南北戦争の黒幕で
マシュー・ペリーの娘婿の
オーガスト・ベルモント一元化
西暦1,828年、少年は銀行の床を掃く所からキャリアを始めた──
ロスチャイルド家のアメリカ代理人となった男の生涯を一元化。
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本書について
西暦1,813年12月8日、アルツァイ——現在のドイツのラインラント・プファルツ州にて、シナゴーグの秘書サイモン・ベルモントとフレデリカ・エルサスの間にオーガスト・ベルモントが生誕する。西暦1,821年6月9日に母を喪ったオーガストは、2度寡婦となったサイモンの母ガートルード・ハーナウに引き取られ、フランクフルトで暮らす様になった。西暦1,828年、サイモンが財政難に陥って学費が払えなくなり、オーガストは「フィランスロピン」を退学する。メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが、ユダヤ教徒とキリスト教徒のコミュニティを統合する事を目的として設立した学校であった。此処でガートルードが動く。自身の2人目の夫であったハユム・ハーナウの人脈を活用し、ドイツ・ロスチャイルド家に頼み込んで、オーガストをN・M・ロスチャイルド&サンズの見習い職に就かせたのである。ハユムの異母姉妹エヴァ・ハーナウは、アムシェル・メイヤー・フォン・ロスチャイルドの妻であった。少年は銀行の床を掃除し、家具を磨く所からキャリアを始め、訓練と使い走りの傍らでフランス語・英語・作文・会計を教わってゆく——本書は、此の一点を起点として、其の男が五十四年後に何処へ辿り着いたのかを、年月日単位で一元化した記録である。
西暦1,832年、オーガスト・ベルモントはドイツ・ロスチャイルド商会から機密事務員に任命される。西暦1,834年には同商会のパートナーの1人の秘書兼旅行随行員となり、此れが切っ掛けで初めてドイツ国外へ出た。パリ、ナポリ、そしてバチカン——見習いから僅か六年での変化であった。
西暦1,837年、イギリス・ロスチャイルド商会とフランス・ロスチャイルド商会が、第一次カルリスタ戦争で不安定化したスペイン帝国の資産に懸念を抱き、ベルモントをニューヨーク経由でキューバへ派遣する。ハバナへ向かう途上でニューヨークに寄港した彼が目の当たりにしたのは、7,000,000ドルの負債を抱えて倒産したロスチャイルド家のアメリカ代理店「J.L.&S.I.ジョセフ商会」を含む、何百ものアメリカ企業が倒産に直面した恐慌であった。ベルモントは独自の判断でキューバ行きを延期する。倒産したJ.L.&S.I.ジョセフ商会に取って代わってロスチャイルド家の権益を監督する事を意図し、ウォール街78番地に「オーガスト・ベルモント&カンパニー」を設立したのである。そして恐慌を利用して安価で証券を買い漁り、最終的にベルモントとロスチャイルド家の双方が、恐慌以前よりも金銭的に潤う事となった。煙草と綿に投資し、外国為替通貨取引も扱う。ロスチャイルド家は彼の行動を追認し、年俸100,000ドルでアメリカに於ける代理人とした。ベルモントはニューヨークに留まり、ハバナには遂に行かなかった。
西暦1,841年7月、マンハッタンのニブロズ・ガーデンにて、ベルモントは自身の不倫相手である既婚女性を、ニューヨーク市とサウスカロライナ州サリバンズアイランドで二拠点生活をしていたエドワード・レイト・ヘイワードに侮辱される。抗議したベルモントをヘイワードは殴り、ベルモントは決闘を申し入れた。同年9月、メリーランド州ブラデンスバーグにて決闘が行われる。ヘイワードは無傷、ベルモントは太腿への被弾で重傷を負い、以降、杖無しでは歩けなくなった。
西暦1,844年、ベルモントはオーストリア帝国政府の任命により、オーストリア帝国ニューヨーク総領事に就任する。以前から彼は、ロスチャイルド家とクレメンス・フォン・メッテルニヒの密接な繋がりを活かし、中米やヨーロッパの外交・金融業務を支援していた。西暦1,846年4月25日に米墨戦争が勃発した頃には、アメリカ財務省が借り入れた大部分の貸付金の主要な引受人となっている。
