電子書籍「阪田誠盛による、熱河産アヘンの大連・天津への密輸、張家口でのヘロイン製造一元化」の表紙

阪田誠盛による、
熱河産アヘンの
大連・天津への密輸、
張家口でのヘロイン製造
一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,932年3月1日〜1,935年12月頃
ページ数
5ページ
文字数
2,599字
最新更新日
西暦2,026年8月25日

西暦1,932年、満洲国はアヘンを財源に選んだ──
阪田誠盛と関東軍が築いたアヘン密輸網の4年を一元化。

152円(税込)

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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本書について

西暦1,932年3月1日、満洲国が建国された。同月10日、満洲国政府が、首都を長春(現在の中国吉林省)に定めた。同月14日、満洲国政府が、首都の長春を、首都に相応しい名称として「新京」と命名した。其の後満洲国政府と関東軍は、アヘンを財源にしようと、アヘン窟を公認した。軈て、新京にはアヘン窟が1,000軒超、奉天には750軒、他の満洲国内の主要都市には、何れもアヘン窟が500軒、麻薬販売店が100軒を超えた。アヘン窟の多くは売春宿を兼ねていた。此の営業許可手数料とアヘンの売り上げが、満洲国政府の歳入の大きな割合を占める様になった。密売業者は、治外法権を示す日の丸を掲げた。又、同月満洲国財政部内に設置された専売公署が、アヘンの専売に関する事項を司った。同年11月、外務省が、日本国内で満洲国の建国公債の募集を開始した。外務省は、満洲国のアヘン専売は万国阿片条約等の精神に合致すると各国に説明した。

西暦1,933年、阪田誠盛が、関東軍の公認の下、「阪田組」を立ち上げた。阪田組は、表向きは商社・貿易会社・自動車会社を装っていたが、実際は、アヘン取引や、アヘンに関する情報収集・謀略活動に従事していた。同年1月11日、満洲国にて、①アヘンの生産・加工・販売を満州国政府の専売公署が一元的に管理する。芥子の栽培は三江地区(現在の中国黒竜江省)・熱河地区に限定し、収穫された芥子は専売公署が買い上げる②アヘンの購入・使用は、警察署に届け出て、吸食者証を取得した者に限定する。吸食者証を持つ者は、専売公署が指定したアヘン窟等の小売業者でアヘンを購入し、吸引する事を許可する③アヘンの使用を治療目的に限定する④アヘンの密売や非公式な取引を禁止する。違反者には罰則を科す、という内容の「阿片法」が施行された。表向きは、アヘンの使用を規制し、中毒者の治療を名目としたが、真の目的は、アヘンの生産・流通を満洲国が独占し、利益を最大化するスキームを構築する事であった。然し実態は、届け出の基準は緩く、事実上誰でもアヘンが入手可能であった。アヘンの使用を治療目的に限定し、中毒者の管理と治療を装ったが、此れは国際社会への配慮であり、実態はアヘンの販売拡大を促進するものであった。又、日本人には治外法権が認められていた為、日本人によるアヘンの密売に関する取り締まりは緩かった。

西暦1,933年2月23日、関東軍が、張学良軍の財源であるアヘンを奪う為、中華民国熱河省(現在の中国河北省・遼寧省・内モンゴル自治区)に侵攻した。其の際、参謀長小磯國昭は、芥子の耕作地を荒らさぬ様、十分な配慮を望む旨を訓示した。同年3月6日、関東軍が、熱河省の省都の承徳(現在の中国河北省)を征圧した。又、関東軍が組織したアヘン工作班が、現地の軍閥のアヘン部門を接収した。熱河省は満洲国に組み入れられ、張学良軍の資金源であった華北地方のアヘン販売網を奪取した。更に関東軍は、熱河省に専売公署を設置し、張のアヘン販売網を阪田誠盛に引き継がせた。阪田は、承徳に在る湯玉麟所有のヘロイン工場を入手し、関東軍からアヘンの密売を任され、大連で売り捌いた。

