田中角栄と周恩来の日中国交正常化一元化
西暦1,970年の松村謙三・藤山愛一郎・古井喜実ら7名の訪中と郭沫若の出迎え・覚書貿易交渉での佐藤栄作内閣中国敵視政策非難、覚書貿易協定調印と人民大会堂での周恩来による車椅子の松村謙三出迎え・藤山愛一郎紹介、藤山愛一郎を会長とする日中国交回復促進議員連盟結成、西暦1,971年の中国の国連加盟と中華民国脱退、西暦1,972年2月のリチャード・ニクソンの訪中と毛沢東会談・上海での米中共同宣言、同年7月の田中角栄の第64代首相就任と日中国交正常化を急ぐ表明、孫平化を団長とする上海舞劇団208名の来日と白毛女公演、アジア局中国課長橋本恕への周恩来極秘メッセージ打診、第95代外務大臣大平正芳と孫平化のホテルニューオータニ会談、第3代公明党中央執行委員長竹入義勝の田中角栄宅訪問と紹介状要請拒否、竹入義勝と周恩来の3度の会談と共同声明8項目草案・黙約事項提示、同年8月の竹入義勝による会談記録と草案メモ手渡し・田中角栄の訪中決意・訪中対外発表・戦後初の日中直行便、同年9月の小坂善太郎と周恩来の会談、田中角栄・大平正芳・二階堂進の北京到着と晩餐会でのご迷惑発言、田中角栄と周恩来の日中首脳会談、田中角栄・大平正芳・周恩来・姫鵬飛の署名による日中共同声明発出迄──
松村謙三の訪中と覚書貿易協定を起点に、中国の国連加盟・ニクソン訪中と米中共同宣言・田中角栄の首相就任・竹入義勝と周恩来の3度の会談と共同声明草案・田中角栄の訪中決意・日中首脳会談・日中共同声明の発出に至った系譜を年月日単位で追跡した一冊。
JPY 200(税込)
購入する →購入後、そのままPDFダウンロードページへ移動します
お支払いは決済サービス「Square」を通じて安全に処理されます。カード情報が当サイトに保存されることはありません。
本書について
西暦1,970年3月21日、①松村謙三②藤山愛一郎③古井喜実④田川誠一⑤黒金泰美⑥内藤誉三郎⑦第5代朝日新聞社社長広岡知男等7名が中国へ出発した。松村の訪中の目的は、日中関係の総連絡役の後継に指名した藤山を周恩来に引き合わせる事であった。一行は深圳・広州を経由して北京に入り、中日友好協会名誉会長郭沫若が出迎えた。覚書貿易交渉では、中国側が佐藤栄作内閣の中国敵視政策を非難し、日本には軍国主義復活の傾向があると激しく攻撃、此れに古井が反論し、双方の厳しい応酬が続いた。同年4月19日、日中間で覚書貿易協定が調印された。此の日松村一行は人民大会堂にて周恩来と会談し、周は入口で車椅子の松村を迎え入れて旧交を温め、藤山を周に紹介した。同年12月9日、第1回日中国交回復促進議員連盟総会が開かれた。同連盟は、藤山愛一郎を会長とした、91名の自民党代議士を含む360名の超党派組織であった。
西暦1,971年10月25日、中国が国連加盟を果たした。再度北京を訪問していたヘンリー・キッシンジャーと周恩来が秘密会談を重ねており、アメリカ側は「台湾は中国の一部である」とする中国側の主張に反対せず、中国を代表する唯一の国家として認めた。此れを受け中華民国は国連を脱退した。西暦1,972年2月21日、リチャード・ニクソンが同月28日迄の日程で中国を訪問し、毛沢東と北京で会談、米中関係及び世界情勢について意見交換した。同月27日、ニクソンと毛沢東が上海で米中共同宣言を発表し、①体制間の相違を超え平和共存五原則に基づき国際問題を処理する②米中ともアジアに覇権を求めずソ連の覇権主義に反対する③「中国は一つであり台湾は中国の一部である」との中国の主張を米側が認識する④米中関係正常化はアジアと世界の緊張緩和に貢献するという内容で一致した。ヘンリー・キッシンジャーは此の延長線上に米中国交正常化を描き、時間を掛けて段階的に進める算段であった。
