フリーメイソンによる
ルイ16世政権内部破壊工作
一元化
ヴェルサイユ、サン・トゥアン、ヴィルフランシュ・ド・ルエルグ──
アダム・ヴァイスハウプトがネッケルを送り込み、ルイ16世政権を内側から崩した7年間を年月日単位で追跡した一冊。
JPY 200(税込)
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本書について
西暦1,775年、メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドは古銭業を通じてヴィルヘルム9世と親しくなった。ヴィルヘルム9世は、戦争の際傭兵を貸し出す事業で15,000〜17,000名/年の兵士を送り出したり、自身の閨閥を活かしてオーストリア皇帝を始めとする王・貴族・軍人・官史・各種産業に貸し付け、莫大な利益を得ていた。本書は、此の関係から始まり、アダム・ヴァイスハウプトが財政赤字で苦しむルイ16世にジャック・ネッケルを財政の専門家として売り込み、西暦1,781年5月19日のネッケル罷免と国家負債170,000,000ポンドへの増大迄、フリーメイソンがルイ16世政権を内側から破壊していった7年間の全過程を、一本の時系列に貫き、一元化した一冊である。
西暦1,776年10月22日、モルパの推薦により、ジャック・ネッケルがフランス王室のトレゾール総監に任命された。翌西暦1,777年6月29日、ルイ16世はジャック・ネッケルを第55代フランス財務長官に任命した。此れはアダム・ヴァイスハウプトが、財政赤字で苦しむルイ16世に対し財政の専門家としてネッケルを売り込む事で実現した工作であった。又、ネッケルの職務は事実上の財務総監であったが、プロテスタントであった為名目上は在任中一貫して財務長官であった。ネッケルは給与を拒否したが、最高国務会議には入れなかった。在任中ネッケルは、外国銀行からの借入金の削減、500以上の官職の廃止、冗費の節約、土地税と人頭税の均等分配、地方三部会を持たない地域での議会の導入、付加価値税の廃止、質入れする品物の価値を基準に融資金額を決定し、品物を担保にお金を貸すフランス政府の質屋である「モン・ド・ピエテ」の設置等の政策を実行した。又、妻シュザンヌ・ネッケルと共に病院や刑務所を訪問し人気を得た。
西暦1,778年、シュザンヌ・ネッケルがジャック・ネッケルが進める病院環境の改善や入院している家族の見舞いをし易くする為の病院改革の一環として、空き修道院を利用した120名を収容出来るホスピスを行う、衛生や換気を重視した「シャリテ病院」を設立した。12名の修道女を雇い、パリのサン・シュルピス通りやグロ・カイユから患者を受け入れた。患者に対し洗礼証明書と告解書の提出を義務付け、カトリックである事を証明させた。此の病院モデルは、シュザンヌに因んで命名されたプロテスタントの為のモンペリエの小さな6床の病院を含む、其の他の病院の開発に採用された。同年2月、ルイ16世がアメリカと同盟を結びアメリカ独立戦争参戦を宣言したが、戦費を地方債で賄い増税は行わなかった事は大半の国民に好評であった。同年4月、ジャック・ネッケルが自身の財産から2,400,000リーブルをフランス国庫に送金した。同年9月、ネッケルはルイ16世に対し、アメリカ独立戦争参戦継続による国家財政悪化の懸念から退陣を要求したが、ルイ16世は拒否した。
西暦1,779年8月20日、ジャック・ネッケルが設立した、州都ヴィルフランシュ・ド・ルエルグに、第三身分の議員を同数にした「オート・ギュイエンヌ州議会」の初めての議会である予備議会が開催された。メンバーは聖職者10名、貴族16名、第三身分の代表者26名(町に住む地主13名・田舎に住む地主13名で構成)、村に住む王族13名、キャンプに住む王族13名の52名で構成された。初代プレジデントにはジャック・テュルゴーの友人で弟子のジェローム・チャンピオン・ド・シセが就いた。又、ベリー地方にも同様の議会を設置した。同年9月14日、第1回オート・ギュイエンヌ州議会が開催され、同年10月6日迄行なわれた。
