電子書籍「田中角栄と周恩来の日中国交正常化一元化」の表紙

田中角栄と周恩来の
日中国交正常化
一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,970年3月21日〜1,972年9月29日
ページ数
20ページ
文字数
23,026字
最新更新日
西暦2,026年8月25日

「俺は北京に行くぞ」──
一人の密使が運んだ草案から共同声明までを一元化。

561円(税込)

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本書について

西暦1,970年3月21日、松村謙三・藤山愛一郎・古井喜実・田川誠一・黒金泰美・内藤誉三郎・第5代朝日新聞社社長広岡知男等7名が中国へ出発した。松村の訪中の目的は、日中関係の総連絡役の後継に指名した藤山を周恩来に引き合わせる事である。一行は深圳・広州を経由して北京に入り、中日友好協会名誉会長郭沫若が出迎えた。覚書貿易交渉では中国側が佐藤栄作内閣の中国敵視政策を非難し「日本には軍国主義復活の傾向がある」と激しく攻撃し、此れに古井が反論して双方の厳しい応酬が続いた。本書は、此の訪中を起点として、日中国交正常化に至る二年半を、発言単位で年月日順に一元化した記録である。

西暦1,970年4月19日、日中間で覚書貿易協定が調印される。此の日、松村謙三一行は人民大会堂にて周恩来と会談した。周は入口で車椅子の松村を迎え入れ、手を握って旧交を温め、松村は藤山愛一郎を周に紹介している。同年12月9日には第1回日中国交回復促進議員連盟総会が開かれた。同連盟は藤山を会長とし、91名の自民党代議士を含む360名から成る超党派組織であった。

西暦1,971年10月25日、中国が国連加盟を果たす。再度北京を訪問していたヘンリー・キッシンジャーと周恩来は秘密会談を重ねており、アメリカ側は「台湾は中国の一部である」とする中国側の主張に反対せず、中国を代表する唯一の国家として認めた。此れを受け中華民国は国連を脱退する。西暦1,972年2月21日から28日にかけてはリチャード・ニクソンが中国を訪問し、キッシンジャー・周恩来同席の下、北京で毛沢東と会談した。同月27日、ニクソンと毛沢東は上海で米中共同宣言を発表する。体制間の相違を相互に認め平和共存五原則に基づいて問題を処理する事、米中ともアジアに覇権を求めずソ連の覇権主義に反対する事、「中国は一つであり、台湾は中国の一部である」との主張を米側が認識した事、米中の関係正常化がアジアと世界の緊張緩和に貢献する事である。此れにより中国は資本主義諸国との平和共存路線へ政策を転換した。キッシンジャーは、此の延長線上に米中国交正常化を描いており、時間を掛けて段階的に進める算段であった。

西暦1,972年7月7日、田中角栄が第64代首相に就任し、直ちに中国との国交正常化を急ぐと表明して、此れを田中内閣の三大政策の1つとした。同月9日、周恩来はイエメン政府代表団の歓迎レセプションで、田中内閣が発足し日中国交正常化の実現を急ぐという声明を出した事は歓迎に値する、という主旨の発言を行なう。同月10日には孫平化を団長とする「上海舞劇団」208名が、日中文化交流協会と朝日新聞の招きにより来日し、1ヶ月以上掛けて日本各地を巡業して、現代バレエ劇「白毛女」「紅色軍」、ピアノ協奏曲「黄河」を公演した。同月12日、日中文化交流協会と朝日新聞が2,000名を集めて歓迎レセプションを開催している。

西暦1,972年7月16日頃、アジア局中国課長橋本恕が「孫平化を大平外相に会わせて欲しい」という打診を受ける。橋本が中国側の指定したホテルニューオータニの一室に行くと唐家璇を含む2名が待っており、唐は「周総理の極秘のメッセージを持って来ています。是非とも大平外相にお伝えしたい。其の段取りを付けて頂けないか」と願い出た。同月20日には藤山愛一郎が、中日備忘録貿易事務所の東京連絡事務所首席代表に就任した蕭向前と上海舞劇団を歓迎するレセプションを開き、大平正芳・中曽根康弘・第7代社会党委員長成田知巳・竹入義勝・第3代中央執行委員長春日一幸等が参加した。同月22日、第95代外務大臣大平正芳と孫平化がホテルニューオータニのスイートルームで会談する。大臣のスケジュールは記者クラブに事前に開示される為、大平の行き付けの同ホテルの床屋の予定を入れ、別々のエレベーターに乗る等して記者に発覚しない様、念を入れた会談であった。孫は「周総理は、田中角栄氏が首相になられた事、田中内閣の成立を心から喜んでおります。又、田中総理の日中国交正常化の姿勢も評価しており、良き隣人として、善隣友好関係を築き上げる為に、出来るだけ早く中国をご訪問下さいと申しております」と伝えた。

