アメリカによる
マヌエル・ノリエガの身柄拘束と
パナマ侵攻
一元化
CIAの給与台帳に名を連ねた男が、起訴された──
協力者が切り捨てられる迄の三十年を一元化。
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本書について
西暦1,988年2月5日、マイアミ及びタンパ大陪審が、マイアミ連邦裁判所にマヌエル・ノリエガを麻薬取引と武器取引関与で告発し、ノリエガを含む16名が起訴された。メデジン・カルテルに手を貸し、コカイン空輸用の滑走路を提供し、殺し屋を匿ったという罪状を含む12の罪状から成る起訴状には、コロンビアの麻薬王パブロ・エスコバルがパナマをアメリカへのコロンビア産コカイン密輸の中継地とする事を許可し、ノリエガは西暦1,981年から西暦1,986年に掛けてメデジン・カルテルから月4,600,000ドルの賄賂を受け取り、コカイン密輸の便宜を図っていた旨が記載されている。全ての罪状を考慮すると145年の刑期に相当し、同時にタンパでも1,400,000ポンドのマリファナをアメリカに密輸する共謀罪により起訴された。一方でノリエガは、CIAと年200,000ドルで契約を結び、CIAの給与台帳に名を連ねてもいた。本書は、此の起訴を起点として、一人の協力者が切り捨てられ、拘束され、死ぬ迄の三十年を、年月日単位で一元化した記録である。
起訴に併せて、マヌエル・ノリエガに関しては、西暦1,982年以降にニカラグアには武器、キューバにはアメリカの機密を売っていた事、パナマ領内にアメリカの為の電波傍受施設を置く事に協力して中米・南米の情報収集の便宜を図った事、西暦1,980年迄CIAから金銭を受け取っていた事、そしてイラン・コントラ事件に於いて中佐オリバー・ノースの要請を受け、パナマでコントラ兵士訓練を許可し、コントラへの資金提供を行なう為にダミー会社を3つ設立した事も報道された。此れ以降、アメリカ国務省とアメリカ国防総省がパナマに乗り込みノリエガの退陣を求める説得工作を行なったが失敗し、アメリカ政府はノリエガの麻薬取引関与を告発する作戦に転換している。
西暦1,988年2月25日、パナマ大統領代理エリック・アルトゥーロ・デルヴァジェがマヌエル・ノリエガのパナマ最高司令官職を解任し、後任にパナマ国防軍の参謀総長を任命する。翌26日にはノリエガ一派の国会議長が臨時国会を召集してデルヴァジェの大統領代理職罷免を決議し、マヌエル・ソリス・パルマが大統領代理に任命された。同年3月には、池田大作が前月のノリエガ起訴を受けて、ノリエガ庭園に設置された庭園の由来の記された碑を木箱で覆い、周囲の失笑を買っている(半年後、熱りが冷めたと判断して木箱を外した)。同年4月頃には増派されたアメリカ海兵隊がパナマのアメリカ軍基地にて何百台もの戦車を配置し、軍事演習を活発化させた。同年5月、米ソ首脳会談に向かうロナルド・レーガンに随行した第60代国務長官ジョージ・シュルツが、ノリエガの退陣を意図した秘密交渉の決裂を記者に発表する。此の頃パナマでは、パナマ国防軍が下層階級を中心にした民兵組織「尊厳大隊」を組織化していた。当初は武器を所持しない軍事訓練であったが、次第に小銃が支給され、シビリスタの中には身の危険を感じて避難する者も居た。
西暦1,989年1月20日、ジョージ・H・W・ブッシュが第41代アメリカ大統領に就任する。同年5月7日、パナマで大統領や国会議員を決める総選挙が行われ、不正選挙防止の名目でヨーロッパ・アメリカからジミー・カーターを含む300名近い選挙監視団が現地にやって来た。翌8日、カーターはパナマから帰国してテレビのインタビューにて、マヌエル・ノリエガ一派が大量の投票結果のすり替えを行なったと述べ、其の旨をブッシュに報告する場面も報道された。同月10日、パナマ選挙管理委員会は、選挙監視団による妨害行為とアメリカによる不正選挙の喧伝により正常な選挙を行う事が出来なかったとして、総選挙の無効を発表する。大統領選では野党連合のギジェルモ・エンダラが約71パーセントの得票で勝利したが、ノリエガが選挙を不正に無効化し、自身の支援するカルロス・ドゥケを当選者とする様操作していた。此れは国際的な非難を買い、結果としてマヌエル・ソリス・パルマが引き続き大統領職を務める事となった。