西暦1,780年、シュザンヌ・ネッケルがシャリテ病院の最初の年次報告書の序文で、施設の財政効率を維持しながら患者のケアを向上させる事を明記した。又、此の年のホスピスの死亡率は17%であった。同年9月4日、第2回オート・ギュイエンヌ州議会が開催され、同年10月3日迄行なわれた。西暦1,781年12月31日のシャリテ病院のホスピスの死亡率は21%(前年比4%増)であったが、過密なフランスのボーヌの貧しい人達に無償で医療を施す慈善病院である「オテル・デュー」は25%近くであった。
西暦1,781年5月19日、ジャック・ネッケルが、フランスの年次報告書の予算を公表して宮廷貴族の年金等の財政報告の内訳を対外的に示した事で、手当を暴露された廷臣達や、予算を公表して人気を博したと怒った財政官達からの批判があった事を背景に、財務長官を罷免された。在任中の約4年間で国家負債を170,000,000ポンドにまで増大させ、ルイ16世政権の足を引っ張った。其の後サン・トゥアンのネッケルの自宅に凡ゆる身分の人間が訪れた。ネッケルは、軍事支出・特別支出を粉飾し、債務を軽く見せる事があった。又ネッケルは、ルイ16世が公衆衛生よりも彼自身の兄弟に対する支出の方が遥かに多い事を年次報告書を見せて当人に指摘すると、ルイ16世は其れを隠蔽しようとした。ネッケルはそれと引き換えに最高国務会議への参加を要求したが、ルイ16世は拒否した。此れに対してネッケルは報復として国家予算の公開を行い、英語・オランダ語・ドイツ語・デンマーク語・イタリア語への翻訳も為され200,000部を売り上げた。本書は、此の7年に亘るフリーメイソンによるルイ16世政権内部破壊工作の全過程を、年月日単位で記録した年表である。
登場人物
- ジャック・ネッケル 第55代フランス財務長官。プロテスタント。アダム・ヴァイスハウプトがルイ16世に財政の専門家として売り込んだフリーメイソンの工作員。西暦1,776年10月22日にトレゾール総監、西暦1,777年6月29日に財務長官に任命された。外国銀行借入金削減、500以上の官職廃止、モン・ド・ピエテ設置等の改革を実行。西暦1,778年4月に自身の財産から2,400,000リーブルをフランス国庫に送金。西暦1,781年5月19日に財務長官を罷免される迄の約4年間で国家負債を170,000,000ポンドに増大させ、ルイ16世政権の足を引っ張った。其の後国家予算公開を行い200,000部を売り上げた。
- シュザンヌ・ネッケル ジャック・ネッケルの妻。ジャックと共に病院や刑務所を訪問し人気を得た。西暦1,778年、空き修道院を利用した120名を収容出来るホスピスを行う、衛生や換気を重視した「シャリテ病院」を設立。12名の修道女を雇い、患者に洗礼証明書と告解書の提出を義務付けカトリックである事を証明させた。西暦1,780年の年次報告書序文で施設の財政効率を維持しながら患者のケアを向上させる事を明記した。
- ルイ16世 フランス国王。財政赤字に苦しんでいた所、アダム・ヴァイスハウプトの売り込みにより、西暦1,777年6月29日にジャック・ネッケルを第55代フランス財務長官に任命。西暦1,778年2月にアメリカと同盟を結びアメリカ独立戦争参戦を宣言し、戦費を地方債で賄い増税は行わなかった。西暦1,778年9月のネッケルからの退陣要求を拒否。公衆衛生よりも自身の兄弟に対する支出の方が遥かに多い事を年次報告書で指摘されると隠蔽しようとし、ネッケルからの最高国務会議への参加要求を拒否。西暦1,781年5月19日にネッケルを罷免した。
- アダム・ヴァイスハウプト バイエルン啓明結社の主導者。財政赤字で苦しむルイ16世に対し財政の専門家としてジャック・ネッケルを売り込み、西暦1,777年6月29日のネッケルの第55代フランス財務長官就任を実現させた。
- メイヤー・アムシェル・ロスチャイルド ロスチャイルド家の祖。西暦1,775年に古銭業を通じヴィルヘルム9世と親しくなった。
- ヴィルヘルム9世 ヘッセン・カッセル方伯。戦争の際傭兵を貸し出す事業で15,000〜17,000名/年の兵士を送り出した。又、自身の閨閥を活かしてオーストリア皇帝を始めとする王・貴族・軍人・官史・各種産業に貸し付け莫大な利益を得ていた。西暦1,775年にメイヤー・アムシェル・ロスチャイルドと古銭業を通じて親しくなった。
