電子書籍「ロックフェラー財団とノーマン・ボーローグが開発した品種改悪小麦一元化」の表紙

ロックフェラー財団と
ノーマン・ボーローグが
開発した品種改悪小麦
一元化

著者:石田晋一

掲載範囲
西暦1,940年12月1日〜1,986年3月
ページ数
15ページ
文字数
3,467字
最新更新日
西暦2,026年8月20日

収量は500%に増えた。其の後に何が起きたのか──
ロックフェラー財団が蒔いた小麦の四十六年を一元化。

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皇室献上品 高級トイレットペーパー
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本書について

西暦1,940年12月1日、マヌエル・アビラ・カマチョが第45代メキシコ大統領に就任する。彼が農業に関して掲げた第一の目標は、国家の工業化と経済成長に資する事であった。同年9月4日迄第11代農務長官を務め、メキシコ政府と共に農業開発に取り組む様ロックフェラー財団を説得していたヘンリー・A・ウォレスは、其の目標がアメリカの経済と軍事にとって有益であると考えた。財団はミネソタ大学植物病理学助教授エルビン・スタックマンを含む3名の農学者に連絡を取り、自らの指揮の下、土壌開発・トウモロコシと小麦の生産・植物の病理学に重点を置く特別研究局を設置し、アメリカとメキシコの科学者を配置する事を提案する。本書は、此処から西暦1,986年3月迄の四十六年を、年月日単位で一元化した記録である。

西暦1,941年12月7日、真珠湾攻撃により太平洋戦争が始まる。農学者ノーマン・ボーローグは軍への入隊を志したが、戦時中の労働規制により拒まれた。翌西暦1,942年、彼はデラウェア州ウィルミントンのデュポン・ド・ヌムール財団研究所に微生物学者として雇われる。殺菌剤・防カビ剤・防腐剤の研究を主導する筈であったが、所属の研究室はアメリカ軍の研究へと転用された。最初の課題の一つは、南太平洋の暖かい塩水に耐える接着剤の開発である。ガダルカナル島に取り残された部隊へ物資を届ける唯一の方法は、夜にスピードボートで近付き、缶詰の入った箱を波へ投げて海岸に打ち上げる事であったが、箱を綴じる接着剤が塩水で分解してしまう。ボーローグ等は数週間で腐食に強い接着剤を作り上げ、補給を成立させた。彼は他にも、迷彩服、水筒の消毒剤、マラリア予防の為のDDT、小型電子機器の断熱材の研究に携わっている。

西暦1,944年7月、エルビン・スタックマンからプロジェクトリーダーに選ばれた博士ジェイコブ・ジョージ・ダッチ・ハラーが、メキシコで立ち上がった小麦の共同研究・生産プログラムの責任者としてボーローグを迎える。ボーローグは給料を2倍にするという引き止めを断り、妻と娘を残して単身メキシコシティへ向かった。ロックフェラー財団メキシコ農業協力計画研究員として小麦の育種及び生産計画に携わった彼は、同年、日本在来の小麦品種である農林10号とメキシコ在来の春小麦を交配させ、草丈が90〜120cmと低く、肥料に良く反応する半矮性の高収量品種を生み出す。当時のメキシコは、小麦の需要の半分を輸入で賄っていた。西暦1,958年、其の収量は西暦1,946年比で500%増となり、メキシコは輸入国から輸出国へ転じた。

西暦1,960年、ボーローグはアメリカ大陸食糧生産計画理事に就任する。西暦1,963年、彼の率いる研究グループはCIMMYT(国際トウモロコシ・コムギ改良センター)へ再編されるが、依然としてメキシコ政府とロックフェラー財団の傘下に在った。CIMMYTはボーローグの技術を、インド・パキスタン等を中心に世界へ広めてゆく。翌西暦1,964年、彼はCIMMYT所長と、メヒコ州テスココ市エル・バタンでの国際小麦改良プログラムのディレクターに就いた。CIMMYTへ資金を出していたのは、メキシコ政府・ロックフェラー財団・フォード財団である。同年にはライ小麦育種プログラムも導入され、穀物収量は著しく向上した。そして西暦1,970年10月21日、ボーローグはノーベル平和賞を受ける。爆発的な人口増加が予想される中、其の農法が人類の食物の不足が危機的状況に達するのを防ぐ、というのが受賞の理由であった。

