電子書籍「初代英ロスチャイルド家当主ネイサン・メイヤー・ロスチャイルド一元化」の表紙

初代英ロスチャイルド家当主
ネイサン・メイヤー・ロスチャイルド
一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,777年9月16日〜1,836年7月28日
ページ数
25ページ
文字数
9,259字
最新更新日
西暦2,026年8月27日

西暦1,798年、英語も話せぬ男が20,000ポンドを携えロンドンへ渡った──
其の男がイングランド銀行を手中に収める迄の道程を一元化。

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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本書について

西暦1,777年9月16日、メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドとグトレ・ロスチャイルドの間に、参男ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドが生誕した。西暦1,798年、ネイサンは20,000ポンドを携えロンドンへ渡る。内16,000ポンドは、ロンドンの大富豪レヴィ・ベアレント・コーエンを経由して父メイヤーが送った物であった。当時ネイサンは英語が全く出来なかった。其の後マンチェスターへ移り、フランス革命の影響で大陸に於いて暴騰していた綿を大量に買い付け、大陸へ輸出する業務に従事する。当時マンチェスターの繊維産業の粗利率は20%程度であったが、ネイサンは国内5%、国外9%と低く抑えて市場へ食い込んでいった。原綿は紡績屋へ、染料は捺染屋へ、完成品は輸入元の義兄ベネディクト・ヴォルムスへ——売り先を分ける事で、此の低い粗利率を実現したのである。父メイヤーの側も抜かりが無い。マンチェスターからやって来た綿製品の製造業者をドイツへ長く引き止め、大量の発注を行った。製造業者はマンチェスターへ戻ればネイサンから原料を購入せざるを得ない。購入出来なければ、メイヤーへ多額の違約金を払う羽目になるからである。

西暦1,804年、ネイサンはロンドンへ移住し、「イギリス・ロスチャイルド商会」を創設した。此の頃からロスチャイルドはヴィルヘルム9世より資産運用を任され、イギリス国債で運用しながら、其れで得た地金を元手に貴金属投機で利益率20%を叩き出す。同時に、ドーバー(イギリスのケント州)とカレー(フランスのパ・ド・カレー県)にエージェントを配置し、彼等を使って船長へ上乗せ料金を支払い、至急便で手紙を運ばせる等して、情報網の構築と維持に努めた。後に此の網が、幾度も決定的な差を生む事となる。

西暦1,806年6月、ナポレオン・ボナパルト率いる軍のヘッセン侵攻に伴い、ヴィルヘルム9世がデンマークへ逃亡する。其の際ヴィルヘルム9世は、メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドへ財産3,000,000ドルを安全に保管する様命じた。メイヤーは此れをロンドンのネイサンへ送り、財産管理を任せる。ネイサンはヨーロッパ中からヴィルヘルム9世の債権を回収し、得た資金を許可を得た上で投資事業に転用して莫大な利益を得た。同時に、秘密裏にボナパルトが成立させたライン同盟にも取り入り、敵味方双方から利益を得ている。同年7月12日に成立した其のライン同盟では、首座大司教侯にレーゲンスブルク侯国大司教カール・テオドール・フォン・ダールベルクが就いたが、ダールベルクはネイサンと親交が有った。

西暦1,806年10月22日、ネイサンは、ロンドンの大富豪レヴィ・ベアレント・コーエンの娘ハナ・ベアレント・コーエンと結婚する。此れによりロスチャイルドは、イギリスの織物やインドの産物等をヨーロッパ大陸へ密輸するコーエン家の事業を引き継ぐ事となった。翌月21日、ボナパルトがベルリンにて「大陸封鎖令」を発する。対英貿易の禁止、イギリス人の逮捕と財産没収、イギリス本国・植民地産商品の没収——此れによりコーヒー・砂糖・煙草・綿製品といった、大陸諸国がイギリスやその植民地からの輸入に頼っていた商品の価格が高騰した。一方イギリスでは、市場の喪失で同じ商品が暴落する。ネイサンは此の落差を利用した。イギリスで安く買い、大陸へ密輸し、アムシェル・メイヤー・フォン・ロスチャイルドを始めとする父や兄弟達が大陸内で確立していた通商ルートと情報網を使って各地で売り捌き、莫大な利益を得たのである。同月30日頃、ハナがマンチェスターへ移住し、通信・注文処理・小切手への署名等、ロスチャイルド達の業務を手伝う様になった。

