電子書籍「ジョン・ロックフェラーの右腕 フレデリック・テイラー・ゲイツ一元化」の表紙

ジョン・ロックフェラーの右腕 フレデリック・テイラー・ゲイツ一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,867年〜1,929年1月頃
最新更新日
西暦2,025年11月27日

父グランビル・ゲイツのアメリカン・バプテスト・ホーム・ミッション・ソサエティ入会とカンザス州移住、ロチェスター大学・ロチェスター・バプテスト神学校卒業を経たフィフス・アベニュー・バプテスト教会牧師就任、ジョン・ロックフェラー資金提供によるABES(アメリカバプテスト教育協会)設立と初代事務局長就任、ジョン・ロックフェラーとの初対面とシカゴ大学への600,000ドル資金提供及びスタンダード・オイル本社内オフィス勤務、ブロードウェイのロックフェラーオフィスでのニューヨークでの慈善事業協力依頼受諾、資産管理委員会4名設立とクーン・ローブ商会・J.P.モルガン商会シンジケート誘導及びシニアビジネスアドバイザー指名、ロックフェラー医学研究所設立と設計及び理事長就任並びにサイモン・フレクスナー理事会参画、モリス・ケッチャム・ジェサップ自宅でのGEB(一般教育委員会)設立会談とジョン・ロックフェラー・ジュニア自宅での1,000,000ドル資金提供発表及び栄養療法・植物療法・ハーブ療法・ホリスティック医学排除と医薬品押し付けによる現代医学確立の真の狙い、アメリカ議会GEB認可・法人化、GEBへの10,000,000ドル及び32,000,000ドル資金提供とGEB理事会議長就任、鉤虫病撲滅意図のRSC(ロックフェラー衛生委員会)5年期限設立、長男フレデリック・ラモント・ゲイツのジョンズ・ホプキンス大学首席卒業及びロックフェラー医学研究所推薦入所、ニューヨークでのロックフェラー財団設立と総額約500,000,000ドル分配監督、CMB(中国医療委員会)設計、RSC解散と国際保健委員会業務移管、GEB理事会議長退任、ジョンズ・ホプキンス大学モデルのPUMC(北京協和医学院)設立とウィリアム・H・ウェルチ・胡適・ジョン・グラント・C・C・チェン・ウォルター・B・キャノン招聘及び麻黄からのエフェドリン精製、フォートライリーでのアメリカ兵に対する馬培養抗髄膜炎血清髄膜炎菌ワクチン3回接種とイギリス・フランス・ベルギー・イタリアへのNIH配布、ロックフェラー財団理事会メンバー退任、CMBへの265,000,000ドル資金提供要請とCMB反発によるゲイツ爪弾き及びCMB辞職、CMBのロックフェラー財団切り離しと独立財団化、ロックフェラー財団理事として神の審判を受ける旨の発言迄──
学校教師からバプテスト派牧師を経て、ジョン・ロックフェラーのシニアビジネスアドバイザー就任とロックフェラー医学研究所・GEB・ロックフェラー財団・CMB設立を主導し、現代医学確立と中国医療掌握を進めたフレデリック・テイラー・ゲイツの62年間の系譜を年月日単位で追跡した一冊。

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本書について

西暦1,867年、アメリカのニューヨーク州ブルーム郡在住で、学校教師でありながら医学を学び、其の後バプテスト派の牧師として叙任されたフレデリック・テイラー・ゲイツの父グランビル・ゲイツが、アメリカン・バプテスト・ホーム・ミッション・ソサエティに入会した。此れによりフレデリックは、家族と共にアメリカのカンザス州に移住し、ニューメキシコ・ハイランズ大学(アメリカのニューメキシコ州)の予備校に通い始めた。西暦1,868年頃、フレデリック・テイラー・ゲイツが学校教師となり、其の後5年間、農家に馬鍬を販売したり、村の乾物店や銀行の事務職として働く等、様々な仕事をした。西暦1,873年、ゲイツがロチェスター大学(アメリカのニューヨーク州)の古典課程に上級編入したが、其の後カンザス州に戻り2年間独学した。西暦1,875年、ロチェスター大学に復学し、卒業後ロチェスター・バプテスト神学校に入学した。西暦1,880年、ロチェスター・バプテスト神学校を卒業し、フィフス・アベニュー・バプテスト教会(アメリカのミネソタ州ミネアポリス)の牧師となった。西暦1,884年、フィフス・アベニュー・バプテスト教会が「セントラル・バプテスト教会」に改称し、別の建物に移転した。本書は、此のニューヨーク州ブルーム郡からの出発を起点とする、ジョン・ロックフェラーとの邂逅から、ロックフェラー医学研究所・GEB・ロックフェラー財団・CMB設立を経て、神の審判に就いての発言に至る、62年間に亘る系譜を、一本の時系列に貫き、一元化した一冊である。