西暦1,849年、ベルモントはマンハッタンのプライベート社交クラブ「ユニオンクラブ」を通じて、ルイジアナ州民主党の主要メンバーであるジョン・スライデルと出会う。スライデルはマシュー・ペリーの娘キャロライン・スライデル・ペリーの叔父であり、翌年迄にベルモントへ政界入りを勧めた。尤も、ベルモントのビジネス上の知り合いの殆どはホイッグ党員であった。同年7月、サラトガでの休暇中に、スライデルを通じてキャロラインと出会い、11月7日に結婚する。ニューヨーク5番街18番通りには豪邸を建設し、客人を持て成した。此の豪邸は西暦1,893年に売却される迄、ベルモント家が使用している。翌西暦1,850年、彼はオーストリア帝国政府のハンガリー革命鎮圧に抗議し、総領事職を辞任した。
西暦1,851年12月6日、コシュート・ラヨシュがニューヨークに到着してアメリカへの亡命を果たす。此れによる外交的緊張により、ヨハン・ゲオルク・リッター・フォン・ヒュルゼマンがオーストリア帝国駐アメリカ代理公使職を辞任し、後任をベルモントが引き継いだ。彼はオーストリア帝国側の代理としてラヨシュへの支援を拒否し、非干渉主義を維持する立場を取るミラード・フィルモア政権との仲介役を果たす——其の過程で、ベルモントとフィルモアは知己を得た。同月28日には長男ペリー・ベルモントが生誕する。西暦1,853年2月18日に弐男オーガスト・ベルモント・ジュニアが生まれ、同年10月11日、第14代アメリカ大統領フランクリン・ピアースの任命により、ベルモントは臨時の駐ハーグアメリカ大使に着任した。
西暦1,854年9月27日、長女フレデリカ・ボルトン・ベルモントが生誕し、同じ日、ベルモントは正式な駐ハーグアメリカ大使となる。同年12月、マシュー・ペリーがハーグに居る娘夫婦を訪ねた。出迎えたのは、ベルモント夫妻と3人の子、そしてマシューの妻ジェーン・スライデル・ペリーと末娘イザベラ・ボルトン・ペリーであった。西暦1,856年4月11日に弐女ジェーン・ポーリーン・ベルモントが生誕し、翌西暦1,857年9月22日、ベルモントは駐ハーグアメリカ大使を退任する。帰国の際、在任中に収集した絵画を持ち帰り、其の後彼の自宅は美術館の様になった。西暦1,858年11月12日には、参男オリバー・ハザード・ペリー・ベルモントが生誕している。
西暦1,860年4月23日から5月3日迄、サウスカロライナ州チャールストンにてアメリカ民主党の全国大会が開かれ、ベルモントが議長を務めた。奴隷制を強く支持し、アメリカからの脱退を促して南部諸州の独立を唱える南部過激派「ファイア・イーター」に従う形で、南部民主党員の一部が退席する。同年11月6日の第19回アメリカ大統領選の候補者は、エイブラハム・リンカーン(共和党)、ジョン・ブレッキンリッジ(南部民主党)、ジョン・ベル(立憲連合党)、スティーブン・ダグラス(北部民主党)の4名であった。ダグラスの計らいで民主党全国委員会委員長に就いていたベルモントは、ダグラスへ資金提供を行っている。結果、反奴隷制の北部民主党と奴隷制維持の南部民主党に分裂した事で、リンカーンは南部で1州も勝てなかったにも拘らず第16代アメリカ大統領に選出された。
西暦1,861年4月12日、南北戦争が勃発する。本書が記録する両軍の支援者は、次の通りである。北部のアメリカ軍を支えたのは、ベルモント、兄弟で200,000,000ドルの北部債を購入したジョセフ・セリグマンとウィリアム・セリグマン・ジェームス・セリグマン・ジェシー・セリグマン、北部の輸入を支援しナサニエル・ロスチャイルドにも北部債の購入を促したジェームス・ド・ロスチャイルド、アメリカ軍に軍服を売ったエイブラハム・クーン。一方、南部のアメリカ連合国軍を支えたのは、南部債を買ったベルモント、ラファエル・エルランガーと其の兄弟、ピーボディ商会、親子で戦局を利用した金投機に稼いだジューニアス・モルガンとジョン・モルガン、そしてトーマス・ウィリアム・ハウス・シニアであった。ベルモントの名は、両方の側に在る。
