アメリカ独立戦争の黒幕
ハイム・サロモン一元化
制服も無く、多くが靴すら履いていない独立軍──
其の軍を戦い続けさせた金は、何処から来たのか。
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本書について
西暦1,772年、第1次ポーランド分割の影響で、ハイム・サロモンはポーランドからアメリカへ渡り、フィラデルフィアで仲買業を開業する。此の際、メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドがサロモンに、アメリカ独立戦争の為の軍資金として3,000,000ドルを預けた。此の軍資金は、アメリカの政治家の買収にも使われている。同年、サロモンはジョージ・ワシントンに会い、寄せ集めであった独立軍が、制服も無く、軍備も底をつき、多くが靴を履いていない有様を目の当たりにする。彼等は既に、イギリスに対して降伏する用意が出来ていた。本書は、此の一人の仲介者がアメリカへ着いた年から、西暦1,784年6月13日の北アメリカ銀行の増資への出資まで、12年に亘る資金調達と裏面工作の全過程を、年月日単位で一元化した記録である。
金の出所は、大西洋の向こうに在った。西暦1,776年頃、ヴィルヘルム9世の側室ローザ・ドロテア・リッターの子供の作文と音楽の教師として雇われていたカール・ビュデルスが、ヴィルヘルム9世からハーナウ宮殿の財務官に任命される。両替商を営んでいたメイヤー・アムシェル・ロスチャイルドは、此のビュデルスから気に入られ、ヴィルヘルム9世がイギリス政府から受け取る傭兵代金を割り引く業務を回して貰い、利益を得た。イギリスがアメリカへ送り込むヘッセン兵の代金である。其の利益からハイム・サロモンへの資金提供が行われ、第二次大陸会議やアメリカの政治家が買収された。ロスチャイルドは併せて、ヴィルヘルム9世の父であるヘッセン・カッセル方伯フリードリヒ2世にも食い込み、一族の秘密まで把握して商売に利用している。
西暦1,776年9月、ハイム・サロモンはニューヨークにてイギリスの将軍ジェームズ・ロバートソンにスパイ容疑で逮捕され、軍事刑務所であるプロボスト刑務所に送られ、18ヶ月間イギリスの監獄船で過ごす事となる。従来であれば死刑であったが、イギリス当局は恩赦する事とした。サロモンがドイツ語に堪能であった為である。ヘッセン軍司令官で将軍のレオポルド・フィリップ・フォン・ハイスターは、イギリスの将校がヘッセン兵と意思疎通する為の通訳、及び装備・食料の供給者としてサロモンを釈放した。だがサロモンは、其の通訳の場で500名のヘッセン兵にイギリス軍への支持を止める様説得し、更にイギリスの刑務所に居るアメリカ軍捕虜の脱出の手助けに多くの時間を費やしている。西暦1,777年7月6日には、ドイツにルーツを持つアメリカ植民地時代の名家フランクス家のユダヤ人仕立屋の娘レイチェル・フランクスと、ニューヨークのシナゴーグ「シアリス・イスラエル」で結婚した。司会はアブラハム・I・アブラハムズが務めている。同年12月からは、ニューヨークの新聞に自身の広告を掲載し始め、初期の広告では事業が船舶への食料供給である事を告知した。
西暦1,778年8月9日、ハイム・サロモンはニューヨーク港でイギリス船に火を付け、市内のイギリス軍倉庫を破壊する計画に加担した疑惑に関し、スパイ行為で再度逮捕され、死刑判決を受ける。然しレイチェル・フランクスや長男エゼキエル・サロモンと共に、イギリス占領下のニューヨークから逃亡し、ニュージャージー・ペンシルベニアを経由して2週間掛けてフィラデルフィアへ到着する事で死を免れた。前年12月から続けていたニューヨークの新聞への広告掲載は、此れに伴い終了となる。出稿回数は少なくとも22回に及び、此の年は「ブロードストリート、シティホールの近く、No.245、船の船長等が適正な条件で供給を受けられる」とし、白ワインと酢の販売実績を示したり、船内でのパンと米の販売を告知する広告を出していた。同年8月25日、サロモンはアメリカでの活動やニューヨークでの実業家としての活動を纏めた記録を、フィラデルフィアの第二次大陸会議へ提出する。一度目の逮捕でハイスターが釈放を実現させた事、ヘッセン軍への物資供給とアメリカ人・フランス人捕虜の世話の後に二度投獄され辛うじて命を取り留めた事、5,000〜6,000ポンドの財産を失い妻と生後1ヶ月の子供をニューヨークに残してきた事——記録は後に、大陸軍を監督する戦争委員会へ送られた。サロモンは別途、議会に財政援助を要請している。