西暦1,888年、フレデリック・テイラー・ゲイツが、セントラル・バプテスト教会の牧師職を退任し、其の後ミネソタ州のバプテスト系学校「オワトナ・アカデミー」を支援するキャンペーンの資金調達者となった。同年、バプテストのジョン・ロックフェラーの資金提供により「ABES(アメリカバプテスト教育協会)」が設立され、ゲイツも此の設立に関与し、初代ABES事務局長に就任した。其の後ゲイツは、①ラシーン(アメリカのウィスコンシン州)、②モーガン・パーク(アメリカのイリノイ州)、を転々とし、更なる資金調達を行ない、此の活動が、同年ロックフェラーの目に留まった。西暦1,889年1月21日、フレデリック・テイラー・ゲイツが、ジョン・ロックフェラーと初めて顔を合わせた。ゲイツはアメリカ中西部に大規模なバプテスト系大学を設立しようとし、其の一環としてロックフェラーに働き掛けた事で実現した。バプテスト教育を行うシカゴ大学設立の為の資金計画等が話し合われ、結果、後にゲイツの提案により、ロックフェラーがシカゴ大学に600,000ドルの資金提供を行ない、又、ABESもシカゴ大学設立を支援した。其の後ゲイツは、スタンダード・オイル本社内に新設されたオフィスに勤務し、スタンダード・オイル・トラストを除くロックフェラーの企業への一連の投資を監督した。西暦1,891年3月26日、ブロードウェイ(アメリカのニューヨーク州ニューヨーク市ロウアー・マンハッタン)のロックフェラーのオフィスにて、ジョン・ロックフェラーとフレデリック・テイラー・ゲイツがシカゴ大学に就いて協議した。ロックフェラーの此の年の寄付金は500,000ドルを超え、翌年には1,500,000ドルに達する予定であった。ロックフェラーは「ゲイツさん、私は困っています。寄付の要請の圧力が耐えられない程大きくなっています」と切り出し、ニューヨークでの慈善事業協力を依頼し、ゲイツは此れを引き受けた。ロックフェラーは本年から翌年に掛けて体調を崩した。

西暦1,892年、ジョン・ロックフェラーが、拡大し続ける投資と不動産保有に関し、専門家の助言の必要性を感じ「資産管理委員会」を、①ジョン・ロックフェラー、②ジョンの長男ジョン・ロックフェラー・ジュニア(後に参加)、③フレデリック・テイラー・ゲイツ(ジョンによりシニアビジネスアドバイザーに指名された)、④専門家、の4名で設立した。ゲイツはジョン・ロックフェラーの資金を主にクーン・ローブ商会やJ.P.モルガン商会の投資会社が組成したシンジケートに誘導した。西暦1,897年、ジョン・ロックフェラーの慈善顧問に就任していたフレデリック・テイラー・ゲイツが、アメリカ国内に医療研究施設が不足している事に着目し、アメリカに医療研究機関を設立する計画を立案した。西暦1,901年6月13日、ジョン・ロックフェラーが「ロックフェラー医学研究所」を設立した。研究所の設計はゲイツが行い、設立と同時に理事長に就任し、理事会にはアメリカの病理学者・細菌学者であるサイモン・フレクスナー、ゲイツが名を連ねた。西暦1,902年1月15日、第30代ニューヨーク商工会議所会長モリス・ケッチャム・ジェサップの自宅にて、①ジョン・ロックフェラー・ジュニア、②南部教育委員会会長ロバート・カーティス・オグデン、③ハンプトン大学理事ジョージ・フォスター・ピーボディ、④ジャベツ・ラマー・モンロー・キュリー、⑤ロングアイランド鉄道社長兼タスキーギ大学理事ウィリアム・ヘンリー・ボールドウィン・ジュニア、⑥バプテスト派牧師ウォレス・バトリック、が集まり「GEB(一般教育委員会)」設立の為の会談が持たれた。同年2月27日、ジョン・ロックフェラー・ジュニアの自宅に主要メンバー及びダニエル・コイト・ギルマン・アルバート・ショー・ウォルター・ハインズ・ページ・エドワード・モース・シェパード等が集まり、会談終了間際にジョン・ロックフェラーの1,000,000ドルの資金提供が発表され、人種・性別・信条の区別なく全米で教育を促進する事を名目に、GEBが設立された。此の設立に於いて重要な役割を担ったゲイツは、理事に就任した。しかしGEB設立の真の狙いは、アメリカの大学の医学部で自然医学の研究を止めさせ、①栄養療法、②植物療法、③ハーブ療法、④ホリスティック医学、を排除し、病気や障害の症状を抑えるが根本的な治療にはならない医薬品を押し付け、現代医学を確立する事であった。

