アドルフ・ヒトラーの父方の祖父は
ザーロモン・メイヤー・フォン・ロスチャイルド一元化
ザーロモン・メイヤー・フォン・ロスチャイルド邸の家政婦の部屋、ストロネスの病院、シュピタルの農場、ウィーンの靴職人の工房、オーストリア帝国大蔵省の門、ヴァイトラの公証人事務所、ドーレスハイムの教区登録簿、ブラウナウ・アム・インのザルツブルガー・フォルシュタット216番地のポマー家ガストホフ──
ザーロモン・メイヤー・フォン・ロスチャイルドの家政婦マリア・アンナ・シックルグルーバーの懐妊と口止めから、アロイス・シックルグルーバーの出産、ヨハン・ネポムク・ヒュットラーへの預け、オーストリア帝国官吏への昇進、公証人ヨーゼフ・ペンクナーと司祭ヨーゼフ・ツァーンシルムの下での違法な改姓と父親登録、文盲の3名の証人による嫡出子認定、レオ13世の承認を経たクララ・ヒュットラーとの結婚、ヨハン・ネポムク・ヒュットラーの遺産相続、アドルフ・ヒトラー生誕迄、ロスチャイルド家とヒトラー家の血統と改姓工作の52年間の系譜を年月日単位で追跡した一冊。
JPY 200(税込)
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西暦1,837年6月、ザーロモン・メイヤー・フォン・ロスチャイルドの下で家政婦として働いていたマリア・アンナ・シックルグルーバーが、ロスチャイルドの子供を身籠った。シックルグルーバーから其の事実を聞いたロスチャイルドは、即日シックルグルーバーに口止めとして金銭を渡し、シックルグルーバーの故郷ストロネス(現在のオーストリアのニーダーエスターライヒ州ツヴェットル郡)の病院に送った。同年6月7日、マリア・アンナ・シックルグルーバーは、ストロネスにて、アロイス・ヒトラーを出産した。アロイスは、母親の名に因み、アロイス・シックルグルーバーと名乗った。本書は、此のアロイス・シックルグルーバー出生の真相から、違法な改姓・父親登録、レオ13世の承認を経たクララ・ヒュットラーとの結婚、ブラウナウ・アム・インでのアドルフ・ヒトラー生誕迄、52年間に亘る系譜を、一本の時系列に貫き、一元化した一冊である。
西暦1,842年5月10日、貧しい放浪農夫で製粉職人見習いのヨハン・ゲオルク・ヒードラーとマリア・アンナ・シックルグルーバーが結婚した。しかし、アロイス・シックルグルーバーは養子にはされず、シックルグルーバー姓を維持した。軈てアロイスは、比較的裕福な農家でシュピタル(現在のオーストリアのニーダーエスターライヒ州グミュント郡)に農場を持つ、ヒードラーの弟のヨハン・ネポムク・ヒュットラーの下に預けられた。アロイスは、ヒュットラーに実子の様に可愛がられた。ヒュットラーもヒードラーもヒトラーも何れも「小さな農地の所有者」を意味する一般的な姓で、綴りはHydler、Hytler、Huetler、Hietler、Hüetler、Hietlerのバリエーションが存在する。西暦1,847年1月7日、マリア・アンナ・シックルグルーバーが死去した。西暦1,851年、アロイス・シックルグルーバーは、ヨハン・ネポムク・ヒュットラーの下を離れ、ウィーンにて靴職人の見習いとして働き始めた。其れ以前からシュピタルの靴職人の下で靴作りを教わっていたシックルグルーバーは、約5年間働いた。
西暦1,855年、アロイス・シックルグルーバーが、オーストリア帝国大蔵省の守衛となった。西暦1,857年2月9日、ヨハン・ゲオルク・ヒードラーが、シュピタルにて、親族に見守られて死去した。西暦1,868年、アロイス・シックルグルーバーが、オーストリア帝国の官吏となった。西暦1,873年、アロイス・シックルグルーバーは、アンナ・グラスル・ヘーラーと結婚した。ヘーラーの父は国家公務員として高い地位にあった。ヘーラーは病弱であった為、シックルグルーバーは、ヘーラーを助ける為に、自身の住んでいたブラウナウ・アム・イン(現在のオーストリアのオーバーエスターライヒ州)にヨハン・ネポムク・ヒュットラーの孫娘クララ・ヒュットラーを呼び寄せた。其の後シックルグルーバーは、フランツィスカ・マッツェルベルガーと関係を持つ様になった。