西暦1,781年、ハイム・サロモンはジョージ・ワシントンの口座に約650,000ドルを振り込み、資金提供を行う。同年2月にはフィラデルフィアの新聞への広告出稿を開始した。最初の広告は「フランス、セント・ユースタティア・アンド・アムステルダムの為替手形を数枚、ブローカーのハイム・サロモンが販売する」であった。当初はオフィスが無かった為、毎日12時から14時迄フィラデルフィアのコーヒーハウスで顧客に会い、個人にも金利・手数料を安値で資金を融通し始める。後にジェームズ・マディソンも顧客となった。同年3月には広告に英文為替手形を追加し、ピュータープラッター通りに面したフロントストリートの、スティーブン・スウェルの隣のジェイコブ・マイヤーズの家に構えたオフィスの在勤時間も告知したが、コーヒーハウスでの面会は引き続き行っている。
西暦1,781年2月7日、第二次大陸会議がロバート・モリスを財務総監に任命する。モリスのバックにはロスチャイルド家が居り、其の役割はアメリカの財政を困窮させる事であった。仲介役を務めたのが、ハイム・サロモンである。背景には、第二次大陸会議による不換紙幣である政府紙幣の大量発行によるインフレが在った。モリスの主たる業務の1つは、アメリカが借款という形で受け取った外国為替手形を、借款の価値を下げずに、個人が直ぐに使えるお金へ変換する事であった。経常支出の穴は、各植民地への分担金の要請・後に設立する北アメリカ銀行からの借入・外国借款の要請で埋め、其れでも足りなければ「モリス・ノート」と呼ばれる後日正貨で返済を約束した手形を発行した。更に5%の輸入関税等の政府租税を掛け、元利支払いの滞っていた戦時債務を返済しようとしたが、後に失敗する。同年8月、アメリカの資金が枯渇した事を知ったサロモンは、ジョージ・ワシントンの要望により、自らの資産から20,000ドルを連合会議に貸し付けた。同月27日にはモリスと、ペンシルベニア紙幣の販売と為替手形の状況について会談している。そして10月19日、大陸軍・フランス軍連合軍が、イギリス軍将軍チャールズ・コーンウォリス率いる7,000名の部隊をヨークタウンで降伏させた。サロモンは、イギリス軍を包囲した大陸軍に対し、物資購入の為の資金調達に協力していた。
西暦1,782年、ロバート・モリスがフランス軍の会計係への借金返済の為の20,000ドルを必要とし、仲介者のハイム・サロモンと、融資を依頼するウィリアム・ビンガム、フィラデルフィアの商人ジョン・ロスを呼び寄せる。ビンガムは当初断ったが後に同意し、ロスは断った。同年、連合会議バージニア州代表ジェームズ・マディソンが、同じくバージニア州代表エドモンド・ランドルフに対し、自身が何度かサロモンをブローカーとして起用し、屡々手数料無料で取引を完了させていた事を手紙で知らせている。ランドルフも、そしてフリードリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シュトイベン・アーサー・セントクレア・トマス・ミフリンといった大陸軍の上級将軍も、同様にサロモンを起用した。同年4月1日、北アメリカ銀行がペンシルベニア植民地から銀行会社設立特許状を付与され、資本金400,000ドル(400ドル/株、正貨払込)で株式会社の正貨銀行として設立される。設立当初は連合会議への貸付業務を主とし、主な株主はロバート・モリス・ウィリアム・ビンガム・コネチカットの商人ジェレマイア・ワズワース、そしてハイム・サロモン(2株)であった。サロモンは設立後、政府紙幣や外国為替手形を売り捌いて得られた利益を同行に預けている。
西暦1,782年7月12日、ハイム・サロモンはロバート・モリスに財務官の公式ブローカーを名乗る許可を求め、同月20日のペンシルベニア・パケット紙に、財務官・フランス総領事・フランス軍財務官へのブローカーとして働いている事を示す広告が掲載された。同年8月1日、アメリカ政府は独立戦争に参加した兵士への未払い給与の一部の支払い期限を此の日に定めていたが、必要な140,000ドルに対し手元には39,000ドルしか無かった。以前販売した為替手形にも37,500ドルの赤字が有り、モリスはサロモンに更なる手形の販売を指示する。