西暦1,903年1月12日、GEBがアメリカ議会に認可され、法人化された。西暦1,905年6月30日、ジョン・ロックフェラーがGEBに10,000,000ドルの資金提供を行ない、西暦1,907年には更に32,000,000ドルの資金提供を行ない、同年フレデリック・テイラー・ゲイツがGEBの理事会の議長に就任した。西暦1,909年10月26日、ジョン・ロックフェラーとゲイツ(議長)等により、鉤虫病撲滅を意図した「RSC(ロックフェラー衛生委員会)」が5年間の期限付きで設立された。西暦1,912年、ゲイツが医学研究や教育の分野に傾倒し始め、ジョン・ロックフェラーの経営顧問を退任したが、其の後も、多数のロックフェラー系企業の役員を務め、ジョン及びジョン・ロックフェラー・ジュニアへの経営に関するアドバイスを行っていた。西暦1,913年、ゲイツの長男フレデリック・ラモント・ゲイツがジョンズ・ホプキンス大学を首席で卒業し、ロックフェラー医学研究所の研究員に推薦で入所した。同年5月14日、ゲイツの働き掛けにより、ジョン・ロックフェラーがニューヨークにて「ロックフェラー財団」を設立した。此れにより、ロックフェラーが特定の受益者に小額の資金を分配する遣り方から、十分な資金を持つ専門家が運営する財団によって、どの改革分野が適切かを判断する大規模なプロセスへと移行した。ゲイツは、ロックフェラー財団の理事会メンバーとして、総額約500,000,000ドルの分配を監督し、医療の近代化、特に教育改革・治療法の発見の為の研究支援・鉤虫症の様な国家の生産性を低下させる衰弱性疾患の体系的な根絶によって、最も大きな影響を与えることが出来るとして、ロックフェラーに対し、健康関連の取り組みに重点を置く事を奨励した。西暦1,914年11月、ロックフェラー財団が「CMB(中国医療委員会)」を設立し、ゲイツが設計した。ゲイツは無闇に中国人を改宗させるのではなく、飽く迄医療に重きを置き、又「医療宣教師達は、中国は伝統の束縛が強く、キリスト教に関する無知と誤った感情を持っている」と訴え、予防医学に重点を置きつつも、病人や瀕死の患者に対して改宗を促した。しかし、ゲイツは改宗者を殆ど獲得出来ず、西洋医学を広める機会を逃していた。同年12月31日、RSCが解散し、残務はロックフェラー財団によって設立された国際保健委員会に引き継がれた。