西暦1,933年3月20日、アヘン工作班が、熱河省にて、芥子栽培の宣伝工作を開始した。飛行機からビラをばら撒く等した。ビラには、①芥子栽培は、他の作物に比して収益性が高く、高収入を齎す②満洲国政府が芥子の買い取りを保証し、農家に安定した収入を提供する③芥子栽培は愛国的な行為であり、満洲国の発展に寄与する④専売公署による技術指導・種子の提供が有る、等の内容が記載されていた。同年5月31日、①関東軍参謀副長岡村寧次②国民政府軍事委員会北平分会総参議熊斌の2名により、満洲事変の停戦協定である「塘沽協定」が締結された。此れにより、宋哲元は察哈爾省政府主席の座を追われ、同省を去り、同省のアヘンは関東軍が手に入れられる状況となった。同年12月31日、本年、日本は、世界中のヘロインの51%、及び世界中のコカインの22%を生産した。

西暦1,934年2月、阪田誠盛が、熱河産アヘンを、承徳から天津へ密輸するルートを構築した。阪田組のトラックで熱河産アヘンを承徳から北京へ運び、其処から天津に持ち込まれた。斯うして、阪田組の密輸の舞台は、大連より高い価格で大量に捌ける天津へと移っていった。同年7月、二反長音蔵が、満洲国当局に招かれ、朝鮮国境近くで芥子栽培の指導を始めた。

西暦1,935年4月、土肥原賢二が、天津の反日華字紙「庸報」を秘密買収した。土肥原は、茂川機関の李志堂を社長に据え、庸報の反日色を一掃させ、関東軍の機関紙としての体を成させた。同年9月、里見甫が、司令部第4課陸軍歩兵大佐松井太久郎から、関東軍参謀副長板垣征四郎の下へ向かう様連絡を受けた。到着すると其処には、松井・板垣だけでなく、土肥原賢二も居た。里見は、天津の華字紙「庸報」の経営と紙面改革を依頼された。庸報の発行人で有る黄顕光と里見は、既に知己を得ていた。加えて里見は、庸報の紙面改革の裏で、阪田組の密輸するアヘンを密売し、蒋介石の財源である天津のアヘン市場の奪取する様依頼された。土肥原は「此れ迄関東軍が画策してきた謀略工作は、天津のアヘン市場を掌握して、巨額になって来た諜報工作資金に充てる為であった。其の為に既存の中華民国のアヘン密売を取り締まり、壊滅させて来た。天津に持ち込むアヘンは、昨年から熱河省と内蒙古で芥子栽培を行い確保している。生産から販売まで、関東軍が一気通貫で遂行するものと考えて貰いたい」と、里見に対し、アヘンの販売促進を依頼した。続けて土肥原は「当面の輸送は阪田組のルートを活かし、関東軍が全面的な護衛を行う。関東憲兵隊司令官岩佐緑朗の命により、阪田組のアヘン輸送に関しては、摘発・押収しない様に手配している」と説明した。里見は此れを引き受けた。岩佐の役割は、後に東條英機に引き継がれた。

西暦1,935年12月、阪田誠盛が、張家口(現在の中国河北省)に阪田組の支社を設立し、従業員170名でヘロインの製造を開始した。本書は、此の4年に亘る、満洲国建国とアヘン窟公認・専売公署設置を起点として、阪田誠盛が関東軍の公認の下に阪田組を立ち上げ、阿片法によるアヘン専売体制の下で熱河省のアヘン販売網と湯玉麟所有のヘロイン工場を引き継ぎ、大連から天津へと密輸の舞台を移し、関東憲兵隊の護衛を得て張家口に従業員170名のヘロイン工場を構える迄の全過程を、年月日単位で記録した年表である。


