初代英ロスチャイルド家当主
ネイサン・メイヤー・ロスチャイルド
一元化
マンチェスターの綿密輸、ワーテルローの戦勝の急使、フィラデルフィアの第二合衆国銀行──
20,000ポンドを携えロンドンへ渡った男が、ロンドン証券取引所21,000,000ポンドを支配し、コンソル公債を暴落させ、米英戦争を誘発し、奴隷廃止賠償金15,000,000ポンドを融資する迄、初代英ロスチャイルド家当主の45年間を年月日単位で追跡した一冊。
JPY 200(税込)
購入する →購入後、そのままPDFダウンロードページへ移動します
お支払いは決済サービス「Square」を通じて安全に処理されます。カード情報が当サイトに保存されることはありません。
本書について
西暦1,798年、メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの参男ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドが、20,000ポンドを携えロンドンへ渡った。其の内16,000ポンドは、モーゼズ・モンテフィオーレの義妹で、ロンドンの大富豪レヴィ・ベアレント・コーエン経由でメイヤーが送ったものであった。当時ネイサンは英語が全く出来なかったが、其の後マンチェスターに移動し、フランス革命の影響で大陸で暴騰していた綿を大量に買い付け、大陸へ輸出する業務に従事した。当時マンチェスターの繊維産業の粗利率は20%程度であったが、ネイサンは国内5%、国外9%と低く抑え市場に食い込んでいった。西暦1,804年、ネイサンはロンドンへ移住し「イギリス・ロスチャイルド商会」を創設した。此の頃からロスチャイルドは、ヴィルヘルム9世から資産運用を任せられ、イギリス国債で運用しながら、其れで得た地金を元手に、貴金属投機で利益率20%を叩き出した。本書は、此のロンドン到着から、ワーテルローの戦いに於けるコンソル公債暴落・買い占めによるイングランド銀行掌握、米英戦争の誘発、奴隷制度廃止法に於ける賠償金融資、そして西暦1,842年のニコラス・ビドルによるアメリカ政府への資金提供停止迄、初代英ロスチャイルド家当主が世界の金融を実質的支配下に置いていく45年間を、一本の時系列に貫き、一元化した一冊である。
西暦1,806年6月、ナポレオン・ボナパルト率いる軍のヘッセン侵攻に伴い、ヴィルヘルム9世がデンマークに逃亡した。ヴィルヘルム9世はメイヤー・アムシェル・ロスチャイルドに財産3,000,000ドルを安全に保管する様命じ、メイヤーは此のヴィルヘルム9世の財産をロンドンに居るネイサン・メイヤー・ロスチャイルドに送り、財産管理を任せた。ネイサンはヨーロッパ中からヴィルヘルム9世の債権を回収し、得た資金をヴィルヘルム9世の許可を得て投資事業に転用し、莫大な利益を得た。又、秘密裏にナポレオンが成立させたライン同盟にも取り入り、敵味方双方から利益を得ていた。同年10月22日、ネイサンはモーゼズ・モンテフィオーレの義妹且つロンドンの大富豪レヴィ・ベアレント・コーエンの娘で、カール・マルクスの祖母ナネッテ・コーエンと従姉妹関係にあるハナ・ベアレント・コーエンと結婚した。同年11月21日、ナポレオンがベルリンで「大陸封鎖令」を発した。コーヒー・砂糖・煙草・綿製品等の価格が大陸では高騰しイギリスでは暴落した此の事態を、ネイサンは利用し、イギリスで安く買って大陸へ密輸し、父や兄弟達が大陸内で確立しているロスチャイルド家の通商ルートや情報網を使って各地で売り捌き、莫大な利益を得た。
西暦1,808年、ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドは、ヴィルヘルム9世の代理で金利3%のコンソル公債を150,000ポンド分を額面の73.5%である110,250ポンドで購入した。カール・ビュデルスがヴィルヘルム9世に、資産運用をロスチャイルドに託す様働きかけていた。此の年ロスチャイルドは、ヴィルヘルム9世の宮廷仲介人となり、ロンドンのグレート・セント・ヘレンズに「N・M・ロスチャイルド&ブラザーズ」という事務所を開設した。西暦1,809年12月、コンソル公債を150,000ポンド分追加購入し、其の後西暦1,813年12月頃迄に6度コンソル公債を追加購入し、総額は664,850ポンドに上った。西暦1,810年9月12日、ベアリングス銀行創設者でロンドン証券取引所支配人のフランシス・ベアリングが死去し、ネイサンがロンドン証券取引所の大株主となり、21,000,000ポンドを支配した。
