ノーベル賞はディープステート賞である一元化
サンクトペテルブルクのノーベル・フィルズ鋳物・機械工場、パリのテオフィル・ジュール・ペルーズの研究所、ヘレネボリ工場の爆発した小屋、ヴィンテルヴィーケンのニトログリセリンAB社、バクーのビビ・エイバート油田、世界初の石油タンカー「ゾロアスター号」、トランスコーカサス鉄道、サンレーモのノーベル邸、スウェーデン王立音楽アカデミーの大ホール──
イマヌエル・ノーベルのサンクトペテルブルク移住とクリミア戦争での兵器生産から、アルフレッド・ノーベルのニトログリセリン研究とダイナマイト特許取得、ノーベル兄弟産油会社とフランス・ロスチャイルド商会の協力による石油・武器販売、ベルタ・フォン・ズットナーの助言、3番目の遺言での5分野の賞創設、第1回ノーベル賞授賞式、フォルケ・ヘンシェンの証言迄、ノーベル賞がロスチャイルド家と共謀した武器商人アルフレッド・ノーベルの遺産から創設された138年間の系譜を年月日単位で追跡した一冊。
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本書について
西暦1,838年、イマヌエル・ノーベルが、家族をストックホルムに残し、単身サンクトペテルブルクに移った。建築資材を積んだ艀船の損失による様々な事業の失敗の結果、ノーベルは破産していたが、サンクトペテルブルクでは工作機械と爆薬の製造会社を設立し事業に成功し、ノーベル家は裕福になった。ノーベルは、現代の合板の製造を可能にするベニヤ旋盤を発明し、海軍の地雷の開発に取り組んだ。西暦1,842年に妻アンドリエッテ、長男ロバート、弐男ルートヴィヒ、参男アルフレッドがサンクトペテルブルクに合流し、西暦1,843年から西暦1,850年迄、3兄弟は家庭教師の指導を受けた。アルフレッドは特に化学と語学に優秀で、英語・フランス語・ドイツ語・ロシア語・イタリア語を流暢に話せる様になった。西暦1,848年からは、サンクトペテルブルク医科外科アカデミーの化学教授ニコライ・ジーニンがアルフレッドの指導を行った。本書は、此のノーベル家のサンクトペテルブルク移住から、アルフレッド・ノーベルのニトログリセリン研究、ノーベル家とロスチャイルド家の石油・武器販売の協力、ノーベル賞創設、第1回ノーベル賞授賞式、フォルケ・ヘンシェンの証言迄、138年間に亘る系譜を、一本の時系列に貫き、一元化した一冊である。
西暦1,850年、アルフレッド・ノーベルはパリへ渡り、フランス貨幣委員会会長で実験的な学校兼研究所を設立したテオフィル・ジュール・ペルーズの助手アスカニオ・ソブレロと出会った。ソブレロは西暦1,840年代の爆発性油事故で顔が傷だらけであり、従来の火薬より遥かに強力なニトログリセリンの使用に強く反対していたが、ノーベルは商業的に使用可能な爆薬として制御し活用する方法に興味を持った。西暦1,851年にはアメリカへ留学し、機械技師ジョン・エリクソンの下で働いた。西暦1,853年10月5日、クリミア戦争が勃発し、イマヌエル・ノーベルが設立した「ノーベル・フィルズ鋳物・機械工場」はクリミア戦争向けの兵器を生産し、大きな利益を叩き出した。しかし西暦1,856年3月30日の終戦により武器契約はキャンセルされ、ロシア国内向け兵器生産では需要が少なく、イマヌエルは全財産を失い破産申請した。西暦1,859年、イマヌエルは工場の管理をルートヴィヒに任せ、自身と妻、アルフレッドはストックホルムに戻ったが、アルフレッドは両親と行動を共にせず、ロシア帝国に留まりニトログリセリンの安全な製造と使用の研究に邁進した。西暦1,862年、ノーベル・フィルズ鋳物・機械工場は債権者によって売却された。
