従兄弟関係にある進化論のチャールズ・ダーウィンと優生学のフランシス・ゴルトン一元化
共通の祖父エラズマス・ダーウィン、ケントのダウン村のダーウィン自宅、ジョン・マレー社の「種の起源」、ゴルトンの「遺伝的天才」と16段階等級分類、フレイザーズ・マガジンの「遺伝的改善」、人類学研究所ジャーナルの「遺伝の理論」、パンゲネシス仮説とスティルプ、「人間の能力とその発達の研究」と優生学の正式提唱、レオナルド・ダーウィンのイギリス優生学会会長就任、ホテル・セシルの第1回国際優生学会議、ウィンストン・チャーチル、アーサー・バルフォア、ブリーカー・ヴァン・ワジェネンの強制不妊手術法演説、アメリカ自然史博物館の第2回・第3回国際優生学会議、アレクサンダー・グラハム・ベル、ヘンリー・フェアフィールド・オズボーン、メアリー・ウィリアムソン・ハリマンへの献呈、チャールズ・ダベンポート、ロナルド・フィッシャー、IFEO会長エルンスト・ルーディン──
従兄弟関係にあるチャールズ・ダーウィンとフランシス・ゴルトンの書簡交流から、ダーウィンの「種の起源」によりゴルトンが触発された「遺伝的天才」と16段階等級分類、ゴルトンによる「優生学」の正式提唱、ダーウィンの息子レオナルド・ダーウィンのイギリス優生学会会長就任を経て、ホテル・セシル・アメリカ自然史博物館での3回の国際優生学会議に至り、ブリーカー・ヴァン・ワジェネンの強制不妊手術法演説・ロナルド・フィッシャーの「優生学的措置を講じなければ文明は滅亡する」発言・IFEO会長エルンスト・ルーディン満場一致選出迄、進化論から優生学への学問的継承と、人間品種改良思想が国際的に組織化される79年間の系譜を年月日単位で追跡した一冊。
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本書について
西暦1,853年7月24日、チャールズ・ダーウィンが、自身の従弟で遺伝学者のフランシス・ゴルトンの著作である「熱帯南アフリカの探検家物語」を読了した感想として、ゴルトンへ書簡を送った。ダーウィンとゴルトンは、共通の祖父として医師エラズマス・ダーウィンを持ち、ダーウィン家とゴルトン家は長年の交流が有った。書簡の中でダーウィンは、ゴルトンの探検と其の素晴らしい記録に対する賞賛を表現し、ケントのファーンボロー近郊のダウン(イギリスのロンドンのグレーター・ロンドン)という村に住み、動物学に携わっている事を伝え、家族の交流についても言及した。本書は、此の従兄弟関係にあるダーウィンとゴルトンの書簡交流から、ダーウィンの「種の起源」によりゴルトンが触発された「遺伝的天才」と16段階等級分類、ゴルトンによる「優生学」の正式提唱、ダーウィンの息子レオナルド・ダーウィンのイギリス優生学会会長就任を経て、ホテル・セシル・アメリカ自然史博物館での3回の国際優生学会議に至る、79年間に亘る系譜を、一本の時系列に貫き、一元化した一冊である。
西暦1,859年11月24日、チャールズ・ダーウィンが、著作「種の起源」を出版した。此の本は、生物種が共通の祖先から徐々に分岐して進化してきた事を主張し、自然選択により、環境に適応した変異を持つ個体が生き残り、子孫に特性を伝え、種は時間と共に変化し多様な形態が生まれる、という内容であった。同年12月9日、フランシス・ゴルトンが、種の起源を読了した感想として、ダーウィンに祝辞の書簡を送った。ゴルトンは、ダーウィンが「全く新しい知識の分野に導かれたという感覚」を齎したと評し、68頁の犀に関する誤りを指摘した上で、他の半ダース程のメモを走り書きしておいた事も伝えた。軈てゴルトンは、ダウンに在るダーウィンの自宅を頻繁に訪れる様になった。
