイスラエルに対する政策を再検討せざるを得ないとした。
西暦1,973年12月10日、第4代環境庁長官三木武夫が、同月28日迄の日程で、アラブ首長国連邦・サウジアラビア・エジプト・クウェート・カタール・イラン・イラク等の中東8ヶ国歴訪の為に出発した。同月12日午前、三木武夫が、片倉邦雄・塩尻宏の2名の通訳を伴い、第3代サウジアラビア国王ファイサルと会談した。冒頭、ファイサルは、西暦1,971年5月に国賓として訪日した際の日本の厚遇・発展や日本人に対して好印象を持ったと語った。三木は、日本の実情とパレスチナ問題に対する日本の立場を説明した上で、日本がOAPECの石油戦略に基づく友好国扱いとなる様配慮願いたい旨を要請した。ファイサルは会談の途中、サウジアラビア側の同席者に「日本が友好国扱いで無いというのは本当か?」と尋ね、其の後三木に対し「日本が困ることにならないよう最善を尽くすので、ご心配無い様に」と言った。会談終了直後、サウジアラビア王族1名がプライベートジェットでエジプトに飛び、第3代エジプト大統領アンワル・アッ・サーダートにファイサルからの伝言が伝えられた。
西暦1,973年12月25日、クウェートで開かれたOAPECの石油大臣会議にて声明が出され、①西暦1,973年10月17日に採択された原油供給に関する措置は友好国には影響を及ぼさない事②三木武夫のアラブ諸国訪問や日本のアラブ諸国に対する政策の変化に注目し、日本を如何なる石油の全般的削減措置の下にも置かない様特別に待遇する事③ベルギーの政治的立場を評価し同国に対し石油供給の削減措置を行わない事④友好国に対しては条件付きで必要量の石油を供給する事⑤生産削減率を25%から15%にする為、西暦1,973年9月を基準として生産量を10%上昇させ、西暦1,974年1月に予定されていた上積削減率は適用しない事⑥アメリカとオランダへの石油の全面的禁輸は継続する事が示された。
西暦1,974年10月、ヘンリー・キッシンジャーが、サウジアラビア皇太子ファハド・ビン・アブドゥルアズィーズに対し、アメリカがサウジアラビアの安全保障を確約する見返りとして、サウジアラビアの原油輸出を全て米ドル建てで行う事を要求した。サウジアラビアは此の条件を飲み、石油を米ドル建てで低価格且つ安定的に供給する事となり、ペトロダラー体制(石油ドル本位制)が確立された。イスラム教スンナ派であるサウジアラビアは、6割がイスラム教シーア派のイラク、9割がイスラム教シーア派のイラン、7割がイスラム教シーア派のバーレーン(王室はスンナ派)といったイスラム教シーア派の国に囲まれ、国家安全保障が課題であった。其の後、クウェートがサウジアラビアに続いた。
本書は、此の約3年に亘る、リチャード・ニクソンによる金本位制の廃止宣言とブレトン・ウッズ体制の崩壊を起点とする、G10のスミソニアン博物館での開催と米ドル切り下げ、米ドルのSDRに対する10%切り下げ、第22回ビルダーバーグ会議でのOPECの石油収入400%増シナリオと石油不足の作り出し方の議論、エジプト・シリアによるイスラエルへの奇襲とヘンリー・キッシンジャーが誘導した第4次中東戦争の勃発、OAPECの石油大臣会議での石油生産量削減決議とアメリカ・オランダへの原油供給停止、サウジアラビアの石油生産削減発表、欧米石油メジャー5社の供給削減通告、田中角栄とヘンリー・キッシンジャーの会談、二階堂進の中東和平に関する談話、三木武夫の中東8ヶ国歴訪と国王ファイサルとの会談、OAPECによる日本の特別待遇の決定、ヘンリー・キッシンジャーがサウジアラビア皇太子ファハド・ビン・アブドゥルアズィーズに原油輸出の全米ドル建てを要求したペトロダラー体制の確立に至るまで、キッシンジャーが起こしたオイルショックとペトロダラー体制構築の全過程を、年月日単位で記録した年表である。
