里見甫一元化
日本海軍軍医里見乙三郎の子としての秋田県能代港町生誕、玄洋社第2代社長進藤喜平太の手配による修猷館中学への孫文訪問と東亜同文書院入学、青島新利洋行入社と相馬ウメ落籍、中山優の計らいによる京津日日新聞記者復帰、第一次奉直戦争取材での張作霖単独取材と本庄繁通訳、北京新聞創刊と板垣征四郎・石原莞爾との知己、済南事件での中国国民党調停と蒋介石会見、満洲国通信社初代主事就任と松本重治斡旋によるロイター通信社提携契約、土肥原賢二依頼による庸報社長就任と阪田組密輸アヘンによる蒋介石財源天津アヘン市場奪取、岸信介・古海忠之・森田久訪問と東條英機からの熱河産アヘン取扱量増大依頼及び上海移転、影佐禎昭・楠本実隆依頼参謀本部第8課ペルシャ産アヘン売買と20,000,000ドル利益、三井物産主導華中宏済善堂副董事長就任とペルシャ・トルコ産アヘン密輸入及び青幇経由販売、近衛文麿内閣興亜院設立とアヘン利益分配、昭和通商設立と上海里見機関設立及び杜月笙・笹川良一・児玉誉士夫・許斐氏利・阪田誠盛との地下人脈形成、塩沢清宣興亜院華北連絡部次長就任と立川陸軍飛行場経由東條英機現金資金提供、太平洋戦争開戦と二反長音蔵日本・満洲・朝鮮・内蒙古ケシ栽培への切替、第21回衆院選岸信介初当選への佐藤栄作経由2,000,000円資金提供、華中宏済善堂辞任と南満洲鉄道・中華航空顧問就任、上海から雁ノ巣飛行場帰国とGHQによる民間人最初のA級戦犯容疑者逮捕及び巣鴨拘置所収監、極東国際軍事裁判出廷とアヘン事業正当化及び満洲国アヘン政策と東條内閣資金流れ証言、家族との歓談中心臓麻痺死去と古海忠之葬儀委員長並びに頭山泉・頭山統一・進藤一馬署名遺児寄付金芳名帳迄──
玄洋社の縁による中国留学から、京津日日新聞・北京新聞・満洲国通信社・庸報・華中宏済善堂・里見機関と渡り歩き、関東軍特務工作資金調達の為のペルシャ・蒙古・満洲・海南島産アヘンの密輸・密売により上海アヘン王と呼ばれ、東條英機・岸信介・甘粕正彦・土肥原賢二・杜月笙との地下人脈を形成し、極東国際軍事裁判でアヘン事業を証言した里見甫の69年間の系譜を年月日単位で追跡した一冊。
JPY 400(税込)
購入する →購入後、そのままPDFダウンロードページへ移動します
お支払いは決済サービス「Square」を通じて安全に処理されます。カード情報が当サイトに保存されることはありません。
本書について
西暦1,896年1月22日、日本海軍軍医で加賀藩の上級家臣である平士であった里見乙三郎と里見スミの間に、里見甫が秋田県山本郡能代港町(現在の秋田県能代市元町付近)にて生誕した。西暦1,913年2月、第2代玄洋社社長進藤喜平太の手配により、里見が通っていた修猷館中学(現在の福岡県福岡市早良区西新)を孫文が訪問し、里見は孫の前で柔道を披露した。同年9月、進藤の計らいにより、福岡市からの留学生として、近衛篤麿が西暦1,901年に開校させた東亜同文書院(現在の中国上海市徐匯区虹橋路)に特待生として入学し、官費で中国語・政治経済を学び、中国進出の基盤を築いた。西暦1,916年5月、東亜同文書院の3年制課程を修了し、成績が下から2番目であった事からエリートコースから外れ、青島の日系貿易会社である新利洋行に入社した。第一次世界大戦の好景気を利用して空売りで儲け、後の妻となる相馬ウメを含む芸者を十数名落籍したが、新利洋行の倒産により数ヶ月で日本に帰国し、下谷万年町の掘っ立て小屋を借り、日雇い労働者として生活を始めた。
