ハニートラップと決闘で消された
第一合衆国銀行創設者
アレクサンダー・ハミルトン
一元化
フィラデルフィア、ウィーホーケン、岩棚の上の夜明け──
マリア・レイノルズによるハニートラップから、長男フィリップの決闘死、そしてアーロン・バーとの決闘迄、用済み厄介者として始末された男の最後の13年間を年月日単位で追跡した一冊。
JPY 200(税込)
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本書について
西暦1,791年7月、フィラデルフィア在住のマリア・レイノルズが、アレクサンダー・ハミルトンのフィラデルフィアの自宅を訪れた。マリアはアメリカ独立戦争で兵站部に属していた夫のジェームズ・レイノルズから虐待を受けたと主張し、助けを求めた。ハミルトンはマリアが故郷のニューヨークに戻る為の金銭を渡すべく、其の夜にマリアと会談する事にした。ハミルトンがマリアの下宿先に出向いて30ドルを渡すと、マリアはハミルトンを2階の寝室に案内し、以降ハミルトンとマリアは不倫関係となった。本書は、此のハニートラップから、レイノルズ・パンフレットの出版、長男フィリップ・ハミルトンの決闘死、そして西暦1,804年7月12日のアーロン・バーとの決闘によるハミルトン死去迄、ロスチャイルド側から見れば用済み厄介者の始末が完了する13年間を、一本の時系列に貫き、一元化した一冊である。
西暦1,791年7月から同年10月頃、ハミルトンの妻エリザベス・スカイラーとその子供達が、スカイラーの両親の居るオールバニーに滞在していた間、ハミルトンとマリアは不倫関係を続けた。暫くするとマリアは、ジェームズが復縁を求めている事をハミルトンに伝え、ハミルトンは復縁を認めたが不倫関係は続いた。其の後マリアは、ジェームズがハミルトンの面接を受ける機会を取り付けハミルトンにアメリカ財務省の職を求めたが、ハミルトンは拒否した。同年12月15日、ハミルトンはマリアに対し不倫関係を終わらせたいという意思を示した。其の直後からマリアは、ジェームズが怒っているとし、対面しなければエリザベス・スカイラーに書簡を送ると誓ったといった主旨の脅迫状を同月19日迄送り続けた。当時の慣習に倣えばジェームズが決闘による報復を求める状況であったが、ハミルトンの様な社会的地位の高い人間の不倫が公になった場合、ハミルトンの被る損失が甚大である事を理解していたジェームズは、代わりに金銭的補償1,000ドルを求めた。ハミルトンは此れに応じたが、其の後もジェームズは、ハミルトンに友人としてマリアを訪問する様誘い、訪問する度に30ドル若しくは50ドルを要求し、其の総額は最初の1,000ドルも含め1,300ドル以上であった。
西暦1,792年6月、アレクサンダー・ハミルトンとジェームズ・レイノルズ夫妻の関係が途絶えた。同年11月、ジェームズ・レイノルズとジェイコブ・クリングマンがアメリカ独立戦争兵士の年金と未払い請求権を不法に購入したという偽造の罪で投獄された。ジェームズはハミルトンに対し支援を求める書簡を送ったがハミルトンは拒否し、更にはマリアからの書簡や金銭の要求も拒否した。此れを受けてクリングマンは、ハミルトンの政敵であるアメリカ上院議員ジェームズ・モンローに対し、レイノルズが、ハミルトンは財務長官としての違法行為でハミルトンを有罪とする証拠を持っていると通告した。モンローは、アメリカ下院議員フレデリック・ミューレンバーグとアメリカ下院議員エイブラハム・ヴェナブルと今後どの様な行動を執るべきか相談した。同年12月12日、ジェームズ・レイノルズが刑務所から釈放され、其の後モンローにハミルトンを有罪にする情報を伝える事無く行方を暗ました。
