南北戦争の黒幕は
マシュー・ペリーの娘婿の
オーガスト・ベルモント一元化
ライン川沿いのアルツァイ、ウォール街78番地、ブラデンスバーグの決闘場、ニューヨーク5番街18番通り、ハーグの大使公邸、チャールストンの民主党全国大会、南北戦争の戦場、ジェロームパーク競馬場──
オーガスト・ベルモントの誕生から、N・M・ロスチャイルド&サンズ見習い、ウォール街での「オーガスト・ベルモント&カンパニー」設立、マシュー・ペリーの娘との結婚、駐ハーグアメリカ大使就任、アメリカ民主党全国大会議長としての南北分裂、北部債と南部債の両方への投資、リンカーン再選への多額の資金提供、ベルモントステークス初開催迄、ロスチャイルド家の代理人でマシュー・ペリーの娘婿が南北戦争の黒幕となる54年間の系譜を年月日単位で追跡した一冊。
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本書について
西暦1,813年12月8日、アルツァイ(現在のドイツのラインラント・プファルツ州アルツァイ・ヴォルムス郡)にて、シナゴーグの秘書サイモン・ベルモントとフレデリカ・エルサスの間に、オーガスト・ベルモントが生誕した。西暦1,821年6月9日にフレデリカが死去すると、オーガストは、2度寡婦となったサイモンの母ガートルード・ハーナウに引き取られ、フランクフルトで暮らす様になった。西暦1,828年、サイモンが財政難に陥り、オーガストの学費が払えなくなる。此れによりオーガストは、メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドがユダヤ教徒とキリスト教徒のコミュニティを統合する事を目的として設立した学校「フィランスロピン」を退学した。ガートルードは、自身の2人目の夫であったハユム・ハーナウの人脈を活用し、ドイツ・ロスチャイルド家に頼み込んで、ベルモントをN・M・ロスチャイルド&サンズの見習い職に就かせた。ハユムの異母姉妹であるエヴァ・ハーナウは、アムシェル・メイヤー・フォン・ロスチャイルドの妻であった。本書は、此の遠縁の縁から始まったオーガスト・ベルモントの経歴を、彼がマシュー・ペリーの娘婿として南北戦争の黒幕となる迄追跡し、ロスチャイルド家の代理人としてアメリカ史の核心部に喰い込んだ54年間の系譜を、一本の時系列に貫き、一元化した一冊である。
西暦1,832年、オーガスト・ベルモントが、ドイツ・ロスチャイルド商会から機密事務員に任命された。西暦1,834年には、ドイツ・ロスチャイルド商会のパートナーの1人の秘書兼旅行随行員となり、パリ・ナポリ・バチカンを旅した。西暦1,837年、イギリス・ロスチャイルド商会とフランス・ロスチャイルド商会は、第一次カルリスタ戦争で不安定化したスペイン帝国の資産に懸念を抱き、ベルモントをニューヨーク経由でキューバへ派遣した。ベルモントは、ハバナへ向かう途上でニューヨークに寄港し、7,000,000ドルの負債を抱えて倒産したロスチャイルド家のアメリカ代理店「J.L.&S.I.ジョセフ商会」を含む、何百ものアメリカ企業が倒産に直面した恐慌を目の当たりにした。其処で、キューバ行きを独自の判断で延期し、倒産したJ.L.&S.I.ジョセフ商会に取って代わってロスチャイルド家の権益を監督する事を意図し、ウォール街78番地に「オーガスト・ベルモント&カンパニー」を設立した。恐慌を利用して安価で証券を買い漁り、ロスチャイルド家から年俸100,000ドルでアメリカに於ける代理人に任命された。
