電子書籍「実力者を次々にバイエルン啓明結社に引き入れたアドルフ・クニッゲ一元化」の表紙

実力者を次々に
バイエルン啓明結社に引き入れた
アドルフ・クニッゲ一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,764年〜西暦1,788年
最新更新日
西暦2,026年1月13日

カッセル、ヴィルヘルムスバート、フランクフルト──
バイエルン啓明結社No2として実力者を引き入れた男の生涯を年月日単位で追跡した一冊。

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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本書について

西暦1,764年、カール・ゴットヘルフ・フォン・フント男爵がフリーメイソン組織「厳しい戒律の儀礼」を設立した際、アドルフ・クニッゲは、ヨハン・ヨアヒム・クリストフ・ボーデと共にメンバーに名を連ねていた。本書は、此のバイエルン啓明結社No2の青年期から、西暦1,788年の自己弁護文書「啓明結社との関わりに就いて為された様々な要求や質疑に対するフィロの最終的説明と回答」発表迄、24年に亘る秘密結社遍歴と、巧みな組織力を以て実力者を次々にバイエルン啓明結社へ引き入れた活動の全過程を、一本の時系列に貫き、一元化した一冊である。

西暦1,766年10月11日、クニッゲの父フィリップ・カール・エルンスト・フォン・クニッゲ男爵が、多額の負債を遺してハノーファーのノイシュテッター・ホーフ・ウント・シュタット教会ザンクト・ヨハニスにて死去し、アドルフは領地を債権者に差し押さえられ、生活の為に宮廷の官吏として働く事となった。お金を払わずして昇進しようと、秘密漏洩文書や高位階メンバーからの情報を通じて、内なる結社に昇進した者だけが参与出来る「聖堂騎士団」に関する知識を得たが、昇進を拒絶された。西暦1,769年にゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲンに入学し、フリードリヒ・シラー大学イェーナで設立された学生結社「コンコルディアの固き絆」に加入。西暦1,772年にはカッセルにてストリクト・オブザーバンツに所属するロッジに加入したが、5年間エルサレム聖堂高位結社の徒弟と地位から抜け出せなかった。

西暦1,777年にハーナウに引っ越したクニッゲは、西暦1,778年7月から翌月に掛けてヴォルフェンビュッテルにて開かれたフリーメイソン会議でカール・ヴィルヘルム・フェルディナントの知遇を得た。同年10月27日にはフィリップ大学マールブルク医学部教授で薔薇十字団員のフリードリヒ・ヨーゼフ・ヴィルヘルム・シュレーダーが死去し、クニッゲはシュレーダーを伝として薔薇十字団への入会を検討していたが断念した。西暦1,779年7月、クニッゲはエルサレム聖堂高位結社の内なる結社の騎士に昇進したが、ブラックボックスとなっている部分は期待していたものとは異なっていた。西暦1,780年7月1日、フランクフルトのロッジでアダム・ヴァイスハウプトの部下でバイエルン啓明結社員のコンスタンティン・フォン・コスタンツォと出会ったクニッゲは「何故新しい結社を設立しようと無益な労力を費やそうとするのですか?貴方の知識欲や有益な活動を望む意欲を全て満たすバイエルン啓明結社が既に存在しているのですよ」と勧誘され、当日中に入会を決意した。

入会後ヴァイスハウプトから、アレオパゴスメンバーに迎え入れられ、忠誠心の証を立てる為バイエルン啓明結社員の勧誘を行う様指示されたクニッゲは、プロイセン王国北部のプロテスタント地域へ出向き、持ち前の落ち着きと巧みな組織力で、ストリクト・オブザーバンツの知られざる上位者の詐欺行為により失望していたフリーメイソン会員を中心に、主に貴族・政治家・医師・弁護士・法学者・知識人・バイエルンの現役学生及びOBから成る、500名もの新規バイエルン啓明結社員を獲得し、瞬く間にヴァイスハウプトに次ぐNo2の地位に上り詰めた。此れによりイルミナティはフリーメイソンの結社となった。クニッゲは秘密の名を「フィロ」とし、フリーメイソンのロッジで使われていたモデルを提案して、13の階級と3つの階層を採用した。西暦1,780年11月23日にはフリーメイソンの改革案の草案を提示し、同年12月にアレオパゴスメンバー間相互契約が交わされ、ヴィルヘルムスバートのフリーメイソン会議での全権が承認された。

