電子書籍「ペンタゴンが主導した日本テレビ放送網設立一元化」の表紙

ペンタゴンが主導した
日本テレビ放送網設立
一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,924年2月〜1,954年12月3日
ページ数
11ページ
最新更新日
西暦2,026年7月22日

巣鴨拘置所の門を出た男が、テレビ局を建てた──
ペンタゴンとCIAが主導した日本テレビ放送網設立の三十年を一元化。

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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本書について

西暦1,924年2月、一人の男が新聞社を買った。買ったのは正力松太郎、資金は100,000円。其れは、警察官を退職した際の上司であった後藤新平が、自宅を抵当に入れて用立てた金であった。此の借金によって正力は読売新聞社を手に入れ、第7代社長の座に就く。本書は、此の買収を起点として、正力松太郎という一人の男が「日本テレビ放送網」を設立するに至る三十年間の全過程を、年月日単位で一元化した記録である。

敗戦は、其の男を一度、塀の内側へ送り込んだ。西暦1,945年12月2日、GHQは戦犯容疑で59名の逮捕を命じる。名簿には、梨本宮守正王・笹川良一・児玉誉士夫・平沼騏一郎・広田弘毅・大川周明・徳富蘇峰らと共に、正力松太郎の名が二番目に記されていた。翌西暦1,946年1月4日には公職追放処分を受ける。ところが西暦1,947年9月、正力は不起訴となり巣鴨拘置所から釈放された。CIAは正力に、エージェントとして働く事を約束させ、其れと引き換えに釈放したのである。此処から、放送は男の私業ではなくなった。

構想は、海の向こうから来た。西暦1,950年7月1日、アメリカ上院議員カール・ムントは、ダグラス・マッカーサーに対し、反共主義の促進を名目として世界中にテレビ放送ネットワークを建設する計画「ビジョン・オブ・アメリカ」の一環に、日本の放送システムを組み込む事を提案する。マッカーサーの返答は否であった。日本はサンフランシスコ講和会議以後に主権を取り戻す為、放送システムは日本に所有される事になるので無駄である、と。だが西暦1,951年4月11日、マッカーサーはハリー・S・トルーマンにより連合軍総司令官を解任され、彼が独自に築いていたスパイ網はCIAに引き継がれた。障害は取り除かれたのである。同年8月6日に正力の公職追放が解除され、8月13日にはムントが日本全土への総合通信網の民間資本建設を発表、9月4日、正力はムント同席の下で、1社で全国に直営局を置き、東京を中央局としてマイクロ波を用いた無線中継伝送網を構築するという計画を発表した。テレビ放送で使用しない周波数帯域は通信事業にも利用するという内容も盛り込まれ、其の為の資金と技術援助をアメリカから受ける約束も、既に取り付けられていた。

西暦1,952年、計画は具体的な金と免許の話に移る。3月6日、ヘンリー・ホールシューセンはアメリカ国務省に対し、アメリカからテレビ機器を輸入する日本企業から円を買い取ってドルを与え、運転資金を提供すべきだと申し出た。4月4日に此の申し出は断られたが、国務省はビジョン・オブ・アメリカ計画自体には興味があるとして説明会を要望し、4月14日、国務省国際放送課・FCC(連邦通信委員会)・連邦基準局・大統領通信関連諮問局の代表者を集めた説明会が開かれる。7月31日、正力は電波監理委員会から予備免許を付与された。そして10月28日、ペンタゴンと児玉誉士夫経由でのCIAの資金提供により「日本テレビ放送網」が設立される。アメリカ議会への説得工作を担ったバーク・ヒッケンルーパー・ジョン・スパークマン・エヴァレット・ダークセンの3名が掲げた論理は、アメリカ軍が日本本土で行う軍事作戦に関し、日本人が関心を持たず、警戒せず、無知で居続けて貰う為には、テレビで娯楽・スポーツ番組を大量に放送し、其方に気を反らす必要が有る、というものであった。更に正力は、ニューヨークのマーフィー・ダイカー・スミス&バーウェル法律事務所を経由して、アメリカ国防総省に対し、日本テレビ放送網を日本支配とアメリカの政策宣伝として用いる趣旨を伝え、ペンタゴンに協力を要請していた。