西暦1,792年12月15日、ジェームズ・モンロー・フレデリック・ミューレンバーグ・エイブラハム・ヴェナブルの3名が投機の疑いの証拠を持参してアレクサンダー・ハミルトンの下を訪れた。ハミルトンは、自らの立場が危うくなる事を恐れ、マリア・レイノルズとの不倫に関し認めた。しかし、ジェームズ・レイノルズに対する金銭の支払いに関しては、アメリカ財務省の不正行為では無く、不倫を巡る脅迫を受けての口止め料であると主張し、レイノルズ夫妻が送付した書簡を提出した。不正行為では無い為、情報を非公開とする事でコンセンサスを取ったが、モンローは此の書簡のコピーをトーマス・ジェファーソンに送付し、ジョン・ジェイムズ・ベックリーもコピーを作成した。翌西暦1,793年1月1日、ジェイコブ・クリングマンがモンローに対し、マリアは、不倫を巡る脅迫の書簡はアメリカ財務省の投機計画の隠れ蓑であると主張していると伝えた。西暦1,795年、マリア・レイノルズはジェイコブ・クリングマンと再婚し、アレクサンドリア(バージニア州)に居を構えた。
西暦1,797年7月、ジャーナリストのジェームズ・トムソン・カレンダーが「1796年のアメリカの歴史」を出版した。アレクサンダー・ハミルトンとジェームズ・レイノルズ夫妻に関する関係について述べ、ハミルトンの公的悪行を暴くと宣言し、西暦1,792年12月15日にハミルトンがモンローに提出した、レイノルズ夫妻がハミルトンに送付した書簡のコピーも添えられていた。同年7月5日、ハミルトンはモンロー・ミューレンバーグ・ヴェナブルの3名に対し、財務長官時代の自身の誠実さの認識を損なう様な出来事は何も無かった事を確認する様求め、モンロー以外の2名は此れに応じた。同年8月2日、大佐ジェレマイア・ワズワースが、ハミルトンに対し西暦1,792年11月〜12月12日迄のジェームズ・レイノルズが拘留されていた期間、マリアがどの様な行動を執っていたかを記した書簡を送った。マリアはジェームズの釈放を手助けする為に、初代ペンシルベニア州知事トマス・ミフリンとワズワースに対し、ハミルトンとの最初の出会いや情事に関する事を話していた。
西暦1,797年8月25日、アレクサンダー・ハミルトンは95頁の小冊子「特定の文書の観察」を出版した。内容としては、マリア・レイノルズとの不倫を認めて謝罪し、ジェームズ・レイノルズへの金銭の支払いは公的なものでは無く、不倫を巡る脅迫を受けての口止め料であると主張した。ハミルトンの率直さは賞賛されたが、一方で民主共和党からの嘲笑の的となったが、公職は維持する事が出来た。最終的にエリザベス・スカイラーはハミルトンを許した。マリアは公の場で軽蔑される様になり、ジェイコブ・クリングマンと共にイギリスに移住した。
西暦1,801年7月4日、第3代アメリカ大統領となっていたトーマス・ジェファーソンと第3代アメリカ副大統領アーロン・バーの熱烈な支持者で、共和党運動に精を出していた弁護士ジョージ・I・イーカーが、コロンビア大学の独立記念日に於けるスピーチでアレクサンダー・ハミルトンの君主制構想を批判した。其の後アレクサンダー・ハミルトンの長男フィリップ・ハミルトンは、新聞でスピーチを知りイーカーへの復讐を決意した。バーは、事ある毎にアレクサンダーを「黒いユダヤ人」と嘲笑していた。同年11月22日、ウィーホーケン(ニュージャージー州)にてリチャード・プライスとジョージ・I・イーカーの決闘が行われ、お互い2発ずつ銃弾を放ったが、両者は無傷で決着は付かなかった。又、水面下でアレクサンダー側がイーカーの部下との休戦交渉を行ったが、徒労に終わり、ハミルトンとイーカーの決闘がジャージー・シティの砂州で行われる事が決まった。フィリップはアレクサンダーから、イーカーが先に発砲する迄待つか、最初の発砲を無駄撃ちするかどちらかした方が良いと助言された。
西暦1,801年11月23日、ウィーホーケンにてフィリップ・ハミルトンとジョージ・I・イーカーの決闘が行われた。フィリップは、アレクサンダーの助言通りに、向きを変え銃を持ち上げなかった。イーカーも暫く銃を持ち上げなかった。1分が経過するとイーカーが銃を持ち上げフィリップを発砲し、フィリップも銃を持ち上げたが、イーカーの放った弾丸が右腰の上に命中し左腕に留まった。フィリップは発砲し地面に倒れ、フィリップの放った弾丸は流れ弾となった。フィリップはマンハッタンの叔母の家に運ばれた。同年11月24日早朝、ホサック博士の治療を受けていたフィリップは、出血が止まらず銃弾を受けてから14時間後に死去した。西暦1,803年、マリア・レイノルズは単身イギリスからフィラデルフィアに戻り、「マリア・クレメント」という名前で活動を始めた。