西暦1,876年6月6日、アロイス・シックルグルーバーが、ヨハン・ネポムク・ヒュットラーと共にヴァイトラ(現在のオーストリアのニーダーエスターライヒ州グミュント郡)に赴き、公証人ヨーゼフ・ペンクナーの下で、ヒュットラーとヨハン・ゲオルク・ヒードラーの名に因み、アロイス・ヒトラーへと違法な改姓を行った。其の際ヒュットラーは、ヒードラーが極度の貧困の為子供を養う事が出来ず、自身がシックルグルーバーを引き取ったと宣言した。翌6月7日、アロイス・シックルグルーバーは、ドーレスハイム(現在のオーストリアのニーダーエスターライヒ州ツヴェットル郡)の司祭ヨーゼフ・ツァーンシルムの下で、ヨハン・ゲオルク・ヒードラーを父親として登録する、違法な手続きを行った。此の時点でヒードラーもマリア・アンナ・シックルグルーバーも既に死去しており、証人となる人物が誰も存在していなかった。証人として立てられたのは、ヒードラーと面識の無い文盲の3名(西暦1,853年1月25日にヨハン・ネポムク・ヒュットラーの娘ヴァルブルガと結婚したヨゼフ・ロメダー、ヨハン・ブライテンダー、エンゲルベルト・パウク)であった。
西暦1,877年1月6日、アロイス・シックルグルーバーが嫡出子として認められ、ヨーゼフ・ツァーンシルムが教区登録簿のシックルグルーバーの氏名を「アロイス・ヒトラー」に改名した。又ツァーンシルムは、洗礼証明書の詳細を「カトリック・男性・非嫡出子」から、父親の名前を、ヒードラーの異形として「ヨハン・ゲオルク・ヒトラー」へと変更した。西暦1,880年、アロイス・ヒトラーとアンナ・グラスル・ヘーラーが合意により別居した。しかし、カトリックの教会法により、離婚が認められていない為、シックルグルーバーとフランツィスカ・マッツェルベルガーは結婚出来なかった。クララ・ヒュットラーは、シュピタルに戻った。西暦1,883年4月6日、アンナ・グラスル・ヘーラーが死去した。同年5月18日、アロイス・ヒトラーは、フランツィスカ・マッツェルベルガーと結婚した。
西暦1,884年、フランツィスカ・マッツェルベルガーが結核を患った。アロイス・ヒトラーは、再度クララ・ヒュットラーに助けを求め、マッツェルベルガーとの間に産まれた2名の子供の世話をブラウナウ・アム・インにて行って貰った。同年8月10日、フランツィスカ・マッツェルベルガーが死去した。其の後アロイス・ヒトラーは、クララ・ヒュットラーに結婚を申し込んだ。此の結婚にはヨハン・ネポムク・ヒュットラーとクララの母ヨハンナ・ヒードラーも賛成した。西暦1,885年1月7日、アロイス・ヒトラーとクララ・ヒュットラーが結婚した。此の結婚に至る迄、かなりの官僚的手続が必要であった。最終的にはレオ13世が承認し、結婚に至った。西暦1,887年、アロイス・ヒトラーが、地元の公証人及び教会に対し「私はヨハン・ゲオルク・ヒードラーの実子である」とする書類を提出した。
西暦1,888年9月17日、ヨハン・ネポムク・ヒュットラーが死去した。ヒュットラーの遺産の大部分はアロイス・ヒトラーが引き継いだ。西暦1,889年4月20日、アロイス・ヒトラーとクララ・ヒュットラーの間に、アドルフ・ヒトラーが、ブラウナウ・アム・インのザルツブルガー・フォルシュタット216番地のポマー家の経営するガストホフ(ゲストハウス)にて生誕した。アロイスにとっては第6子、ヒュットラーにとっては第4子に当たる。本書は、此の52年に亘る、ザーロモン・メイヤー・フォン・ロスチャイルドの家政婦マリア・アンナ・シックルグルーバーの懐妊から、アロイス・シックルグルーバーの出産、違法な改姓と父親登録、レオ13世の承認を経たクララ・ヒュットラーとの結婚、ヨハン・ネポムク・ヒュットラーの遺産相続、アドルフ・ヒトラー生誕迄、ロスチャイルド家とヒトラー家の血統と改姓工作の系譜の全過程を、年月日単位で記録した年表である。
登場人物
