平壌で
原理講論を説く
文鮮明一元化
西暦1,946年6月6日、文鮮明が平壌に降り立つ──
定州での生誕から原理講論の原型が説かれる迄の二十六年を一元化。
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本書について
西暦1,920年2月25日、定州(現在の北朝鮮平安北道定州市)で、文慶裕と金慶継の間に文鮮明が生まれた。13人兄弟の5番目、弐男である。西暦1,929年頃からは書堂で漢文を学び始め、私塾の雲龍学院にも西暦1,934年迄通った。此処から始まる二十六年の歩みが、やがて平壌の一室で語られる教説へと収束してゆく——本書は、其の生誕から、西暦1,946年11月21日に半死半生で雪道へ捨てられる迄を、年月日単位で一元化した記録である。
学校の選択には、日本統治下の朝鮮という条件が影を落としている。西暦1,934年4月に編入した定州私立五山普通学校は、日本統治下でありながら日本語を教えていなかった。そして西暦1,935年4月、文は定州公立普通学校へ移る。上級学校への進学には日本語教育が要る、という理由であった。同じ西暦1,935年、文の家族は儒教からプロテスタント主流派である長老派へ改宗している。信仰と進学、其の二つの筋道が此の年に交差した。
西暦1,938年3月、定州公立普通学校を卒業した文は、京城の京城商工実務学校電気科に入学する。下宿先となったのは、ペンテコステ派の西氷庫五旬節教会(現在の韓国ソウル特別市龍山区西氷庫洞)に通っていた李奇峰の家であった。李の母・康淑卿は内資洞新イエス教会(現在の韓国ソウル特別市鐘路区)を営んでおり、其の縁で文も内資洞新イエス教会へ通い始める。イエス教会は、文の家族が信仰する長老派では無く、李龍道の流れを汲む神秘主義系の教派であった。同じ教会には金百文も通っていた。文は京城で信仰生活を主とし、同年には日曜学校にも通い始めている。長老派から神秘主義へ——後の教説の土壌は、此の下宿先の一室から広がってゆく。
西暦1,939年、康淑卿は明水台(現在の韓国ソウル特別市銅雀区黒石洞)に教会を建て、「朝鮮イエス教会明水台礼拝堂」の看板を掲げた。文も此処に通い、西暦1,941年に京城商工実務学校電気科を卒業する。同年3月31日、文は日本留学の為に京城を出発した。当時の朝鮮には工学系の高等教育機関が事実上無く、技術系を志す朝鮮人学生は内地へ渡るしか無かったのである。4月1日に関釜連絡船へ乗船し、到着後は夜間の早稲田大学附属早稲田高等工学校電気工学科に入学。下宿は東京府東京市淀橋区戸塚町(現在の東京都新宿区西早稲田)で、学業の傍ら造船所での石炭運びや運送業に従事し、在日朝鮮人の教会に通っていた。
西暦1,943年9月30日に卒業した文は、同年10月15日頃に黒石洞へ戻り、再び李奇峰の家に下宿する。12月には崔先吉と婚約した。崔の家は三代続くプロテスタントの家で、父も兄も牧師であった。西暦1,944年3月、文は鹿島組京城支店(現在の韓国ソウル特別市龍山区漢江路洞)の電気部に就職し、5月4日に崔先吉と結婚する。だが同年10月、京畿道警察部の特高刑事が黒石洞の自宅に踏み込み、独立運動をした共産主義者という理由で文を逮捕した。京城本町警察署へ連行された文は、京畿道警察部で獄中生活を送る。起訴はされなかった。
西暦1,945年2月25日に釈放され、3月には鹿島組へ再就職するが、8月15日の終戦の詔書によって京城支店は事実上機能停止となり、文は失職する。10月4日、文は金百文が設立した京畿道坡州郡(現在の韓国坡州市)のイスラエル修道院に入り、上道洞集会所(現在の韓国ソウル特別市銅雀区)の補助引導師を西暦1,946年4月迄務めた。10月31日頃には、定州でソウルの月給を持って果物を買った際、偽造紙幣を使ったとして告発され、定州警察署郭山支署(現在の北朝鮮平安北道)に1週間程留置されている。