西暦1,972年7月23日夜、第3代公明党中央執行委員長竹入義勝が東京都文京区目白台の田中角栄の自宅を訪れる。1週間程前に中国から北京訪問を打診されていた竹入は「今度の訪中は日中国交正常化交渉の話になるだろう。私を信用している旨、一筆書いてくれないか」と紹介状の作成を依頼した。竹入は前年6月にも訪中し、周恩来と会談している。田中は「行くなら行って来い。但し、紹介状は書けない。俺は総理になったばかりだ。今中国なんかやってみろ。内閣なんか吹っ飛んじまうよ」と要望を拒否した。同月25日、竹入は公明党国会対策委員長で副書記長の大久保直彦、政策審議会長正木良明等と共に北京へ向けて出発する。

西暦1,972年7月27日16時、竹入義勝と周恩来の会談が始まった。周は、両国間に国交を樹立して大使を交換し相互に承認し合う事、遅くやるより早い方が良い事を述べ、日本と中国は秦の時代から2,000年もの友好があり戦後27年は一瞬の様なものだ、と語った。此処で中国外交部アジア局次長王暁雲が、前日の自民党日中正常化協議会で初歩的な一致を見た2つの段取り——共同声明での国交回復と、其の後の平和条約締結——を口にする。周は基本的に意見が一致しているとした上で、3つの問題を挙げた。日米安保条約には触れない事、西暦1,969年11月21日の佐藤栄作とリチャード・ニクソンの共同声明にも触れない事、そして日華平和条約の問題である。周は「田中首相は中国は正統と言っていますが、此れは合法という意味になりますか?」と問い、中華民国政府は不法であり中国は国際的にも合法となったのだと述べて、「合法という言い方にして頂けますか?」と求めた。竹入は「其の様に改める事を話したいと思います」と応じている。更に周は、毛沢東が賠償請求権を放棄すると言っている事を明かし、清の時代に日本へ250,000,000両を賠償した際、清王朝が其れを利用して税を重くした事を挙げて、国民に負担を掛ける事は良くないとし、賠償請求権の放棄を共同声明に書いても良いと述べた。訪中の時期については9月下旬が望ましいとされた。

西暦1,972年7月28日19時の会談では、台湾の在日公館の処理が話題となった。周は「尖閣列島の問題にも触れる必要はありません」「石油の問題で歴史学者が問題にし、日本でも井上清さんが熱心です。此の問題を重く見る必要はありません」と述べている。続いて周は日米関係へ話を移し、台湾海峡の両側の中国人という表現はヘンリー・キッシンジャーの創造的言葉で自分も思い付かなかったと語り、在台アメリカ軍がベトナム戦争終結後に完全撤退する事を明かした上で「此れは秘密です。先生方にのみ言いました」「三木武夫・藤山愛一郎にも言っていません」と念を押した。又、前年のピンポン外交が米中の切っ掛けになった経緯や、日中間は20数年間往来が途絶えず、覚書貿易は嘗て大臣だった松村謙三が切り開いた道である事にも触れている。

西暦1,972年7月29日19時30分、晩餐会後の会談で、周恩来は共同声明の草案を8項目に亘って提示した。戦争状態の終了、中国の三原則の十分な理解と唯一の合法政府の承認及び外交関係の樹立、国交樹立が両国国民と世界各国人民の利益に合致する事の声明、平和共存五原則に基づく関係処理と武力に訴えない事、アジア太平洋地域での覇権を求めず他国の覇権にも反対する事、外交関係樹立後の平和友好条約の締結、戦争賠償請求権の放棄、そして平和友好条約締結前における通商・航海・航空・気象・郵便・漁業・科学技術等の協定締結である。周は北方領土に関して、日本の北方の4つの島を日本が回復する事を支持するとも述べた。更に周は、宣言・声明には盛り込まない黙約事項として、台湾は中国の領土であり台湾解放は内政問題である事、共同声明発表後に日本政府が台湾から大使館・領事館を撤去し蒋介石集団の在日公館も撤去させる事、台湾に於ける日本の投資及び企業に台湾解放の際適当な配慮が払われる事の3点を挙げた。竹入義勝は「蒋介石集団という言い方には抵抗が有るかも知れません」と意見を述べ、周は「蒋介石の大使館、領事館と言っても良いですね」と応じている。