西暦1,989年5月11日、ジョージ・H・W・ブッシュ政権が対パナマ戦略7項目を発表する。パナマ運河の安全確保、パナマ在住のアメリカ国民約41,000名の生命・財産の保護、2,000名の陸海軍兵力の急派、対パナマ経済制裁の継続・強化、アメリカ大使館の職員削減、マヌエル・ノリエガ政権に対する外交的・政治的圧力の継続、既存のアメリカ軍駐留部隊による権利行使の強化である。同時にブッシュ政権は、OAS(米州機構)を通じてベネズエラ・コスタリカ・グアテマラ・エクアドル・トリニダード・トバゴを結集し、ノリエガの追放を主題とする対パナマ政策の協議を開始した。
西暦1,989年5月17日、第174代ベネズエラ外務大臣エンリケ・テヘラ・パリスの呼び掛けにより、ワシントンのOAS本部にてOAS加盟31ヶ国が参加する緊急外相会議が開かれる。ドラフトに書かれていたマヌエル・ノリエガを直接非難する部分は、パナマとニカラグアの反対及び7ヶ国の留保により合意が為されなかった。代わりに、平和的手段による権力の移行を求め、ノリエガの退陣と選挙で勝利した野党連合への政権移譲を促す内容が盛り込まれ、急遽OAS特別使節団がパナマに派遣される事となる。此れに対しパナマ政府は、アメリカの過去3ヶ年にわたるパナマ不安定化戦略、今回の選挙干渉、運河条約の侵犯、国連憲章・OAS憲章の違反を糾弾し、「現在のパナマの政治危機の基本的原因はアメリカに有る。OASが其の調査を徹底的にやってくれる事を期待する。又、OASは国際裁判所の機能は持たず、パナマは国内問題に関し、OASの決定に従う考えも無い」という主旨の、閣僚全員が署名した声明文を出した。
西暦1,989年6月から翌月に掛けて、OAS特別使節団が2度パナマを訪問したが成果は無かった。一方パナマ政府は、ラテンアメリカ13ヶ国の議員150名をパナマに招待して「パナマの為のラテンアメリカ議員会議」を開催し、OAS経由でのパナマへの圧力を拒否する旨の決議文を採択している。同年7月19日のOAS外相会議では、アメリカが主張した強硬手段が、アルゼンチン・ブラジル・コロンビア・メキシコ・ペルー・ウルグアイ・ベネズエラの7ヶ国の反対により制止された。決議文には、政権移行をマヌエル・ソリス・パルマ政権の大統領任期が終了する9月に行う事、新たに誕生する政権が早期に再度選挙を実施する事、そしてパナマの主張する「アメリカによる経済侵略・資産凍結・軍事脅威」に対する対アメリカ非難が盛り込まれた。
西暦1,989年10月3日7時10分頃、マヌエル・ノリエガがパナマ国防軍総司令部への出勤時、裏口でウラカ中隊長モイセス・ヒロルディに迎えられる。直後、ヒロルディ率いるウラカ中隊が総司令部を制圧し、ノリエガを取り押さえて執務室に拘禁した。8時、ヒロルディ等はアメリカのラジオ局ラ・エクシトサを一時的に占拠し、予め録音していた「パナマ国防軍内部でクーデターが成功した」とする声明を放送する。ドアは爆薬で吹き飛ばされ、ノリエガは机の陰に身を隠していた。ヒロルディ達はアメリカ南方軍に対し、ヒロルディの家族の亡命・保護と、パナマ国防軍忠誠派エリート部隊であるマチョ・デ・モンテの増援を止める為の運河地帯2ヶ所の道路封鎖を依頼した上で、ノリエガの身柄引き渡しを要請した。11時30分、ラ・エクシトサの放送は停波され、ジャーナリストのダニエル・アロンソがテレビ局RPCに移動して声明を読み上げようとしたものの、放送開始数分で停波されている。