西暦1,919年8月、東亜同文書院の後輩で朝日新聞北京支局記者の中山優の計らいにより、橘樸が主筆を務める天津の邦字紙「京津日日新聞」の記者となり、再度中華民国へ渡った。西暦1,922年5月、第一次奉直戦争の取材の為、京津日日新聞編集長上田我郎と共に、軍糧城に総司令部を置いた奉天軍閥の頭目で東三省の独立を宣言した張作霖の下を訪れ、張の軍事顧問で陸軍中佐の本庄繁を通訳として単独取材を許された。西暦1,923年5月、上海と北京を結ぶ豪華列車「ブルー・エクスプレス」が押収され、アビー・アルドリッチ・ロックフェラーの姉ルーシー・トルーマン・アルドリッチを含む300名以上が人質に取られた臨城事件の取材中、車内で電通大阪支局長能島進と偶然会い、電通入りを勧誘されるが、京津日日新聞の北京版「北京新聞」が創刊される事となり実現しなかった。北京新聞の主幹兼編集長に就任し、外務省系の東亜同文会が北京で発行する順天時報にも寄稿、創造社の共同創設者郭沫若を通じて中国国民党との人脈を作り、陸軍歩兵中佐板垣征四郎と陸軍歩兵少佐石原莞爾とも知己を得た。西暦1,928年5月3日の済南事件では、日本陸軍参謀本部第2部部長建川美次・済南総領事館付武官原田熊吉・上海公使館付武官補佐官田中隆吉から中国国民党との調停を依頼され、2ヶ月に渡る秘密工作の末、協定文書の調印を取り付け、同年6月9日には蒋介石と会見を行った。同年8月、南満洲鉄道の南京事務所の嘱託に就任し、中国国民党政府に対し南満洲鉄道の機関車を売る等の業績を挙げた。
西暦1,931年10月、里見甫が関東軍司令部第4課の嘱託辞令を受けて奉天に移り、奉天特務機関長土肥原賢二大佐の指揮下で、甘粕正彦と共に諜報・宣伝・宣撫活動を担当した。司令部第4課課長松井太久郎の指示により、満洲に於けるナショナル・ニュース・エージェンシー設立工作に務め、陸軍省軍務局課長鈴木貞一の協力の下、新聞聯合社創設者岩永裕吉・新聞聯合社総支配人古野伊之助・電通創業者光永星郎と交渉を行った。西暦1,932年12月1日、満洲国通信社が設立され、里見は初代主事に就いた。西暦1,933年5月、松本重治に、ロイター通信社総支配人兼極東支配人のクリストファー・チャンセラーへの交渉の斡旋を依頼し、満洲国通信社がロイターのニュースを配信し、逆に満洲関連ニュースをロイターに提供するという通信提携契約が結ばれ、満洲国の独立を宣伝するツールとして機能した。西暦1,935年9月、関東軍参謀副長板垣征四郎・松井太久郎・土肥原賢二から、天津の華字紙「庸報」の経営と紙面改革、並びに阪田組の密輸するアヘンの密売による蒋介石の財源である天津のアヘン市場の奪取を依頼された。土肥原は「此れ迄関東軍が画策してきた謀略工作は、天津のアヘン市場を掌握して、巨額になって来た諜報工作資金に充てる為であった」と説明し、里見はこれを引き受け、同年12月には庸報の社長に就任した。
西暦1,937年3月1日、第2代満洲国通信社主事森田久が、岸信介と満洲国実業部主計処長古海忠之を連れて、関東軍の熱河産アヘンを天津で売り捌いていた里見甫を訪ね、岸は東條英機からの謝意を伝えた上で、熱河産アヘンの取扱量の増大と販路拡大、里見機関の上海移転を依頼した。同年9月、里見は天津から上海に移り、上海のアヘンの総元締めとなり、其の莫大な利益は関東軍の軍事機密費に使われ、関東軍・満洲国政府・甘粕正彦が其々800,000円/月程度を受け取った。同年11月、参謀本部第8課課長影佐禎昭に、陸軍特務部大佐楠本実隆を通じて特務資金調達の為のアヘン売買を依頼され、満洲から金塊数十個を上海に運び込み、ペルシャ産アヘンの輸入を始め、最終的に20,000,000ドルの利益を得た。西暦1,938年3月、里見甫と三井物産主導で「華中宏済善堂」を設立し、副董事長(事実上の社長)に就任。ペルシャ・トルコ産アヘンを三井物産にアヘンを密輸入させ、青幇を経由して末端のアヘン窟に流す体制が確立された。