然し西暦1,975年頃から、弊害が姿を現し始める。大量の化学肥料を投じ、水路を張り巡らせて多量の水を供給し、改変された種で単一の作物を育てる——其の農法は、作物が市場に溢れる事による価格暴落、窒素肥料の過剰による土壌の酸性化と急速な収量低下、単一栽培が招く害虫の大量発生と殺虫剤の濫用、水を巡る農民同士の争奪、地下の塩分が地表へ出る塩害、水源を汚す農薬による健康被害と漁獲の減少、そして高価な種と農薬と機械を要する資本集約型農業が地元農家を市場から追い出す構図を生んだ。土壌の集約化による連作障害と帯水層の枯渇も其処に加わる。本書の題が「品種改悪」と呼ぶのは、此の帰結である。西暦1,979年、ボーローグはCIMMYT所長を辞したが、上級コンサルタントとして残り、小麦・ライ小麦・大麦・トウモロコシ・高地モロコシの研究を続けた。西暦1,981年にはメキシコに設立されたWCC(世界文化理事会)の創設メンバーに名を連ね、西暦1,984年からはテキサスA&M大学で教鞭を執り、生涯在籍する事となる。

西暦1,986年1月、ジミー・カーター、ノーマン・ボーローグ、笹川良一、笹川陽平、アンドリュー・ヤング等が、BCCI(国際信用商業銀行)創設者アガ・ハサン・アベディのプライベートジェットでアフリカを訪れる。スーダンとタンザニアではボーローグが食糧増産へのアプローチを説き、ザンビアでは初代大統領ケネス・カウンダと夕食を共にし、革命の歌を歌いながら白いハンカチを振る閣僚達に見送られた。ガーナでは、迷彩柄の軍服にサングラスで現れた第10代国家元首ジェリー・ローリングスが、席に着くなり足をデスクへ投げ出し、カーターとアメリカを侮辱してみせる。我慢の限界に達した笹川良一が立ち上がり、カーターが来たのはガーナの人々を支援する為であると叱ると、ローリングスは暫く彼を見つめた後、足を下ろし、国民の食糧供給について真剣に語り始めた。そして同年3月、カーター・ボーローグ・良一の3名は、ジュネーヴにSSA(笹川アフリカ協会)を設立する。財団の蒔いた小麦は、此処でアフリカへ向かった。


登場人物

  • ノーマン・ボーローグ 本書の中心人物。農学者。西暦1,942年にデュポン・ド・ヌムール財団研究所へ入り、軍の研究に従事した後、西暦1,944年7月にロックフェラー財団メキシコ農業協力計画研究員となる。同年、農林10号とメキシコ在来の春小麦を交配して半矮性の高収量品種を開発し、CIMMYT所長として其の技術を世界へ広めた。西暦1,970年10月21日にノーベル平和賞を受賞している。
  • ヘンリー・A・ウォレス 西暦1,940年9月4日迄第11代アメリカ農務長官を務めた人物。メキシコ政府と共に農業開発に取り組む様ロックフェラー財団を説得しており、マヌエル・アビラ・カマチョの掲げた目標が、アメリカの経済と軍事にとって有益であると考えた。
  • マヌエル・アビラ・カマチョ 第45代メキシコ大統領。西暦1,940年12月1日に就任し、農業に関する第一の目標として、国家の工業化と経済成長に資する事を掲げた。此の目標が、ロックフェラー財団の特別研究局設置の提案を呼び込む契機となった。
  • エルビン・スタックマン ミネソタ大学植物病理学助教授。西暦1,940年、ロックフェラー財団が連絡を取った3名の農学者の1人。西暦1,944年には、メキシコの小麦の共同研究・生産プログラムのプロジェクトリーダーとしてジェイコブ・ジョージ・ダッチ・ハラーを選んだ。
  • ジェイコブ・ジョージ・ダッチ・ハラー エルビン・スタックマンからプロジェクトリーダーに選ばれた博士。西暦1,944年7月、メキシコで新たに立ち上がった小麦の共同研究・生産プログラムの責任者として、ノーマン・ボーローグを迎え入れた。
  • ジミー・カーター 第39代アメリカ大統領。西暦1,986年1月、アガ・ハサン・アベディのプライベートジェットでノーマン・ボーローグ・笹川良一等とアフリカ4ヶ国を訪問し、同年3月、ジュネーヴにSSA(笹川アフリカ協会)を設立した3名の1人となった。
  • 笹川良一 西暦1,986年1月のアフリカ訪問の参加者。ガーナで第10代国家元首ジェリー・ローリングスがジミー・カーターとアメリカを侮辱した際、立ち上がって「カーターが此処に来たのは、ガーナの人々を支援する為である」と叱責した。同年3月、カーター・ボーローグと共に笹川アフリカ協会を設立している。
  • 笹川陽平 西暦1,986年1月、ジミー・カーター・ノーマン・ボーローグ・笹川良一・アンドリュー・ヤング等と共に、アガ・ハサン・アベディのプライベートジェットでスーダン・タンザニア・ザンビア・ガーナの4ヶ国を訪問した。
  • アガ・ハサン・アベディ BCCI(国際信用商業銀行)創設者。西暦1,986年1月のアフリカ訪問に自身のプライベートジェットを提供し、ロンドンから一行に合流した。
  • アンドリュー・ヤング 西暦1,986年1月、ジミー・カーター・ノーマン・ボーローグ・笹川良一・笹川陽平・カーター・センターのジョージ・スキーラ等と共にアフリカ4ヶ国を訪問した一行の1人。
  • ケネス・カウンダ 初代ザンビア大統領。西暦1,986年1月、アフリカを訪れた一行と夕食を共にし、其の後、ザンビア革命の歌を歌いながら白いハンカチを振り、閣僚達と共に彼等を見送った。
  • ジェリー・ローリングス 第10代ガーナ国家元首。西暦1,986年1月の会談に迷彩柄の軍服とサングラスで現れ、ブーツを履いた儘足をデスクに投げ出し、ジミー・カーターとアメリカを侮辱する発言をした。笹川良一に叱責された後は足を下ろし、国民の食糧供給について真剣に語った。