西暦1,869年、フランシス・ゴルトンが著作「遺伝的天才:其の法則と帰結に関する考察」を出版した。チャールズ・ダーウィンの進化論の影響を受けつつ、才能や知能が主に遺伝によって決定されるという仮説を、統計的手法で検証するというものであった。主な内容は、①能力の遺伝性(イギリスの判事・政治家・科学者・芸術家等の著名人の家系を分析し、天才や優れた能力が家族内で集中して現れる事を示した。環境要因より遺伝が重要だと主張)、②統計的アプローチ(能力の分布が正規分布に従うと仮定し、人口を16段階の等級に分類。最高の未分類天才級X(出現率1人/1,000,000人)から、高度に才能ある小クラスG、優れた知能の最低クラスF、Dより一段高いE、日常の賞を獲得する大衆D、陪審員長レベルの少し上C、中庸クラスの一部B、中央中庸クラスA・a、平均以下のb・c・d、白痴・痴呆レベルに近付くe、白痴・痴呆クラスf、最も低い分類級g、最低の未分類級x迄、平均を中心に上下対称に分けられ、著名人の親族率を算出して遺伝の証拠とした)、③分類と事例(判事・軍人・文学者等のカテゴリ毎に事例を挙げ、血縁関係の影響を議論し、能力の低下に就いても触れた)、④社会的示唆(優れた遺伝子を増やす「優生学」の基礎を提唱)、であった。同年12月23日、ダーウィンが、ゴルトンの遺伝的天才を読んだ感謝の書簡を送り、「私は此れ迄の人生で、此れ程興味深く独創的なものを読んだ事が無いと思います」「貴方は、或る意味で反対者を改心させました。私はいつも、愚か者を除けば、人々は知能では其れ程違いが無い、熱意と努力だけが違うと主張してきました」と告げた。
西暦1,872年11月7日、フランシス・ゴルトンが、ダーウィンの作成した、感情表現の観察データを収集する為の世界中の人々に配布する質問リストを、アフリカの様々な地域に送付する事を申し出る書簡をダーウィンに送った。翌11月8日、ダーウィンが感謝の返書を送った。同年11月26日、チャールズ・ダーウィンの「人間と動物に於ける感情の表現」が、ロンドンのジョン・マレー社から出版された。此の本では、進化論の枠組みを感情表現に適用し、人間と動物の感情表現(喜び・悲しみ・怒り・恐怖等)が進化的に共通の起源を持ち、種や文化を超えて普遍的である事が論じられた。又ダーウィンは、観察や質問票による世界各地のデータ・解剖学・比較動物学を基に、感情表現が本能的で遺伝的に決定されていると主張した。西暦1,873年1月4日、ダーウィンが、フレイザーズ・マガジン1月号に掲載されたゴルトンの「遺伝的改善」に関する書簡をゴルトンに送った。ゴルトンの「自然に才能のある人々の間でカーストの感情を築き上げ、システムがしっかり根付く前に、彼等に適度な社会的恩恵と優先権を与える」という構想に対し、ダーウィンは「貴方程楽観的ではありません」「最大の難しさは、誰が登録に値するかを決める事だと思います」「貴方は、人間種の改善における唯一の実現可能な、しかし私はユートピア的だと恐れる手順の計画を指摘しました」と批評した。
西暦1,875年11月7日、ダーウィンが、人類学研究所ジャーナルに掲載されたゴルトンの「遺伝の理論」に関する書簡をゴルトンに送った。ゴルトンはダーウィンのパンゲネシス仮説と異なる「スティルプ」「セプト」「残渣」等の用語を用い、ゴルトン氏は性的繁殖では、2つの親が胚に胚珠を提供する場合、必要な胚珠の欠如の可能性が大幅に減少すると仮定していた。ダーウィンは8項目の番号付き批評を送り、「個体の生涯中に多くの部分が使用と不使用によって変化しない事を意味するなら、私は貴方と大きく異なります」と述べた。又、同論文中の双子の歴史に関する記述に対し「双子の類似性と非類似性程興味深いものはありません」と関心を示した。同年12月18日、ダーウィンが弐男ジョージから両者の違いを説明された後、雑種の特性の遺伝に関する論点でゴルトンに反論の書簡を送った。西暦1,881年3月8日、ダーウィンが、ハイドパーク(イギリスのロンドンのウェストミンスター、ケンジントン)の散歩道で長さ毎に2.5歩毎に1匹の平均で死んだ蚯蚓が居たという、ゴルトンの観察報告を踏まえ、蚯蚓に関する書簡をゴルトンに送った。