西暦1,863年、アルフレッド・ノーベルがストックホルムに戻り、火薬を使用してニトログリセリンを意図的に爆発させる起爆装置を発明した。同年10月14日、「ニトログリセリンの調製方法」のスウェーデンの特許を取得した。西暦1,864年9月3日、ヘレネボリ工場(スウェーデンのストックホルム県)のニトログリセリン準備用小屋が爆発し、四男エミール・ノーベルを含む5名が死亡した。爆発物の製造免許を剥奪されたアルフレッドは、より孤立した場所で作業を続ける為、ヴィンテルヴィーケンに「ニトログリセリンAB社」を設立した。西暦1,865年、爆発の起爆に水銀を使う方法を発明・特許化し、ストックホルムとハンブルクにニトログリセリン製造工場を建設、ゲーストハッハト(現在のドイツのシュレースヴィヒ・ホルシュタイン州)に住み始めた。西暦1,866年にはアメリカを訪れ、ニューヨーク州とカリフォルニア州サンフランシスコに工場を建設した。西暦1,867年11月25日、アルフレッド・ノーベルがダイナマイトの特許を取得した。西暦1,868年5月26日、ニトログリセリンと珪質泥・トリポリ・ロットンストーン等の非爆発性多孔質物質を混合し輸送・保管・使用の安全性を向上させる特許(US78317A)を取得した。重量の75%がニトログリセリン、25%がロットンストーンという組成が理想であった。此の技術は、鉱業や交通網の建設に於いて世界中で使用された。
西暦1,870年、アルフレッド・ノーベルが本社と研究所をパリに移し、ニトログリセリン以外の爆薬の開発に注力した。西暦1,873年、ゲーストハッハトからパリ16区のマラコフ通りに引っ越した。プロテスタントのルター派であったノーベルは、ウプサラ大学の教会に定期的に通い、司祭ナータン・セーデルブロムの指導を受けていた。同年3月、ロバート・ノーベルがバクーを訪れ、ビビ・エイバート油田及び製油所を購入し、石油事業を開始した。西暦1,875年、ロバートはバラハニ油田を購入。同年、アルフレッドはコロジオン綿をニトログリセリンに溶かし木材パルプと硝石を混ぜたプラスチック爆薬「ゼリグナイト」を発明した。西暦1,876年、ロバート・ノーベル(25,000ルーブル)・ピーター・フォン・ビルダーリング男爵(300,000ルーブル)・スタンダートスキョルド男爵(150,000ルーブル)の共同出資によりバクーに石油の蒸留所が設立された。又ルートヴィヒ・ノーベルが石油事業に参加し、バラハニ油田から製油所までの15kmに及ぶパイプラインを敷設し、世界初の石油タンカー方式を考案してスウェーデンの造船会社に発注した。同年、ベルタ・フォン・ズットナーがアルフレッド・ノーベルの秘書兼家政婦として働き始め、アルトゥール・グンダッカー・フォン・ズットナーとの結婚で短期間で去ったが、其の後もノーベルが死去する迄文通を続け、ノーベル平和賞創設に関する助言をした。同年、ノーベルはバーデン(現在のオーストリアのニーダーエスターライヒ州)で花屋で働いていたキリスト教改宗ユダヤ人ソフィア・ヘスと出会い、其の後も経済的支援を続けた。
西暦1,878年、ルートヴィヒ・ノーベルが発注した世界初の石油タンカー船「ゾロアスター号」が完成した。西暦1,879年5月18日、ロバート・ノーベルがルートヴィヒ・ノーベルと共に「ノーベル兄弟産油会社」をサンクトペテルブルクに本社を置く持株会社として設立した。株式資本はルートヴィヒ・ノーベル53.7%、ピーター・フォン・ビルダーリング男爵31%、I.J.ザベルスキフ4.7%、アルフレッド・ノーベル3.8%、ロバート・ノーベル3.3%、アレクサンドル・フォン・ビルダーリング男爵1.7%に分割された。