西暦1,917年、フレデリック・テイラー・ゲイツがGEBの理事会の議長を退任した。同年9月、ロックフェラー財団の資金提供により「PUMC(北京協和医学院)」が設立され、ゲイツもPUMCの設立に取り組み、医療宣教師の再教育を計画した。PUMCは、ジョンズ・ホプキンス大学をモデルに設立され、①ウィリアム・H・ウェルチ、②北京大学教授胡適、③農村の裸足医師の先駆者であるジョン・グラント、④C・C・チェン、⑤ハーバード大学医学部教授ウォルター・B・キャノン、等を招聘した。PUMCは、伝統的な中国の薬草である麻黄からエフェドリンを精製したり、主要な熱帯病のメカニズムを解明したりした。西暦1,918年1月21日、ロックフェラー医学研究所主導で馬で培養された抗髄膜炎血清を含む髄膜炎菌ワクチンの接種が、フォートライリーのアメリカ兵に対して開始された。フレデリック・テイラー・ゲイツとフレデリック・ラモント・ゲイツの2名が関与しており、アメリカ軍の志願兵に対し、8〜10日の間隔を空けて3回の接種を行い、各回の接種者数は1回目4,792名、2回目4,257名、3回目3,702名であった。NIHは、第一次世界大戦中に此の抗髄膜炎血清を、①イギリス、②フランス、③ベルギー、④イタリア、に配布した。西暦1,923年、ゲイツがロックフェラー財団の理事会メンバーを退任した。西暦1,924年、ゲイツが、中国の医療を世界最高水準に引き上げ、中国の医療から中国の伝統的な宗教の影響を排除する事等を意図し、ロックフェラー財団の理事会に対しCMBへの265,000,000ドルの資金提供を要請したが、CMBが此れに反発し、ゲイツは爪弾きにされ、最終的にゲイツはCMBを辞職する事となった。西暦1,928年、CMBがロックフェラー財団から切り離され、独立財団となった。西暦1,929年1月頃、フレデリック・テイラー・ゲイツがロックフェラー財団の理事会で「貴方が死んで、全能の神の審判を受ける時、神は貴方に何を求めると思いますか?神は唯一つ尋ねるでしょう。『ロックフェラー財団の理事として、貴方は何をしましたか?』と」と発言した。本書は、此の62年に亘る、ニューヨーク州ブルーム郡からの出発、ロチェスター・バプテスト神学校卒業とバプテスト派牧師就任、ABES設立と初代事務局長就任、ジョン・ロックフェラーとの初対面とシカゴ大学600,000ドル資金提供及びスタンダード・オイル本社内オフィス勤務、資産管理委員会設立とクーン・ローブ商会・J.P.モルガン商会シンジケート誘導、ロックフェラー医学研究所設立、栄養療法・植物療法・ハーブ療法・ホリスティック医学排除による現代医学確立を真の狙いとしたGEB設立、RSC設立、ロックフェラー財団設立と500,000,000ドル分配監督、CMB・PUMC設計と中国医療掌握試行、フォートライリーでの抗髄膜炎血清髄膜炎菌ワクチン接種、CMBへの265,000,000ドル資金提供要請とCMB辞職、ロックフェラー財団理事会での神の審判発言迄、ジョン・ロックフェラーの右腕として現代医学を確立したフレデリック・テイラー・ゲイツの系譜の全過程を、年月日単位で記録した年表である。


