電子書籍「盧溝橋事件の黒幕 劉少奇 一元化」の表紙

盧溝橋事件の黒幕 劉少奇 一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,937年6月27日〜1,949年10月1日
最新更新日
西暦2,025年12月6日

北京武官室少佐今井武夫の第25代浄土真宗本願寺派門主大谷光瑞面会と華北軍事衝突予測、今井の中華民国河北省主席兼国民革命軍第29軍第37師長馮治安同行保定行・6月29日日本軍発砲事件詳細聴取、日本軍の龍王廟付近夜間演習通告、第16・17代中華民国国務総理靳雲鵬秘書官陳子庚との料亭夕食及び宗哲元部下冀北保安隊司令石友三の盧溝橋衝突情報伝達と今井否定、大和田通信所による北京駐在アメリカ海軍武官補佐官チャールズ・キャンベル・ブラウンから第7代海軍作戦部長ウィリアム・リーヒ宛中華民国側日本側攻撃計画暗号電信傍受と海軍省首席副官柳澤蔵之助の連絡、大尉清水節郎率いる日本軍支那駐屯軍第8師団第1旅団第20連隊第3大隊第8中隊の龍王廟付近空砲夜間演習開始・実砲30発木綿糸厳重包装と上校吉星文率いる国民革命軍第29軍第37師第110旅第219連隊の永定河堤防上警戒及び中国共産党秘密党員張克侠の国民革命軍第29軍副参謀長兼第38師参謀長就任・コミンテルン秘密司令戦略、盧溝橋での紅軍劉少奇系ゲリラ部隊による日本軍・国民革命軍双方発砲と中国共産党北方総局采配・北平大学図書館勤務劉少奇主導・懐中電灯点滅合図中間地点発砲・事前作成電文・エドウィン・O・ライシャワー把握・北平大学構内通信所から延安中国共産党軍司令部成功電報及び志村菊次郎行方不明・牟田口廉也宛平城進入要求・張克侠拒否並びに志村20分後帰隊、永定河堤防上軍事衝突と宋哲元の蒋介石報告・不拡大現地解決厳命、今井の秦徳純電話交渉不拡大確認、牟田口廉也の一文字山占領砲兵陣地構築、今井の北武第211号電打電(志村帰隊未盛込)・宛平県方面銃声・桜井徳太郎抗議・劉少奇の息掛り者中間地点銃声繰返、北武第212号電打電と砲兵陣地約10発被弾、今井の朝日新聞・時事通信・ニューヨーク・タイムズ・AP通信・シカゴ・デイリー・ニュース・ロイター・タイムズ・ガーディアン記者集合説明、国民革命軍一斉射撃日本軍応戦開始、北武第213号電打電と秦徳純宅趙登禹・張允栄協議現地協定骨子、中国共産党世界9先電報、今井の妻今井きみ子宛遺書、今井の橋本群許可下張允栄宅斉燮元・林耕宇会談両軍同時撤退提案・現地停戦協定骨子取纏、近衛文麿内閣の北支派兵閣議決定と田代皖一郎危篤影響、専田盛寿の停戦中止指示と今井拒否・松井太久郎直談判許可、松井太久郎・今井の張允栄自宅停戦協定調印、宋哲元・国民革命軍第29軍第38師師長張自忠の華北駐屯軍司令部訪問香月清司停戦交渉、橋本群・張允栄署名による日本軍華北進駐拡大・国民革命軍第29軍平津撤退・抗日運動鎮圧条件天津停戦協定締結と八宝山日本軍陣地中間地帯銃声、北平陸軍特務機関中島弟四郎・国民革命軍第29軍参謀周恩靖監視委員両軍以外発砲判明、日本憲兵・中華民国密偵による中国共産党北方総局命令北平大学・清華大学大学生グループ逮捕、大和田通信所による蒋介石王寵恵宛宮崎龍介派遣計画暗号電信傍受、河辺正三理由不告知釈放と劉少奇の盧溝橋事件中国共産党仕掛人・北平大学学生使用・現地責任者発表並びにジョセフ・キーナン顔面蒼白、牟田口廉也理由不告知釈放、中華人民共和国建国宣言と初代国務院総理周恩来の盧溝橋事件謀略告白迄──
北京武官室今井武夫の華北軍事衝突予兆を起点に、大和田通信所による暗号電信傍受、劉少奇主導の中国共産党北方総局による日本軍・国民革命軍双方への発砲謀略、北武第211号〜213号電による戦況報告と現地停戦協定の調印、近衛文麿内閣の北支派兵閣議決定、宋哲元・張自忠と香月清司による天津停戦協定締結、八宝山中間地帯での挑発継続と北平大学・清華大学大学生逮捕、河辺正三・牟田口廉也の戦後釈放と劉少奇の自白、中華人民共和国建国宣言と周恩来の盧溝橋事件謀略告白に至った、12年間の盧溝橋事件謀略・自白の系譜を年月日単位で追跡した一冊。