西暦1,883年、フランス・ロスチャイルド商会が出資していたバクーからコーカサス山中を縦断しバトゥミに至る「トランスコーカサス鉄道」が完成し、アルフォンス・ド・ロスチャイルド等によりバクー-バトゥミ間の石油パイプライン設置が検討され始めた。同年5月16日、アルフォンス・ド・ロスチャイルドがトランスコーカサス鉄道への融資と引き換えにバクーの石油権益を獲得し「カスピ海・黒海石油産業貿易会社」を設立した。6,000,000ルーブルと25,000,000フランの初期資本をロシア帝国の金庫に納め、アドリア海沿岸の自らの製油所に石油を送り始め、135社の小規模製油業者から灯油を買い取り、ロシア灯油の最大輸出業者となった。バクー→アントウェルペン、バクー→ロンドンの輸送ルートを構築し、バクー・パリ・サンクトペテルブルクの3箇所で石油情報を収集した。
西暦1,884年、アルフレッド・ノーベルがスウェーデン王立科学アカデミーの会員に選出された。西暦1,887年、窒素量約12%のニトロセルロースとニトログリセリンを混ぜた無煙でゆっくり燃える火薬「バリスタイト」を発明し、軍事用途で使われた。西暦1,890年、バクー油田の約144の製油工場で扱われていた軽質原油の総量835,380tの内、3/4を13工場だけで生産し、其の内ノーベル兄弟産油会社が293,202t、フランス・ロスチャイルド商会が76,986tを占め、ノーベル家とロスチャイルド家は協力して石油を売り捌いて行った。西暦1,891年、ノーベルはパリからサンレーモ(イタリア)に引っ越した。イタリア軍がバリスタイトを使用した事により大逆罪で告発され、パリに住み辛くなった事が理由であった。西暦1,893年、ウプサラ大学から名誉博士号を授与された。西暦1,894年、ノーベルはロスチャイルド家からノーベル兄弟産油会社経由で資金提供を受け、武器製造業に進出した。以降ノーベル家とロスチャイルド家は協力し合って武器を売り捌いて行った。当時ロスチャイルド家は、ヨーロッパの銃器製造の大手であったアームストロング社・シュネーデル社も手中に収めていた。
西暦1,895年11月27日、アルフレッド・ノーベルが3番目にして最後の遺言で、物理学・化学・生理学/医学・文学・平和の5分野に於ける賞に自分の財産を充てる事を宣言し、家族に内緒で財産の大半を信託に預けた。ノーベルは此の時には既に狭心症を発症しており、愛人ヘスには、絶え間ない体の痛み・重度の偏頭痛・麻痺する程の疲労を訴える書簡を送っており、鬱病も抱える等、健康状態に問題が有った。西暦1,896年12月10日、アルフレッド・ノーベルが脳卒中・脳内出血により半身不随となり、サンレーモにて死去した。ノーラ墓地(スウェーデンのストックホルム県ソルナ)に埋葬された。西暦1,898年、アルフォンス・ド・ロスチャイルドが「マズット貿易・輸送会社」を設立し、カスピ海・黒海石油産業貿易会社のニジニ・ノヴゴロド・サマーラ・ツァリーツィン・アストラハン・リガ・ヴィーツェプスク・ワルシャワの支店に石油製品の納入を開始した。其の後カスピ海だけで13隻のタンカーを保有する最大の石油輸出組合へと成長した。西暦1,900年迄に、ロシア帝国内の全石油工場の約10%に当たる7系列が、灯油の累積総生産量368,550,000tの約68%を占め、其の筆頭はノーベル兄弟産油会社の175,266,000tであった。