西暦1,972年7月7日、田中角栄が第64代首相に就任し、直ちに中国との国交正常化を急ぐと表明、此れを田中内閣の三大政策の1つとした。同月9日、周恩来がイエメン政府代表団の歓迎レセプションで、田中内閣の発足と日中国交正常化を急ぐ声明を歓迎する旨の発言を行った。同月10日、孫平化を団長とする「上海舞劇団」208名が、日中文化交流協会と朝日新聞の招きにより来日し、現代バレエ劇「白毛女」等の公演を行いながら1ヶ月以上に亘り日本各地を巡業した。同月16日、アジア局中国課長橋本恕が、中国側の指定したホテルニューオータニの一室で唐家璇等と会い、周恩来の極秘メッセージを大平外相に伝えて欲しいとの打診を受け、其の後大平に伝えた。
西暦1,972年7月22日、第95代外務大臣大平正芳と孫平化が、橋本恕同行の下、記者に発覚しない様念を入れた上で、ホテルニューオータニのスイートルームで会談した。孫は、周恩来が田中角栄の首相就任を喜び、田中の日中国交正常化の姿勢を評価しており、出来るだけ早く中国を訪問して欲しいと述べていると伝えた。翌23日夜、第3代公明党中央執行委員長竹入義勝が、東京都文京区目白台の田中角栄の自宅を訪れ、北京訪問にあたり紹介状の作成を依頼したが、田中は「行くなら行って来い。但し、紹介状は書けない。俺は総理になったばかりだ」と此れを拒否した。同月25日、①竹入義勝②公明党国会対策委員長で副書記長の大久保直彦③政策審議会長正木良明を始めとする一行が、北京へ向けて出発した。
西暦1,972年7月27日から29日にかけて、竹入義勝が周恩来と3度に亘り会談した。周は、共同声明での国交回復と其の後の平和友好条約締結という段取りを示し、①日米安保条約には触れない②西暦1,969年11月21日の佐藤栄作とリチャード・ニクソンの共同声明にも触れない③日華平和条約の問題に就いて検討するとした。又、毛沢東が日本への戦争賠償請求権を放棄すると言っているとし、賠償請求権の放棄を共同声明に書いても良いと語った。台湾問題やアメリカとの関係、ベトナム戦争後の在台アメリカ軍撤退等にも話は及んだ。会談の最終日、周は、戦争終結・国交樹立・平和五原則・覇権反対・賠償請求権放棄・諸協定の締結等を盛り込んだ計8項目の共同声明の草案と、台湾解放等を内容とする、宣言には盛り込まない黙約事項を竹入に示した。
西暦1,972年8月4日、竹入義勝が首相官邸を訪れ、田中角栄と大平正芳に会談記録と共同声明の草案メモを手渡した。翌5日、田中角栄と竹入義勝がホテルニューオータニの一室に集まり、田中が草案メモの内容を確認した上で、暫く考え込んだ後「俺は北京に行くぞ」と発し、訪中を決意した。同月11日、大平正芳が孫平化に、田中の訪中と、上海舞劇団帰国迄に田中自身が孫と面会する事を伝えた。同月15日、東京帝国ホテルにて、田中角栄・第36代内閣官房長官二階堂進・孫平化・蕭向前が会談し、田中は訪中を対外的に発表した。翌16日、上海舞劇団が、日本航空と全日空のチャーター便で上海へ帰国した。此れは戦後初の日中間の直行便となり、同時に田中角栄訪中のテストフライトも兼ねていた。上海舞劇団が上海に到着した際、上海市の各界の代表3,000名が花束を掲げて出迎えた。
西暦1,972年9月18日、人民大会堂にて、自民党日中国交正常化協議会会長小坂善太郎と周恩来が会談し、周は中国7億余の民が訪中を歓迎していると田中に伝えて欲しいと語った。同月24日夜、田中角栄・大平正芳・二階堂進を始めとする一行が、訪中を前日に控え羽田空港近くのホテルに宿泊した。大平は遺書を認めていた。翌25日11時30分、一行が北京首都国際空港に到着し、16時に田中・大平が人民大会堂にて周恩来と会談した。其の後の晩餐会で、田中は挨拶で「我が国が中国国民に多大なご迷惑をお掛けした事に就いて、私は改めて深い反省の念を表明する」と日中戦争に関する謝罪を行ったが、此の「ご迷惑」という表現が中国外交部の怒りを買った。周は其の場では何も言わなかった。中国側は、田中の好物の台湾バナナや木村屋のアンパン、故郷新潟の味噌を使った味噌汁を提供し、田中を厚遇した。