西暦1,841年7月、ニブロズ・ガーデン(アメリカのニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタン)にて、オーガスト・ベルモントが、自身の不倫相手である既婚女性をニューヨーク市とサリバンズアイランド(アメリカのサウスカロライナ州)で二拠点生活をしていたエドワード・レイト・ヘイワードに侮辱され、ベルモントが抗議すると、ヘイワードはベルモントを殴った。ベルモントはヘイワードに決闘を申し入れた。同年9月、ブラデンスバーグ(アメリカのメリーランド州)にてベルモントとヘイワードが決闘を行ったが、ヘイワードは無傷であった一方、ベルモントは太腿への被弾で重傷を負い、以降ベルモントは伺無しでは歩けなくなった。西暦1,844年、ベルモントは、オーストリア帝国政府の任命により、オーストリア帝国ニューヨーク総領事に就任した。以前からベルモントは、ロスチャイルド家とクレメンス・フォン・メッテルニヒの密接な繋がりを活かし、中米やヨーロッパの外交・金融業務を支援していた。西暦1,846年4月25日に米墨戦争が勃発した頃には、ベルモントはアメリカ財務省が借り入れた大部分の貸付金の主要な引受人となっていた。
西暦1,849年、オーガスト・ベルモントが、ユニオンクラブを通じて、マシュー・ペリーの娘キャロライン・スライデル・ペリーの叔父で、ルイジアナ州民主党の主要メンバーであるジョン・スライデルと出会った。スライデルは翌年迄に、ベルモントに政界入りを勧めた。同年11月7日、ベルモントは、サラトガでスライデルを通じて出会ったキャロライン・スライデル・ペリーと結婚した。其の後、ニューヨーク5番街18番通りに豪邸を建設し、客人を持て成した。西暦1,850年、ベルモントは、オーストリア帝国政府のハンガリー革命鎮圧に抗議し、オーストリア帝国ニューヨーク総領事職を辞任した。西暦1,851年12月6日、コシュート・ラヨシュがニューヨークに亡命した事による外交的緊張により、ヨハン・ゲオルク・リッター・フォン・ヒュルゼマンがオーストリア帝国駐アメリカ代理公使職を辞任、後任としてベルモントが此れを引き継ぎ、ミラード・フィルモアと知己を得た。同月28日、ベルモントとキャロラインの間に、長男ペリー・ベルモントが生誕した。
西暦1,853年2月18日、オーガスト・ベルモントとキャロライン・スライデル・ペリーの間に、弐男オーガスト・ベルモント・ジュニアが生誕した。同年10月11日、第14代アメリカ大統領フランクリン・ピアースの任命により、ベルモントが臨時の駐ハーグ(オランダの南ホラント州)アメリカ大使に着任した。西暦1,854年9月27日、長女フレデリカ・ボルトン・ベルモントが生誕し、同日ベルモントは正式な駐ハーグアメリカ大使となった。同年12月、マシュー・ペリーが、ハーグに居る娘夫婦を訪ね、オーガスト・ベルモント、キャロライン・スライデル・ペリー、ペリー・ベルモント、オーガスト・ベルモント・ジュニア、フレデリカ・ボルトン・ベルモント、マシューの妻ジェーン・スライデル・ペリー、マシューとジェーンの末娘イザベラ・ボルトン・ペリーが出迎えた。西暦1,856年4月11日には弐女ジェーン・ポーリーン・ベルモントが生誕し、西暦1,857年9月22日、ベルモントは駐ハーグアメリカ大使を退任、ハーグ在任中に収集した絵画を持ち帰り、其の後ベルモントの自宅は美術館の様になった。西暦1,858年11月12日、参男オリバー・ハザード・ペリー・ベルモントが生誕した。