西暦1,901年12月10日、第1回ノーベル賞授賞式が、スウェーデン王立音楽アカデミー(スウェーデンのストックホルム県ニーブロビケン)の大ホールにて執り行われた。遺言執行者が全ての関係者を説得し、アルフレッド・ノーベルの遺言の内容に従う様説得し、此の授賞式に至る迄に5年の歳月を要した。受賞者はX線を発見したヴィルヘルム・レントゲン(物理学)、熱力学に於いてファントホッフの法則を発見したヤコブス・ヘンリクス・ファント・ホッフ(化学)、ジフテリアに対する血清療法を研究したエミール・アドルフ・フォン・ベーリング(医学・生理学)、ルクレティウスの「事物の本性に就いて」をフランス語に翻訳したシュリ・プリュドム(文学、病気で欠席)、赤十字社を設立したアンリ・デュナン(平和、クリスチャニアで授与)であった。大ホールは宮廷建築家アギ・リンデグレンが豪華に装飾し、舞台の中央には青と金のリボンで結ばれた巨大な月桂樹の冠の下に白いアルフレッド・ノーベルの胸像を載せた大きなオベリスクが立った。本来は第4代ベルナドッテ王朝スウェーデン国王オスカル2世が出席する所であったが、スウェーデン・ノルウェー連合の崩壊の危機の為クリスチャニアに行かざるを得ず、長男グスタフ5世が四男エウシェンと共に参加した。ノーベル財団会長で第7代スウェーデン首相のエーリク・グスタフ・ボストロムがスピーチを行い、スウェーデン王立科学アカデミーとカロリンスカ研究所による賞授与が行われた。西暦1,975年12月10日、第75回ノーベル晩餐会が開催され、作家フォルケ・ヘンシェンが、第1回ノーベル賞授賞式に学生係として参加した経験から、アルフレッド・ノーベルの財産に高額な税を課そうとしたフランス政府やノーベルの家族との協議の結果、授賞式に漕ぎ着けた事をラジオのリスナーに語った。本書は、此の138年に亘る、ノーベル家のサンクトペテルブルク移住から、アルフレッド・ノーベルの爆薬発明、ロスチャイルド家との石油・武器販売の協力、ノーベル賞創設、第1回授賞式、フォルケ・ヘンシェンの証言迄、ノーベル賞がロスチャイルド家と共謀した武器商人アルフレッド・ノーベルの遺産から創設された系譜の全過程を、年月日単位で記録した年表である。
登場人物
- アルフレッド・ノーベル イマヌエル・ノーベルの参男。西暦1,841年から翌年迄聖ヤコブ学校に通った以外は家庭教師から教育を受け、英語・フランス語・ドイツ語・ロシア語・イタリア語を流暢に話せる様になった。西暦1,850年にアスカニオ・ソブレロからニトログリセリンを学び、西暦1,863年に起爆装置とニトログリセリンの調製方法を発明、西暦1,864年にニトログリセリンAB社設立、西暦1,867年11月25日にダイナマイトの特許取得、西暦1,875年にゼリグナイト、西暦1,887年にバリスタイトを発明。西暦1,894年にロスチャイルド家から資金提供を受け武器製造業に進出。西暦1,895年11月27日に3番目の遺言で5分野の賞創設を宣言し、西暦1,896年12月10日にサンレーモにて死去した。
- イマヌエル・ノーベル アルフレッド・ノーベルの父。西暦1,838年にサンクトペテルブルクに単身移住し、工作機械と爆薬の製造会社を設立。ベニヤ旋盤を発明し海軍の地雷の開発に取り組んだ。クリミア戦争で兵器生産により大きな利益を得たが、西暦1,856年の終戦で武器契約をキャンセルされ破産。西暦1,859年に工場管理をルートヴィヒに任せストックホルムに戻った。
- アンドリエッテ・ノーベル イマヌエル・ノーベルの妻。西暦1,842年に子供達と共にサンクトペテルブルクのイマヌエルの下に引っ越した。西暦1,859年にイマヌエル・アルフレッドと共にストックホルムに戻った。
- ロバート・ノーベル イマヌエル・ノーベルの長男。西暦1,873年3月にバクーを訪れ、ビビ・エイバート油田及び製油所を購入し石油事業を開始。西暦1,875年にバラハニ油田を購入し、西暦1,876年に蒸留所をバクーに設立。西暦1,879年5月18日、ルートヴィヒと共に「ノーベル兄弟産油会社」をサンクトペテルブルクに本社を置く持株会社として設立した。