西暦1,972年9月26日、田中角栄と周恩来が日中首脳会談を行い、周は「ご迷惑」という言葉が反感を呼ぶ事や、日華平和条約・賠償放棄・日米安保条約・北方領土問題等に就いて持論を述べた。翌27日、午前中に一行が万里の長城を見学し、夕方に田中と周が思想・コミュニケーション・南北朝鮮等の国際問題を議論した。同月28日、午前中に田中・大平等が故宮博物館を見学し、午後の秘密会談で台湾問題を議論した。大平正芳は、日中国交正常化の結果として日台間の外交関係が解消される事や、其れでもなお当分の間残る在台邦人の保護・民間交流等の諸問題への配慮を求める書類を読み上げ、中国側は極めて真剣に聞き入り、聞き終えると安堵の表情を見せた。
西暦1,972年9月29日、田中角栄・大平正芳・周恩来・姫鵬飛の署名により、北京にて日中共同声明が発出され、恒久的な平和友好関係を確立する事で一致した。声明は、①日中間の此れ迄の不正常な状態の終了②中国政府を中国の唯一の合法政府と承認③台湾が中国の領土の不可分の一部である事への日本政府の理解と尊重④外交関係の樹立⑤中国政府の戦争賠償請求の放棄⑥恒久的な平和友好関係の確立と紛争の平和的解決⑦覇権反対⑧平和友好条約締結の為の交渉⑨貿易・海運・航空・漁業等の協定締結の為の交渉の9項目から成った。此の声明は、ヘンリー・キッシンジャーの描いたシナリオを無視した形となった。
本書は、此の約2年半に亘る、松村謙三ら7名の訪中と覚書貿易協定を起点とする、人民大会堂での周恩来による車椅子の松村謙三の出迎えと藤山愛一郎の紹介、日中国交回復促進議員連盟の結成、中国の国連加盟と中華民国の脱退、リチャード・ニクソンの訪中と毛沢東会談・米中共同宣言、田中角栄の第64代首相就任と日中国交正常化を急ぐ表明、上海舞劇団の来日、橋本恕への周恩来の極秘メッセージの打診、大平正芳と孫平化のホテルニューオータニ会談、竹入義勝の田中角栄宅訪問と紹介状要請の拒否、竹入義勝と周恩来の3度に亘る会談と共同声明8項目の草案・黙約事項の提示、竹入義勝による会談記録と草案メモの手渡しと田中角栄の訪中決意、田中角栄の訪中の対外発表と戦後初の日中直行便、小坂善太郎と周恩来の会談、田中角栄・大平正芳・二階堂進の北京到着と晩餐会でのご迷惑発言、田中角栄と周恩来の日中首脳会談、田中角栄・大平正芳・周恩来・姫鵬飛の署名による日中共同声明の発出に至るまで、田中角栄と周恩来による日中国交正常化の全過程を、年月日単位で記録した年表である。
登場人物
- 田中角栄 本書の中心人物の一人。西暦1,972年7月7日、第64代首相に就任し、直ちに中国との国交正常化を急ぐと表明、此れを田中内閣の三大政策の1つとした。同月23日、紹介状を求めた竹入義勝の要望を拒否したが、同年8月5日、竹入が持ち帰った会談記録と共同声明の草案メモを確認の上「俺は北京に行くぞ」と訪中を決意。同年9月25日に北京に到着し、晩餐会で「多大なご迷惑をお掛けした」と謝罪、周恩来との数度の日中首脳会談を経て、同月29日に日中共同声明に署名した。
- 周恩来 本書の中心人物の一人。中国の首相。西暦1,970年4月19日、人民大会堂で車椅子の松村謙三を出迎え、藤山愛一郎の紹介を受けた。ヘンリー・キッシンジャーとの秘密会談やニクソン訪中を経た後、西暦1,972年7月27日から29日にかけて竹入義勝と3度会談し、共同声明8項目の草案と黙約事項を示した。同年9月の田中角栄との日中首脳会談を重ね、同月29日の日中共同声明に署名した。
- 大平正芳 第95代外務大臣。西暦1,972年7月22日、ホテルニューオータニで孫平化と会談し、周恩来の意向を受けた。同年8月11日に孫へ田中角栄の訪中を伝え、9月の訪中では遺書を認めて北京へ赴いた。9月28日の秘密会談で、日中国交正常化後の日台関係に残る諸問題への配慮を求める書類を読み上げ、9月29日の日中共同声明に署名した。