西暦1,938年12月16日、近衛文麿内閣が興亜院を設立し、アヘン取引による利益は興亜院が管理し、南京政府の財務省、華中宏済善堂に分配された。西暦1,939年4月20日、三井物産・三菱商事・大倉産業が各5,000,000円を共同出資し、表向きは陸軍の旧式となった武器を中近東等の第三国に輸出する商社である「昭和通商」が設立されたが、其の実態は諜報活動とアヘン取引を行う陸軍の特務機関であった。同年5月、里見甫が昭和通商・青幇・紅幇等と連携し、上海でのアヘン密売を取り仕切る「里見機関」を設立。青幇杜月笙・盛文頤、笹川良一、児玉誉士夫、児玉機関副機関長吉田裕彦、三井物産岩田幸雄、許斐機関特務機関長許斐氏利、阪田誠盛、大日本生産党幹部清水行之助との地下人脈が形成され、里見は東條英機・岸信介・古海忠之・佐藤栄作・椎名悦三郎・愛知揆一・長沼弘毅とも知己を得た。
西暦1,940年4月、東條英機の一番子分で里見甫の親友の塩沢清宣が、興亜院華北連絡部次長兼華北連絡部長官心得に就任し、日本陸軍機を使って、立川陸軍飛行場経由で東條に現金で資金提供していた。西暦1,941年12月8日、太平洋戦争が開戦し、里見機関はペルシャ・トルコ産アヘンの三井物産を通じた密輸入が出来なくなり、代わりに二反長音蔵が日本・満洲・朝鮮・内蒙古で栽培していたケシで代用する事となった。西暦1,942年4月30日の第21回衆院選で岸信介が初当選した際、岸は里見甫から、鉄道省から上海の華中鉄道に出向していた岸の弟の佐藤栄作経由で2,000,000円の資金提供を受けていた。西暦1,943年12月、里見甫は華中宏済善堂を辞し、南満洲鉄道と中華航空の顧問となった。西暦1,945年9月6日、里見は上海から中華航空の旅客機で雁ノ巣飛行場に着陸し、京都や東京に潜伏した。同年12月、里見甫は民間人最初のA級戦犯容疑者としてGHQに逮捕され、巣鴨拘置所に収監された。西暦1,946年9月、極東国際軍事裁判に出廷し、アヘン事業の正当化と自身の役割・アヘン流通の仕組み・満洲国のアヘン政策と影響・関連する被告や事件について証言し、アヘンの収益が東條内閣に流れ、東條は陸軍大臣として流通を指揮した事、アヘンの売上金が東京に送られた事を宣誓口述書に記載した。しかし岸信介には言及せず。本書は、此の69年に亘る、秋田県能代港町生誕を起点とする、玄洋社の縁による東亜同文書院入学、京津日日新聞・北京新聞での記者活動、満洲国通信社初代主事就任とロイター提携、庸報社長就任と天津アヘン市場奪取、華中宏済善堂副董事長と里見機関設立による上海アヘン王時代、東條英機・岸信介・甘粕正彦・杜月笙との地下人脈形成、極東国際軍事裁判でのアヘン事業証言を経て、西暦1,965年3月21日の家族との歓談中の心臓麻痺による死去と、古海忠之葬儀委員長並びに頭山泉・頭山統一・進藤一馬署名の遺児寄付金芳名帳作成迄、上海アヘン王里見甫の系譜の全過程を、年月日単位で記録した年表である。
登場人物
- 里見甫 日本海軍軍医里見乙三郎の子。西暦1,896年1月22日、秋田県山本郡能代港町にて生誕。玄洋社第2代社長進藤喜平太の手配で東亜同文書院に入学し中国語と政治経済を学んだ。京津日日新聞・北京新聞記者を経て、西暦1,932年に満洲国通信社初代主事に就任しロイター通信社と提携契約を締結。西暦1,935年に土肥原賢二の依頼で天津の華字紙「庸報」社長に就任しアヘン市場奪取に従事。西暦1,937年に上海に移り、影佐禎昭・楠本実隆の依頼でペルシャ産アヘン売買により20,000,000ドルの利益を得る。西暦1,938年に華中宏済善堂副董事長に就任、西暦1,939年に里見機関を設立し上海アヘン王と呼ばれた。西暦1,945年12月、民間人最初のA級戦犯容疑者としてGHQに逮捕され、極東国際軍事裁判で証言。西暦1,965年3月21日、家族との歓談中に心臓麻痺で死去。