西暦1,863年7月19日、四男レイモンド・ロジャース・ベルモントが生誕する。翌西暦1,864年11月8日の第20回アメリカ大統領選ではエイブラハム・リンカーンが再選を果たし、ベルモントはリンカーンに対して多額の資金提供を行っていた。戦後の西暦1,866年9月25日、ニューヨーク州ウェストチェスター郡フォーダム——現在のブロンクス区にジェロームパーク競馬場がオープンする。設立に尽力したのは、ウィンストン・チャーチルの母方の祖父レナード・ジェロームとベルモントであった。そして西暦1,867年6月19日、彼の名を冠したアメリカクラシック三冠の1つ「ベルモントステークス」が、此の競馬場にて初開催される。アルツァイのシナゴーグの秘書の子が、銀行の床を掃く所から始めて辿り着いた地点——本書は其の全軌跡を一冊に束ねている。
登場人物
- オーガスト・ベルモント 本書の中心人物。西暦1,813年12月8日にアルツァイで生誕し、西暦1,828年にN・M・ロスチャイルド&サンズの見習いとなる。西暦1,837年の恐慌の最中にウォール街78番地へ「オーガスト・ベルモント&カンパニー」を設立し、年俸100,000ドルでロスチャイルド家のアメリカ代理人となった。オーストリア帝国ニューヨーク総領事・駐ハーグアメリカ大使・民主党全国委員会委員長を歴任し、南北戦争では北部債と南部債の双方に関わっている。
- サイモン・ベルモント オーガストの父で、シナゴーグの秘書。西暦1,828年に財政難へ陥り、オーガストの学費が払えなくなった事が、息子がフィランスロピンを退学しロスチャイルド家の見習いとなる契機となった。
- フレデリカ・エルサス オーガストの母。西暦1,821年6月9日に死去し、其の後オーガストは祖母ガートルード・ハーナウに引き取られてフランクフルトで暮らす様になった。
- ガートルード・ハーナウ サイモン・ベルモントの母で、2度寡婦となった人物。母を喪ったオーガストを引き取り、2人目の夫ハユム・ハーナウの人脈を活用してドイツ・ロスチャイルド家に頼み込み、オーガストをN・M・ロスチャイルド&サンズの見習い職に就かせた。ハユムの異母姉妹エヴァ・ハーナウは、アムシェル・メイヤー・フォン・ロスチャイルドの妻であった。
- マシュー・ペリー オーガスト・ベルモントの義父。西暦1,854年12月、ハーグに居る娘夫婦を訪ね、ベルモント夫妻と3人の孫、妻ジェーン・スライデル・ペリー、末娘イザベラ・ボルトン・ペリーと共に過ごした。
- キャロライン・スライデル・ペリー マシュー・ペリーの娘で、オーガスト・ベルモントの妻。西暦1,849年7月、サラトガでの休暇中に叔父ジョン・スライデルを通じてベルモントと出会い、同年11月7日に結婚した。6人の子を儲けている。
- ジョン・スライデル キャロライン・スライデル・ペリーの叔父で、ルイジアナ州民主党の主要メンバー。西暦1,849年、ユニオンクラブを通じてベルモントと出会い、翌年迄に政界入りを勧めた。ベルモントとキャロラインを引き合わせた人物でもある。
- エドワード・レイト・ヘイワード ニューヨーク市とサウスカロライナ州サリバンズアイランドで二拠点生活をしていた人物。西暦1,841年7月、ニブロズ・ガーデンでベルモントの不倫相手である既婚女性を侮辱し、抗議したベルモントを殴った。同年9月のブラデンスバーグでの決闘では無傷であった。
- クレメンス・フォン・メッテルニヒ ロスチャイルド家と密接な繋がりを持っていた人物。ベルモントは其の繋がりを活かして中米やヨーロッパの外交・金融業務を支援し、西暦1,844年のオーストリア帝国ニューヨーク総領事就任へと繋がった。
- ミラード・フィルモア アメリカ大統領。西暦1,851年11月17日、ジョン・オーリックを日本開国任務から外す決定を下した。コシュート・ラヨシュの亡命に際しては非干渉主義を維持し、オーストリア帝国側の代理を務めたベルモントと知己を得た。
- ジョン・オーリック 日本開国任務を担っていたが、ブラジル外交官を虐待したとして告発されたスキャンダルが発覚し、西暦1,851年11月17日、ミラード・フィルモアの決定により任務から外された。
- コシュート・ラヨシュ 西暦1,851年12月6日にニューヨークへ到着し、アメリカへの亡命を果たした人物。此れによる外交的緊張が、ベルモントのオーストリア帝国駐アメリカ代理公使職就任の契機となった。
- ヨハン・ゲオルク・リッター・フォン・ヒュルゼマン オーストリア帝国駐アメリカ代理公使。コシュート・ラヨシュの亡命による外交的緊張を承けて辞任し、後任をオーガスト・ベルモントが引き継いだ。