西暦1,807年1月頃、ネイサンはヴィルヘルム9世の在ロンドン特命全権公使ロレンツへ資産運用を申し出たが、拒絶される。然し西暦1,808年、カール・ビュデルスがヴィルヘルム9世へ働き掛けた事もあり、ネイサンはヴィルヘルム9世の代理で金利3%のコンソル公債150,000ポンド分を、額面の73.5%である110,250ポンドで購入した。此の年、ロスチャイルドはヴィルヘルム9世の宮廷仲介人となり、ロンドンのグレート・セント・ヘレンズに「N・M・ロスチャイルド&ブラザーズ」という事務所を開設する。西暦1,809年5月にはセント・スウィシンズ・レーンのニュー・コートへオフィスを移転。同年12月頃には再びコンソル公債150,000ポンド分を購入し、更に手数料25%引きで同額を追加購入した。以降も西暦1,813年12月頃迄に6度追加購入し、総額は664,850ポンドに上る。西暦1,810年9月12日、ベアリングス銀行創設者でロンドン証券取引所支配人のフランシス・ベアリングが死去すると、ネイサンがロンドン証券取引所の大株主となり、21,000,000ポンドを支配した。

西暦1,811年、イギリス大蔵省ジョン・チャールズ・ヘリーズは、イベリア半島で戦っていたアーサー・ウェルズリーへ金貨・金塊を供給しようと各金融機関へ打診したが、ピレネー山脈を越えて運ぶリスクに難色を示された。此れを引き受けたのがネイサンである。ロンドンで金塊を購入してジェームス・ド・ロスチャイルドへ密輸し、ジェームスが金塊をスペイン・ポルトガルの金融業者宛為替手形へ変え、ピレネー山脈を経由してウェルズリーへ届ける——其の様なスキームであった。尚、西暦1,809年10月4日に第21代イギリス首相へ就任したスペンサー・パーシヴァルへは、ナポレオン戦争の隙にアメリカが領土拡大を狙っているとして派兵を迫っていたが、割ける兵は無いと拒絶され、ネイサンを失望させている。

西暦1,811年1月24日、第一合衆国銀行の認可が失効した。アメリカ議会では、憲法違反の恐れやアメリカ国外の影響下に在るとの懸念から、更新が僅か1票差で否決される。トーマス・ジェファーソンとアンドリュー・ジャクソンは中央銀行に強く反対し、通貨供給は民間や外国の利益ではなくアメリカ議会を通じてアメリカ国民が決定すべきだと主張していた。アメリカ国外の投資家に取っては、好ましからざる結果である。ネイサンは激怒した。「第一合衆国銀行の特許状更新の申請が認められなければ、アメリカは最も悲惨な戦争に巻き込まれる事になるだろう。此の生意気なアメリカ人に教訓を与えよ。彼らを植民地の地位に戻せ」——アメリカに対する戦争を命じたのである。同行の土地・建物・株式の大部分は、スティーブン・ジラードが買い取り「ジラード銀行」を設立した。同年6月25日、ネイサンは自身の会社「ロスチャイルド・ブラザーズ」を解散し、メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドと共に投資銀行「N・M・ロスチャイルド&サンズ」をロンドンで設立する。此の頃からネイサンは5兄弟の中で威張り散らす様になり、専制的になっていった。7月4日、マンチェスターでの業務を終了する。