- ルートヴィヒ・ノーベル イマヌエル・ノーベルの弐男。西暦1,859年にノーベル・フィルズ鋳物・機械工場の管理を父から任され、西暦1,876年に石油事業に参加。バラハニ油田から製油所までの15kmパイプラインを敷設、世界初の石油タンカーを考案しスウェーデンの造船会社に発注。西暦1,878年に「ゾロアスター号」が完成。西暦1,879年5月18日に「ノーベル兄弟産油会社」を設立し、株式の53.7%を保有した。
- エミール・ノーベル イマヌエル・ノーベルの四男。西暦1,864年9月3日、ヘレネボリ工場のニトログリセリン準備用小屋の爆発により、他4名と共に死亡した。
- ニコライ・ジーニン 化学者。西暦1,847年迄カザン大学(現在のロシアの地方政府タタールスタン共和国)工業化学教授であった。西暦1,848年にサンクトペテルブルク医科外科アカデミーの化学教授に就任し、アルフレッド・ノーベルの指導を行った。
- テオフィル・ジュール・ペルーズ フランス貨幣委員会会長。西暦1,846年に実験的な学校兼研究所を設立した。其の助手アスカニオ・ソブレロが、西暦1,850年にパリを訪れたアルフレッド・ノーベルにニトログリセリンに関する知識を伝えた。
- アスカニオ・ソブレロ テオフィル・ジュール・ペルーズの助手。西暦1,840年代に爆発性油の試験管爆発により顔が傷だらけであった。ニトログリセリンの使用に強く反対したが、西暦1,850年にアルフレッド・ノーベルにニトログリセリンの知識を伝えた。
- ジョン・エリクソン 機械技師。蒸気機関の開発や軍艦の設計を行なっていた。西暦1,851年にアメリカに留学したアルフレッド・ノーベルが其の下で1年間働いた。
- ナータン・セーデルブロム ウプサラ大学の教会の司祭。プロテスタントのルター派であったアルフレッド・ノーベルが、西暦1,873年にパリ16区のマラコフ通りに引っ越して以降、定期的に通って其の指導を受けていた。
- ベルタ・フォン・ズットナー 西暦1,876年、アルフレッド・ノーベルの募集広告に応募し、秘書兼ノーベルの自宅の家政婦として働き始めた。アルトゥール・グンダッカー・フォン・ズットナーと結婚する為短期間でノーベルの下を去ったが、其の後もノーベルが死去する迄文通をし、関係を継続して、ノーベル平和賞創設に関する助言をした。
- ソフィア・ヘス バーデン(現在のオーストリアのニーダーエスターライヒ州)で花屋で働いていた、キリスト教に改宗したユダヤ人。西暦1,876年にアルフレッド・ノーベルと出会った。其の後別の男性との間に子供を身籠ったが、ノーベルは経済的に支援し続けた。西暦1,895年11月27日の遺言頃には、ノーベルは絶え間ない体の痛み・重度の偏頭痛・麻痺する程の疲労を訴える書簡を彼女に送っていた。
- アルフォンス・ド・ロスチャイルド フランス・ロスチャイルド商会の当主。西暦1,883年5月16日にトランスコーカサス鉄道への融資と引き換えにバクーの石油権益を獲得し「カスピ海・黒海石油産業貿易会社」を設立した。6,000,000ルーブルと25,000,000フランの初期資本をロシア帝国の金庫に納め、ロシア灯油の最大輸出業者となった。西暦1,898年に「マズット貿易・輸送会社」を設立し、カスピ海だけで13隻のタンカーを保有する最大の石油輸出組合へと成長させた。西暦1,894年にはアルフレッド・ノーベルに資金提供し、武器販売の協力関係を築いた。
- ピーター・フォン・ビルダーリング男爵 西暦1,876年のバクーの石油蒸留所設立に300,000ルーブルを出資した人物。西暦1,879年5月18日のノーベル兄弟産油会社設立では、株式の31%を保有した。