- フランクリン・ピアース 第14代アメリカ大統領。西暦1,853年10月11日、オーガスト・ベルモントを臨時の駐ハーグアメリカ大使に任命した。
- ジェーン・スライデル・ペリー マシュー・ペリーの妻。西暦1,854年12月、夫と共にハーグのベルモント家を訪ねた。
- イザベラ・ボルトン・ペリー マシュー・ペリーとジェーン・スライデル・ペリーの末娘。西暦1,854年12月のハーグ訪問に同行した。
- エイブラハム・リンカーン 共和党の候補として西暦1,860年11月6日の第19回アメリカ大統領選に臨み、民主党の分裂により、南部で1州も勝てなかったにも拘らず第16代アメリカ大統領に選出された。西暦1,864年11月8日の第20回大統領選では再選を果たし、其の際ベルモントから多額の資金提供を受けている。
- スティーブン・ダグラス 北部民主党の候補。彼の計らいでベルモントが民主党全国委員会委員長に就いており、第19回アメリカ大統領選ではベルモントから資金提供を受けた。
- ジョン・ブレッキンリッジ 南部民主党の候補として、西暦1,860年11月6日の第19回アメリカ大統領選に臨んだ人物。
- ジョン・ベル 立憲連合党の候補として、西暦1,860年11月6日の第19回アメリカ大統領選に臨んだ人物。
- ジョセフ・セリグマン 南北戦争で北部を支えた人物。ウィリアム・ジェームス・ジェシーの兄弟と共に、200,000,000ドルの北部債を購入した。
- ジェームス・ド・ロスチャイルド 南北戦争で北部の輸入を支援した人物。ナサニエル・ロスチャイルドにも北部債の購入を促している。
- ナサニエル・ロスチャイルド ジェームス・ド・ロスチャイルドから北部債の購入を促された人物。
- エイブラハム・クーン 南北戦争でアメリカ軍に軍服を売り、北部を支えた人物。
- ラファエル・エルランガー 兄弟と共に、南北戦争でアメリカ連合国軍(南部)を支えた人物。
- ジューニアス・モルガン 南北戦争で南部を支えた人物。息子ジョン・モルガンと共に、戦局を利用した金投機で稼いだ。
- ジョン・モルガン ジューニアス・モルガンの息子。親子で戦局を利用した金投機を行い、南北戦争で南部を支えた。
- トーマス・ウィリアム・ハウス・シニア 南北戦争でアメリカ連合国軍(南部)を支えた人物の1人。
- レナード・ジェローム ウィンストン・チャーチルの母方の祖父。西暦1,866年9月25日、オーガスト・ベルモントと共にジェロームパーク競馬場の設立に尽力した。
- ペリー・ベルモント オーガスト・ベルモントとキャロライン・スライデル・ペリーの長男。西暦1,851年12月28日生誕。
- オーガスト・ベルモント・ジュニア オーガスト・ベルモントとキャロライン・スライデル・ペリーの弐男。西暦1,853年2月18日生誕。
- フレデリカ・ボルトン・ベルモント オーガスト・ベルモントとキャロライン・スライデル・ペリーの長女。西暦1,854年9月27日、父が正式な駐ハーグアメリカ大使となったのと同じ日に生誕した。
- ジェーン・ポーリーン・ベルモント オーガスト・ベルモントとキャロライン・スライデル・ペリーの弐女。西暦1,856年4月11日生誕。
- オリバー・ハザード・ペリー・ベルモント オーガスト・ベルモントとキャロライン・スライデル・ペリーの参男。西暦1,858年11月12日生誕。
- レイモンド・ロジャース・ベルモント オーガスト・ベルモントとキャロライン・スライデル・ペリーの四男。南北戦争の最中の西暦1,863年7月19日に生誕した。
主要な概念・組織
- フィランスロピン メイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが、ユダヤ教徒とキリスト教徒のコミュニティを統合する事を目的として設立した学校。西暦1,828年、父サイモンの財政難により学費が払えなくなったオーガスト・ベルモントは、此処を退学した。
- N・M・ロスチャイルド&サンズ オーガスト・ベルモントが見習いとして入った銀行。彼は床を掃除し家具を磨く所からキャリアを始め、訓練や使い走りの傍らでフランス語・英語・作文・会計を教わった。
- ドイツ・ロスチャイルド商会 西暦1,832年にオーガスト・ベルモントを機密事務員へ任命し、西暦1,834年にはパートナーの1人の秘書兼旅行随行員とした商会。此れによりベルモントは初めてドイツ国外へ出て、パリ・ナポリ・バチカンを旅した。