西暦1,812年6月18日、アメリカがイギリスへ宣戦布告し、米英戦争が勃発する。イギリスによるフランスへの経済封鎖、イギリス海軍による中立国アメリカ人船員数千名の強制徴用、五大湖沿岸の敵対的インディアン部族へのイギリスの支援——表向きの理由は三つ有ったが、イギリスはロスチャイルド家から借り入れた資金を使ってアメリカの宣戦布告を誘発しており、ネイサンの望み通りの開戦であった。スティーブン・ジラードはジラード銀行と私財を用いてアメリカ陸軍の資金を賄う。ジラードの資金提供が無ければ戦えない程、アメリカの財政は逼迫していた。イギリスは、本年だけで10,000,000ドルの費用が掛かるアメリカを破産させようとしたのである。

西暦1,813年、ネイサンはロシア帝国への送金に難儀していたホープ商会へ手を差し伸べ、ロシア帝国側の窓口の外交官ジェルヴェへ、1,333,333ポンドの送金の為に1%に相当する13,333.33ポンドの賄賂を渡し、送金を完遂した。ロスチャイルドと其の兄弟達は報酬として、イギリスから2%の手数料と2%の実質負担、ロシア帝国から4%の手数料を受け取っている。一方、家の内側は軋んでいた。西暦1,814年、ネイサンの専制的な行動は拍車が掛かり、他の兄弟達へ「白痴」という表現を用いた書簡を送る様になる。ザーロモン・メイヤー・フォン・ロスチャイルドは背中と脚に激しい痛みを覚え、カール・メイヤー・フォン・ロスチャイルドも床に伏せてしまった。見兼ねたメイヤー・デイビッドソンは「この様な屈辱的で、破壊的且つ嘆かわしい態度をとる事は、ロスチャイルド家の将来の団結を危険に晒す」と警告したが、ネイサンは「ならば事業を解体する」と聞く耳を持たない。同年8月、ザーロモンは「ロンドンに居る弟ネイサンは最高司令官であり、私はネイサンの部下の元帥である」という主旨の発言を行っている。

西暦1,815年6月18日夕方、ワーテルロー(現在のベルギーのブラバン・ワロン州)にて、ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍がアーサー・ウェルズリー率いるイギリス・オランダ・プロイセン連合軍に敗れる事が決定的となる。其れを目の当たりにしたネイサンの急使ロスワースは、ブリュッセルを経由してオーステンデへ馬を走らせた。6月20日未明、ロスワースはフォークストンへ到着し、ワーテルローの戦況が書かれた報告書をネイサンへ渡す。報告書に目を通したネイサンは、ロンドン証券取引所へ向けて馬を走らせた。そして、アーサー・ウェルズリー敗戦と見せ掛けて金利が約8%のコンソル公債を売却する。6月16日のカトル・ブラの戦いでウェルズリーが敗れたという情報によって既に下落していたコンソル公債の価格は、額面の5%迄暴落した。ネイサンは其処で密かに買い集め、オムニアム債450,000ポンド、年利3%のコンソル公債650,000ポンドを購入する等して、全体の6割近くを買い占めたのである。此れにより資産は3,000,000ドルから7,400,000,000ドルとなった。イギリス政府最大の債権者となった事でコンソル公債の価格や通貨供給量の操作が可能となり、更に西暦1,807年の奴隷貿易法を切っ掛けとしたイギリス国内の恐慌も相まって、機に乗じてイングランド銀行を実質的支配下に置き、其の通貨発行権と管理権を手中に収めた。

西暦1,817年、ベンジャミン・ディズレーリがネイサンの命令で洗礼を受け、キリスト教徒となる。当時ユダヤ教徒は公職に就く事が禁じられていた為であった。西暦1,818年のメイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの5名の息子の資本金配分は、ネイサンが12,000,000フランで、他の兄弟の7,488,000〜7,776,000フランを大きく引き離している。同年、ネイサンはプロイセン王国国債を5,000,000ポンド起債し、外国国債発行市場へ本格参入した。此れを皮切りに、此の年から西暦1,832年迄にロンドンで調印された26本の外国国債(総額37,600,000ポンド)の内7本をロスチャイルドが起債する。イギリス・ロスチャイルド商会は西暦1,859年迄に50本(総額250,000,000ポンド)を起債し、ライバルのベアリング・ブラザーズの14本(総額66,000,000ポンド)を圧倒した。同じ年、5兄弟はフランクフルト・ロンドン・パリの共同商事会社を1つの包括的な合同会社とするパートナーシップ協定を結んでいる。