- 相馬ウメ 大分県出身の元芸者。西暦1,916年、青島で新利洋行に勤務していた里見甫と知り合い落籍された。西暦1,933年9月に里見と正式に結婚した。
- 進藤喜平太 第2代玄洋社社長。西暦1,913年2月、里見甫が通っていた修猷館中学への孫文の訪問を手配。同年9月、福岡市からの留学生として里見の東亜同文書院入学の便宜を図った。
- 張作霖 奉天軍閥の頭目で、東三省(奉天省・吉林省・黒竜江省)の独立を宣言した。西暦1,922年5月、第一次奉直戦争の取材で訪れた里見甫の単独取材を許可した。通訳は軍事顧問の陸軍中佐本庄繁が務めた。
- 本庄繁 陸軍中佐で張作霖の軍事顧問。西暦1,922年5月の里見甫の張作霖単独取材で通訳を務めた。後に関東軍司令官として、佐々木健児の推薦を受けて里見を満洲国通信社主事として登用した。
- 板垣征四郎 陸軍歩兵中佐で日本陸軍参謀本部支那課所属。西暦1,923年頃、里見甫が郭沫若を通じて中国国民党との人脈を作る中で知己を得た。西暦1,935年9月、関東軍参謀副長として、里見に庸報の経営とアヘン市場奪取を依頼した。
- 石原莞爾 陸軍歩兵少佐。西暦1,923年頃、里見甫が北京新聞で活動する中で板垣征四郎と共に知己を得た。
- 蒋介石 中国国民党を率いる国民革命軍の指導者。西暦1,928年6月8日、北伐に成功し北京を占領。同月9日、里見甫と会見した。後に天津のアヘン市場が関東軍に奪取される対象となった。
- 土肥原賢二 陸軍大佐で奉天特務機関長。西暦1,931年10月以降、里見甫を関東軍司令部第4課の嘱託として指揮下に置き、甘粕正彦と共に諜報・宣伝・宣撫活動を担当させた。西暦1,935年4月、天津の反日華字紙「庸報」を秘密買収。同年9月、里見に庸報の経営・紙面改革と阪田組密輸アヘンによる蒋介石財源天津アヘン市場奪取を依頼した。
- 甘粕正彦 里見甫と共に関東軍司令部第4課で諜報・宣伝・宣撫活動を担当。西暦1,937年9月以降、満洲国政府とアヘン消費者の間に入り複数のダミー会社を通じてアヘン取引を行いマネーロンダリングを実施。陸軍士官学校時代に自身の教官であった東條英機に資金提供を行った。
- 東條英機 陸軍軍人で後の内閣総理大臣。関東憲兵隊司令官岩佐緑朗の役割を引き継ぎ、阪田組のアヘン輸送に関しては摘発・押収しない様に手配。西暦1,937年3月、岸信介を通じて里見甫に熱河産アヘンの取扱量の増大と販路拡大を依頼。塩沢清宣を通じて立川陸軍飛行場経由で現金資金提供を受けた。極東国際軍事裁判で里見はアヘンの収益が東條内閣に流れ、東條が陸軍大臣として流通を指揮した事を証言した。
- 岸信介 西暦1,937年3月1日、満洲国実業部主計処長古海忠之・第2代満洲国通信社主事森田久と共に里見甫を訪ね、東條英機からの謝意を伝え、熱河産アヘン取扱量増大と上海移転を依頼。西暦1,942年4月30日の第21回衆院選で初当選した際、弟の佐藤栄作経由で里見から2,000,000円の資金提供を受けた。
- 古海忠之 満洲国実業部主計処長。西暦1,937年3月1日、岸信介・森田久と共に里見甫を訪問。西暦1,965年3月21日の里見の死去に際し葬儀委員長を務めた。
- 楠本実隆 陸軍特務部大佐。西暦1,937年11月、参謀本部第8課課長影佐禎昭の意向を受け、里見甫に特務資金調達の為のアヘン売買を依頼し、ペルシャ産アヘンの輸入を開始させた。
- 影佐禎昭 参謀本部第8課(謀略課)課長。西暦1,937年11月、楠本実隆を通じて里見甫に特務資金調達の為のアヘン売買を依頼。最終的に里見はペルシャ産アヘンで20,000,000ドルの利益を得て、其の利益は特務部に支払われた。