登場人物
- ヘンリー・キッシンジャー 本書の中心人物。エジプト・シリアとイスラエル双方に外交ルートを有しており、西暦1,973年10月6日に勃発した第4次中東戦争に誘導した。同年11月15日に田中角栄と会談し、日本にアラブの味方をしないよう求めた。西暦1,974年10月には、サウジアラビア皇太子ファハド・ビン・アブドゥルアズィーズに対し、安全保障の確約と引き換えに原油輸出を全て米ドル建てで行う事を要求し、ペトロダラー体制の確立を主導した。
- リチャード・ニクソン アメリカ大統領。西暦1,971年8月15日にアメリカの金本位制の廃止を宣言し、金と米ドルの兌換を前提としたブレトン・ウッズ体制を崩壊させた。同時に90日間の賃金価格凍結や略全ての輸入品への10%の輸入関税等を実施し、米ドル安へと誘導した。
- 田中角栄 日本の首相。西暦1,973年11月15日、首相官邸でヘンリー・キッシンジャーと会談した。アラブの味方をしないよう求めるキッシンジャーに対し、日本が石油資源の99%を輸入し其の80%を中東から輸入している実情を挙げて反論し、アラブ主要国への特使派遣の準備を進めていると伝えた。
- 二階堂進 内閣官房長官。西暦1,973年11月22日に談話を発表し、武力による領土の獲得及び占領の不許可、西暦1,967年の戦争の全占領地からのイスラエル兵力の撤退、パレスチナ人の正当な権利の承認等の諸原則を示した上で、情勢次第ではイスラエルに対する政策を再検討せざるを得ないとした。
- 三木武夫 第4代環境庁長官。西暦1,973年12月10日から28日にかけて、アラブ首長国連邦・サウジアラビア・エジプト・クウェート・カタール・イラン・イラク等の中東8ヶ国を歴訪した。同月12日には第3代サウジアラビア国王ファイサルと会談し、日本がOAPECの石油戦略に基づく友好国扱いとなる様要請した。
- ファイサル 第3代サウジアラビア国王。西暦1,973年12月12日に三木武夫と会談し、西暦1,971年5月の訪日の好印象を語った。会談の途中、日本が友好国扱いでないのは本当かと同席者に尋ね、三木に「日本が困ることにならないよう最善を尽くす」と伝えた。会談直後、その伝言がエジプトのアンワル・アッ・サーダートに伝えられた。
- ファハド・ビン・アブドゥルアズィーズ サウジアラビア皇太子。西暦1,974年10月、ヘンリー・キッシンジャーから、アメリカによる安全保障の確約と引き換えにサウジアラビアの原油輸出を全て米ドル建てで行う事を要求され、此の条件を受け入れた。これによりペトロダラー体制(石油ドル本位制)が確立された。
- アンワル・アッ・サーダート 第3代エジプト大統領。西暦1,973年12月12日のファイサルと三木武夫の会談の終了直後、サウジアラビア王族1名がプライベートジェットでエジプトに飛び、ファイサルからの伝言が伝えられた。
- 片倉邦雄 西暦1,973年12月12日の三木武夫と第3代サウジアラビア国王ファイサルとの会談に、塩尻宏と共に通訳として同行した。
- 塩尻宏 西暦1,973年12月12日の三木武夫と第3代サウジアラビア国王ファイサルとの会談に、片倉邦雄と共に通訳として同行した。
主要な概念・組織
- ブレトン・ウッズ体制とニクソン・ショック 金約28g=35ドルでの金と米ドルの兌換を前提とした戦後の国際通貨体制。マーシャル・プランによるヨーロッパ復興での米ドルの流出や、ベトナム戦争の戦費による金の国外流出で前提が崩れ、西暦1,971年8月15日のリチャード・ニクソンによる金本位制廃止宣言(ニクソン・ショック)で崩壊し、各国は変動相場制へと移行した。