西暦1,820年1月29日、ジョージ3世が崩御し、ジョージ4世が第4代ハノーヴァー朝国王へ即位した。浪費家であったジョージ4世は巨額の負債を抱え、後にネイサンの融資を受ける。此れを切っ掛けにロスチャイルドはイギリス王室との関係を構築した。西暦1,822年9月23日には、長年の政治生活で金欠となっていた初代オーストリア帝国国家宰相クレメンス・フォン・メッテルニヒへ、兄弟達と共に900,000ギルダーを融資する。メッテルニヒは此の頃、公的な通信手段よりも早く伝達出来るロスチャイルドの通信ネットワークを利用し、他国の政府へ自身の見解を伝えていた。西暦1,824年5月にはイングランド銀行から地金1,000,000ポンド分の保証を受け、同年12月1日、其の内500,000ポンドを持ち出してフランス銀行へ預ける。ジェームス・ド・ロスチャイルドが前年3月にフランス政府から引き受けた公債の価格を維持する事が狙いであった。西暦1,825年、南アメリカへの投機の破綻に端を発した恐慌がイギリスを襲い、770の銀行の内73行が破産する。ネイサンは300,000ポンド相当のソブリン金貨をイングランド銀行へ提供し、不足分をジェームスがパリから供給して、総額は10,000,000ポンドに達した。

西暦1,833年8月23日、ウィリアム・ウィルバーフォース等の奴隷廃止運動により「奴隷制度廃止法」が成立し、イギリスの植民地に於ける奴隷制度が違法となる。此の際、46,000名のイギリス人奴隷主へ総額20,000,000ポンドの賠償金が支払われた。其の財源は、イングランド銀行の5,000,000ポンド、ネイサンの15,000,000ポンド、モーゼス・モンテフィオーレの15,000,000ポンドという利子付きの借金で賄われ、イギリス国民が税金として負担する。完済したのは西暦2,015年の事であった。同月28日、イギリス東インド会社が商業活動を停止し、其の貿易利権はネイサンとモーゼズ・モンテフィオーレが多額の補償金を支払って引き取る。更にデイヴィッド・サスーンは同社からインド産アヘンの専売権と貿易ルートを獲得し、アヘンの輸入・生産を禁じていた清へ密売して、銀を清から持ち出し莫大な利益を得た。そして西暦1,836年7月28日、ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドは死去し、長男のライオネル・ド・ロスチャイルドが第2代イギリス・ロスチャイルド家当主となる。20,000ポンドを携えて英語も話せぬ儘ロンドンへ渡った男が、イングランド銀行の通貨発行権を握る迄——本書は其の五十九年を、年月日単位で一冊に束ねている。