- モルパ フランスのイブリーヌ県の人物。西暦1,776年10月22日にジャック・ネッケルをフランス王室のトレゾール総監に推薦した。
- ジェローム・チャンピオン・ド・シセ ジャック・テュルゴーの友人で弟子。西暦1,779年8月20日のオート・ギュイエンヌ州議会予備議会で初代プレジデントに就任した。
- ジャック・テュルゴー ジェローム・チャンピオン・ド・シセの友人で師。シセはテュルゴーの弟子であった。
主要な概念・組織
- フランス王室のトレゾール総監 ジャック・ネッケルが西暦1,776年10月22日にモルパの推薦により任命された役職。
- フランス財務長官 ジャック・ネッケルが西暦1,777年6月29日にルイ16世から任命された第55代の役職。アダム・ヴァイスハウプトの売り込みにより実現した。職務は事実上の財務総監であったが、ネッケルがプロテスタントであった為、名目上は在任中一貫して財務長官であった。ネッケルは給与を拒否したが最高国務会議には入れなかった。
- モン・ド・ピエテ ジャック・ネッケルが財務長官在任中に設置した、質入れする品物の価値を基準に融資金額を決定し、品物を担保にお金を貸すフランス政府の質屋。
- シャリテ病院 西暦1,778年にシュザンヌ・ネッケルが、ジャック・ネッケルが進める病院環境の改善や入院している家族の見舞いをし易くする為の病院改革の一環として設立した、空き修道院を利用した120名を収容出来るホスピスを行う、衛生や換気を重視した病院。12名の修道女を雇い、パリのサン・シュルピス通りやグロ・カイユから患者を受け入れた。患者に対し洗礼証明書と告解書の提出を義務付けカトリックである事を証明させた。西暦1,780年のホスピス死亡率は17%、西暦1,781年12月31日は21%(前年比4%増)であった。
- モンペリエの病院 シャリテ病院モデルが採用され、シュザンヌ・ネッケルに因んで命名されたプロテスタントの為のモンペリエの小さな6床の病院。
- オート・ギュイエンヌ州議会 ジャック・ネッケルが設立した、州都ヴィルフランシュ・ド・ルエルグに置かれた、第三身分の議員を同数にした州議会。西暦1,779年8月20日に予備議会、同年9月14日から10月6日迄第1回議会、西暦1,780年9月4日から10月3日迄第2回議会が開催された。聖職者10名・貴族16名・第三身分の代表者26名・村に住む王族13名・キャンプに住む王族13名の52名で構成され、初代プレジデントはジェローム・チャンピオン・ド・シセが務めた。
- ベリー地方議会 オート・ギュイエンヌ州議会と同様にジャック・ネッケルがベリー地方(現在のフランスのシェール県、アンドル県、ロワレ県の一部、アンドル・エ・ロワール県の一部、クルーズ県の一部)に設置した議会。
- アメリカ独立戦争参戦 西暦1,778年2月にルイ16世がアメリカと同盟を結び宣言した参戦。戦費を地方債で賄い増税は行わなかった事は大半の国民に好評であったが、参戦継続による国家財政悪化の懸念からジャック・ネッケルは同年9月にルイ16世に対し退陣を要求した(拒否される)。
- オテル・デュー フランスのボーヌ(コート・ドール県)にある過密な、貧しい人達に無償で医療を施す慈善病院。西暦1,781年12月31日の死亡率はシャリテ病院の21%に対し25%近くであった。
- 国家予算の公開 西暦1,781年5月19日のジャック・ネッケル罷免後、ネッケルが報復として行った行為。フランスの年次報告書の予算を公表して宮廷貴族の年金等の財政報告の内訳を対外的に示した。手当を暴露された廷臣達や、予算を公表して人気を博したと怒った財政官達からの批判が罷免の背景にあった。英語・オランダ語・ドイツ語・デンマーク語・イタリア語への翻訳も為され200,000部を売り上げた。
財務長官就任から罷免、そして国家予算公開200,000部売上迄──
アダム・ヴァイスハウプトがネッケルを送り込み、ルイ16世政権を内側から崩した7年間を年月日単位で追跡した一冊。
JPY 200(税込)
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