児玉誉士夫の軍需物資原料調達と
日本自由党結党資金提供
一元化
上海で積み上げた財産が、政党の結党資金になった──
児玉誉士夫の十四年を一元化。
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本書について
西暦1,939年、児玉誉士夫が外交官河相達夫の斡旋により外務省情報部嘱託となり、上海を拠点に情報活動へ従事する。同年4月20日には、三井物産・三菱商事・大倉産業の3社が各5,000,000円を共同出資し、資本金15,000,000円で商社「昭和通商」が設立された。表向きは陸軍の旧式となった武器を中近東等の第三国に輸出し、タングステン等の軍需物資を現地調達する名目であったが、実態は諜報活動とアヘン取引を行う陸軍の特務機関である。本社は東京市日本橋区小舟町の小倉石油ビル内に置かれた。昭和通商は中華民国工作員に綿布・綿糸・硫安を持たせ、国民党軍の前線部隊の司令官と接触してタングステンと物々交換をする等、陸路・海路から調達を行なった。此れは危険を伴い、海路ではバイアス湾(現在の中国広東省の大亜湾)にて海賊に襲われ、船員が1名を除き全員射殺され、物資を奪われて船が焼かれるという事件もあった。本書は、此処を起点として、児玉誉士夫が軍需物資の原料を集め、其の財産が戦後政党の結党資金へ変わってゆく十四年の歩みを、年月日単位で一元化した記録である。
西暦1,939年5月頃、里見甫が昭和通商・青幇・紅幇等と連携し、上海でのアヘン密売を取り仕切る「里見機関」を設立する。ペルシャ・モンゴル産のアヘンの売買によって得た莫大な利益は関東軍の戦費に充てられ、一部は日本の傀儡であった中華民国の汪兆銘政権に流された。里見機関は、関東軍が極秘に生産していた満洲産アヘンや、日本軍が生産していた海南島産アヘンも取り扱っている。満洲産アヘンは陸軍の指示により石油缶に入れられ、税関を通さず秘密裏に昭和通商が購入する事で中国国内に持ち込まれた。当時のアヘンの価格は37gあたり、張家口で20円、天津で40円、上海で80円、シンガポールで160円である。三井物産は32gあたり35円で軍に納入し、其れを里見機関が1gあたり22円から23円で宏済善堂に卸した。四川省産よりも品質の良いペルシャ産のアヘンはサスーン商会系によって上海に流入し、三井物産上海支店が仕入れている。同支店には佐藤喜一郎がおり、調達資金を工面していた。此の活動を通じて、青幇の杜月笙・盛文頤、笹川良一、児玉誉士夫、吉田裕彦、岩田幸雄、許斐氏利、阪田誠盛、清水行之助という地下人脈が形成された。
西暦1,940年から翌年にかけて、児玉誉士夫は昭和通商の依頼でヘロインの密売を2度行なう。其のヘロインは中国経由で南シナ海に持ち込まれ、タングステンと物々交換された。同年1月28日には、阪田誠盛を長とする陸軍の特務機関「松機関」が設立される。中国現地の情報収集、アヘンの中国国内での密売、そして「杉工作」と命名された、登戸研究所で印刷された偽札の中国国内への流通工作に従事し、里見機関は松機関から偽札の提供を受けていた。同年4月頃、日本軍が銀洲湖を封鎖すると、趙其休は国民党軍の司令官と連絡を取りつつ汪兆銘軍へ寝返り、マカオの海軍の物資購入部門と密貿易を始める。密貿易に用いた船は日本軍の保護下にあり、海軍から証明書が発行された。趙は古兜山の麓の、国民党の政府機関が採掘していたタングステン鉱山からタングステンを密かに買い取っており、日本軍の侵攻により鉱山が閉鎖されると、付近の地主や有力者が勝手に掘り始めた分を輸出していた。