登場人物

  • フレデリック・テイラー・ゲイツ ジョン・ロックフェラーの右腕。西暦1,880年にロチェスター・バプテスト神学校を卒業しフィフス・アベニュー・バプテスト教会(後のセントラル・バプテスト教会)の牧師となり、西暦1,888年にABES設立に関与して初代事務局長に就任。西暦1,889年1月21日にジョン・ロックフェラーと初対面し、シカゴ大学への600,000ドル資金提供を実現させ、スタンダード・オイル本社内オフィスでスタンダード・オイル・トラストを除くロックフェラーの企業への一連の投資を監督した。西暦1,891年3月26日のロックフェラーオフィスでの慈善事業協力依頼を受諾し、西暦1,892年の資産管理委員会設立時にはジョン・ロックフェラーによってシニアビジネスアドバイザーに指名され、ロックフェラーの資金を主にクーン・ローブ商会やJ.P.モルガン商会の投資会社が組成したシンジケートに誘導した。西暦1,901年6月13日のロックフェラー医学研究所設立を設計し理事長に就任、西暦1,902年2月27日のGEB設立、西暦1,909年10月26日のRSC設立(議長)、西暦1,913年5月14日のロックフェラー財団設立、西暦1,914年11月のCMB設立、西暦1,917年9月のPUMC設立に主導的に関与。西暦1,918年1月21日のフォートライリーでの髄膜炎菌ワクチン接種に長男フレデリック・ラモント・ゲイツと共に関与した。西暦1,924年のCMBへの265,000,000ドル資金提供要請でCMBに反発され辞職。西暦1,929年1月頃、ロックフェラー財団の理事会で神の審判に就いての発言を残した。
  • グランビル・ゲイツ フレデリック・テイラー・ゲイツの父。アメリカのニューヨーク州ブルーム郡在住で、学校教師でありながら医学を学び、其の後バプテスト派の牧師として叙任された。西暦1,867年、アメリカン・バプテスト・ホーム・ミッション・ソサエティに入会し、家族と共にアメリカのカンザス州に移住した。
  • ジョン・ロックフェラー バプテストであり、スタンダード・オイルの所有者。西暦1,888年、ABES設立に資金提供。西暦1,889年1月21日にフレデリック・テイラー・ゲイツと初対面し、ゲイツの提案によりシカゴ大学に600,000ドルの資金提供を行なった。西暦1,891年3月26日、ブロードウェイのロックフェラーオフィスにて寄付要請の圧力に堪えかねゲイツにニューヨークでの慈善事業協力を依頼。西暦1,892年に資産管理委員会を4名で設立し、ゲイツをシニアビジネスアドバイザーに指名。西暦1,901年6月13日にロックフェラー医学研究所、西暦1,902年2月27日にGEB、西暦1,909年10月26日にRSC、西暦1,913年5月14日にロックフェラー財団を設立。GEBに西暦1,905年6月30日に10,000,000ドル、西暦1,907年に32,000,000ドルを資金提供した。
  • ジョン・ロックフェラー・ジュニア ジョン・ロックフェラーの長男。西暦1,892年の資産管理委員会に後に参加。西暦1,902年1月15日のモリス・ケッチャム・ジェサップ自宅でのGEB設立会談に参加し、同年2月27日には自宅でGEB設立の会談を主催した。フレデリック・テイラー・ゲイツから経営に関するアドバイスを受けた。
  • フレデリック・ラモント・ゲイツ フレデリック・テイラー・ゲイツの長男。西暦1,913年、ジョンズ・ホプキンス大学を首席で卒業し、ロックフェラー医学研究所の研究員に推薦で入所。西暦1,918年1月21日、ロックフェラー医学研究所主導の馬で培養された抗髄膜炎血清を含む髄膜炎菌ワクチンのフォートライリーのアメリカ兵に対する接種に、父フレデリック・テイラー・ゲイツと共に関与した。
  • サイモン・フレクスナー アメリカの病理学者・細菌学者。西暦1,901年6月13日に設立されたロックフェラー医学研究所の理事会に、フレデリック・テイラー・ゲイツと共に名を連ねた。
  • モリス・ケッチャム・ジェサップ 第30代ニューヨーク商工会議所会長。西暦1,902年1月15日、其の自宅にてジョン・ロックフェラー・ジュニア・ロバート・カーティス・オグデン・ジョージ・フォスター・ピーボディ・ジャベツ・ラマー・モンロー・キュリー・ウィリアム・ヘンリー・ボールドウィン・ジュニア・ウォレス・バトリックが集まり、GEB設立の為の会談が持たれた。
  • ロバート・カーティス・オグデン 南部教育委員会会長。西暦1,902年1月15日のモリス・ケッチャム・ジェサップ自宅でのGEB設立会談、同年2月27日のジョン・ロックフェラー・ジュニア自宅での会談に参加した。
  • ジョージ・フォスター・ピーボディ ハンプトン大学(アメリカのバージニア州)理事。西暦1,902年1月15日のモリス・ケッチャム・ジェサップ自宅でのGEB設立会談、同年2月27日のジョン・ロックフェラー・ジュニア自宅での会談に参加した。
  • ジャベツ・ラマー・モンロー・キュリー 西暦1,902年1月15日のモリス・ケッチャム・ジェサップ自宅でのGEB設立会談、同年2月27日のジョン・ロックフェラー・ジュニア自宅での会談に参加した。
  • ウィリアム・ヘンリー・ボールドウィン・ジュニア ロングアイランド鉄道社長兼タスキーギ大学(アメリカのアラバマ州)理事。西暦1,902年1月15日のモリス・ケッチャム・ジェサップ自宅でのGEB設立会談、同年2月27日のジョン・ロックフェラー・ジュニア自宅での会談に参加した。
  • ウォレス・バトリック バプテスト派牧師。西暦1,902年1月15日のモリス・ケッチャム・ジェサップ自宅でのGEB設立会談、同年2月27日のジョン・ロックフェラー・ジュニア自宅での会談に参加した。
  • ダニエル・コイト・ギルマン アメリカ国家公務員改革連盟会長兼アメリカ東洋協会会長。西暦1,902年2月27日のジョン・ロックフェラー・ジュニア自宅での会談に参加し、GEB設立に関与した。
  • アルバート・ショー イギリスの月刊誌レビュー・オブ・レビューズのアメリカ版編集長。西暦1,902年2月27日のジョン・ロックフェラー・ジュニア自宅での会談に参加し、GEB設立に関与した。
  • ウォルター・ハインズ・ページ ニューヨークの出版社ダブルデイ及びペイジ&カンパニーのパートナー兼副社長。西暦1,902年2月27日のジョン・ロックフェラー・ジュニア自宅での会談に参加し、GEB設立に関与した。
  • エドワード・モース・シェパード ニューヨークの民主党政治家。西暦1,902年2月27日のジョン・ロックフェラー・ジュニア自宅での会談に参加し、GEB設立に関与した。
  • ウィリアム・H・ウェルチ 西暦1,917年9月にロックフェラー財団の資金提供により設立されたPUMC(北京協和医学院)に招聘された学者の1人。PUMCはジョンズ・ホプキンス大学をモデルに設立された。
  • 胡適 北京大学教授。西暦1,917年9月にロックフェラー財団の資金提供により設立されたPUMC(北京協和医学院)に招聘された学者の1人。
  • ジョン・グラント 農村の裸足医師の先駆者。西暦1,917年9月にロックフェラー財団の資金提供により設立されたPUMC(北京協和医学院)に招聘された学者の1人。
  • C・C・チェン 西暦1,917年9月にロックフェラー財団の資金提供により設立されたPUMC(北京協和医学院)に招聘された学者の1人。
  • ウォルター・B・キャノン ハーバード大学医学部教授。西暦1,917年9月にロックフェラー財団の資金提供により設立されたPUMC(北京協和医学院)に招聘された学者の1人。