そして西暦1,946年5月27日、文鮮明は天命を受けたとして、崔先吉と長男・文聖進を残しソウルを発つ。6月6日、平壌に到着した文は、原理講論の原型に当たる五つの教説を口伝で説いた。人類の原罪を知恵の実の比喩では無く性的な関係と見る堕落論、イエスの死は本来予定されておらず十字架は霊的救いだけを成したとする十字架の再解釈、再臨主は肉身を持った人間として東方の国・韓国に生まれるとし其の生年を西暦1,920年前後と示唆する数理計算、日本統治の36年をイスラエルの荒野期間に準える韓国=第三イスラエル、そして失われたものの回復には相応の条件を要するとする蕩減復帰である。8月11日、文は南から明確な理由なく越北したとしてスパイの嫌疑を掛けられ、大同保安所(現在の北朝鮮平安南道)に逮捕された。共産主義者による激しい拷問を受けたが嫌疑は立証されず、社会秩序紊乱罪として処理される。11月21日、半死半生の状態で雪道に捨てられて釈放された文は、偶然通り掛かった弟子に救出され、韓方治療等で辛うじて回復した。本書は、此の二十六年の全過程を一冊に束ねている。
登場人物
- 文鮮明 本書の中心人物。西暦1,920年2月25日、定州に文慶裕と金慶継の弐男として生誕。13人兄弟の5番目であった。長老派への改宗を経て京城の内資洞新イエス教会へ通い、早稲田大学附属早稲田高等工学校電気工学科を卒業。鹿島組京城支店に勤めながら特高に逮捕され、西暦1,946年6月6日に平壌へ到着して、原理講論の原型に当たる五つの教説を口伝で説いた。
- 文慶裕 文鮮明の父。西暦1,920年2月25日、定州(現在の北朝鮮平安北道定州市)にて金慶継との間に鮮明をもうけた。西暦1,935年、一家は儒教からプロテスタント主流派である長老派へ改宗している。
- 金慶継 文鮮明の母。文慶裕との間に13人の子をもうけ、鮮明は其の5番目・弐男であった。
- 崔先吉 文鮮明の妻。西暦1,943年12月に文と婚約し、西暦1,944年5月4日に結婚した。崔の家は三代続くプロテスタントの家で、父も兄も牧師であった。西暦1,946年5月27日、天命を受けたとして発つ文に、長男・文聖進と共にソウルへ残された。
- 文聖進 文鮮明と崔先吉の長男。西暦1,946年5月27日、文鮮明がソウルを出発した際、母・崔先吉と共に残された。
- 李奇峰 文鮮明の下宿先の主。ペンテコステ派の西氷庫五旬節教会(現在の韓国ソウル特別市龍山区西氷庫洞)に通っていた。西暦1,938年、京城商工実務学校電気科に入学した文を自宅に迎え、西暦1,943年10月15日頃に黒石洞へ戻った文を再度下宿させた。文が神秘主義系の教派へ接する契機となった人物。
- 康淑卿 李奇峰の母。内資洞新イエス教会(現在の韓国ソウル特別市鐘路区)を営み、其の縁で文鮮明を同教会へ導いた。西暦1,939年には明水台(現在の韓国ソウル特別市銅雀区黒石洞)に教会を建て、「朝鮮イエス教会明水台礼拝堂」の看板を掲げている。
- 金百文 文鮮明と同じく内資洞新イエス教会に通っていた人物。京畿道坡州郡(現在の韓国坡州市)にイスラエル修道院を設立し、西暦1,945年10月4日、失職した文は此の修道院に入った。
- 李龍道 神秘主義系の教派の源流に立つ人物。文鮮明が通った内資洞新イエス教会は、文の家族が信仰する長老派では無く、此の李龍道の流れを汲む教派であった。
平壌で説かれた五つの教説
- 堕落論 人類の原罪は知恵の実の比喩では無く、性的な関係であるとする。エバとルーシェルの霊的堕落、続いてエバとアダムの肉的堕落によって、サタンの血統が入ったと説かれた。
- 十字架の再解釈 イエスは本来死ぬ予定では無く、洗礼ヨハネの不信仰等によって地上での使命が挫折したとする。十字架は霊的救いだけを成し、肉的救い(理想家庭・地上天国)は未完の儘残されている、という見方である。