西暦1,941年11月、児玉誉士夫が国粋大衆党総裁笹川良一の仲介及び海軍航空本部総務部長山縣正郷の頼みにより、上海の海軍航空本部の嘱託として、軍需物資調達の為の組織「児玉機関」を組織する。所在は上海大厦で、最上階には清の皇族川島芳子が住んでいた。タングステン・ラジウム・コバルト・ニッケル・銅・プラチナ・雲母・潤滑油を買い上げたり、軍の権威を利用した拳銃を使った強盗等で調達し、海軍航空本部に納入する独占契約を得ていた。京城にも出張所を置き、朝鮮各地で砂金や真鍮の収集を行なっている。軍票での物資調達が出来なくなった際には、陸軍の弾薬を児玉の船で台湾へ輸送して砂糖や蜜柑を調達した。砂糖は上海で需要があり、物資の調達に一役買っている。
西暦1,942年、日南鉱業が京都府船井郡和知町の鐘打鉱山でタングステン・モリブデンの採掘を開始し、社長には児玉誉士夫が就いた。タングステンは物理的に非常に高い強度を持ち、対戦車砲の砲弾や戦車の装甲板に使用される。西暦1,944年には、タングステン・モリブデンの採掘を意図し、山梨県塩山市千野の乙女鉱山会社を開発会社として、児玉機関が乙女鉱床の鉱業権を取得した。
西暦1,945年8月14日午後、海軍航空本部から軍需物資の調達を頼まれた児玉誉士夫が、児玉機関のチャーターした朝日新聞社機で、中国大陸で集めた金の延べ棒・プラチナ・ダイヤモンド・ヒスイ等20,000,000,000円相当を上海から島根空港へ輸送する。此れ等は島根から東京の銀座へ運ばれ、児玉機関が東京本部として使っていたビルの地下室に収蔵された。其の後、皇室に献上しようとしたが、第12代宮内大臣石渡荘太郎から、皇室が日本に進駐している連合国軍に怒られ迷惑する事を理由に持ち帰る様言われる。慶應義塾大学の地下室に運ばれた後、GHQから海軍航空本部に所有物資の提出命令が有り、接収された。GHQは旧軍部が各地に隠匿していた貴金属類を摘発して日銀本店の地下金庫に保管しており、今回輸送された貴金属も同じ金庫に収められている。
西暦1,945年8月15日頃、児玉誉士夫が朝鮮銀行に多額の預金を残す。此の時、児玉の財産は175,000,000ドルに膨れ上がっていた。児玉機関副機関長吉田彦太郎が日本に帰国した後、児玉は三菱銀行麹町支店に預金していた60,000,000円以上の資金を全て引き出し、自身が20,000,000円を持ち、吉田に残り40,000,000円を渡した。
西暦1,945年8月16日2時頃、神風特別攻撃隊の創設者の一人である海軍中将大西瀧治郎が、南平台町の官舎にて腹を十字に切り、首と胸を刺して切腹する。しかし失敗し、大西は生きていた。官舎の使用人が現場を目撃し、第22代海軍次官多田武雄が軍医を連れて急行、更に児玉誉士夫も駆け付け、矢次一夫も昼過ぎに熱海から到着した。大西は軍医に「生きる様にはしてくれるな」と言い、児玉には「貴様がくれた刀が斬れぬばかりにまた会えた。全ては其の遺書に書いてある」という主旨の発言を行なう。児玉は大西に殉じようとしたが、大西は「馬鹿者。貴様が死んで糞の役に立つか。若い者は生きるんだよ。生きて新しい日本を作れ」と諌め、介錯・助命を拒否した儘、旧部下・淑恵夫人・多田・児玉・矢次に宛てた5通の遺書を残して死去した。旧部下宛の遺書は「特攻隊の英霊に曰す」と題され、自らの死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝すとし、一般青壮年に対しては軽挙妄動を慎み日本の復興・発展に尽くすよう記されている。
