ノーベル賞は
ディープステート賞である
一元化
西暦1,838年、破産した父が爆薬に手を伸ばした──
ダイナマイトと石油が賞に変わる迄の百三十七年を一元化。
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本書について
西暦1,838年、一人の破産者がサンクトペテルブルクへ渡った。建築資材を積んだ艀船を失って事業に失敗したイマヌエル・ノーベルは、家族をストックホルムに残し、単身で新しい土地に立つ。そこで彼が設立したのは、工作機械と爆薬の製造会社であった。事業は成功し、貧しかったノーベル家は裕福になる。合板の製造を可能にするベニヤ旋盤を発明する一方で、彼は海軍の地雷の開発にも取り組んだ。本書は、この一家が爆薬と石油によって築いた富が、やがて世界で最も権威ある賞へと姿を変えてゆく百三十七年を、年月日単位で一元化した記録である。
参男アルフレッド・ノーベルが学校教育を受けたのは、西暦1,841年からの18ヶ月間、ストックホルムの聖ヤコブ学校に通った一度きりであった。西暦1,842年に家族がサンクトペテルブルクへ移った後、兄達と共に家庭教師の指導を受け、特に化学と語学で優秀な成績を収める。英語・フランス語・ドイツ語・ロシア語・イタリア語を流暢に操ったこの少年は、西暦1,848年からニコライ・ジーニンの指導を受け、西暦1,850年にはパリでアスカニオ・ソブレロと出会った。爆発性油の入った試験管の爆発で顔が傷だらけになっていたソブレロは、熱や圧力の変化で予測不可能に爆発するニトログリセリンの使用に強く反対する。だがノーベルが抱いたのは、それを商業的に使用可能な爆薬として制御し活用する方法への興味であった。
西暦1,853年10月5日にクリミア戦争が勃発すると、イマヌエルが設立した軍需品を扱う「ノーベル・フィルズ鋳物・機械工場」は戦争向けの兵器を生産し、大きな利益を叩き出す。しかし西暦1,856年3月30日の終戦と共に武器の契約はキャンセルされ、国内向けの生産では需要が足りず、イマヌエルは全財産を失って破産を申請した。アルフレッドはロシア帝国に留まり、ニトログリセリンの安全な製造と使用の研究に邁進する。西暦1,863年に起爆装置を発明し、同年10月14日にスウェーデンの特許を取得した矢先、西暦1,864年9月3日、ヘレネボリ工場(スウェーデンのストックホルム県)の小屋が爆発し、四男エミール・ノーベルを含む5名が死亡した。アルフレッドは爆発物の製造免許を剥奪され、より孤立した場所を求めてヴィンテルヴィーケンに「ニトログリセリンAB社」を設立する。
西暦1,865年、爆発の起爆に水銀を使う方法を導入したノーベルは、ストックホルムとハンブルクに製造工場を建て、世界中へ出荷を始めた。翌年にはニューヨーク州とサンフランシスコにも工場が建つ。そして西暦1,867年11月25日、ダイナマイトの特許を取得。西暦1,868年5月26日の特許(US78317A)では、ニトログリセリンを珪質泥やロットンストーンといった非爆発性の多孔質物質と混合する事で、爆発力を失わせずに輸送・保管・使用の安全性を高める方法が示された。重量の75%がニトログリセリン、25%がロットンストーンという組成が理想的である事、そして通常の梱包で火が付いても爆発せず燃焼するだけである事——この技術は、鉱業と交通網の建設において世界中で使われてゆく。
一方、兄達は石油に向かった。西暦1,873年3月、ロバート・ノーベルがバクーを訪れてビビ・エイバート油田と製油所を購入し、西暦1,875年にはバラハニ油田を手に入れる。西暦1,876年に事業へ加わったルートヴィヒ・ノーベルは、生産ではなく輸送に着目し、油田から製油所までの15kmに及ぶパイプラインを敷設した。更に船倉にタンクを作って直接石油を詰め込む「タンカー」を考案し、西暦1,878年、世界初の石油タンカー船「ゾロアスター号」が完成する。西暦1,879年5月18日には「ノーベル兄弟産油会社」がサンクトペテルブルクに本社を置く持株会社として設立された。
