電子書籍「全国母体健康委員会に避妊情報を収集させたロバート・ラットウ・ディキンソン一元化」の表紙

全国母体健康委員会に
避妊情報を収集させた
ロバート・ラットウ・ディキンソン
一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,923年3月〜1,950年11月29日
ページ数
12ページ
文字数
4,054字
最新更新日
西暦2,026年8月28日

西暦1,923年、避妊は「研究対象」になった──
CMHからNCMHへ、医学が避妊情報を囲い込む二十七年を一元化。

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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本書について

西暦1,923年3月、産児制限活動家ガートルード・ミンタン・ピンチョットの主導により、マーガレット・サンガーの協力者で産婦人科医のロバート・ラットウ・ディキンソンの指導の下、ニューヨークにて「CMH(母体健康委員会)」が設立された。ニューヨーク産科協会の後援を受け、NYAM(ニューヨーク医学アカデミー)とAGS(アメリカ婦人科協会)の支持を得て、避妊と生殖に関する研究を行い、人間生殖の医学的側面に関する情報センターとして機能させる——其れが設立の意図であった。初期は約50名の医師会員から成り、NYAM内に設置される。CMHは試験研究や、病院・個人医師からの臨床データの収集を行ったが、研究参加に厳格な医学的要件を設けた事、そして医師が避妊具を合法的に輸入出来ない事によって、活動は大きく制限された。ディキンソンは医療資格を持たない一般人のクリニックを承認していなかったが、信頼出来る避妊研究に必要な患者記録やダイアフラムが十分に得られず、結局はCRBを頼らざるを得なくなる。

西暦1,924年6月19日頃、ジョン・ロックフェラー・ジュニアが、マーガレット・サンガーのABCLでの活動への10,000ドルの寄付を承認する。サンガーは此の寄付を受ける条件として、CRBの臨床データを医学研究の為にCMHへ提出する事となった。CMHは当初、CRBとの協力を拒否している。理由は三つ。第一に、CRBが避妊具を配布する法的根拠を自由に解釈していた事である。コムストック法では避妊具の配布や情報提供が制限され、医師は医療目的でのみ避妊を許可されていたが、CRBは此れを広義に解釈し、経済的・社会的理由でも配布や情報提供を行っていた。CMHは其れを法的リスクが高く、医学的正当性を欠く物と見做した。第二に、女性の医療スタッフが在籍している事。第三に、ABCLとの結び付きが強く、避妊を社会運動として推進し宣伝活動を行っている事であった。

サンガーはCRBの外部の医学的承認を得たいと考え、此れ等の批判へ対処する為にCMHへ助言を求めた。そしてCMHの提案とロバート・ラットウ・ディキンソンの報告に従い、医療諮問委員会を設置し、CRBをABCLの本部が入居している建物から移転させ、事務所からの避妊宣伝を止める。ディキンソンの側も、信頼出来るクリニックデータが不足していた事に加え、初代CRB医療責任者で女医のハンナ・ストーンによる広範な記録管理を知り、態度を軟化させた。

西暦1,927年8月29日から6日間、ジュネーヴにて「世界人口会議」が開催される。マーガレット・サンガー等の資金提供により実現した会議であった。ASA(アメリカ統計学会)会長で議長を務めたレイモンド・パール、組織委員の優生学者エドワード・マレー・イースト、第6代ミシガン大学学長クラレンス・クック・リトル、サンガーと共に会議を企画したライス大学生物学助教授ジュリアン・ハクスリー、パドヴァ大学統計学教授コッラド・ジニ、ベルリン人種衛生学会会長エルヴィン・バウアーを始め、約400名の科学者・人口学者・優生学者が参加した。議論は人口生物学・食糧供給・人口密度、そしてカイザー・ヴィルヘルム人類学・優生学・人類遺伝学研究所の活動という4つのセクションに分かれて為される。更にドイツの優生学者オイゲン・フィッシャーが人種混合の問題に焦点を当てた演説を行い、黒人と白人の混血を基に、遺伝的不調和のリスクを強調した。翌9月、其の「カイザー・ヴィルヘルム人類学・優生学・人類遺伝学研究所」が設立され、所長にはフィッシャーが就く。此の研究所の建物の一部は、ロックフェラー財団の資金援助により建設された。