西暦1,811年1月24日、第一合衆国銀行の認可が失効した。アメリカ議会にて、憲法違反の恐れやアメリカ国外の影響下に在ると考える議員の懸念から、更新が僅か1票差で否決された事は、アメリカ国外の投資家に取って好ましくない結果となった。トーマス・ジェファーソンとアンドリュー・ジャクソンの2名は中央銀行に強く反対し、通貨供給はアメリカ議会を通じてアメリカ国民が決定すべきだと主張していた。此れを受けて、ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドは激怒し「第一合衆国銀行の特許状更新の申請が認められなければ、アメリカは最も悲惨な戦争に巻き込まれる事になるだろう。此の生意気なアメリカ人に教訓を与えよ。彼らを植民地の地位に戻せ」と、アメリカに対する戦争を命じた。同年6月25日、ネイサンは自身の会社である「ロスチャイルド・ブラザーズ」を解散し、メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドと共に投資銀行の「N・M・ロスチャイルド&サンズ」をロンドンで設立した。此の頃からネイサンは5兄弟の中で威張り散らす様になり、専制的になった。
西暦1,812年5月11日17時頃、商人ジョン・ベリンガムがウェストミンスター宮殿内庶民院ロビーにて、至近距離からスペンサー・パーシヴァルを撃ち、暗殺した。同年6月18日、アメリカが、イギリスによるフランスへの経済封鎖、イギリス海軍によるアメリカ人船員数千名の強制徴用、五大湖沿岸のアメリカに敵対的なインディアン部族へのイギリスの支援を受けて、イギリスに宣戦布告し、米英戦争が勃発した。イギリスは、ロスチャイルド家から借り入れた資金を使ってアメリカの宣戦布告を誘発し、ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドの望み通りに開戦した。スティーブン・ジラードは、ジラード銀行と私財を用いて、アメリカ陸軍の資金を賄った。ジラードの資金提供が無ければ戦えない程、アメリカの財政は逼迫していた。西暦1,814年9月、米英戦争に於ける両国による協議が、ヘントで開始され、4ヶ月に渡る協議の結果、第二合衆国銀行の設立で合意した。同年12月24日、講和条約「ガン条約」が締結され、第二合衆国銀行の設立が確固たるものとなった。アメリカは此の戦争で大量の国債を発行し、戦争の総費用は158,000,000ドルに上り、開戦前に45,000,000ドルであった国家債務は、翌年には127,000,000ドルに膨らんだ。ヨーロッパの主要金融都市に拠点を有するロスチャイルド家は、発行された国債を悉く買い占め、発行した政府には当初の発行価格を支払いつつ、ブローカーネットワークに高値で売却した。
西暦1,815年6月18日夕方、ワーテルローにてナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍が、イギリス貴族院議員アーサー・ウェルズリー率いるイギリス・オランダ・プロイセン連合軍に敗れる事が決定的となった事を目の当たりにしたネイサン・メイヤー・ロスチャイルドの急使ロスワースが、ブリュッセルを経由してオーステンデへ馬を走らせた。同年6月19日未明、ロスワースは特別航行証のある快速艇「ロスチャイルド号」に乗船し、船員に2,000フランを渡し、オーステンデからフォークストンに向けて出港した。同年6月20日未明、ロスワースがフォークストンに到着し、ネイサンに報告書を渡した。ネイサンは其の後、アーサー・ウェルズリー敗戦と見せかけ金利が約8%のコンソル公債を売却し、価格を額面の5%まで暴落させた所で密かに買い集め、オムニアム債450,000ポンド、年利3%のコンソル公債650,000ポンドを購入する等して、全体の6割近くを買い占めた。此れにより資産が3,000,000ドルから7,400,000,000ドルとなる。又イギリス政府最大の債権者となった事で、コンソル公債の価格や通貨供給量の操作が可能になった。更に西暦1,807年の奴隷貿易法を切っ掛けとした、イギリス国内の恐慌も相まって、機に乗じてイングランド銀行を実質的支配下に置き、イングランド銀行の通貨発行権と管理権を手中に収めた。同年6月21日23時、アーサー・ウェルズリーの使者ヘンリー・パーシーがロンドンに到着し、フランス軍の敗北を知らせた。