西暦1,953年、電波は現実に流れ始める。1月15日と22日、正力はホールシューセンに宛てて、吉田茂がアメリカの借款を条件にマイクロ回線網建設を電電公社に説得すると確約した事、必要ならば白洲次郎を特任大使としてアメリカへ派遣し力を貸すと言われた事を書き送った。3月には、元NHKニュース解説者の柴田秀利が、日本テレビが緊急に必要とする資金を日本輸出入銀行から引き出す為に渡米し、元OSS長官で弁護士のビル・ダナヴァンに10,000,000ドルの借款を要請する。4月15日、柴田はアメリカ対日協議会のウィリアム・リチャーズ・キャッスルからウォルター・ロバートソンを紹介された。其の際に柴田が語ったのは、正力は日本でやるテレビ放送を反共プロパガンダの牽引車にするつもりであり、賑やかな街角に大きなテレビ画面を設置して様々な反共番組を定期的に放送出来る、という青写真であった。キャッスルは感激したという。8月28日11時20分、日本テレビ放送網が本放送を開始する。

然し、通信網そのものは手に入らなかった。西暦1,953年6月、法律事務所のマーフィー・ダイカー・バーウェルがヒッケンルーパーにドル借款による財政支援を依頼すると、ヒッケンルーパーは怒り、非難した。9月には、1社での全国放送に拒否反応を示した新聞社69社が反対声明を出し、マイクロ回線を専用線として貸し出す方針であった電電公社も構想に反対する。11月6日、衆院議員原茂は衆議院電気通信委員会で、アメリカの借款による中継網はアメリカ軍の軍事通信網に供され日本全土が戦争に巻き込まれる、公共事業体が担うべきものである、正力の動機は日本のメディアを牛耳るという個人的野望に在る、という3点を挙げて反対を表明した。12月7日には正力の証人喚問が行われ、正力は回線網を所有はするが全て電電公社に貸し出し自らは通信事業をしないと釈明する。そして西暦1,954年12月3日、衆参両院の電気通信委員会が民間へのマイクロ回線業務を認可しないと決議し、西暦1,951年9月4日に発表された構想は頓挫した。読売新聞社の買収から此の決議迄、ペンタゴンが主導した日本テレビ放送網設立の三十年を、本書は一冊に束ねている。


