アレクサンダー・ハミルトンに
第一合衆国銀行を設立させ、
アメリカの金融支配に乗り出した
ロスチャイルド家一元化
セント・クロイ島、フィラデルフィア、カーペンターズ・ホール──
ロスチャイルド家がハミルトンを通じてアメリカの金融支配に乗り出した31年間を年月日単位で追跡した一冊。
JPY 200(税込)
購入する →購入後、そのままPDFダウンロードページへ移動します
お支払いは決済サービス「Square」を通じて安全に処理されます。カード情報が当サイトに保存されることはありません。
本書について
西暦1,780年、アレクサンダー・ハミルトンは連邦準備銀行の設立を提唱した。連邦準備銀行は私企業によって所有され、資本金は12,000,000ドルで、内10,000,000ドルはイギリスから、残り2,000,000ドルはアメリカの資産家から提供されるとした。同年12月14日、ハミルトンはユダヤ系のアレクサンダー・レヴィンという旧姓を使い、セント・クロイ島(アメリカ領ヴァージン諸島)にてロスチャイルド家のエリザベス・スカイラー・ハミルトンと結婚した。本書は、此の結婚から、第一合衆国銀行の設立、そして西暦1,811年1月24日の認可失効と更新否決を受けたネイサン・メイヤー・ロスチャイルドによる対米戦争命令迄、ロスチャイルド家がハミルトンを通じてアメリカの金融支配に乗り出した31年間の全過程を、一本の時系列に貫き、一元化した一冊である。
西暦1,789年9月21日、アメリカ議会はアレクサンダー・ハミルトンに対し、公信用維持の為の政策提案を行う事を要請した。翌西暦1,790年1月9日、ハミルトンは「公信用に関する報告書」をアメリカ議会に提出した。内容は、第二次大陸会議・連合会議・アメリカ各州政府がアメリカ独立戦争時に累積させた79,000,000ドルの国内外に対する戦時債務をアメリカ政府が継承するというものであった。外債は元利共に遅滞無く償還し、内債は戦時公債を最初に購入した者と後から公債を買い取った者を差別せず、其の償還の為にアメリカ政府租税(輸入関税5%と蒸留酒消費税)収入を元利金支払基金として、全額を額面通り新連邦政府債に借り換える、利息を6%から4%に引き下げるとした。更にハミルトンは、租税余剰収入若しくは内外から借り入れた資金によって公債を市場で購入する減債基金制度の導入を提案し、公債公用論を展開した。
西暦1,790年6月、トーマス・ジェファーソンとアレクサンダー・ハミルトンがジョージ・ワシントンのニューヨークの自宅で鉢合わせし、後日食事会を開く事が決定された。ジェファーソンはハミルトンのライバルであるジェームズ・マディソンも誘い夕食会が開かれた。マディソンは首都をポトマック川河畔(アメリカのワシントンD.C.)にしようとし、対するハミルトンはニューヨーク州の借金をアメリカ政府に肩代わりさせようとしていた。此の夕食会が切っ掛けで、ワシントンD.C.がアメリカの首都となり、アメリカ政府がニューヨーク州の借金を肩代わりする事となった。同年8月12日、アメリカ議会は「公債借換法」を制定し、同年1月9日にハミルトンが提出した公信用に関する報告書の内容が実現した。
西暦1,790年11月13日、アレクサンダー・ハミルトンは資本金は10,000,000ドルで「第一合衆国銀行」を設立する事を提案する「国立銀行に関する報告書」をアメリカ国務省に示した。株式額面400ドルの払い込みについて1/4を正貨・3/4を新連邦政府債で行い、アメリカ政府は資本金の20%を所有し監督権を持つが、政府への貸付・民間への手形割引・兌換銀行券の発券・預金等の運営に於いては頭取を含む25名の取締役が行うとした。ハミルトンは、イングランド銀行に似た中央集権的な機関を設立し、アメリカ独立戦争に於ける巨額の負債を処理し、標準通貨を発行する事を目指していた。同年12月13日にはハミルトンが「蒸留酒に関する報告書」を、同年12月14日には前月アメリカ国務省に示した国立銀行に関する報告書をアメリカ議会に提出した。
西暦1,791年1月28日、アレクサンダー・ハミルトンは「鋳造所設立に関する報告書」をアメリカ議会に提出し、複本位制の採用、貨幣単位をドルとし10進法で扱う事、1ドル金貨約1.60g・1ドル銀貨約24.06gの自由鋳造制度を提案した。同年2月15日、トーマス・ジェファーソンは「国立銀行の合憲性に関する意見」をアメリカ議会に提出し、国立銀行を法人とする事を批判した。初代アメリカ司法長官エドムンド・ランドルフとアメリカ下院議員ジェームズ・マディソンも同調しアメリカの中央銀行設立に反対した。中央銀行設立に関し決めかねていたジョージ・ワシントンは、ハミルトンに助言を求めた。同年2月23日、ハミルトンは約15,000語に及ぶ意見書「国立銀行の合憲性に関する意見」を一晩で書き上げ、ジェファーソンとランドルフの意見に反論した。