- 杜月笙 中華民国の秘密結社青幇の頭目。西暦1,939年5月の里見機関設立に際し、里見甫の地下人脈の中核を成した。青幇は表向き蒋介石率いる国民党やOSSとも通じていた。
- 笹川良一 西暦1,939年5月の里見機関設立に際し、青幇杜月笙・盛文頤・児玉誉士夫等と共に里見甫の地下人脈を構成した。
- 児玉誉士夫 児玉機関の頭目。西暦1,939年5月の里見機関設立に際し、副機関長吉田裕彦と共に里見甫の地下人脈を構成した。
- 佐藤栄作 岸信介の弟。鉄道省から上海の華中鉄道に出向していた。西暦1,942年4月30日の第21回衆院選で兄岸信介が初当選した際、里見甫からの2,000,000円の資金提供を岸に届ける仲介役を務めた。
- 塩沢清宣 東條英機の一番子分で里見甫の親友。西暦1,940年4月、興亜院華北連絡部次長兼華北連絡部長官心得に就任。興亜院華北連絡部は上海にもアヘンを流していた為、塩沢は巨利を得て、日本陸軍機を使って立川陸軍飛行場経由で東條に現金で資金提供した。
- 汪兆銘 日本の傀儡であった中華民国南京政府の指導者。極東国際軍事裁判で里見甫は、汪が、アヘンの収益を政権樹立工作や財源に使用したと証言した。
- 二反長音蔵 西暦1,941年12月8日の太平洋戦争開戦により、里見機関がペルシャ・トルコ産アヘンの三井物産を通じた密輸入が出来なくなった為、代用として日本・満洲・朝鮮・内蒙古でケシを栽培した人物。
- 阪田誠盛 阪田組所属。里見機関と密接に連携し、満洲・蒙古産アヘンの上海への輸送ルートを構成。関東憲兵隊司令官岩佐緑朗、後に東條英機の手配により、摘発・押収を免れて輸送が行われた。
- 松本重治 新聞聯合社上海支局長。西暦1,932年、里見甫の満洲国通信社設立に際し組織の基盤作りに協力。西暦1,933年5月には、ロイター通信社総支配人兼極東支配人クリストファー・チャンセラーへの交渉斡旋を行い、満洲国通信社とロイターの通信提携契約締結に貢献した。
主要な概念・組織
- 玄洋社 日本の国家主義団体。第2代社長進藤喜平太の手配により、西暦1,913年2月に修猷館中学への孫文訪問を実現させ、同年9月には里見甫の東亜同文書院特待生入学を支援した。里見の中国進出の出発点となった。
- 東亜同文書院 中国上海市徐匯区虹橋路に在る学校。西暦1,901年に近衛篤麿が前身の南京同文書院を開校させた事に始まる。当初は各府県から派遣する特待生のみが入学出来、官費で学ぶ事が出来た。里見甫は西暦1,913年9月に特待生として入学し、西暦1,916年5月に3年制課程を修了。中国語・政治経済を学び中国進出の基盤を築いた。
- 京津日日新聞 天津の邦字紙。橘樸が主筆を務めた。西暦1,919年8月、東亜同文書院の後輩で朝日新聞北京支局記者の中山優の計らいで里見甫が記者として入社。西暦1,922年5月には編集長上田我郎と共に張作霖の単独取材を実現した。
- 北京新聞 西暦1,923年に創刊された京津日日新聞の北京版。里見甫が主幹兼編集長に就任。里見は1人で数百行の記事を毎日書く一方で、外務省系の東亜同文会が北京で発行する順天時報にも寄稿し国民革命軍の内情を伝えた。また郭沫若を通じて中国国民党との人脈を作り、板垣征四郎・石原莞爾とも知己を得た。
- 満洲国通信社 西暦1,932年12月1日に設立された満洲の統一情報網。新聞聯合社奉天支局長佐々木健児が関東軍司令官本庄繁に里見甫を主事として推薦し、里見が初代主事に就任。西暦1,933年5月、松本重治の斡旋によりロイター通信社総支配人クリストファー・チャンセラーとの通信提携契約を締結し、満洲国の独立を宣伝するツールとして機能、関東軍のプロパガンダを強化した。