西暦1,816年4月10日、第4代アメリカ大統領ジェームズ・マディソンが、第二合衆国銀行の設立法案に署名した。同行は第一合衆国銀行をモデルとしており、税金の徴収・送金・政府/個人への融資の機能を有した。第二合衆国銀行の最大の株主はジェームス・ド・ロスチャイルドであった。ロスチャイルド家は其の後も、戦争を誘発して双方に資金を貸し付ける事で、富を拡大していった。西暦1,818年、ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドはプロイセン王国国債を5,000,000ポンド起債し、外国国債発行市場に本格参入した。又同年、メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの5名の息子はパートナーシップ協定を結び、フランクフルト・ロンドン・パリの共同商事会社を1つの包括的な合同会社として形成する事となった。西暦1,820年1月29日、ジョージ3世が崩御しジョージ4世が第4代ハノーヴァー朝国王に即位した。浪費家であったジョージ4世は、巨額の負債を抱え、後にネイサンの融資を受けた事を切っ掛けに、ロスチャイルドはイギリス王室との関係を構築した。
西暦1,822年9月23日、初代オーストリア帝国国家宰相クレメンス・フォン・メッテルニヒが長年の政治生活で金欠となっているとの情報を得たネイサン・メイヤー・ロスチャイルドとその兄弟達が、メッテルニヒに対し900,000ギルダーの融資を行った。メッテルニヒは此の頃、公的な通信手段よりも早く伝達出来るロスチャイルドの通信ネットワークを利用し、他国の政府に自身の見解を伝えた。同年9月29日、メッテルニヒの働き掛けにより、初代オーストリア皇帝フランツ2世がロスチャイルド家に対し、男爵位と5兄弟の団結を象徴する5本の矢を握るデザインの紋章を与えた。西暦1,825年、イギリスで南アメリカへの投機が破綻した事に端を発した恐慌が発生し、株式市場は暴落、770の銀行の内73行が破産した。ネイサンは300,000ポンド相当のソブリン金貨をイングランド銀行に提供し、不足分をジェームス・ド・ロスチャイルドがパリから供給し、総額は10,000,000ポンドに達した。
西暦1,829年3月4日、アンドリュー・ジャクソンが第7代アメリカ大統領に就任した。西暦1,832年7月10日、ジャクソンはアメリカ政府による第二合衆国銀行の認可更新法案を、拒否権により否決した。ジャクソンは、銀行に対して不信感を抱き、同行と第一合衆国銀行を違憲且つ州の権利に対する脅威と見做していた。同年11月2日の第12回アメリカ大統領選で再選を果たしたジャクソンは「ジャクソンと銀行反対」というスローガンを掲げ、銀行家に対し「貴方達は毒蛇の巣窟だ。私は貴方達を暴き、永遠の神に掛けて貴方達を追い出す積もりだ」「外国の株主が我々の通貨を支配する事は、敵の海軍及び軍事力よりも手強く危険だ」と発言した。西暦1,833年8月23日、ウィリアム・ウィルバーフォース等の奴隷廃止運動により「奴隷制度廃止法」が成立し、イギリスの植民地に於ける奴隷制度が違法となった。其の際46,000名のイギリス人奴隷主に総額20,000,000ポンドの賠償金が支払われ、其の財源はイギリス政府による借金により賄われ、イギリス国民が税金として負担した。其の内訳は、イングランド銀行5,000,000ポンド、ネイサン・メイヤー・ロスチャイルド15,000,000ポンド、モーゼス・モンテフィオーレ15,000,000ポンドであり、完済したのは西暦2,015年の事であった。同年9月10日、ジャクソンは第二合衆国銀行を今後利用しない旨を表明し、アメリカ政府の資金を同行から全て引き上げ州立銀行に預け入れる様命じた。
