電子書籍「デュポン財閥の祖ピエール・サミュエル・デュポン一元化」の表紙

デュポン財閥の祖
ピエール・サミュエル・デュポン
一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,760年頃〜1,814年4月16日
ページ数
21ページ
文字数
3,568字
最新更新日
西暦2,026年8月21日

ギロチンを宣告された男が、海の向こうで財閥の祖となる──
ピエール・サミュエル・デュポンの生涯を一元化。

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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本書について

西暦1,760年頃、ピエール・サミュエル・デュポンの著作が、ヴォルテールとジャック・テュルゴーの注目を集めた。西暦1,763年、デュポンは、第4代ブルボン朝皇帝ルイ15世の妾ポンパドゥール夫人の侍医で、経済及び農業改革に専念する宮廷の自由主義者で構成される「エコノミスト派」のリーダーであるフランソワ・ケネーの保護下に入る。一冊の本が宮廷への扉を開いたのである——本書は、此処から西暦1,814年4月16日のナポレオン・ボナパルトのエルバ島追放迄、デュポン財閥の祖の生涯を年月日単位で一元化した記録である。

西暦1,765年、デュポンは「農業・商業・財政ジャーナル」の編集者となり、西暦1,767年迄務めた。西暦1,768年には、重農主義に関する著書「重農主義、又は人類にとって最も有益な政府の自然憲法」を出版し、低関税と国家間の自由貿易を主張する。此の本はアダム・スミスに強い影響を与えた。同年、経済誌「市民日誌、国民精神時評」を創刊して編集者を務めていたニコラ・ボードーの後任として編集者となり、翌西暦1,769年には「市民の日記」の編集者にも就いている。言論を通じて重農主義の中心へ進み出た時期であった。

西暦1,774年7月、デュポンは、第15代ポーランド・リトアニア共和国国王スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキに、同国の教育制度の組織化へ協力する名目で招かれ、秘書となる。又、国民教育委員会のメンバーにも任命され、数ヶ月間活動した。此れがフランス政府に引き入れられる切っ掛けとなり、西暦1,775年1月頃、デュポンはフランス王国政府に招聘されて、ルイ16世から商務総監に任命される。親友のジャック・テュルゴーの下では、私設秘書兼顧問として西暦1,788年迄活動した。西暦1,783年9月3日、アメリカとイギリスの間で「パリ講和条約」が締結され、イギリスはミシシッピ川より東側をアメリカの領土として認め、アメリカは独立・自由・主権を得てアメリカ独立戦争が終結する。此の際デュポンは外交官として和平交渉に当たり、ベンジャミン・フランクリンとトーマス・ジェファーソンという、後年の亡命先で頼る事となる二人と知己を得た。

西暦1,784年、デュポンはルイ16世から叙爵を受け、貴族に叙せられて「ド・ヌムール」を名乗る事を許可される。西暦1,786年にはルイ16世から国家顧問官に任命された。同年9月26日、財政困難が続くフランスが国内産業の振興を狙い、第2次百年戦争で敵対していたイギリスとの通商に踏み切って「イーデン条約」を締結する。デュポンは此の条約の条件の取り纏めを行なった。然し施行直後、アブヴィルやボルドー等で綿や羊毛の製造業者による放火や暴力的行為が起きる。イギリスの安価な工業製品が一気に流入して綿工業等の国内産業が打撃を受けた為であり、此れはフランス革命の一因となった。西暦1,787年2月22日には、シャルル・アレクサンドル・ド・カロンヌが、国家破綻が近づく中で税制改革を実施する為、高等法院を廃止してヴェルサイユにて西暦1,626年12月以来の名士会を開催し、デュポンが第二書記を務めている。

西暦1,789年7月9日、フランス王国の国民議会が「憲法制定国民議会」と改称する。デュポンも此れに加わり、穏健なジロンド派と同盟を結んで、ヌムールから第三身分の代表に選出された。西暦1,792年8月10日、フランス王国国民と軍隊がテュイルリー宮殿を襲撃し、ルイ16世やマリー・アントワネット等の国王一家を捕らえてタンプル塔に幽閉する。其の際、デュポンと息子のエルテール・イレネー・デュポンは、ルイ16世とマリー・アントワネットを物理的に守った。此れによりピエールは逮捕され、ギロチン処刑を宣告される。命を救ったのは、皮肉にも革命側の失脚であった。西暦1,794年7月27日、マクシミリアン・ロベスピエールが国民公会で、フランス革命を企む人々の中に外国人勢力の作った策略に実権を握る者達の手下が含まれていると確信している旨の演説を行い、革命の背後に存在するイルミナティの人々を暴き出す事を示唆する。翌7月28日、ロベスピエールはギロチン台に送られた。前日の演説が原因でロスチャイルド側に始末されたのであり、其の処刑によって、デュポンは執行を免れたのである。