西暦1,781年7月9日、ヴァイスハウプトとアレオパゴスメンバーは「結社の目的・手段・組織に関するアレオパゴス共同決議」に署名し、ヴァイスハウプトは「アドルフ・クニッゲこそが、私の探し求めていた協力者である」と称賛した。同年12月20日、クニッゲは「アレオパゴスメンバー間の相互契約」を文書として報告し、ヴァイスハウプトの権限に制限を加え、クニッゲを含めた三者による合議制でバイエルン啓明結社を運営する事とした。西暦1,782年7月16日から同年9月1日に掛けてヴィルヘルムスバートにて開催された延期となっていた国際フリーメイソン会議では、クニッゲは会議其の物には出席せず、フランクフルトのイングランド・ロッジに於いて此の会議の決議に失望したフリーメイソン会員を個別に勧誘する手法を採り、ボーデの協力を得て、カール・ヴィルヘルム・フェルディナントとカール・フォン・ヘッセン・カッセルの勧誘に成功した。同年12月、クニッゲは新たなバイエルン啓明結社の組織図を提出した。

西暦1,783年、ヴァイスハウプトとクニッゲの間に不和が生じ始めた。同年クニッゲは「専制主義・蒙昧・迷信・不正・不実・怠惰に対する6の説教」を発表し、理神論を押し出した。同年1月、クニッゲはストリクト・オブザーバンツの財務長官であったヨハン・ヨアヒム・クリストフ・ボーデをバイエルン啓明結社に引き入れた。同年2月11日にはヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテが、同年7月1日にはヨハン・ゴットフリート・ヘルダーがバイエルン啓明結社員となった。西暦1,784年7月1日、クニッゲはボーデの仲介によりバイエルン啓明結社を脱会し、其の際イルミナティに関し一切発言しない事を誓った。脱会の最終的な発言は「イエズス会総長の命令に盲目的に従うつもりは無い。又インゴルシュタットの一教授に学生扱いされるつもりも無い」というものであった。西暦1,786年から翌年に掛けてバイエルン選帝侯領政府がフランツ・クサーヴァー・フォン・ツヴァックとトーマス・フライヘア・フォン・バッススを家宅捜索し、クニッゲの署名の入った書簡や論文が押収された。西暦1,788年、ハノーファーで仕官になる事を目指していたクニッゲは、バッススにフィロが自身の事であると暴露された為、誓いを破り「フィロの最終的説明と回答」を発表した。本書は、此の24年に亘る秘密結社遍歴と組織活動の全過程を、年月日単位で記録した年表である。