- 竹入義勝 第3代公明党中央執行委員長。前年6月にも訪中し周恩来と会談していた。西暦1,972年7月23日に田中角栄に紹介状を求めたが拒否され、同月25日に訪中。7月27日から29日にかけて周恩来と3度会談し、共同声明8項目の草案と黙約事項を持ち帰った。同年8月4日、会談記録と草案メモを田中角栄・大平正芳に手渡し、田中の訪中決意を引き出した。
- 松村謙三 元大臣。西暦1,970年3月21日、藤山愛一郎ら7名等と中国へ出発した。訪中の目的は、日中関係の総連絡役の後継に指名した藤山を周恩来に引き合わせる事であった。同年4月19日、人民大会堂にて周恩来に車椅子で迎え入れられ、藤山を紹介した。覚書き貿易は、嘗て大臣だった松村が切り開いた道であった。
- 藤山愛一郎 松村謙三に日中関係の総連絡役の後継として指名された人物。西暦1,970年4月19日、人民大会堂で周恩来に紹介された。同年12月9日に総会が開かれた、91名の自民党代議士を含む360名の超党派組織「日中国交回復促進議員連盟」の会長を務めた。西暦1,972年7月20日、蕭向前と上海舞劇団を歓迎するレセプションを開いた。
- 孫平化 上海舞劇団の団長として、西暦1,972年7月10日に来日。同月22日、ホテルニューオータニで大平正芳と会談し、周恩来が田中角栄の早期訪中を望んでいる旨を伝えた。同年8月11日に大平から田中の訪中を、同月15日に東京帝国ホテルでの会談で田中本人と面会した。
- 橋本恕 アジア局中国課長。西暦1,972年7月16日、中国側の指定したホテルニューオータニの一室で唐家璇等と会い、周恩来の極秘メッセージを大平正芳に伝えて欲しいとの打診を受け、大平に伝えた。同月22日の大平・孫平化会談にも同行した。9月の訪中では、北京の日本側覚書事務所の代表となる事が田中角栄により示された。
- 二階堂進 第36代内閣官房長官。西暦1,972年8月15日、東京帝国ホテルでの田中角栄・孫平化・蕭向前との会談に同席した。同年9月の田中角栄・大平正芳の訪中にも一行として同行した。
- 毛沢東 中国の指導者。西暦1,972年2月21日に訪中したリチャード・ニクソンと北京で会談し、同月27日に上海で米中共同宣言を発表した。日本への戦争賠償請求権を放棄する意向を示しており、周恩来は此れを竹入義勝や田中角栄との会談で伝えた。
- リチャード・ニクソン アメリカ大統領。西暦1,972年2月21日から28日まで中国を訪問し、毛沢東と会談。同月27日、上海で毛沢東と米中共同宣言を発表し、平和共存五原則や「台湾は中国の一部」とする中国の主張の認識等で一致した。
- ヘンリー・キッシンジャー 西暦1,971年に北京で周恩来と秘密会談を重ね、リチャード・ニクソンの訪中と米中共同宣言を準備した。米中国交正常化を時間を掛けて段階的に進める算段であったが、西暦1,972年9月29日の日中共同声明は、彼の描いたシナリオを無視した形となった。
- 蕭向前 中日備忘録貿易事務所の東京連絡事務所首席代表。西暦1,972年7月20日に藤山愛一郎のレセプションに迎えられ、同年8月15日には東京帝国ホテルでの田中角栄との会談に同席した。9月の訪中では、日中双方の大使館が出来る迄、中国政府を代表する事とされた。
- 姫鵬飛 第3代中国外交部長。西暦1,972年9月27日の万里の長城見学では田中角栄と同じ車に乗った。同月29日、田中角栄・大平正芳・周恩来と共に日中共同声明に署名した。
主要な概念・組織
- 覚書貿易協定・日中国交回復促進議員連盟 西暦1,970年4月19日、松村謙三一行の訪中の中で日中間に調印された貿易協定。交渉では中国側が佐藤栄作内閣の中国敵視政策を非難する激しい応酬があった。同年12月9日には、藤山愛一郎を会長とし、91名の自民党代議士を含む360名から成る超党派組織「日中国交回復促進議員連盟」の第1回総会が開かれ、国交正常化への議員レベルの足場となった。