西暦1,945年8月20日、児玉機関の最高幹部で計画立案を担っていた高源重吉が、吉田彦太郎が華中・華南地区に置いて来た貴金属等の財産を取りに行く為、朝日新聞社機で上海へ向かう。同月22日には、旧立憲政友会の芦田均・安藤正純・植原悦二郎の求めに応じて軽井沢から上京した鳩山一郎が、音羽の自宅が空襲で半焼した為、東京都港区麻布のブリジストンタイヤ創業者石橋正二郎の自宅に間借り住まいを始め、新党結成の準備を開始した。石橋の長女鳩山安子は、鳩山一郎の長男鳩山威一郎の妻である。三田台町の自宅が戦災に遭って本庄に疎開していた松野鶴平も準備に加わった。同月25日、高源重吉は金・ダイヤモンド等を海軍の爆撃機に載せて上海の飛行場を発とうとしたが、重さにより離陸に失敗して滑走路の端で機体が破損する。別の爆撃機に載せ替えて上海を発ったものの、大阪の飛行場に着陸する際に機体がひっくり返って破損し、更に別の軍用機に載せ替えて東京へ持ち込み、日銀本店の地下金庫に保管した。
西暦1,945年8月頃、児玉誉士夫が第24代海軍大臣米内光政に対し、上海から日銀の地下金庫に輸送した貴金属を含む財産の全てを海軍に引き渡す事を申し出る。米内は「受け取るべき海軍はもう無い、此れは全て君の裁量で国家の為に使え」と答えた。同年9月頃、引き渡しを断られた数日後に辻嘉六が児玉を訪ね、立憲政友会再建の為に児玉の財産を使わせて欲しいと頼む。同年10月23日、石橋正二郎の自宅で開催された鳩山新党結成準備会に児玉と辻が参加し、児玉機関の財産を鳩山新党の政治資金として寄付する事に合意した。児玉が鳩山一郎に対し「絶対に天皇制を護持して下さい」と言うと、鳩山は「絶対にそうせねばならない」と涙で溢れながら答えたという。同年11月2日夜、児玉と辻は鳩山を訪ね、鳩山が設立準備していた日本自由党に対し70,000,000円の資金提供とダイヤモンド等の貴金属の寄贈を行う事で合意する。鳩山は此の貴金属を売り捌いた。児玉は残った財産を後に辻に預け、辻は自宅の庭にラジウム等を埋めている。同月9日、鳩山一郎を総裁、河野一郎を幹事長、第14代厚生大臣芦田均、安藤正純を政調会長、三木武吉を総務会長として、日比谷公会堂で日本自由党の結党式が開催された。
西暦1,946年1月、児玉誉士夫が自首し、自ら進んでA級戦犯容疑者として逮捕され、巣鴨拘置所に収容される。西暦1,948年12月21日、辻嘉六が死去し、鳩山一郎は辻の家族からの電話を受けて自宅を訪れた。同月24日、笹川良一・児玉誉士夫・岸信介・青木一男・安倍源基・天羽英二・安藤紀三郎・石原広一郎・岩村通世・後藤文夫・須磨弥吉郎・寺島健・西尾寿造・本多熊太郎・葛生能世・大川周明・多田駿・谷正之・高橋三吉の19名が不起訴となり、巣鴨拘置所から釈放される。CIAは笹川・児玉・岸に、エージェントとして働く事を約束させ、其れと引き換えに釈放した。児玉は同年中にチャールズ・ウィロビーと接触している。同じ24日には辻嘉六の葬儀が築地本願寺で営まれ、鳩山一郎が参列した。同月28日、児玉は進駐していたESS(経済科学局)にラジウムを渡す。此のラジウムには、香港サナトリウム病院から略奪した物も含まれていた。
西暦1,949年1月22日、GHQが児玉誉士夫のラジウム引き渡しの件に関し、メモランダムにて日本政府へ調査を委嘱する。同年2月19日にはスキャッピンとメモランダムにて再度委嘱された。同年3月30日、引揚援護庁の残務処理部から外務省の特殊財産局長宛に「児玉誉士夫から引き渡されたラジウムの情報の件」という文書及び添付書類が送付される。其の主旨は、これ等の文書は児玉と米軍情報機関との関係を解明するのに役立つものであり、外務省に保管されているべきものだと考えるので調査の上提出願いたい、というものであった。最終的に、引き渡したラジウムの内6割が児玉の物として与えられる事になったが、贈与や売却という体になる事を嫌い、癌研究会付属病院にて保管され、癌治療に使われる事となった。同年7月頃、児玉は闇金にラジウムを持ち込み、其れを担保に萩原吉太郎が社長を務める北海道炭礦汽船の子会社「小倉商事」名義の手形を大量に振り出している。