西暦1,795年、デュポンは元老院のメンバーに選出される。西暦1,797年9月4日0時、気付けの為にシャンパンを飲んだナポレオン・ボナパルトの部下で将軍のピエール・オージュローが、12,000名の兵をパリに入れ、ブルボン朝に対するクーデターを起こす。無血でのパリの包囲に成功したものの総裁ラザール・カルノーは取り逃がした。此のクーデターの際、デュポンの自宅は暴徒により襲撃され、彼は逮捕されて一晩拘留された後に釈放される。此れがデュポン家がアメリカに亡命する切っ掛けとなった。西暦1,799年、デュポンはエルテール・イレネー・デュポンを始めとする家族を引き連れてアメリカに亡命し、フィラデルフィアに移住する。フランス革命にて穏健派に属していた為、ジャコバン派によってギロチンで処刑されると考えたのであった。現地でフランスからの亡命者を集めたコミュニティ作りには失敗したが、トーマス・ジェファーソンを始めとする政治家や産業界との結び付きを強め、アメリカとフランスの非公式な外交に携わってゆく。西暦1,800年1月1日、一行はニューポートに上陸した。西暦1,802年にはナポレオン政権下のフランスへ戻って様々な役職に就き、西暦1,814年4月16日、同年に加わった臨時政府のメンバーとして、ナポレオンのエルバ島追放に携わる。宮廷の経済学者が、革命と亡命を経て新大陸の礎を置く——其の全軌跡を、本書は一冊に束ねている。