西暦1,972年8月4日、竹入義勝が首相官邸を訪れ、田中角栄と大平正芳に会談記録と共同声明の草案メモを手渡す。翌5日、田中と竹入がホテルニューオータニの一室に集まり、田中が「此れに書いてある事は間違いないか」と確認すると、竹入は「中国側とも一字一句確認した。絶対に間違いない」と返した。田中は暫く考え込んだ後「俺は北京に行くぞ」と発し、訪中を決意する。竹入は周恩来との間で、田中が訪中を承諾した場合には「秋に予定されている廖承志の大型訪日団は延期になった」と公表する事を取り決めており、国会の記者クラブに駆け込んで其の通りに記者発表した。同月11日、大平正芳は孫平化に対し、田中が中国を訪問する事と、上海舞劇団が帰国する迄に田中自身が孫と面会する事を伝える。同月15日、東京帝国ホテルにて田中・第36代内閣官房長官二階堂進・孫平化・蕭向前が会談し、田中は訪中を対外的に発表した。

西暦1,972年8月16日、上海舞劇団が中国へ帰国する。本来は往路を逆戻りして香港経由で帰国する予定であったが、日本側の好意により日本航空と全日空のチャーター便2機が上海までの直行便を運行する事となった。此れは戦後初の日中間の直行便であり、同時に田中角栄訪中のテストフライトも兼ねている。日中文化交流協会理事長中島健蔵、岡崎嘉平太、第3代日本航空社長朝田静夫、若狭得治、日本の報道機関の代表等が見送り、上海に到着した際には上海市の各界の代表3,000名が花束を掲げ出迎えた。

西暦1,972年9月18日、人民大会堂にて自民党日中国交正常化協議会会長小坂善太郎と周恩来が会談し、周は「中国7億余の民が訪中を歓迎していると田中角栄先生に是非伝えて欲しい」と述べた。同月24日夜、田中角栄・大平正芳・二階堂進等一行は訪中を前日に控えて羽田空港近くのホテルに宿泊する。大平は遺書を認めていた。翌25日11時30分、一行は北京首都国際空港に到着し、16時から人民大会堂にて周恩来との会談に臨んだ。周は、共同声明で国交正常化を行ない条約の形を執らぬ方式に賛成するとし、平和友好条約は国交樹立の後に締結したいと述べた。其の後の晩餐会で、田中は挨拶の中で「我が国が中国国民に多大なご迷惑をお掛けした事に就いて、私は改めて深い反省の念を表明するものであります」と日中戦争に関する謝罪を行なったが、此の「ご迷惑」という表現が中国外交部の怒りを買った。周は其の場では何も言わなかった。中国側は、田中の好物である台湾バナナと木村屋のアンパンを釣魚台国賓館の客室に常備し、朝食には田中が自宅で用いている故郷新潟の味噌を使った味噌汁を提供して厚遇している。

西暦1,972年9月26日の首脳会談で、周恩来は「中国国民に迷惑を掛けたとの言葉は反感を呼びます。中国では迷惑とは小さな事にしか使われないからです」と指摘した。日華平和条約に就いては、蒋介石が台湾に逃げた後、しかもサンフランシスコ平和条約の後で日本に賠償放棄を行なったものであり、蒋介石が放棄したからもういいのだという日本外務省の考え方は受け入れられない、我々に対する侮辱であると述べている。一方で日米安保条約については「其の儘続ければ良い」「国交正常化に際しては日米安保条約に触れる必要は有りません」とし、北方領土問題では毛沢東が千島全体を日本の領土であると言った事を明かした。田中角栄は、日本は核兵器を保有しない事、防衛力増強は国民総生産の1パーセント以下に抑える事、自衛隊の海外派兵はしないという憲法を守り改変しない事を表明し、中国が内政に干渉せず日本国内に革命勢力を培養しないという確信を得たいと述べた。周は、中国側でも日中国交正常化と米中関係改善に少数の者が反対しており林彪がそうであった事、三光作戦で酷い目に遭った大衆を説得する必要がある事を語っている。