西暦1,860年4月23日から同年5月3日迄、チャールストン(アメリカのサウスカロライナ州)にてアメリカ民主党の全国大会が開かれ、オーガスト・ベルモントは議長を務めた。奴隷制を強く支持し、アメリカからの脱退を促し、南部諸州の独立を唱える南部過激派「ファイア・イーター」に従う形で、南部民主党員の一部が退席した。同年11月6日、第19回アメリカ大統領選が行われ、エイブラハム・リンカーン(共和党)、ジョン・ブレッキンリッジ(南部民主党)、ジョン・ベル(立憲連合党)、スティーブン・ダグラス(北部民主党)の4名が候補として争った。ダグラスの計らいで民主党全国委員会委員長に就いていたベルモントは、ダグラスに資金提供を行った。結果、反奴隷制の北部民主党と奴隷制維持の南部民主党に分裂した事で、リンカーンが、南部で1州も勝てなかったにも拘らず、第16代アメリカ大統領に選出された。
西暦1,861年4月12日、南北戦争が勃発した。両軍は以下の支援を受けていた。北部アメリカ軍側はオーガスト・ベルモント、兄弟で200,000,000ドルの北部債を購入したジョセフ・セリグマン・ウィリアム・セリグマン・ジェームス・セリグマン・ジェシー・セリグマン、北部の輸入支援とナサニエル・ロスチャイルドへの北部債購入の働き掛けを行ったジェームス・ド・ロスチャイルド、アメリカ軍に軍服を売ったエイブラハム・クーン。南部アメリカ連合国軍側はオーガスト・ベルモント(南部債を購入)、ラファエル・エルランガーと其の兄弟、ピーボディ商会、親子で戦局を利用した金投機で稼いだジューニアス・モルガン・ジョン・モルガン、トーマス・ウィリアム・ハウス・シニア。ベルモントは、北部債と南部債の両方を購入し、戦争の双方から利益を引き出す立場に立った。西暦1,863年7月19日、ベルモントとキャロラインの間に四男レイモンド・ロジャース・ベルモントが生誕した。西暦1,864年11月8日、第20回アメリカ大統領選が行われ、エイブラハム・リンカーンが再選を果たした。ベルモントはリンカーンに対して多額の資金提供を行っていた。
西暦1,866年9月25日、ジェロームパーク競馬場が、ニューヨーク州ウェストチェスター郡フォーダム(現在のアメリカのニューヨーク州ニューヨーク市ブロンクス区)にオープンした。ウィンストン・チャーチルの母方の祖父レナード・ジェロームとオーガスト・ベルモントが、設立に尽力した。西暦1,867年6月19日、ベルモントの名を冠した、アメリカクラシック三冠の1つである「ベルモントステークス」が、ジェロームパーク競馬場にて初開催された。本書は、此の54年に亘る、アルツァイのシナゴーグ秘書の息子オーガスト・ベルモントの誕生から、N・M・ロスチャイルド&サンズ見習い、ウォール街での「オーガスト・ベルモント&カンパニー」設立、ブラデンスバーグでの決闘での被弾、マシュー・ペリーの娘との結婚、駐ハーグアメリカ大使就任、アメリカ民主党全国大会議長としての南北分裂演出、北部債と南部債の両方への投資、リンカーン再選への多額の資金提供、ベルモントステークス初開催迄、ロスチャイルド家の代理人でマシュー・ペリーの娘婿が南北戦争の黒幕となる系譜の全過程を、年月日単位で記録した年表である。
登場人物
- オーガスト・ベルモント 西暦1,813年12月8日、アルツァイにて、シナゴーグの秘書サイモン・ベルモントとフレデリカ・エルサスの間に生誕。西暦1,828年にフィランスロピンを退学し、ドイツ・ロスチャイルド家の縁戚関係を介してN・M・ロスチャイルド&サンズの見習い職に就いた。西暦1,837年、ウォール街78番地に「オーガスト・ベルモント&カンパニー」を設立し、ロスチャイルド家から年俸100,000ドルでアメリカに於ける代理人に任命された。西暦1,841年9月にブラデンスバーグでエドワード・レイト・ヘイワードと決闘し、太腿への被弾で重傷を負った。西暦1,844年にオーストリア帝国ニューヨーク総領事就任、西暦1,849年にマシュー・ペリーの娘キャロライン・スライデル・ペリーと結婚、西暦1,853年にフランクリン・ピアースの任命で駐ハーグアメリカ大使着任。西暦1,860年4月のアメリカ民主党全国大会で議長を務め、第19回アメリカ大統領選では北部民主党スティーブン・ダグラスに資金提供を行った。西暦1,861年4月12日の南北戦争勃発後は、北部債と南部債の両方を購入し、戦争の双方から利益を引き出した。西暦1,864年11月の第20回アメリカ大統領選では、エイブラハム・リンカーン再選に多額の資金提供を行った。