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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本書について

西暦1,937年6月27日、北京武官室の少佐今井武夫が、第25代浄土真宗本願寺派門主大谷光瑞と面会した。大谷は「華北での摩擦が激化し、軍事衝突に発展する恐れがある」と予測した。同年7月3日、今井武夫が、中華民国河北省主席兼国民革命軍第29軍第37師長で中将の馮治安に誘われ、保定(現在の中国河北省)に同行した。其の際今井は、馮から西暦1,937年6月29日に日本軍が発砲したとされる事件の詳細を聞いた。同日、日本軍が、西暦1,937年7月7日の龍王廟(現在の中国北京市豊台区)付近での夜間演習を、国民革命軍に通告した。同年7月6日夜、今井武夫が、第16・17代中華民国国務総理を務めた靳雲鵬の秘書官の陳子庚に招かれ、北京西北の料亭で夕食を摂った。其処に、宗哲元の部下で、5,000名程度の兵を擁していた冀北保安隊司令石友三がやって来て、今井に「今盧溝橋で、国民革命軍と日本軍が衝突している。然し私の部隊は加わっていないので、我が部隊は攻撃しないで欲しい」という主旨の発言をした。今井は「馬鹿を言っちゃいかん。そんな事が起きたのなら、北京武官室から真っ先に私の所に電話が有る筈だ」と返した。石は「屹度連絡が遅れているのです。頼みますよ」と言い残して去って行った。

西暦1,937年7月7日16時頃、大和田通信所(現在の埼玉県新座市西堀・東京都清瀬市下清戸)にて、電伴に向かっていた大和田通信隊の隊員1名が、北京駐在のアメリカ海軍武官補佐官チャールズ・キャンベル・ブラウンがアメリカ本国に居る第7代海軍作戦部長ウィリアム・リーヒに向けた至急の暗号電信を傍受した。解読班による解読の結果、内容は「本日夕方に、中華民国側から日本側を攻撃する」という主旨のものであった。大和田通信所から直ちに日本軍司令部に電話で報告したものの、首脳部は既に退庁した後であった為、海軍省首席副官柳澤蔵之助が片っ端から電話をして、漸く連絡が付いた。同日21時30分頃、大尉清水節郎率いる日本軍支那駐屯軍第8師団第1旅団第20連隊第3大隊第8中隊が、龍王廟付近にて、軽装備で鉄帽・鉄兜を付けず、空砲で夜間演習を開始した。万が一に備え、各々実砲30発を携帯していたが、実砲は木綿糸で厳重に包装され、使用出来ない状態であった。此の時、上校吉星文率いる国民革命軍第29軍第37師第110旅第219連隊が、永定河(現在の中国北京市)堤防上で警戒していた。又此の時、中国共産党秘密党員の張克侠が、国民革命軍第29軍副参謀長兼第38師参謀長を務めていた。此の頃のコミンテルンの秘密司令は①局地解決を避け全面衝突に導け②日本に譲歩するものは殺せ③中国国民党政府と日本政府を戦わせよ④対日ボイコットを全支那に拡大せよ、戦略は①日本を泥沼の長期戦に持ち込み中国国民党と徹底的に戦わせる②日本をソ連への攻撃から逸らせる③中国国民党は日本との勝負に関わらず弱体し中国共産党政権を樹立出来る④日本の敗戦により日本を共産化する、であった。

西暦1,937年7月7日22時40分頃、盧溝橋(現在の中国北京市豊台区)にて、紅軍の劉少奇系のゲリラ部隊が、①日本軍支那駐屯軍第8師団第1旅団第20連隊第3大隊第8中隊(中隊長以下秋田県の歩兵第17連隊第2中隊が主体)②国民革命軍第29軍第37師第110旅第219連隊に対して発砲を行なった。此れは、当時中国共産党の北方総局で采配を振るい、北平大学の図書館に勤務していた劉が仕組んだもので、懐中電灯で点滅の合図をしつつ、両者の中間地点から発砲したものであった。又、戦端が開かれた事を中国共産党の紅軍に打電した際の電文も事前に作成されたものであり、エドウィン・O・ライシャワーは、其の中身に就いても把握していた。発砲直後、北平大学構内の通信所から、延安(現在の中国陝西省)の中国共産党軍司令部に作戦が成功した旨を伝える電報が打たれた。清水節郎は、原隊が実弾を数発受けると、集合ラッパを吹いた。すると今度は実弾を10数発受け、直後に点呼を取った。其処で、二等兵志村菊次郎が行方不明となった事が判明した。清水は、日本軍支那駐屯軍歩兵第1連隊第3大隊長一木清直に事象を報告し、一木は、日本軍支那駐屯軍第1連隊長牟田口廉也に此れを伝えた。牟田口は、一木に現場に急行する様命じ、志村の捜索の為、盧溝橋と対面に在る宛平城(現在の中国北京市豊台区盧溝橋南里)への進入を要求した。然し張克侠は「宛平城は中華民国の領土であり、日本軍の進入は北京議定書違反で許されない。此方で捜索する」と返答し、吉星文も此れを支持し、防衛体制を強化した。志村は20分後の23時頃に帰隊した。同時刻、永定河堤防上にて、日本軍支那駐屯軍第8師団第1旅団第20連隊第3大隊第8中隊と国民革命軍第29軍第37師第110旅第219連隊が軍事衝突した。宋哲元は即座に南京へ電報を送り、蒋介石に報告した。蒋は、軍事委員会で状況を確認し「不拡大、現地解決」を厳命した。