西暦1,972年9月27日午前中、一行は万里の長城を見学した。1号車は田中角栄と第3代中国外交部長姫鵬飛、2号車は大平正芳と北京市長呉徳、3号車は二階堂進とアジア担当外務次官韓念龍という構成であったが、大平の要望により大平と姫が同じ車に乗り、其処で大使の交換時期等を話し合った。事前に外交部の職員が長城周辺の全ての村を訪ね「日本の国旗を付けた車が通るが、此れは中国の為になる事だから、決して誤った行動を取らない様に」と釘を刺している。夕方の首脳会談で周恩来は国際問題を論じ、中国でも各国の新聞・通信を伝える「参考消息」を日に6,000,000部発行して中国批判も含めて国民に判断させている事、南北朝鮮の情勢が緩和に向かっている事を述べ、日本政府が北朝鮮との関係改善を図ってはどうかと勧めた。田中は、中ソが一枚岩で無い事が日本人にも理解されてきたとし、南北朝鮮が自主的に統一を図る事を支持すると返している。

西暦1,972年9月28日午前中、一行は故宮博物館を見学した。午後の首脳会談で周恩来は「今日は台湾問題に就いて議論したいと思います」「私は西暦1,924年に蔣介石と知り合いました」「今日は秘密会談ですから、何でも言って下さい」と切り出す。大平正芳は、日中国交正常化の結果として台湾を支配している政府との外交関係が解消される事を明確にした上で、日台貿易が往復1,200,000,000ドルを越え、日本から台湾へ約180,000名、台湾から日本へ約50,000名が往来している現実を挙げ、「二つの中国」の立場は採らず台湾独立運動を支援する考えも全く無いとしつつ、在台湾邦人の生命・財産の保護、民間交流や経済交流、航空機や船舶の往来が当分の間残る事への理解を求める書類を読み上げた。中国側は極めて真剣に聞き入り、大平が話し終えると皆安堵した表情を見せたという。周は、日中双方の大使館が出来る迄は蕭向前が中国政府を代表するとし、田中は日本側の代表を橋本恕にやらせると答えた。周は続けて蒋介石・蒋経国父子と台湾の要人達を評し、台湾は軍事援助と貿易の二つの面で外国に頼らざるを得ない弱点が有る為、大きな事は出来ないと語っている。

西暦1,972年9月29日、田中角栄・大平正芳・周恩来・姫鵬飛の署名により、北京にて日中共同声明が発出された。此れ迄の不正常な状態が共同声明発出の日に終了する事、日本政府が中国政府を中国の唯一の合法政府と承認する事、台湾が中国の領土の不可分の一部であるとの中国政府の立場を日本政府が十分理解し尊重してポツダム宣言第8項に基づく立場を堅持する事、同日から外交関係を樹立する事、中国政府が戦争賠償の請求を放棄する事、平和共存の諸原則の基礎の上に恒久的な平和友好関係を確立する事、国交正常化が第三国に対するものでは無く両国の何れもアジア・太平洋地域で覇権を求めるべきではない事、平和友好条約の締結を目的として交渉を行なう事、そして貿易・海運・航空・漁業等の協定締結を目的として交渉を行なう事の9項目である。時間を掛けて段階的に進める算段であったヘンリー・キッシンジャーのシナリオを、此の声明は無視した形となった。一人の密使が持ち帰った草案メモから、「俺は北京に行くぞ」の一言を経て、二年半で共同声明へ——本書は、其の全軌跡を発言単位で一冊に束ねている。


