佐久間象山が見た、
日米和親条約の交渉の舞台・
横浜応接所
一元化
西暦1,854年、扉の外に立たされた兵学者が居た──
佐久間象山が書き残した横浜応接所の二箇月を一元化。
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本書について
西暦1,854年2月11日、帆走補給艦・輸送艦サザンプトンが江戸湾に侵入する。二日後の13日には、マシュー・ペリー率いるサスケハナ・ミシシッピ・蒸気外輪フリゲート艦ポーハタン・帆走スループ艦マセドニアン・帆走スループ艦ヴァンダリア・帆走補給艦レキシントンの6隻が続き、サザンプトンと合流して小柴沖(現在の神奈川県横浜市金沢区柴町)に勢揃いした。其の後、日本とアメリカの間で、応接地を何処にするかの駆け引きが始まる。決着が付いたのは同月27日、香山栄左衛門が横浜を提示し、艦隊の合意を取り付けた事によってであった。本書は、此処から日米和親条約の締結を経て、ペリーが横浜村を去る迄の二箇月弱を、年月日単位で一元化した記録である。
3月4日10時、松代藩が、望月主水を総奉行とする警備隊を横浜へ派遣する。洋銃を持った銃卒24名を一隊とする4隊と、大砲5門を管理する大砲要員30名。小倉藩の陣近くで鉄砲が使えない時の為に、長柄の槍40筋と長巻20振も携えた。川崎宿(現在の神奈川県川崎市川崎区本町・砂子・旭町付近)に到着した一行は、応接の警備全般を統括する浦賀奉行伊沢政義から、火器の類は大小に限らず人目に付かぬ様、筵に包んで横浜へ持ち込む様指示を受ける。大砲も鉄砲も、直接見えない様に全て包んで運び込まれた。後に佐久間象山が其の理由を尋ねた所、アメリカの艦船は性能の良い望遠鏡で東海道を観察しており、どんな武器を持っているか色まではっきり識別出来る為、不必要な刺激を避けるのだ、との説明が返って来た。
3月5日、佐久間象山が軍議役として、警備隊から1日遅れで横浜へ発つ。神奈川宿(現在の神奈川県横浜市神奈川区東神奈川の東神奈川駅付近)に泊まった夜、訪ねて来た浦賀奉行所の同心と艦隊の情報を交換し、翌6日には其の同心が手配した、9名の水夫が漕ぐ早舟で横浜に着いた。同じ日、横浜には5棟から成る応接所が完成する。前年にミラード・フィルモアの親書の受け渡しを行った久里浜の応接所(現在の神奈川県横須賀市久里浜の久里浜駅付近)を解体し、僅か4日で移築した物であった。江戸幕府は、沿海を警衛する諸藩とは別に、松代藩と小倉藩の2藩へ、此の応接所の警衛を命じている。
3月8日、ペリー率いる艦隊が横浜に上陸する。威圧を意図し、総勢600名中446名が乗り込んだ。此の日が、横浜応接所に於ける日本とアメリカの最初の応接日であった。佐久間象山は応接の様子を知りたいと考えていたが、松代藩の警備地点は応接所から東に220m、内部を覗く事は出来ない。所が其の折、日本側交渉委員の1人であった伊沢政義から松代藩主真田幸教へ、警備に加わっていた医師で松代藩御用絵師の高川文筌を、伊沢付き医師として派遣して欲しいとの依頼が届く。真田は之に応じ、佐久間に、高川と伊沢の近習に交じって横浜応接所へ入り図取りする様命じた。斯うして一人の兵学者が、日米交渉の現場に立った。