登場人物

  • ネイサン・メイヤー・ロスチャイルド 本書の中心人物。西暦1,777年9月16日、メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドとグトレ・ロスチャイルドの参男として生誕した。西暦1,798年に20,000ポンドを携えロンドンへ渡り、マンチェスターで綿取引に従事。西暦1,804年に「イギリス・ロスチャイルド商会」を創設し、ヴィルヘルム9世の資産運用と大陸封鎖令下の密輸で富を築いた。西暦1,815年、ワーテルローの戦況を先取りしてコンソル公債を買い占め、イングランド銀行を実質的支配下に置く。西暦1,811年には第一合衆国銀行の認可失効に激怒してアメリカへの戦争を命じ、西暦1,833年には奴隷制度廃止法の賠償金15,000,000ポンドを融資した。西暦1,836年7月28日死去。
  • メイヤー・アムシェル・ロスチャイルド ネイサンの父で、ロスチャイルド家の祖。西暦1,798年、レヴィ・ベアレント・コーエン経由でネイサンへ16,000ポンドを送った。マンチェスターから来た綿製品の製造業者をドイツへ長く引き止めて大量発注を行い、彼等が原料をネイサンから買わざるを得ない状況を作っている。西暦1,806年にはヴィルヘルム9世から預かった財産3,000,000ドルをネイサンへ送り、西暦1,811年6月25日には共に「N・M・ロスチャイルド&サンズ」を設立した。
  • グトレ・ロスチャイルド メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの妻で、ネイサンの母。西暦1,777年9月16日、参男ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドを産んだ。
  • レヴィ・ベアレント・コーエン ロンドンの大富豪。西暦1,798年、メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドがネイサンへ送った16,000ポンドは、彼を経由した物であった。西暦1,806年10月22日には、娘ハナ・ベアレント・コーエンをネイサンへ嫁がせている。
  • ハナ・ベアレント・コーエン レヴィ・ベアレント・コーエンの娘で、モーゼズ・モンテフィオーレの義妹。カール・マルクスの祖母ナネッテ・コーエンとは従姉妹関係にある。西暦1,806年10月22日にネイサンと結婚し、ロスチャイルドはコーエン家の密輸事業を引き継いだ。同年11月30日頃にマンチェスターへ移住し、通信・注文処理・小切手への署名等の業務を担う。書簡では戦略の提案や政治的・経済的発展の報告を行う一方、風邪を引かぬ様ネイサンを気遣う記載も残している。
  • ヴィルヘルム9世 ヘッセンの領主。西暦1,804年頃からロスチャイルドへ資産運用を任せていた。西暦1,806年6月、ナポレオン軍のヘッセン侵攻に伴いデンマークへ逃亡する際、財産3,000,000ドルの保管をメイヤー・アムシェル・ロスチャイルドへ命じ、其れがロンドンのネイサンへ渡った。西暦1,808年、ネイサンは其の宮廷仲介人となる。
  • カール・ビュデルス ナポレオン・ボナパルト等と共にライン同盟の成立に関わった人物。西暦1,808年、ヴィルヘルム9世に対し、資産運用をロスチャイルドへ託す様働き掛けた。
  • ナポレオン・ボナパルト フランス皇帝。西暦1,806年6月のヘッセン侵攻でヴィルヘルム9世をデンマークへ逃亡させ、同年7月12日にライン同盟を成立させた。同年11月21日にはベルリンで「大陸封鎖令」を発し、結果としてネイサンに密輸で莫大な利益を得る機会を与える。西暦1,815年6月18日、ワーテルローでイギリス・オランダ・プロイセン連合軍に敗れた。
  • アーサー・ウェルズリー イギリス貴族院議員。西暦1,811年、イベリア半島での戦いに際し、ネイサンとジェームス・ド・ロスチャイルドのスキームによって金塊を為替手形の形で受け取った。西暦1,815年6月18日のワーテルローの戦いでイギリス・オランダ・プロイセン連合軍を率いてナポレオン軍を破る。西暦1,830年頃には、ネイサンから財政上の助言を受けている。
  • ジョン・チャールズ・ヘリーズ イギリス大蔵省の官僚。西暦1,811年、イベリア半島のアーサー・ウェルズリーへ金貨・金塊を供給しようと各金融機関へ打診し、唯一引き受けたネイサンと組んだ。西暦1,815年のワーテルロー後の金価格暴落では、ネイサンが彼へ売却した金塊の資産が大きく目減りしている。