登場人物

  • 田中角栄 第64代首相。西暦1,972年7月7日の就任と同時に中国との国交正常化を急ぐと表明し、田中内閣の三大政策の1つとした。同月23日には竹入義勝の紹介状依頼を「内閣なんか吹っ飛んじまうよ」と拒否したが、8月5日に竹入の持ち帰った会談記録と草案メモを確認して「俺は北京に行くぞ」と訪中を決意する。9月25日から4日間北京で周恩来と会談し、29日の日中共同声明に署名した。
  • 周恩来 中国の総理。西暦1,970年4月19日、人民大会堂で車椅子の松村謙三を入口で迎え入れて旧交を温めた。西暦1,972年7月27日から29日に掛けての竹入義勝との三日間の会談で、共同声明の草案8項目と黙約事項3点を自ら提示し、賠償請求権の放棄、日米安保条約に触れない事、在台アメリカ軍のベトナム戦争後の撤退等を明かした。9月の首脳会談では田中角栄の「ご迷惑」発言を指摘しつつ、国交正常化を纏め上げた。
  • 大平正芳 第95代外務大臣。西暦1,972年7月22日、記者に発覚しない様ホテルニューオータニの床屋の予定を入れて孫平化と秘密会談を行なった。9月24日には遺書を認めた上で訪中し、28日の首脳会談では、日中国交正常化後も当分の間残る日台間の諸問題への理解を求める書類を読み上げ、中国側を安堵させた。29日の日中共同声明に署名している。
  • 竹入義勝 第3代公明党中央執行委員長。西暦1,971年6月にも訪中して周恩来と会談していた。西暦1,972年7月23日に田中角栄へ紹介状を求めて断られながらも25日に北京へ発ち、27日から29日に掛けて周と三日間会談する。8月4日に首相官邸で会談記録と共同声明の草案メモを田中・大平正芳へ手渡し、田中の訪中決意を受けて、取り決め通り「廖承志の大型訪日団は延期になった」と記者発表した。
  • 松村謙三 西暦1,970年3月21日、日中関係の総連絡役の後継に指名した藤山愛一郎を周恩来に引き合わせる為、7名等を率いて中国へ出発した人物。同年4月19日の人民大会堂での会談では、周が入口で車椅子の松村を迎え入れた。周は後に、覚書貿易は嘗て大臣だった松村が切り開いた道であると語っている。
  • 藤山愛一郎 松村謙三が日中関係の総連絡役の後継に指名した人物。西暦1,970年4月19日に周恩来へ紹介され、同年12月9日に発足した日中国交回復促進議員連盟の会長を務めた。西暦1,972年7月20日には蕭向前と上海舞劇団を歓迎するレセプションを開いている。
  • 古井喜実 西暦1,970年3月の訪中団の1人。覚書貿易交渉で中国側が佐藤栄作内閣の中国敵視政策を非難し「日本には軍国主義復活の傾向がある」と攻撃した際、此れに反論し、双方の厳しい応酬が続いた。
  • 郭沫若 中日友好協会名誉会長。西暦1,970年3月、深圳・広州を経由して北京に入った松村謙三一行を出迎えた。
  • 毛沢東 西暦1,972年2月21日から28日にかけて訪中したリチャード・ニクソンと北京で会談し、同月27日に上海で米中共同宣言を発表した。周恩来によれば、賠償請求権を放棄すると述べ、又、北方領土問題では千島全体が日本の領土であると発言してソ連を怒らせた。ピンポン外交の際には、情勢が未熟という理由を取るに足らないとして王暁雲へ電話で伝えている。
  • ヘンリー・キッシンジャー 西暦1,971年に北京を訪問し周恩来と秘密会談を重ねた人物。米中国交正常化を時間を掛けて段階的に進める算段であり、西暦1,972年2月のニクソン訪中にも同席した。「台湾海峡の両側の中国人」は其の創造的言葉であると周は評している。西暦1,972年9月29日の日中共同声明は、キッシンジャーの描いたシナリオを無視した形となった。
  • リチャード・ニクソン アメリカ大統領。西暦1,972年2月21日から28日の日程で中国を訪問し、毛沢東と会談した後、同月27日に上海で米中共同宣言を発表した。周恩来は竹入義勝との会談で、日本の頭越しに行われた此の訪中に触れている。
  • 佐藤栄作 田中角栄の前任の首相。其の内閣の中国敵視政策は、西暦1,970年3月の覚書貿易交渉で中国側から非難された。周恩来は「自信を持っていたが、最後は自信を喪失していた様です」と評しており、西暦1,969年11月21日のリチャード・ニクソンとの共同声明については、佐藤が引退した事を理由に問題にしないとした。田中は訪中前、佐藤に決意を伝えている。