西暦1,937年7月8日0時、今井武夫が、日本軍支那駐屯軍第1連隊副官河野又四郎からの電話で起こされ、河野から状況報告を受けた。今井は、国民革命軍第29軍副軍長秦徳純との電話交渉で不拡大を確認した。2時、日本軍支那駐屯軍第8師団第1旅団第20連隊第3大隊第8中隊と日本軍支那駐屯軍歩兵第1連隊第3大隊が、西五里店(現在の中国北京市豊台区)にて合流した。3時20分、牟田口廉也率いる日本軍支那駐屯軍第8師団第1旅団第20連隊第3大隊が、砲兵陣地構築を意図して一文字山を占領した。3時25分頃、今井武夫が、外務省・陸軍省・支那駐屯軍・北平大使館に向けて「北武第211号電」として、日本軍演習中の被弾と志村菊次郎が行方不明になった件に就いて打電した(志村が帰隊した事は盛り込まれていない)。同時刻、宛平県方面から3発の銃声が鳴り響き、日本軍は応射した。冀察政務委員会国民革命軍第29軍軍事顧問桜井徳太郎が軍使として国民革命軍第29軍に乗り込み抗議したが、国民革命軍側は日本軍が撃つから撃つのだと返答した。此の時両軍の中間地点には劉少奇の息の掛かった者が銃声を響かせ、両軍の銃撃が止むと再度銃声を鳴らすというのを繰り返していた。

西暦1,937年7月8日4時頃、今井武夫が、北平の週番指令室から「北武第212号電」を打電した(志村菊次郎の帰隊は未伝達)。4時20分、日本軍支那駐屯軍第8師団第1旅団第20連隊第3大隊が、砲兵陣地構築中に約10発の被弾を受けた(死傷者無)。牟田口廉也は応戦許可を検討した。5時、今井武夫が、北平大使館の武官庭にて、①朝日新聞②時事通信③ニューヨーク・タイムズ紙④AP通信⑤シカゴ・デイリー・ニュース紙⑥ロイター通信⑦タイムズ紙⑧ガーディアン紙の記者を招集し、日本軍の被弾・志村菊次郎の失踪・両軍の対峙に就いて説明し、不拡大・現地解決を強調した。5時30分、国民革命軍第29軍の一斉射撃を受け、日本軍支那駐屯軍歩兵第1連隊第3大隊が応戦を開始した。6時、今井が外務省・陸軍省・支那駐屯軍・北平大使館に向けて「北武第213号電」を打電した。其の直後に今井は、北平市内の秦徳純の自宅を訪問し、秦・国民革命軍第29軍第132師師長趙登禹・冀察政務委員張允栄と、現地協定の骨子を議論し、両軍撤退と抗日運動鎮圧を条件に停戦合意の見込みを確認した。同日朝、中国共産党が、新聞社・学生団体・労働組合・華僑組織・国民革命軍・地方軍閥・中国国民党政府・コミンテルン・国外メディアに向けて「西暦1,937年7月7日22時、日本軍が攻撃した。全中国同胞・政府・軍隊は団結し、日寇侵略に抵抗せよ。日本帝國主義を寸土も許すな」という主旨の電報を送った。

西暦1,937年7月10日、今井武夫が、戦局の悪化を予感し、自身の妻今井きみ子に対し、感謝と敬意を表すと共に、祖先の祭祀と幼児の育成に心を配って欲しい、子供が15歳になったら望む道を歩ませて欲しいという内容の遺書を送付した。同月11日11時30分頃、日本軍支那駐屯軍参謀長橋本群の交渉許可を電話で得ていた今井武夫が、北平市内の張允栄の自宅を訪ね、①国民革命軍第29軍高級将校斉燮元②張允栄③冀察政務委員林耕宇の3名と会談した。今井は独断で、盧溝橋からの両軍同時撤退を提案。斉は同意し、①両軍の原状回復②不拡大の相互確約③現場監視の共同実施を含む現地停戦協定の骨子を取り纏めた。14時頃、今井は南苑飛行場から天津に帰ろうとしていた橋本群に会談を報告。橋本は独断は問題だが認可するとし、日本軍支那駐屯軍司令官香月清司の代理として調印を承認した。同時刻、近衛文麿内閣が、①3個師団(日本内地から)②1個師団(朝鮮から)③2個旅団(満洲国から)の北支派兵を閣議決定した。穏健な日本軍支那駐屯軍司令官田代皖一郎が此の時危篤状態であった事が影響した。