同じバクーへ、もう一つの家が入ってくる。西暦1,883年、フランス・ロスチャイルド商会が出資したトランスコーカサス鉄道が完成すると、5月16日、アルフォンス・ド・ロスチャイルドは鉄道への融資と引き換えにバクーの石油権益を獲得し、「カスピ海・黒海石油産業貿易会社」を設立した。6,000,000ルーブルと25,000,000フランをロシア帝国の金庫に納め、135社の小規模製油業者から灯油を買い取って、ロシア灯油の最大輸出業者となる。西暦1,890年、バクー油田の軽質原油総量835,380tの内、ノーベル兄弟産油会社が293,202t、フランス・ロスチャイルド商会が76,986tを占めた——両家は協力して石油を売り捌いてゆく。そして西暦1,894年、アルフレッド・ノーベルはロスチャイルド家からノーベル兄弟産油会社経由で資金提供を受け、武器製造業に進出した。当時ロスチャイルド家は、ヨーロッパの銃器製造の大手であるアームストロング社とシュネーデル社も手中に収めていた。
西暦1,895年11月27日、アルフレッド・ノーベルは3番目にして最後の遺言で、物理学・化学・生理学/医学・文学・平和の各分野における賞に自らの財産を充てる事を宣言し、家族に内緒で財産の大半を信託に預けた。既に狭心症を発症し、愛人ソフィア・ヘスへ絶え間ない体の痛みと重度の偏頭痛を訴えていた彼は、翌西暦1,896年12月10日、脳卒中と脳内出血によりサンレーモで死去する。平和賞の創設については、かつて秘書兼家政婦として短期間だけ仕えたベルタ・フォン・ズットナーが、死去まで続いた文通の中で助言を与えていた。第1回ノーベル賞授賞式が執り行われたのは、それから5年後の西暦1,901年12月10日。遺言執行者が全ての関係者を説得するのに、それだけの歳月を要した。西暦1,975年12月10日の第75回ノーベル晩餐会では、第1回授賞式に学生係として立ち会った作家フォルケ・ヘンシェンが、高額な税を課そうとしたフランス政府や遺族との協議の末に式へ漕ぎ着けた経緯を、ラジオのリスナーに語っている。爆薬と石油と武器の富が賞へと変わる迄の全過程を、本書は一冊に束ねている。
登場人物
- アルフレッド・ノーベル 本書の中心人物。イマヌエル・ノーベルの参男。学校教育は西暦1,841年からの18ヶ月間のみで、家庭教師の下で化学と語学に秀で、5ヶ国語を流暢に操った。ニトログリセリンの制御に生涯を賭け、西暦1,867年11月25日にダイナマイトの特許を、西暦1,875年にゼリグナイトを、西暦1,887年にバリスタイトを生み出す。西暦1,894年にはロスチャイルド家からの資金提供を受けて武器製造業に進出し、西暦1,895年11月27日の最後の遺言で財産の大半を賞に充てる事を宣言、翌年12月10日にサンレーモで死去した。
- イマヌエル・ノーベル アルフレッドの父。西暦1,838年、破産した末に単身サンクトペテルブルクへ移り、工作機械と爆薬の製造会社を設立して成功を収めた。ベニヤ旋盤を発明し、海軍の地雷の開発にも取り組む。クリミア戦争では「ノーベル・フィルズ鋳物・機械工場」で兵器を生産して大きな利益を得たが、西暦1,856年の終戦で契約を失い、全財産を失って再び破産を申請した。
- ロバート・ノーベル イマヌエルの長男。西暦1,873年3月にバクーを訪れてビビ・エイバート油田と製油所を購入し、石油事業を開始した。西暦1,875年にバラハニ油田を購入、翌年には男爵2名と共同でバクーに蒸留所を設立し、西暦1,879年5月18日、其の蒸留所を基にルートヴィヒと共に「ノーベル兄弟産油会社」を設立した。