- マシュー・ペリー アメリカ海軍の軍人。オーガスト・ベルモントの義父。娘キャロライン・スライデル・ペリーが西暦1,849年11月7日にベルモントと結婚した事で、ロスチャイルド家の代理人ベルモントと姻戚関係で結ばれた。西暦1,854年12月、ハーグに居る娘夫婦を、妻ジェーン・スライデル・ペリー、末娘イザベラ・ボルトン・ペリーを伴って訪ねた。
- キャロライン・スライデル・ペリー マシュー・ペリーの娘。ジョン・スライデルの姪。西暦1,849年7月にサラトガでオーガスト・ベルモントと出会い、同年11月7日にベルモントと結婚した。ベルモントとの間に、長男ペリー・ベルモント(1,851年12月28日)、弐男オーガスト・ベルモント・ジュニア(1,853年2月18日)、長女フレデリカ・ボルトン・ベルモント(1,854年9月27日)、弐女ジェーン・ポーリーン・ベルモント(1,856年4月11日)、参男オリバー・ハザード・ペリー・ベルモント(1,858年11月12日)、四男レイモンド・ロジャース・ベルモント(1,863年7月19日)を儲けた。
- ジョン・スライデル マシュー・ペリーの娘キャロライン・スライデル・ペリーの叔父。ルイジアナ州民主党の主要メンバー。西暦1,849年、ユニオンクラブを通じてオーガスト・ベルモントと出会い、ベルモントに政界入りを勧めた。同年7月、サラトガでベルモントとキャロラインの引き合わせを行った。
- エドワード・レイト・ヘイワード ニューヨーク市とサリバンズアイランド(アメリカのサウスカロライナ州)で二拠点生活をしていた人物。西暦1,841年7月、ニブロズ・ガーデンにて、オーガスト・ベルモントの不倫相手である既婚女性を侮辱し、抗議したベルモントを殴った。同年9月、ブラデンスバーグで行われた決闘では無傷で、ベルモントに太腿への被弾を負わせた。
- クレメンス・フォン・メッテルニヒ オーストリア帝国の宰相。ロスチャイルド家と密接な繋がりを有しており、オーガスト・ベルモントは此の繋がりを活かし、中米やヨーロッパの外交・金融業務を支援した。
- ミラード・フィルモア 第13代アメリカ大統領。コシュート・ラヨシュの亡命を巡る外交的緊張に於いては、オーストリア帝国側の代理を務めたオーガスト・ベルモントと知己を得た。西暦1,851年11月17日、ジョン・オーリックを、ブラジル外交官を虐待したスキャンダルを理由に日本開国任務から外す決定を下した。
- コシュート・ラヨシュ ハンガリー革命の指導者。西暦1,851年12月6日にニューヨークに到着し、アメリカへの亡命を果たした。此れによる外交的緊張により、ヨハン・ゲオルク・リッター・フォン・ヒュルゼマンがオーストリア帝国駐アメリカ代理公使職を辞任、後任にオーガスト・ベルモントが就任した。
- フランクリン・ピアース 第14代アメリカ大統領。西暦1,853年10月11日、オーガスト・ベルモントを臨時の駐ハーグ(オランダの南ホラント州)アメリカ大使に任命した。西暦1,854年9月27日、ベルモントは正式な駐ハーグアメリカ大使となった。
- ジェーン・スライデル・ペリー マシュー・ペリーの妻。ジョン・スライデルの姉妹。キャロライン・スライデル・ペリーの母。西暦1,854年12月、マシューと共にハーグに居る娘夫婦のもとを訪ねた。
