アメリカによるマヌエル・ノリエガの
身柄拘束とパナマ侵攻一元化
起訴からパナマ侵攻、そして死まで──
CIAの協力者だった独裁者ノリエガを巡る二十九年を一元化。
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本書について
西暦1,988年2月5日、アメリカのマイアミ及びタンパの大陪審が、パナマの実質的な最高権力者マヌエル・ノリエガを、麻薬取引と武器取引への関与で起訴した。起訴状は、コロンビアの麻薬王パブロ・エスコバルにパナマをアメリカへのコカイン密輸の中継地として使わせ、メデジン・カルテルから西暦1,981年~1,986年に掛けて月4,600,000ドルの賄賂を受け取ったとするもので、全ての罪状を合わせれば145年の刑期に相当した。だが此のノリエガは、同じ頃、CIAと年200,000ドルで契約を結び、其の給与台帳に名を連ねる協力者でもあった。アメリカ自身の資産が、アメリカの標的へと変わってゆく——本書は、此の起訴を起点に、独裁者ノリエガの身柄がアメリカに拘束され、マイアミで裁かれ、やがて三つの国を巡って収監されるまでの全過程を、年月日単位で一元化した記録である。
ノリエガが「利用価値」を持っていた理由は、其の経歴に刻まれている。西暦1,982年以降、彼はニカラグアに武器を、キューバにアメリカの機密を売り、パナマ領内にアメリカの為の電波傍受施設を置く事に協力して、中米・南米の情報収集に便宜を図った。イラン・コントラ事件では、中佐オリバー・ノースの要請を受けてパナマでコントラ兵士の訓練を許可し、コントラへの資金提供の為にダミー会社を三つ設立している。エスコバルの麻薬を通し、CIAの情報を担い、コントラを支える——冷戦下のアメリカにとって、ノリエガは幾つもの顔で役に立つ男であった。だからこそ、其の価値が失われた時、彼は真っ先に切り捨てられる事になる。
起訴の後、アメリカ国務省と国防総省はパナマに乗り込んでノリエガの退陣を説得したが、失敗した。パナマ大統領代理エリック・アルトゥーロ・デルヴァジェがノリエガの最高司令官職の解任を試みると、逆にデルヴァジェ自身が罷免され、マヌエル・ソリス・パルマが後任に据えられる。西暦1,989年5月7日の総選挙では、ジミー・カーターを含む300名近い選挙監視団の見守る中、野党連合のギジェルモ・エンダラが約71%の得票で勝利したが、ノリエガは選挙を不正に無効化し、自らが支援するカルロス・ドゥケを当選者としようと操作した。帰国したカーターがテレビで投票結果のすり替えを告発し、第41代アメリカ大統領に就任していたジョージ・H・W・ブッシュは、対パナマ戦略7項目を掲げ、OAS(米州機構)を通じてラテンアメリカ諸国を結集しようとする。しかし、ノリエガを直接非難する決議はパナマ・ニカラグアの反対と7ヶ国の留保で退けられ、アメリカの強硬手段は繰り返し制止された。
外交が手詰まる中、事態は西暦1,989年10月3日に急転する。早朝、パナマ国防軍のウラカ中隊長モイセス・ヒロルディが、出勤してきたノリエガを総司令部で取り押さえ、執務室に拘禁した。ヒロルディ達はアメリカ南方軍に、家族の亡命保護と運河地帯の道路封鎖を依頼した上で、ノリエガの身柄引き渡しを要請する。しかしブッシュ政権はクーデターへの関与を否定し、要求に応じなかった。トクメン国際空港経由で駆け付けたマチョ・デ・モンテ等の忠誠派エリート部隊が総司令部を攻撃するとクーデターは崩壊し、同日夜から未明に掛けて、ヒロルディを含む11名が処刑された。アメリカ議会は其の後、クーデター側の要求に応じなかったブッシュ政権を批判している。