西暦1,950年、児玉誉士夫がCIAから、タングステンを中国大陸から日本に密輸入する仕事を請け負い、CIAは児玉に対し150,000ドルを支払う。だが児玉は「タングステンを積んだ船が途中で沈没した」と報告し、受け取った150,000ドルは返金しなかった。西暦1,952年頃、CIAは朝鮮戦争によるアメリカ軍のミサイル強化を意図し、ユジーン・ドゥーマンや元OSSジョン・ハウリー等に2,800,000ドルの資金提供を行ない、児玉と元OSSケイ・スガワラの手配で、旧日本軍将校の武器貯蔵庫からタングステンを購入させた。ドゥーマンやハウリー等は此の密輸入したタングステンをアメリカ国防総省に10,000,000ドルで売却し、児玉が2,000,000ドル、ドゥーマンやハウリー等が2,000,000ドル以上の利益を得ている。児玉は此の資金を、西暦1,953年の衆院選・参院選で保守派の候補者に使った。
西暦1,952年10月28日、ペンタゴンと児玉誉士夫経由でのCIAの資金提供により「日本テレビ放送網」が設立される。アメリカ上院外交委員会海外プログラム小委員会委員長バーク・ヒッケンルーパー、同委員会のジョン・スパークマン、軍事委員会委員エヴァレット・ダークセンの3名は「アメリカ軍が日本本土で行う軍事作戦に関し、日本人が関心を持たず、警戒せず、無知で居続けて貰う為には、テレビで娯楽・スポーツ番組を大量に放送し、其方の方に、日本人の気を反らす必要が有る」として、アメリカ議会への説得工作を展開していた。更に正力松太郎は、ニューヨークに在る、政界に強力なコネクションを持つマーフィー・ダイカー・スミス&バーウェル法律事務所経由で、アメリカ国防総省に対し、日本テレビ放送網を日本支配とアメリカの政策宣伝として用いる趣旨を伝え、ペンタゴンに協力を要請していた。上海のアヘンとタングステンが、日銀の地下金庫を経て政党の結党資金となり、遂には放送網の設立へ繋がる——本書は、其の十四年の全軌跡を一冊に束ねている。
登場人物
- 児玉誉士夫 本書の中心人物。西暦1,939年に河相達夫の斡旋で外務省情報部嘱託となり上海を拠点とした。西暦1,941年11月に海軍航空本部の嘱託として児玉機関を組織し、タングステン等の軍需物資を調達する独占契約を得る。西暦1,945年8月14日には20,000,000,000円相当の貴金属を上海から輸送し、同年11月2日、鳩山一郎の日本自由党へ70,000,000円と貴金属を提供した。西暦1,946年1月に自ら進んでA級戦犯容疑者として逮捕され、西暦1,948年12月24日、CIAのエージェントとして働く事と引き換えに釈放されている。
- 里見甫 西暦1,939年5月頃、昭和通商・青幇・紅幇等と連携し、上海でのアヘン密売を取り仕切る「里見機関」を設立した人物。ペルシャ・モンゴル産のアヘンの売買で得た莫大な利益を関東軍の戦費に充て、一部を汪兆銘政権へ流した。関東軍が極秘に生産していた満洲産アヘンや、日本軍が生産していた海南島産アヘンも取り扱っている。