西暦1,937年7月11日、日本軍支那駐屯軍参謀専田盛寿が、北平特務機関室に帰還したばかりの今井武夫に対し、電話で「内地で派兵決定したので、現地停戦交渉を中止せよ」と指示した。今井は「既に約束した事」として拒否し、日本軍北平特務機関長松井太久郎に直談判して許可を得、又橋本群から再許可を得た。18時、今井が現地停戦協定の校正を行ない、20時、松井太久郎と今井が張允栄の自宅を訪ね現地停戦協定の調印を完了した(1時間程で解散)。同月18日、宋哲元・国民革命軍第29軍第38師師長張自忠が華北駐屯軍司令部(現在の中国天津市和平区南京路)を訪れ、香月清司と停戦交渉を行ない、盧溝橋での軍事衝突への遺憾表明と国民革命軍第29軍の撤退等の日本軍の和議条件を巡る議論が為された。日本軍側は香月・橋本群・今井武夫・松井太久郎・日本軍支那駐屯軍参謀池田純久が、国民革命軍側は宋・張・張允栄・秦徳純・斉燮元・林耕宇・趙登禹が交渉に当たった。

西暦1,937年7月19日、橋本群(香月清司の代理)・張允栄(宋哲元・張自忠の指示を受けて署名)の2名の署名により、日本軍の華北進駐拡大・国民革命軍第29軍の平津撤退・抗日運動鎮圧を条件に一時停戦を定めた停戦協定が、天津にて締結された。以降、八宝山(現在の中国北京市石景山区石景山路)と日本軍の陣地の中間地帯で、夜になると銃声が鳴り響く様になり、空白地帯が戦場と化した。同月21日、①北平陸軍特務機関国民革命軍第29軍軍事顧問中島弟四郎②国民革命軍第29軍参謀周恩靖が監視委員となり、八宝山と日本軍の陣地の中間地帯で挑発を繰り返している者を突き止める為現地に入った。此の夜も交戦が有ったが、最初の発砲は日本軍でも国民革命軍でも無い事が判明した。同月22日夜、潜伏していた日本の憲兵と中華民国の密偵が、中国共産党の北方総局の命令により銃砲・爆竹を鳴らした女性を含む①北平大学②清華大学の大学生グループを逮捕した。同年8月3日、大和田通信所が、蒋介石が中華民国外交部長王寵恵に宛てた電報を傍受。解読した内容は、日中戦争の解決に関し蒋が第34代首相近衛文麿と意見の一致を見たので、西暦1,937年8月6日上海着の上海丸で近衛の密使である宮崎龍介を派遣するという主旨の内容であった。

西暦1,947年9月18日、河辺正三が、理由も告げられずに釈放された。劉少奇が「盧溝橋事件の仕掛け人は中国共産党で、私が北平大学の学生を使って発生させたものである。現地の責任者は此の私だ」と、西側諸国の記者団に証拠を示して発表した事が背景として有った。此の劉の発言を知った主席検事ジョセフ・キーナンは、慌てふためき、顔面蒼白となった。西暦1,948年3月、牟田口廉也が、理由も告げられずに釈放された。劉少奇の同様の発表が背景として有った。西暦1,949年10月1日、中国の建国が北京で宣言された。初代国務院総理に就任した周恩来は「あの盧溝橋事件の際、我々の軍隊が、日本軍・国民革命軍双方に、夜陰に乗じて発砲し、両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害した事が中国共産党に今日の栄光を齎したのだ」という主旨の発言をした。本書は、此の12年に亘る、北京武官室今井武夫の華北軍事衝突予兆を起点とする、大和田通信所による暗号電信傍受、劉少奇主導の中国共産党北方総局による日本軍・国民革命軍双方への発砲謀略、北武第211号〜213号電による戦況報告、メディア記者会見、現地停戦協定の調印と近衛文麿内閣の北支派兵閣議決定、宋哲元・張自忠と香月清司による天津停戦協定締結、八宝山中間地帯での挑発継続と北平大学・清華大学大学生グループ逮捕、河辺正三・牟田口廉也の戦後釈放と劉少奇の自白、中華人民共和国建国宣言と周恩来の盧溝橋事件謀略告白に至る、盧溝橋事件謀略・自白の全過程を、年月日単位で記録した年表である。