  • スペンサー・パーシヴァル 第21代イギリス首相。西暦1,809年10月4日就任。ネイサンからナポレオン戦争の隙を突いたアメリカへの派兵を迫られたが、割ける兵は無いとして拒絶し、ネイサンを失望させた。ジョージ4世からは補助金をせびられている。
  • フランシス・ベアリング ベアリングス銀行創設者でロンドン証券取引所支配人。西暦1,810年9月12日に死去し、此れに伴いネイサンがロンドン証券取引所の大株主となって21,000,000ポンドを支配する事となった。
  • スティーブン・ジラード 西暦1,811年1月24日に認可が失効した第一合衆国銀行の土地・建物・株式の大部分を買い取り、「ジラード銀行」を設立した。西暦1,812年の米英戦争では、ジラード銀行と私財を用いてアメリカ陸軍の資金を賄う。彼の資金提供が無ければ戦えない程、アメリカの財政は逼迫していた。
  • トーマス・ジェファーソンとアンドリュー・ジャクソン 共に中央銀行へ強く反対し、通貨供給は民間や外国の利益ではなく、アメリカ議会を通じてアメリカ国民が決定すべきだと主張していた。西暦1,811年1月24日、第一合衆国銀行の認可更新が僅か1票差で否決された背景には、此の主張が有った。
  • ジェームス・ド・ロスチャイルド ネイサンの弟で、パリのロスチャイルド家当主。西暦1,811年、ネイサンがロンドンで購入した金塊を密輸で受け取り、スペイン・ポルトガルの金融業者宛為替手形へ変えてアーサー・ウェルズリーへ届けた。西暦1,825年の恐慌では、ネイサンが提供したソブリン金貨の不足分をパリから供給し、総額10,000,000ポンドに達している。
  • ザーロモン・メイヤー・フォン・ロスチャイルド ネイサンの兄。西暦1,814年、ネイサンの専制的な書簡により背中と脚に激しい痛みを覚える様になった。同年8月には「ロンドンに居る弟ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドは最高司令官であり、私はネイサンの部下の元帥である」という主旨の発言を行っている。
  • カール・メイヤー・フォン・ロスチャイルド ネイサンの兄。西暦1,814年、ネイサンの専制的な書簡により床に伏せてしまった。西暦1,815年のワーテルローの戦いに先立つ資金調達では、アムステルダムで国債を売り捌いている。
  • メイヤー・デイビッドソン ハナ・ベアレント・コーエンの妹ジェシー・バレント・コーエンの夫。西暦1,814年、兄弟達へ「白痴」という表現を用いた書簡を送るネイサンに対し「この様な屈辱的で、破壊的且つ嘆かわしい態度をとる事は、ロスチャイルド家の将来の団結を危険に晒す」と警告したが、「ならば事業を解体する」と一蹴された。
  • ロスワース ネイサンの急使。西暦1,815年6月18日夕方、ワーテルローでフランス軍の敗北が決定的となったのを見届け、ブリュッセルを経由してオーステンデへ馬を走らせた。6月20日未明にフォークストンへ到着し、戦況の書かれた報告書をネイサンへ渡す。此の報告が、コンソル公債買い占めの起点となった。
  • ベンジャミン・ディズレーリ 西暦1,817年、ネイサンの命令で洗礼を受けキリスト教徒となった。当時ユダヤ教徒は公職に就く事が禁じられていた為である。
  • ジョージ4世 西暦1,820年1月29日のジョージ3世の崩御により第4代ハノーヴァー朝国王へ即位した。浪費家で巨額の負債を抱え、スペンサー・パーシヴァルへ補助金をせびり、後にネイサンの融資を受ける。此れを切っ掛けにロスチャイルドはイギリス王室との関係を構築した。
  • クレメンス・フォン・メッテルニヒ 初代オーストリア帝国国家宰相。西暦1,822年9月23日、長年の政治生活で金欠となっている所へ、ネイサンと其の兄弟達から900,000ギルダーの融資を受けた。此の頃、公的な通信手段よりも早く伝達出来るロスチャイルドの通信ネットワークを利用し、他国の政府へ自身の見解を伝えていた。
  • モーゼズ・モンテフィオーレ ハナ・ベアレント・コーエンの義兄。西暦1,833年8月23日の奴隷制度廃止法では、ネイサンと同じく15,000,000ポンドをイギリス政府へ貸し付けた。同月28日には、商業活動を停止したイギリス東インド会社の貿易利権を、ネイサンと共に多額の補償金を支払って引き取っている。
  • デイヴィッド・サスーン 西暦1,833年8月28日、商業活動を停止したイギリス東インド会社からインド産アヘンの専売権と貿易ルートを獲得した。アヘンの輸入・生産を禁じていた清へ密売し、銀を清から持ち出して莫大な利益を得る。紅茶の総元締めでもあり、茶葉の貿易にも関わっていた。
  • ライオネル・ド・ロスチャイルド ネイサンの長男。西暦1,836年7月28日の父の死去に伴い、第2代イギリス・ロスチャイルド家当主となった。