- 笹川良一 国粋大衆党総裁。里見機関を通じて形成された地下人脈の1人であり、西暦1,941年11月には、児玉誉士夫が海軍航空本部の嘱託となる際の仲介を務めた。西暦1,948年12月24日、児玉・岸信介と共に、CIAのエージェントとして働く事と引き換えに巣鴨拘置所から釈放された。
- 鳩山一郎 西暦1,945年8月22日、旧立憲政友会の芦田均・安藤正純・植原悦二郎の求めに応じて軽井沢から上京し、石橋正二郎の自宅に間借りして新党結成の準備を開始した人物。同年10月23日の結成準備会で児玉誉士夫から「絶対に天皇制を護持して下さい」と言われ、涙で溢れながら答えたという。同年11月2日に70,000,000円と貴金属の提供を受け、同月9日、日本自由党の総裁に就いた。
- 辻嘉六 西暦1,945年9月頃、米内光政に財産の引き渡しを断られた数日後の児玉誉士夫を訪ね、立憲政友会再建の為に其の財産を使わせて欲しいと頼んだ人物。同年10月23日の鳩山新党結成準備会、11月2日の資金提供の合意に加わった。児玉から預かった残りの財産のラジウム等を自宅の庭に埋めている。西暦1,948年12月21日に死去し、24日に築地本願寺で葬儀が営まれた。
- 大西瀧治郎 神風特別攻撃隊の創設者の一人である海軍中将。西暦1,945年8月16日2時頃、南平台町の官舎にて腹を十字に切り、首と胸を刺して切腹したが失敗した。駆け付けた児玉誉士夫が殉じようとすると「馬鹿者。貴様が死んで糞の役に立つか。若い者は生きるんだよ。生きて新しい日本を作れ」と諌め、介錯・助命を拒否した儘、5通の遺書を残して死去した。
- 米内光政 第24代海軍大臣。西暦1,945年8月頃、児玉誉士夫から上海より輸送した貴金属を含む財産の全てを海軍へ引き渡す申し出を受けたが、「受け取るべき海軍はもう無い、此れは全て君の裁量で国家の為に使え」と答えて断った。此の一言が、財産が政治資金へ向かう分岐点となる。
- 石橋正二郎 ブリジストンタイヤ創業者。西暦1,945年8月22日、音羽の自宅が空襲で半焼した鳩山一郎に、東京都港区麻布の自宅を間借りさせた。同年10月23日の鳩山新党結成準備会も其の自宅で開催されている。長女鳩山安子は、鳩山一郎の長男鳩山威一郎の妻であった。
- 高源重吉 児玉機関の最高幹部で、計画立案を担っていた人物。西暦1,945年8月20日、吉田彦太郎が華中・華南地区に置いて来た貴金属等の財産を取りに行く為、朝日新聞社機で上海へ向かった。同月25日には金・ダイヤモンド等を海軍の爆撃機に載せたが離陸に失敗し、載せ替えた機も大阪で横転して破損、更に別の軍用機に載せ替えて東京へ運び、日銀本店の地下金庫に保管した。
- 吉田彦太郎 児玉機関副機関長。西暦1,945年8月15日頃、日本に帰国した後、児玉誉士夫が三菱銀行麹町支店から引き出した60,000,000円以上の資金の内、40,000,000円を渡された。華中・華南地区に置いて来た貴金属等の財産は、高源重吉が取りに向かっている。
- 阪田誠盛 西暦1,940年1月28日に設立された陸軍の特務機関「松機関」の長。中国現地の情報収集、アヘンの中国国内での密売、そして登戸研究所で印刷された偽札を中国国内へ流通させる「杉工作」に従事した。里見機関を通じて形成された地下人脈の1人でもある。
- 河相達夫 外交官。西暦1,939年、其の斡旋により児玉誉士夫が外務省情報部嘱託となり、上海を拠点に情報活動へ従事する事となった。
- 山縣正郷 海軍航空本部総務部長。西暦1,941年11月、笹川良一の仲介と共に、児玉誉士夫が上海の海軍航空本部の嘱託として児玉機関を組織する契機となる依頼を行なった。
