ジミー・カーターを大統領に据えたデイヴィッド・ロックフェラー一元化
西暦1,971年のチェース・マンハッタン銀行の取締役会でのデイヴィッド・ロックフェラーとジミー・カーターの昼食、西暦1,972年のウィリアム・アヴェレル・ハリマンとミルトン・カッツによる南部の知事への着目、西暦1,973年のディーン・ラスクによる三極委員会候補としてのカーターの提案・ジョージ・S・フランクリンによるカーターの日米欧三極委員会への勧誘・日米欧三極委員会の正式発足とジミー・カーターらの加入・ロンドンでのカーターとデイヴィッド・ロックフェラーの夕食、西暦1,976年の第48回アメリカ大統領選挙予備選挙でのシカゴ外交問題評議会での演説・アメリカ民主党全国大会でのジミー・カーターの大統領候補指名とウォルター・モンデールの副大統領候補指名、西暦1,977年のタイム誌のマン・オブ・ザ・イヤー選出・ジミー・カーターの第39代アメリカ大統領就任と日米欧三極委員会委員による政権要職の占拠、西暦1,979年のポール・ボルカーの第12代FRB議長就任迄──
チェース・マンハッタン銀行での出会いを起点に、デイヴィッド・ロックフェラーとズビグネフ・ブレジンスキーがジミー・カーターを次期大統領として育て上げ、第39代アメリカ大統領の座に据えるに至った系譜を年月日単位で追跡した一冊。
JPY 200(税込)
購入する →購入後、そのままPDFダウンロードページへ移動します
お支払いは決済サービス「Square」を通じて安全に処理されます。カード情報が当サイトに保存されることはありません。
本書について
西暦1,971年、チェース・マンハッタン銀行の取締役会の際、デイヴィッド・ロックフェラーが、ジョージア州知事ジミー・カーターと食堂で昼食を共にした。ロックフェラーは、カーターがジョージア州の貿易事務所を東京に開設した事に感銘を受けた。此れが、後にカーターを第39代アメリカ大統領の座へと押し上げる事となる関係の出発点であった。
西暦1,972年、CFR会員のウィリアム・アヴェレル・ハリマンが、CFR会員でハーバード大学法科大学院国際法学プログラムディレクターのミルトン・カッツに対し、高みの見物を止め南部の知事達に目を向けるべきだと語った。其処でジミー・カーターの名前が挙がり、カッツはカーターをデイヴィッド・ロックフェラーに知らせた。
西暦1,973年2月、ビルダーバーグ会議のメンバーで第54代アメリカ国務長官を務めたディーン・ラスクが、ジェラルド・スミスと夕食を共にしていた際、ジミー・カーターが三極委員会の良い候補者になるだろうとスミスに提案した。同年4月、デイヴィッド・ロックフェラーのアシスタントでCFR会員且つ三極委員会コーディネーターのジョージ・S・フランクリン、ロバート・ボウイ、ジェラルド・スミスの3名が、三極委員会の候補者に南部を代表する人間が必要であると判断した。候補にはジミー・カーターと第37代フロリダ州知事ルービン・アスキューが挙がり、最終的にカーターが選ばれて、フランクリンはアトランタへ向かいカーターを三極委員会へ勧誘した。
西暦1,973年7月1日、日米欧三極委員会が正式に発足し、デイヴィッド・ロックフェラーが会長、ズビグネフ・ブレジンスキーが北米創設理事に就任した。北米メンバーには、ブレジンスキーが勧誘した第76代ジョージア州知事ジミー・カーターや、アメリカ下院議員ジョン・B・アンダーソン、タイム社編集長ヘドリー・ドノバン等が名を連ね、北米以外でも第74代イギリス内務大臣レジナルド・モードリングやイングランド銀行取締役エリック・ロール、フィアット社社長ジャンニ・アニェッリ等が加わった。委員会はニューヨーク・東京・パリに拠点を置き、35名から成る執行委員が運営して、ほぼ9ヶ月毎に3拠点の持ち回りで会合を開いた。