登場人物

  • 阪田誠盛 本書の中心人物。西暦1,933年、関東軍の公認の下、「阪田組」を立ち上げた。阪田組は表向きは商社・貿易会社・自動車会社を装っていたが、実際はアヘン取引や情報収集・謀略活動に従事。同年3月6日の関東軍による承徳征圧後、関東軍から張学良軍のアヘン販売網を引き継がれ、承徳に在る湯玉麟所有のヘロイン工場を入手、関東軍からアヘンの密売を任され大連で売り捌いた。西暦1,934年2月、熱河産アヘンを承徳から天津へ密輸するルートを構築(承徳→北京→天津)し、大連より高い価格で大量に捌ける天津へ密輸の舞台を移行。西暦1,935年9月、里見甫が阪田組の密輸するアヘンの天津での密売を依頼された。同年12月、張家口に阪田組の支社を設立し、従業員170名でヘロインの製造を開始した。
  • 小磯國昭 関東軍参謀長。西暦1,933年2月23日の関東軍による中華民国熱河省侵攻の際、芥子の耕作地を荒らさぬ様、十分な配慮を望む旨を訓示した。
  • 湯玉麟 熱河省の軍閥。承徳にヘロイン工場を所有していた。西暦1,933年3月6日の関東軍による承徳征圧後、アヘン工作班により其のアヘン部門が接収され、ヘロイン工場は阪田誠盛が入手した。
  • 張学良 中華民国の軍閥。其の軍はアヘンを財源とし、華北地方にアヘン販売網を保有していた。西暦1,933年2月23日に関東軍が熱河省に侵攻したのは、張学良軍のアヘン財源を奪う為であった。同年3月6日の承徳征圧で華北地方のアヘン販売網が奪取され、阪田誠盛に引き継がれた。
  • 岡村寧次 関東軍参謀副長。西暦1,933年5月31日、国民政府軍事委員会北平分会総参議熊斌と共に、満洲事変の停戦協定である「塘沽協定」を締結した。
  • 熊斌 国民政府軍事委員会北平分会総参議。西暦1,933年5月31日、関東軍参謀副長岡村寧次と共に、満洲事変の停戦協定である「塘沽協定」を締結した。
  • 宋哲元 察哈爾省政府主席。西暦1,933年5月31日の「塘沽協定」締結により、察哈爾省政府主席の座を追われ同省を去り、察哈爾省のアヘンは関東軍が手に入れられる状況となった。
  • 二反長音蔵 芥子栽培の専門家。西暦1,934年7月、満洲国当局に招かれ、朝鮮国境近くで芥子栽培の指導を始めた。
  • 土肥原賢二 西暦1,935年4月、天津の反日華字紙「庸報」を秘密買収し、茂川機関の李志堂を社長に据えて反日色を一掃させ、関東軍の機関紙としての体を成させた。同年9月、里見甫に対し、庸報の紙面改革の裏で阪田組の密輸するアヘンを密売し、蒋介石の財源である天津のアヘン市場を奪取する様依頼。関東軍の天津アヘン市場掌握による諜報工作資金確保目的・熱河省と内蒙古での芥子栽培・関東軍一気通貫遂行方針・関東憲兵隊司令官岩佐緑朗による阪田組摘発押収免除手配を説明した。
  • 李志堂 茂川機関の人物。西暦1,935年4月、土肥原賢二による天津の反日華字紙「庸報」秘密買収後、社長に据えられ、庸報の反日色を一掃させ、関東軍の機関紙としての体を成させた。
  • 里見甫 西暦1,935年9月、司令部第4課陸軍歩兵大佐松井太久郎から、関東軍参謀副長板垣征四郎の下へ向かう様連絡を受け、松井・板垣・土肥原賢二と面会。庸報発行人黄顕光と既に知己を得ていた里見は、天津の華字紙「庸報」の経営と紙面改革、及び阪田組の密輸するアヘンを密売し蒋介石の財源である天津のアヘン市場を奪取する依頼を受け、引き受けた。
  • 松井太久郎 司令部第4課陸軍歩兵大佐。西暦1,935年9月、里見甫に関東軍参謀副長板垣征四郎の下へ向かう様連絡し、板垣・土肥原賢二と共に里見に庸報経営と阪田組アヘン密売を依頼した。
  • 板垣征四郎 関東軍参謀副長。西暦1,935年9月、松井太久郎・土肥原賢二と共に、里見甫に天津の華字紙「庸報」の経営と紙面改革、及び阪田組の密輸するアヘンの密売による蒋介石の財源である天津のアヘン市場奪取を依頼した。
  • 黄顕光 天津の華字紙「庸報」の発行人。里見甫と既に知己を得ていた。西暦1,935年9月の里見甫への庸報経営と紙面改革依頼の背景となった。
  • 蒋介石 国民政府の指導者。天津のアヘン市場を財源としていた。西暦1,935年9月、里見甫が土肥原賢二等から、阪田組の密輸するアヘンを密売し、蒋介石の財源である天津のアヘン市場を奪取する様依頼された。
  • 岩佐緑朗 関東憲兵隊司令官。西暦1,935年9月の土肥原賢二の里見甫への説明によると、其の命により、阪田組のアヘン輸送に関しては摘発・押収しない様手配されていた。岩佐の役割は、後に東條英機に引き継がれた。
  • 東條英機 関東憲兵隊司令官岩佐緑朗による阪田組のアヘン輸送に対する摘発・押収免除の手配の役割を、後に引き継いだ人物。