- 庸報 天津の華字紙。発行人は黄顕光。西暦1,935年4月、土肥原賢二が反日色を一掃する為に秘密買収し、茂川機関の李志堂を社長に据えて関東軍の機関紙化。同年12月、関東軍の意向により里見甫が社長に就任。里見は紙面改革の裏で、阪田組の密輸するアヘンを密売し、蒋介石の財源である天津のアヘン市場の奪取を担当した。
- 華中宏済善堂 西暦1,938年3月、アヘン売買の為に里見甫と三井物産主導で設立された慈善団体を装ったアヘン販売拠点。里見は副董事長(事実上の社長)に就任。ペルシャ・トルコ産アヘンを三井物産経由で密輸入し、青幇を経由して末端のアヘン窟に流した。西暦1,943年12月、里見は華中宏済善堂を辞職した。
- 興亜院 西暦1,938年12月16日、近衛文麿内閣が対中国政策を一元的に統制指導する事を意図して設立した内閣直属機関。以降アヘン取引による利益は興亜院が管理し、南京政府の財務省・華中宏済善堂に分配された。華北のアヘン取引は、北京の興亜院連絡部が統制した。西暦1,940年4月、塩沢清宣が華北連絡部次長兼華北連絡部長官心得に就任した。
- 昭和通商 西暦1,939年4月20日、三井物産・三菱商事・大倉産業が各5,000,000円を共同出資し、資本金15,000,000円で設立された商社。表向きは陸軍の旧式となった武器を中近東等の第三国に輸出し、タングステン等の軍需物資を現地調達する名目であったが、其の実態は諜報活動とアヘン取引を行う陸軍の特務機関であった。製造したヘロインを持ち込み、タングステンとバーター取引も行った。
- 里見機関 西暦1,939年5月、里見甫が昭和通商・青幇・紅幇等と連携し、上海でのアヘン密売を取り仕切る為に設立した組織。ペルシャ・モンゴル産のアヘンの売買によって得た莫大な利益を関東軍の戦費に充て、一部は日本の傀儡であった中華民国の汪兆銘政権に資金を流した。また関東軍が極秘に生産していた満洲産アヘンや、日本軍が生産していた海南島産アヘンも取り扱った。当時のアヘンの価格は張家口20円/37g、天津40円/37g、上海80円/37g、シンガポール160円/37g。
- 青幇 中華民国の秘密結社。頭目は杜月笙、盛文頤等。西暦1,938年以降、華中宏済善堂が密輸入したペルシャ・トルコ産アヘンを末端のアヘン窟に流す役割を担った。青幇は表向き日本の敵であった蒋介石率いる国民党や、後にアメリカ統合参謀本部の部局として設立されるOSS(戦略情報局)とも通じていた。
- 三井物産 日本の総合商社。西暦1,938年3月、里見甫と共に華中宏済善堂を設立。ペルシャ産アヘンを密輸入し、35円/32gで軍に納入、里見機関が22~23円/gで華中宏済善堂に卸した。西暦1,939年1月赤城山丸ペルシャ産アヘン972箱、同年4月赤城山丸1,000箱、同年10月玉川丸1,000箱、西暦1,940年10月最上川丸500箱、同年12月加茂川丸500箱を中支阿片局へ輸入。
- ペルシャ産アヘン サスーン商会系によって上海に流入したアヘン。四川省産よりも品質が良かった。三井物産上海支店が仕入れ、調達資金は佐藤喜一郎が工面した。西暦1,937年11月以降、影佐禎昭・楠本実隆の依頼で里見甫が輸入を開始し、最終的に20,000,000ドルの利益を得た。西暦1,941年12月8日の太平洋戦争開戦により密輸入が出来なくなり、二反長音蔵が栽培した日本・満洲・朝鮮・内蒙古産ケシで代用された。
- 蒙古産アヘン 西暦1,939年12月から里見甫が販売を開始したアヘン。其の大部分は中華航空機で運ばれた。極東国際軍事裁判で里見は、此の売上の大部分が東京に送られ、東條内閣や国会議員への資金に充てられた事を証言した。