西暦1,973年9月、ジミー・カーターとデイヴィッド・ロックフェラーがロンドンで夕食を共にした。此れ以降カーターは、ズビグネフ・ブレジンスキーを始めとする三極委員会委員によって、次期大統領として育てられた。念の為、ウォルター・モンデール・エリオット・リチャードソン・エドワード・ケネディも大統領候補となっていた。同年10月、ブレジンスキーが、民主党の候補者が当選を望むなら、仕事・家族・宗教、そして益々愛国心を強調しなければならないと演説し、カーターは此れ等の美徳を強調して選挙運動を行い、自らを部外者としてワシントンD.C.の混乱を一掃する為にアメリカ国民に選んで貰おうとした。西暦1,975年12月の時点で、アメリカ国内の民主党員でカーターを支持していたのは、ギャラップ社の世論調査でわずか4%であった。
西暦1,976年3月15日、ジミー・カーターが、第48回アメリカ大統領選挙予備選挙に於いて、シカゴ外交問題評議会にて外交政策に就いて演説を行った。此の演説の準備を手伝ったのは、ズビグネフ・ブレジンスキーやリチャード・クーパー、リチャード・ガードナー、ヘンリー・オーウェン、エドウィン・O・ライシャワー、アンソニー・レイク、ロバート・ボウイ、ジョージ・ボール、サイラス・ヴァンス等のCFR会員であり、其の大半は三極委員会委員でもあった。同年7月12日からの4日間、マディソン・スクエア・ガーデンにてアメリカ民主党全国大会が開かれ、大統領候補にジミー・カーター、副大統領候補にウォルター・モンデールが指名された。カーターが指名を勝ち取ったのは、メディアがカーターのジョージア州知事時代の業績を誇張するキャンペーンを張った結果であった。其の後カーターは形式上三極委員会から脱会したが、三極委員会・ロックフェラー家・タイム誌等の支持を受け、ディーン・ラスクやC・ダグラス・ディロン、ヘンリー・ルース、サイラス・イートン等から資金提供を受けた。
西暦1,977年1月3日、ジミー・カーターが、ヘドリー・ドノバンを編集長とするタイム誌の「マン・オブ・ザ・イヤー」に選出された。同年1月20日、カーターが第39代アメリカ大統領に就任した。カーター政権は、カーターを含む日米欧三極委員会の委員が要職を占め、第42代副大統領ウォルター・モンデール、第57代国務長官サイラス・ヴァンス、第14代国防長官ハロルド・ブラウン、第64代財務長官ワーナー・マイケル・ブルーメンソール、第10代国家安全保障問題担当大統領補佐官ズビグネフ・ブレジンスキー等、多数の三極委員会委員が政権に入った。更にカーターは、ロックフェラー財団・ブルッキングス研究所・コカ・コーラ社の内部勢力からも多くの行政職を任命した。最終的に、三極委員会のアメリカ人メンバーの40%がカーター政権に参加し、三極委員会とCFRを合わせて291名がカーター政権に加わった。
西暦1,979年8月6日、ジミー・カーターにより指名された、三極委員会北米委員長でCFR・ビルダーバーグ会議のメンバーであるポール・ボルカーが、第12代FRB議長に就任した。デイヴィッド・ロックフェラーがカーターに指示を出していた。
本書は、西暦1,971年のチェース・マンハッタン銀行でのデイヴィッド・ロックフェラーとジミー・カーターの出会いを起点に、ウィリアム・アヴェレル・ハリマンとミルトン・カッツによる南部の知事への着目、ディーン・ラスクによる三極委員会候補としてのカーターの提案、ジョージ・S・フランクリンによるカーターの日米欧三極委員会への勧誘、同委員会の正式発足とジミー・カーターらの加入、ロンドンでのカーターとロックフェラーの夕食、ズビグネフ・ブレジンスキーを始めとする三極委員会委員による次期大統領としての育成、第48回アメリカ大統領選挙予備選挙でのシカゴ外交問題評議会での演説、アメリカ民主党全国大会でのジミー・カーターの大統領候補指名、タイム誌のマン・オブ・ザ・イヤー選出、ジミー・カーターの第39代アメリカ大統領就任と日米欧三極委員会委員による政権要職の占拠、ポール・ボルカーの第12代FRB議長就任に至るまで、ジミー・カーターの大統領就任に至る系譜を、年月日単位で記録した年表である。