そして西暦1,989年12月20日未明、アメリカ軍がパナマに侵攻する。掲げられた口実は、独裁者ノリエガの逮捕、麻薬密輸の阻止、パナマ運河とアメリカ国民の保護、そして同月16日に現地のアメリカ兵1名が殺害された事の4点であった。兵力は、現地駐屯の13,000名に本土からの海兵隊・陸海軍9,500名を加えたもの。同年8月にニカラグア内戦が終結し、自身を知り尽くしたノリエガの利用価値が消えたと見たブッシュは、彼を切り捨てに掛かったのである。ノリエガはパナマ市内の駐パナマローマ教皇庁大使館に亡命を申請し、匿われた。国連安保理と国連総会は相次いで、アメリカ軍の軍事介入を遺憾とし即時停止を求める決議を採択する。大使館を包囲したアメリカ軍は、ノリエガの交渉と安眠を妨げる為、何台ものスピーカーから高音のヘヴィメタルを流し続け、周囲の住民には睡眠不足で神経衰弱になる者も続出した。
西暦1,990年1月3日、10日間籠城したノリエガは大使館を出てアメリカ軍に投降した。DEA(アメリカ麻薬取締局)によって正式に逮捕され、輸送機でフロリダへ移送された彼は、自らを戦争捕虜と主張して司法取引を拒んだが、其の主張は退けられる。西暦1,992年、マイアミ連邦地裁の陪審は10件の起訴事実の内RICO(組織犯罪法)違反やマネーロンダリング等8件で有罪を認め、ノリエガは拘禁刑40年の判決を受けた。西暦1,995年には医師ウーゴ・スパダフォラ殺害等3件の殺人罪で計60年、更にフランスでも資金洗浄の罪に問われ、西暦2,010年にフランスへ、西暦2,011年にパナマへと身柄が移されてゆく。そして西暦2,017年5月29日、脳腫瘍の手術後に重体となったノリエガは、パナマ市内の病院で息を引き取った。CIAの協力者から三つの国の囚人へ——其の二十九年の全過程を、本書は一冊に束ねている。
登場人物
- マヌエル・ノリエガ 本書の中心人物。パナマの実質的な最高権力者。CIAと年200,000ドルで契約を結ぶ協力者でありながら、西暦1,988年に麻薬取引と武器取引でアメリカに起訴された。総選挙の無効化やクーデターの鎮圧を経て、西暦1,989年のアメリカ軍によるパナマ侵攻で身柄を追われ、翌年投降。マイアミ・フランス・パナマで裁かれ、西暦2,017年に死去した。
- ジョージ・H・W・ブッシュ 第41代アメリカ大統領。西暦1,989年1月に就任し、対パナマ戦略7項目を掲げてノリエガの追放を進めた。同年12月20日にパナマ侵攻を命令し、翌年1月3日には、パナマ侵攻の4つの目的が全て達成されたとの声明を出した。
- ロナルド・レーガン 西暦1,988年当時のアメリカ大統領。米ソ首脳会談へ向かう途上、随行した第60代国務長官ジョージ・シュルツを通じてノリエガ退陣を意図した秘密交渉を行ったが、決裂に終わった。
- パブロ・エスコバル コロンビアの麻薬王。メデジン・カルテルを率い、パナマをアメリカへのコカイン密輸の中継地とした。ノリエガは西暦1,981~1,986年に掛けて、このカルテルから月4,600,000ドルの賄賂を受け取り密輸に便宜を図ったとして、起訴状に名を記された。
- オリバー・ノース アメリカの中佐。イラン・コントラ事件に於いて、ノリエガにパナマでのコントラ兵士訓練を要請した。ノリエガはこれを受けて訓練を許可し、コントラへの資金提供の為にダミー会社を三つ設立した。
- エリック・アルトゥーロ・デルヴァジェ パナマ大統領代理。西暦1,988年2月、ノリエガのパナマ最高司令官職の解任を試みたが、逆にノリエガ一派の召集した臨時国会で自らが大統領代理職を罷免された。
- マヌエル・ソリス・パルマ デルヴァジェの後任として任命されたパナマ大統領代理。西暦1,989年5月の総選挙無効の後も、任期の終わる同年9月まで大統領職を務めた。
- ギジェルモ・エンダラ パナマの野党連合の大統領候補。西暦1,989年5月7日の総選挙で約71%の得票を得て勝利したが、ノリエガによって選挙を不正に無効化された。
- ジミー・カーター 元アメリカ大統領。西暦1,989年5月の総選挙に、300名近い選挙監視団の一員として現地入りした。帰国後、ノリエガ一派による大量の投票結果のすり替えをテレビのインタビューで告発した。
- モイセス・ヒロルディ パナマ国防軍のウラカ中隊長。西暦1,989年10月3日、出勤したノリエガを総司令部で取り押さえてクーデターを起こし、アメリカに身柄引き渡しを要請した。しかし忠誠派部隊の反撃でクーデターは崩壊し、同日中に処刑された。