  • 孫平化 上海舞劇団の団長。西暦1,972年7月10日に208名を率いて来日し、同月22日にホテルニューオータニのスイートルームで大平正芳と1人で会談して、周恩来からの訪中要請を伝えた。8月11日には大平から田中角栄の訪中を告げられ、15日には東京帝国ホテルで田中と会談している。
  • 橋本恕 アジア局中国課長。西暦1,972年7月16日頃「孫平化を大平外相に会わせて欲しい」という打診を受け、ホテルニューオータニで唐家璇と会い、周恩来の極秘メッセージの件を大平正芳へ伝えた。9月22日の大平・孫会談にも同行し、9月28日には日本側の代表として田中角栄から名指しされ、儀典長韓叙との日程連絡も担当した。
  • 唐家璇 西暦1,972年7月16日頃、ホテルニューオータニの一室で橋本恕を待っていた2名の1人。「周総理の極秘のメッセージを持って来ています。是非とも大平外相にお伝えしたい。其の段取りを付けて頂けないか」と橋本に願い出た。
  • 蕭向前 中日備忘録貿易事務所の東京連絡事務所首席代表。西暦1,972年7月20日の藤山愛一郎主催のレセプション、8月15日の東京帝国ホテルでの田中角栄との会談に加わった。9月28日の首脳会談では、日中双方の大使館が出来る迄、中国政府を代表する事とされている。
  • 王暁雲 中国外交部アジア局次長。西暦1,972年7月27日の竹入義勝と周恩来の会談に同席し、前日の自民党日中正常化協議会で初歩的な一致を見た2つの段取り——共同声明での国交回復と其の後の平和条約締結——を口にした。ピンポン外交の際には、毛沢東から電話で連絡を受けている。
  • 二階堂進 第36代内閣官房長官。西暦1,972年8月15日の東京帝国ホテルでの会談、9月24日の羽田空港近くでの前泊、翌日からの訪中に加わった。沖縄にB52が飛来した際、第20代駐日アメリカ大使ロバート・スティーヴン・インガソルに厳重に抗議しており、竹入義勝は此れを歴代内閣に無かった事として周恩来に伝えている。
  • 姫鵬飛 第3代中国外交部長。西暦1,972年9月27日の万里の長城見学では、大平正芳の要望により同じ車に乗り、大使の交換時期等を話し合った。同月29日の日中共同声明に署名している。
  • 廖承志 竹入義勝が周恩来へ項目を伝える経路となった人物。田中角栄が訪中を承諾した場合、「秋に予定されている廖承志の大型訪日団は延期になった」と公表する事が、竹入と周の間で取り決められていた。
  • 小坂善太郎 自民党日中国交正常化協議会会長。西暦1,972年9月18日、人民大会堂にて周恩来と会談し、「中国7億余の民が訪中を歓迎していると田中角栄先生に是非伝えて欲しい」との言葉を受けた。
  • 三木武夫 国務大臣。田中角栄・大平正芳と協定し、其の中に中国の三原則が黙示として含まれていたと竹入義勝は周恩来に説明した。一方で周は、在台アメリカ軍の撤退について「三木武夫・藤山愛一郎にも言っていません」と述べている。
  • 中曽根康弘 通産相。西暦1,972年7月20日の藤山愛一郎主催のレセプションに参加した。周恩来は竹入義勝に対し、日中貿易で日本が黒字であるにも拘らず中国は抗議していない事を、元通産大臣の首相と中曽根通産相に伝えて貰いたいと述べている。
  • 蒋介石 周恩来が西暦1,924年に知り合ったとする人物。周は西暦1,972年9月28日の首脳会談で、蒋介石は重病であるが軍隊を誰にも渡さず、ゴ・ディン・ジエムや李承晩の二の舞をしない様にアメリカにも日本にも行かないと評した。日華平和条約は、蒋が台湾に逃げた後、サンフランシスコ平和条約の後で日本に賠償放棄を行なったものである、というのが周の説明である。
  • 蒋経国 蒋介石の子。周恩来は「経国は小細工をやる人で、介石の方がスケールは大きいです」と評し、黄埔軍官学校出身者との関係が良く無い事を弱点として挙げた。陳大慶を除いては同校出身者を排斥しているとも述べている。
  • 岸信介 周恩来が竹入義勝との会談で言及した人物。戦後、日中間に国交は無かったが友好的往来は途絶えず、「岸信介も此れを途絶えさせる事が出来ませんでした」と述べた。又、「岸の頭は頑迷で、新しい政治の赴く所が判らなくなっています」とも語っている。
  • 林彪 西暦1,972年9月26日の首脳会談で周恩来が名を挙げた人物。中国側でも日中国交正常化と米中関係改善に少数の者が反対しており、林彪がそうであったと述べられた。
  • 井上清 西暦1,972年7月28日の会談で周恩来が名を挙げた学者。尖閣列島について、石油の問題で歴史学者が問題にし「日本でも井上清さんが熱心です」としつつ、「此の問題を重く見る必要はありません」と述べた。