同日12時頃、トクメン国際空港経由で駆け付けたマチョ・デ・モンテ・ロス・ティグレス・バタジョン2000・ロス・プマス等の忠誠派部隊が、パナマ国防軍総司令部周辺のビル屋上から擲弾・機関銃・迫撃砲で兵営を攻撃する。クーデターは崩壊し、同日夜から未明に掛けて、モイセス・ヒロルディを含む11名が処刑された。午後にはマヌエル・ノリエガが尊厳部隊に囲まれガッツポーズで勝利宣言をしている様子がテレビで放映され、一方CNNは、ジョージ・H・W・ブッシュが此のクーデターにアメリカは一切関与していない旨の発言をニュースで繰り返し放送した。アメリカ議会は其の後、クーデター側の要求に応じなかったブッシュ政権を批判している。
西暦1,989年12月20日未明、アメリカ軍がパナマに侵攻する。口実とされたのは、独裁者マヌエル・ノリエガの逮捕、パナマがアメリカに対して麻薬を密輸している事、パナマ運河保全やアメリカ国民の生命を守る事、そしてパナマ側が同月16日に公然と現地のアメリカ兵1名を殺害し将校の妻に性的虐待を行なった事の4点である。兵力は現地に駐屯していた13,000名と、本土からの海兵隊・陸海軍9,500名であった。ジョージ・H・W・ブッシュは、同年8月にニカラグア内戦が終結した事で利用価値が無くなった、自身を知り尽くしていたノリエガを切り捨てに掛かったのである。ノリエガはパナマ市内の駐パナマバチカン大使館に匿われた。
西暦1,989年12月23日、国連安保理が、アメリカ軍のパナマへの軍事介入を遺憾とし介入の即時停止を求める決議案を、理事国15ヶ国の内、中国・ソ連・アルジェリア・ブラジル・ネパール・セネガル・ユーゴスラビア・コロンビア・マレーシア・エチオピアの10ヶ国の賛成により採択する。反対はアメリカ・イギリス・フランス・カナダの4ヶ国で、フィンランドは棄権した。翌24日、マヌエル・ノリエガが駐パナマローマ教皇庁大使館に亡命を申請する。テレビ・ラジオで此のニュースが報道されると、アメリカ軍は大使館に厳戒態勢を敷き、其の後、ノリエガの交渉と安眠を妨げる事を意図して何台ものスピーカーから高音のヘヴィメタルを流し始めた。此の亡命のニュースを受けて、通行中の車両はクラクションを鳴らし、住宅地では住民が表へ出て鍋を叩く等して喜びを表現している。同月29日夕方には、国連総会が同様の決議を賛成75ヶ国・反対20ヶ国・棄権40ヶ国の賛成多数で採択した。
西暦1,990年1月3日20時50分、マヌエル・ノリエガが10日間滞在していた在パナマバチカン大使館から出て、出口に居たアメリカ軍に投降する。身柄はハワードアメリカ空軍基地に移送された。前年12月24日から始まった大音量のヘヴィメタルは此の日迄続き、周囲の住民の中には睡眠不足で神経衰弱になる人も続出している。同日21時50分頃、ジョージ・H・W・ブッシュが、アメリカ国民の安全確保・民主主義の回復・パナマ運河条約の保全・ノリエガの身柄のアメリカ司法当局への引き渡しという4つの目的が全て達成されたとの声明を出し、「ノリエガの逮捕とアメリカへの移送は、麻薬の取引に絡んだ者は司法の追及を決して逃れられないというアメリカの決意を示すものだ」という主旨の発言をした。ノリエガは其の後DEA(アメリカ麻薬取締局)によって正式に逮捕され、アメリカ空軍輸送機でフロリダ州に移送される。
西暦1,990年1月4日、マヌエル・ノリエガが裁判の為フロリダに空輸され、午後に初公判が開かれた。ノリエガは自身が戦争捕虜であると主張し、司法取引に応じず、アメリカの裁判管轄権を認める事も拒否する。弁護側はアメリカ軍のパナマ侵攻が国際法違反である事等を理由に裁判の無効と無罪を主張したが、判事はノリエガがアメリカ司法の管轄下にあるとして此の主張を退けた。初公判は20分で閉廷し、ノリエガはメトロポリタン矯正センターに拘置される。同年2月8日、アメリカ連邦地裁判事ウィリアム・ホーベラーが、戦争捕虜に関するジュネーブ条約に基づき第三国に引き渡し国際法廷が運命を決定するべきとの弁護団の主張を退け、ノリエガに裁判を受けるよう命じた。同年5月30日には、パナマ政府によってノリエガの資産が差し押さえられた為に弁護費用が支払われないとして、弁護団が訴訟からの撤退を求めている。