- 川島芳子 清の皇族。児玉機関が所在した上海大厦の最上階に住んでいた。
- 石渡荘太郎 第12代宮内大臣。西暦1,945年8月、児玉誉士夫が上海から運んだ貴金属を皇室に献上しようとした際、皇室が日本に進駐している連合国軍に怒られ迷惑する事を理由に、持ち帰る様言い渡した。
- 趙其休 西暦1,940年4月頃、日本軍による銀洲湖の封鎖を受けて汪兆銘軍へ寝返り、マカオの海軍の物資購入部門と密貿易を始めた人物。用いた船は日本軍の保護下にあり海軍から証明書が発行された。古兜山の麓のタングステン鉱山から密かに買い取り、鉱山閉鎖後は付近の地主や有力者が勝手に掘った分を輸出していた。
- 杜月笙 青幇の人物。里見機関を中心とするアヘン取引を通じて形成された地下人脈の1人として、盛文頤・笹川良一・児玉誉士夫等と共に名が挙がっている。
- 佐藤喜一郎 三井物産上海支店に居た人物。サスーン商会系によって上海に流入した、四川省産よりも品質の良いペルシャ産アヘンを同支店が仕入れる際、其の調達資金を工面していた。
- 矢次一夫 西暦1,945年8月16日、大西瀧治郎の切腹を受け、昼過ぎに熱海から官舎へ到着した人物。大西が残した5通の遺書の宛先の1人でもある。
- 多田武雄 第22代海軍次官。西暦1,945年8月16日、大西瀧治郎の切腹の現場へ軍医を連れて急行した。大西が残した5通の遺書の宛先の1人でもある。
- 河野一郎 西暦1,945年11月9日、日比谷公会堂で開催された日本自由党の結党式にて、幹事長に就いた人物。
- 芦田均 第14代厚生大臣。西暦1,945年8月22日、安藤正純・植原悦二郎と共に鳩山一郎の上京を求めた旧立憲政友会の3名の1人であり、同年11月9日の日本自由党結党式にも名を連ねた。
- 安藤正純 西暦1,945年8月22日に鳩山一郎の上京を求めた旧立憲政友会の3名の1人。同年11月9日の日本自由党結党式では政調会長に就いた。
- 三木武吉 西暦1,945年11月9日、日比谷公会堂で開催された日本自由党の結党式にて、総務会長に就いた人物。
- 松野鶴平 三田台町の自宅が戦災に遭って本庄に疎開していた人物。西暦1,945年8月22日以降、鳩山一郎の新党結成の準備に加わった。
- 岸信介 西暦1,948年12月24日、笹川良一・児玉誉士夫と共に、CIAのエージェントとして働く事を約束させられ、其れと引き換えに巣鴨拘置所から釈放された19名の1人。
- チャールズ・ウィロビー 巣鴨拘置所から釈放された児玉誉士夫が、西暦1,948年中に接触した人物。
- 萩原吉太郎 北海道炭礦汽船の社長。西暦1,949年7月頃、児玉誉士夫が闇金に持ち込んだラジウムを担保として、同社の子会社「小倉商事」名義の手形が大量に振り出された。
- ユジーン・ドゥーマン 西暦1,952年頃、CIAから元OSSジョン・ハウリー等と共に2,800,000ドルの資金提供を受けた人物。児玉誉士夫と元OSSケイ・スガワラの手配で旧日本軍将校の武器貯蔵庫からタングステンを購入し、アメリカ国防総省へ10,000,000ドルで売却して2,000,000ドル以上の利益を得た。
- 正力松太郎 西暦1,952年10月28日に設立された日本テレビ放送網を巡り、ニューヨークに在る、政界に強力なコネクションを持つマーフィー・ダイカー・スミス&バーウェル法律事務所経由で、アメリカ国防総省に対し、同放送網を日本支配とアメリカの政策宣伝として用いる趣旨を伝え、ペンタゴンに協力を要請していた人物。
主要な組織・出来事