- スミソニアン協定とG10 西暦1,971年12月18日、アメリカ・イギリス・フランス・ドイツ・日本・イタリア・カナダ・オランダ・ベルギー・スウェーデンのG10(10ヶ国蔵相・中銀総裁会議)がスミソニアン博物館で開催され、米ドルを金約28g=38ドルの水準で切り下げて固定相場制へ復帰したもの。但し西暦1,973年2月12日の米ドルのSDRに対する10%切り下げにより、此の取り決めは崩壊した。
- ビルダーバーグ会議 西暦1,973年5月11日からの3日間、スウェーデンで開催された第22回会議。OPEC(石油輸出国機構)の石油収入が400%増となるシナリオが説明され、石油価格と米ドル価格上昇の為に如何に石油不足の状態を作り出すかが話し合われたとされる。
- 第4次中東戦争 西暦1,973年10月6日、エジプト・シリア両軍が、第三次中東戦争でイスラエルに占領されたシナイ半島の奪回を意図し、イスラエルに奇襲攻撃を仕掛けて勃発した戦争。エジプト・シリアとイスラエル双方に外交ルートを有していたヘンリー・キッシンジャーが戦争に誘導したとされ、オイルショックの引き金となった。
- OAPECの石油戦略 OAPEC(アラブ石油輸出国機構)による石油戦略。西暦1,973年10月17日、石油生産量を毎月削減し、敵対国であるアメリカとオランダへの原油供給を停止する事等が決議された。友好国には供給が保証され、同年12月25日には、三木武夫の歴訪等を受けて日本を石油の全般的削減措置の下に置かない特別待遇が決定された。
- ペトロダラー体制 石油ドル本位制とも呼ばれる体制。西暦1,974年10月、ヘンリー・キッシンジャーがサウジアラビア皇太子ファハド・ビン・アブドゥルアズィーズに、安全保障の確約と引き換えに原油輸出の全米ドル建てを要求し、サウジアラビアが受け入れた事で確立された。サウジアラビアは石油を米ドル建てで低価格且つ安定的に供給する事となり、其の後クウェートが続いた。
西暦1,971年のリチャード・ニクソンによる金本位制廃止宣言とブレトン・ウッズ体制の崩壊・変動相場制への移行・10%の輸入関税、G10のスミソニアン博物館での開催と米ドル切り下げ・固定相場制への復帰、西暦1,973年の米ドルのSDRに対する10%切り下げ、第22回ビルダーバーグ会議でのOPEC石油収入400%増シナリオと石油不足の作り出し方の議論、エジプト・シリアによるイスラエルへの奇襲とヘンリー・キッシンジャーが誘導した第4次中東戦争の勃発、OAPECの石油大臣会議での石油生産量削減決議とアメリカ・オランダへの原油供給停止、サウジアラビアの石油生産削減発表、欧米石油メジャー5社の供給削減通告、田中角栄とヘンリー・キッシンジャーの会談、二階堂進の中東和平に関する談話、三木武夫の中東8ヶ国歴訪と国王ファイサルとの会談・日本の友好国扱いの要請、OAPECによる日本の特別待遇の決定、西暦1,974年のヘンリー・キッシンジャーがサウジアラビア皇太子ファハド・ビン・アブドゥルアズィーズに原油輸出の米ドル建てを要求したペトロダラー体制の確立迄──
ニクソンの金本位制廃止宣言を起点に、ビルダーバーグ会議での石油不足シナリオ・キッシンジャーが誘導した第4次中東戦争・OAPECの石油戦略によるオイルショック・三木武夫の中東歴訪・ペトロダラー体制の確立に至った、キッシンジャーが起こしたオイルショックとペトロダラー体制構築の系譜を年月日単位で追跡した一冊。
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