佐久間が其の日に書いた書簡は、応接所の内側を克明に伝える。饗応の席は大層広く、其の奥に約12.96㎡の座敷が在り、此処が密談所であった。三方に高さ約90cm程の床が設けられ、一面に毛氈が掛けてある。士分の者44名と黒人の従者4、5名が入室して腰を掛け、茶・煙草盆・カステラ・有平糖が振る舞われた。軈てペリー以下5名が密談所へ案内され、林復斎・井戸覚弘・伊沢政義・鵜殿鳩翁が之に対する。極秘の話し合いで、外には何1つ漏れて来ない。残る39名に吸物・口取り・刺身と酒が出される間、扉の奥で何が話されたのかを、佐久間は知る術が無かった。彼は書簡に、あの密談には如何にも深い意味が有りそうに見える、何れ交易を認める事になるのは間違いない様子だが、余程都合の良い手立てでも有るのか、彼等は帰り際も皆で囁き合い嬉しそうにしていた、と記している。
3月13日、贈り物33品目が24艘の小舟で運ばれ、横浜で陸揚げされる。蒸気機関車の模型一式、電信機、標準天秤、六連発の短筒、剣付鉄砲3挺、姿見大鏡、書籍16冊——文明の力を並べて見せる品目であった。15日には、旗艦所属の画家・写真家エリファレット・ブラウン・ジュニアが、ダゲレオタイプのカメラで佐久間の乗って来た馬を、続いて佐久間自身を撮影する。佐久間はカメラを指して「ダゲウロライペン」と呼び掛け、其の構造が、楢林鉄之助から入手した製作法の本に載っていた物と概ね同じである事を確かめた。匣の形は稍平たく、鏡を収める部分は横に突き出した黄銅の筒で、先端の雌ねじにレンズを付け替えて使う仕組みであった。
3月31日、横浜応接所にて日米和親条約が締結される。日本側全権は林復斎、アメリカ側全権はマシュー・ペリー。全12条は、下田・箱館の開港と薪水・食料・石炭の供給、漂着したアメリカ船の救助と漂流民の送還、他国に与えた権利を直ちにアメリカにも与える事、調印から18ヶ月後以降に下田へアメリカの官吏を置く事等を定めた。此の卓に、ジョン万次郎の姿は無い。江川英龍は万次郎を通訳官兼外交顧問にする積もりで指導していたが、万次郎をアメリカからのスパイだと疑っていた徳川斉昭が、アメリカに恩義のある万次郎はアメリカ側に立って案件を処理するに違いないとして登用に反対した。結果、万次郎は翻訳作業にしか携わる事が出来ず、交渉は江戸幕府のオランダ語通訳を介して行われる事となる。
4月6日、ペリーは横浜応接所の浜辺に上陸し、横浜村(現在の神奈川県横浜市中区)を散策した。警備に当たっていた松代藩の中には佐久間象山も居た。通り掛かりに一行の前を過ぎた時、ペリーは鳥渡会釈して通ったという。並みの人には会釈をしないと言われた男の、其の一礼。8日、佐久間は自身の正室で勝小吉の娘である勝順子へ、其の出来事を書き送っている。何程の事も無いのだが、と。密談所の扉の外に立たされた一人の兵学者が、見た物と見られなかった物とを其の儘に書き残した二箇月弱——本書は其の全記録を一冊に束ねている。
登場人物
- 佐久間象山 本書の中心人物。松代藩の軍議役として西暦1,854年3月5日に横浜へ発ち、藩主真田幸教の命により、高川文筌と伊沢政義の近習に交じって横浜応接所へ入り図取りを行った。密談所の扉の外から日米和親条約の交渉を見届け、其の一部始終を書簡と日記に書き残している。ダゲレオタイプのカメラを其の場で「ダゲウロライペン」と呼び、構造を書物の記述と照合した人物でもある。
- マシュー・ペリー アメリカ側の艦隊司令長官であり、日米和親条約のアメリカ側全権。西暦1,854年2月13日に6隻を率いて江戸湾へ侵入し、3月8日には威圧を意図して総勢600名中446名を横浜に上陸させた。4月6日には横浜村を散策し、其の際に佐久間象山ら松代藩の前を通り、鳥渡会釈して通っている。
- 香山栄左衛門 西暦1,854年2月27日、日本とアメリカの応接地として横浜を提示し、マシュー・ペリー率いる艦隊の合意を取り付けた人物。此の一点によって、交渉の舞台が横浜に定まった。