西暦1,804年7月11日、アーロン・バーがアレクサンダー・ハミルトンに決闘を挑み、西暦1,801年11月23日にフィリップ・ハミルトンが決闘を行ったウィーホーケンの岩棚の上で夜明けに開始された。ハミルトンが先制したものの、バーがハミルトンの下胸部を撃ち、弾丸は背骨に留まった。翌西暦1,804年7月12日、アレクサンダー・ハミルトンが死去した。ロスチャイルド側から見れば用済み厄介者の始末が完了したと言える。本書は、此の13年に亘るハニートラップから決闘迄の、第一合衆国銀行創設者の最後の全過程を、年月日単位で記録した年表である。
登場人物
- アレクサンダー・ハミルトン 第一合衆国銀行創設者。西暦1,791年7月にマリア・レイノルズのハニートラップに掛かり、其の後ジェームズ・レイノルズに合計1,300ドル以上の口止め料を支払った。西暦1,797年8月25日に95頁の小冊子「特定の文書の観察」を出版し不倫を認めた。西暦1,801年11月23日に長男フィリップ・ハミルトンを決闘で失った。西暦1,804年7月11日にアーロン・バーとの決闘でウィーホーケンの岩棚の上にて下胸部を撃たれ、翌12日に死去した。ロスチャイルド側から見れば用済み厄介者の始末が完了したと言える。
- マリア・レイノルズ フィラデルフィア在住の女性。西暦1,791年7月、夫のジェームズ・レイノルズから虐待を受けたと主張し、アレクサンダー・ハミルトンの自宅を訪れた。30ドルを受け取った後ハミルトンを2階の寝室に案内し、以降ハミルトンと不倫関係となった。西暦1,791年12月15日からは脅迫状を送り続けた。西暦1,795年にジェイコブ・クリングマンと再婚しアレクサンドリアに居を構えた。「特定の文書の観察」出版後はクリングマンと共にイギリスに移住、西暦1,803年に単身フィラデルフィアに戻り「マリア・クレメント」という名前で活動を始めた。
- ジェームズ・レイノルズ マリア・レイノルズの夫。アメリカ独立戦争で兵站部に属していた。アレクサンダー・ハミルトンの面接を受けアメリカ財務省の職を求めたが拒否された。妻の不倫発覚後、決闘では無く金銭的補償1,000ドルを求め、其の後も訪問する度に30ドル若しくは50ドルを要求し総額は1,300ドル以上であった。西暦1,792年11月にジェイコブ・クリングマンと共にアメリカ独立戦争兵士の年金と未払い請求権を不法に購入した偽造の罪で投獄された。同年12月12日に釈放後、ジェームズ・モンローにハミルトンを有罪にする情報を伝える事無く行方を暗ました。
- ジェイコブ・クリングマン 西暦1,792年11月にジェームズ・レイノルズと共に偽造の罪で投獄された人物。アメリカ上院議員ジェームズ・モンローに対し、レイノルズがハミルトンの財務長官としての違法行為の証拠を持っていると通告した。西暦1,793年1月1日にはマリアの「不倫を巡る脅迫の書簡はアメリカ財務省の投機計画の隠れ蓑である」という主張をモンローに伝えた。西暦1,795年にマリア・レイノルズと再婚した。
- ジェームズ・モンロー アメリカ上院議員。アレクサンダー・ハミルトンの政敵。ジェイコブ・クリングマンからの密告を受け、フレデリック・ミューレンバーグ・エイブラハム・ヴェナブルと相談。西暦1,792年12月15日に投機の疑いの証拠を持参してハミルトンを訪れた。情報を非公開とするコンセンサスを取ったにも関わらず、書簡のコピーをトーマス・ジェファーソンに送付した。西暦1,797年7月5日のハミルトンからの誠実さ確認要求には応じなかった唯一の人物。