主要な組織・出来事

  • 松村謙三の訪中団 西暦1,970年3月21日に中国へ出発した一行。松村謙三・藤山愛一郎・古井喜実・田川誠一・黒金泰美・内藤誉三郎・第5代朝日新聞社社長広岡知男等7名等から成り、深圳・広州を経由して北京に入った。目的は、松村が日中関係の総連絡役の後継に指名した藤山を周恩来に引き合わせる事であった。
  • 覚書貿易協定 西暦1,970年4月19日に日中間で調印された協定。其の交渉では、中国側が佐藤栄作内閣の中国敵視政策を非難し「日本には軍国主義復活の傾向がある」と激しく攻撃し、古井喜実が反論して厳しい応酬が続いた。周恩来は後に、覚書貿易は嘗て大臣だった松村謙三が切り開いた道であると語っている。
  • 日中国交回復促進議員連盟 西暦1,970年12月9日に第1回総会が開かれた組織。藤山愛一郎を会長とし、91名の自民党代議士を含む360名から成る超党派の集まりであった。
  • 中国の国連加盟 西暦1,971年10月25日に果たされた。背景には、再度北京を訪問していたヘンリー・キッシンジャーと周恩来の秘密会談が有り、アメリカ側は「台湾は中国の一部である」とする中国側の主張に反対せず、中国を代表する唯一の国家として認めた。此れを受け中華民国は国連を脱退した。
  • 米中共同宣言 西暦1,972年2月27日、リチャード・ニクソンと毛沢東が上海で発表した。体制間の相違を相互に認め平和共存五原則に基づいて問題を処理する事、米中ともアジアに覇権を求めずソ連の覇権主義に反対する事、「中国は一つであり、台湾は中国の一部である」との中国の主張を米側が認識した事、米中の関係正常化がアジアと世界の緊張緩和に貢献する事の4点である。此れにより中国は資本主義諸国との平和共存路線へ政策を転換した。
  • 上海舞劇団 孫平化を団長とする208名の一行。西暦1,972年7月10日に日中文化交流協会と朝日新聞の招きにより来日し、1ヶ月以上掛けて日本各地を巡業して、現代バレエ劇「白毛女」「紅色軍」、ピアノ協奏曲「黄河」を公演した。同月12日には2,000名が参加する歓迎レセプションが開かれている。
  • ホテルニューオータニでの秘密会談 西暦1,972年7月22日、大平正芳と孫平化がスイートルームで行なった会談。大臣のスケジュールは記者クラブに事前に開示される為、大平の行き付けの同ホテルの床屋の予定を入れ、別々のエレベーターに乗る等して記者に発覚しない様、念を入れた。孫は1人で臨み、出来るだけ早い訪中を求める周恩来の言葉を伝えた。
  • 竹入義勝と周恩来の三日間の会談 西暦1,972年7月27日16時、28日19時、29日19時30分の三度に亘って行われた会談。国交樹立の段取り、日米安保条約・佐藤栄作とリチャード・ニクソンの共同声明・日華平和条約の3つの問題、正統と合法の言い分け、賠償請求権の放棄、台湾の在日公館、尖閣列島、在台アメリカ軍の撤退、そして共同声明の草案と黙約事項に及んだ。
  • 共同声明草案8項目 西暦1,972年7月29日に周恩来が提示した草案。戦争状態の終了、中国の三原則の十分な理解と唯一の合法政府の承認及び外交関係樹立、国交樹立が両国国民と世界各国人民の利益に合致する事の声明、平和共存五原則に基づく関係処理と武力に訴えない事、アジア太平洋地域での覇権を求めず他国の覇権にも反対する事、外交関係樹立後の平和友好条約締結、戦争賠償請求権の放棄、そして平和友好条約締結前における通商・航海・航空・気象・郵便・漁業・科学技術等の協定締結である。
  • 黙約事項3点 宣言・声明には盛り込まないものとして、西暦1,972年7月29日に周恩来が挙げた事項。台湾は中国の領土であり台湾解放は中国の内政問題である事、共同声明発表後に日本政府が台湾から大使館・領事館を撤去し蒋介石集団の在日公館も撤去させる事、台湾に於ける日本の投資及び企業に台湾解放の際適当な配慮が払われる事である。竹入義勝が「蒋介石集団」という表現への抵抗を伝えると、周は「蒋介石の大使館、領事館と言っても良いですね」と応じた。