- 伊沢政義 浦賀奉行として応接の警備全般を統括し、日本側交渉委員の1人として密談所にも列席した。川崎宿に着いた松代藩へ、火器の類は大小に限らず筵に包んで持ち込む様指示を出し、又、真田幸教に高川文筌の派遣を依頼して、結果的に佐久間象山を応接所の内側へ導く事となった。
- 真田幸教 松代藩主。伊沢政義からの高川文筌派遣の依頼に応じ、佐久間象山に対して、高川・伊沢の近習に交じり横浜応接所に入って図取りする様命じた。本書の記録は、此の一命から生まれている。
- 望月主水 松代藩の警備隊総奉行。西暦1,854年3月4日10時、洋銃を持った銃卒24名を一隊とする4隊と、大砲5門を管理する大砲要員30名を率いて横浜へ派遣された。長柄の槍40筋と長巻20振も装備している。
- 高川文筌 松代藩の警備に加わっていた医師で、松代藩御用絵師。伊沢政義付きの医師として横浜応接所に入り、内部の様子を頻りに写生した。アメリカ側の者達は其の絵を珍しがって覗き込み、肖像を描いて貰った者は署名を求め、「文筌写」の読みを「ぶんせん」と教わって繰り返し口にしたという。
- 林復斎 日米和親条約の日本側全権。西暦1,854年3月31日、横浜応接所にて全12条から成る条約に調印した。3月8日の初応接では、井戸覚弘・伊沢政義・鵜殿鳩翁と共に密談所へ入り、ペリー以下5名と長時間にわたり相対している。
- 井戸覚弘 日本側の交渉委員の1人。西暦1,854年3月8日の初応接で、林復斎・伊沢政義・鵜殿鳩翁と共に密談所に入った4名の1人である。
- 鵜殿鳩翁 日本側の交渉委員の1人。西暦1,854年3月8日の初応接で、林復斎・井戸覚弘・伊沢政義と共に密談所に入り、外へ何1つ漏れて来ない話し合いに臨んだ。
- エリファレット・ブラウン・ジュニア 旗艦所属の画家・写真家。西暦1,854年3月15日、ダゲレオタイプのカメラで佐久間象山の乗って来た馬を撮影し、続いて佐久間自身の姿も写した。佐久間が「ダゲウロライペン」と発音したのを喜び、手を挙げて招き寄せ、カメラの構造を見せている。
- 楢林鉄之助 佐久間象山が、カメラの製作法を記した本を入手した相手。佐久間は其の書物の記述と、ブラウン・ジュニアの実機とを、匣の形やレンズの取り付け方に至るまで照合した。
- ジョン万次郎 江川英龍が通訳官兼外交顧問にする積もりで指導した人物。然し徳川斉昭の反対により、日米和親条約の交渉に加わる事は出来ず、翻訳作業にしか携われなかった。
- 江川英龍 ジョン万次郎を通訳官兼外交顧問に据える積もりで指導した人物。其の構想は徳川斉昭の反対によって実現しなかった。
- 徳川斉昭 ジョン万次郎をアメリカからのスパイだと疑い、アメリカに恩義のある万次郎はアメリカ側に立って案件を処理するに違いないとして、其の登用に反対した。結果、日米和親条約の交渉は江戸幕府のオランダ語通訳を介して行われる事となった。
- 勝順子 佐久間象山の正室で、勝小吉の娘。西暦1,854年4月8日、佐久間は彼女へ宛てて、マシュー・ペリーが上陸した折に鳥渡会釈して通った事を書き送っている。
- ミラード・フィルモア 前年に親書を送ったアメリカ大統領。其の受け渡しの為に久里浜へ建てられた応接所が解体され、僅か4日で横浜へ移築されて、日米和親条約交渉の舞台となった。
本書が記録する出来事
- 江戸湾侵入と小柴沖の勢揃い 西暦1,854年2月11日、帆走補給艦・輸送艦サザンプトンが江戸湾に侵入。13日にはマシュー・ペリー率いる6隻が続き、サザンプトンと合流して小柴沖(現在の神奈川県横浜市金沢区柴町)に勢揃いした。