登場人物

  • アドルフ・クニッゲ バイエルン啓明結社No2。秘密の名は「フィロ」。西暦1,772年にカッセルにてストリクト・オブザーバンツに加入。西暦1,780年7月1日にバイエルン啓明結社入会後、500名もの新規結社員を獲得。西暦1,784年7月1日に脱会。西暦1,788年に自己弁護文書を発表した。
  • フィリップ・カール・エルンスト・フォン・クニッゲ アドルフの父。男爵。西暦1,766年10月11日に多額の負債を遺し、ハノーファーのノイシュテッター・ホーフ・ウント・シュタット教会ザンクト・ヨハニスにて死去。此れによりアドルフは領地を債権者に差し押さえられ、生活の為に宮廷の官吏として働く事となった。
  • カール・ゴットヘルフ・フォン・フント 男爵。西暦1,764年にフリーメイソン組織「厳しい戒律の儀礼」を設立した。メンバーにアドルフ・クニッゲとヨハン・ヨアヒム・クリストフ・ボーデがいた。
  • ヨハン・ヨアヒム・クリストフ・ボーデ ストリクト・オブザーバンツの財務長官。西暦1,764年から「厳しい戒律の儀礼」のメンバーとしてクニッゲと共に活動。西暦1,782年7月にザクセン・ゴータ・アルテンブルク公エルンスト2世の代理でヴィルヘルムスバート会議に参加。西暦1,783年1月にクニッゲがバイエルン啓明結社に引き入れた。其の後フランスでレザミ・レユニとグラントリアンのメンバーをイルミナティに引き入れた。西暦1,784年7月1日のクニッゲの脱会を仲介した。
  • フリードリヒ・ヨーゼフ・ヴィルヘルム・シュレーダー フィリップ大学マールブルク医学部教授で薔薇十字団員。西暦1,778年10月27日に死去。クニッゲはシュレーダーを伝として薔薇十字団への入会を検討していたが、シュレーダーの死により断念した。
  • カール・ヴィルヘルム・フェルディナント クニッゲが西暦1,778年7月のヴォルフェンビュッテルでのフリーメイソン会議で知遇を得た人物。西暦1,782年7月のヴィルヘルムスバート国際フリーメイソン会議を号令により招集。クニッゲの改革案を評価しフリーメイソン会議への正式参加を要請した。クニッゲとボーデの勧誘によりバイエルン啓明結社員となった。
  • コンスタンティン・フォン・コスタンツォ アダム・ヴァイスハウプトの部下のバイエルン啓明結社員。西暦1,780年7月1日にフランクフルトのロッジでクニッゲと出会い、同日中にクニッゲをバイエルン啓明結社に勧誘・入会させた。プロイセン王国のプロテスタント地域への活動範囲拡大を担っていた。
  • アダム・ヴァイスハウプト バイエルン啓明結社の主導者。秘密の名は「スパルタクス」。西暦1,776年5月1日にバイエルン啓明結社を設立。西暦1,780年7月のクニッゲ入会後、アレオパゴスメンバーに迎え入れた。西暦1,781年に「アドルフ・クニッゲこそが、私の探し求めていた協力者である」と称賛したが、西暦1,783年からクニッゲと不和が生じた。
  • メイヤー・アムシェル・ロスチャイルド ロスチャイルド家の祖。西暦1,776年5月1日のバイエルン啓明結社設立に当たり、ヴァイスハウプトに対し指示及び資金提供を行なった。
  • フランツ・クサーヴァー・フォン・ツヴァック ヴァイスハウプトの右腕。インゴルシュタット大学の法学博士号を取得し、西暦1,776年5月にバイエルン啓明結社に加入。西暦1,781年2月にヴァイスハウプトから「アドルフ・クニッゲの働きぶりは、全ての期待を上回っている。クニッゲは誠に模範とするに足る男だ」という主旨の書簡を受け取った。西暦1,786年から翌年に掛けて家宅捜索を受けた。
  • バロン・アドルフ・カネガ バイエルン啓明結社の支配評議会「アレオパゴス」の創設者の1人。フリーメイソンの儀式に似たものを採用しようとし、元フリーメイソンであったクニッゲの賛成を得て採用された。
  • カール・フォン・ヘッセン・カッセル ヴィルヘルム9世の弟。西暦1,782年のヴィヘルムスバート会議でイルミナティに加入し、此れによりストリクト・オブザーバンツが活動停止となりイルミナティ化した。クニッゲがフェルディナントと共に勧誘した此の人物の入会が、ヴァイスハウプトのクニッゲ排除決意の切っ掛けとなった。
  • ヴィルヘルム9世 ヘッセン・カッセル方伯。弟のカール・フォン・ヘッセン・カッセルが西暦1,782年にイルミナティに加入した。
  • フランツ・ヴィルヘルム・フォン・ディトフルト ヴェッツラーの帝室裁判所司法官試補。秘密の名は「ミノス」。西暦1,782年7月16日のヴィルヘルムスバートのフリーメイソン会議に派遣され、ヴァイスハウプトの支持を背景にストリクト・オブザーバンツの擬似宗教的要素を攻撃する演説を行ったが、参加資格を剥奪された。クニッゲから「思慮に欠けた熱意で、場所を選ばずに見境無く理神論を鼓吹する」と批判された。
  • ザクセン・ゴータ・アルテンブルク公エルンスト2世 ザクセン・ゴータ・アルテンブルク公国の君主。西暦1,782年7月のヴィルヘルムスバート会議に代理としてヨハン・ヨアヒム・クリストフ・ボーデを派遣した。
  • ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ ドイツの文豪。西暦1,783年2月11日にヨハン・ヨアヒム・クリストフ・ボーデを通じてバイエルン啓明結社員となった。
  • ヨハン・ゴットフリート・ヘルダー ドイツの哲学者。西暦1,783年7月1日にバイエルン啓明結社員となった。
  • トーマス・フライヘア・フォン・バッスス バイエルン啓明結社の中核メンバーの1人。西暦1,786年から翌年に掛けて自宅を家宅捜索され、押収された文書から「啓明結社原典資料集」「啓明結社原典資料集補遺」が出版された。西暦1,788年に「異議申し立て」と題した自己弁護文書を発表し、フィロがアドルフ・クニッゲの事であると暴露した。
  • カール・フリードリヒ・バールト 啓蒙思想家・神学者。西暦1,788年頃クニッゲが自己弁護文書発表の頃から接触を開始した相手。