  • 中国の三原則 中国政府が中国を代表する唯一の合法政府である事、台湾は中国の領土の不可分の一部である事、日華平和条約は不法且つ無効であり破棄されなければならない事の3点。周恩来は西暦1,972年9月25日の首脳会談で、田中角栄・大平正芳が此れを十分理解出来ると言った事を友好的な態度であると評した。
  • 日華平和条約 竹入義勝と周恩来の会談で、3つの問題の1つとして挙げられた懸案。竹入は「共同声明が出来、外交関係が樹立した其の瞬間から日華平和条約は無効になります」としつつ、本来不法・不当という立場を執れば日本国内に混乱を起こすと理解を求めた。周は西暦1,972年9月26日、蒋介石が台湾に逃げた後、しかもサンフランシスコ平和条約の後で日本に賠償放棄を行なったものであると説明している。
  • 戦争賠償請求権の放棄 周恩来が西暦1,972年7月27日に明かした毛沢東の意向。賠償を求めれば日本国民に負担が掛かるとし、清の時代に日本へ250,000,000両を賠償した際、清王朝が其れを利用して税を重くした事を挙げた。周は西暦1,972年9月26日、蒋介石が放棄したからもういいのだという日本外務省の考え方は受け入れられず、我々に対する侮辱であるとも述べている。
  • 戦後初の日中直行便 西暦1,972年8月16日、上海舞劇団の帰国に際して運行された日本航空と全日空のチャーター便2機。本来は往路を逆戻りして香港経由の予定であったが、日本側の好意により上海までの直行便となった。田中角栄訪中のテストフライトも兼ねており、上海到着時には上海市の各界の代表3,000名が花束を掲げ出迎えた。
  • 「ご迷惑」発言 西暦1,972年9月25日の晩餐会で、田中角栄が「我が国が中国国民に多大なご迷惑をお掛けした事に就いて、私は改めて深い反省の念を表明するものであります」と述べた挨拶。此の表現が中国外交部の怒りを買った。周恩来は其の場では何も言わず、翌26日の首脳会談で「中国では迷惑とは小さな事にしか使われないからです」と指摘している。
  • 大平正芳が読み上げた日台関係の処理方針 西暦1,972年9月28日の首脳会談で示された書類。外交関係の解消を明確にした上で、日台貿易が往復1,200,000,000ドルを越え、日本から台湾へ約180,000名、台湾から日本へ約50,000名が往来している現実を挙げ、「二つの中国」の立場は採らず台湾独立運動も支援しないとしつつ、在台湾邦人の保護、民間交流、経済交流、航空機や船舶の往来が当分の間残る事への理解を求めた。中国側は極めて真剣に聞き入り、読み終えると安堵した表情を見せたという。
  • 周恩来による台湾要人評 西暦1,972年9月28日の秘密会談で語られた人物評。何応欽と張群は使い易く、谷正綱は口先だけでバックに力が無い、沈昌煥は極端に走らない、彭孟緝は台湾に帰りたくないと思っている、厳家淦が財政経済を預かっている等である。周は、台湾は軍事援助と貿易の二つの面で外国に頼らざるを得ず、借款を受けねば500,000の軍隊を維持出来ない弱点が有る為、小さな波乱は起こしても大きな事は出来ないと結論付けた。
  • 日中共同声明 西暦1,972年9月29日、田中角栄・大平正芳・周恩来・姫鵬飛の署名により北京にて発出された9項目の声明。不正常な状態の終了、唯一の合法政府の承認、台湾に関する中国政府の立場の十分な理解と尊重及びポツダム宣言第8項に基づく立場の堅持、同日からの外交関係樹立、戦争賠償請求の放棄、恒久的な平和友好関係の確立、第三国に対するものでは無く覇権を求めない事、平和友好条約締結を目的とする交渉、そして貿易・海運・航空・漁業等の協定締結を目的とする交渉である。此の声明は、ヘンリー・キッシンジャーの描いたシナリオを無視した形となった。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
YouTubeとニコニコでも情報を発信中。