主要な概念・組織

  • アメリカン・バプテスト・ホーム・ミッション・ソサエティ バプテスト派の組織。西暦1,867年、フレデリック・テイラー・ゲイツの父グランビル・ゲイツが入会し、此れによりフレデリックは家族と共にアメリカのカンザス州に移住した。
  • フィフス・アベニュー・バプテスト教会 アメリカのミネソタ州ミネアポリスの教会。西暦1,880年、ロチェスター・バプテスト神学校を卒業したフレデリック・テイラー・ゲイツが牧師となった。西暦1,884年、「セントラル・バプテスト教会」に改称し、別の建物に移転した。
  • ABES(アメリカバプテスト教育協会) 西暦1,888年、バプテストのジョン・ロックフェラーの資金提供により設立された協会。フレデリック・テイラー・ゲイツも設立に関与し、初代事務局長に就任した。ゲイツは其の後ラシーン(アメリカのウィスコンシン州)・モーガン・パーク(アメリカのイリノイ州)を転々とし更なる資金調達を行ない、此の活動が同年ロックフェラーの目に留まった。西暦1,889年1月21日のジョン・ロックフェラーとフレデリック・テイラー・ゲイツの初対面後、シカゴ大学設立を支援した。
  • シカゴ大学 西暦1,889年1月21日のジョン・ロックフェラーとフレデリック・テイラー・ゲイツの初対面で資金計画等が話し合われ、ゲイツの提案によりロックフェラーが600,000ドルの資金提供を行なったバプテスト教育を行う大学。ABESも設立を支援した。西暦1,891年3月26日のブロードウェイのロックフェラーオフィスでの2名の協議の議題にもなった。
  • スタンダード・オイル本社内オフィス 西暦1,889年1月21日のジョン・ロックフェラーとフレデリック・テイラー・ゲイツの初対面後、ゲイツが勤務する事となったオフィス。スタンダード・オイル・トラストを除くロックフェラーの企業への一連の投資を監督した。
  • 資産管理委員会 西暦1,892年、ジョン・ロックフェラーが拡大し続ける投資と不動産保有に関し、専門家の助言の必要性を感じ設立した委員会。①ジョン・ロックフェラー、②ジョンの長男ジョン・ロックフェラー・ジュニア(後に参加)、③フレデリック・テイラー・ゲイツ(ジョンによりシニアビジネスアドバイザーに指名)、④専門家、の4名で構成。ゲイツはジョン・ロックフェラーの資金を主にクーン・ローブ商会やJ.P.モルガン商会の投資会社が組成したシンジケートに誘導した。
  • ロックフェラー医学研究所 西暦1,901年6月13日、ジョン・ロックフェラーが設立した医学研究所。フレデリック・テイラー・ゲイツが設計し、設立と同時に理事長に就任した。理事会にはアメリカの病理学者・細菌学者であるサイモン・フレクスナー、ゲイツが名を連ねた。西暦1,913年にゲイツの長男フレデリック・ラモント・ゲイツが研究員に推薦で入所した。西暦1,918年1月21日、馬で培養された抗髄膜炎血清を含む髄膜炎菌ワクチンの接種を、フォートライリーのアメリカ兵に対し主導した。
  • GEB(一般教育委員会) 西暦1,902年2月27日、ジョン・ロックフェラー・ジュニアの自宅での会談終了間際にジョン・ロックフェラーの1,000,000ドルの資金提供が発表され、人種・性別・信条の区別なく全米で教育を促進する事を名目に設立された組織。フレデリック・テイラー・ゲイツは設立に於いて重要な役割を担い、理事に就任、西暦1,907年には理事会の議長に就任、西暦1,917年に退任した。西暦1,903年1月12日にアメリカ議会に認可され法人化、ジョン・ロックフェラーから西暦1,905年6月30日に10,000,000ドル、西暦1,907年に32,000,000ドルの資金提供を受けた。但しGEB設立の真の狙いは、アメリカの大学の医学部で自然医学の研究を止めさせ、①栄養療法、②植物療法、③ハーブ療法、④ホリスティック医学、を排除し、病気や障害の症状を抑えるが根本的な治療にはならない医薬品を押し付け、現代医学を確立する事であった。