- 池田大作 西暦1,988年3月、前月のノリエガ起訴を受けて、ノリエガ庭園に設置されていた庭園の由来を記した碑を木箱で覆い、周囲の失笑を買った。半年後、熱りが冷めたと判断して木箱を外した。
- ウーゴ・スパダフォラ パナマの医師。西暦1,985年9月13日に殺害され、この事件はノリエガが西暦1,995年に有罪判決を受けた3件の殺人罪の一つとなった。
本書が記録する出来事
- 麻薬取引でのノリエガ起訴(西暦1,988年) 西暦1,988年2月5日、マイアミ及びタンパの大陪審が、ノリエガを含む16名を麻薬取引・武器取引関与で起訴した。メデジン・カルテルからの賄賂やコカイン密輸への便宜が罪状に並び、全てを合わせれば145年の刑期に相当した。アメリカがノリエガを標的へ転換した起点。
- 総選挙と選挙無効(西暦1,989年5月) 西暦1,989年5月7日の総選挙で野党連合のギジェルモ・エンダラが約71%を得票したが、ノリエガはこれを不正に無効化した。帰国したジミー・カーターが投票結果のすり替えを告発し、国際的な非難を招いた。
- OASを通じた外交圧力(西暦1,989年) ブッシュ政権は米州機構(OAS)を通じてラテンアメリカ諸国を結集し、ノリエガの退陣を迫った。しかしノリエガを直接非難する決議はパナマ・ニカラグアの反対と7ヶ国の留保で退けられ、アメリカの強硬手段は繰り返し制止された。
- ヒロルディのクーデター(西暦1,989年10月3日) パナマ国防軍のウラカ中隊長モイセス・ヒロルディが総司令部でノリエガを拘禁し、アメリカに身柄引き渡しを要請した。しかしアメリカが要求に応じないうちに忠誠派部隊が反撃し、クーデターは崩壊。ヒロルディを含む11名が処刑された。
- アメリカ軍のパナマ侵攻(西暦1,989年12月20日) 未明、アメリカ軍が独裁者の逮捕や麻薬密輸の阻止等を口実にパナマへ侵攻した。現地駐屯の13,000名に本土からの9,500名が加わり、ノリエガは駐パナマローマ教皇庁大使館に逃げ込んだ。
- 国連による非難決議(西暦1,989年12月) 12月23日に国連安保理が、12月29日には国連総会が、アメリカ軍の軍事介入を遺憾とし即時停止を求める決議を採択した。総会決議では、賛成75ヶ国に対し日本を含む20ヶ国が反対に回った。
- 大使館包囲とヘヴィメタル作戦(西暦1,989年12月〜1,990年1月) 教皇庁大使館に籠るノリエガの交渉と安眠を妨げる為、アメリカ軍は何台ものスピーカーから高音のヘヴィメタルを流し続けた。周囲の住民には睡眠不足で神経衰弱になる者も続出した。
- ノリエガの投降とアメリカ移送(西暦1,990年1月3日) 10日間の籠城の末、ノリエガは大使館を出てアメリカ軍に投降した。DEAに逮捕され、輸送機でフロリダへ移送されて、既に起訴されていた麻薬取引の罪で裁かれる事になった。
- マイアミでの有罪判決(西暦1,992年) マイアミ連邦地裁の陪審は、10件の起訴事実の内RICO違反やマネーロンダリング等8件で有罪を認めた。ノリエガは拘禁刑40年の判決を受け、後に殺人罪でも計60年の刑を科された。
- フランス・パナマへの移送と死(西暦2,010〜2,017年) 資金洗浄の罪に問われ、西暦2,010年にフランスへ、西暦2,011年にパナマへと身柄が移された。西暦2,017年5月29日、脳腫瘍の手術後に重体となったノリエガは、パナマ市内の病院で死去した。
麻薬王の協力者から、三つの国の囚人へ──
マヌエル・ノリエガの拘束とパナマ侵攻の全過程を一元化。
JPY 200(税込)
購入する →
お支払いはカード情報の入力だけで完了します
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お支払いは決済サービス「Square」を通じて安全に処理されます。カード情報が当サイトに保存されることはありません。