登場人物

  • ピエール・サミュエル・デュポン 本書の中心人物で、デュポン財閥の祖。重農主義者・経済学者・政治家。西暦1,763年にフランソワ・ケネーの保護下に入り、西暦1,768年に「重農主義、又は人類にとって最も有益な政府の自然憲法」を出版した。西暦1,775年1月頃にルイ16世から商務総監に任命され、西暦1,783年のパリ講和条約では外交官として和平交渉に当たり、西暦1,784年に叙爵を受けて「ド・ヌムール」を名乗る事を許可される。西暦1,792年8月10日のテュイルリー宮殿襲撃時に国王夫妻を守った為に逮捕されギロチン処刑を宣告されたが、ロベスピエールの処刑により執行を免れた。西暦1,799年にアメリカへ亡命し、西暦1,802年にフランスへ戻って、西暦1,814年には臨時政府のメンバーとなった。
  • エルテール・イレネー・デュポン ピエール・サミュエル・デュポンの息子。西暦1,792年8月10日のテュイルリー宮殿襲撃時に、父と共にルイ16世とマリー・アントワネットを物理的に守った。西暦1,799年に父と共にアメリカへ亡命し、西暦1,800年1月1日にニューポートへ上陸している。
  • ヴォルテール フランスの啓蒙思想家。西暦1,760年頃、ピエール・サミュエル・デュポンの著作に注目した2名の内の1人。
  • ジャック・テュルゴー フランスの経済学者・政治家で、ピエール・サミュエル・デュポンの親友。西暦1,760年頃にデュポンの著作へ注目した2名の内の1人であり、西暦1,775年1月頃から西暦1,788年迄、デュポンを私設秘書兼顧問として下に置いた。
  • フランソワ・ケネー 第4代ブルボン朝皇帝ルイ15世の妾ポンパドゥール夫人の侍医であり、経済及び農業改革に専念する宮廷の自由主義者で構成される「エコノミスト派」のリーダー。西暦1,763年、ピエール・サミュエル・デュポンを保護下に入れた。
  • ルイ15世 第4代ブルボン朝皇帝。妾ポンパドゥール夫人の侍医がフランソワ・ケネーであり、西暦1,763年にピエール・サミュエル・デュポンがケネーの保護下へ入った宮廷の主であった。
  • ポンパドゥール夫人 第4代ブルボン朝皇帝ルイ15世の妾。侍医としてフランソワ・ケネーを抱えていた。
  • ニコラ・ボードー 経済誌「市民日誌、国民精神時評」を創刊し、編集者を務めた人物。西暦1,768年、ピエール・サミュエル・デュポンが其の後任の編集者となった。
  • スタニスワフ・アウグスト・ポニャトフスキ 第15代ポーランド・リトアニア共和国国王。西暦1,774年7月、同国の教育制度の組織化に協力する名目でピエール・サミュエル・デュポンを招いて秘書とし、国民教育委員会のメンバーにも任命した。此れがデュポンがフランス政府に引き入れられる切っ掛けとなった。
  • ルイ16世 フランス王。西暦1,775年1月頃にピエール・サミュエル・デュポンを商務総監に任命し、西暦1,784年には叙爵を行なって「ド・ヌムール」を名乗る事を許可、西暦1,786年には国家顧問官に任命した。西暦1,792年8月10日のテュイルリー宮殿襲撃時にはデュポン父子に守られたが、マリー・アントワネット等と共にタンプル塔へ幽閉された。
  • ベンジャミン・フランクリン アメリカの政治家。西暦1,783年9月3日のパリ講和条約締結の際、外交官として和平交渉に当たったピエール・サミュエル・デュポンと知己を得た。
  • トーマス・ジェファーソン アメリカの政治家。西暦1,783年9月3日のパリ講和条約締結の際にピエール・サミュエル・デュポンと知己を得た。西暦1,799年のデュポンのアメリカ亡命後、デュポンはジェファーソンを始めとする政治家や産業界との結び付きを強め、アメリカとフランスの非公式な外交に携わった。
  • マリー・アントワネット ルイ16世の王妃。西暦1,792年8月10日のテュイルリー宮殿襲撃時にデュポン父子から物理的に守られたが、国王一家と共にタンプル塔へ幽閉された。
  • シャルル・アレクサンドル・ド・カロンヌ フランスの国家破綻が近づいていた為、税制改革を実施しようとした人物。高等法院を廃止し、西暦1,787年2月22日にヴェルサイユにて西暦1,626年12月以来の名士会を開催した。第二書記はピエール・サミュエル・デュポンが務めている。開催前にはジャック・ネッケルと財政を巡り議論を交わした。
  • ジャック・ネッケル 西暦1,787年2月22日の名士会開催前に、シャルル・アレクサンドル・ド・カロンヌと財政を巡り議論を交わした人物。カロンヌからは、国家歳入が上方修正されていたという統計は虚偽であり、フランスの赤字はネッケルが増税を行わなかった為であると批判された。
  • マクシミリアン・ロベスピエール フランス革命の指導者。西暦1,794年7月27日、国民公会で、フランス革命を企む人々の中に外国人勢力の作った策略へ実権を握る者達の手下が含まれていると確信している旨の演説を行い、革命の背後に存在するイルミナティの人々を暴き出す事を示唆した。翌7月28日にギロチン台へ送られる。前日の演説が原因でロスチャイルド側に始末されたのであり、其の処刑によってピエール・サミュエル・デュポンはギロチン処刑の執行を免れた。
  • 処刑人サムソン 西暦1,794年7月28日にマクシミリアン・ロベスピエールをギロチン処刑した処刑人。ロベスピエールの顎の包帯を外して処刑した。ロベスピエールは処刑の直前迄悲鳴を上げていた。
  • ナポレオン・ボナパルト フランス軍の指揮官。西暦1,797年9月4日のクーデターは部下のピエール・オージュロー将軍が起こしたものであった。西暦1,802年にはピエール・サミュエル・デュポンが其の政権下のフランスへ戻り、様々な役職に就いている。西暦1,814年4月16日にエルバ島へ追放され、デュポンは臨時政府のメンバーとして此の追放に携わった。
  • ピエール・オージュロー ナポレオン・ボナパルトの部下の将軍。西暦1,797年9月4日0時、気付けの為にシャンパンを飲み、12,000名の兵をパリに入れてブルボン朝に対するクーデターを起こした。無血でのパリの包囲に成功したが、総裁ラザール・カルノーは取り逃がしている。
  • ルイ・ラザール・オッシュ フランスの将軍。西暦1,797年9月4日のクーデターの前日に評議会で国家警備隊の編成が可決され、連れて来た兵はクーデター当日の朝迄にパリから撤退しなければならなかった。
  • ラザール・カルノー フランスの総裁。西暦1,797年9月4日のピエール・オージュローによるクーデターに於いて、無血でのパリ包囲が成功した中で唯一取り逃がされた人物。