西暦1,835年1月8日、アメリカが公的債務を完済した。アメリカの公的債務がゼロとなったのは史上初の事であった。アンドリュー・ジャクソンは、各州が抱えていた債務の合計75,000,000ドルを統合し、ロスチャイルド家に支払う利息をなるべく少なくする為に、早期完済を目指し奔走した。同年1月30日、アメリカ議会議事堂の入口近くの柱の後ろに隠れていた失業中の塗装工リチャード・ローレンスがジャクソンに向けてピストルを発砲したが、不発に終わった。西暦1,836年3月3日、第二合衆国銀行の認可が失効し、同年同行はペンシルベニア州の民間企業となった。同年7月28日、ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドが死去し、長男のライオネル・ド・ロスチャイルドが第2代イギリス・ロスチャイルド家当主となった。西暦1,842年、第3代第二合衆国銀行総裁を務めた、ロスチャイルド家の代理人であるニコラス・ビドルが、アメリカ政府への資金提供を停止した。此れによりアメリカは不況に陥った。本書は、此の45年に亘る、20,000ポンドからイングランド銀行掌握迄の、初代英ロスチャイルド家当主の全過程を、年月日単位で記録した年表である。
登場人物
- ネイサン・メイヤー・ロスチャイルド メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの参男。西暦1,798年に20,000ポンドを携えロンドンへ渡り、マンチェスターでの綿の輸出業務を経て、西暦1,804年に「イギリス・ロスチャイルド商会」を創設。ヴィルヘルム9世の資産運用、大陸封鎖令を利用した密輸、ロンドン証券取引所21,000,000ポンドの支配、米英戦争の誘発、ワーテルローの戦いに於けるコンソル公債暴落・買い占めによるイングランド銀行掌握、ジョージ4世への融資、メッテルニヒへの融資と男爵位獲得、奴隷制度廃止法に於ける15,000,000ポンドの賠償金融資を達成し、西暦1,836年7月28日に死去した。
- メイヤー・アムシェル・ロスチャイルド ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドの父。西暦1,798年に16,000ポンドをレヴィ・ベアレント・コーエン経由でネイサンに送り、ロンドン進出を支援した。西暦1,806年6月にはヴィルヘルム9世から預かった財産3,000,000ドルをネイサンに送った。西暦1,811年6月25日にネイサンと共に投資銀行「N・M・ロスチャイルド&サンズ」をロンドンで設立した。
- ヴィルヘルム9世 ヘッセンの君主。西暦1,804年頃からネイサン・メイヤー・ロスチャイルドに資産運用を任せた。西暦1,806年6月にナポレオン・ボナパルト率いる軍のヘッセン侵攻に伴いデンマークに逃亡し、メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドに財産3,000,000ドルを安全に保管する様命じた。西暦1,808年にネイサンの代理でコンソル公債を購入させ、宮廷仲介人とした。西暦1,813年12月頃迄のコンソル公債の購入総額は664,850ポンドに上った。
- ハナ・ベアレント・コーエン モーゼズ・モンテフィオーレの義妹且つロンドンの大富豪レヴィ・ベアレント・コーエンの娘で、カール・マルクスの祖母ナネッテ・コーエンと従姉妹関係にある。西暦1,806年10月22日にネイサン・メイヤー・ロスチャイルドと結婚した。嫁入りの際、レヴィから与えられた3,248.14.06ポンドを生活扶助料受領権を得る目的で持参した。其の後、ネイサン達の業務を手伝い、通信・注文処理・小切手への署名等に従事した。
- レヴィ・ベアレント・コーエン ロンドンの大富豪。モーゼズ・モンテフィオーレの義兄。西暦1,798年にメイヤー・アムシェル・ロスチャイルドからの16,000ポンドの送金経路となった。娘ハナ・ベアレント・コーエンを西暦1,806年10月22日にネイサン・メイヤー・ロスチャイルドと結婚させた。コーエン家はイギリスの織物やインドの産物等をヨーロッパ大陸へ密輸する事業を営んでおり、結婚後ネイサンが此の事業を引き継ぐ事となった。
- ナポレオン・ボナパルト フランス皇帝。西暦1,806年6月にヘッセン侵攻、同年7月12日にカール・ビュデルス等とライン同盟を成立、同年11月21日にベルリンで「大陸封鎖令」を発した。西暦1,815年6月18日夕方、ワーテルローにてアーサー・ウェルズリー率いるイギリス・オランダ・プロイセン連合軍に敗北し、ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドのコンソル公債暴落・買い占めの切っ掛けとなった。