- ヴィルヘルム・レントゲン X線を発見した物理学者。西暦1,901年12月10日の第1回ノーベル賞授賞式で、第1回ノーベル物理学賞を受賞した。
- ヤコブス・ヘンリクス・ファント・ホッフ 熱力学に於いてファントホッフの法則を発見した化学者。西暦1,901年12月10日の第1回ノーベル賞授賞式で、第1回ノーベル化学賞を受賞した。
- エミール・アドルフ・フォン・ベーリング ジフテリアに対する血清療法を研究した医学者。西暦1,901年12月10日の第1回ノーベル賞授賞式で、第1回ノーベル医学・生理学賞を受賞した。
- シュリ・プリュドム 共和政ローマの詩人ルクレティウスがヘレニズム時代の哲学者エピクロスの思想を詩にした「事物の本性に就いて」をフランス語に翻訳した詩人。西暦1,901年12月10日の第1回ノーベル賞授賞式で第1回ノーベル文学賞を受賞したが、病気の為欠席し、フランスの大臣が代理出席した。
- アンリ・デュナン 赤十字社を設立した人物。西暦1,901年12月10日の第1回ノーベル賞授賞式で第1回ノーベル平和賞を受賞したが、授賞式には参加せず、クリスチャニア(現在のノルウェーのオスロ)で授与された。
- オスカル2世 第4代ベルナドッテ王朝スウェーデン国王。本来は西暦1,901年12月10日の第1回ノーベル賞授賞式に出席する所であったが、スウェーデン・ノルウェー連合の崩壊の危機の為、クリスチャニアに行かざるを得なくなり、長男グスタフ5世が代理として参加した。
- グスタフ5世 スウェーデン皇太子、オスカル2世の長男。西暦1,901年12月10日の第1回ノーベル賞授賞式で、四男エウシェンと共に参加し、受賞者に賞状とメダルを渡した。スウェーデン王族は受賞者やプレゼンターに略背を向ける形で着席した。
- アギ・リンデグレン 宮廷建築家。西暦1,901年12月10日の第1回ノーベル賞授賞式の会場となったスウェーデン王立音楽アカデミーの大ホールを監修し、豪華に装飾した。
- エーリク・グスタフ・ボストロム ノーベル財団会長で第7代スウェーデン首相。西暦1,901年12月10日の第1回ノーベル賞授賞式で、アルフレッド・ノーベルの生涯・人柄・発見・人類への貢献の願いをスピーチした。
- フォルケ・ヘンシェン 作家。西暦1,901年12月10日の第1回ノーベル賞授賞式に学生係として参加した。西暦1,975年12月10日の第75回ノーベル晩餐会の最中、アルフレッド・ノーベルの財産に高額な税を課そうとしたフランス政府や、ノーベルの家族との協議の結果、授賞式に漕ぎ着けた事をラジオのリスナーに語った。
主要な概念・組織
- ノーベル・フィルズ鋳物・機械工場 イマヌエル・ノーベルがサンクトペテルブルクに設立した、軍需品を扱う工場。西暦1,853年10月5日勃発のクリミア戦争向けの兵器を生産し大きな利益を叩き出したが、西暦1,856年3月30日の終戦で武器契約をキャンセルされ、ロシア国内向け兵器生産では需要が少なく、イマヌエルは破産申請した。西暦1,859年からはルートヴィヒ・ノーベルが管理を引き継いだが、西暦1,862年に債権者によって売却された。
- クリミア戦争 西暦1,853年10月5日、ロシア帝国と、オスマン帝国・フランス帝国・イギリス帝国・サルデーニャ王国の4ヶ国連合の間で勃発した戦争。ノーベル・フィルズ鋳物・機械工場はクリミア戦争向け兵器の生産で大きな利益を叩き出した。西暦1,856年3月30日に終結。
- ヘレネボリ工場 イマヌエル・ノーベルが所有していたスウェーデンのストックホルム県の工場。西暦1,864年9月3日、ニトログリセリン準備用小屋が爆発し、四男エミール・ノーベルを含む5名が死亡。アルフレッド・ノーベルは爆発物の製造免許を剥奪された。