- 再臨主の韓国降臨 再臨は雲に乗ってでは無く、肉身を持った人間として、東方の国・韓国に生まれるとする。其の生年を西暦1,920年前後と示唆する数理計算を伴っていた。
- 韓国=第三イスラエル 日本統治の36年をイスラエルの荒野期間に準え、よって韓国は選民国家であるとする教説。
- 蕩減復帰 失われたものを回復するには、相応の蕩減条件を立てる必要が有るとする原理。
主要な学校・教会・組織
- 雲龍学院 私塾。西暦1,929年頃から書堂で漢文を学び始めた文鮮明が、西暦1,934年迄通った学び舎。
- 定州私立五山普通学校 西暦1,934年4月、文鮮明が編入した私立学校。日本統治下でありながら、日本語を教えていなかった。
- 定州公立普通学校 西暦1,935年4月、文鮮明が編入した公立学校。上級学校への進学の為、日本語教育の有る公立へ移ったものである。文は西暦1,938年3月に卒業した。
- 京城商工実務学校電気科 西暦1,938年、定州公立普通学校を卒業した文鮮明が入学した学校。文は西暦1,941年に此処を卒業している。京城での下宿と信仰生活は、此の在学期間に始まった。
- 西氷庫五旬節教会 現在の韓国ソウル特別市龍山区西氷庫洞にあったプロテスタントのペンテコステ派の教会。文鮮明の下宿先の主・李奇峰が通っていた。
- 内資洞新イエス教会 現在の韓国ソウル特別市鐘路区にあり、李奇峰の母・康淑卿が営んでいた教会。文鮮明が下宿の縁で通い始めた。長老派では無く、李龍道の流れを汲む神秘主義系の教派で、金百文も此処に通っていた。
- 朝鮮イエス教会明水台礼拝堂 西暦1,939年、康淑卿が明水台(現在の韓国ソウル特別市銅雀区黒石洞)に建てた教会。文鮮明も此処に通い、西暦1,941年に京城商工実務学校電気科を卒業した。
- 早稲田大学附属早稲田高等工学校電気工学科 西暦1,941年4月、日本へ渡った文鮮明が入学した夜間の学校。当時の朝鮮には工学系の高等教育機関が事実上無く、技術系を志す学生は内地へ渡るしか無かった。文は学業の傍ら造船所での石炭運びや運送業に従事し、西暦1,943年9月30日に卒業している。
- 鹿島組京城支店 現在の韓国ソウル特別市龍山区漢江路洞にあった支店。西暦1,944年3月、文鮮明は其の電気部に就職した。西暦1,945年8月15日の終戦の詔書によって事実上機能停止となり、文は失職している。
- 京畿道警察部・京城本町警察署 西暦1,944年10月、京畿道警察部の特高刑事が黒石洞の自宅に踏み込み、独立運動をした共産主義者という理由で文鮮明を逮捕。京城本町警察署へ連行された文は京畿道警察部で獄中生活を送り、起訴されぬまま西暦1,945年2月25日に釈放された。
- イスラエル修道院 金百文が京畿道坡州郡(現在の韓国坡州市)に設立した修道院。西暦1,945年10月4日、失職した文鮮明が入り、上道洞集会所(現在の韓国ソウル特別市銅雀区)の補助引導師を西暦1,946年4月迄務めた。
- 定州警察署郭山支署 現在の北朝鮮平安北道にあった支署。西暦1,945年10月31日頃、定州で果物を買った際に偽造紙幣を使ったとして告発された文鮮明が留置され、1週間程で釈放された。
- 大同保安所 現在の北朝鮮平安南道にあった保安所。西暦1,946年8月11日、南から明確な理由なく越北したとしてスパイの嫌疑を掛けられた文鮮明が逮捕され、共産主義者による激しい拷問を受けた。嫌疑は立証されず社会秩序紊乱罪として処理され、11月21日、文は半死半生の状態で雪道に捨てられて釈放された。
定州の生誕から、京城の下宿、早稲田、獄中、そして平壌へ──
原理講論の原型が説かれる迄の全過程を一元化。
JPY 200(税込)
購入する →
お支払いはカード情報の入力だけで完了します
購入後、そのままPDFダウンロードページへ移動します
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