西暦1,883年4月、フランシス・ゴルトンが「人間の能力とその発達の研究」を出版した。ゴルトンは此の本で、劣等な子孫の誕生を抑制し、優等な子孫の誕生を促進・保存する事を研究する学問である「優生学」を提唱した。主な内容は、①心理的・感覚的能力の探求(視覚イメージ・数字の空間配置・色連想・幻覚等の心理現象を分析。アンケートや統計で個人の差異を測定し、遺伝的要因を強調)、②身体的・知的特性(身長・感覚・エネルギー等の身体的能力を統計的に解析。複合写真法で犯罪者・病人・家族の典型像を作成し、人種・家族の遺伝的違いを示す)、③優生学の提唱(人類の劣化を防ぐ為、優れた個人の早期特定と支援を主張。都市化による弱者増加を批判し、選択的繁殖で「より完璧な人類」を進化させる)、④統計的手法とツール(正規分布やアンソロポメトリック測定を導入。感覚テスト器具を提案し、人間能力の定量評価を推進)、⑤社会的示唆(犯罪・狂気・群集本能を遺伝的に分析。文明が劣悪な特性を保存するリスクを指摘し、合理的な政策で進化を加速させる「道徳的義務」を強調)、であった。
西暦1,911年、チャールズ・ダーウィンの息子レオナルド・ダーウィンがイギリス優生学会会長に就任した。西暦1,912年7月24日から6日間、ホテル・セシル(現在のイギリスのロンドンのシティ・オブ・ウェストミンスター)にて、レオナルド・ダーウィン主宰の第1回国際優生学会議が開催された。此のホテルは前年1月17日に死去したフランシス・ゴルトンに捧げられたものだった。レオナルド・ダーウィンは冒頭の挨拶で「人間の品種改良の原理原則を導入するには道徳的勇気が必要である」と述べた。又、アメリカ育種家協会の優生学委員会によって任命された同委員会の幹事ブリーカー・ヴァン・ワジェネンは、アメリカの強制不妊手術法について語り、強制不妊手術が欠陥のある生殖質を断つ最良の方法であるとし、遺伝子の構成に欠陥がある人間を社会から排除する事を要求した。更に、精神障害者・癲癇を持つ者・盲人・聾唖者・奇形者・犯罪者を社会不適合者とし、アメリカの国勢調査のデータを挙げ「刑務所・病院・精神病院に住む人は630,000名で、人口の1%に当たり、3,000,000名の劣悪な血液を持つ人々がまだ施設に入所していない、更に人口の10%に当たる70,000,000名が、遺伝性疾患を持つ。此の様な人々は、有用な市民の親になる能力が無い」と述べた。主な参加者は、海軍大臣ウィンストン・チャーチル、第33代第一海軍卿フランシス・ブリッジマン、アーサー・バルフォアであった。
西暦1,921年9月25日から3日間、アメリカ自然史博物館(ニューヨーク市マンハッタン区アッパー・ウエスト・サイド)にて、古生物学者で地質学者のヘンリー・フェアフィールド・オズボーンを議長、アレクサンダー・グラハム・ベルを会長とし、第2回国際優生学会議が開催された。元々は西暦1,915年にニューヨークで開催される予定であったが、第一次世界大戦で優生学研究が中断していた為、其れを再開させる意図があった。アメリカ国務省が世界中の識者に招待状を送った。主賓のレオナルド・ダーウィンは、優生学の必要性を唱え、①不適格者の排除、②恵まれない者の大家族の抑制、③恵まれた者の大家族の奨励、を訴えた。