- フレデリック・ミューレンバーグ アメリカ下院議員。ジェームズ・モンローからの相談を受け、西暦1,792年12月15日に投機の疑いの証拠を持参してアレクサンダー・ハミルトンを訪れた。西暦1,797年7月5日のハミルトンからの誠実さ確認要求には応じた。
- エイブラハム・ヴェナブル アメリカ下院議員。ジェームズ・モンローからの相談を受け、西暦1,792年12月15日に投機の疑いの証拠を持参してアレクサンダー・ハミルトンを訪れた。西暦1,797年7月5日のハミルトンからの誠実さ確認要求には応じた。
- トーマス・ジェファーソン 第3代アメリカ大統領。西暦1,792年12月15日にハミルトン宅で取られたコンセンサスにも関わらず、ジェームズ・モンローからレイノルズ書簡のコピーを送付された。
- ジョン・ジェイムズ・ベックリー 西暦1,792年12月15日にハミルトンが提出したレイノルズ書簡のコピーを作成した人物。
- エリザベス・スカイラー アレクサンダー・ハミルトンの妻。西暦1,791年7月から同年10月頃、子供達と共にスカイラーの両親の居るオールバニー(ニューヨーク州)に滞在しており、其の間にハミルトンの不倫が発生した。最終的にハミルトンを許した。
- ジェレマイア・ワズワース 大佐。西暦1,797年8月2日にアレクサンダー・ハミルトンに対し、西暦1,792年11月〜12月12日迄のジェームズ・レイノルズ拘留期間中のマリアの行動を記した書簡を送った。マリアはジェームズの釈放を手助けする為に、ワズワースとトマス・ミフリンに対しハミルトンとの最初の出会いや情事に関する事を話していた。
- トマス・ミフリン 初代ペンシルベニア州知事。西暦1,792年のジェームズ・レイノルズ拘留中、マリアからジェームズの釈放を手助けして欲しいとして、ハミルトンとの最初の出会いや情事に関する事を話された。
- ジェームズ・トムソン・カレンダー ジャーナリスト。西暦1,797年7月に「1796年のアメリカの歴史」を出版し、アレクサンダー・ハミルトンとジェームズ・レイノルズ夫妻の関係について述べ、ハミルトンの公的悪行を暴くと宣言した。レイノルズ夫妻がハミルトンに送付した書簡のコピーも添えられていた。
- ジョージ・I・イーカー 弁護士。第3代アメリカ大統領トーマス・ジェファーソンと第3代アメリカ副大統領アーロン・バーの熱烈な支持者で、共和党運動に精を出していた。西暦1,801年7月4日のコロンビア大学独立記念日に於けるスピーチでアレクサンダー・ハミルトンの君主制構想を批判した。同年11月22日にリチャード・プライスと、同年11月23日にフィリップ・ハミルトンとウィーホーケンで決闘を行い、フィリップに致命傷を負わせた。
- アーロン・バー 第3代アメリカ副大統領。事ある毎にアレクサンダー・ハミルトンを「黒いユダヤ人」と嘲笑していた。西暦1,804年7月11日にハミルトンに決闘を挑み、フィリップ・ハミルトンが決闘を行ったウィーホーケンの岩棚の上で夜明けに開始した。ハミルトンの下胸部を撃ち、弾丸は背骨に留まり、翌12日にハミルトンは死去した。
- フィリップ・ハミルトン アレクサンダー・ハミルトンの長男。西暦1,801年7月4日のジョージ・I・イーカーによるコロンビア大学スピーチを新聞で知り、イーカーへの復讐を決意。同年11月23日にウィーホーケンでイーカーと決闘し、アレクサンダーの助言通り銃を持ち上げなかったが、1分後にイーカーから発砲され右腰の上に命中・左腕に留まった。マンハッタンの叔母の家に運ばれ、ホサック博士の治療を受けたが出血が止まらず、同年11月24日早朝に銃弾を受けてから14時間後に死去した。
- リチャード・プライス 西暦1,801年11月22日にウィーホーケン(ニュージャージー州)にてジョージ・I・イーカーと決闘を行った人物。お互い2発ずつ銃弾を放ったが両者は無傷で決着は付かなかった。
- ホサック博士 西暦1,801年11月23日のフィリップ・ハミルトン決闘負傷後、マンハッタンの叔母の家でフィリップを治療した医師。出血が止まらず、フィリップは銃弾を受けてから14時間後に死去した。