- ルートヴィヒ・ノーベル イマヌエルの弐男。西暦1,859年にノーベル・フィルズ鋳物・機械工場の管理を任され、事業の改善に努めた。西暦1,876年に石油事業へ参加すると、生産ではなく輸送に着目し、バラハニ油田から製油所までの15kmに及ぶパイプラインを敷設。船倉にタンクを作って直接石油を詰め込む「タンカー」を考案し、西暦1,878年に世界初の石油タンカー船「ゾロアスター号」を完成させた。ノーベル兄弟産油会社では株式資本の53.7%を保有した。
- エミール・ノーベル イマヌエルの四男。西暦1,864年9月3日、ヘレネボリ工場(スウェーデンのストックホルム県)でニトログリセリンの準備に使用されていた小屋が爆発し、5名の死者の1人となった。此の事故により、アルフレッドは爆発物の製造免許を剥奪された。
- アルフォンス・ド・ロスチャイルド 西暦1,883年5月16日、トランスコーカサス鉄道への融資と引き換えにバクーの石油権益を獲得し、「カスピ海・黒海石油産業貿易会社」を設立した。6,000,000ルーブルと25,000,000フランの初期資本をロシア帝国の金庫に納め、135社の小規模製油業者から灯油を買い取ってロシア灯油の最大輸出業者となる。西暦1,898年には「マズット貿易・輸送会社」を設立し、カスピ海だけで13隻のタンカーを保有する最大の石油輸出組合へ成長させた。
- ベルタ・フォン・ズットナー 西暦1,876年、募集広告に応募してアルフレッド・ノーベルの秘書兼自宅の家政婦として働き始めた人物。アルトゥール・グンダッカー・フォン・ズットナーと結婚する為に短期間で去ったが、ノーベルが死去する迄文通を続けて関係を保ち、ノーベル平和賞の創設に関する助言を与えた。
- ソフィア・ヘス 西暦1,876年、バーデン(現在のオーストリアのニーダーエスターライヒ州)の花屋で働いていた際にアルフレッド・ノーベルと出会った、キリスト教に改宗したユダヤ人。別の男性との間に子供を身籠った後も、ノーベルは経済的な支援を続けた。最後の遺言を残した頃のノーベルは、絶え間ない体の痛み・重度の偏頭痛・麻痺する程の疲労を訴える書簡をヘスに送っている。
- アスカニオ・ソブレロ テオフィル・ジュール・ペルーズの助手。西暦1,840年代に爆発性油の入った試験管の爆発で顔が傷だらけになっており、西暦1,850年にパリで出会ったアルフレッド・ノーベルに対し、熱や圧力の変化で予測不可能に爆発するニトログリセリンの使用へ強く反対した。
- ニコライ・ジーニン 前年までカザン大学(現在のロシアの地方政府タタールスタン共和国)工業化学教授を務め、西暦1,848年にサンクトペテルブルク医科外科アカデミーの化学教授へ就任した人物。アルフレッド・ノーベルの指導に当たった。
- フォルケ・ヘンシェン 作家。西暦1,901年12月10日の第1回ノーベル賞授賞式に学生係として立ち会い、西暦1,975年12月10日の第75回ノーベル晩餐会の最中、アルフレッド・ノーベルの財産に高額な税を課そうとしたフランス政府や遺族との協議の末に授賞式へ漕ぎ着けた経緯を、ラジオのリスナーに語った。
事業と組織の系譜
- ノーベル・フィルズ鋳物・機械工場 イマヌエル・ノーベルが設立した軍需品を扱う工場。西暦1,853年10月5日に勃発したクリミア戦争向けの兵器を生産して大きな利益を叩き出したが、西暦1,856年3月30日の終戦で武器の契約をキャンセルされる。ロシア国内向けの生産に回帰したものの需要が少なく、イマヌエルは全財産を失った。西暦1,859年からルートヴィヒが管理に当たり、西暦1,862年に債権者によって売却された。
- ニトログリセリンAB社 西暦1,864年9月3日のヘレネボリ工場の爆発事故で製造免許を剥奪されたアルフレッド・ノーベルが、より孤立した場所で作業を続ける為に同年ヴィンテルヴィーケン(スウェーデンのストックホルム県)に設立した会社。翌年からはストックホルムとハンブルクに製造工場が建てられ、ニトログリセリンが世界中へ出荷されてゆく。