- J.L.&S.I.ジョセフ商会 ロスチャイルド家のアメリカ代理店。西暦1,837年の恐慌に際し、7,000,000ドルの負債を抱えて倒産した。ベルモントが自らの商会を興したのは、此の商会に取って代わってロスチャイルド家の権益を監督する為であった。
- オーガスト・ベルモント&カンパニー 西暦1,837年、ベルモントがウォール街78番地に設立した商会。恐慌を利用して安価で証券を買い漁り、ベルモントとロスチャイルド家の双方が恐慌以前よりも潤う結果となった。煙草と綿への投資、外国為替通貨取引も扱っている。
- ブラデンスバーグの決闘 西暦1,841年9月、メリーランド州ブラデンスバーグにてオーガスト・ベルモントとエドワード・レイト・ヘイワードの間で行われた決闘。ヘイワードは無傷であったが、ベルモントは太腿への被弾で重傷を負い、以降杖無しでは歩けなくなった。
- オーストリア帝国ニューヨーク総領事職 西暦1,844年、オーストリア帝国政府の任命によりベルモントが就いた役職。西暦1,850年、同政府のハンガリー革命鎮圧に抗議して辞任した。
- ユニオンクラブ マンハッタンのアッパー・イースト・サイドにあるプライベート社交クラブ。西暦1,849年、ベルモントは此処を通じてジョン・スライデルと出会い、政界入りとキャロラインとの結婚の両方へ道が開かれた。
- 駐ハーグアメリカ大使職 西暦1,853年10月11日にフランクリン・ピアースの任命で臨時に着任し、西暦1,854年9月27日に正式となり、西暦1,857年9月22日に退任した役職。帰国の際に在任中収集した絵画を持ち帰った為、ベルモントの自宅は美術館の様になった。
- チャールストンのアメリカ民主党全国大会 西暦1,860年4月23日から5月3日迄、サウスカロライナ州チャールストンで開かれた大会。ベルモントが議長を務めたが、南部民主党員の一部が退席し、党の分裂が決定的となった。
- ファイア・イーター 奴隷制を強く支持し、アメリカからの脱退を促して南部諸州の独立を唱えた南部過激派。チャールストンの民主党全国大会では、彼等に従う形で南部民主党員の一部が退席した。
- 第19回アメリカ大統領選 西暦1,860年11月6日に行われた選挙。リンカーン・ブレッキンリッジ・ベル・ダグラスの4名が候補となり、反奴隷制の北部民主党と奴隷制維持の南部民主党に分裂した事で、リンカーンが南部で1州も勝てぬまま第16代アメリカ大統領に選出された。
- 南北戦争 西暦1,861年4月12日に勃発した戦争。本書は、北部のアメリカ軍と南部のアメリカ連合国軍の双方に、どの人間が資金を出していたかを一覧として記録している。
- 北部債と南部債 南北戦争の両軍が発行した債券。セリグマン兄弟は200,000,000ドルの北部債を購入し、ジェームス・ド・ロスチャイルドはナサニエル・ロスチャイルドにも購入を促した。一方でベルモントは、南部債を買う側にも名を連ねている。
- ピーボディ商会 南北戦争でアメリカ連合国軍(南部)を支えた商会。ジューニアス・モルガンやジョン・モルガンと並んで記録されている。
- 第20回アメリカ大統領選 西暦1,864年11月8日に行われ、エイブラハム・リンカーンが再選を果たした選挙。ベルモントはリンカーンに対し多額の資金提供を行っていた。
- ジェロームパーク競馬場 西暦1,866年9月25日、ニューヨーク州ウェストチェスター郡フォーダム(現在のブロンクス区)にオープンした競馬場。レナード・ジェロームとオーガスト・ベルモントが設立に尽力した。
- ベルモントステークス オーガスト・ベルモントの名を冠したアメリカクラシック三冠の1つ。西暦1,867年6月19日、ジェロームパーク競馬場にて初開催された。
アルツァイでの生誕からベルモントステークスの初開催まで──
南北戦争の両軍に名を連ねた男の全軌跡を一元化。
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購入後、そのままPDFダウンロードページへ移動します
お支払いは決済サービス「Square」を通じて安全に処理されます。カード情報が当サイトに保存されることはありません。