- ザーロモン・メイヤー・フォン・ロスチャイルド オーストリア・ロスチャイルド家の当主。西暦1,837年6月、其の下で家政婦として働いていたマリア・アンナ・シックルグルーバーが、ロスチャイルドの子供を身籠った。シックルグルーバーから其の事実を聞いたロスチャイルドは、即日シックルグルーバーに口止めとして金銭を渡し、シックルグルーバーの故郷ストロネス(現在のオーストリアのニーダーエスターライヒ州ツヴェットル郡)の病院に送った。アドルフ・ヒトラーの父方の祖父に当たる。
- マリア・アンナ・シックルグルーバー ザーロモン・メイヤー・フォン・ロスチャイルドの下で家政婦として働いていた女性。西暦1,837年6月にロスチャイルドの子供を身籠り、口止め料を受け取りストロネスへ送られた。同年6月7日、ストロネスにてアロイス・ヒトラー(出生時はアロイス・シックルグルーバー)を出産した。西暦1,842年5月10日にヨハン・ゲオルク・ヒードラーと結婚し、西暦1,847年1月7日に死去した。
- アロイス・ヒトラー アドルフ・ヒトラーの父。西暦1,837年6月7日、マリア・アンナ・シックルグルーバーの子としてストロネスにて出生し、当初はアロイス・シックルグルーバーと名乗った。ヨハン・ネポムク・ヒュットラーの下で育てられ、ウィーンで靴職人見習いを経て、西暦1,855年にオーストリア帝国大蔵省の守衛、西暦1,868年に同帝国官吏となった。西暦1,873年にアンナ・グラスル・ヘーラーと結婚。西暦1,876年6月6日にヴァイトラの公証人ヨーゼフ・ペンクナーの下で違法な改姓を行い、翌6月7日にドーレスハイムの司祭ヨーゼフ・ツァーンシルムの下で違法な父親登録を行った。西暦1,883年5月18日にフランツィスカ・マッツェルベルガー、西暦1,885年1月7日にクララ・ヒュットラーと結婚した。
- ヨハン・ゲオルク・ヒードラー 貧しい放浪農夫で製粉職人見習い。西暦1,842年5月10日、マリア・アンナ・シックルグルーバーと結婚するも、アロイス・シックルグルーバーは養子にせず、シックルグルーバー姓を維持させた。西暦1,857年2月9日、シュピタルにて親族に見守られて死去した。西暦1,876年6月7日、死後にアロイスの違法な父親登録の対象とされた。
- ヨハン・ネポムク・ヒュットラー ヨハン・ゲオルク・ヒードラーの弟。比較的裕福な農家で、シュピタル(現在のオーストリアのニーダーエスターライヒ州グミュント郡)に農場を持っていた。マリア・アンナ・シックルグルーバーの結婚後、アロイス・シックルグルーバーを実子の様に可愛がって育てた。西暦1,876年6月6日のアロイスのヴァイトラでの違法な改姓に同行し、ヒードラーが極度の貧困の為子供を養う事が出来ず自身がシックルグルーバーを引き取ったと宣言した。西暦1,888年9月17日に死去し、其の遺産の大部分はアロイス・ヒトラーが引き継いだ。
- アンナ・グラスル・ヘーラー アロイス・シックルグルーバーの最初の妻。父は国家公務員として高い地位にあった。病弱であった為、夫はクララ・ヒュットラーをブラウナウ・アム・インに呼び寄せ、ヘーラーを助けさせた。西暦1,880年に夫と合意により別居し、西暦1,883年4月6日に死去した。
- フランツィスカ・マッツェルベルガー アロイス・シックルグルーバーが、最初の妻アンナ・グラスル・ヘーラーとの結婚中に関係を持ち始めた女性。ヘーラーとの別居後もカトリック教会法により離婚が認められず結婚出来なかったが、西暦1,883年4月6日のヘーラー死去を経て、同年5月18日にアロイス・ヒトラーと結婚した。西暦1,884年に結核を患い、同年8月10日に死去した。
- クララ・ヒュットラー ヨハン・ネポムク・ヒュットラーの孫娘でアドルフ・ヒトラーの母。西暦1,873年、アロイス・シックルグルーバーが病弱な妻アンナ・グラスル・ヘーラーを助ける為にブラウナウ・アム・インに呼び寄せた。西暦1,884年にフランツィスカ・マッツェルベルガーの子供2名の世話をブラウナウ・アム・インで行い、マッツェルベルガー死去後の同年8月以降にアロイス・ヒトラーから結婚を申し込まれた。西暦1,885年1月7日、レオ13世の承認を経てアロイス・ヒトラーと結婚した。