西暦1,928年6月11日から5日間、ミネアポリスにてAMAの年次総会が開催され、医師約5,000名が出席した。ロバート・ラットウ・ディキンソンは此処で不妊手術の展示を行っている。展示資料は主にハリー・ラフリンの西暦1,922年の著書「アメリカに於ける優生学的断種」から引用された物で、アメリカ各州の不妊手術法の現状と統計(当時26州に法が有り、約9,000件実施)、手術の種類(男性は輸精管切除、女性は卵管結紮等)と其の安全性・非去勢性、優生学的根拠(知的障害者・精神疾患遺伝者・犯罪傾向者の繁殖防止が社会改善に繋がるとする主張)、そして手術例の写真・図表・統計チャートを含んでいた。翌12日、マーガレット・サンガーがABCLの会長を辞任し、CRBをABCLから切り離して独立させ「BCCRB(避妊臨床研究局)」と改称する。ディキンソンはBCCRBとの提携を模索した。

西暦1,929年4月15日午前、ニューヨーク市マンハッタン・ウエストのBCCRBのクリニックに警察の捜査が入る。待合室に患者と子供が居た所での急襲であった。ハンナ・ストーン、博士エリザベス・ピソート、看護師アマリア・ヤコビ、看護師マルチェラ・シデリ、看護師グレース・ハーストの5名がニューヨーク州刑法第1142条違反により逮捕され、避妊具の使用履歴・妊娠防止効果・副作用・性交頻度等の機密情報を含む約15,000件のカルテが没収された。此れを境に、BCCRBとCMHは接近する。ディキンソンは医療界を動員して捜査を公に非難し、マーガレット・サンガーは其の支援を切っ掛けとして、BCCRBの医療監督に関するディキンソンの提案の一部へ一時的に同意した。本年を通じてMRCによるBCCRB買収の交渉が行われたが、サンガーはBCCRBの完全な権限譲渡を拒否し、一定の医療監督のみを求めている。

西暦1,930年1月、MRCが活動を停止する。同時期、CMHは「NCMH(全国母体健康委員会)」へ改称し、避妊・母体健康の情報を収集・普及する役割に特化する方向へ活動をシフトした。背景には二つの事情が有る。一つは研究の停滞である。CMHは当初、病院や医師から臨床データを集め、避妊方法の試験研究を計画していたが、コムストック法により避妊具の入手は困難で、患者の参加も限定的であった。MRCによるBCCRB買収が失敗に終わった事でデータ不足は深刻化し、ロバート・ラットウ・ディキンソンはマーガレット・サンガーのデータに頼らざるを得ない状況となる。もう一つは医療界の支持不足であった。保守的な医師層が、避妊研究を道徳的に問題が有るとして敬遠したのである。同年9月、サンガーはジョン・ロックフェラー・ジュニアの妻アビー・アルドリッチ・ロックフェラーへ書簡を送り、訪問を請いながら、宣伝の類は決して起こらないと保証し、其の助けと関心への感謝を伝えている。

西暦1,939年、マーガレット・サンガーの主導によりABCLとBCCRBが合併し、「BCFA(アメリカ産児制限連合)」が発足する。両組織間の競争を解消する事が背景に有った。西暦1,942年、BCFAは「PPFA(全米家族計画連盟)」へ改称する。産児制限という直接的な表現を避ける為の改称であり、サンガーは反対したが、医療界・政府の支持獲得の為に承認された。西暦1,947年、ジョン・ロックフェラー・ジュニアの長男ジョン・ロックフェラー3世とサンガーが知己を得る。ロックフェラー・ジュニアのサンガーへの資金提供は主にBSHやロックフェラー財団を経由して行われ、直接的な支援も匿名であった為、ロックフェラー家とサンガーの繋がりが公になったのは此れが初めてであった。ロックフェラー3世はアメリカ国内の産児制限運動を活性化し、ロックフェラー財団を使って国際的に拡大する事を目標とし、AES(アメリカ優生学協会)共同設立者フレデリック・オズボーンと、国連人口部共同設立者フランク・W・ノーテスタインが其の達成を支援した。