西暦1,932年8月22日から2日間、第3回国際優生学会議が、多額の資金援助を行なったメアリー・ウィリアムソン・ハリマンに捧げられ、アメリカの動物学者チャールズ・ダベンポートの主宰でアメリカ自然史博物館にて開催された。過去2回に参加したレオナルド・ダーウィンは今回は不参加であった。ヘンリー・フェアフィールド・オズボーンは「より良い子孫を残す為には、避妊よりも出生選択をすべきである」、キューバの優生学者で白人移民支持者のドミンゴ・F・ラモス・デルガドは「移民に有害な形質がないか慎重にチェックし、認められない形質が後に明らかになった場合はその子孫を国外追放にすべきである」、ダーウィンの教え子でイギリスの優生学者のロナルド・フィッシャーは「優生学的措置を講じなければ文明は滅亡する」と講演した。又、IFEO(優生学機関国際連合)の会長にスイス・ドイツの遺伝学者エルンスト・ルーディンが満場一致で選出された。本書は、此の79年に亘る、共通の祖父医師エラズマス・ダーウィンを持つ従兄弟関係のチャールズ・ダーウィンとフランシス・ゴルトンの書簡交流から、種の起源出版とゴルトンの読了反応、遺伝的天才と16段階等級分類、遺伝的改善と遺伝の理論の往復書簡、人間の能力とその発達の研究と優生学の正式提唱、レオナルド・ダーウィンのイギリス優生学会会長就任、ホテル・セシルでの第1回国際優生学会議とアメリカ強制不妊手術法演説、アメリカ自然史博物館での第2回・第3回国際優生学会議、メアリー・ウィリアムソン・ハリマンへの献呈、ロナルド・フィッシャーの「文明滅亡」発言、IFEO会長エルンスト・ルーディン満場一致選出迄、進化論から優生学への学問的継承と、人間品種改良思想が国際的に組織化される系譜の全過程を、年月日単位で記録した年表である。
登場人物
- チャールズ・ダーウィン イギリスの自然科学者。共通の祖父医師エラズマス・ダーウィンを持つ従弟フランシス・ゴルトンと長年の交流が有った。西暦1,853年7月24日にゴルトンの「熱帯南アフリカの探検家物語」を読了して書簡を送り、西暦1,859年11月24日に「種の起源」を出版、西暦1,872年11月26日にロンドンのジョン・マレー社から「人間と動物に於ける感情の表現」を出版した。ゴルトンの「遺伝的天才」「遺伝的改善」「遺伝の理論」「双子の歴史」「人間の能力とその発達の研究」等に対して詳細な書簡で応答し、ゴルトンの優生学構想に対しては「人間種の改善における唯一の実現可能な、しかし私はユートピア的だと恐れる手順の計画」と批評する一方で「遺伝の極めて重要な原則の重要性を広め、強調する事」には信頼を置く立場を取った。ケントのファーンボロー近郊のダウン村に居住した。
- フランシス・ゴルトン イギリスの遺伝学者。チャールズ・ダーウィンの従弟で、共通の祖父として医師エラズマス・ダーウィンを持っていた。「熱帯南アフリカの探検家物語」「遺伝的天才:其の法則と帰結に関する考察」「遺伝の理論」「双子の歴史」「人間の能力とその発達の研究」等を著した。西暦1,869年の「遺伝的天才」では能力を16段階の等級に分類し、平均を中心に上下対称に分けた上で著名人の親族率から遺伝の証拠とした。西暦1,883年4月の「人間の能力とその発達の研究」では、劣等な子孫の誕生を抑制し、優等な子孫の誕生を促進・保存する事を研究する学問である「優生学」を正式に提唱した。複合写真法で犯罪者・病人・家族の典型像を作成し、人種・家族の遺伝的違いを示そうとした。西暦1,911年1月17日に死去し、翌年のホテル・セシルでの第1回国際優生学会議は彼に捧げられた。
- エラズマス・ダーウィン 医師。チャールズ・ダーウィンとフランシス・ゴルトンの共通の祖父。ダーウィン家とゴルトン家は長年の交流が有った。