  • RSC(ロックフェラー衛生委員会) 西暦1,909年10月26日、ジョン・ロックフェラーとフレデリック・テイラー・ゲイツ(議長)等により、鉤虫病撲滅を意図して5年間の期限付きで設立された委員会。西暦1,914年12月31日に解散し、残務はロックフェラー財団によって設立された国際保健委員会に引き継がれた。
  • ロックフェラー財団 西暦1,913年5月14日、フレデリック・テイラー・ゲイツの働き掛けにより、ジョン・ロックフェラーがニューヨークにて設立した財団。此れにより、ロックフェラーが特定の受益者に小額の資金を分配する遣り方から、十分な資金を持つ専門家が運営する財団によって、どの改革分野が適切かを判断する大規模なプロセスへと移行した。ゲイツは理事会メンバーとして総額約500,000,000ドルの分配を監督し、ロックフェラーに健康関連の取り組みに重点を置く事を奨励した。西暦1,914年11月にCMBを設立、同年12月31日にRSC残務を引き継ぐ国際保健委員会を設立、西暦1,917年9月にPUMCを設立。ゲイツは西暦1,923年に理事会メンバーを退任した。
  • CMB(中国医療委員会) 西暦1,914年11月、ロックフェラー財団が設立した委員会。フレデリック・テイラー・ゲイツが設計した。ゲイツは無闇に中国人を改宗させるのではなく、飽く迄医療に重きを置きつつも、病人や瀕死の患者に対して改宗を促した。しかしゲイツは改宗者を殆ど獲得出来ず、西洋医学を広める機会を逃していた。西暦1,924年、ゲイツが中国の医療を世界最高水準に引き上げ、中国の医療から中国の伝統的な宗教の影響を排除する事等を意図し、ロックフェラー財団の理事会に対しCMBへの265,000,000ドルの資金提供を要請したが、CMBが此れに反発し、ゲイツは爪弾きにされ、最終的にCMBを辞職した。西暦1,928年、CMBがロックフェラー財団から切り離され、独立財団となった。
  • PUMC(北京協和医学院) 西暦1,917年9月、ロックフェラー財団の資金提供により設立された医学院。フレデリック・テイラー・ゲイツもPUMCの設立に取り組み、医療宣教師の再教育を計画した。ジョンズ・ホプキンス大学をモデルに設立され、①ウィリアム・H・ウェルチ、②北京大学教授胡適、③農村の裸足医師の先駆者であるジョン・グラント、④C・C・チェン、⑤ハーバード大学医学部教授ウォルター・B・キャノン、等を招聘した。伝統的な中国の薬草である麻黄からエフェドリンを精製したり、主要な熱帯病のメカニズムを解明したりした。
  • 髄膜炎菌ワクチン 西暦1,918年1月21日、ロックフェラー医学研究所主導で馬で培養された抗髄膜炎血清を含むワクチンの接種が、フォートライリーのアメリカ兵に対して開始された。フレデリック・テイラー・ゲイツとフレデリック・ラモント・ゲイツの2名が関与。アメリカ軍の志願兵に対し、8〜10日の間隔を空けて3回の接種が行われ、各回の接種者数は1回目4,792名、2回目4,257名、3回目3,702名であった。NIHは、第一次世界大戦中に此の抗髄膜炎血清を、①イギリス、②フランス、③ベルギー、④イタリア、に配布した。
  • 自然医学排除 西暦1,902年2月27日に設立されたGEBの真の狙い。アメリカの大学の医学部で自然医学の研究を止めさせ、①栄養療法、②植物療法、③ハーブ療法、④ホリスティック医学、を排除し、病気や障害の症状を抑えるが根本的な治療にはならない医薬品を押し付け、現代医学を確立する事を内容とした。
  • 神の審判発言 西暦1,929年1月頃、フレデリック・テイラー・ゲイツがロックフェラー財団の理事会で行なった発言。「貴方が死んで、全能の神の審判を受ける時、神は貴方に何を求めると思いますか?神は唯一つ尋ねるでしょう。『ロックフェラー財団の理事として、貴方は何をしましたか?』と」と述べた。