西暦1,948年4月5日、アビー・アルドリッチ・ロックフェラーが死去する。マーガレット・サンガーは、彼女が死去する前に会った最後の友人の1人であった。サンガーは其の後、ジョン・ロックフェラー・ジュニアへ哀悼の書簡を送り、ロックフェラー夫人の「私達の大義に対する静かな支援」が、暗闇の夜の年月を通じて大きな自信を与えてくれたと記している。そして西暦1,950年11月29日、ロバート・ラットウ・ディキンソンはアマースト(アメリカのマサチューセッツ州ハンプシャー郡)の自身の娘の自宅にて死去した。医学の名の下に避妊のデータを囲い込もうとした二十七年——本書は、其の全過程を年月日単位で一冊に束ねている。


登場人物

  • ロバート・ラットウ・ディキンソン 本書の中心人物。マーガレット・サンガーの協力者で産婦人科医。西暦1,923年3月、其の指導の下でニューヨークに「CMH(母体健康委員会)」が設立された。医療資格を持たない一般人のクリニックを承認していなかったが、信頼出来る避妊研究に必要な患者記録やダイアフラムが得られず、CRBを頼らざるを得なかった。西暦1,928年6月11日のAMA年次総会では不妊手術の展示を行う。西暦1,929年4月15日のBCCRBクリニックへの警察の捜査に際しては医療界を動員して公に非難し、以降CMHとBCCRBは接近した。西暦1,950年11月29日、アマースト(アメリカのマサチューセッツ州ハンプシャー郡)の娘の自宅にて死去。
  • マーガレット・サンガー 産児制限運動の中心人物でABCL会長。西暦1,924年6月19日頃、ジョン・ロックフェラー・ジュニアからABCLへの10,000ドルの寄付を受ける条件として、CRBの臨床データをCMHへ提出する事となった。CMHの提案に従い医療諮問委員会を設置し、CRBをABCL本部の建物から移転させ宣伝を止める。西暦1,927年の世界人口会議へ資金を提供し、西暦1,928年6月12日にABCL会長を辞任してCRBを「BCCRB」として独立させた。MRCによる買収交渉では完全な権限譲渡を拒否している。西暦1,939年にABCLとBCCRBを合併させて「BCFA」を発足させた。
  • ガートルード・ミンタン・ピンチョット 産児制限活動家。西暦1,923年3月、其の主導により、ロバート・ラットウ・ディキンソンの指導の下でニューヨークに「CMH(母体健康委員会)」が設立された。
  • ハンナ・ストーン 初代CRB医療責任者で女医。其の広範な記録管理を知った事が、CRBに批判的であったロバート・ラットウ・ディキンソンの態度を軟化させる切っ掛けとなった。西暦1,929年4月15日、BCCRBクリニックへの警察の急襲によりニューヨーク州刑法第1142条違反で逮捕された5名の1人。
  • エリザベス・ピソート 博士。西暦1,929年4月15日、ニューヨーク市マンハッタン・ウエストのBCCRBクリニックへ入った警察の捜査により、ハンナ・ストーンや看護師アマリア・ヤコビ・マルチェラ・シデリ・グレース・ハーストと共に、ニューヨーク州刑法第1142条違反で逮捕された。