西暦1,791年2月25日、ジョージ・ワシントンの署名により、アメリカ議会に於いて「合衆国銀行特許法」が成立し、アレクサンダー・ハミルトン・マクシミリアン・ロベスピエール・メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの3名の思惑通り、アメリカ初の銀行である第一合衆国銀行が、此の日から西暦1,811年1月24日迄の公認期間20年間で承認された。此れによりロスチャイルドは、アメリカ国家の資金管理を手中に収めた。同行は、連邦税の支払いを受け付ける唯一の銀行であり、納税は同行が発行する紙幣で行う必要が有った。同年3月3日にはアメリカ議会が「蒸留酒税法」を制定し、同年12月5日にはハミルトンが「製造業に関する報告書」をアメリカ議会に提出した。
西暦1,791年12月12日、第一合衆国銀行がアメリカ政府の財政代理機関として、20年の特許期限の下に、カーペンターズ・ホール(アメリカのペンシルベニア州フィラデルフィア)にて設立された。資本金は10,000,000ドルで、内2,000,000ドルがアメリカ政府の出資で、残り8,000,000ドルは民間出資であった。又、35,000,000ドルの融資を受けたが、内28,000,000ドルはロスチャイルド家が支配するヨーロッパの銀行家からのものであった。初代第一合衆国銀行頭取には初代北アメリカ銀行頭取トーマス・ウィリングが就いた。同行は税金の徴収・送金・政府資金の安全確保・政府への融資・個人向け預金受け入れ・融資・アメリカ政府の請求書の支払い・ヨーロッパの投資家への利息の支払い等の業務を担い、融資の金利上限は6%であった。西暦1,792年にはボルチモア・ボストン・ニューヨーク・チャールストンの支店が開業し、当時第一合衆国銀行は支店の設置を許可されたアメリカ国内で唯一の銀行であった。同年4月2日には「第一貨幣法」が成立し、ドルを貨幣単位としたアメリカ固有の貨幣制度が確立された。
西暦1,797年7月24日、第一合衆国銀行本店がニューヨーク市に移転した。西暦1,811年1月24日、第一合衆国銀行の認可が失効した。しかし、アメリカ議会にて、憲法違反の恐れやアメリカ国外の影響下に在ると考える議員の懸念から、更新が僅か1票差で否決された。トーマス・ジェファーソンとアンドリュー・ジャクソンは中央銀行に強く反対し、通貨供給は民間や外国の利益では無くアメリカ議会を通じてアメリカ国民が決定すべきだと主張していた。此れを受けてネイサン・メイヤー・ロスチャイルドは激怒し「第一合衆国銀行の特許状更新の申請が認められなければ、アメリカは最も悲惨な戦争に巻き込まれる事になるだろう。此の生意気なアメリカ人に教訓を与えよ。彼らを植民地の地位に戻せ」と、アメリカに対する戦争を命じた。又、スティーブン・ジラードが、同行の土地・建物・株式の大部分を買い取り「ジラード銀行」を設立した。本書は、此の31年に亘るロスチャイルド家によるアメリカ金融支配の全過程を、年月日単位で記録した年表である。
登場人物
- アレクサンダー・ハミルトン ロスチャイルド家がアメリカの金融支配に乗り出す為に活用した人物。西暦1,780年に連邦準備銀行の設立を提唱。同年12月14日、ユダヤ系のアレクサンダー・レヴィンという旧姓を使い、セント・クロイ島にてロスチャイルド家のエリザベス・スカイラー・ハミルトンと結婚。西暦1,790年に「公信用に関する報告書」「国立銀行に関する報告書」「蒸留酒に関する報告書」、西暦1,791年に「鋳造所設立に関する報告書」「製造業に関する報告書」をアメリカ議会等に提出。西暦1,791年2月23日に約15,000語に及ぶ「国立銀行の合憲性に関する意見」を一晩で書き上げ、ジェファーソンとランドルフに反論した。
- エリザベス・スカイラー・ハミルトン ロスチャイルド家の人物。西暦1,780年12月14日、セント・クロイ島(アメリカ領ヴァージン諸島)にて、ユダヤ系のアレクサンダー・レヴィンという旧姓を使ったアレクサンダー・ハミルトンと結婚した。
- メイヤー・アムシェル・ロスチャイルド ロスチャイルド家の祖。西暦1,791年2月25日の合衆国銀行特許法成立により、アレクサンダー・ハミルトン・マクシミリアン・ロベスピエールと共に思惑通り第一合衆国銀行を設立し、アメリカ国家の資金管理を手中に収めた。