主要な概念・組織

  • 厳しい戒律の儀礼 西暦1,764年にカール・ゴットヘルフ・フォン・フント男爵が設立したフリーメイソン組織。メンバーにアドルフ・クニッゲとヨハン・ヨアヒム・クリストフ・ボーデが名を連ねていた。
  • 聖堂騎士団 エルサレム聖堂高位結社の内なる結社に昇進した者だけが参与出来る組織。クニッゲは西暦1,766年10月11日の父死去後、お金を払わずして昇進しようと、秘密漏洩文書や高位階メンバーからの情報を通じて聖堂騎士団に関する知識を得たが、昇進を拒絶された。
  • 沈黙の誓い エルサレム聖堂高位結社の内なる結社の起源と目的に関する情報拘束。本来は上司に対する絶対服従と共に存在していたが、クニッゲが内なる結社に関する情報を得られた様に形骸化していた。クニッゲは此の内容が内なる結社のメンバーに共有されずコンセンサスが得られていない事をストリクト・オブザーバンツの問題の根源と捉えた。
  • ゲオルク・アウグスト大学ゲッティンゲン クニッゲが西暦1,769年に入学した大学。クニッゲは此処でフリードリヒ・シラー大学イェーナで設立された学生結社「コンコルディアの固き絆」に加入した。
  • コンコルディアの固き絆 フリードリヒ・シラー大学イェーナで設立された学生結社。キャンパス外にも支部を有し、単なる学生の団体とは異なる性格を持っていた。クニッゲは西暦1,769年にゲッティンゲン入学後此れに加入した。
  • ストリクト・オブザーバンツ プロイセン王国北部のロッジの大半を傘下に収めていたフリーメイソンの高位階制。クニッゲは西暦1,772年にカッセルにて加入した。知られざる上位者の詐欺行為により会員から失望されていた。西暦1,782年7月のヴィルヘルムスバート会議で知られざる上位者の存在は公式に否定され、其の後活動停止となりイルミナティ化した。
  • エルサレム聖堂高位結社 ストリクト・オブザーバンツに所属する高位結社。クニッゲは西暦1,772年から5年間徒弟と地位から抜け出せなかったが、西暦1,779年7月に内なる結社の騎士に昇進した。
  • 薔薇十字団 秘密結社。クニッゲはフリードリヒ・ヨーゼフ・ヴィルヘルム・シュレーダーを伝として入会を検討していたが、西暦1,778年10月27日のシュレーダーの死により断念した。
  • バイエルン啓明結社 西暦1,776年5月1日夜、インゴルシュタット近くの森でメイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの指示及び資金提供によりヴァイスハウプトがイルミナティを刷新した秘密結社。クニッゲは西暦1,780年7月1日に入会、500名もの新規結社員を獲得しNo2の地位に上り詰めた。西暦1,784年7月1日に脱会した。
  • アレオパゴス バイエルン啓明結社の支配評議会。西暦1,780年7月1日のクニッゲ入会後、ヴァイスハウプトはクニッゲをアレオパゴスメンバーに迎え入れた。
  • フリーメイソン改革案 西暦1,780年11月23日にクニッゲがヴァイスハウプトへ書簡で提示した、カール・ヴィルヘルム・フェルディナントの委嘱により起草した改革案の草案。高位4位階(第4〜7位階)とヨハネ3位階(第1〜3位階)から成り、結局実現しなかったが、バイエルン啓明結社の改革に於いて適用された。
  • アレオパゴスメンバー間相互契約 西暦1,780年12月に交わされた契約。此れによりアドルフ・クニッゲは、ヴィルヘルムスバートのフリーメイソン会議での全権が承認された。西暦1,781年12月20日にも同名の文書が報告され、ヴァイスハウプトの権限に制限を加え、クニッゲを含めた三者による合議制でバイエルン啓明結社を運営する事が定められた。