- アーサー・ウェルズリー イギリス貴族院議員。西暦1,811年にイベリア半島で戦っており、ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドが金塊を密輸により供給した。西暦1,815年6月18日夕方のワーテルローにてイギリス・オランダ・プロイセン連合軍を率い、ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍に勝利した。西暦1,830年にネイサンから財政上の助言を受ける様になった。
- ロスワース ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドの急使。西暦1,815年6月18日夕方、ワーテルローでフランス軍の敗北を目の当たりにし、ブリュッセルを経由してオーステンデへ馬を走らせた。同年6月19日未明、特別航行証のある快速艇「ロスチャイルド号」に乗船し、船員に2,000フランを渡し、オーステンデからフォークストンに向けて出港。同年6月20日未明にフォークストンに到着し、ネイサンに報告書を渡した。アーサー・ウェルズリーの使者ヘンリー・パーシーよりも約44時間早く、ネイサンに勝報を届けた。
- スペンサー・パーシヴァル 第21代イギリス首相。西暦1,809年10月4日に就任。ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドからアメリカへの派兵を迫られたが拒絶した。西暦1,812年5月11日17時頃、ウェストミンスター宮殿内庶民院ロビーにて商人ジョン・ベリンガムにより至近距離から撃たれ、暗殺された。
- ジョン・ベリンガム 商人。西暦1,812年5月11日17時頃、ウェストミンスター宮殿内庶民院ロビーにて、至近距離からスペンサー・パーシヴァルを撃ち、暗殺した。
- スティーブン・ジラード 第一合衆国銀行の認可失効後、同行の土地・建物・株式の大部分を買い取り「ジラード銀行」を設立。西暦1,812年6月18日に勃発した米英戦争では、ジラード銀行と私財を用いてアメリカ陸軍の資金を賄った。ジラードの資金提供が無ければアメリカは戦えない程、財政は逼迫していた。
- ジェームス・ド・ロスチャイルド ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドの弟。パリ拠点。西暦1,811年のイベリア半島へのアーサー・ウェルズリーへの金塊密輸スキームに関与し、金塊をスペイン・ポルトガルの金融業者宛為替手形に変えてピレネー山脈経由でウェルズリーに届けた。西暦1,816年4月10日にジェームズ・マディソンが署名した第二合衆国銀行の最大の株主となった。西暦1,824年12月1日のフランス銀行への500,000ポンド地金預け入れ、西暦1,825年のイギリス恐慌時のパリからの資金供給にも関与した。
- ジェームズ・マディソン 第4代アメリカ大統領。西暦1,816年4月10日に第二合衆国銀行の設立法案に署名した。米英戦争による債務増大、物価高騰、インフレ進行による通貨価値の下落の状況下で、戦費を賄う為に多額の借入を必要としたが、民間銀行が融資を渋っていたという背景があった。
- ジョージ4世 第4代ハノーヴァー朝国王。西暦1,820年1月29日にジョージ3世の崩御に伴い即位。浪費家であった為、巨額の負債を抱え、後にネイサン・メイヤー・ロスチャイルドの融資を受けた。此れを切っ掛けにロスチャイルドは、イギリス王室との関係を構築した。
- クレメンス・フォン・メッテルニヒ 初代オーストリア帝国国家宰相。西暦1,822年9月23日に長年の政治生活で金欠となっている所をネイサン・メイヤー・ロスチャイルドとその兄弟達から900,000ギルダーの融資を受けた。其の後、公的な通信手段よりも早く伝達出来るロスチャイルドの通信ネットワークを利用した。同年9月29日、フランツ2世にロスチャイルド家への男爵位授与と紋章付与を働き掛けた。
- フランツ2世 初代オーストリア皇帝。西暦1,822年9月29日、クレメンス・フォン・メッテルニヒの働き掛けにより、ロスチャイルド家に対し、男爵位と5兄弟の団結を象徴する5本の矢を握るデザインの紋章を与えた。