- ニトログリセリンAB社 西暦1,864年、ヘレネボリ工場爆発事故で爆発物の製造免許を剥奪されたアルフレッド・ノーベルが、より孤立した場所で作業を続ける為、ヴィンテルヴィーケン(スウェーデンのストックホルム県)に設立した会社。
- ダイナマイト 西暦1,867年11月25日にアルフレッド・ノーベルが特許を取得した爆薬。西暦1,868年5月26日には更に、ニトログリセリンと珪質泥・トリポリ・ロットンストーン等の非爆発性多孔質物質を混合する事で輸送・保管・使用の安全性を向上させる特許(US78317A)を取得した。重量の75%がニトログリセリン、25%がロットンストーンという組成が理想であった。鉱業や交通網の建設に於いて、世界中で使用された。
- ゼリグナイト 西暦1,875年にアルフレッド・ノーベルが発明したプラスチック爆薬。コロジオン綿をニトログリセリン又はニトログリコールに溶かし、木材パルプと硝石(硝酸ナトリウム又は硝酸カリウム)を混ぜた物。以前のニトログリセリン爆薬よりも安定性と威力が増大、水中でも使用可能で形状を変え易く、漏れ出る心配も無かった。
- バリスタイト 西暦1,887年にアルフレッド・ノーベルが発明した、窒素量約12%のニトロセルロースとニトログリセリンを混ぜて練って成形した、無煙でゆっくり燃える火薬。軍事用途で使われた。イタリア軍が使用した事により、ノーベルは大逆罪で告発され、西暦1,891年にパリからサンレーモへの転居を余儀無くされた。
- ビビ・エイバート油田 西暦1,873年3月、ロバート・ノーベルがバクーで購入した油田。当地の製油所と共に購入され、ノーベル家の石油事業の出発点となった。
- バラハニ油田 西暦1,875年、ロバート・ノーベルがバクーで購入した油田。西暦1,876年にはルートヴィヒ・ノーベルが此処から製油所までの15kmに及ぶパイプラインを敷設した。
- ゾロアスター号 西暦1,878年に完成した、世界初の石油タンカー船。ルートヴィヒ・ノーベルが船倉にタンクを作り直接石油を詰め込む輸送手段を考案し、スウェーデンの造船会社に発注した。
- ノーベル兄弟産油会社 西暦1,879年5月18日、ロバート・ノーベルが、自身が西暦1,876年にバクーに設立した蒸留所を基に、ルートヴィヒ・ノーベルと共にサンクトペテルブルクに本社を置く持株会社として設立した会社。株式資本はルートヴィヒ53.7%、ピーター・フォン・ビルダーリング男爵31%、I.J.ザベルスキフ4.7%、アルフレッド3.8%、ロバート3.3%、アレクサンドル・フォン・ビルダーリング男爵1.7%に分割された。西暦1,890年にはバクー油田の軽質原油の293,202tを生産し、フランス・ロスチャイルド商会と協力して石油を売り捌いた。
- トランスコーカサス鉄道 西暦1,883年、フランス・ロスチャイルド商会が出資して完成した、バクーからコーカサス山中を縦断しバトゥミ(現在のジョージア)に至る鉄道。其の融資と引き換えに、同年5月16日にアルフォンス・ド・ロスチャイルドがバクーの石油権益を獲得した。
- カスピ海・黒海石油産業貿易会社 西暦1,883年5月16日、アルフォンス・ド・ロスチャイルドがトランスコーカサス鉄道への融資と引き換えにバクーの石油権益を獲得して設立した会社。6,000,000ルーブルと25,000,000フランの初期資本をロシア帝国の金庫に納めた。ロシア灯油の最大輸出業者となり、バクー→アントウェルペン、バクー→ロンドンの輸送ルートを構築し、バクー・パリ・サンクトペテルブルクで石油情報を収集した。