父グランビル・ゲイツのアメリカン・バプテスト・ホーム・ミッション・ソサエティ入会とカンザス州移住、ロチェスター大学・ロチェスター・バプテスト神学校卒業、フィフス・アベニュー・バプテスト教会(後のセントラル・バプテスト教会)牧師就任、ジョン・ロックフェラー資金提供によるABES(アメリカバプテスト教育協会)設立と初代事務局長就任、ジョン・ロックフェラーとの初対面とシカゴ大学への600,000ドル資金提供及びスタンダード・オイル本社内オフィス勤務、ブロードウェイのロックフェラーオフィスでのニューヨークでの慈善事業協力依頼受諾、資産管理委員会設立とクーン・ローブ商会・J.P.モルガン商会シンジケート誘導及びシニアビジネスアドバイザー指名、ロックフェラー医学研究所設立と理事長就任及びサイモン・フレクスナー理事会参画、モリス・ケッチャム・ジェサップ自宅でのGEB(一般教育委員会)設立会談とジョン・ロックフェラー・ジュニア自宅での1,000,000ドル資金提供発表及び栄養療法・植物療法・ハーブ療法・ホリスティック医学排除と医薬品押し付けによる現代医学確立の真の狙い、アメリカ議会GEB認可・法人化、GEBへの10,000,000ドル及び32,000,000ドル資金提供とGEB理事会議長就任、鉤虫病撲滅意図のRSC(ロックフェラー衛生委員会)5年期限設立、長男フレデリック・ラモント・ゲイツのジョンズ・ホプキンス大学首席卒業及びロックフェラー医学研究所推薦入所、ニューヨークでのロックフェラー財団設立と総額約500,000,000ドル分配監督、CMB(中国医療委員会)設計、RSC解散と国際保健委員会業務移管、ジョンズ・ホプキンス大学モデルのPUMC(北京協和医学院)設立とウィリアム・H・ウェルチ・胡適・ジョン・グラント・C・C・チェン・ウォルター・B・キャノン招聘及び麻黄からのエフェドリン精製、フォートライリーでのアメリカ兵に対する馬培養抗髄膜炎血清髄膜炎菌ワクチン3回接種とイギリス・フランス・ベルギー・イタリアへのNIH配布、CMBへの265,000,000ドル資金提供要請とCMB反発によるゲイツ爪弾き及びCMB辞職、CMBのロックフェラー財団切り離しと独立財団化、ロックフェラー財団理事会での神の審判発言迄──
学校教師からバプテスト派牧師を経て、ジョン・ロックフェラーのシニアビジネスアドバイザー就任とロックフェラー医学研究所・GEB・ロックフェラー財団・CMB設立を主導し、現代医学確立と中国医療掌握を進めたフレデリック・テイラー・ゲイツの62年間の系譜を年月日単位で追跡した一冊。

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石田晋一

歴史データベース「一元化」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
YouTubeとニコニコでも情報を発信中。