主要な概念・組織

  • 満洲国・新京・アヘン窟 西暦1,932年3月1日に建国され、同月10日に首都を長春に定め、同月14日に長春を「新京」と命名。其の後満洲国政府と関東軍はアヘンを財源にしようとアヘン窟を公認し、新京1,000軒超・奉天750軒・他主要都市500軒・麻薬販売店100軒の規模となった。アヘン窟の多くは売春宿を兼ね、営業許可手数料とアヘン売上が満洲国政府歳入の大きな割合を占めた。密売業者は治外法権を示す日の丸を掲げた。同年11月、外務省が日本国内で満洲国の建国公債の募集を開始し、満洲国のアヘン専売は万国阿片条約等の精神に合致すると各国に説明した。
  • 専売公署 西暦1,932年3月、満洲国財政部内に設置され、アヘンの専売に関する事項を司った。西暦1,933年1月11日施行の「阿片法」により、アヘンの生産・加工・販売を一元的に管理し、芥子の栽培を三江地区(現在の中国黒竜江省)・熱河地区に限定し、収穫された芥子を買い上げる権限を持った。同年3月6日の関東軍による承徳征圧後は熱河省にも設置された。
  • 阪田組 西暦1,933年、阪田誠盛が関東軍の公認の下に立ち上げた組織。表向きは商社・貿易会社・自動車会社を装っていたが、実際はアヘン取引や、アヘンに関する情報収集・謀略活動に従事した。西暦1,933年3月6日に関東軍から張学良軍の華北地方アヘン販売網を引き継がれ、湯玉麟所有のヘロイン工場入手と大連での売捌。西暦1,934年2月に承徳から北京経由天津への密輸ルートを構築。西暦1,935年9月、関東憲兵隊司令官岩佐緑朗の命により阪田組のアヘン輸送は摘発・押収免除とされた(後に東條英機に引継)。西暦1,935年12月、張家口に支社を設立し従業員170名でヘロインの製造を開始した。
  • 阿片法 西暦1,933年1月11日に満洲国にて施行された法律。①生産・加工・販売を専売公署が一元管理し芥子栽培を三江地区・熱河地区に限定②吸食者証取得者のみ購入可③治療目的に限定④密売禁止と罰則、を内容とする。表向きはアヘン使用規制と中毒者治療を名目としたが、真の目的はアヘンの生産・流通を満洲国が独占し利益を最大化するスキームの構築であり、届出基準は緩く事実上誰でも入手可能で、日本人には治外法権が認められていた為密売取り締まりは緩かった。
  • 熱河省侵攻・湯玉麟ヘロイン工場接収 西暦1,933年2月23日、関東軍が張学良軍の財源であるアヘンを奪う為、中華民国熱河省(現在の中国河北省・遼寧省・内モンゴル自治区)に侵攻。参謀長小磯國昭が芥子耕作地への配慮を訓示した。同年3月6日、関東軍が熱河省の省都の承徳(現在の中国河北省)を征圧。アヘン工作班が現地軍閥のアヘン部門を接収し、熱河省を満洲国に組み入れ、張学良軍の華北地方アヘン販売網を奪取。熱河省に専売公署を設置し、張のアヘン販売網を阪田誠盛に引き継がせた。阪田は承徳の湯玉麟所有のヘロイン工場を入手し、関東軍からアヘンの密売を任され大連で売り捌いた。