- ジョージ・ダーウィン チャールズ・ダーウィンの弐男。西暦1,869年12月、ゴルトンの「遺伝的天才」を読み、父チャールズ・ダーウィンと感想を共有した。西暦1,875年12月にはチャールズ・ダーウィンとフランシス・ゴルトンの「遺伝の理論」を巡る違いを父に説明した。
- フランク・ダーウィン チャールズ・ダーウィンの息子。父チャールズ・ダーウィンの書簡の写しを取る役割を担っていた。
- レオナルド・ダーウィン チャールズ・ダーウィンの息子。西暦1,911年にイギリス優生学会会長に就任。西暦1,912年7月24日から6日間、ホテル・セシルにて第1回国際優生学会議を主宰し、冒頭の挨拶で「人間の品種改良の原理原則を導入するには道徳的勇気が必要である」と述べた。西暦1,921年9月25日からの第2回国際優生学会議には主賓として参加し、不適格者の排除・恵まれない者の大家族の抑制・恵まれた者の大家族の奨励を訴えた。西暦1,932年8月22日からの第3回国際優生学会議には不参加であった。
- ブリーカー・ヴァン・ワジェネン アメリカ育種家協会の優生学委員会幹事。同委員会によって任命された。西暦1,912年7月24日からのホテル・セシルでの第1回国際優生学会議にて、アメリカの強制不妊手術法について語り、強制不妊手術が欠陥のある生殖質を断つ最良の方法であるとし、精神障害者・癲癇を持つ者・盲人・聾唖者・奇形者・犯罪者を社会不適合者とし「刑務所・病院・精神病院に住む人は630,000名で、人口の1%に当たり、3,000,000名の劣悪な血液を持つ人々がまだ施設に入所していない、更に人口の10%に当たる70,000,000名が、遺伝性疾患を持つ」と述べ、遺伝子の構成に欠陥がある人間を社会から排除する事を要求した。
- ウィンストン・チャーチル 海軍大臣。西暦1,912年7月24日から6日間、ホテル・セシルにて開催された第1回国際優生学会議に参加した。
- フランシス・ブリッジマン 第33代第一海軍卿。西暦1,912年7月24日から6日間、ホテル・セシルにて開催された第1回国際優生学会議に参加した。
- アーサー・バルフォア 西暦1,912年7月24日から6日間、ホテル・セシルにて開催された第1回国際優生学会議に参加した。
- ヘンリー・フェアフィールド・オズボーン 古生物学者で地質学者。西暦1,921年9月25日から3日間、アメリカ自然史博物館にて開催された第2回国際優生学会議の議長を務めた。西暦1,932年8月22日からの第3回国際優生学会議では「より良い子孫を残す為には、避妊よりも出生選択をすべきである」と講演した。
- アレクサンダー・グラハム・ベル 西暦1,921年9月25日から3日間、アメリカ自然史博物館にて開催された第2回国際優生学会議の会長を務めた。
- メアリー・ウィリアムソン・ハリマン 西暦1,932年8月22日から2日間、アメリカ自然史博物館にて開催された第3回国際優生学会議に多額の資金援助を行った人物。同会議は彼女に捧げられた。
- チャールズ・ダベンポート アメリカの動物学者。西暦1,932年8月22日から2日間、アメリカ自然史博物館にて開催された第3回国際優生学会議を主宰した。
- ドミンゴ・F・ラモス・デルガド キューバの優生学者で白人移民支持者。西暦1,932年8月22日からの第3回国際優生学会議で「移民に有害な形質がないか慎重にチェックし、認められない形質が後に明らかになった場合はその子孫を国外追放にすべきである」と講演した。
- ロナルド・フィッシャー チャールズ・ダーウィンの教え子でイギリスの優生学者。西暦1,932年8月22日からの第3回国際優生学会議で「優生学的措置を講じなければ文明は滅亡する」と講演した。