  • ジョン・ロックフェラー・ジュニア 西暦1,924年6月19日頃、マーガレット・サンガーのABCLでの活動への10,000ドルの寄付を承認した。此の寄付には、CRBの臨床データをCMHへ提出するという条件が付いていた。サンガーへの資金提供は主にBSHやロックフェラー財団を経由して行われ、直接的な支援も匿名であった為、ロックフェラー家とサンガーの繋がりが公になったのは西暦1,947年の事である。
  • アビー・アルドリッチ・ロックフェラー ジョン・ロックフェラー・ジュニアの妻。西暦1,930年9月、マーガレット・サンガーから訪問を請う書簡を受け取っている。西暦1,948年4月5日に死去し、サンガーは其の前に会った最後の友人の1人であった。サンガーは後に、彼女の「私達の大義に対する静かな支援」への感謝を書簡へ記している。
  • ジョン・ロックフェラー3世 ジョン・ロックフェラー・ジュニアの長男。西暦1,947年、マーガレット・サンガーと知己を得る。アメリカ国内の産児制限運動を活性化し、ロックフェラー財団を使って国際的に拡大する事を目標としており、フレデリック・オズボーンとフランク・W・ノーテスタインが其の達成を支援した。
  • レイモンド・パール ASA(アメリカ統計学会)会長。西暦1,927年8月29日からジュネーヴで6日間開催された「世界人口会議」の議長を務めた。
  • エドワード・マレー・イースト 優生学者。西暦1,927年の世界人口会議の組織委員を務めた。
  • クラレンス・クック・リトル 第6代ミシガン大学(アメリカのミシガン州アナーバー)学長。西暦1,927年の世界人口会議の組織委員を務めた。
  • ジュリアン・ハクスリー ライス大学(アメリカのテキサス州ヒューストン)生物学助教授。マーガレット・サンガーと共に西暦1,927年の世界人口会議を企画し、組織委員を務めた。
  • コッラド・ジニ パドヴァ大学(イタリアのヴェネト州)統計学教授。西暦1,927年の世界人口会議に参加した。
  • エルヴィン・バウアー ベルリン人種衛生学会会長。西暦1,927年の世界人口会議に参加した。
  • オイゲン・フィッシャー ドイツの優生学者。西暦1,927年の世界人口会議にて人種混合の問題に焦点を当てた演説を行い、黒人と白人の混血を基に遺伝的不調和のリスクを強調した。同年9月、ロックフェラー財団の資金援助で建物の一部が建設された「カイザー・ヴィルヘルム人類学・優生学・人類遺伝学研究所」の所長へ就任する。
  • ハリー・ラフリン 西暦1,922年の著書「アメリカに於ける優生学的断種」の著者。西暦1,928年6月11日のAMA年次総会でロバート・ラットウ・ディキンソンが行った不妊手術の展示は、其の資料を主な引用元としていた。
  • フレデリック・オズボーン AES(アメリカ優生学協会)共同設立者。西暦1,947年以降、ジョン・ロックフェラー3世の産児制限運動の国内活性化と国際的拡大という目標の達成を支援した。
  • フランク・W・ノーテスタイン 国連人口部共同設立者。フレデリック・オズボーンと共に、ジョン・ロックフェラー3世の目標達成を支援した。