- ロスチャイルド家 アレクサンダー・ハミルトンを通じてアメリカ金融支配に乗り出したユダヤ系金融資本。西暦1,804年7月12日のハミルトン死去は、用済み厄介者の始末が完了した出来事となった。
主要な概念・組織
- 第一合衆国銀行 アレクサンダー・ハミルトンが創設したアメリカ初の銀行。西暦1,791年12月12日にカーペンターズ・ホール(ペンシルベニア州フィラデルフィア)にて設立。本書では此の創設者がハニートラップと決闘で消されていく過程を扱う。
- ハニートラップ 西暦1,791年7月から始まったマリア・レイノルズによるアレクサンダー・ハミルトンへの罠。マリアが夫の虐待を訴えてハミルトンに金銭の援助を求めた所から不倫関係に発展し、其の後夫ジェームズ・レイノルズによる1,300ドル以上の口止め料要求へと繋がった。
- アメリカ財務省の職 マリア・レイノルズがジェームズ・レイノルズの為にアレクサンダー・ハミルトンに対し求めた職。ハミルトンは拒否した。後にジェームズ・レイノルズが偽造の罪で投獄された際、ハミルトンに財務長官としての違法行為の証拠を持っていると主張する材料となった。
- アメリカ独立戦争兵士の年金と未払い請求権 西暦1,792年11月にジェームズ・レイノルズとジェイコブ・クリングマンが不法に購入したという偽造の罪で投獄された権利。
- 1796年のアメリカの歴史 西暦1,797年7月にジャーナリストのジェームズ・トムソン・カレンダーが出版した著作。アレクサンダー・ハミルトンとジェームズ・レイノルズ夫妻に関する関係について述べ、ハミルトンの公的悪行を暴くと宣言。西暦1,792年12月15日にハミルトンがジェームズ・モンローに提出した、レイノルズ夫妻がハミルトンに送付した書簡のコピーも添えられていた。
- 特定の文書の観察 西暦1,797年8月25日にアレクサンダー・ハミルトンが出版した95頁の小冊子(レイノルズ・パンフレット)。マリア・レイノルズとの不倫を認めて謝罪し、ジェームズ・レイノルズへの金銭の支払いは公的なものでは無く不倫を巡る脅迫を受けての口止め料であると主張した。ハミルトンの率直さは賞賛されたが、一方で民主共和党からの嘲笑の的となった。公職は維持する事が出来た。
- 民主共和党 西暦1,797年8月25日のアレクサンダー・ハミルトンによる「特定の文書の観察」出版後、ハミルトンを嘲笑の的とした政党。
- コロンビア大学独立記念日スピーチ 西暦1,801年7月4日にジョージ・I・イーカーが行ったスピーチ。アレクサンダー・ハミルトンの君主制構想を批判した。長男フィリップ・ハミルトンが新聞で此のスピーチを知り、イーカーへの復讐を決意した。
- 「黒いユダヤ人」 第3代アメリカ副大統領アーロン・バーが事ある毎にアレクサンダー・ハミルトンを嘲笑する際に用いた表現。
- ウィーホーケン アメリカのニュージャージー州の場所。西暦1,801年11月22日のリチャード・プライスとジョージ・I・イーカーの決闘、同年11月23日のフィリップ・ハミルトンとイーカーの決闘、西暦1,804年7月11日のアレクサンダー・ハミルトンとアーロン・バーの決闘が行われた。バーとハミルトンの決闘は、フィリップが決闘を行った同じ岩棚の上で夜明けに開始された。
- ジャージー・シティの砂州 アメリカのニュージャージー州の場所。西暦1,801年11月にアレクサンダー・ハミルトン側とジョージ・I・イーカーの部下との休戦交渉が徒労に終わった後、ハミルトンとイーカーの決闘が行われる事が決まった場所。
- マリア・クレメント 西暦1,803年に単身イギリスからフィラデルフィアに戻ったマリア・レイノルズが活動を始めた際の名前。
マリア・レイノルズの夜の寝室から、レイノルズ・パンフレットでの不倫公表、長男フィリップの決闘死、そしてアーロン・バーとの決闘での死去迄──
用済み厄介者として始末された男の最後の13年間を年月日単位で追跡した一冊。
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