  • アヘン工作班・芥子栽培宣伝工作 関東軍が組織した工作班。西暦1,933年3月6日の承徳征圧で現地軍閥のアヘン部門を接収。同月20日から熱河省にて芥子栽培の宣伝工作を開始し、飛行機からビラをばら撒く等した。ビラには①芥子栽培の高収益性②満洲国政府による買い取り保証③愛国的行為としての位置付け④専売公署による技術指導・種子提供等が記載されていた。
  • 塘沽協定・察哈爾省アヘン獲得 西暦1,933年5月31日、①関東軍参謀副長岡村寧次②国民政府軍事委員会北平分会総参議熊斌の2名により締結された満洲事変の停戦協定。此れにより、宋哲元は察哈爾省政府主席の座を追われ同省を去り、同省のアヘンは関東軍が手に入れられる状況となった。
  • 日本のヘロイン51%・コカイン22%生産 西暦1,933年12月31日時点、日本は本年世界中のヘロインの51%、及び世界中のコカインの22%を生産した。
  • 天津密輸ルート構築・天津移行 西暦1,934年2月、阪田誠盛が熱河産アヘンを承徳から天津へ密輸するルートを構築。阪田組のトラックで熱河産アヘンを承徳から北京へ運び、其処から天津に持ち込まれた。斯うして阪田組の密輸の舞台は、大連より高い価格で大量に捌ける天津へと移っていった。同年7月、二反長音蔵が満洲国当局に招かれ、朝鮮国境近くで芥子栽培の指導を始めた。
  • 庸報秘密買収・茂川機関 西暦1,935年4月、土肥原賢二が天津の反日華字紙「庸報」を秘密買収。茂川機関の李志堂を社長に据え、庸報の反日色を一掃させ、関東軍の機関紙としての体を成させた。同年9月、里見甫が天津の華字紙「庸報」の経営と紙面改革を依頼された。庸報の発行人黄顕光と里見は既に知己を得ていた。
  • 里見甫への蒋介石財源天津アヘン市場奪取依頼・関東軍護衛体制 西暦1,935年9月、里見甫が司令部第4課陸軍歩兵大佐松井太久郎経由で関東軍参謀副長板垣征四郎・土肥原賢二に面会し、庸報の紙面改革の裏で阪田組の密輸するアヘンを密売し、蒋介石の財源である天津のアヘン市場を奪取する様依頼された。土肥原は、関東軍が画策してきた謀略工作は天津のアヘン市場掌握による巨額の諜報工作資金充当目的で、既存の中華民国のアヘン密売を取り締まり壊滅させて来た事、天津に持ち込むアヘンは昨年から熱河省と内蒙古で芥子栽培を行ない確保している事、生産から販売まで関東軍が一気通貫で遂行する方針を説明。当面の輸送は阪田組のルートを活かし関東軍が全面的な護衛を行ない、関東憲兵隊司令官岩佐緑朗の命により阪田組のアヘン輸送に関しては摘発・押収しない様手配済みで、岩佐の役割は後に東條英機に引き継がれた。
  • 張家口阪田組支社・ヘロイン製造 西暦1,935年12月、阪田誠盛が張家口(現在の中国河北省)に阪田組の支社を設立し、従業員170名でヘロインの製造を開始した。本書が記録する、阪田誠盛・関東軍によるアヘン密輸・ヘロイン製造構築4年間の到達点である。

承徳のヘロイン工場から張家口の170名へ──
熱河産アヘンの密輸とヘロイン製造の全過程を一元化。

152円(税込)

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
YouTubeとニコニコでも情報を発信中。