- エルンスト・ルーディン スイス・ドイツの遺伝学者。西暦1,932年8月22日からの第3回国際優生学会議で、IFEO(優生学機関国際連合)の会長に満場一致で選出された。
主要な概念・組織
- 熱帯南アフリカの探検家物語 フランシス・ゴルトンの著作。西暦1,853年7月24日、チャールズ・ダーウィンが読了し、ゴルトンの探検と其の素晴らしい記録に対する賞賛を表現する書簡をゴルトンに送った。両者の書簡交流の起点となった。
- 種の起源 チャールズ・ダーウィンの著作。西暦1,859年11月24日出版。生物種が共通の祖先から徐々に分岐して進化してきた事を主張し、自然選択により、環境に適応した変異を持つ個体が生き残り、子孫に特性を伝え、種は時間と共に変化し多様な形態が生まれる、という内容であった。同年12月9日、フランシス・ゴルトンが読了の感想として「全く新しい知識の分野に導かれたという感覚」を満喫したと祝辞の書簡をダーウィンに送った。68頁の犀に関する記述には誤りが含まれており、ゴルトンが指摘した。
- 遺伝的天才:其の法則と帰結に関する考察 フランシス・ゴルトンの著作。西暦1,869年出版。チャールズ・ダーウィンの進化論の影響を受けつつ、才能や知能が主に遺伝によって決定されるという仮説を、統計的手法で検証するというものであった。イギリスの判事・政治家・科学者・芸術家等の著名人の家系を分析し、能力の分布が正規分布に従うと仮定して人口を16段階の等級に分類した。優れた遺伝子を増やす「優生学」の基礎を提唱した。同年12月23日、ダーウィンが「此れ迄の人生で、此れ程興味深く独創的なものを読んだ事が無いと思います」「貴方は、或る意味で反対者を改心させました」と感謝の書簡を送った。
- 16段階の能力等級 フランシス・ゴルトンが「遺伝的天才」で提示した能力分類。出現率を人口100万人当たりで示し、平均を中心に上下対称に分けられた。X(最高の未分類天才級、1人)、G(高度に才能ある小クラス、14人)、F(優れた知能の最低クラス、233人)、E(2,423人)、D(日常の賞を獲得する大衆、15,696人)、C(陪審員長レベルの少し上、63,563人)、B(中庸クラスの一部、161,279人)、A・a(中央中庸クラス、各256,791人)、b(161,279人)、c(平均以下、63,563人)、d(15,696人)、e(白痴・痴呆レベルに近付く、2,423人)、f(白痴・痴呆クラス、233人)、g(動物の知能レベルに近い、14人)、x(最低の未分類級、1人)。
- 人間と動物に於ける感情の表現 チャールズ・ダーウィンの著作。西暦1,872年11月26日、ロンドンのジョン・マレー社から出版。進化論の枠組みを感情表現に適用し、人間と動物の感情表現(喜び・悲しみ・怒り・恐怖等)が進化的に共通の起源を持ち、種や文化を超えて普遍的である事が論じられた。観察や質問票による世界各地のデータ・解剖学・比較動物学を基に、感情表現が本能的で遺伝的に決定されていると主張した。
- 遺伝的改善 フランシス・ゴルトンがフレイザーズ・マガジン西暦1,873年1月号に掲載した記事。「自然に才能のある人々の間でカーストの感情を築き上げ、システムがしっかり根付く前に、彼等に適度な社会的恩恵と優先権を与える」事を構想し、人間の遺伝に関する事実への継続的な調査・動物や植物のブリーダー向けの遺伝情報センター・収集された事実の議論と分類の3つの科学的サービスを担う協会の設立を提案した。同年1月4日、ダーウィンが「貴方程楽観的ではありません」「最大の難しさは、誰が登録に値するかを決める事だと思います」と批評の書簡を送った。