組織と出来事の系譜

  • CMH(母体健康委員会)/NCMH(全国母体健康委員会) 西暦1,923年3月、ガートルード・ミンタン・ピンチョットの主導とロバート・ラットウ・ディキンソンの指導の下、ニューヨークに設立。ニューヨーク産科協会の後援、NYAMとAGSの支持を得て、避妊と生殖の研究および人間生殖の医学的側面に関する情報センターとして機能する事を意図した。初期は約50名の医師会員から成りNYAM内に設置される。西暦1,930年1月、研究の停滞と医療界の支持不足を背景に「NCMH(全国母体健康委員会)」へ改称し、避妊・母体健康の情報を収集・普及する役割へ特化した。
  • CRB/BCCRB(避妊臨床研究局) マーガレット・サンガーの臨床部門。コムストック法を広義に解釈し、経済的・社会的理由でも避妊具の配布や情報提供を行っていた為、CMHから法的リスクが高く医学的正当性を欠くと見做されていた。西暦1,924年の寄付を機に医療諮問委員会が設置され、ABCL本部の建物からの移転と宣伝の停止が行われる。西暦1,928年6月12日、ABCLから切り離されて独立し「BCCRB(避妊臨床研究局)」と改称した。
  • ABCL マーガレット・サンガーが会長を務めた産児制限団体。西暦1,924年6月19日頃、ジョン・ロックフェラー・ジュニアが此処への10,000ドルの寄付を承認した。CRBとの結び付きの強さと宣伝活動が、CMHがCRBとの協力を拒んだ理由の一つでもあった。西暦1,939年、BCCRBと合併して「BCFA」となる。
  • BCFA(アメリカ産児制限連合)/PPFA(全米家族計画連盟) 西暦1,939年、ABCLとBCCRBの組織間競争を解消する為、マーガレット・サンガーの主導で両者が合併して発足したのが「BCFA(アメリカ産児制限連合)」。西暦1,942年、産児制限という直接的な表現を避ける為「PPFA(全米家族計画連盟)」へ改称した。サンガーは反対したが、医療界・政府の支持獲得の為に承認された。
  • コムストック法 避妊具の配布や情報提供を制限し、医師には医療目的でのみ避妊を許可していた法。CMHが臨床データを集めて避妊方法の試験研究を行おうとしても、避妊具の入手は困難で患者の参加も限定的となり、研究停滞の直接の原因となった。CRBは此れを広義に解釈して活動しており、其の点がCMHとの対立を生んでいる。
  • NYAM(ニューヨーク医学アカデミー)とAGS(アメリカ婦人科協会) 共にCMH設立を支持した組織。CMHはニューヨーク産科協会の後援を受け、此の2団体の支持を得て設立され、初期はNYAM内に設置されていた。
  • MRC 西暦1,929年を通じてBCCRBの買収交渉を行った組織。マーガレット・サンガーが完全な権限譲渡を拒否した事で買収は失敗に終わり、CMHのデータ不足を深刻化させた。西暦1,930年1月に活動を停止する。
  • 世界人口会議 西暦1,927年8月29日からジュネーヴで6日間開催された会議。マーガレット・サンガー等の資金提供により実現し、約400名の科学者・人口学者・優生学者が参加した。人口生物学・食糧供給・人口密度・カイザー・ヴィルヘルム人類学・優生学・人類遺伝学研究所の活動という4セクションで議論が為され、オイゲン・フィッシャーが人種混合の問題を論じる演説を行っている。
  • カイザー・ヴィルヘルム人類学・優生学・人類遺伝学研究所 西暦1,927年9月に設立され、オイゲン・フィッシャーが所長に就いた研究所。其の活動は同年の世界人口会議で1セクションを占めていた。建物の一部は、ロックフェラー財団の資金援助により建設されている。
  • AMA年次総会の不妊手術展示 西暦1,928年6月11日からミネアポリスで5日間開催され、医師約5,000名が出席した総会でロバート・ラットウ・ディキンソンが行った展示。各州の不妊手術法の現状と統計(当時26州に法が有り約9,000件実施)、輸精管切除・卵管結紮等の術式と其の安全性・非去勢性、優生学的根拠、手術例の写真・図表・統計チャートを含み、資料はハリー・ラフリンの著書から引用された。
  • ニューヨーク州刑法第1142条とBCCRB捜査 西暦1,929年4月15日午前、ニューヨーク市マンハッタン・ウエストのBCCRBクリニックへ警察の捜査が入り、待合室に患者と子供が居る中での急襲となった。ハンナ・ストーン等5名が同条違反で逮捕され、避妊具の使用履歴・妊娠防止効果・副作用・性交頻度等の機密情報を含む約15,000件のカルテが没収されている。
  • ロックフェラー財団とBSH ジョン・ロックフェラー・ジュニアがマーガレット・サンガーへの資金提供を行う際の主な経由先。直接的な支援も匿名で行われていた為、ロックフェラー家とサンガーの繋がりが公になったのは西暦1,947年である。ロックフェラー財団は、カイザー・ヴィルヘルム人類学・優生学・人類遺伝学研究所の建物の一部の建設にも資金援助を行い、ジョン・ロックフェラー3世が産児制限運動を国際的に拡大する手段としても位置付けられた。
  • AES(アメリカ優生学協会)と国連人口部 西暦1,947年以降、ジョン・ロックフェラー3世の目標達成を支えた2名の出身組織。AES共同設立者フレデリック・オズボーンと国連人口部共同設立者フランク・W・ノーテスタインが、アメリカ国内の産児制限運動の活性化と国際的拡大を支援した。

ジュネーヴの世界人口会議から警察の急襲まで──
ロバート・ラットウ・ディキンソンとロックフェラー家の資金の軌跡を一元化。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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