- ネイサン・メイヤー・ロスチャイルド メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの息子。西暦1,811年1月24日の第一合衆国銀行認可失効・更新否決を受けて激怒し「第一合衆国銀行の特許状更新の申請が認められなければ、アメリカは最も悲惨な戦争に巻き込まれる事になるだろう。此の生意気なアメリカ人に教訓を与えよ。彼らを植民地の地位に戻せ」と、アメリカに対する戦争を命じた。
- ジョージ・ワシントン 初代アメリカ大統領。西暦1,790年1月8日にアメリカ下院に対し、ハミルトンに製造業の保護と奨励の為の政策の策定を要請する様求めた。同年6月、自身のニューヨークの自宅でジェファーソンとハミルトンが鉢合わせし、後日マディソンを交えての夕食会(ワシントンD.C.首都化とニューヨーク州借金肩代わりの取引)が開かれた。中央銀行設立に関し決めかねていた為、西暦1,791年2月にハミルトンに助言を求め、同年2月25日に合衆国銀行特許法に署名した。
- トーマス・ジェファーソン アメリカの政治家。西暦1,790年6月のジョージ・ワシントン自宅での鉢合わせを切っ掛けに、マディソンを誘い夕食会を開催。西暦1,791年2月15日に「国立銀行の合憲性に関する意見」をアメリカ議会に提出し、国立銀行を法人とする事を批判。マディソンと共に反対派を率い、金融システムの管理が民間銀行から中央集権的な国立銀行に移行する事で健全な通貨制度を危険に晒すと主張。西暦1,811年の第一合衆国銀行認可失効時にも中央銀行に強く反対し、通貨供給はアメリカ議会を通じてアメリカ国民が決定すべきだと主張した。
- ジェームズ・マディソン アメリカ下院議員。アレクサンダー・ハミルトンのライバル。西暦1,790年6月の夕食会では首都をポトマック川河畔にしようとした。西暦1,791年2月15日のジェファーソンによる「国立銀行の合憲性に関する意見」に同調し、アメリカの中央銀行設立に反対した。中央銀行が南部の農業の利益で無く、毛皮貿易で財を成したジョン・ジェイコブ・アスターの様な、北部の商人や実業家の事業利益を優先すると主張した。
- エドムンド・ランドルフ 初代アメリカ司法長官。西暦1,791年2月15日のトーマス・ジェファーソンによる「国立銀行の合憲性に関する意見」に同調し、アメリカの中央銀行設立に反対した。
- マクシミリアン・ロベスピエール フランスの政治家。西暦1,791年2月25日の合衆国銀行特許法成立により、アレクサンダー・ハミルトン・メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドと共に思惑通り第一合衆国銀行設立を実現させた人物。
- トーマス・ウィリング 初代北アメリカ銀行頭取。西暦1,791年12月12日の第一合衆国銀行設立時に、初代第一合衆国銀行頭取に就任した。
- ジョン・ジェイコブ・アスター 毛皮貿易で財を成した北部の商人。西暦1,791年2月15日のジェファーソンとマディソンによる中央銀行設立反対の主張に於いて、中央銀行が南部の農業の利益で無く此の様な北部の商人や実業家の事業利益を優先する事への懸念の例として挙げられた。
- アンドリュー・ジャクソン アメリカの政治家。西暦1,811年の第一合衆国銀行認可失効時、トーマス・ジェファーソンと共に中央銀行に強く反対し、通貨供給は民間や外国の利益では無くアメリカ議会を通じてアメリカ国民が決定すべきだと主張していた。
- スティーブン・ジラード 西暦1,811年1月24日の第一合衆国銀行認可失効後、同行の土地・建物・株式の大部分を買い取り「ジラード銀行」を設立した人物。
主要な概念・組織
- 連邦準備銀行構想 西暦1,780年にアレクサンダー・ハミルトンが提唱した銀行構想。私企業によって所有され、資本金は12,000,000ドルで、内10,000,000ドルはイギリスから、残り2,000,000ドルはアメリカの資産家から提供されるとした。
- 公信用に関する報告書 西暦1,790年1月9日にアレクサンダー・ハミルトンがアメリカ議会に提出した報告書。第二次大陸会議・連合会議・アメリカ各州政府がアメリカ独立戦争時に累積させた79,000,000ドルの国内外に対する戦時債務をアメリカ政府が継承するというもの。減債基金制度の導入と公債公用論も提案した。同年8月12日の公債借換法によって内容が実現した。
- 公債借換法 西暦1,790年8月12日にアメリカ議会が制定した法律。同年1月9日にアレクサンダー・ハミルトンが提出した公信用に関する報告書の内容を実現させた。現行関税・とん税収入のうち600,000ドルの通常経費支出を除き、残額は全て公債利息支払いに充て、外債返済の為に12,000,000ドルまでの外国借款を行う等を定めた。