登場人物

  • 劉少奇 本書の中心人物。当時中国共産党の北方総局で采配を振るい、北平大学の図書館に勤務していた。西暦1,937年7月7日22時40分頃、盧溝橋にて紅軍の劉少奇系のゲリラ部隊が日本軍支那駐屯軍第8師団第1旅団第20連隊第3大隊第8中隊と国民革命軍第29軍第37師第110旅第219連隊に対して発砲する謀略を仕組み、懐中電灯で点滅の合図をしつつ両者の中間地点から発砲を実行。戦端を打電する電文も事前に作成され、北平大学構内の通信所から延安の中国共産党軍司令部に作戦成功の電報が打たれた。7月8日3時25分以降も劉の息の掛かった者が両軍の中間地点で銃声を繰り返した。西暦1,947年9月18日と1,948年3月、「盧溝橋事件の仕掛け人は中国共産党で、私が北平大学の学生を使って発生させたものである。現地の責任者は此の私だ」と西側諸国の記者団に証拠を示して発表した事が、河辺正三・牟田口廉也の理由不告知釈放の背景となった。
  • 今井武夫 北京武官室の少佐。西暦1,937年6月27日に大谷光瑞と面会、7月3日に馮治安と保定行、7月6日に陳子庚の料亭で石友三と接触。7月8日0時に河野又四郎からの電話で起床、秦徳純と電話交渉で不拡大確認。3時25分頃に北武第211号電、4時頃に北武第212号電、5時に北平大使館で8社のメディア記者を招集して説明、6時に北武第213号電を打電。秦徳純宅で趙登禹・張允栄と現地協定骨子を議論。7月10日に妻今井きみ子へ遺書送付。7月11日11時30分頃に張允栄宅で斉燮元・林耕宇と会談して両軍同時撤退提案、専田盛寿の停戦中止指示を拒否し松井太久郎に直談判して許可を得、20時に松井と張允栄宅で停戦協定調印。7月18日の華北駐屯軍司令部停戦交渉にも参加した。
  • 大谷光瑞 第25代浄土真宗本願寺派門主。西暦1,937年6月27日、北京武官室の少佐今井武夫と面会し「華北での摩擦が激化し、軍事衝突に発展する恐れがある」と予測した。
  • 馮治安 中華民国河北省主席兼国民革命軍第29軍第37師長で中将。西暦1,937年7月3日、今井武夫を誘い保定に同行し、西暦1,937年6月29日に日本軍が発砲したとされる事件の詳細を今井に伝えた。
  • 陳子庚・石友三 陳子庚は第16・17代中華民国国務総理を務めた靳雲鵬の秘書官。西暦1,937年7月6日夜、北京西北の料亭に今井武夫を招いた。石友三は宗哲元の部下で、5,000名程度の兵を擁していた冀北保安隊司令。其の料亭で今井に「今盧溝橋で、国民革命軍と日本軍が衝突している」「我が部隊は攻撃しないで欲しい」と発言したが、今井は事実を把握しておらず否定した。
  • チャールズ・キャンベル・ブラウン・ウィリアム・リーヒ ブラウンは北京駐在のアメリカ海軍武官補佐官、リーヒは第7代海軍作戦部長。西暦1,937年7月7日16時頃、大和田通信所がブラウンからリーヒに向けた「本日夕方に、中華民国側から日本側を攻撃する」という主旨の至急の暗号電信を傍受した。
  • 清水節郎・吉星文・張克侠 清水節郎は大尉で、西暦1,937年7月7日21時30分頃、日本軍支那駐屯軍第8師団第1旅団第20連隊第3大隊第8中隊を率いて龍王廟付近で空砲夜間演習を開始。吉星文は上校で、国民革命軍第29軍第37師第110旅第219連隊を率いて永定河堤防上で警戒。張克侠は中国共産党秘密党員で、国民革命軍第29軍副参謀長兼第38師参謀長を務めていた。7月7日22時40分頃の発砲後、宛平城への日本軍進入要求を北京議定書違反として拒否した。
  • 志村菊次郎・一木清直・牟田口廉也 志村菊次郎は二等兵で、西暦1,937年7月7日22時40分頃の発砲後の点呼で行方不明となり、23時頃帰隊した。一木清直は日本軍支那駐屯軍歩兵第1連隊第3大隊長で、清水節郎から事象報告を受け牟田口廉也に伝達。牟田口廉也は日本軍支那駐屯軍第1連隊長で、志村捜索の為に盧溝橋対面の宛平城への進入を要求し、7月8日3時20分に一文字山を占領した。西暦1,948年3月、理由も告げられずに釈放された。