- マズット貿易・輸送会社 西暦1,898年、アルフォンス・ド・ロスチャイルドが設立した会社。カスピ海・黒海石油産業貿易会社のニジニ・ノヴゴロド・サマーラ・ツァリーツィン・アストラハン・リガ・ヴィーツェプスク・ワルシャワの支店に石油製品を納入。其の後カスピ海だけで13隻のタンカーを保有する最大の石油輸出組合へと成長した。
- アームストロング社・シュネーデル社 西暦1,894年当時、ロスチャイルド家が手中に収めていたヨーロッパの銃器製造の大手2社。同年、ロスチャイルド家はアルフレッド・ノーベルにノーベル兄弟産油会社経由で資金提供し、武器製造業に進出させた。以降ノーベル家とロスチャイルド家は協力し合って武器を売り捌いて行った。
- アルフレッド・ノーベルの3番目の遺言 西暦1,895年11月27日、アルフレッド・ノーベルが3番目にして最後の遺言として、物理学・化学・生理学/医学・文学・平和の5分野に於ける賞に自分の財産を充てる事を宣言したもの。家族に内緒で財産の大半を信託に預けた。当時ノーベルは狭心症を発症し、絶え間ない体の痛み・重度の偏頭痛・麻痺する程の疲労・鬱病を抱えていた。
- スウェーデン王立科学アカデミー 西暦1,884年にアルフレッド・ノーベルが会員に選出された学術機関。西暦1,901年12月10日の第1回ノーベル賞授賞式では、カロリンスカ研究所と並んでノーベル賞の選定機関として、物理学賞・化学賞・文学賞の授与に関わった。
- カロリンスカ研究所 西暦1,901年12月10日の第1回ノーベル賞授賞式で、スウェーデン王立科学アカデミーと並んでノーベル賞の選定機関を担当した医学研究機関。所長カール・アクセル・ハンプス・メルナーがベーリングの業績を語り、ノーベル医学・生理学賞を授与した。
- 第1回ノーベル賞授賞式 西暦1,901年12月10日、スウェーデン王立音楽アカデミー(スウェーデンのストックホルム県ニーブロビケン)の大ホールにて執り行われた授賞式。遺言執行者が全ての関係者を説得し、アルフレッド・ノーベルの遺言の内容に従う様説得し、5年の歳月を要して漕ぎ着けた。受賞者はヴィルヘルム・レントゲン(物理学)、ヤコブス・ヘンリクス・ファント・ホッフ(化学)、エミール・アドルフ・フォン・ベーリング(医学・生理学)、シュリ・プリュドム(文学、欠席)、アンリ・デュナン(平和、クリスチャニアで授与)。スウェーデン皇太子グスタフ5世が中央に立ち、王立オーケストラが演奏した。
- 第75回ノーベル晩餐会 西暦1,975年12月10日に開催された晩餐会。其の最中、第1回ノーベル賞授賞式に学生係として参加した作家フォルケ・ヘンシェンが、アルフレッド・ノーベルの財産に高額な税を課そうとしたフランス政府やノーベルの家族との協議の結果、授賞式に漕ぎ着けた事をラジオのリスナーに語った。
イマヌエル・ノーベルのサンクトペテルブルク移住とクリミア戦争での兵器生産から、アルフレッド・ノーベルのニトログリセリン研究、ヘレネボリ工場爆発事故、ダイナマイトの特許取得、ロバート・ノーベルとルートヴィヒ・ノーベルのバクー石油事業参入とノーベル兄弟産油会社設立、世界初の石油タンカー「ゾロアスター号」完成、アルフォンス・ド・ロスチャイルドのカスピ海・黒海石油産業貿易会社設立、ノーベル家とロスチャイルド家の石油・武器販売の協力、3番目の遺言での5分野の賞創設、サンレーモでの死去、第1回ノーベル賞授賞式、第75回ノーベル晩餐会でのフォルケ・ヘンシェンの証言迄──
ノーベル賞がロスチャイルド家と共謀した武器商人アルフレッド・ノーベルの遺産から創設された138年間の系譜を年月日単位で追跡した一冊。
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