- 極東国際軍事裁判 西暦1,946年9月、里見甫が出廷した裁判。里見はアヘン事業の正当化と自身の役割・アヘン流通の仕組み・満洲国のアヘン政策と影響・関連する被告や事件について証言。アヘンの収益が東條内閣に流れ、東條は陸軍大臣として流通を指揮した事、アヘンの売上金が東京に送られた事を宣誓口述書に記載した。しかし岸信介には言及せず。アヘン問題は満洲事変・日中戦争と並ぶ追及対象となり、中華民国検察側が証拠を提出し、日本の戦争犯罪として裁かれた。
日本海軍軍医里見乙三郎の子としての秋田県能代港町生誕、玄洋社第2代社長進藤喜平太手配の修猷館中学への孫文訪問と東亜同文書院特待生入学、青島新利洋行入社と相馬ウメ落籍、中山優計らいの京津日日新聞記者復帰と橘樸主筆下の天津赴任、第一次奉直戦争取材での張作霖単独取材と本庄繁通訳、北京新聞主幹兼編集長就任と郭沫若経由の中国国民党人脈形成及び板垣征四郎・石原莞爾との知己、済南事件での建川美次・原田熊吉・田中隆吉依頼による中国国民党調停と蒋介石会見及び南満洲鉄道南京事務所嘱託就任、関東軍司令部第4課嘱託辞令と土肥原賢二指揮下の甘粕正彦との諜報・宣伝・宣撫活動及び松井太久郎指示によるナショナル・ニュース・エージェンシー設立工作、佐々木健児推薦と本庄繁指示による満洲国通信社初代主事就任及び松本重治斡旋によるクリストファー・チャンセラーとのロイター通信社提携契約、土肥原賢二による庸報秘密買収と里見社長就任及び阪田組密輸アヘンによる蒋介石財源天津アヘン市場奪取、岸信介・古海忠之・森田久訪問と東條英機謝意及び熱河産アヘン取扱量増大と販路拡大依頼並びに上海移転と里見機関拠点化、影佐禎昭・楠本実隆依頼参謀本部第8課ペルシャ産アヘン売買と20,000,000ドル利益、三井物産主導華中宏済善堂副董事長就任とペルシャ・トルコ産アヘン密輸入及び青幇経由販売、近衛文麿内閣興亜院設立とアヘン利益分配、三井物産赤城山丸・玉川丸・最上川丸・加茂川丸によるペルシャ産アヘン輸入、三井物産・三菱商事・大倉産業共同出資昭和通商設立と陸軍特務機関化、上海里見機関設立と昭和通商・青幇・紅幇連携及び杜月笙・盛文頤・笹川良一・児玉誉士夫・許斐氏利・阪田誠盛・清水行之助との地下人脈形成並びに東條英機・岸信介・古海忠之・椎名悦三郎・佐藤栄作・愛知揆一・長沼弘毅との知己、塩沢清宣興亜院華北連絡部次長就任と立川陸軍飛行場経由東條英機現金資金提供、太平洋戦争開戦と二反長音蔵日本・満洲・朝鮮・内蒙古ケシ栽培への切替、第21回衆院選岸信介初当選への佐藤栄作経由2,000,000円資金提供、華中宏済善堂辞任と南満洲鉄道・中華航空顧問就任、上海から雁ノ巣飛行場帰国とGHQによる民間人最初のA級戦犯容疑者逮捕及び巣鴨拘置所収監、極東国際軍事裁判出廷とアヘン事業正当化及び満洲国アヘン政策と東條内閣資金流れ証言、家族との歓談中心臓麻痺死去と古海忠之葬儀委員長並びに頭山泉・頭山統一・進藤一馬署名遺児寄付金芳名帳迄──
玄洋社の縁による中国留学から、京津日日新聞・北京新聞・満洲国通信社・庸報・華中宏済善堂・里見機関と渡り歩き、関東軍特務工作資金調達の為のペルシャ・蒙古・満洲・海南島産アヘンの密輸・密売により上海アヘン王と呼ばれ、東條英機・岸信介・甘粕正彦・土肥原賢二・杜月笙との地下人脈を形成し、極東国際軍事裁判でアヘン事業を証言した里見甫の69年間の系譜を年月日単位で追跡した一冊。
JPY 400(税込)
購入する →購入後、そのままPDFダウンロードページへ移動します
お支払いは決済サービス「Square」を通じて安全に処理されます。カード情報が当サイトに保存されることはありません。