登場人物

  • 正力松太郎 本書の中心人物。西暦1,924年2月、後藤新平が用立てた100,000円で読売新聞社を買収し、第7代社長に就任した。戦後はGHQの戦犯容疑逮捕命令と公職追放を受けたが、CIAにエージェントとして働く事を約束して巣鴨拘置所から釈放される。西暦1,951年9月4日にマイクロ波無線中継伝送網の構築計画を発表し、翌年、日本テレビ放送網を設立した。
  • 後藤新平 正力松太郎が警察官を退職した際の上司。西暦1,924年2月、自宅を抵当に入れて100,000円を用立て、正力の読売新聞社買収を可能にした。
  • ダグラス・マッカーサー 連合軍総司令官。西暦1,950年7月1日、カール・ムントからの日本への放送システム建設の提案に対し、日本はサンフランシスコ講和会議以後に主権を取り戻す為、放送システムは日本に所有される事になるので無駄であると返答した。西暦1,951年4月11日にハリー・S・トルーマンにより解任され、独自に築いていたスパイ網はCIAに引き継がれた。
  • カール・ムント アメリカ上院議員。反共主義の促進を名目に世界中でテレビ放送ネットワークを建設する計画「ビジョン・オブ・アメリカ」を推進し、西暦1,950年7月1日にマッカーサーへ日本への放送システム建設を提案。西暦1,951年8月13日には日本全土に総合通信網を民間資本で建設する事を発表し、9月4日の正力松太郎の計画発表にも同席した。
  • ハリー・S・トルーマン アメリカ大統領。西暦1,951年4月11日、ダグラス・マッカーサーを連合軍総司令官から解任した。
  • ヘンリー・ホールシューセン 西暦1,952年3月6日、アメリカ国務省に対し、アメリカからテレビ機器を輸入する日本企業から円を買い取りドルを与え運転資金を提供すべきだと申し出た人物。申し出は断られたが、4月14日には国務省国際放送課・FCC・連邦基準局・大統領通信関連諮問局の代表者を集めてビジョン・オブ・アメリカ計画の説明会を開催した。正力松太郎からの書簡の宛先でもある。
  • 児玉誉士夫 西暦1,945年12月2日のGHQによる戦犯容疑逮捕命令で名を挙げられた59名の一人。西暦1,952年10月28日、ペンタゴンと共に、CIAの資金提供の経路となり、日本テレビ放送網の設立を支えた。
  • バーク・ヒッケンルーパー アメリカ上院外交委員会海外プログラム小委員会委員長。日本テレビ放送網設立に向けたアメリカ議会への説得工作を展開した3名の一人。ただし西暦1,953年6月、マーフィー・ダイカー・バーウェルからドル借款による財政支援を依頼された際には、怒り、非難した。
  • ジョン・スパークマン アメリカ上院外交委員会の議員。テレビで娯楽・スポーツ番組を大量に放送し、アメリカ軍の軍事作戦から日本人の気を反らすという論理で、アメリカ議会への説得工作を展開した3名の一人。
  • エヴァレット・ダークセン アメリカ軍事委員会委員。日本テレビ放送網設立に向けたアメリカ議会への説得工作を展開した3名の一人。
  • 吉田茂 内閣総理大臣。西暦1,953年1月、アメリカが借款を出せばマイクロ回線網建設を電電公社に説得すると正力松太郎に確約し、必要ならば白洲次郎を特任大使としてアメリカへ派遣し力を貸すと述べた。
  • 白洲次郎 西暦1,953年1月、吉田茂が、マイクロ中継網の件で必要ならば特任大使としてアメリカへ派遣すると正力松太郎に伝えた人物。
  • 柴田秀利 元NHKニュース解説者。西暦1,953年3月、日本テレビが緊急に必要とする資金を日本輸出入銀行から引き出す為に渡米し、ビル・ダナヴァンに10,000,000ドルの借款を要請した。ウィリアム・リチャーズ・キャッスルに対しては、正力松太郎がテレビ放送を反共プロパガンダの牽引車にするつもりであると語り、感激させた。
  • ビル・ダナヴァン 元OSS長官の弁護士。西暦1,953年3月、柴田秀利からマイクロ回線網建設の為の10,000,000ドルの借款を要請された。
  • ウィリアム・リチャーズ・キャッスル アメリカ対日協議会の人物。西暦1,953年4月15日、書簡で柴田秀利にウォルター・ロバートソンを紹介した。
  • ウォルター・ロバートソン 西暦1,953年4月15日、ウィリアム・リチャーズ・キャッスルの書簡によって柴田秀利に紹介された人物。
  • マーフィー・ダイカー・バーウェル ニューヨークのマーフィー・ダイカー・スミス&バーウェル法律事務所の弁護士。西暦1,953年6月、バーク・ヒッケンルーパーに対し、正力松太郎の通信網建設計画及び日本テレビ放送網延長計画への上院外交委員会委員の支持と、ドル借款による財政支援を依頼した。
  • 原茂 衆院議員。西暦1,953年11月6日、衆議院電気通信委員会で、アメリカ軍の軍事通信網に供される危険・公共事業体が担うべきである事・正力松太郎の個人的野望という3点を挙げ、マイクロ中継網に反対する発言を行った。