- イザベラ・ボルトン・ペリー マシュー・ペリーとジェーン・スライデル・ペリーの末娘。キャロライン・スライデル・ペリーの妹。西暦1,854年12月、マシュー・ジェーンと共にハーグに居る姉夫婦のもとを訪ねた。
- エイブラハム・リンカーン 共和党の政治家。第16代アメリカ大統領。西暦1,860年11月6日の第19回アメリカ大統領選で、反奴隷制の北部民主党と奴隷制維持の南部民主党に分裂した事で、南部で1州も勝てなかったにも拘らず大統領に選出された。西暦1,864年11月8日の第20回アメリカ大統領選で再選を果たした。オーガスト・ベルモントから多額の資金提供を受けていた。
- スティーブン・ダグラス 北部民主党の政治家。西暦1,860年11月6日の第19回アメリカ大統領選に出馬。ダグラスの計らいで民主党全国委員会委員長に就いていたオーガスト・ベルモントから資金提供を受けた。
- ジョン・ブレッキンリッジ 南部民主党の政治家。西暦1,860年11月6日の第19回アメリカ大統領選に出馬した。
- ジョン・ベル 立憲連合党の政治家。西暦1,860年11月6日の第19回アメリカ大統領選に出馬した。
- ジョセフ・セリグマン セリグマン家の銀行家。南北戦争に際し、ウィリアム・セリグマン・ジェームス・セリグマン・ジェシー・セリグマンら兄弟と共に、合計200,000,000ドルの北部債を購入した。
- ジェームス・ド・ロスチャイルド パリ拠点のロスチャイルド家銀行家。南北戦争に際し、北部の輸入を支援し、ナサニエル・ロスチャイルドにも北部債の購入を促した。
- ナサニエル・ロスチャイルド ロスチャイルド家の銀行家。南北戦争に際し、ジェームス・ド・ロスチャイルドから北部債の購入を促された。
- エイブラハム・クーン 銀行家・実業家。南北戦争に際し、北部アメリカ軍に軍服を売った。
- ラファエル・エルランガー 銀行家。南北戦争に際し、其の兄弟と共に南部アメリカ連合国軍を支援した。
- ジューニアス・モルガン アメリカの銀行家。J.P.モルガンの父。南北戦争に際し、息子ジョン・モルガンと共に、戦局を利用した金投機で稼いだ。
- ジョン・モルガン ジューニアス・モルガンの息子。南北戦争に際し、父と共に戦局を利用した金投機で稼いだ。
- トーマス・ウィリアム・ハウス・シニア アメリカの実業家。南北戦争に際し、南部アメリカ連合国軍を支援した。
- レナード・ジェローム アメリカの実業家。ウィンストン・チャーチルの母方の祖父。西暦1,866年9月25日、オーガスト・ベルモントと共にジェロームパーク競馬場(ニューヨーク州ウェストチェスター郡フォーダム)の設立に尽力した。
- ウィンストン・チャーチル 後のイギリスの政治家。母方の祖父レナード・ジェロームが、西暦1,866年にオーガスト・ベルモントと共にジェロームパーク競馬場を設立した。
- ペリー・ベルモント 西暦1,851年12月28日生誕の、オーガスト・ベルモントとキャロライン・スライデル・ペリーの長男。
- オーガスト・ベルモント・ジュニア 西暦1,853年2月18日生誕の、オーガスト・ベルモントとキャロライン・スライデル・ペリーの弐男。
- フレデリカ・ボルトン・ベルモント 西暦1,854年9月27日生誕の、オーガスト・ベルモントとキャロライン・スライデル・ペリーの長女。父方の祖母フレデリカ・エルサスからの名を継承した。
- ジェーン・ポーリーン・ベルモント 西暦1,856年4月11日生誕の、オーガスト・ベルモントとキャロライン・スライデル・ペリーの弐女。母方の祖母ジェーン・スライデル・ペリーからの名を継承した。
- オリバー・ハザード・ペリー・ベルモント 西暦1,858年11月12日生誕の、オーガスト・ベルモントとキャロライン・スライデル・ペリーの参男。