- アンドリュー・ジャクソン 第7代アメリカ大統領。西暦1,829年3月4日に就任。中央銀行に強く反対し、通貨供給はアメリカ議会を通じてアメリカ国民が決定すべきだと主張。西暦1,832年7月10日に第二合衆国銀行の認可更新法案を拒否権により否決し、同年11月2日の第12回大統領選で再選。「貴方達は毒蛇の巣窟だ」「外国の株主が我々の通貨を支配する事は、敵の海軍及び軍事力よりも手強く危険だ」と発言。西暦1,835年1月8日にはアメリカ史上初の公的債務完済を達成した。同年1月30日に塗装工リチャード・ローレンスから暗殺未遂を受けた(銃が不発)。
- ニコラス・ビドル 第3代第二合衆国銀行総裁。ロスチャイルド家の代理人。西暦1,842年にアメリカ政府への資金提供を停止し、此れによりアメリカは不況に陥った。
- ライオネル・ド・ロスチャイルド ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドの長男。西暦1,836年7月28日のネイサン死去に伴い、第2代イギリス・ロスチャイルド家当主となった。
- モーゼズ・モンテフィオーレ レヴィ・ベアレント・コーエンの義兄。西暦1,798年にメイヤー・アムシェル・ロスチャイルドからネイサン宛の16,000ポンドの送金経路となった義妹を持つ。西暦1,833年8月23日成立の「奴隷制度廃止法」では、奴隷主への賠償金20,000,000ポンドの内15,000,000ポンドをイギリス政府に融資した。
主要な概念・組織
- イギリス・ロスチャイルド商会 西暦1,804年にネイサン・メイヤー・ロスチャイルドがロンドンへ移住して創設した商会。本書では此の創設者である初代当主が、イングランド銀行と米英両国の財政を実質的支配下に置いていく45年間を扱う。西暦1,859年迄に50本の外国国債(総額250,000,000ポンド)を起債した。
- N・M・ロスチャイルド&サンズ 西暦1,811年6月25日にネイサン・メイヤー・ロスチャイルドが「ロスチャイルド・ブラザーズ」を解散し、メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドと共にロンドンで設立した投資銀行。此の設立を境にネイサンは5兄弟の中で威張り散らす様になり、専制的になった。
- コンソル公債 イギリス国債の一種。西暦1,808年にネイサン・メイヤー・ロスチャイルドがヴィルヘルム9世の代理で金利3%・150,000ポンド分を額面の73.5%で購入。西暦1,813年12月頃迄に総額664,850ポンドに上った。西暦1,815年6月20日のワーテルローの戦勝報入手後、ネイサンが敗戦と見せかけ売却し、価格を額面の5%まで暴落させた所で密かに買い集め、全体の6割近くを買い占めた事で、イギリス政府最大の債権者となり、コンソル公債の価格や通貨供給量の操作が可能になった。
- 大陸封鎖令 西暦1,806年11月21日にナポレオン・ボナパルトがベルリンで発した命令。大陸諸国に対し、対英貿易の禁止、イギリス人の逮捕と財産没収、イギリス本国・植民地産商品の没収を命じた。コーヒー・砂糖・煙草・綿製品等の価格が大陸では高騰しイギリスでは暴落した。ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドは此れを利用し、イギリスで安く買って大陸へ密輸し、莫大な利益を得た。
- ライン同盟 西暦1,806年7月12日にナポレオン・ボナパルトやカール・ビュデルス等が、神聖ローマ帝国内のバイエルン王国・ヴュルテンベルク・レーゲンスブルク侯国・バーデン選帝侯領等16のドイツ諸国を帝国から離脱させ、フランス帝国と同盟させて成立させた。首座大司教侯にはレーゲンスブルク侯国大司教カール・テオドール・フォン・ダールベルクが就任。ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドは秘密裏に此の同盟にも取り入り、敵味方双方から利益を得ていた。
- 第一合衆国銀行 アメリカ初の中央銀行。西暦1,811年1月24日に認可が失効。アメリカ議会で、憲法違反の恐れやアメリカ国外の影響下に在ると考える議員の懸念から、更新が僅か1票差で否決された。此れを受けてネイサン・メイヤー・ロスチャイルドは激怒し「此の生意気なアメリカ人に教訓を与えよ。彼らを植民地の地位に戻せ」とアメリカに対する戦争を命じた。