- 昭和通商 西暦1,939年4月20日、三井物産・三菱商事・大倉産業が各5,000,000円を共同出資し、資本金15,000,000円で設立された商社。表向きは陸軍の旧式となった武器を第三国に輸出しタングステン等を現地調達する名目であったが、実態は諜報活動とアヘン取引を行う陸軍の特務機関であった。本社は東京市日本橋区小舟町の小倉石油ビル内。中華民国工作員に綿布・綿糸・硫安を持たせて国民党軍と物々交換する等、陸路・海路からタングステンを調達し、製造したヘロインとのバーター取引も行なった。
- 里見機関 西暦1,939年5月頃に里見甫が設立した、上海でのアヘン密売を取り仕切る組織。昭和通商・青幇・紅幇等と連携し、ペルシャ・モンゴル産アヘンの売買で得た利益を関東軍の戦費に充て、一部を汪兆銘政権へ流した。満洲産アヘンは陸軍の指示により石油缶に入れられ、税関を通さず昭和通商が購入して中国国内に持ち込まれている。アヘンで得た資金は戦略物資の調達・宣撫工作に用いられた。
- アヘンの価格と流通 本書が記録する当時の相場。37gあたり、張家口で20円、天津で40円、上海で80円、シンガポールで160円であった。三井物産は32gあたり35円で軍に納入し、里見機関が1gあたり22円から23円で宏済善堂に卸している。四川省産よりも品質の良いペルシャ産アヘンはサスーン商会系によって上海に流入し、三井物産上海支店が仕入れていた。
- 地下人脈 アヘン取引を通じて形成されたとされる繋がり。青幇の杜月笙・盛文頤、笹川良一、児玉誉士夫、吉田裕彦、岩田幸雄、許斐氏利、阪田誠盛、清水行之助の9名が挙げられている。
- 松機関 西暦1,940年1月28日、阪田誠盛を長として設立された陸軍の特務機関。中国現地の情報収集、アヘンの中国国内での密売、そして登戸研究所で印刷された偽札を中国国内へ流通させる「杉工作」に従事した。里見機関は松機関から偽札の提供を受けていた。
- 児玉機関 西暦1,941年11月、笹川良一の仲介及び山縣正郷の頼みにより、児玉誉士夫が上海の海軍航空本部の嘱託として組織した軍需物資調達の為の組織。上海大厦に所在し、最上階には川島芳子が住んでいた。タングステン・ラジウム・コバルト・ニッケル・銅・プラチナ・雲母・潤滑油を買い上げたり、軍の権威を利用した拳銃を使った強盗等で調達し、海軍航空本部へ納入する独占契約を得ていた。京城にも出張所を置き、朝鮮各地で砂金や真鍮を収集している。
- 鐘打鉱山と乙女鉱床 西暦1,942年、日南鉱業が京都府船井郡和知町の鐘打鉱山でタングステン・モリブデンの採掘を開始し、児玉誉士夫が社長に就いた。西暦1,944年には、山梨県塩山市千野の乙女鉱山会社を開発会社として、児玉機関が乙女鉱床の鉱業権を取得している。タングステンは物理的に非常に高い強度を持ち、対戦車砲の砲弾や戦車の装甲板に使用された。
- 西暦1,945年8月14日の貴金属輸送 児玉機関のチャーターした朝日新聞社機により、中国大陸で集めた金の延べ棒・プラチナ・ダイヤモンド・ヒスイ等20,000,000,000円相当が上海から島根空港へ運ばれた出来事。島根から東京の銀座へ移され、児玉機関が東京本部として使っていたビルの地下室に収蔵されたが、皇室への献上を断られ、慶應義塾大学の地下室を経てGHQに接収され、日銀本店の地下金庫に保管された。
- 大西瀧治郎の5通の遺書 西暦1,945年8月16日に大西瀧治郎が残した文書。宛先は旧部下・淑恵夫人・多田武雄・児玉誉士夫・矢次一夫である。旧部下宛は「特攻隊の英霊に曰す」と題され、自らの死を以て旧部下の英霊と其の遺族に謝すとし、一般青壮年には軽挙妄動を慎み日本の復興・発展に尽くすよう記された。別紙では軍令部第一部長富岡定俊に対し、青年将兵指導上の一助となるなら利用されたい、とされている。