  • 宋哲元・蒋介石 宋哲元は西暦1,937年7月7日23時頃の永定河堤防上軍事衝突後、即座に南京へ電報を送り蒋介石に報告。蒋介石は軍事委員会で状況を確認し「不拡大、現地解決」を厳命した。宋は7月18日に張自忠と共に華北駐屯軍司令部を訪問し香月清司と停戦交渉を行なった。蒋は西暦1,937年8月3日に王寵恵宛で宮崎龍介派遣を伝える電報を打電した(大和田通信所が傍受)。
  • 河野又四郎・秦徳純・桜井徳太郎 河野又四郎は日本軍支那駐屯軍第1連隊副官。西暦1,937年7月8日0時、今井武夫に電話で状況報告した。秦徳純は国民革命軍第29軍副軍長で、冀察政務委員会常務委員兼北平市長。今井との電話交渉で不拡大を確認、6時の今井訪問で趙登禹・張允栄と協定骨子を議論した。桜井徳太郎は冀察政務委員会国民革命軍第29軍軍事顧問で、7月8日3時25分の宛平県方面銃声時に軍使として国民革命軍第29軍に乗り込み抗議した。
  • 趙登禹・張允栄・林耕宇・斉燮元 趙登禹は国民革命軍第29軍第132師師長で、7月8日6時の秦徳純宅協定骨子議論に参加。張允栄は冀察政務委員で、7月11日に斉燮元・林耕宇と共に今井武夫と現地停戦協定骨子を取り纏め、7月19日には香月清司の代理橋本群と共に停戦協定に署名(宋哲元・張自忠の指示を受けて)。林耕宇は冀察政務委員。斉燮元は国民革命軍第29軍高級将校で、7月11日の張允栄自宅会談で今井の両軍同時撤退提案に同意した。
  • 橋本群・香月清司・田代皖一郎 橋本群は日本軍支那駐屯軍参謀長で、今井武夫に交渉許可を出し、7月11日に独断は問題だが認可するとして香月清司の代理で調印承認。7月18日の華北駐屯軍司令部停戦交渉に参加し、7月19日には香月の代理として停戦協定に署名した。香月清司は日本軍支那駐屯軍司令官、田代皖一郎は穏健な前任の日本軍支那駐屯軍司令官で、7月11日の近衛文麿内閣の北支派兵閣議決定時に危篤状態であった事が決定に影響した。
  • 松井太久郎・専田盛寿・池田純久 松井太久郎は日本軍北平特務機関長で、専田盛寿の停戦中止指示を拒否した今井武夫に直談判で許可を与え、7月11日20時に今井と共に張允栄自宅で停戦協定の調印を完了した。専田盛寿は日本軍支那駐屯軍参謀で、7月11日に今井に電話で停戦交渉中止を指示した。池田純久は日本軍支那駐屯軍参謀で、7月18日の華北駐屯軍司令部停戦交渉に参加した。
  • 張自忠 国民革命軍第29軍第38師師長。西暦1,937年7月18日、宋哲元と共に華北駐屯軍司令部を訪れ、香月清司と停戦交渉を行ない、盧溝橋での軍事衝突への遺憾を表明した。7月19日の停戦協定には張允栄を通じて指示を出した。
  • 中島弟四郎・周恩靖 中島弟四郎は北平陸軍特務機関国民革命軍第29軍軍事顧問。周恩靖は国民革命軍第29軍参謀。西暦1,937年7月21日、両者は監視委員となり、八宝山と日本軍の陣地の中間地帯で挑発を繰り返している者を突き止める為現地に入り、最初の発砲が日本軍でも国民革命軍でも無い事を確認した。
  • 近衛文麿・宮崎龍介・王寵恵 近衛文麿は第34代首相で、西暦1,937年7月11日に北支派兵を閣議決定した。宮崎龍介は近衛の密使。王寵恵は中華民国外交部長。西暦1,937年8月3日、大和田通信所が、蒋介石が王寵恵に宛てて、日中戦争の解決に関し近衛文麿と意見の一致を見たので、8月6日上海着の上海丸で宮崎龍介を派遣するという主旨の電報を傍受した。
  • 河辺正三・ジョセフ・キーナン・周恩来・エドウィン・O・ライシャワー 河辺正三は日本軍支那駐屯軍歩兵旅団長で、盧溝橋事件発生時は不在であった。西暦1,947年9月18日、劉少奇の発表を背景に理由も告げられずに釈放された。ジョセフ・キーナンは主席検事で、劉少奇の発言を知り顔面蒼白となった。周恩来は中華人民共和国の初代国務院総理で、西暦1,949年10月1日の中国建国宣言時に「あの盧溝橋事件の際、我々の軍隊が、日本軍・国民革命軍双方に、夜陰に乗じて発砲し、両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害した事が中国共産党に今日の栄光を齎したのだ」と発言した。エドウィン・O・ライシャワーは、紅軍に打電する電文が事前に作成されたものであった事を把握していた人物として記録されている。