- 第二合衆国銀行 西暦1,816年4月10日に第4代アメリカ大統領ジェームズ・マディソンが設立法案に署名し、西暦1,817年1月7日にフィラデルフィアで20年間の認可の下に正式に業務を開始した。最大の株主はジェームス・ド・ロスチャイルドであった。西暦1,832年7月10日にアンドリュー・ジャクソンが認可更新法案を拒否権により否決、西暦1,836年3月3日に認可が失効しペンシルベニア州の民間企業となった。西暦1,842年に第3代総裁ニコラス・ビドルがアメリカ政府への資金提供を停止し、アメリカは不況に陥った。
- 米英戦争 西暦1,812年6月18日に勃発したアメリカとイギリスの戦争。第一合衆国銀行の認可失効に激怒したネイサン・メイヤー・ロスチャイルドが命じた戦争。イギリスはロスチャイルド家から借り入れた資金を使ってアメリカの宣戦布告を誘発した。総費用は158,000,000ドル(内アメリカ陸海軍が90,000,000ドル)に上り、開戦前に45,000,000ドルであった国家債務は翌年には127,000,000ドルに膨らんだ。ロスチャイルド家は発行された国債を悉く買い占め、ブローカーネットワークに高値で売却した。
- ガン条約 西暦1,814年12月24日に締結された米英戦争の講和条約。西暦1,814年9月からヘント(ベルギーのオースト・フランデレン州)で開始された4ヶ月に渡る協議の結果、第二合衆国銀行の設立で合意した。此れにより、第二合衆国銀行の設立が確固たるものとなった。
- ワーテルローの戦い 西暦1,815年6月18日にワーテルロー(現在のベルギーのブラバン・ワロン州)で行われた戦い。8時間に及ぶ激戦の末、ナポレオン・ボナパルト率いるフランス軍が1/3の兵士を失いアーサー・ウェルズリー率いるイギリス・オランダ・プロイセン連合軍に敗れた。ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドの急使ロスワースが、アーサー・ウェルズリーの使者ヘンリー・パーシーよりも先に勝報をネイサンに届け、コンソル公債の暴落・買い占めスキームを実行した。
- ロンドン証券取引所 西暦1,810年9月12日のフランシス・ベアリング(ベアリングス銀行創設者で同取引所支配人)の死去に伴い、ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドが大株主となり、21,000,000ポンドを支配した。
- イングランド銀行 イギリスの中央銀行。西暦1,815年6月20日のワーテルローの戦勝報を出汁にしたコンソル公債暴落・買い占めにより、ネイサン・メイヤー・ロスチャイルドがイギリス政府最大の債権者となった事と、西暦1,807年の奴隷貿易法を切っ掛けとしたイギリス国内の恐慌が相まって、機に乗じてネイサンが実質的支配下に置き、通貨発行権と管理権を手中に収めた。西暦1,824年5月にはネイサンに地金1,000,000ポンド分の保証を与え、西暦1,825年のイギリス恐慌時にはネイサンから300,000ポンド相当のソブリン金貨を受けた。
- 奴隷制度廃止法 西暦1,833年8月23日に成立。ウィリアム・ウィルバーフォース等の奴隷廃止運動により、イギリスの植民地に於ける奴隷制度が違法となった。46,000名のイギリス人奴隷主に総額20,000,000ポンドの賠償金が支払われ、其の財源はイギリス政府による借金(利子付き)により賄われた。其の内訳は、イングランド銀行5,000,000ポンド、ネイサン・メイヤー・ロスチャイルド15,000,000ポンド、モーゼス・モンテフィオーレ15,000,000ポンド。完済したのは西暦2,015年の事であった。
- ジラード銀行 西暦1,811年1月24日の第一合衆国銀行認可失効後、スティーブン・ジラードが同行の土地・建物・株式の大部分を買い取り設立した銀行。西暦1,812年6月18日に勃発した米英戦争では、ジラード銀行と私財を用いてアメリカ陸軍の資金を賄った。
マンチェスターの綿密輸から、ヴィルヘルム9世の3,000,000ドル受託、コンソル公債の暴落・買い占めによるイングランド銀行掌握、奴隷廃止賠償金15,000,000ポンドの融資迄──
20,000ポンドを携えロンドンへ渡った男が、世界の金融を実質的支配下に置く45年間を年月日単位で追跡した一冊。
JPY 200(税込)
購入する →購入後、そのままPDFダウンロードページへ移動します
お支払いは決済サービス「Square」を通じて安全に処理されます。カード情報が当サイトに保存されることはありません。