同年9月には、フランスのビジネスマンがモリスに兵士用のシャツを売ろうとした際、モリスはサロモンが既に同じシャツを買っていると考えて疑問を持ち、サロモンの説明により、最初の売り手が此のビジネスマンにシャツを売り、其れをモリスに売ろうとした事が判明した。西暦1,783年3月には、サロモンが手形を販売していたフィラデルフィアのフランス病院の院長が、サロモンに対する債務不履行及び手形の存在を否定した刑事事件で、其の財務代理人と共に有罪判決を受け、後に債務に弁護士費用を加えた3,500ポンドがサロモンへ支払われた。そして西暦1,784年6月13日、北アメリカ銀行が資本金を430,000ドル増資して830,000ドルとし、ハイム・サロモンが自身と自身の経営するオランダ企業の為に出資、他の数名の出資者も此れに続く。靴も履けぬ軍隊を戦い続けさせた金の流れが、独立後の銀行へと収まってゆく——本書は、其の全軌跡を一冊に束ねている。
登場人物
- ハイム・サロモン 本書の中心人物。西暦1,772年、第1次ポーランド分割の影響でポーランドからアメリカへ渡り、フィラデルフィアで仲買業を開業した。メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドからアメリカ独立戦争の為の軍資金として3,000,000ドルを預かる。西暦1,776年と西暦1,778年の二度に亘りイギリスに逮捕されるが、ドイツ語の堪能さを買われての通訳登用と、フィラデルフィアへの脱出により死を免れた。西暦1,781年にはジョージ・ワシントンの口座に約650,000ドルを振り込み、自らの資産から20,000ドルを連合会議に貸し付けている。財務総監ロバート・モリスの仲介役として為替手形を売買し、北アメリカ銀行の株主にもなった。
- メイヤー・アムシェル・ロスチャイルド ロスチャイルド家の祖。両替商を営んでいたが、カール・ビュデルスから気に入られ、ヴィルヘルム9世がイギリス政府から受け取る傭兵代金を割り引く業務を回して貰って利益を得た。其の利益からハイム・サロモンへ3,000,000ドルの軍資金を預け、第二次大陸会議やアメリカの政治家を買収した。ヴィルヘルム9世の父フリードリヒ2世にも食い込み、一族の秘密を把握して商売に利用している。財務総監ロバート・モリスのバックにも居た。
- ジョージ・ワシントン 独立軍の司令官。西暦1,772年にハイム・サロモンと会った当時、其の軍は寄せ集めで、制服も無く、軍備も底をつき、多くが靴を履いておらず、イギリスへ降伏する用意が出来ていた。西暦1,781年にはサロモンから口座へ約650,000ドルが振り込まれ、同年8月には自らの要望により、サロモンの資産から20,000ドルが連合会議へ貸し付けられた。
- ロバート・モリス アメリカの財務総監。西暦1,781年2月7日、第二次大陸会議より任命された。バックにはロスチャイルド家が居り、其の役割はアメリカの財政を困窮させる事であった。仲介役はハイム・サロモンが務めている。外国為替手形を個人が使える金へ変換する業務を担い、分担金・北アメリカ銀行からの借入・外国借款で経常支出を埋め、足りなければ「モリス・ノート」を発行した。5%の輸入関税等で戦時債務を返済しようとしたが、後に失敗する。北アメリカ銀行の主要株主でもあった。
- ジェームズ・ロバートソン イギリスの将軍。西暦1,776年9月、ニューヨークにてハイム・サロモンをスパイ容疑で逮捕し、軍事刑務所であるプロボスト刑務所へ送った。
- レオポルド・フィリップ・フォン・ハイスター ヘッセン軍司令官で将軍。西暦1,776年9月の逮捕後、ドイツ語が堪能であったハイム・サロモンを、イギリスの将校がヘッセン兵と意思疎通する為の通訳、及び装備・食料の供給者として釈放させた。サロモンは其の通訳の場で、500名のヘッセン兵にイギリス軍への支持を止める様説得している。
- レイチェル・フランクス ドイツにルーツを持つアメリカ植民地時代の名家フランクス家の、ユダヤ人仕立屋の娘。西暦1,777年7月6日、ニューヨークのシナゴーグ「シアリス・イスラエル」でハイム・サロモンと結婚した。西暦1,778年8月の二度目の逮捕の後、長男エゼキエル・サロモンと共にイギリス占領下のニューヨークから逃亡し、2週間掛けてフィラデルフィアへ到着している。
- エゼキエル・サロモン ハイム・サロモンとレイチェル・フランクスの長男。西暦1,778年8月の二度目の逮捕の後、両親と共にイギリス占領下のニューヨークから逃亡し、フィラデルフィアへ到着した。