西暦1,991年9月5日、マヌエル・ノリエガの裁判の公判が行われ、此の日から本格的な裁判が始まった。検察側の罪状を其の儘認めた場合の刑期は140年とも165年とも言われ、翌日から始まった審理は10ヶ月近くに及び、78名もの証人喚問が行われている。西暦1,992年4月9日、ノリエガは陪審から10件の起訴事実の内8つの罪状で有罪判決を言い渡された。有罪となったのはRICO(組織犯罪法)違反、RICO共謀、コカイン配布の共謀、コカイン製造の共謀、コカインの配布、麻薬利益運搬の飛行の幇助、其の他の麻薬関連の共謀、マネーロンダリングであり、コカインの輸入・頒布の共謀とコカインの頒布は無罪であった。検察側は最高120年の拘禁刑と罰金540,000ドルを求め、同年7月10日、マイアミ連邦地裁は拘禁刑40年の判決を下した。
西暦1,995年12月20日、マヌエル・ノリエガが3件の殺人罪等により計60年の拘禁刑の有罪判決を受ける。西暦1,985年9月13日の医師ウーゴ・スパダフォラ殺害、西暦1,989年10月4日のパナマ国防軍少佐モイセス・ヒロルディ殺害、そして西暦1,989年10月3日のアルブルックでの軍人9名銃殺である。西暦1,999年3月には、模範囚として裁判官により刑期が40年から30年に短縮された。同年7月1日、パリ大審裁判所第11部(経済・金融犯罪)が、ノリエガと妻フェリシダード・シエイロ・デ・ノリエガに対し、禁錮10年と連帯で210,000,000フランの罰金の有罪判決を下す。CIC・BCCI・パリバというフランスの主要銀行3行を通じてコカイン取引の利益数百万ドルを資金洗浄し、パリ左岸の高級アパートメント3戸の購入に充てた事を認定するものであった。マヌエルはマイアミ連邦刑務所に収監中で出席出来ず、フェリシダードも欠席している。
西暦2,007年9月9日、マヌエル・ノリエガが刑期を満了する。然し、フランスへの身柄引き渡し請求に対する上訴の為、引き続き収監された。ノリエガはパナマに戻る事を強く要望したが、フランス政府が、ノリエガはフランスの銀行口座を利用して麻薬資金の洗浄をしていたとしてアメリカ政府に身柄の引き渡しを要求したのである。西暦2,010年4月26日、ノリエガの身柄がアメリカからフランスに引き渡され、同年7月7日、パリ大審裁判所第11部が禁錮7年の有罪判決を言い渡した。西暦2,011年11月23日、フランスの控訴裁判所がパナマへの身柄引き渡しを承認し、同年12月11日、ノリエガはパナマに帰国してエル・レナセール刑務所(パナマのパナマ県パナマ地区アンコン)に収監される。西暦2,017年1月23日、脳腫瘍手術の準備の為に自宅軟禁へ移行し、3月7日の手術後に出血して重体となり、5月29日、パナマ市内の病院で死去した。CIAの給与台帳に名を連ねていた男が、起訴され、侵攻の口実となり、三ヶ国の法廷を渡り歩いて故国の刑務所で終わる——本書は、其の三十年の全軌跡を一冊に束ねている。
登場人物
- マヌエル・ノリエガ 本書の中心人物。CIAと年200,000ドルで契約を結び給与台帳に名を連ねる一方、メデジン・カルテルから月4,600,000ドルの賄賂を受け取っていたとして、西暦1,988年2月5日に起訴された。西暦1,989年5月の総選挙を不正に無効化し、同年10月3日のクーデターを生き延びたが、同年12月20日のパナマ侵攻を経て西暦1,990年1月3日に投降。マイアミ連邦地裁で拘禁刑40年、パリ大審裁判所で禁錮10年及び7年の判決を受け、西暦2,011年12月11日にパナマへ帰国し、西暦2,017年5月29日に死去した。
- ジョージ・H・W・ブッシュ 第41代アメリカ大統領。西暦1,989年1月20日に就任し、同年5月11日に対パナマ戦略7項目を発表した。同年10月3日のクーデターにはアメリカが一切関与していない旨の発言を繰り返し、要求に応じなかった事でアメリカ議会から批判される。同年12月20日にパナマ侵攻を実行し、西暦1,990年1月3日21時50分頃、侵攻の4つの目的が全て達成されたとの声明を出した。同年8月にニカラグア内戦が終結した事で利用価値が無くなった、自身を知り尽くしていたマヌエル・ノリエガを切り捨てに掛かったとされる。