主要な概念・組織

  • イギリス・ロスチャイルド商会 西暦1,804年、ロンドンへ移住したネイサンが創設した商会。ヴィルヘルム9世の資産をイギリス国債で運用し、得た地金を元手に貴金属投機で利益率20%を叩き出した。西暦1,859年迄に50本の外国国債(総額250,000,000ポンド)を起債し、14本(総額66,000,000ポンド)のベアリング・ブラザーズを圧倒している。
  • N・M・ロスチャイルド&ブラザーズ/N・M・ロスチャイルド&サンズ 西暦1,808年、ヴィルヘルム9世の宮廷仲介人となったネイサンが、ロンドンのグレート・セント・ヘレンズに開設した事務所が「N・M・ロスチャイルド&ブラザーズ」。西暦1,809年5月にセント・スウィシンズ・レーンのニュー・コートへ移転した。西暦1,811年6月25日には「ロスチャイルド・ブラザーズ」を解散し、メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドと共に投資銀行「N・M・ロスチャイルド&サンズ」をロンドンで設立している。
  • コンソル公債とオムニアム債 コンソル公債はイギリス政府の永久債。西暦1,808年、ネイサンはヴィルヘルム9世の代理で金利3%の150,000ポンド分を額面の73.5%で購入し、西暦1,813年12月頃迄の追加購入と併せて総額664,850ポンドに達した。西暦1,815年6月20日のワーテルロー後には、金利約8%のコンソル公債を敗戦と見せ掛けて売却し、額面の5%迄暴落した所でオムニアム債450,000ポンド、年利3%のコンソル公債650,000ポンドを買い集め、全体の6割近くを買い占めている。
  • ライン同盟 西暦1,806年7月12日、ナポレオン・ボナパルトやカール・ビュデルス等が、バイエルン王国・ヴュルテンベルク・レーゲンスブルク侯国・バーデン選帝侯領等16のドイツ諸国を神聖ローマ帝国から離脱させ、フランス帝国と同盟させて成立した。首座大司教侯にはカール・テオドール・フォン・ダールベルクが就き、彼はネイサンと親交が有った。ネイサンはヴィルヘルム9世の財産を運用しつつ、秘密裏に此の同盟へも取り入り、敵味方双方から利益を得ている。
  • 大陸封鎖令 西暦1,806年11月21日、ナポレオン・ボナパルトがベルリンで発した、対英貿易の禁止・イギリス人の逮捕と財産没収・イギリス本国及び植民地産商品の没収を命じる法令。コーヒー・砂糖・煙草・綿製品等が大陸で高騰し、イギリスでは市場の喪失により暴落した。ネイサンは此の落差を突き、イギリスで安く買って大陸へ密輸し、父や兄弟達の通商ルートと情報網で売り捌いて莫大な利益を得た。
  • 第一合衆国銀行とジラード銀行 西暦1,811年1月24日、第一合衆国銀行の認可が失効し、更新は僅か1票差で否決された。憲法違反の恐れとアメリカ国外の影響下に在るとの懸念が背景に在る。此れに激怒したネイサンは、アメリカに対する戦争を命じた。同行の土地・建物・株式の大部分はスティーブン・ジラードが買い取り、「ジラード銀行」となる。
  • 米英戦争 西暦1,812年6月18日、イギリスによるフランスへの経済封鎖、アメリカ人船員数千名の強制徴用、五大湖沿岸の敵対的インディアン部族への支援を理由に、アメリカがイギリスへ宣戦布告して勃発した。イギリスはロスチャイルド家から借り入れた資金を使って宣戦布告を誘発しており、ネイサンの望み通りの開戦であった。イギリスは、本年だけで10,000,000ドルの費用が掛かるアメリカを破産させようとしている。