- 鳩山新党結成準備会 西暦1,945年10月23日、石橋正二郎の自宅で開催された会合。児玉誉士夫と辻嘉六が参加し、児玉機関の財産を鳩山新党の政治資金として寄付する事に合意した。児玉が鳩山一郎に「絶対に天皇制を護持して下さい」と言うと、鳩山は「絶対にそうせねばならない」と涙で溢れながら答えたという。
- 日本自由党 西暦1,945年11月9日、日比谷公会堂で結党式が開催された政党。鳩山一郎が総裁、河野一郎が幹事長、安藤正純が政調会長、三木武吉が総務会長に就き、第14代厚生大臣芦田均も名を連ねた。同月2日夜、児玉誉士夫と辻嘉六から70,000,000円の資金提供とダイヤモンド等の貴金属の寄贈を受けており、鳩山は此の貴金属を売り捌いている。
- 巣鴨拘置所からの19名の釈放 西暦1,948年12月24日、笹川良一・児玉誉士夫・岸信介・青木一男・安倍源基・天羽英二・安藤紀三郎・石原広一郎・岩村通世・後藤文夫・須磨弥吉郎・寺島健・西尾寿造・本多熊太郎・葛生能世・大川周明・多田駿・谷正之・高橋三吉が不起訴となり釈放された。CIAは笹川・児玉・岸に、エージェントとして働く事を約束させ、其れと引き換えに釈放している。
- ESSへのラジウム引き渡し 西暦1,948年12月28日、児玉誉士夫が進駐していたESS(経済科学局)にラジウムを渡した件。此のラジウムには香港サナトリウム病院から略奪した物も含まれていた。GHQは翌年1月22日と2月19日に日本政府へ調査を委嘱し、3月30日には引揚援護庁の残務処理部から外務省の特殊財産局長宛に関連文書が送付されている。最終的にラジウムの6割が児玉の物として与えられる事になったが、贈与や売却という体になる事を嫌い、癌研究会付属病院にて保管され癌治療に使われた。
- 小倉商事名義の手形 西暦1,949年7月頃、児玉誉士夫が闇金にラジウムを持ち込み、其れを担保に大量に振り出させた手形。小倉商事は、萩原吉太郎が社長を務める北海道炭礦汽船の子会社である。
- CIAによるタングステン取引 西暦1,950年、児玉誉士夫はCIAからタングステンを中国大陸から日本へ密輸入する仕事を請け負い150,000ドルを受け取ったが、「船が途中で沈没した」と報告して返金しなかった。西暦1,952年頃には、CIAが朝鮮戦争によるアメリカ軍のミサイル強化を意図してユジーン・ドゥーマン等に2,800,000ドルを提供し、児玉と元OSSケイ・スガワラの手配で旧日本軍将校の武器貯蔵庫から購入したタングステンが、アメリカ国防総省へ10,000,000ドルで売却された。児玉は其の利益2,000,000ドルを、西暦1,953年の衆院選・参院選で保守派の候補者に使っている。
- 日本テレビ放送網 西暦1,952年10月28日、ペンタゴンと児玉誉士夫経由でのCIAの資金提供により設立された。バーク・ヒッケンルーパー、ジョン・スパークマン、エヴァレット・ダークセンの3名が、アメリカ軍の軍事作戦に日本人が関心を持たず無知で居続ける為にはテレビで娯楽・スポーツ番組を大量に放送して気を反らす必要が有るとして、アメリカ議会への説得工作を展開していた。正力松太郎も、マーフィー・ダイカー・スミス&バーウェル法律事務所経由でペンタゴンに協力を要請している。
昭和通商・里見機関・児玉機関から日本テレビ放送網まで──
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