- エリック・アルトゥーロ・デルヴァジェ パナマ大統領代理。西暦1,988年2月25日、マヌエル・ノリエガのパナマ最高司令官職を解任し、後任にパナマ国防軍の参謀総長を任命した。翌26日、ノリエガ一派の国会議長が召集した臨時国会により、大統領代理職を罷免された。
- マヌエル・ソリス・パルマ 西暦1,988年2月26日、エリック・アルトゥーロ・デルヴァジェの罷免を受けてパナマ大統領代理に任命された人物。西暦1,989年5月10日に総選挙が無効とされた結果、引き続き大統領職を務める事となった。西暦1,989年7月19日のOAS外相会議の決議文では、其の大統領任期が終了する9月に政権移行を行なう事が盛り込まれている。
- ギジェルモ・エンダラ 野党連合の大統領候補。西暦1,989年5月7日のパナマ総選挙で約71パーセントの得票により勝利したが、マヌエル・ノリエガが選挙を不正に無効化した為、政権に就く事は出来なかった。
- カルロス・ドゥケ マヌエル・ノリエガが支援した大統領候補。西暦1,989年5月7日の総選挙に於いて、ノリエガはドゥケを当選者とする様操作していた。
- ジミー・カーター 西暦1,989年5月7日のパナマ総選挙に際し、不正選挙防止の名目でやって来た300名近い選挙監視団の1人。翌8日にパナマから帰国し、テレビのインタビューにてマヌエル・ノリエガ一派が大量の投票結果のすり替えを行なったと述べた。其の旨をジョージ・H・W・ブッシュに報告する場面も報道されている。
- ロナルド・レーガン 西暦1,988年5月、米ソ首脳会談に向かったアメリカ大統領。此の際に随行した国務長官ジョージ・シュルツが、マヌエル・ノリエガの退陣を意図した秘密交渉の決裂を記者に発表した。
- ジョージ・シュルツ 第60代アメリカ国務長官。西暦1,988年5月、米ソ首脳会談に向かうロナルド・レーガンに随行し、マヌエル・ノリエガの退陣を意図した秘密交渉が決裂した事を記者に発表した。
- モイセス・ヒロルディ パナマ国防軍ウラカ中隊長。西暦1,989年10月3日7時10分頃、出勤してきたマヌエル・ノリエガを裏口で迎え、直後に中隊を率いて総司令部を制圧し、ノリエガを4時間以上執務室に拘禁した。アメリカ南方軍に家族の亡命・保護と運河地帯2ヶ所の道路封鎖を依頼した上でノリエガの身柄引き渡しを要請したが、忠誠派部隊の反攻でクーデターは崩壊し、同日夜から未明に掛けて処刑された。
- ダニエル・アロンソ ジャーナリスト。西暦1,989年10月3日11時30分にラジオ局ラ・エクシトサの放送が停波された後、テレビ局RPCに移動してクーデター成功の声明を読み上げようとしたが、放送開始数分で停波された。
- パブロ・エスコバル コロンビアの麻薬王。西暦1,988年2月5日の起訴状には、エスコバルがパナマをアメリカへのコロンビア産コカイン密輸の中継地とする事を許可し、マヌエル・ノリエガが西暦1,981年から西暦1,986年に掛けてメデジン・カルテルから月4,600,000ドルの賄賂を受け取っていた旨が記載されていた。
- オリバー・ノース 中佐。イラン・コントラ事件に於いて、其の要請を受けたマヌエル・ノリエガが、パナマでコントラ兵士訓練を許可し、コントラへの資金提供を行なう為にダミー会社を3つ設立したと報道された。
- エンリケ・テヘラ・パリス 第174代ベネズエラ外務大臣。西暦1,989年5月17日、其の呼び掛けにより、ワシントンのOAS本部にてOAS加盟31ヶ国が参加する緊急外相会議が開かれた。
- ウィリアム・ホーベラー アメリカ連邦地裁判事。西暦1,990年2月8日、戦争捕虜に関するジュネーブ条約に基づきマヌエル・ノリエガを第三国に引き渡し国際法廷が運命を決定するべきとの弁護団の主張を退け、ノリエガに裁判を受けるよう命じた。