- アブラハム・I・アブラハムズ 西暦1,777年7月6日、ニューヨークのシナゴーグ「シアリス・イスラエル」で行われたハイム・サロモンとレイチェル・フランクスの結婚式で、司会を務めた人物。
- ヴィルヘルム9世 ヘッセンの領主。側室ローザ・ドロテア・リッターの子供の教師であったカール・ビュデルスを、ハーナウ宮殿の財務官に任命した。イギリス政府から傭兵代金を受け取っており、其の割引業務がメイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの利益の源泉となった。
- カール・ビュデルス ヴィルヘルム9世の側室ローザ・ドロテア・リッターの子供の、作文と音楽の教師。西暦1,776年頃、ヴィルヘルム9世からハーナウ宮殿の財務官に任命された。両替商であったメイヤー・アムシェル・ロスチャイルドを気に入り、傭兵代金の割引業務を回して利益を得させた人物である。
- ローザ・ドロテア・リッター ヴィルヘルム9世の側室。其の子供の作文と音楽の教師として、カール・ビュデルスが雇われていた。
- ヘッセン・カッセル方伯フリードリヒ2世 ヴィルヘルム9世の父。メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが食い込み、一族の秘密まで把握して商売に利用した相手である。
- ジェームズ・マディソン 連合会議バージニア州代表。西暦1,781年2月以降、ハイム・サロモンの顧客となった。サロモンを何度かブローカーとして起用し、屡々手数料無料で取引を完了させており、西暦1,782年には其の事をエドモンド・ランドルフへ手紙で知らせている。
- エドモンド・ランドルフ 連合会議バージニア州代表。西暦1,782年にジェームズ・マディソンから手紙を受け取り、自身もハイム・サロモンをブローカーとして起用した。
- フリードリッヒ・ヴィルヘルム・フォン・シュトイベン 大陸軍の上級将軍。アーサー・セントクレア・トマス・ミフリンと共に、ハイム・サロモンをブローカーとして起用していた。
- アーサー・セントクレア 大陸軍の上級将軍。ハイム・サロモンをブローカーとして起用していた。
- トマス・ミフリン 大陸軍の上級将軍。ハイム・サロモンをブローカーとして起用していた。
- ウィリアム・ビンガム 西暦1,782年、ロバート・モリスがフランス軍の会計係への借金返済の為の20,000ドルを必要とした際、ハイム・サロモンを仲介者として融資を依頼された人物。当初は断ったが、後に同意した。北アメリカ銀行の主要株主の1人でもある。
- ジョン・ロス フィラデルフィアの商人。西暦1,782年、ロバート・モリスがフランス軍の会計係への借金返済の為の20,000ドルを必要とした際、ハイム・サロモンを仲介者として融資を依頼されたが、之を断った。
- ジェレマイア・ワズワース コネチカットの商人。西暦1,782年4月1日に設立された北アメリカ銀行の、主要株主の1人。
- チャールズ・コーンウォリス イギリス軍の将軍。西暦1,781年10月19日、率いていた7,000名の部隊が、ヨークタウンにて大陸軍・フランス軍連合軍に降伏した。ハイム・サロモンは、イギリス軍を包囲した大陸軍に対し、物資購入の為の資金調達に協力していた。
主要な概念・組織
- 第1次ポーランド分割 西暦1,772年に行われたポーランドの領土分割。此の影響により、ハイム・サロモンはポーランドからアメリカへ渡り、フィラデルフィアで仲買業を開業する事となった。
- 傭兵代金の割引業務 ヴィルヘルム9世がイギリス政府から受け取る、ヘッセン兵の代金を割り引く業務。ハーナウ宮殿の財務官カール・ビュデルスから此の業務を回されたメイヤー・アムシェル・ロスチャイルドは、其処で得た利益をハイム・サロモンへの資金提供に充て、第二次大陸会議やアメリカの政治家を買収した。
- 第二次大陸会議 アメリカ独立戦争中の代表者会議。メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドからハイム・サロモンを通じて買収された。不換紙幣である政府紙幣を大量に発行してインフレを招き、西暦1,778年8月25日にはサロモンの活動記録の提出を受け、西暦1,781年2月7日にはロバート・モリスを財務総監に任命している。
- プロボスト刑務所 ニューヨークの軍事刑務所。西暦1,776年9月にスパイ容疑で逮捕されたハイム・サロモンが送られた施設で、サロモンは此処を含め18ヶ月間をイギリスの監獄船で過ごした。