- 応接地を巡る駆け引き 艦隊の到着後、日本とアメリカの間で応接地を何処にするかの駆け引きが発生した。2月27日、香山栄左衛門が横浜を提示し、艦隊の合意を取り付けて決着する。
- 松代藩警備隊の派遣 3月4日10時、松代藩が望月主水を総奉行とする警備隊を横浜へ派遣。洋銃を持った銃卒24名を一隊とする4隊と、大砲5門を管理する大砲要員30名に加え、長柄の槍40筋と長巻20振を備えた。
- 筵に包まれた火器 川崎宿に到着した松代藩は、浦賀奉行伊沢政義から、火器の類は大小に限らず人目に付かぬ様、筵に包んで横浜へ持ち込む様指示を受ける。アメリカの艦船が性能の良い望遠鏡で東海道を観察し、武器の色までも識別出来た為であった。
- 横浜応接所の移築 3月6日、横浜に5棟から成る応接所が完成する。前年にミラード・フィルモアの親書の受け渡しを行った久里浜の応接所を解体し、4日で移築した物であった。江戸幕府は松代藩と小倉藩に其の警衛を命じている。
- 446名の上陸 3月8日、マシュー・ペリー率いる艦隊が横浜に上陸。威圧を意図し、総勢600名中446名が乗り込んだ。約5.44kgの榴弾砲を1挺ずつ積んだ12隻のボートが祝砲を数十発放ち、佐久間象山は其の手際の良さを書き留めた。
- 密談所での話し合い 初応接の日、饗応の席の奥に在る約12.96㎡の座敷へ、ペリー以下5名が案内されて入り、林復斎・井戸覚弘・伊沢政義・鵜殿鳩翁が之に対した。極秘の話し合いで、外には何1つ漏れて来なかった。
- 佐久間象山の書簡 同じ日に佐久間が書いた書簡は、毛氈を掛けた床、44名の士分と黒人の従者、カステラと有平糖、養老酒を好んだ客人、高川文筌の写生を覗き込む一同、そして密談への疑いまでを、応接所の内側から記録している。
- 贈り物33品目の陸揚げ 3月13日、マシュー・ペリー率いる艦隊が33品目の贈り物を24艘の小舟で持参し、横浜で陸揚げされる。蒸気機関車の模型一式・電信機・標準天秤・六連発の短筒・剣付鉄砲3挺・姿見大鏡・書籍16冊等が並んだ。
- ダゲレオタイプによる撮影 3月15日、旗艦所属の画家・写真家エリファレット・ブラウン・ジュニアが、ダゲレオタイプのカメラで佐久間象山の馬を、続いて佐久間自身を撮影した。佐久間は其の構造を、楢林鉄之助から入手した書物の記述と照合している。
- 日米和親条約の締結 3月31日、横浜応接所にて日米和親条約が締結される。日本側全権は林復斎、アメリカ側全権はマシュー・ペリー。下田・箱館の開港、漂流民の送還、他国に与えた権利を直ちにアメリカにも与える事、18ヶ月後以降の下田への官吏駐在等、全12条から成った。
- 卓から外されたジョン万次郎 江川英龍が通訳官兼外交顧問に据えようとしたジョン万次郎は、徳川斉昭の反対により翻訳作業にしか携われなかった。交渉は江戸幕府のオランダ語通訳を介して行われる事となる。
- 横浜村の散策と一礼 4月6日、マシュー・ペリーが横浜応接所の浜辺に上陸し、横浜村(現在の神奈川県横浜市中区)を散策する。警備に当たっていた佐久間象山らの前を通り掛かった際、ペリーは鳥渡会釈して通った。
- 勝順子への書簡 4月8日、佐久間象山が正室の勝順子へ、ペリーの会釈に就いて書き送る。並みの人には会釈をしないと言われた男の一礼を、人々は彼此言っていた様に見えた——本書は此の一通で閉じる。
江戸湾侵入から日米和親条約の締結まで──
密談所の内と外で起きた事の全てを一元化。
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