- レイモンド・ロジャース・ベルモント 西暦1,863年7月19日生誕の、オーガスト・ベルモントとキャロライン・スライデル・ペリーの四男。
主要な概念・組織
- ロスチャイルド家 ヨーロッパの主要金融都市に拠点を有する銀行家一族。フランクフルト・ロンドン・パリ・ナポリ・ウィーンに分家を有した。西暦1,828年、縁戚関係を介してオーガスト・ベルモントをN・M・ロスチャイルド&サンズの見習い職に就かせた。西暦1,837年の恐慌でアメリカ代理店J.L.&S.I.ジョセフ商会が倒産した際、ベルモントの「オーガスト・ベルモント&カンパニー」設立を追認し、年俸100,000ドルでアメリカに於ける代理人とした。南北戦争に於いては、ジェームス・ド・ロスチャイルドが北部の輸入支援とナサニエル・ロスチャイルドへの北部債購入の働き掛けを行い、ベルモントを通じて北部債と南部債の両方から利益を引き出した。
- N・M・ロスチャイルド&サンズ イギリス・ロスチャイルド商会。西暦1,828年、オーガスト・ベルモントが見習い職として就いた。ベルモントは銀行の床を掃除したり家具を磨いたりする所からキャリアを始め、訓練や使い走りを行う傍ら、フランス語・英語・作文・会計を教わった。
- オーガスト・ベルモント&カンパニー 西暦1,837年、オーガスト・ベルモントがウォール街78番地に設立した会社。倒産したJ.L.&S.I.ジョセフ商会に取って代わってロスチャイルド家の権益を監督する事を意図したもの。恐慌を利用して安価で証券を買い漁り、最終的にベルモントとロスチャイルド家の双方が、恐慌以前よりも金銭的に潤う事となった。煙草と綿に投資し、外国為替通貨取引も扱った。
- ブラデンスバーグの決闘 西暦1,841年9月、ブラデンスバーグ(アメリカのメリーランド州)にて、オーガスト・ベルモントとエドワード・レイト・ヘイワードの間で行われた決闘。同年7月にニブロズ・ガーデンでヘイワードがベルモントの不倫相手である既婚女性を侮辱した事に端を発する。ヘイワードは無傷であったが、ベルモントは太腿への被弾で重傷を負い、以降ベルモントは伺無しでは歩けなくなった。
- オーストリア帝国ニューヨーク総領事職 西暦1,844年、オーガスト・ベルモントがオーストリア帝国政府の任命により就任した役職。以前からベルモントは、ロスチャイルド家とクレメンス・フォン・メッテルニヒの密接な繋がりを活かし、中米やヨーロッパの外交・金融業務を支援していた。西暦1,850年、オーストリア帝国政府のハンガリー革命鎮圧に抗議し、ベルモントは此の職を辞任した。西暦1,851年12月以降は、オーストリア帝国駐アメリカ代理公使を兼任した。
- ユニオンクラブ アメリカのニューヨーク州ニューヨーク市マンハッタンのアッパー・イースト・サイドに在るプライベート社交クラブ。西暦1,849年、オーガスト・ベルモントが此のクラブを通じてジョン・スライデルと出会い、其の縁でマシュー・ペリーの娘キャロライン・スライデル・ペリーと結婚した。
- 駐ハーグアメリカ大使職 西暦1,853年10月11日、第14代アメリカ大統領フランクリン・ピアースの任命により、オーガスト・ベルモントが臨時として着任、西暦1,854年9月27日に正式に就任した役職。在任中、ベルモントは絵画を収集した。西暦1,857年9月22日に退任、アメリカに帰国する際、ハーグ在任中に収集した絵画を持ち帰り、其の後ベルモントの自宅は美術館の様になった。
- アメリカ民主党全国大会(チャールストン) 西暦1,860年4月23日から同年5月3日迄、チャールストン(アメリカのサウスカロライナ州)にて開かれたアメリカ民主党の全国大会。オーガスト・ベルモントが議長を務めた。奴隷制を強く支持し、アメリカからの脱退を促し、南部諸州の独立を唱える南部過激派「ファイア・イーター」に従う形で、南部民主党員の一部が退席した。