- ダイナマイトと多孔質物質の特許 西暦1,867年11月25日に取得されたダイナマイトの特許と、西暦1,868年5月26日の特許(US78317A)。後者は、ニトログリセリンを珪質泥・トリポリ・ロットンストーンといった非爆発性の多孔質物質と混合し、爆発力を失わせずに輸送・保管・使用の安全性を高める方法を示した。重量の75%がニトログリセリン、25%がロットンストーンという組成が理想的とされ、鉱業や交通網の建設で世界中に使われた。
- ゼリグナイトとバリスタイト 西暦1,875年に発明されたプラスチック爆薬「ゼリグナイト」は、コロジオン綿をニトログリセリン又はニトログリコールに溶かし、木材パルプと硝石を混ぜた物で、水中でも使用出来る安定性と威力を備えた。西暦1,887年の「バリスタイト」は、窒素量約12%のニトロセルロースとニトログリセリンを練って成形した無煙火薬で、軍事用途に使われた。イタリア軍が之を使用した事でノーベルは大逆罪で告発され、西暦1,891年にパリからサンレーモへ移る一因となった。
- ノーベル兄弟産油会社 西暦1,879年5月18日、ロバートが西暦1,876年にバクーへ設立した蒸留所を基に、ルートヴィヒと共にサンクトペテルブルクへ本社を置く持株会社として設立された会社。株式資本はルートヴィヒ53.7%、ピーター・フォン・ビルダーリング男爵31%、I.J.ザベルスキフ4.7%、アルフレッド3.8%、ロバート3.3%、アレクサンドル・フォン・ビルダーリング男爵1.7%に分割された。
- トランスコーカサス鉄道とカスピ海・黒海石油産業貿易会社 西暦1,883年、フランス・ロスチャイルド商会の出資により、バクーからコーカサス山中を縦断してバトゥミへ至る鉄道が完成した。同年5月16日、アルフォンス・ド・ロスチャイルドは鉄道への融資と引き換えにバクーの石油権益を獲得し、カスピ海・黒海石油産業貿易会社を設立する。バクー・パリ・サンクトペテルブルクの3箇所で石油に関する情報を収集し、バクー・グロズヌイ・マイコープ・トルクメニスタンで確固たる地位を築いた。
- 両家の協力——石油と武器 西暦1,890年、バクー油田の約144の製油工場が扱った軽質原油の総量835,380tの内、3/4を13工場だけが生産し、ノーベル兄弟産油会社が293,202t、フランス・ロスチャイルド商会が76,986tを占めた。両家は協力して石油を売り捌き、更に西暦1,894年、アルフレッド・ノーベルがロスチャイルド家からノーベル兄弟産油会社経由で資金提供を受けて武器製造業に進出して以降は、武器も共に売り捌いていった。当時ロスチャイルド家は、ヨーロッパの銃器製造の大手であるアームストロング社とシュネーデル社も手中に収めていた。
- 3番目にして最後の遺言 西暦1,895年11月27日、アルフレッド・ノーベルが物理学・化学・生理学/医学・文学・平和の各分野における賞に自らの財産を充てる事を宣言した遺言。家族には内緒で、財産の大半が信託に預けられた。此の時ノーベルは既に狭心症を発症し、鬱病も抱えるなど健康状態に問題を抱えており、翌西暦1,896年12月10日に死去してノーラ墓地(スウェーデンのストックホルム県ソルナ)へ埋葬された。
- 第1回ノーベル賞授賞式 西暦1,901年12月10日、スウェーデン王立音楽アカデミーの大ホールで執り行われた式典。遺言執行者が全ての関係者を説得し、式へ漕ぎ着けるまでに5年の歳月を要した。受賞者は式まで伏せられ、物理学賞にヴィルヘルム・レントゲン、化学賞にヤコブス・ヘンリクス・ファント・ホッフ、医学・生理学賞にエミール・アドルフ・フォン・ベーリング、文学賞にシュリ・プリュドム、平和賞に赤十字社を設立したアンリ・デュナンが選ばれた。
ニトログリセリンから遺言へ、そして授賞式へ──
ノーベル家とロスチャイルド家の系譜を一元化。
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