主要な概念・組織

  • 大和田通信所の暗号傍受 埼玉県新座市西堀・東京都清瀬市下清戸に在る通信所。西暦1,937年7月7日16時頃、大和田通信隊の隊員1名が、北京駐在のアメリカ海軍武官補佐官チャールズ・キャンベル・ブラウンから第7代海軍作戦部長ウィリアム・リーヒ宛の「本日夕方に、中華民国側から日本側を攻撃する」という主旨の至急の暗号電信を傍受。直ちに日本軍司令部に電話で報告したが、首脳部退庁後で海軍省首席副官柳澤蔵之助が片っ端から電話して漸く連絡が付いた。西暦1,937年8月3日には蒋介石から王寵恵宛の宮崎龍介派遣電報も傍受している。
  • コミンテルンの秘密司令・戦略 西暦1,937年7月7日時点のコミンテルンの秘密司令は①局地解決を避け全面衝突に導け②日本に譲歩するものは殺せ③中国国民党政府と日本政府を戦わせよ④対日ボイコットを全支那に拡大せよ。戦略は①日本を泥沼の長期戦に持ち込み中国国民党と徹底的に戦わせる②日本をソ連への攻撃から逸らせる③中国国民党は日本との勝負に関わらず弱体し中国共産党政権を樹立出来る④日本の敗戦により日本を共産化する。劉少奇主導の盧溝橋事件謀略の戦略的背景となった。
  • 盧溝橋発砲事件 西暦1,937年7月7日22時40分頃、盧溝橋にて紅軍の劉少奇系のゲリラ部隊が、①清水節郎率いる日本軍支那駐屯軍第8師団第1旅団第20連隊第3大隊第8中隊②吉星文率いる国民革命軍第29軍第37師第110旅第219連隊の双方に対して発砲。中国共産党の北方総局で采配を振るい北平大学の図書館に勤務していた劉少奇が仕組んだもので、懐中電灯で点滅の合図をしつつ両者の中間地点から発砲。戦端打電電文は事前作成され、北平大学構内通信所から延安の中国共産党軍司令部に作戦成功電報が打たれた。二等兵志村菊次郎が行方不明となり(23時頃帰隊)、宛平城進入を巡って張克侠が拒否、23時頃に永定河堤防上で軍事衝突が発生した。
  • 北武第211号〜213号電・メディア記者会見 西暦1,937年7月8日の今井武夫による戦況打電と公式説明。3時25分頃の「北武第211号電」(志村帰隊未盛込)、4時頃の「北武第212号電」、6時の「北武第213号電」を外務省・陸軍省・支那駐屯軍・北平大使館宛に打電。5時には北平大使館武官庭にて朝日新聞・時事通信・ニューヨーク・タイムズ紙・AP通信・シカゴ・デイリー・ニュース紙・ロイター通信・タイムズ紙・ガーディアン紙の記者を招集し、日本軍の被弾・志村菊次郎の失踪・両軍の対峙に就いて説明し、不拡大・現地解決を強調した。
  • 中国共産党の世界向け電報 西暦1,937年7月8日朝、中国共産党が①新聞社②学生団体③労働組合④華僑組織⑤国民革命軍⑥地方軍閥⑦中国国民党政府⑧コミンテルン⑨国外メディアに向けて「西暦1,937年7月7日22時、日本軍が攻撃した。全中国同胞・政府・軍隊は団結し、日寇侵略に抵抗せよ。日本帝國主義を寸土も許すな」という主旨の電報を送った。劉少奇主導の謀略を、日本側からの攻撃と国際的に印象付ける情報工作であった。
  • 現地停戦協定の調印 西暦1,937年7月11日、今井武夫が橋本群の交渉許可下で張允栄自宅で斉燮元・林耕宇と会談し、盧溝橋からの両軍同時撤退・原状回復・不拡大相互確約・現場監視共同実施を含む現地停戦協定の骨子を取り纏めた。橋本群は香月清司の代理として認可。専田盛寿の停戦中止指示を今井は拒否し、松井太久郎に直談判して許可を獲得。18時に校正し、20時に松井太久郎と今井が張允栄自宅で調印を完了した。
  • 近衛文麿内閣の北支派兵閣議決定 西暦1,937年7月11日14時頃、近衛文麿内閣が①3個師団(日本内地から)②1個師団(朝鮮から)③2個旅団(満洲国から)の北支派兵を閣議決定した。穏健な日本軍支那駐屯軍司令官田代皖一郎が此の時危篤状態であった事が決定に影響した。
  • 天津停戦協定・八宝山中間地帯銃声・大学生グループ逮捕 西暦1,937年7月18日、宋哲元・国民革命軍第29軍第38師師長張自忠が華北駐屯軍司令部を訪れ香月清司と停戦交渉。7月19日、橋本群(香月清司の代理)・張允栄(宋哲元・張自忠の指示を受けて)の署名で、日本軍の華北進駐拡大・国民革命軍第29軍の平津撤退・抗日運動鎮圧を条件に一時停戦を定めた停戦協定が天津にて締結。其の後、八宝山と日本軍の陣地の中間地帯で夜になると銃声が鳴り響き、空白地帯が戦場と化した。7月21日、北平陸軍特務機関中島弟四郎・国民革命軍第29軍参謀周恩靖が監視委員となり最初の発砲が両軍以外である事を確認。7月22日夜、日本憲兵と中華民国密偵が、中国共産党の北方総局の命令により銃砲・爆竹を鳴らした女性を含む北平大学・清華大学の大学生グループを逮捕した。
  • 劉少奇の自白・河辺正三・牟田口廉也釈放 西暦1,947年9月18日、河辺正三が理由も告げられずに釈放。背景には、劉少奇が「盧溝橋事件の仕掛け人は中国共産党で、私が北平大学の学生を使って発生させたものである。現地の責任者は此の私だ」と西側諸国の記者団に証拠を示して発表した事があり、主席検事ジョセフ・キーナンは慌てふためき顔面蒼白となった。西暦1,948年3月、同様の背景で牟田口廉也も理由不告知で釈放された。
  • 中華人民共和国建国宣言・周恩来の盧溝橋事件謀略告白 西暦1,949年10月1日、中国の建国が北京で宣言された。初代国務院総理に就任した周恩来は「あの盧溝橋事件の際、我々の軍隊が、日本軍・国民革命軍双方に、夜陰に乗じて発砲し、両軍の相互不信を煽って停戦協定を妨害した事が中国共産党に今日の栄光を齎したのだ」という主旨の発言をした。本書が記録する12年間の盧溝橋事件謀略と自白の到達点である。