- 遺伝の理論 フランシス・ゴルトンが人類学研究所ジャーナル西暦1,875年に掲載した論文。有機単位の仮説が「遺伝科学の基礎に置かれなければならない」と認め、ダーウィンのパンゲネシス仮説との違いを示した。「胚珠」「スティルプ」「セプト」「残渣」「肥沃な胚珠」「不妊の胚珠」等の用語を用い、性的繁殖では2つの親が胚に胚珠を提供する事で必要な胚珠の欠如の可能性が大幅に減少すると仮定した。同年11月7日、ダーウィンが8項目の番号付き批評をゴルトンに送った。
- パンゲネシス仮説 チャールズ・ダーウィンの遺伝に関する仮説。「ゲムール」と呼ばれる単位が全体のシステムの各単位から送り出されるとした。フランシス・ゴルトンは「遺伝の理論」で此れに対して異なる見解を提示した。雄の動物が生涯を通じて形成する精子の中に含まれる無数のゲムール等を巡って、両者の往復書簡が行われた。
- 双子の歴史 フランシス・ゴルトンがフレイザーズ・マガジン西暦1,875年11月号に掲載した記事。追加付きで人類学研究所ジャーナル西暦1,875年にも再掲載された。時折見られる双子の驚くべき非類似性を説明する為に、子孫が利用可能な胚珠を互いに補完し合う様に分ける、と仮定した。チャールズ・ダーウィンは「双子の類似性と非類似性程興味深いものはありません」と関心を示した。
- 人間の能力とその発達の研究 フランシス・ゴルトンの著作。西暦1,883年4月出版。劣等な子孫の誕生を抑制し、優等な子孫の誕生を促進・保存する事を研究する学問である「優生学」を正式に提唱した。視覚イメージ・数字の空間配置・色連想・幻覚等の心理現象を分析し、双子研究で遺伝vs環境を検証した。複合写真法で犯罪者・病人・家族の典型像を作成し、人種・家族の遺伝的違いを示そうとした。正規分布やアンソロポメトリック測定を導入し、感覚テスト器具(音の高さテストの笛等)を提案した。文明が劣悪な特性を保存するリスクを指摘し、合理的な政策で進化を加速させる「道徳的義務」を強調した。
- 優生学 フランシス・ゴルトンが西暦1,883年4月出版の「人間の能力とその発達の研究」で正式に提唱した学問。劣等な子孫の誕生を抑制し、優等な子孫の誕生を促進・保存する事を研究する学問と定義された。西暦1,911年にチャールズ・ダーウィンの息子レオナルド・ダーウィンがイギリス優生学会会長に就任し、翌年から3回の国際優生学会議が開催される事となった。
- イギリス優生学会 優生学に関するイギリスの学会。西暦1,911年、チャールズ・ダーウィンの息子レオナルド・ダーウィンが会長に就任した。
- アメリカ育種家協会優生学委員会 アメリカ育種家協会の下に置かれた優生学委員会。同委員会によって任命された幹事ブリーカー・ヴァン・ワジェネンが、西暦1,912年7月24日からの第1回国際優生学会議でアメリカの強制不妊手術法について語った。
- アメリカの強制不妊手術法 アメリカで制定されていた強制不妊手術に関する法律。西暦1,912年7月24日からの第1回国際優生学会議で、アメリカ育種家協会優生学委員会幹事ブリーカー・ヴァン・ワジェネンが、強制不妊手術が欠陥のある生殖質を断つ最良の方法であるとし、精神障害者・癲癇を持つ者・盲人・聾唖者・奇形者・犯罪者を社会不適合者と位置付けた上で、遺伝子の構成に欠陥がある人間を社会から排除する事を要求した。
- ホテル・セシル 現在のイギリスのロンドンのシティ・オブ・ウェストミンスターに在ったホテル。西暦1,912年7月24日から6日間、レオナルド・ダーウィン主宰の第1回国際優生学会議が開催された。此のホテルは前年1月17日に死去したフランシス・ゴルトンに捧げられたものだった。