登場人物
- ジミー・カーター 本書の中心人物。第76代ジョージア州知事。西暦1,971年にチェース・マンハッタン銀行でデイヴィッド・ロックフェラーと昼食を共にし、東京への貿易事務所開設で感銘を与えた。ジョージ・S・フランクリンに勧誘されて日米欧三極委員会の北米メンバーとなり、ズビグネフ・ブレジンスキーを始めとする委員によって次期大統領として育てられた。西暦1,976年のアメリカ民主党全国大会で大統領候補に指名され、西暦1,977年1月20日に第39代アメリカ大統領に就任した。
- デイヴィッド・ロックフェラー チェース・マンハッタン銀行の中心人物。西暦1,971年の取締役会の際にジミー・カーターと昼食を共にし、ミルトン・カッツからもカーターの存在を知らされた。西暦1,973年発足の日米欧三極委員会の会長に就任。同年9月にはロンドンでカーターと夕食を共にした。カーター政権下では、カーターに指示を出していたとされる。
- ズビグネフ・ブレジンスキー 日米欧三極委員会の北米創設理事。第76代ジョージア州知事ジミー・カーターを委員会に勧誘した。西暦1,973年9月以降、カーターを次期大統領として育て、同年10月には民主党候補が仕事・家族・宗教・愛国心を強調すべきと演説した。カーター政権では第10代国家安全保障問題担当大統領補佐官を務めた。
- ジョージ・S・フランクリン デイヴィッド・ロックフェラーのアシスタントで、CFR会員且つ三極委員会コーディネーター。西暦1,973年4月、ロバート・ボウイ・ジェラルド・スミスと共に三極委員会の南部代表が必要と判断し、アトランタへ赴いてジミー・カーターを三極委員会へ勧誘した。
- ディーン・ラスク ビルダーバーグ会議のメンバーで、第54代アメリカ国務長官を務めた人物。西暦1,973年2月、ジェラルド・スミスとの夕食の際に、ジミー・カーターが三極委員会の良い候補者になるだろうと提案した。西暦1,976年のアメリカ民主党全国大会後、カーターに資金提供を行った一人でもある。
- ジェラルド・スミス 西暦1,973年2月、ディーン・ラスクからジミー・カーターを三極委員会候補にとの提案を受けた人物。同年4月には、ジョージ・S・フランクリン・ロバート・ボウイと共に三極委員会の南部代表選定に関わった。カーター政権では核不拡散担当大統領特別代表を務めた。
- ウィリアム・アヴェレル・ハリマン CFR会員で、第11代アメリカ商務長官や第48代ニューヨーク州知事を歴任した人物。西暦1,972年、ミルトン・カッツに対し南部の知事達に目を向けるべきだと語り、ジミー・カーターの名が挙がる契機をつくった。
- ミルトン・カッツ CFR会員で、ハーバード大学法科大学院国際法学プログラムディレクター。西暦1,972年、ウィリアム・アヴェレル・ハリマンの助言を受け、ジミー・カーターの存在をデイヴィッド・ロックフェラーに知らせた。
- ヘドリー・ドノバン タイム社編集長で、西暦1,973年発足の日米欧三極委員会の北米メンバー。西暦1,977年1月3日、編集長を務めるタイム誌が、ジミー・カーターを「マン・オブ・ザ・イヤー」に選出した。
- ウォルター・モンデール 日米欧三極委員会の委員。西暦1,976年のアメリカ民主党全国大会で副大統領候補に指名され、カーター政権で第42代アメリカ副大統領を務めた。
- サイラス・ヴァンス 第7代アメリカ陸軍長官・第11代アメリカ国防副長官を歴任した人物。西暦1,976年のジミー・カーターのシカゴ外交問題評議会での演説準備を手伝ったCFR会員の一人で、カーター政権では第57代アメリカ国務長官を務めた。
- レスター・マドックス 第69代アメリカジョージア州知事で、ジミー・カーターの前任者。西暦1,976年のアメリカ民主党全国大会でのカーターの指名に際し、虚偽で誤解を招く欺瞞的な発言や行動に基づくもので、カーターは1票も受けるに値しないと批判した。