- シアリス・イスラエル ニューヨークのシナゴーグ。西暦1,777年7月6日、ハイム・サロモンとレイチェル・フランクスの結婚式が行われた場所である。司会はアブラハム・I・アブラハムズが務めた。
- 大陸軍 アメリカ独立戦争に於けるアメリカ側の軍隊。ジョージ・ワシントンが司令官を務めた。当初は寄せ集めで、制服も無く、軍備も底をつき、多くが靴を履いていなかった。西暦1,781年10月19日にはフランス軍と連合し、チャールズ・コーンウォリス率いる7,000名のイギリス軍をヨークタウンで降伏させている。監督機関である戦争委員会には、ハイム・サロモンの記録が送られた。
- ヨークタウンの戦い 西暦1,781年10月19日、大陸軍・フランス軍連合軍が、イギリス軍将軍チャールズ・コーンウォリス率いる7,000名の部隊を、ヨークタウン(現在のアメリカのバージニア州)で降伏させた戦い。ハイム・サロモンは、イギリス軍を包囲した大陸軍に対し、物資購入の為の資金調達に協力していた。
- モリス・ノート 財務総監ロバート・モリスが発行した、後日正貨で返済する事を約束した手形。第二次大陸会議による不換紙幣の大量発行でインフレが進む中、各植民地への分担金の要請・北アメリカ銀行からの借入・外国借款の要請でも埋められない経常支出の穴埋めに用いられた。
- 北アメリカ銀行 西暦1,782年4月1日、ペンシルベニア植民地から銀行会社設立特許状を付与され、資本金400,000ドル(400ドル/株、正貨払込)で株式会社の正貨銀行として設立された銀行。設立当初は連合会議への貸付業務を主とした。主な株主はロバート・モリス・ウィリアム・ビンガム・ジェレマイア・ワズワース・ハイム・サロモン(2株)。西暦1,784年6月13日には資本金を430,000ドル増資し、830,000ドルとした。
- 財務官の公式ブローカー ハイム・サロモンが西暦1,782年7月12日、ロバート・モリスに対し名乗る許可を求めた称号。同月20日のペンシルベニア・パケット紙には、サロモンが財務官・フランス総領事・フランス軍財務官へのブローカーとして働いている事を示す広告が掲載された。
- 為替手形 ハイム・サロモンが売買した金融商品。アメリカが借款という形で受け取った外国為替手形を、借款の価値を下げずに個人が直ぐ使える金へ変換する事が、財務総監ロバート・モリスの主たる業務の1つであった。西暦1,782年8月1日には、兵士への未払い給与140,000ドルに対し手元が39,000ドルしか無く、更に以前の販売で37,500ドルの赤字が有った為、モリスはサロモンに追加の手形販売を指示している。
- フィラデルフィアのコーヒーハウス 西暦1,781年2月に新聞広告を始めた当初、オフィスを持たなかったハイム・サロモンが、毎日12時から14時迄顧客と会った場所。同年3月にピュータープラッター通りに面したフロントストリートの、スティーブン・スウェルの隣のジェイコブ・マイヤーズの家へオフィスを構えた後も、此処での面会は続けられた。
- ニューヨークの新聞広告 ハイム・サロモンが西暦1,777年12月から西暦1,778年8月まで出稿した広告。出稿回数は少なくとも22回に及び、初期は事業が船舶への食料供給である事を告知し、後には「ブロードストリート、シティホールの近く、No.245、船の船長等が適正な条件で供給を受けられる」として、白ワインと酢の販売実績や、船内でのパンと米の販売を伝えた。二度目の逮捕とフィラデルフィアへの逃亡により終了する。
- フランス病院の刑事事件 ハイム・サロモンが手形を販売していたフィラデルフィアのフランス病院を巡る事件。院長がサロモンに対して債務不履行を起こし、手形の存在自体を否定した。西暦1,783年3月、院長と其の財務代理人に有罪判決が下され、後に債務に弁護士費用を加えた3,500ポンドがサロモンへ支払われた。
ロスチャイルドの軍資金から北アメリカ銀行まで──
ハイム・サロモンが担った独立戦争の資金調達の12年を一元化。
186円(税込)
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購入後、そのままPDFダウンロードページへ移動します
お支払いは決済サービス「Square」を通じて安全に処理されます。カード情報が当サイトに保存されることはありません。