- 第1回国際優生学会議 西暦1,912年7月24日から6日間、ホテル・セシルにてレオナルド・ダーウィン主宰で開催された会議。フランシス・ゴルトンに捧げられた。レオナルド・ダーウィンは冒頭の挨拶で「人間の品種改良の原理原則を導入するには道徳的勇気が必要である」と述べ、ブリーカー・ヴァン・ワジェネンがアメリカの強制不妊手術法について語った。主な参加者は海軍大臣ウィンストン・チャーチル、第33代第一海軍卿フランシス・ブリッジマン、アーサー・バルフォア。
- アメリカ自然史博物館 ニューヨーク市マンハッタン区アッパー・ウエスト・サイドに所在する博物館。西暦1,921年9月25日から3日間の第2回国際優生学会議と、西暦1,932年8月22日から2日間の第3回国際優生学会議の開催場所となった。
- 第2回国際優生学会議 西暦1,921年9月25日から3日間、アメリカ自然史博物館にて開催された会議。古生物学者で地質学者のヘンリー・フェアフィールド・オズボーンを議長、アレクサンダー・グラハム・ベルを会長とした。元々は西暦1,915年にニューヨークで開催される予定であったが、第一次世界大戦で優生学研究が中断していた為、其れを再開させる意図があった。アメリカ国務省が世界中の識者に招待状を送った。主賓のレオナルド・ダーウィンが、不適格者の排除・恵まれない者の大家族の抑制・恵まれた者の大家族の奨励を訴えた。
- 第3回国際優生学会議 西暦1,932年8月22日から2日間、アメリカ自然史博物館にて、多額の資金援助を行なったメアリー・ウィリアムソン・ハリマンに捧げられ、アメリカの動物学者チャールズ・ダベンポート主宰で開催された会議。ヘンリー・フェアフィールド・オズボーン・ドミンゴ・F・ラモス・デルガド・ロナルド・フィッシャーが講演し、ロナルド・フィッシャーは「優生学的措置を講じなければ文明は滅亡する」と述べた。IFEO(優生学機関国際連合)の会長にエルンスト・ルーディンが満場一致で選出された。過去2回に参加したレオナルド・ダーウィンは今回は不参加であった。
- IFEO(優生学機関国際連合) 優生学に関する国際組織。西暦1,932年8月22日からの第3回国際優生学会議にて、スイス・ドイツの遺伝学者エルンスト・ルーディンが会長に満場一致で選出された。
共通の祖父医師エラズマス・ダーウィンを持つ従兄弟関係のチャールズ・ダーウィンとフランシス・ゴルトンの長年に亘る書簡交流、ダーウィンの「種の起源」出版とゴルトンの読了反応、ゴルトンの「遺伝的天才」と16段階等級分類、ダーウィンの「人間と動物に於ける感情の表現」出版、ゴルトンの「遺伝的改善」「遺伝の理論」「双子の歴史」とダーウィンによる批評書簡、ゴルトンの「人間の能力とその発達の研究」と「優生学」の正式提唱、レオナルド・ダーウィンのイギリス優生学会会長就任、ホテル・セシルでの第1回国際優生学会議とブリーカー・ヴァン・ワジェネンの強制不妊手術法演説及び海軍大臣ウィンストン・チャーチル・第33代第一海軍卿フランシス・ブリッジマン・アーサー・バルフォアの参加、アメリカ自然史博物館でのヘンリー・フェアフィールド・オズボーン議長とアレクサンダー・グラハム・ベル会長による第2回国際優生学会議、メアリー・ウィリアムソン・ハリマンに捧げられたチャールズ・ダベンポート主宰の第3回国際優生学会議とロナルド・フィッシャーの「優生学的措置を講じなければ文明は滅亡する」発言及びIFEO(優生学機関国際連合)会長へのエルンスト・ルーディン満場一致選出迄──
進化論を主張したチャールズ・ダーウィンと、其の従兄弟で優生学を提唱したフランシス・ゴルトンの書簡交流から、ダーウィンの息子レオナルドを介して3回の国際優生学会議に至る、進化論から優生学への学問的継承と、人間品種改良思想が国際的に組織化される79年間の系譜を年月日単位で追跡した一冊。
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