- フェリシダード・シエイロ・デ・ノリエガ マヌエル・ノリエガの妻。西暦1,999年7月1日、パリ大審裁判所第11部からマヌエルと共に禁錮10年と、連帯で210,000,000フランの罰金の有罪判決を受けた。判決には欠席している。
- ウーゴ・スパダフォラ 医師。西暦1,985年9月13日に殺害され、西暦1,995年12月20日、マヌエル・ノリエガが計60年の拘禁刑の有罪判決を受けた3件の殺人罪の1つとなった。
- 池田大作 西暦1,988年3月、前月のマヌエル・ノリエガ起訴を受けて、ノリエガ庭園に設置された庭園の由来の記された碑を木箱で覆い、周囲の失笑を買ったと本書が記録する人物。半年後、熱りが冷めたと判断して木箱を外した。
主要な組織・出来事
- マイアミ及びタンパ大陪審による起訴 西暦1,988年2月5日、マイアミ連邦裁判所にマヌエル・ノリエガを麻薬取引と武器取引関与で告発し、ノリエガを含む16名を起訴した。メデジン・カルテルに手を貸し、コカイン空輸用の滑走路を提供し、殺し屋を匿ったという罪状を含む12の罪状から成り、全てを考慮すると145年の刑期に相当した。同時にタンパでも、1,400,000ポンドのマリファナをアメリカに密輸する共謀罪により起訴されている。
- CIAとの契約 マヌエル・ノリエガがCIAと年200,000ドルで結んでいた契約。ノリエガはCIAの給与台帳に名を連ねていた。西暦1,980年迄CIAから金銭を受け取っていた事、パナマ領内にアメリカの為の電波傍受施設を置く事に協力して中米・南米の情報収集の便宜を図った事も報道されている。
- 尊厳大隊 西暦1,988年5月頃、パナマ国防軍が下層階級を中心に組織化した民兵組織。当初は武器を所持しない軍事訓練であったが、次第に小銃が支給され、シビリスタの中には身の危険を感じて避難する者も居た。西暦1,989年10月3日には、クーデター崩壊後のマヌエル・ノリエガを囲む姿がテレビで放映された。
- 対パナマ戦略7項目 西暦1,989年5月11日にジョージ・H・W・ブッシュ政権が発表した方針。パナマ運河の安全確保、パナマ在住のアメリカ国民約41,000名の生命・財産の保護、2,000名の陸海軍兵力の急派、対パナマ経済制裁の継続・強化、アメリカ大使館の職員削減、マヌエル・ノリエガ政権に対する外交的・政治的圧力の継続、既存のアメリカ軍駐留部隊による権利行使の強化である。
- OAS緊急外相会議 西暦1,989年5月17日、エンリケ・テヘラ・パリスの呼び掛けによりワシントンのOAS本部にて開かれ、加盟31ヶ国が参加した。アメリカが主張したマヌエル・ノリエガを直接非難する部分は、パナマとニカラグアの反対及び7ヶ国の留保により合意が為されず、代わりに平和的手段による権力の移行とノリエガの退陣、野党連合への政権移譲を促す内容が採択された。
- パナマ政府の声明文 OAS緊急外相会議を受け、閣僚全員が署名して出された文書。アメリカの過去3ヶ年にわたるパナマ不安定化戦略、選挙干渉、運河条約の侵犯、国連憲章・OAS憲章の違反を糾弾し、政治危機の基本的原因はアメリカに有るとした上で、OASは国際裁判所の機能を持たず、パナマは国内問題に関しOASの決定に従う考えも無いと表明した。
- パナマの為のラテンアメリカ議員会議 西暦1,989年6月から7月に掛けてOAS特別使節団が2度パナマを訪問し成果が無かった一方、パナマ政府がラテンアメリカ13ヶ国の議員150名を招待して開催した会議。OAS経由でのパナマへの圧力を拒否する旨の決議文を採択した。
- 西暦1,989年7月19日のOAS外相会議 アメリカが主張した強硬手段が、アルゼンチン・ブラジル・コロンビア・メキシコ・ペルー・ウルグアイ・ベネズエラの7ヶ国の反対により制止された会議。決議文には、政権移行をマヌエル・ソリス・パルマ政権の任期が終了する9月に行なう事、新政権が早期に再度選挙を実施する事、そしてパナマの主張する経済侵略・資産凍結・軍事脅威に対する対アメリカ非難が盛り込まれた。