日本テレビ放送網設立の系譜

  • 読売新聞社の買収 西暦1,924年2月、本書の起点。正力松太郎が、後藤新平が自宅を抵当に入れて用立てた100,000円を借り入れて読売新聞社を買収し、第7代社長に就任した。
  • GHQによる戦犯容疑59名の逮捕命令 西暦1,945年12月2日、GHQが梨本宮守正王・正力松太郎・笹川良一・児玉誉士夫・平沼騏一郎・広田弘毅ら59名の逮捕を命じた。翌年1月4日、正力松太郎は公職追放処分となる。
  • CIAエージェント化と引き換えの釈放 西暦1,947年9月、正力松太郎が不起訴となり巣鴨拘置所から釈放される。CIAは正力に、エージェントとして働く事を約束させ、其れと引き換えに釈放した。
  • ビジョン・オブ・アメリカ 反共主義の促進を名目に、世界中でテレビ放送ネットワークを建設し映像メディアを活用するというアメリカの計画。西暦1,950年7月1日にカール・ムントがマッカーサーへ日本への適用を提案したが断られ、西暦1,951年8月13日には日本全土への総合通信網の民間資本建設として改めて発表された。
  • マッカーサー解任とスパイ網のCIA継承 西暦1,951年4月11日、ダグラス・マッカーサーがハリー・S・トルーマンにより連合軍総司令官を解任され、マッカーサーが独自に築いていたスパイ網はCIAに引き継がれた。同年8月6日には正力松太郎の公職追放処分も解除される。
  • マイクロ波無線中継伝送網構築計画 西暦1,951年9月4日、正力松太郎がカール・ムント同席の下で発表した計画。1社で日本全国に直営局を置き、東京を中央局としてマイクロ波の無線中継伝送網を構築する。テレビ放送で使用しない周波数帯域は通信事業にも利用するとされ、アメリカからの資金と技術援助の約束も取り付けられていた。
  • アメリカ国務省への申し出と説明会 西暦1,952年3月6日、ヘンリー・ホールシューセンがアメリカ国務省へ運転資金提供を申し出るも4月4日に断られる。しかし国務省の要望により、4月14日に国務省国際放送課・FCC・連邦基準局・大統領通信関連諮問局の代表者を集めた説明会が開かれた。7月31日には正力松太郎が電波監理委員会から予備免許を付与される。
  • 日本テレビ放送網の設立 西暦1,952年10月28日、ペンタゴンと児玉誉士夫経由でのCIAの資金提供により設立。アメリカ議会への説得工作は、軍事作戦から日本人の気を反らす為に娯楽・スポーツ番組を大量に放送する必要が有るという論理で展開された。
  • マーフィー・ダイカー・スミス&バーウェル法律事務所 政界に強力なコネクションを持つニューヨークの法律事務所。正力松太郎は同事務所を経由して、日本テレビ放送網を日本支配とアメリカの政策宣伝として用いる趣旨をアメリカ国防総省へ伝え、ペンタゴンに協力を要請した。
  • 10,000,000ドルの借款要請 西暦1,953年3月、元NHKニュース解説者の柴田秀利が渡米し、元OSS長官で弁護士のビル・ダナヴァンにマイクロ回線網建設の為の借款を要請した。4月15日にはウィリアム・リチャーズ・キャッスルからウォルター・ロバートソンを紹介されている。
  • 日本テレビ放送網の本放送開始 西暦1,953年8月28日11時20分、日本テレビ放送網が本放送を開始した。
  • 新聞社69社と電電公社の反対 西暦1,953年9月、日本テレビ放送網1社で全国放送を行う事に拒否反応を示した新聞社69社が反対声明を出し、マイクロ回線を専用線として貸し出す方針であった電電公社も正力松太郎の構想に反対した。11月6日には衆院議員原茂が衆議院電気通信委員会で反対発言を行い、12月7日には正力の証人喚問が行われる。
  • 民間マイクロ回線業務の非認可決議 西暦1,954年12月3日、衆参両院の電気通信委員会が民間へのマイクロ回線業務を認可しないとする決議を行った。これにより、西暦1,951年9月4日に正力松太郎が発表したマイクロ波無線中継伝送網の構築計画は頓挫した。本書の終点。

読売新聞社の買収から、マイクロ回線網の頓挫まで──
ペンタゴンが主導した日本テレビ放送網設立の全過程を一元化。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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