- 米中共同宣言 西暦1,972年2月27日、リチャード・ニクソンと毛沢東が上海で発表した宣言。①平和共存五原則に基づく国際問題の処理②米中ともアジアに覇権を求めずソ連の覇権主義に反対③「中国は一つであり台湾は中国の一部」との中国の主張の米側の認識④米中関係正常化のアジア・世界への貢献から成る。後の日中共同声明の覇権条項や平和五原則の下敷きとなった。
- 中国の三原則 ①中国政府が中国を代表する唯一の合法政府である②台湾は中国の領土の不可分の一部である③日華平和条約は不法且つ無効であり破棄されなければならない、の3点。竹入義勝・田中角栄との会談で繰り返し論点となり、田中角栄が「十分理解する」とした上で、日中共同声明に反映された。
- 上海舞劇団と戦後初の日中直行便 孫平化を団長とする208名の舞踊団。西暦1,972年7月10日に来日し、現代バレエ劇「白毛女」・「紅色軍」・ピアノ協奏曲「黄河」を携えて1ヶ月以上日本各地を巡業した。同年8月16日の帰国の際、日本航空と全日空のチャーター便が上海への直行便を運行。此れは戦後初の日中間の直行便であり、田中角栄訪中のテストフライトも兼ねていた。
- 竹入義勝の訪中と共同声明草案 西暦1,972年7月27日から29日にかけての、竹入義勝と周恩来の3度に亘る会談。周は、戦争終結・国交樹立・平和五原則・覇権反対・賠償請求権放棄・諸協定締結等を盛り込んだ計8項目の共同声明の草案と、台湾解放等を内容とする黙約事項を示した。竹入が持ち帰った会談記録と草案メモが、田中角栄の訪中決意を引き出す決め手となった。
- 日中共同声明 西暦1,972年9月29日、北京にて田中角栄・大平正芳・周恩来・姫鵬飛の署名により発出された声明。①不正常な状態の終了②中国政府の唯一の合法政府としての承認③台湾が中国の不可分の領土である事への理解・尊重④外交関係の樹立⑤戦争賠償請求の放棄⑥恒久的な平和友好関係の確立⑦覇権反対⑧平和友好条約締結の交渉⑨貿易・海運・航空・漁業等の協定締結の交渉の9項目から成り、ヘンリー・キッシンジャーの描いたシナリオを無視した形となった。
西暦1,970年の松村謙三・藤山愛一郎・古井喜実ら7名の訪中と郭沫若の出迎え・覚書貿易交渉での佐藤栄作内閣中国敵視政策非難、覚書貿易協定調印と人民大会堂での周恩来による車椅子の松村謙三出迎え・藤山愛一郎紹介、藤山愛一郎を会長とする日中国交回復促進議員連盟結成、西暦1,971年の中国の国連加盟と中華民国脱退、西暦1,972年2月のリチャード・ニクソンの訪中と毛沢東会談・上海での米中共同宣言、同年7月の田中角栄の第64代首相就任と日中国交正常化を急ぐ表明、孫平化を団長とする上海舞劇団208名の来日と白毛女公演、アジア局中国課長橋本恕への周恩来極秘メッセージ打診、第95代外務大臣大平正芳と孫平化のホテルニューオータニ会談、第3代公明党中央執行委員長竹入義勝の田中角栄宅訪問と紹介状要請拒否、竹入義勝と周恩来の3度の会談と共同声明8項目草案・黙約事項提示、同年8月の竹入義勝による会談記録と草案メモ手渡し・田中角栄の訪中決意・訪中対外発表・戦後初の日中直行便、同年9月の小坂善太郎と周恩来の会談、田中角栄・大平正芳・二階堂進の北京到着と晩餐会でのご迷惑発言、田中角栄と周恩来の日中首脳会談、田中角栄・大平正芳・周恩来・姫鵬飛の署名による日中共同声明発出迄──
松村謙三の訪中と覚書貿易協定を起点に、中国の国連加盟・ニクソン訪中と米中共同宣言・田中角栄の首相就任・竹入義勝と周恩来の3度の会談と共同声明草案・田中角栄の訪中決意・日中首脳会談・日中共同声明の発出に至った、田中角栄と周恩来による日中国交正常化の系譜を年月日単位で追跡した一冊。
JPY 200(税込)
購入する →購入後、そのままPDFダウンロードページへ移動します
お支払いは決済サービス「Square」を通じて安全に処理されます。カード情報が当サイトに保存されることはありません。