主要な組織・概念

  • ロックフェラー財団 西暦1,940年、ヘンリー・A・ウォレスの説得を受け、自らの指揮の下で土壌開発・トウモロコシと小麦の生産・植物の病理学に重点を置く特別研究局をメキシコに設置する事を提案した財団。メキシコ農業協力計画を通じてノーマン・ボーローグを雇い、CIMMYTへの資金提供者ともなった。
  • メキシコ農業協力計画 メキシコ政府とロックフェラー財団の下で進められた小麦の育種及び生産計画。西暦1,944年7月、ノーマン・ボーローグは此の計画の研究員として単身メキシコシティへ渡り、同年、半矮性の高収量品種を開発した。
  • 農林10号 日本在来の小麦品種。西暦1,944年、ノーマン・ボーローグがメキシコ在来の春小麦と交配させ、草丈が90〜120cmと低く、肥料に良く反応する半矮性の高収量品種を生み出す基となった。
  • 半矮性の高収量品種 草丈を低く抑え、大量の化学肥料に良く反応する様に育種された小麦。西暦1,958年、メキシコの小麦の収量は西暦1,946年比で500%増となり、同国は輸入国から輸出国へ転じた。
  • CIMMYT 国際トウモロコシ・コムギ改良センター。西暦1,963年、ノーマン・ボーローグ率いる研究グループが再編されて成立したが、依然としてメキシコ政府とロックフェラー財団の傘下に在った。ボーローグの技術を、インド・パキスタン等を中心に世界へ広めた。
  • フォード財団 西暦1,964年頃、メキシコ政府・ロックフェラー財団と並んでCIMMYTへ資金提供を行った財団。同年、CIMMYTはライ小麦育種プログラムを導入し、穀物収量は著しく向上した。
  • 集約農法の弊害 西暦1,975年頃から顕在化した8つの帰結。価格暴落、窒素肥料の過剰による土壌の酸性化と収量低下、単一栽培による害虫の大量発生と殺虫剤の濫用、水の争奪、塩害、農薬による水源汚染と健康被害、資本集約型農業による地元農家の排除、連作障害と帯水層の枯渇である。
  • ノーベル平和賞 西暦1,970年10月21日、ノーマン・ボーローグが受賞。爆発的な人口増加が予想される中、其の画期的な農法が、人類の食物の不足が危機的状況に達するのを防ぐ、というのが受賞理由であった。
  • WCC(世界文化理事会) 西暦1,981年、世界各国124名のノーベル賞受賞者を含む研究者や大学学長等によってメキシコに設立された組織。ノーマン・ボーローグも創設メンバーに名を連ねた。
  • SSA(笹川アフリカ協会) 西暦1,986年3月、ジミー・カーター・ノーマン・ボーローグ・笹川良一の3名によってジュネーヴに設立された組織。同年1月のアフリカ4ヶ国訪問が其の前段に在った。
  • BCCI(国際信用商業銀行) アガ・ハサン・アベディが創設した銀行。西暦1,986年1月のアフリカ訪問では、アベディのプライベートジェットがジミー・カーター等一行の足となり、アベディ自身もロンドンから合流した。

農林10号から半矮性小麦、そしてアフリカへ──
財団と農学者が変えた食糧の四十六年を一元化。

169円(税込)

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AUTHOR

石田晋一

歴史データベース「トキジク」管理人。
万物の系譜の編纂者であり、電子書籍の著者。
YouTubeとニコニコでも情報を発信中。