- ヨハンナ・ヒードラー クララ・ヒュットラーの母。西暦1,884年8月10日のフランツィスカ・マッツェルベルガー死去後、アロイス・ヒトラーとクララ・ヒュットラーの結婚に、ヨハン・ネポムク・ヒュットラーと共に賛成した。
- ヨーゼフ・ペンクナー ヴァイトラ(現在のオーストリアのニーダーエスターライヒ州グミュント郡)の公証人。西暦1,876年6月6日、アロイス・シックルグルーバーとヨハン・ネポムク・ヒュットラーが訪れ、其の下でアロイス・ヒトラーへの違法な改姓が行われた。
- ヨーゼフ・ツァーンシルム ドーレスハイム(現在のオーストリアのニーダーエスターライヒ州ツヴェットル郡)の司祭。西暦1,876年6月7日、アロイス・シックルグルーバーがヨハン・ゲオルク・ヒードラーを父親として登録する違法な手続きを其の下で行った。西暦1,877年1月6日、教区登録簿のシックルグルーバーの氏名を「アロイス・ヒトラー」に改名し、洗礼証明書の詳細を「カトリック・男性・非嫡出子」から、父親の名前をヒードラーの異形として「ヨハン・ゲオルク・ヒトラー」へと変更した。
- ヨゼフ・ロメダー ヨハン・ネポムク・ヒュットラーの娘ヴァルブルガと西暦1,853年1月25日に結婚した人物。西暦1,876年6月7日、ドーレスハイムでのアロイスの違法な父親登録の証人として立てられた。ヒードラーとは面識が無く、文盲であった。
- ヨハン・ブライテンダー 西暦1,876年6月7日、ドーレスハイムでのアロイスの違法な父親登録の証人として立てられた人物。ヒードラーとは面識が無く、文盲であった。
- エンゲルベルト・パウク 西暦1,876年6月7日、ドーレスハイムでのアロイスの違法な父親登録の証人として立てられた人物。ヒードラーとは面識が無く、文盲であった。
- レオ13世 第256代ローマ教皇。西暦1,885年1月7日のアロイス・ヒトラーとクララ・ヒュットラーの結婚を承認した人物。此の結婚に至る迄、かなりの官僚的手続が必要であった。
- アドルフ・ヒトラー 西暦1,889年4月20日、ブラウナウ・アム・インのザルツブルガー・フォルシュタット216番地のポマー家の経営するガストホフ(ゲストハウス)にて、アロイス・ヒトラーとクララ・ヒュットラーの間に生誕した人物。アロイスにとっては第6子、クララにとっては第4子に当たる。父方の祖父はザーロモン・メイヤー・フォン・ロスチャイルドである。
主要な概念・組織
- ストロネス 現在のオーストリアのニーダーエスターライヒ州ツヴェットル郡。マリア・アンナ・シックルグルーバーの故郷で、西暦1,837年6月にザーロモン・メイヤー・フォン・ロスチャイルドの子を身籠ったシックルグルーバーが、口止め料を受け取り送り込まれた病院があった土地。同年6月7日、其の病院でアロイス・シックルグルーバー(後のアロイス・ヒトラー)が出生した。
- シュピタル 現在のオーストリアのニーダーエスターライヒ州グミュント郡。ヨハン・ネポムク・ヒュットラーが農場を持つ土地で、幼少期のアロイス・シックルグルーバーが預けられ、実子の様に育てられた場所。アロイスは其の以前から此処の靴職人の下で靴作りを教わっていた。西暦1,857年2月9日、ヨハン・ゲオルク・ヒードラーが此処で親族に見守られて死去した。
- ブラウナウ・アム・イン 現在のオーストリアのオーバーエスターライヒ州。西暦1,873年のアンナ・グラスル・ヘーラーとの結婚以降、アロイス・シックルグルーバー(ヒトラー)が住んだ土地。西暦1,889年4月20日、ザルツブルガー・フォルシュタット216番地のポマー家ガストホフにてアドルフ・ヒトラーが生誕した。
- オーストリア帝国大蔵省 アロイス・シックルグルーバーが西暦1,855年に守衛となった官庁。其れから13年後の西暦1,868年、シックルグルーバーは同帝国の官吏となった。
- ヴァイトラ 現在のオーストリアのニーダーエスターライヒ州グミュント郡。西暦1,876年6月6日、アロイス・シックルグルーバーがヨハン・ネポムク・ヒュットラーと共に赴き、公証人ヨーゼフ・ペンクナーの下で、アロイス・ヒトラーへの違法な改姓を行った土地。