- ファイア・イーター 南部過激派。奴隷制を強く支持し、アメリカからの脱退を促し、南部諸州の独立を唱えた。西暦1,860年4月のアメリカ民主党全国大会で、南部民主党員の一部を退席させた。
- 第19回アメリカ大統領選 西暦1,860年11月6日に行われたアメリカ大統領選。候補者はエイブラハム・リンカーン(共和党)、ジョン・ブレッキンリッジ(南部民主党)、ジョン・ベル(立憲連合党)、スティーブン・ダグラス(北部民主党、ダグラスの計らいで民主党全国委員会委員長に就いていたオーガスト・ベルモントが資金提供)の4名であった。反奴隷制の北部民主党と奴隷制維持の南部民主党に分裂した事で、リンカーンが、南部で1州も勝てなかったにも拘らず、第16代アメリカ大統領に選出された。
- 南北戦争 西暦1,861年4月12日に勃発したアメリカ合衆国(北部)とアメリカ連合国(南部)の戦争。北部アメリカ軍はオーガスト・ベルモント、兄弟で200,000,000ドルの北部債を購入したセリグマン四兄弟(ジョセフ・ウィリアム・ジェームス・ジェシー)、北部の輸入支援を行ったジェームス・ド・ロスチャイルド、アメリカ軍に軍服を売ったエイブラハム・クーンらの支援を受けた。南部アメリカ連合国軍はオーガスト・ベルモント(南部債を購入)、ラファエル・エルランガーと其の兄弟、ピーボディ商会、戦局を利用した金投機で稼いだジューニアス・モルガン・ジョン・モルガン親子、トーマス・ウィリアム・ハウス・シニアらの支援を受けた。
- 北部債と南部債への両建て投資 オーガスト・ベルモントが南北戦争に於いて行った投資戦略。北部アメリカ軍側として活動する一方で、同時に南部アメリカ連合国軍の南部債も購入し、戦争の双方から利益を引き出す立場に立った。
- セリグマン四兄弟 ジョセフ・セリグマン、ウィリアム・セリグマン、ジェームス・セリグマン、ジェシー・セリグマンの兄弟。南北戦争に際し、兄弟で合計200,000,000ドルの北部債を購入した。
- ピーボディ商会 ジョージ・ピーボディ系の金融商会。南北戦争に際し、南部アメリカ連合国軍を支援した。
- 第20回アメリカ大統領選 西暦1,864年11月8日に行われたアメリカ大統領選。エイブラハム・リンカーンが再選を果たした。オーガスト・ベルモントはリンカーンに対し多額の資金提供を行っていた。
- ジェロームパーク競馬場 西暦1,866年9月25日、ニューヨーク州ウェストチェスター郡フォーダム(現在のアメリカのニューヨーク州ニューヨーク市ブロンクス区)にオープンした競馬場。ウィンストン・チャーチルの母方の祖父レナード・ジェロームとオーガスト・ベルモントが設立に尽力した。
- ベルモントステークス オーガスト・ベルモントの名を冠した、アメリカクラシック三冠の1つ。西暦1,867年6月19日、ジェロームパーク競馬場にて初開催された。
アルツァイのシナゴーグ秘書の息子の誕生から、N・M・ロスチャイルド&サンズ見習い、ウォール街での「オーガスト・ベルモント&カンパニー」設立、ブラデンスバーグでの決闘、マシュー・ペリーの娘との結婚、駐ハーグアメリカ大使、アメリカ民主党全国大会議長としての南北分裂演出、北部債と南部債の両方への投資、リンカーン再選への多額の資金提供、ベルモントステークス初開催迄──
ロスチャイルド家の代理人でマシュー・ペリーの娘婿が南北戦争の黒幕となる54年間の系譜を年月日単位で追跡した一冊。
JPY 200(税込)
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