- ポール・ボルカー 三極委員会北米委員長で、CFR・ビルダーバーグ会議のメンバー。西暦1,979年8月6日、ジミー・カーターによる指名で第12代FRB議長に就任した。
主要な概念・組織
- チェース・マンハッタン銀行 デイヴィッド・ロックフェラーが率いた銀行。西暦1,971年、其の取締役会の際に、ロックフェラーがジミー・カーターと食堂で昼食を共にし、カーターが東京に開設したジョージア州の貿易事務所に感銘を受けた。本書の系譜の出発点となる出会いの舞台である。
- 日米欧三極委員会 西暦1,973年7月1日に正式発足した組織。デイヴィッド・ロックフェラーが会長、ズビグネフ・ブレジンスキーが北米創設理事に就任した。ニューヨーク・東京・パリに拠点を置き、35名から成る執行委員が運営した。ジミー・カーターを北米メンバーに迎え、次期大統領として育て上げ、カーター政権に多数の委員を送り込んだ。
- CFR アメリカの外交問題評議会。ウィリアム・アヴェレル・ハリマン、ミルトン・カッツ、ジョージ・S・フランクリン等が本書に登場する。西暦1,976年のジミー・カーターのシカゴ外交問題評議会での演説準備にも多数のCFR会員が関わり、其の大半は三極委員会委員でもあった。
- ビルダーバーグ会議 非公開の国際会議。第54代アメリカ国務長官を務めたディーン・ラスクや、第12代FRB議長に就任したポール・ボルカーが、其のメンバーとして本書に登場する。
- アメリカ民主党全国大会 西暦1,976年7月12日からの4日間、ニューヨーク市マンハッタンのマディソン・スクエア・ガーデンで開催された大会。大統領候補にジミー・カーター、副大統領候補にウォルター・モンデールが指名された。カーターの指名は、メディアがジョージア州知事時代の業績を誇張するキャンペーンを張った結果であった。
- タイム誌とマン・オブ・ザ・イヤー タイム社のアメリカのニュース雑誌「タイム」誌。西暦1,977年1月3日、ヘドリー・ドノバンが編集長を務めるタイム誌が、ジミー・カーターを「マン・オブ・ザ・イヤー」に選出した。タイム誌はカーターの支持母体の一つでもあった。
- FRB議長就任 西暦1,979年8月6日、ジミー・カーターにより指名されたポール・ボルカーが第12代FRB議長に就任した出来事。ボルカーは三極委員会北米委員長でCFR・ビルダーバーグ会議のメンバーであり、其の指名にはデイヴィッド・ロックフェラーの指示があったとされる。
西暦1,971年のチェース・マンハッタン銀行の取締役会でのデイヴィッド・ロックフェラーとジミー・カーターの昼食、西暦1,972年のウィリアム・アヴェレル・ハリマンとミルトン・カッツによる南部の知事への着目、西暦1,973年のディーン・ラスクによる三極委員会候補としてのカーターの提案・ジョージ・S・フランクリンによるカーターの日米欧三極委員会への勧誘・日米欧三極委員会の正式発足とジミー・カーターらの加入・ロンドンでのカーターとデイヴィッド・ロックフェラーの夕食、西暦1,976年の第48回アメリカ大統領選挙予備選挙でのシカゴ外交問題評議会での演説・アメリカ民主党全国大会でのジミー・カーターの大統領候補指名とウォルター・モンデールの副大統領候補指名、西暦1,977年のタイム誌のマン・オブ・ザ・イヤー選出・ジミー・カーターの第39代アメリカ大統領就任と日米欧三極委員会委員による政権要職の占拠、西暦1,979年のポール・ボルカーの第12代FRB議長就任迄──
チェース・マンハッタン銀行での出会いを起点に、デイヴィッド・ロックフェラーとズビグネフ・ブレジンスキーがジミー・カーターを次期大統領として育て上げ、第39代アメリカ大統領の座に据えるに至った系譜を年月日単位で追跡した一冊。
JPY 200(税込)
購入する →購入後、そのままPDFダウンロードページへ移動します
お支払いは決済サービス「Square」を通じて安全に処理されます。カード情報が当サイトに保存されることはありません。