北京武官室少佐今井武夫の第25代浄土真宗本願寺派門主大谷光瑞面会と華北軍事衝突予測、今井の馮治安同行保定行・日本軍発砲事件詳細聴取、第16・17代中華民国国務総理靳雲鵬秘書官陳子庚との料亭夕食及び宗哲元部下冀北保安隊司令石友三の盧溝橋衝突情報伝達、大和田通信所による北京駐在アメリカ海軍武官補佐官チャールズ・キャンベル・ブラウンから第7代海軍作戦部長ウィリアム・リーヒ宛中華民国側日本側攻撃計画暗号電信傍受、大尉清水節郎率いる日本軍支那駐屯軍第8師団第1旅団第20連隊第3大隊第8中隊の龍王廟付近空砲夜間演習開始と上校吉星文率いる国民革命軍第29軍第37師第110旅第219連隊の永定河堤防上警戒及び中国共産党秘密党員張克侠の副参謀長兼第38師参謀長就任・コミンテルン秘密司令戦略、盧溝橋での紅軍劉少奇系ゲリラ部隊による日本軍・国民革命軍双方発砲と中国共産党北方総局采配・北平大学図書館勤務劉少奇主導・懐中電灯点滅合図中間地点発砲・事前作成電文・志村菊次郎行方不明・牟田口廉也宛平城進入要求・張克侠拒否並びに志村20分後帰隊、永定河堤防上軍事衝突と宋哲元の蒋介石報告・不拡大現地解決厳命、今井の北武第211号電打電・宛平県方面銃声・桜井徳太郎抗議・劉少奇の息掛り者中間地点銃声繰返、北武第212号電打電と砲兵陣地約10発被弾、今井の朝日新聞・時事通信・ニューヨーク・タイムズ・AP通信・シカゴ・デイリー・ニュース・ロイター・タイムズ・ガーディアン記者集合説明、国民革命軍一斉射撃日本軍応戦開始、北武第213号電打電と秦徳純宅趙登禹・張允栄協議現地協定骨子、中国共産党世界9先電報、今井の妻今井きみ子宛遺書、今井の張允栄宅斉燮元・林耕宇会談両軍同時撤退提案・現地停戦協定骨子取纏、近衛文麿内閣の北支派兵閣議決定と田代皖一郎危篤影響、専田盛寿の停戦中止指示と今井拒否・松井太久郎直談判許可、松井太久郎・今井の張允栄自宅停戦協定調印、宋哲元・国民革命軍第29軍第38師師長張自忠の華北駐屯軍司令部訪問香月清司停戦交渉、橋本群・張允栄署名による日本軍華北進駐拡大・国民革命軍第29軍平津撤退・抗日運動鎮圧条件天津停戦協定締結と八宝山日本軍陣地中間地帯銃声、北平陸軍特務機関中島弟四郎・国民革命軍第29軍参謀周恩靖監視委員両軍以外発砲判明、日本憲兵・中華民国密偵による中国共産党北方総局命令北平大学・清華大学大学生グループ逮捕、大和田通信所による蒋介石王寵恵宛宮崎龍介派遣計画暗号電信傍受、河辺正三理由不告知釈放と劉少奇の盧溝橋事件中国共産党仕掛人発表・ジョセフ・キーナン顔面蒼白、牟田口廉也理由不告知釈放、中華人民共和国建国宣言と初代国務院総理周恩来の盧溝橋事件謀略告白迄──
北京武官室今井武夫の華北軍事衝突予兆を起点に、大和田通信所による暗号電信傍受、劉少奇主導の中国共産党北方総局による日本軍・国民革命軍双方への発砲謀略、北武第211号〜213号電による戦況報告と現地停戦協定の調印、近衛文麿内閣の北支派兵閣議決定、宋哲元・張自忠と香月清司による天津停戦協定締結、八宝山中間地帯での挑発継続と北平大学・清華大学大学生逮捕、河辺正三・牟田口廉也の戦後釈放と劉少奇の自白、中華人民共和国建国宣言と周恩来の盧溝橋事件謀略告白に至った、12年間の盧溝橋事件謀略・自白の系譜を年月日単位で追跡した一冊。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「一元化」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
YouTubeとニコニコでも情報を発信中。