- ウラカ中隊のクーデター 西暦1,989年10月3日、モイセス・ヒロルディ率いるウラカ中隊がパナマ国防軍総司令部を制圧し、マヌエル・ノリエガを4時間以上拘禁した事件。ラジオ局ラ・エクシトサを占拠して成功の声明を放送したが、11時30分に停波され、12時頃に到着した忠誠派部隊の攻撃により崩壊した。
- 忠誠派エリート部隊 西暦1,989年10月3日12時頃、トクメン国際空港経由で駆け付け、パナマ国防軍総司令部周辺のビル屋上から擲弾・機関銃・迫撃砲で兵営を攻撃した部隊。マチョ・デ・モンテ、ロス・ティグレス、バタジョン2000、ロス・プマス等である。
- クーデター後の処刑 クーデター崩壊を受け、西暦1,989年10月3日夜から未明に掛けて執行された。モイセス・ヒロルディ、ニカシオ・ロレンソ・トゥニョン、レオン・テハダ・ゴンサレス、エドガルド・サンドバル、エリック・アルベルト・ムリージョ、フアン・ホセ・アルサ、ホルヘ・ボニージャ・アルボレダ、イスマエル・オルテガ・カラバジョ、フランシスコ・コンセプシオン、デオクリデス・フリオ、フェリシアノ・ムニョス・ベガの11名である。
- パナマ侵攻 西暦1,989年12月20日未明に開始されたアメリカ軍の軍事行動。独裁者マヌエル・ノリエガの逮捕、パナマによる麻薬密輸、パナマ運河保全とアメリカ国民の生命の保護、そして同月16日にパナマ側がアメリカ兵1名を殺害し将校の妻に性的虐待を行なった事の4点が口実とされた。兵力は現地駐屯の13,000名と、本土からの海兵隊・陸海軍9,500名であった。
- 国連安保理・国連総会の決議 西暦1,989年12月23日、国連安保理が軍事介入を遺憾とし即時停止を求める決議案を、理事国15ヶ国の内10ヶ国の賛成で採択した。反対はアメリカ・イギリス・フランス・カナダの4ヶ国、フィンランドは棄権である。同月29日夕方には、国連総会が同様の決議を賛成75ヶ国・反対20ヶ国・棄権40ヶ国で採択した。
- 駐パナマローマ教皇庁大使館のヘヴィメタル 西暦1,989年12月24日にマヌエル・ノリエガが亡命を申請すると、アメリカ軍は大使館に厳戒態勢を敷き、ノリエガの交渉と安眠を妨げる事を意図して何台ものスピーカーから高音のヘヴィメタルを流し始めた。西暦1,990年1月3日のノリエガ投降迄続き、周囲の住民の中には睡眠不足で神経衰弱になる人も続出した。
- マイアミ連邦地裁の判決 西暦1,991年9月5日から10ヶ月近く78名の証人喚問を経て審理され、西暦1,992年4月9日、陪審が10件の起訴事実の内8つで有罪と判断した。RICO違反・RICO共謀・コカイン配布の共謀・コカイン製造の共謀・コカインの配布・麻薬利益運搬の飛行の幇助・其の他の麻薬関連の共謀・マネーロンダリングが有罪、コカインの輸入頒布の共謀と頒布は無罪である。同年7月10日に拘禁刑40年の判決が下り、西暦1,999年3月には模範囚として30年に短縮された。
- パリ大審裁判所第11部の判決 経済・金融犯罪を扱う法廷。西暦1,999年7月1日、マヌエル・ノリエガと妻フェリシダードに禁錮10年と連帯で210,000,000フランの罰金を科した。CIC・BCCI・パリバの3行を通じてコカイン取引の利益数百万ドルを資金洗浄し、パリ左岸の高級アパートメント3戸の購入に充てた事を認定するものである。西暦2,010年7月7日には、身柄引き渡し後のノリエガに禁錮7年を言い渡した。
- エル・レナセール刑務所 パナマのパナマ県パナマ地区アンコンに在る刑務所。西暦2,011年11月23日にフランスの控訴裁判所がパナマへの身柄引き渡しを承認し、同年12月11日に帰国したマヌエル・ノリエガが収監された。
クーデターと侵攻、国連決議、そして大使館のヘヴィメタル──
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