主要な概念・組織

  • エコノミスト派 経済及び農業改革に専念する、宮廷の自由主義者で構成される派閥。フランソワ・ケネーがリーダーであった。西暦1,763年、ピエール・サミュエル・デュポンが其のケネーの保護下に入った。
  • 重農主義、又は人類にとって最も有益な政府の自然憲法 西暦1,768年にピエール・サミュエル・デュポンが出版した、重農主義に関する著書。低関税と国家間の自由貿易を主張した。此の本はアダム・スミスに強い影響を与えている。
  • 農業・商業・財政ジャーナル 西暦1,765年にピエール・サミュエル・デュポンが編集者となった経済誌。西暦1,767年迄務めた。
  • 市民日誌、国民精神時評 ニコラ・ボードーが創刊して編集者を務めた経済誌。西暦1,768年、ピエール・サミュエル・デュポンが其の後任の編集者となった。
  • 市民の日記 西暦1,769年にピエール・サミュエル・デュポンが編集者となった経済誌。
  • 国民教育委員会 ポーランド・リトアニア共和国の教育制度の組織化を担った委員会。西暦1,774年7月、ピエール・サミュエル・デュポンがメンバーに任命され、数ヶ月間活動した。此れがデュポンがフランス政府に引き入れられる切っ掛けとなった。
  • 商務総監 フランス王国政府の役職。西暦1,775年1月頃、ピエール・サミュエル・デュポンがフランス王国政府に招聘され、ルイ16世から此の役職に任命された。デュポンは併せて、親友ジャック・テュルゴーの下で私設秘書兼顧問として西暦1,788年迄活動している。
  • パリ講和条約 西暦1,783年9月3日、アメリカとイギリスの間で締結された条約。イギリスはミシシッピ川より東側をアメリカの領土として認め、アメリカは独立・自由・主権を得て、アメリカ独立戦争が終結した。ピエール・サミュエル・デュポンは外交官として和平交渉に当たり、此の頃ベンジャミン・フランクリンとトーマス・ジェファーソンと知己を得ている。
  • イーデン条約 西暦1,786年9月26日、財政困難が続くフランスが国内産業の振興を狙い、第2次百年戦争で敵対していたイギリスとの通商に踏み切って締結した条約。ピエール・サミュエル・デュポンが条件の取り纏めを行なった。施行直後にアブヴィルやボルドー等で綿や羊毛の製造業者による放火や暴力的行為が起き、イギリスの安価な工業製品の流入で綿工業等の国内産業が打撃を受けた事から、フランス革命の一因となった。
  • 名士会 西暦1,787年2月22日、シャルル・アレクサンドル・ド・カロンヌがヴェルサイユにて開催した、西暦1,626年12月以来の会議。国家破綻が近づく中で税制改革を実施する為、高等法院を廃止した上で開かれた。第二書記はピエール・サミュエル・デュポンが務めた。
  • 憲法制定国民議会 西暦1,789年7月9日、フランス王国の国民議会が改称した議会。ピエール・サミュエル・デュポンも此れに加わり、穏健なジロンド派と同盟を結んで、ヌムールから第三身分の代表に選出された。
  • ジロンド派 フランス革命中の穏健派。西暦1,789年7月9日の憲法制定国民議会への改称後、ピエール・サミュエル・デュポンが同盟を結んだ派閥。デュポンが穏健派に属していた事は、後にジャコバン派によるギロチン処刑を恐れてアメリカへ亡命する動機となった。
  • テュイルリー宮殿襲撃 西暦1,792年8月10日、フランス王国国民と軍隊がテュイルリー宮殿を襲撃し、ルイ16世やマリー・アントワネット等の国王一家を捕らえてタンプル塔に幽閉した事件。其の際ピエール・サミュエル・デュポンとエルテール・イレネー・デュポンは国王夫妻を物理的に守り、此れによりピエールは逮捕されギロチン処刑を宣告された。
  • タンプル塔 現在のフランスのパリ3区に在った塔。西暦1,792年8月10日のテュイルリー宮殿襲撃の後、ルイ16世やマリー・アントワネット等の国王一家が此処へ幽閉された。
  • 元老院 西暦1,795年、ピエール・サミュエル・デュポンがメンバーに選出された機関。
  • フリュクティドール18日のクーデター 西暦1,797年9月4日0時、ナポレオン・ボナパルトの部下ピエール・オージュロー将軍が12,000名の兵をパリに入れ、ブルボン朝に対して起こしたクーデター。無血でのパリの包囲に成功したが、総裁ラザール・カルノーは取り逃がした。此の際にピエール・サミュエル・デュポンの自宅が暴徒により襲撃され、デュポン家のアメリカ亡命の切っ掛けとなった。
  • アメリカ亡命 西暦1,799年、ピエール・サミュエル・デュポンがエルテール・イレネー・デュポンを始めとする家族を引き連れ、フィラデルフィアへ移住した行動。フランス革命にて穏健派に属していた為、ジャコバン派によってギロチンで処刑されると考え、祖国を離れた。現地でフランスからの亡命者を集めたコミュニティ作りは失敗したが、政治家や産業界との結び付きを強めている。一行は西暦1,800年1月1日にニューポートへ上陸した。
  • 臨時政府 ピエール・サミュエル・デュポンが西暦1,814年に加わったフランスの政府。同年4月16日のナポレオン・ボナパルトのエルバ島追放に、デュポンは此のメンバーとして携わった。

重農主義の書斎から、名士会・テュイルリー宮殿・新大陸へ──
フランス絶対王政の終焉を生き抜いた54年を一元化。

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
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