- ドーレスハイム 現在のオーストリアのニーダーエスターライヒ州ツヴェットル郡。西暦1,876年6月7日、アロイス・シックルグルーバーが司祭ヨーゼフ・ツァーンシルムの下で、ヨハン・ゲオルク・ヒードラーを父親として登録する違法な手続きを行った土地。西暦1,877年1月6日には、教区登録簿の氏名が「アロイス・ヒトラー」に改名され、洗礼証明書の父親の名前が「ヨハン・ゲオルク・ヒトラー」へと変更された。
- 違法な改姓 西暦1,876年6月6日、アロイス・シックルグルーバーがヴァイトラの公証人ヨーゼフ・ペンクナーの下で行った改姓。ヨハン・ネポムク・ヒュットラーとヨハン・ゲオルク・ヒードラーの名に因み「アロイス・ヒトラー」と名乗る事になった。其の際ヒュットラーは、ヒードラーが極度の貧困の為子供を養う事が出来ず、自身がシックルグルーバーを引き取ったと宣言した。
- 違法な父親登録 西暦1,876年6月7日、アロイス・シックルグルーバーがドーレスハイムの司祭ヨーゼフ・ツァーンシルムの下で、ヨハン・ゲオルク・ヒードラーを父親として登録した手続き。此の時点でヒードラーもマリア・アンナ・シックルグルーバーも既に死去しており、証人となる人物が誰も存在していなかった。証人として立てられたのは、ヒードラーと面識の無い文盲のヨゼフ・ロメダー、ヨハン・ブライテンダー、エンゲルベルト・パウクの3名であった。
- 嫡出子認定 西暦1,877年1月6日、アロイス・シックルグルーバーが嫡出子として認められた手続き。司祭ヨーゼフ・ツァーンシルムが教区登録簿のシックルグルーバーの氏名を「アロイス・ヒトラー」に改名し、洗礼証明書の詳細を「カトリック・男性・非嫡出子」から、父親の名前をヒードラーの異形として「ヨハン・ゲオルク・ヒトラー」へと変更した。
- カトリック教会法 離婚を認めないカトリック教会の法。西暦1,880年、アロイス・ヒトラーとアンナ・グラスル・ヘーラーが合意により別居した後も、此の法により、シックルグルーバーとフランツィスカ・マッツェルベルガーは結婚出来なかった。西暦1,883年4月6日のヘーラー死去を経て、漸く同年5月18日にマッツェルベルガーとの結婚が実現した。
- ヒトラー姓の異形 ヒュットラー(Hüttler)、ヒードラー(Hiedler)、ヒトラー(Hitler)は何れも「小さな農地の所有者」を意味する一般的な姓で、Hydler、Hytler、Huetler、Hietler、Hüetler、Hietlerの綴りバリエーションが存在する。司祭ヨーゼフ・ツァーンシルムは、西暦1,877年1月6日の嫡出子認定の際に、ヒードラーの異形として「ヨハン・ゲオルク・ヒトラー」を父親の名前として洗礼証明書に登録した。
- ポマー家のガストホフ ブラウナウ・アム・インのザルツブルガー・フォルシュタット216番地にあった、ポマー家の経営するガストホフ(ゲストハウス)。西暦1,889年4月20日、此処でアロイス・ヒトラーとクララ・ヒュットラーの間にアドルフ・ヒトラーが生誕した。
- ヒュットラーの遺産 西暦1,888年9月17日に死去したヨハン・ネポムク・ヒュットラーが遺した財産。其の大部分はアロイス・ヒトラーが引き継いだ。アドルフ・ヒトラー生誕の7か月前の出来事であった。
ザーロモン・メイヤー・フォン・ロスチャイルドの家政婦マリア・アンナ・シックルグルーバーの懐妊と口止めから、ストロネスでのアロイス・シックルグルーバー出産、ヨハン・ネポムク・ヒュットラーへの預け、ウィーンでの靴職人見習い、オーストリア帝国大蔵省守衛から官吏への昇進、公証人ヨーゼフ・ペンクナーの下での違法な改姓、司祭ヨーゼフ・ツァーンシルムの下での違法な父親登録、文盲の3名の証人による嫡出子認定、レオ13世の承認を経たクララ・ヒュットラーとの結婚、ヨハン・ネポムク・ヒュットラーの遺産相続、ブラウナウ・アム・インのポマー家ガストホフでのアドルフ・ヒトラー生誕迄──
ロスチャイルド家とヒトラー家の血統と改姓工作の52年間の系譜を年月日単位で追跡した一冊。
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