  • ワーテルローの戦い 西暦1,815年6月18日、ワーテルロー(現在のベルギーのブラバン・ワロン州)にて、ナポレオン軍が8時間に及ぶ激戦の末に1/3の兵士を失い、イギリス・オランダ・プロイセン連合軍へ敗れた戦い。急使ロスワースが6月20日未明にフォークストンへ届けた報告書が、ネイサンによるコンソル公債の買い占めを可能にした。此の戦いで金価格が暴落し、ジョン・チャールズ・ヘリーズへ売却した金塊の資産は目減りしたが、西暦1,817年にかけての債券売却で補填されている。
  • ロンドン証券取引所とイングランド銀行 西暦1,810年9月12日のフランシス・ベアリング死去により、ネイサンはロンドン証券取引所の大株主となり21,000,000ポンドを支配した。西暦1,815年6月20日の買い占めでイギリス政府最大の債権者となると、コンソル公債の価格や通貨供給量の操作が可能となる。西暦1,807年の奴隷貿易法を切っ掛けとした国内の恐慌も相まって、イングランド銀行を実質的支配下に置き、其の通貨発行権と管理権を手中に収めた。
  • ホープ商会 ロシア帝国への送金に難儀していた商会。西暦1,813年、ネイサンが手を差し伸べ、ロシア帝国側の窓口の外交官ジェルヴェへ1,333,333ポンドの送金の為に1%に相当する13,333.33ポンドの賄賂を渡して送金を完遂した。ロスチャイルド兄弟は、イギリスから2%の手数料と2%の実質負担、ロシア帝国から4%の手数料を受け取っている。
  • 外国国債発行市場とパートナーシップ協定 西暦1,818年、ネイサンはプロイセン王国国債を5,000,000ポンド起債し、外国国債発行市場へ本格参入した。此の年から西暦1,832年迄にロンドンで調印された26本(総額37,600,000ポンド)の内、7本がロスチャイルドの起債である。同じ年、5兄弟はフランクフルト・ロンドン・パリの共同商事会社を1つの包括的な合同会社とするパートナーシップ協定を結んだ。資本金配分はネイサンが12,000,000フランと突出し、西暦1,828年には28,200,000フランへ達している。
  • 奴隷制度廃止法 西暦1,833年8月23日、ウィリアム・ウィルバーフォース等の運動により成立し、イギリスの植民地に於ける奴隷制度が違法となった。46,000名のイギリス人奴隷主へ総額20,000,000ポンドの賠償金が支払われ、其の財源はイングランド銀行の5,000,000ポンド、ネイサンの15,000,000ポンド、モーゼス・モンテフィオーレの15,000,000ポンドという利子付きの借金で賄われた。イギリス国民が税金として負担し、完済したのは西暦2,015年である。
  • イギリス東インド会社 西暦1,833年8月28日に商業活動を停止した。其の貿易利権は、多額の補償金を支払ったネイサンとモーゼズ・モンテフィオーレが引き取っている。デイヴィッド・サスーンは同社からインド産アヘンの専売権と貿易ルートを獲得し、清への密売で銀を持ち出して莫大な利益を得た。

大陸封鎖令下の密輸からワーテルローの買い占めまで──
初代英ロスチャイルド家当主の五十九年の全軌跡を一元化。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
YouTubeとニコニコでも情報を発信中。