  • アレオパゴス共同決議 西暦1,781年7月9日にヴァイスハウプトとアレオパゴスメンバーが署名した「結社の目的・手段・組織に関するアレオパゴス共同決議」。バイエルン啓明結社の目的を学校制度の改革と有用な知識の普及を通じた啓蒙主義の促進と定めた。ヴァイスハウプトは「アドルフ・クニッゲこそが、私の探し求めていた協力者である」と称賛し、上位位階の設立を依頼した。
  • ヴィルヘルムスバート国際フリーメイソン会議 西暦1,782年7月16日から同年9月1日に掛けて開催された延期となっていた国際フリーメイソン会議。カール・ヴィルヘルム・フェルディナントの号令により招集された。会議の回数は36回に及んだ。クニッゲは会議其の物には出席せず、フランクフルトのイングランド・ロッジで決議に失望したフリーメイソン会員を個別に勧誘した。
  • 折衷同盟 西暦1,783年1月11日にヴァイスハウプトがツヴァックへの書簡で「我々の最大の関心はフリーメイソンに折衷同盟を導入する事だ」と称賛した同盟。クニッゲは此の動きに対し、ストリクト・オブザーバンツの指導者達を引き入れる事で、折衷同盟をバイエルン啓明結社の傘下に収めようとした。
  • レザミ・レユニ フランスのフリーメイソン組織。西暦1,783年1月にクニッゲがバイエルン啓明結社に引き入れたボーデが、フランスで活動して此のメンバーをイルミナティに引き入れる事に成功した。
  • グラントリアン フランスのフリーメイソン組織。西暦1,783年1月にクニッゲがバイエルン啓明結社に引き入れたボーデが、フランスで活動して此のメンバーをイルミナティに引き入れる事に成功した。
  • 専制主義・蒙昧・迷信・不正・不実・怠惰に対する6の説教 西暦1,783年にクニッゲが発表した著作。「我々の聖なる宗教は、真面な理性を備えた人間が納得出来ない様な掟、自然宗教に反する様な掟は1つたりとも我々に教えていない」とし、理神論を押し出した。
  • 啓明結社原典資料集 西暦1,786年から翌年に掛けてバイエルン選帝侯領政府がツヴァックとバッススの自宅から押収した、クニッゲの署名の入った書簡や論文を含む大量のイルミナティ関連文書を出版した資料集。「啓明結社原典資料集補遺」も翌年出版された。フランス革命勃発後はジャコバン派を準備する思想であると反革命陣営によって位置付けられた。
  • 異議申し立て 西暦1,788年にトーマス・フライヘア・フォン・バッススが発表した自己弁護文書。此の文書の中でフィロがアドルフ・クニッゲの事であると暴露された為、クニッゲは西暦1,784年7月1日のイルミナティに関し発言しないという誓いを破る事となった。
  • フィロの最終的説明と回答 西暦1,788年にクニッゲが発表した自己弁護文書(正式名称「啓明結社との関わりに就いて為された様々な要求や質疑に対するフィロの最終的説明と回答」)。3つの観点から論証を進め、ストリクト・オブザーバンツへの愛着を語り、凡ゆる秘密結社から手を引いた事を明言し、秘密結社の有益性を否定した。

フリーメイソン遍歴から500名の新規結社員獲得、そして脱会と自己弁護へ──
バイエルン啓明結社No2として実力者を引き入れた男の生涯を年月日単位で追跡した一冊。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「一元化」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
YouTubeとニコニコでも情報を発信中。