- 国立銀行に関する報告書 西暦1,790年11月13日にアレクサンダー・ハミルトンが資本金10,000,000ドルで第一合衆国銀行を設立する事を提案する報告書としてアメリカ国務省に示し、同年12月14日にアメリカ議会に提出した報告書。イングランド銀行に似た中央集権的な機関の設立を目指した。
- 蒸留酒に関する報告書 西暦1,790年12月13日にアレクサンダー・ハミルトンがアメリカ議会に提出した報告書。外国産および国産蒸留酒に対する消費税の新設を提案した。公債の累積はアメリカ政府の財政支出を増加させる為、多額の財政収入を必要とする事が背景としてあった。西暦1,791年3月3日の蒸留酒税法によって受け入れられた。
- 鋳造所設立に関する報告書 西暦1,791年1月28日にアレクサンダー・ハミルトンがアメリカ議会に提出した報告書。複本位制の採用、貨幣単位をドルとし10進法で扱う事、1ドル金貨約1.60g・1ドル銀貨約24.06gの自由鋳造制度の採用を提案した。西暦1,792年4月2日の第一貨幣法によって受け入れられた。
- 国立銀行の合憲性に関する意見(ジェファーソン) 西暦1,791年2月15日にトーマス・ジェファーソンがアメリカ議会に提出した、前年のハミルトンによる国立銀行に関する報告書に対する意見書。国立銀行を法人とする事への批判であり、死手法・権原譲渡に関する法・物的財産法定相続・財産の没収に関する法・人的財産相続分配に関する法・独占を禁じる法等への抵触を指摘した。
- 国立銀行の合憲性に関する意見(ハミルトン) 西暦1,791年2月23日にアレクサンダー・ハミルトンがジョージ・ワシントンの求めに応じて一晩で書き上げた、約15,000語に及ぶ意見書。ジェファーソンとエドムンド・ランドルフの意見に反論した。
- 合衆国銀行特許法 西暦1,791年2月25日にジョージ・ワシントンの署名によりアメリカ議会で成立した法律。アレクサンダー・ハミルトン・マクシミリアン・ロベスピエール・メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドの3名の思惑通り、アメリカ初の銀行である第一合衆国銀行が、此の日から西暦1,811年1月24日迄の公認期間20年間で承認された。
- 第一合衆国銀行 西暦1,791年12月12日にアメリカ政府の財政代理機関として、20年の特許期限の下に、カーペンターズ・ホール(ペンシルベニア州フィラデルフィア)にて設立されたアメリカ初の銀行。資本金は10,000,000ドル(政府2,000,000ドル・民間8,000,000ドル)。35,000,000ドルの融資を受け、内28,000,000ドルはロスチャイルド家が支配するヨーロッパの銀行家からのものであった。連邦税の支払いを受け付ける唯一の銀行で、納税は同行発行の紙幣で行う必要が有った。融資の金利上限は6%。西暦1,797年7月24日に本店をニューヨーク市に移転。西暦1,811年1月24日に認可失効。
- カーペンターズ・ホール アメリカのペンシルベニア州フィラデルフィアにある建物。西暦1,791年12月12日に第一合衆国銀行が設立された場所。
- 蒸留酒税法 西暦1,791年3月3日にアメリカ議会が制定した法律。アレクサンダー・ハミルトンが前年12月13日に提出した蒸留酒に関する報告書が受け入れられた形となった。
- 製造業に関する報告書 西暦1,791年12月5日にアレクサンダー・ハミルトンがアメリカ議会に提出した報告書。真の独立国と成る為の、製造業の発展と保護政策の重要性を説いた内容であった。
- 第一貨幣法 西暦1,792年4月2日にアメリカ議会が成立させた法律。アレクサンダー・ハミルトンが前年1月28日にアメリカ議会に提出した鋳造所設立に関する報告書が受け入れられ、ドルを貨幣単位とした、アメリカ固有の貨幣制度が確立された。
- 減債基金制度 アレクサンダー・ハミルトンが西暦1,790年1月9日の公信用に関する報告書で提案した制度。租税余剰収入若しくは内外から借り入れた資金によって公債を市場で購入する制度。
- ジラード銀行 西暦1,811年1月24日の第一合衆国銀行認可失効後、スティーブン・ジラードが同行の土地・建物・株式の大部分を買い取り設立した銀行。
セント・クロイ島での結婚から第一合衆国銀行設立、そして認可失効と対米戦争命令迄──
ロスチャイルド家がハミルトンを通じてアメリカの金融支配に乗り出した31年間を年月日単位で追跡した一冊。
JPY 200(税込)
購入する →購入後、そのままPDFダウンロードページへ移動します
お支払いは決済サービス「Square」を通じて安全に処理されます。カード情報が当サイトに保存されることはありません。